|
■オープニング本文 十一月になり、気温はぐっと下がっていた。 賑やかな昼間と違って、ひと気の無い廊下は不気味さを纏っている気がする。 「入っても宜しいでしょうか?」 開け放たれたままの扉を律儀に軽く叩いた。 声の主は、玄武寮の寮長、蘆屋 東雲(iz0218)に他ならない。 ここは五行結陣の陰陽寮。 さらに言えば、玄武寮の副寮長こと狩野 柚子平(iz0216)の研究室である。 「ええどうぞ。その様子だと、夜這いではなさそうですねぇ」 冗談を口にした家主はと言えば、部屋の中に火鉢を持ち込んで呑気に干物を焼いていた。扉を開けっ放しにしているのは、炭火の煙がこもるからだろう。柚子平は来客に煮立った甘酒を差し出すと「それで、どうされました?」と、厳しい表情の寮長にやんわりと話を促す。 「狩野さま。イサナ、という陰陽師をご存じですね?」 「イサナ? ああ、同期にいましたねぇ。ひたすら書庫に籠もっていて、あまり話したことはありませんでしたが」 「‥‥討伐命令が出ています」 柚子平の眉が微かに動いた。 イサナという女性は、副寮長の同期の陰陽師で、ここ陰陽寮の卒業生の一人である。 十人並みの容姿はさておき、成績は非常に優秀で、将来の活躍を期待されていた。しかしながら誰一人として友を作らず、唯一の身内であった両親の他界後、ある日ぱったりと消息が分からなくなり、行方知れずになった。図書館の亡霊に殺されたのではと言う、どうでもいい噂まで飛び交いつつも、彼女の部屋からは、妖しげな研究資料の断片が見つかっている。 そこまで話した蘆屋に、柚子平は首を捻る。 「大半が不死の研究とか‥‥良くある話だと思いますが、人でも研究材料にしましたか?」 「そんな恐ろしい話をさらりと言わないでくださいませんか。違います」 「では、討伐になった理由は?」 「噂では‥‥自分をもう一人作った、そう聞いています」 「人妖ですか」 最近になって、結陣の外れでイサナが再び確認された。 しかしどうにも様子がおかしい。 内密に調べてみると、どうもそれはイサナでは無かった。イサナの姿をそっくりそのまま模した、人妖だったという。当時の同期曰く、親の死を境に様子がおかしくなったというイサナは、人の生死を問い続けていた。 人が死んだらどうなるのか、もしや自分の魂は汚れていて、死後にアヤカシに変わってしまうのではないか、未来永劫ありのままの自分を留める術はないのだろうか‥‥と。 それは狂気に近い、生への執着。 イサナは優秀な玄武寮の卒業生だった。 それ故に、人の道を外れたイサナが、どんな研究を重ね、どれほどの犠牲をだし、自分の写し身を作り出すに至ったのか、想像をするだけ恐ろしいのだという。 そして何より、人妖は自分をイサナだと言い張り、本物の所在を教えようとしない。 生活感のない平屋。 姿がない創造主。 調査隊は、本物はとうに殺されていると判断した。 「何度も何処かの子供を連れ込んでいる姿が確認されています。加えて一名、全身に火傷を負わされた負傷者が出ています。人妖は攻撃に特化した個体。イサナの記憶こそありませんが、そのまま放置するのは危険と判断されました。家屋にあると思しきイサナの研究回収と人妖の捕獲、無理ならば破壊してかまわないとの回答で、明日、ギルドへ出されることになっています」 玄武寮で内々に処理するかどうか。 上層ともめた結果、確実性を重視し、ギルドへの協力を仰ぐことになった。 最近、五行では名のある上級アヤカシの活動が活発化している為、のんびりと対応している余裕がないのだろう。今まで黙認してきた離反者達を徐々に取り締まり、もし使える者であれば、結陣ひいては五行を守るために呼び戻そうという方針らしい。 「私の所へ持ってきたのは、監視ということですか」 「どうせお暇なのでしょう?」 寮長の言葉に、副寮長は苦笑いを零した。 |
■参加者一覧
鴇ノ宮 風葉(ia0799)
18歳・女・魔
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
常磐(ib3792)
12歳・男・陰
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰
十河 緋雨(ib6688)
24歳・女・陰
シャンピニオン(ib7037)
14歳・女・陰
リオーレ・アズィーズ(ib7038)
22歳・女・陰
セレネー・アルジェント(ib7040)
24歳・女・陰 |
■リプレイ本文 おまえは私に、瓜二つ。 この体は、私の人生を費やした結晶。 ねぇ、私。 おまえに私の全てをあげよう。 過去も、未来も、なにもかもを。だからどうか‥‥ 全身火傷を負った調査隊の話をリオーレ・アズィーズ(ib7038)と共に聞いて玄武寮に戻ってきた鴇ノ宮 風葉(ia0799)は猫のように背のびをして欄干から降りた。 「不老不死の研究、ね。ま、こっちもお仕事だし、依頼主に背かない程度に好きにさせて貰いますか! あ、現地にいく途中で、子供の話を聞きたいな。戻った子はいるのか、何をしていたのか、出来るだけ知りたいのよね。あ、ヴェルトー! 何か分かった?」 ぱたぱたと駆けていく。 悩んでいたアズィーズは後ろに佇む副寮長の狩野 柚子平(iz0216)を振り返った。 「副寮長‥‥イサナ様のご両親のお墓がどこか、ご存じだったりしませんか?」 「生憎と、お互いに会話も殆ど交わさない相手でしたからねぇ。ご両親の名前や顔どころか、生年月日や好み一つ知らないのですよ。私が覚えているのは、人と殆ど接触をしなかった娘というだけです。後は書類と同じ」 アズィーズは、イサナの他界した両親を不憫に思って冥福を祈ろうと考えていたが、玄武寮に残る情報は『両親が他界したので休みます』という淡泊な届だけで、詳しい墓地の情報などは何もなかった。かつて住んでいたと思しき場所も、既に空き地になっている。 「果てのない命を願ったというイサナ様本人は、どうされたのでしょう。それに、人妖様が、何故、何を願って生み出されたのかは正直興味があります。事実の解明と解決に尽力しましょう。そして願わくば」 幸いのある結末を祈る。 そんな会話をしながら、アズィーズと副寮長は書庫にやってきた。 「お目当ての品は見つかりましたか?」 副寮長に確認を取って、特別室の鍵を受け取り、書庫に籠もっていたセレネー・アルジェント(ib7040)は「はい」と答えて一冊の書物を持ち出した。 イサナの卒業論文である。議題は『人妖に見る無限の可能性について』だが、アルジェントが問題視したのは書物の間に挟まっていた『瘴気は何故、人の屍に集まるのか』という不穏な文字の書かれた走り書きだった。人の屍に瘴気が集まる性質や、アヤカシが宿った屍について書かれている。 「色々と項が抜けているので、正確には読めませんが」 本を受け取った柚子平が何枚かめくり「これは保管用の本ではありませんよ」と呟いた。 「え?」 「今でこそ様々な形式の試験が行われている陰陽寮ですが、私や霧雨君の在籍していた当時の玄武寮では、目に見える成果を要求された年です。例えば人妖を作るにしても、作って終わりではなく、きちんと本に纏め、二部作り、一冊を自分の成果に、もう一冊は玄武寮に納めたという訳です。そしてこれは、本来イサナが保有するはずだった品ですね」 印鑑が違う、と柚子平が特定の場所を指さす。 「間違えて納品したのでしょうね。この瘴気関係の書類は、自分で個人的に調べたものでしょう」 そして恐らく。 親が他界し、おかしくなり始めたころのもの。 「そちらは火傷を負われた調査班方のお話は聞けましたか。少し聞かせて頂けます?」 廊下を歩きながらアルジェントは悩みこんだ。 「あまり問いつめない方がいいのでしょうか。それにしても攻撃特化の人妖とは珍しいですわね。一体どんな人妖でしょう。そしてイサナ様は一体どんな研究を‥‥あら?」 廊下の果てには、見覚えのある少女と男いた。 危険な考えに囚われたシャンピニオン(ib7037)は思考回路が鬱々としていた。 「人妖は、自分をイサナだって言う‥‥それはもしかして、イサナさんは自分を実験台にして、人妖を作ったのかも、なんて、どうかな霧雨おにーさん!」 捕まった玄武寮の雑用係こと霧雨は「‥‥あんま考えたくないな、ソレ」と、律儀に返事をしながら明後日の方向を眺めた。そんな霧雨を前後に揺する。 「でもでもでも! 本当にそんな事が可能なのかは分からないけど、陰陽術ってなんでもできそうだし、イサナさんに陰から唆した存在とかが、他にいたとしたら、どう?」 そこまで行くと本当に学生の手には負えない、と思いつつ口に出さない沈黙の先輩、霧雨。 「でかけますよ」 こちん、と副寮長の青扇子がシャンピニオンの頭に当たる。 「他の皆さんも呼びにいきます。手伝ってください」 やっと落ち着いたシャンピニオンは「はぁい」と副寮長の背を追いかけた。 その頃、常磐(ib3792)の仕度を手伝っていたネネ(ib0892)も頭が煮えていた。 「普通じゃない人妖、というよりも何か少し違うような。うーん」 上手く言葉に出来ない。 風呂敷の中に備えの荷物を詰め込む常磐は小声で呟く。 「人サイズの人妖な‥‥しかも主人にそっくりな。何か気持ち悪いな」 産毛が逆立つ。 人妖と言えば、大半が小さく、愛玩的な容姿を持つ者が多い。それらとは一線を画する仕様には、不気味さが漂う。 忙しい二人を、廊下から見守る傍観組はというと。 「若いのに不老不死に切羽詰るなんて微妙ですよね〜」 十河 緋雨(ib6688)は、人妖の樹里と呑気に戯れる副寮長を思い出しつつ、イサナの経歴を調べた段階で予想が外れた為か、他の理由が分からない、という顔をしていた。はりきっていきましょ、と声をかけながらも背中に覇気がない。 ついでに。 万商屋で荒縄を買い忘れてしまい、後で仕度すればいいですよね! という隙の多さ故に、十河は後ほど棺の件で泣く羽目になる。何か仕度を忘れた気がしながら、十河は相棒の所へ向かう。 十河の背中を目で追った八嶋 双伍(ia2195)は、冥越の方向の空を見上げた。 「不老不死‥‥永遠の命、ですか。人はそういうのが好きですね。まぁ、僕も嫌いではありませんが。かといって‥‥」 浮かんだ言葉は、風が連れ去った。傍らにいた神咲 六花(ia8361)もまた「ありかもしれないな」と研究に肯定的な態度を見せた。人がアヤカシに変われるものなのか、興味がある。 「どちらにせよ、協力を得られれば研究成果を得る助けになるだろう。部屋から見つかった研究資料を見たいもんだね。理由はどうあれ、さ」 話を小耳に挟んだ緋那岐(ib5664)は、肩を成らしながら歩き出す。 「人の行動には必ず『理由』があるもんだ。仮に目的不明でも、そこから見えてくることもあるってわけ。それが何なのか‥‥探ってみる価値はある」 話はそこで終わった。 副寮長の呼び声と共に、彼らは出かけていく。 問題のあばら屋に近づいた神咲達が行ったことは、まず安全の確認だった。 緋那岐が人魂を飛ばし、鴇ノ宮がつね吉を召還した時、ふっと窓を人影がよぎった。 誰かがいる。 そこで屋内の様子を伺う前に、意を決したアルジェントとネネ、そして八嶋と鴇ノ宮、緋那岐の五人が立ち上がり、古びた戸口の方へ歩き出した。子供に害をなした話はまだ聞いていない。 深呼吸してアルジェントが扉を叩く。 現れた小柄な女性はいぶかしげな顔で「誰?」と聞いた。 「こんにちは、イサナさん」 笑顔で話しかけたネネの後方から。 「あんたは、本当にイサナなのか? 学生当時に覚えてることは?」 率直すぎる質問をぶつけて様子を見る緋那岐と。 「依頼で来たわ。玄武寮は研究成果とあんたの研究だけ行えば、あんたを殺しやしないっていってるの。から、大人しくこっちに従って欲しいの」 やんわりとはいえ初対面で命令を下す、鴇ノ宮。 それは散々、調査隊の方で繰り返された不毛な会話と同じ経緯だ。 「‥‥また焼かれたいわけ。帰って」 ぴしゃぁぁぁあん! 接触時間、奇跡の一分足らず。 と、ここで引いては元も子もない。アルジェントは我に返った。 「ま、まってください。誤解です! 私は後輩としてお話をお聞きしたいと思い、参りました! 少しばかりせっかちな者もおりますけれど、全員の考えが一緒だと考えないでくださいませ」 やれやれと頬を掻いていた八嶋も、落ち着いた物腰で語りかける。 「後輩の八嶋 双伍と申します。僕もイサナさんにお伺いしたい話がありまして、宜しければ一日だけでも、後学の為にご同行させて頂けないでしょうか。お邪魔は致しません」 「後輩のネネです。イサナさんは、凄い先輩だって聞きました。私は『半妖の研究』をしようと思って玄武寮に入ったばかりなので、イサナさんの研究が聞きたいです」 ネネもまた、攻撃的な態度を極力避けた。 音をたてて扉が開く。 その手には、荷物と買い物かご。 「私、これから仕事と買い物があるの。邪魔しないで。勉強がしたいなら、ついてきてもいいわ。そこの二人。玄武寮に『やるものはなにもない』と伝えなさい。帰って」 にべもない。 結局の所、警戒心の強いイサナに同行を許されたのはネネと八嶋、アルジェントの三人だけで、残りの二人とは話す気がないらしい。三人はイサナの後を追い、二人はその場に残された。 優秀だというイサナの秘密の研究。 安易に入れないのではと思い、シャンピニオンとアズィーズ、そして十河は人魂を飛ばして屋内の様子を伺った。常磐は手際よく荷物を取り出しながら声を投げる。 「‥‥おい、そこのふたり。落ち込むのは後で良いから」 ものの見事に、接触でドジを踏んだ緋那岐と鴇ノ宮が、反省会をしている。 相手が完全な犯罪者ならまだしも、今回は少し特殊な状況であることを二人は綺麗に忘れていた。 依頼者側が危険対象と主張しているが、アレは『イサナ本人であると主張し、陰陽寮の召還に応じる気はない』として家に来る使者を徹底的に追い払っている。同じ目的の使者だと告げては、話は平行線で前に進まない。 「次は気をつけよう。うん。俺もうっかりしてた」 「ヴェルトの分も、あたしが動かないといけないのに‥‥次こそ!」 「もしもーし‥‥先に入ちゃうよ?」 シャンピニオンが声をかけた。既に人魂で中の様子を探り、神咲が猫又のリデルを中に潜り込ませた。屋内に子供はいなかった。囚われていたら助けなければ、と思っていただけに、槍を構えた神咲達は少しばかり気が抜ける。 割と整頓がされていると屋内だが、生活の匂いが殆どしない。 「研究室に似てる。薬草とか、色んな資料があるな。アヤカシや瘴気の資料とかも置いてないのかな?」 常磐が興味深げに手をつけた。 シャンピニオンも近くの資料に手を伸ばす。 「やっぱり不老不死の研究と‥‥死者の蘇生だね。凄い量」 憂鬱な表情をしながら仕舞っていく。それまで熟読していた常磐が振り返った。 「こっちは死骸の保存方法みたいだ。鼠とか犬とか猫とか、獲物が順番に大きくなっていってる。水中や土中に沈めた場合にどうなるかとか、塩分や灰がどうとか、色々気味の悪いことしか書いてない」 嫌な予感しかしない。 常磐は気分の悪くなる資料を読むのをやめて、足踏みをした。 「‥‥どこかに地下室の入り口が有りそうだよな?」 ぎしぎしと踏み歩く。同じ事を考えたアズィーズも壁や通路を探ってみる。 カツン。 床の音が変わった。皆が一斉に気を引き締めて、話すのをやめる。 目で合図をして、そっと金具を持ち上げた。 刹那。ふわん、と甘い香りが漂ってきた。 蜂蜜のような、花のような‥‥そして微かに分かる、芳しい腐臭。 「降りてみましょうか」 闇が蟠る地下室。その果てに彼らが見つけたのは、大量の蝋が詰まった木箱だった。 ところ変わって。 イサナに同行した三人は、驚きの光景を見ることになる。 市場で、イサナは腕利きの陰陽師として名が知れていた。殆ど会話をしない変わりに、病や怪我にあった薬を調合しては手渡しているようで、様々な家を忙しく歩き回る。一度、陰陽術を使っているところを見たが、それは紛れもなく『解毒』だった。そして最期に尋ねた家は‥‥ 「イサナ先生、こんばんは! よろしくお願いします」 報告と同じ容姿の子供だった。一抱えの荷物と一緒に、小走りでやって来る。 ネネが尋ねた。 「あの子は?」 「見て分かるでしょ。時々うちで働かせてる、弟子みたいなものよ。志体があるの。小さい頃から仕込めば、将来有望だって、言ってたから」 ‥‥言っていたから? 「はじめまして。みなさんは、イサナ先生のご友人であらせられますか?」 「後輩のネネです。初めまして。お名前は?」 穏やかに尋ねるネネ達に「ソラともうします」と幼い声が返った。 そして事件は、帰宅後に起こった。 開け放たれた自宅を見たイサナが、ソラに帰宅命令を出して、修羅の形相に変じた。 「‥‥そうよね、一度くらい痛い目にあわせて脅せば帰るなんて、考えた私がバカだったわ。ずっと昔から注意されていたのに、押し入る連中は盗賊と同じだって。何度も何度もこりもせず。ふふ」 イサナの身が松明のように燃え上がった。しかし衣類は燃えても、体には火傷一つ負わない。 「‥‥虫酸が走るわ!」 攻撃に特化した特別な人妖。その事実が目の前で明らかになった。 「まずはお前達から片づけてやる!」 人妖の敵意は同行中の三人に向かった。叫び声をあげて師に寄り添おうとする少年を、ネネが庇い、八嶋が壁を作り出した。アルジェントも加勢に加わったが、極力直接的な攻撃はしない。 騒動に気づいた十河達が家屋から現れる。 常磐が家の資料が焼けないように壁を作り出した。 鴇ノ宮が人妖に叫ぶ。 「闘いたくないのよ! お願いだから従って! もし、玄武寮があんたを消す気なら‥‥玄冬を寮長に投げつけてあんたを助けに行く。だから、信じてみなさい!」 「は、泥棒の身で何いってんの。そんな台詞は私に勝ってから言うことね。私は誰にも負けないわ!」 だめだ。 もう話し合いで済む状況ではない。 アルジェント達が氷柱で気を逸らしている間に、鴇ノ宮が手順通りに人妖を眠らせる。 即座に駆け寄って、離れた場所にいた駿龍に棺を持ってこさせ、蓋をした途端‥‥十河は縛るものがないことに気づいた。万商屋の買い忘れである。ついでに蓋をした状態で中の様子が分かるわけもなく、もたもたしているうちに爆音とともに、棺の蓋が空高くふっとんだ。 轟々と燃える棺から、炎の化身が姿を現す。 もう一度眠らせようと試みたが、今度は全く効かなかった。 「ふん、同じ手は二度と効かないわよ。誰にも捕らえられない為に、与えられた体なんだから」 このままでは拙い。 アルジェントは声を張り上げて訴えた。 「やめてください! 仲間が勝手にお宅へ無断で入ったことはお詫びします! でも決して研究を奪いに来た訳ではありません! 玄武寮で働いて欲しいという意志を伝えに来たのです!」 このままでは本当に、排除しなければならなくなる。 「陰陽寮で働け? バラして研究したいだけじゃないの? そんなの許さない。ここからは何も持っていかせない。研究も、家も、私も、全て私のものよ! 私に与えられたの! 私は此処で『私でいなければいけない』のよ! それが約束なんだもの!」 人妖の絶叫に、困惑する者達。 ネネが腕の中で怯えていない子供を見下ろした。 この子なら、何か知っているかもしれない。 「ね、何か知らないですか? なんでもいいんです」 「‥‥イサナ先生は、先生の先生から色々学んだ後、あのお家を頂いたといっていました。ここで自分の代理を恙なく務めるように、と」 「先生は? イサナさんの先生はどこに?」 「地下室でずっと修行の眠りについておられるんだそうです。だからイサナ先生が家を守るのだと、言っておられました」 ネネが隣の神咲に地下室の有無を確認すると、地下で膨大な蝋に満ちた木箱を見つけたといった。 そう、それは人が一人、入ってしまうような‥‥ 異様な地下。 遺体を保存する技術。 そして死者を蘇生させる研究と‥‥留守を守る者。 感じたものは、残された者の狂気と執念。 「こんなのおかしいよ。大切なものを喪って、それを取り戻したいって強く願った時‥‥越えちゃいけない線、みたいなものを越えてしまう。そんな想いは知ってる」 シャンピニオンは拳を握った。 「だけど陰陽術は自己の利と欲望を追う為のものであってはならないって、僕に教えてくれた人がいる。護るべき人も信念も、心にあるんだって。僕もそう信じてる! あなたは違うの?」 シャンピニオンの叫びに続いて、八嶋も一歩進んだ。 「僕も、この輝きよ、永遠なれ‥‥そう思った事は一度や二度では無いですよ。しかし、何が何でも欲しいわけでもありません。そんなに長く生きたら人生飽きそうですし、凡人である僕には、親しい人に置いていかれる事は堪え難い。あなたと同じです」 ここに縛られる理由から、解放するには別の理由がいる。 「気持ちは分かります。けれど、一人で模索する力には限界がある。貴女もそのままでは‥‥ただ、重荷に潰されるだけです。イサナさんは、どう生きたのか。何を追い求めたのか。僕が色々聞いてみたいと言ったのは本心ですよ。イサナさんの意志は、貴方しか知らない。偽るのではなく、傍にいた証人として胸を張って、主人の言葉を‥‥他の皆さんに伝えに行きませんか?」 差し出された手。 やがて炎の向こうから、イサナを呼ぶ子供のような泣き声が聞こえた。 説得で穏便に済ませたいと粘ったアルジェント達の成果で、奇跡的に人妖の保護に成功した。 常磐達の配慮で資料も燃えずにすんだ。 本物のイサナは、ネネが子供から聞き出した通り、あの大量の蝋の中から見つかった。 陰陽師として身なりを正し、乾いた花束を抱え、全身死蝋化しつつあったイサナは、死後一年以上と推定されつつも、まるで眠るような美しい造形を保っていたという。 「それでは失礼します」 ギルド手続きを済ませ、各寮生から報告を受けた玄武寮の寮長は、副寮長を見て溜息を零した。 「死因は病死だとか。‥‥主人を、蘇生させたかったのでしょうか」 家にあった異質な研究資料。 死体を保存する為の研究をし、蘇生する為の陰陽術を編み出そうとしたのは‥‥残された人妖の方だった。 「偽イサナは、野放しが危険と判断されました。陰陽寮の手には負えません。従って、封陣院で預かります。特別仕様なので所定の検査や研究対象になることは避けられませんが‥‥用済みになった時は、然るべき者に管理を委任する予定です。新しい主人を得て、新しい名と共に、新たな道を歩むでしょう」 戦闘が発生してしまった時点で、無害の証明は不可能になった。 見逃すことは、できなかったけれど。 「そうですか」 悲しみから不老不死を求め、寂しさ故に信じられるもう一人の自分をつくり、やがて抗えない運命を悟った時、イサナは家族になった道具を『自分として生かす』ことを決めた。自分が掴んできた権限全てを明け渡した存在は、何事もなかったかのように人々の暮らしに溶けこみ、誰かの記憶に残り続ける。 それは永遠を求め、未完成の不老不死の代わりに辿り着いた、イサナの答え。 もっとも。 心を与えた存在が、どんな行動を起こすのか。 きっとイサナは‥‥考えなかったのだろうけれど。 「色々と寮生には難しい事件でしたね。人妖は便利な道具。それが存在を許される境界ですもの」 寮生達は何を思っただろう。それぞれに複雑な思いを抱えて、食堂で話をしていると聞いた。 ひらん、と。窓から辿り着いた一枚の木の葉。 「ふふ‥‥秋も終わりですねぇ」 花も散り際が美しい、と讃えられるように。 真紅に染まった紅葉も、その命を終えて樹木から手を離す。 虚空を舞うように地面へと落ちた紅葉は、やがて朽ちて大地に帰り、糧になる。 私達もいつか命や知恵を託して、大地に還る時がくるのだろう。 それを運命と受け入れるか、抗う為に生きるのか。 己の未来を知る者は、だれもいない。 |