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■オープニング本文 紅に桃色、黄金に真珠。 視界に広がる大輪の菊花が、観光客を出迎える。 大菊、中菊、古典菊、小菊と。その数およそ4000鉢。 朱塗りの鳥居が立ち並ぶ参拝道の両脇には、地元民が育てた渾身の菊花が隙間を埋めるように並べられていた。石畳の花路から丘上の境内へ進むと、一本の幹から伸びた巨大な花手鞠が人々を圧倒する。これも全て菊だ。千輪近くの菊花を円形に仕立てた大数咲。境内の右と左を彩る風景花壇には三万本の菊花が惜しげもなく飾られる。 今年の主題は『渡鳥金山』‥‥そう。 ここは五行。結陣の外れにある小さな社だ。 毎年この時期になると、寂れた社は菊祭で息を吹き返す。 人々は丹誠込めて育てられた菊を眺めて心を和ませ、参拝道途中の小料理屋で『菊花膳』を楽しんでいた。 菊花膳とは、菊の花をふんだんに使った花の膳だ。 菊の花が食べられるということを、知らない人もいるだろう。 酢を少し加えた熱湯でさっと湯がくと、菊の花はより鮮やかに生まれ変わる。 まずは黄菊を用いた菊ご飯。 ほのかな香りと甘みにしゃきしゃきした食感に、大根菜の緑と塩味が秋を感じさせる。 紫菊のおひたし、酢の物に胡麻和え。 勿論、少し苦みのある花心をつけたまま、花衣を纏わせて天麩羅でからっとあげたり、湯がいた白菊を吸い物に浮かべると、なんとも可憐で華やかだ。 そして今宵も、一ヶ月間の菊が織りなす祭が始まる。 + + + 「菊祭の警備?」 「警備というか、足腰の悪いおじいさまやおばあさまの補助とか、お客様誘導ですね。昼間の二時間くらいのお仕事で、夕方から夜は自由にしていいそうですよ」 祭と聞くと、心が躍る。 こうして菊祭へ出かけることになった。 |
■参加者一覧 / 劉 天藍(ia0293) / ヘラルディア(ia0397) / カンタータ(ia0489) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 慄罹(ia3634) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 月酌 幻鬼(ia4931) / 平野 譲治(ia5226) / 倉城 紬(ia5229) / 珠々(ia5322) / 神鷹 弦一郎(ia5349) / 菊池 志郎(ia5584) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 茜ヶ原 ほとり(ia9204) / レグ・フォルワード(ia9526) / フラウ・ノート(ib0009) / フェンリエッタ(ib0018) / 天霧 那流(ib0755) / 无(ib1198) / 白藤(ib2527) / シータル・ラートリー(ib4533) / ソウェル ノイラート(ib5397) / 緋那岐(ib5664) / アムルタート(ib6632) / フレス(ib6696) / 瀬崎・小狼(ib7348) / 和亜伊(ib7459) / 壮月 焔(ib7786) / 如月 愛莎(ib7787) / さいか(ib7788) / 水森 秋菜(ib7789) / 獅炎(ib7794) |
■リプレイ本文 ぽつり、ぽつり。 石灯籠に炎が灯った石畳の階段。 茜の空へ夜の帳が落ちる頃になっても、菊祭は賑わっていた。 路を彩る無数の菊を、ただ眺めるだけの祭でも、そこには人の数だけ物語が語られる。 恋人の冷えた手を恐る恐る握りしめた雷・小狼(ib7348)は、きゅっと握り返してきた瀬崎 静乃(ia4468)の温もりに気を取られていた。 ああ。 こんな風に『らしく』歩くのは初めてなのかも知れない‥‥と、瀬崎は頭の隅で考える。 どこまでも、どこまでも。 闇の果てに繋がる幻惑の路を言葉もなく歩いていく。 群を為して佇む、朱塗りの鳥居を潜っていく。入り口で賑わっていた声が、食事処を境にして、ひとり消え、ふたり消え、そうして数えるほどになってから気づいた。 雷は菊を見ていなかった。童心にかえって摩訶不思議な世界へ迷い込んでいく瀬崎を見つめていた。 目を離したら、そのまま何処かへ消えてしまうような気がした。 視線に気づいて見つめ返すと、穏やかに微笑む。 「‥‥菊、綺麗だな」 菊なんて、見ていなかった癖に。 瀬崎は、近くの植木鉢に落ちていた紅色と白い花弁を拾って、繋いでいた掌に落とした。 「小狼君‥‥これ、あげる」 我ながら大胆な行動をした、と。 瀬崎は、雷の指先をするりと抜けて、足早に歩き出した。 頬が熱い。慌てて追いかけてくる恋人は、果たして花言葉を知っているのだろうか。 心配しなくても、闇には消えない。紅は「愛情」、白は「誠実」を意味するのだから。 道行く恋人達の間をすり抜けながら、ひとり踊るように上を目指すのは和奏(ia8807)だった。 色の違うもの、形の異なる花、菊と一口に言っても、都の人々が何年もの間、端正こめて育ててきた菊は、注がれた愛情に応えようと豪華絢爛に咲き誇る。 その気高い芳香は、心を和ませてくれた。 「菊は色も綺麗ですが、香りが好きかも。秋の花は春とはまた違った趣があるのですねぇ」 ふと花の間に埋もれた人影に気づいて、和奏はそっと遠ざかった。 あなたの気持ちが見えないの。 レグ・フォルワード(ia9526)の珍しい誘いを受け入れ、菊祭に来たまではよかったのだが、ソウェル ノイラート(ib5397)は少し気まずい思いを抱えていた。 愛されている実感が湧かない。 口づけは冗談だったのだと、笑われてしまいそうな気がして、心の底から信じる気になれなかった。 温もりを覚えた唇を、指先でなぞってしまうのは何故だろう。 「‥‥割と、本気だったんだがなぁ」 「え?」 心ここにあらず、という雰囲気で歩いていたノイラートは、フォルワードの呟きを拾えなかった。 溜息が聞こえる。 繋いでいた手をひかれ、路を外れた。 視界の片隅を過ぎゆく大輪の花。朱塗りの鳥居の影へと連れ込まれると、ノイラートは力一杯抱きしめられた。 「ソウェル、もうお前には絶対に嘘は吐かねぇ」 この人は、かつて目の前から消えた。 「だから、側にいてほしい。お前と一緒にいたい」 何も言わず。何も知らされぬまま。 死んだと言われた時の悲しみを、忘れたことはない。 「この気持ちには一辺の嘘も混ざっちゃいねぇ。もう一度でいい、俺にチャンスをくれ」 置き去りにされた私。 遠ざかったあなた。 けれど今は、どちらが追いかけているのだろうか? 立場が逆転しているのは、なんだか笑えた。身じろぎして黒縁の眼鏡を奪う。 「また黙って置いて行かないでね?」 少しくらいの意地悪は、許されてもいいと思う。 何処までも続く石畳の階段にも、終わりはある。 「少し落ち着かんが‥‥折角なのだし、楽しめるだけ楽しもう。あと酒だな」 開拓者としての歩み始めたばかりの獅炎(ib7794)は、仕事を終えてから自らも菊祭を楽しんでいた。 花の美しさも悪くはないが、獅炎の心を最も和ませたのは、昼も夜も変わることのない笑顔の洪水だ。哀しむ姿などどこにもない。 仮設の茶屋に足を踏み入れ、酒を頼んでから手元を見下ろす。つい先ほど引いた御神籤を開くと『中吉』の文字があった。肩の重荷を降ろして身軽になるがよい、等の運勢も。 じっくり読んでいるうちに、酒が来た。 「酒も美味くて笑顔も多い。やっぱ祭りはいいもんだな」 昼間、老人の補助をこなしていた平野 譲治(ia5226)も、役目を終えると菊の観賞をしながら石畳の階段を歩いていた。時折、じっと咲き誇る菊を見つめては、何かを話しかけていた。人に見られて照れ笑いを浮かべながら、境内へ向かう。 「おっしっ! お祭りっ! 全力で遊ぶなりよっ! まずは御神籤、なりね!」 境内では御神籤に沢山の人が集まっていた。 というのも、ここの御神籤。 味気ない小さな紙の筒と違い、色鮮やかな『華おみくじ』だった。 工夫が凝らされた紙細工は、ひらくと花の形になるように畳まれている。 「みてみて、大吉だって! あらゆる望みが叶うだろうって書いてある!」 柚乃(ia0638)は満面の笑顔を浮かべた。 良縁あり、とか、目標は達成の兆しとか、御神籤はとても幸せな気分にさせてくれた。 一方、兄の緋那岐(ib5664)は小吉で、当てが外れるとか、やや切ない文字が多く踊っていた。 元々緋那岐が妹を誘ったのは、花より団子、つまり菊花膳を楽しもうと考えてだったのだが、生憎と妹の希望に引きずられて風景花壇観賞になっている。 そうか、コレのことか、と溜息が零れた。 「ある意味、的中、なのかな。やれやれ」 「なんだ、凶でも出たのか?」 落ち込んでいる背中が気に掛かった傍のからす(ia6525)が、肩を叩く。 「ふむ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。良い結果だけ信じ、悪い結果は参考程度に留めるくらいの余裕が、御神籤には必要だ」 きりりと助言する、からす。 淡々としてはいるが、その手には「小凶」の御神籤がある。 「御神籤? それってなになに〜? 教えて〜!」 飛び跳ねるような勢いで近づいてきたのはアムルタート(ib6632)だった。 アル=カマルと違う雰囲気を「これがわびさびってやつだね!」と楽しんでいたが、人の多い此処へひかれ、教えてくれそうな人に声をかける機会を窺っていた。 からすは動じずに答えた。 「占いだよ。その棒をひいて、出た番号を伝えると、同じ番号の御神籤を売ってくれる」 「運勢が書いてあるの。仕事や恋愛、健康や学業とか、色々。あとね、匂い嗅いでみて」 正面の柚乃は、おっとりと答えつつ、自分の籤をアムルタートに近づける。 「なになに〜? あれ? 甘い香りがする〜!」 「おお? 香りのする御神籤なりね?」 通りがかった周りも驚いたらしく、平野も含めて、順番に御神籤へ鼻を近づけた。 どうやら白檀などの香木で燻してあるらしく、ほのかな香りが染みこんでいる。 アムルタートと平野も御神籤をひいた。 結果、アムルタートは半吉、平野は末小吉だった。どう違うのか分からないと言う言葉に、平野は「半吉は小吉の下、末小吉は凶の上の上なりね!」と説明した。 景気づけにと踊り出すアムルタート。えらく目立つ。 「うーんと、どうだろ? 景気づけにそこの茶席で食事でも?」 「さーんせーい!」 緋那岐の誘いに元気良く答えたアムルタート達は、五人揃って茶屋へ向かった。 昼間、晴天で雲一つなかったこともあり、夕暮れの頃合いになっても雨はおろか薄雲ひとつ張らなかった。 この分なら菊の風景花壇のみならず、美しい星空と、冴えるような月を望めるだろう。 茶席の人々は屋内に入るより、軒先や窓辺の席に好んで座った。 そうすると勿論、知人には出会うもので。 「あ、柚子平さーん。いらしていたのですね。お疲れ様ですー」 カンタータ(ia0489)は、依頼で縁のある狩野 柚子平(iz0216)の隣に腰掛けた。 「冷えて参りましたし、温かいものがオススメですよー。そういえば今年の菊祭が無事に開催されたのも、玄武寮の活躍があったからと伺っていますー。お仕事頑張ってますー?」 「ええまぁ。私は玄武寮の寮長命令で研究室で残務だったもので経緯は存じませんが‥‥いやはや、監督役の霧雨君曰く、身を犠牲にして頑張っていたそうですよ」 「なるほどー羨ましい限りですー。ついでに少しお伺いしたいのですがー‥‥」 カンタータは青龍寮の所属寮生で、今後目立った講義がないか尋ねた。 が、柚子平は玄武寮の副寮長だ。 そもそも区画が明確に分けられた陰陽寮で、所属の違う寮の方針を知るはずもなく、柚子平は困ったように天を仰ぎ、微笑んだ。 「私などより、青龍寮の寮長に直接お尋ねした方が良いと思いますよ」 「ですよねー。なかなかお会いする機会もなく」 「ふむ‥‥寮の話ですか?」 現れたのはカンタータと同じ青龍寮の无(ib1198)だった。肩の尾無狐が、誇らしげに大吉の記された御神籤を加えている。菊を眺め、境内を散歩して。いざ茶湯にするか、甘酒にするか、命の水かと悩んでいたら、知り合いの姿を見つけた。ついでに腹の虫が鳴る。 「これから菊花膳を食べにいくつもりなのだが、どうだろう」 「いいですねー。どうです、柚子平さんも」 柚子平は予定があるということで、カンタータと无は菊花膳を食べに出かけた。 抹茶といえば、甘い茶菓子が付き物だ。 漆塗りの器に、ちょこんと乗った黄色い餡菓子は『菊手鞠』という名前らしい。 抹茶を頼んだ倉城 紬(ia5229)とフラウ・ノート(ib0009)は食べるのがもったいない茶菓子を堪能しながら、濃厚で苦みの薄い極上抹茶を飲んだ。甘酒を注文したシータル・ラートリー(ib4533)も、天然の甘みにほっこりと優しいひとときを過ごす。 「これぞ甘酒。甘くてほんわりして、美味しいですわね。のんでみます?」 「抹茶もお茶菓子も美味しいですよ、ね、フラウさん」 「さっきの菊手鞠お持ち帰りできないのかしら。そういえば、あの菊って食べられるのね。一回、食べてみたいわ」 ノートの視線の先に広がるのは、渡鳥金山を描いた菊が織りなす風景花壇だ。 一見、緑にも見えるものも、きちんと菊の花なのが驚きだ。 膨大な種類を一度に見られる機会は少ない。見て楽しめるこれらを、こちらの地域では食材としても使うという。 「路の途中にあった食事処で菊花膳を楽しめるとか。それにしても、この茜色の秋の空と紅葉した木々の葉、それに菊の花‥‥それぞれの色が溶け合って素晴らしいです」 色鮮やかな菊の一つ一つにも花言葉があるのだろうかと、話題に出したのが命取り。 「そういえば! 菊には、恋愛や真実の愛などの意味もあるとか! 恋愛話といっても色々ありますし‥‥菊になぞらえて彼の話でも如何かしら?」 楽しげなラートリーに対して、他二名はぼっと顔を赤らめた。 「は、はい? 私の、ですか? あ、あの‥‥私の彼はですね。その‥‥フラウさんから!」 「うぇ? あたしのだ‥‥いや、彼の事? そ、そうね。アイツはスケベだけど‥‥」 三人の惚気話は始まったばかりだった。 仮設茶屋の一角で、一組の男女が人の出入りを数えていた。 が、やはり満開の菊花に心奪われるらしい。時折、珍しい種類を見つけては、茜ヶ原 ほとり(ia9204)は傍らの神鷹 弦一郎(ia5349)の袖を引いて、楽しそうに指し示す。 「‥‥ふむ。見事な菊だ。白原祭も楽しかったが、此方も素晴らしい」 咲き誇る花を愛でながら。 愛しい君と二人、休まるひととき。 抹茶についてきた餡菓子の菊手鞠もすっかり空になり、神鷹は二人分の甘酒を注文した。茜ヶ原の甜茶も間もなく空になることに気づいていた。茜の空は、遠ざかる太陽と近づく月の様子を教えてくれる。 神鷹は肌寒い風を感じて、風向きから恋人を護るように寄り添った。 ふふ、と零れる乙女の微笑みは、菊の花より心を占める。 「さて。今、どちらが多く当てているのだったかな?」 茶屋に来る客は、男が多いか女が多いか。そんなささやかな賭け事は、風景花壇や茶を楽しんでいる内に、分からなくなってしまった。「引き分けですね」と笑う茜ヶ原は、運ばれてきた甘酒を神鷹にも手渡し、ふぅっと息を吹きかける。 そして一口。 「甜茶は薔薇の香りがして驚きましたけど、この甘酒ってお酒は入ってないんですね、弦一郎さん」 「天然の甘み。このくらいが丁度いいのかもしれませんね」 首を傾げた菊のように。 二人は微睡むような時間の中で寄り添い続けた。 寄り添いあうのは、恋人同士だけとは限らない。 天霧 那流(ib0755)は石畳の階段で旧知の御彩・霧雨(iz0164)を見かけ、共にいた友人達と一旦別れた。また後でね、と一声投げて、ふたりで凛と咲く菊の花壇を楽しむ。 絡めた腕に、力がこもるのは何故だろう。 「最近会う機会が減ったし‥‥元気にしてた?」 「まあ、な。結陣からさっぱり出てないし」 その返事に顔を上げる。 天霧は、こうして霧雨と会えることが偶然と言うより、奇跡の産物である理由を知っている。 もしかしたら、病や怪我より先に、彼が若くして命を落とすかも知れない未来を‥‥心の片隅で案じていた。 当然立ち止まった霧雨に「どうしたの?」と声をかける。 見上げた顔に、月が重なった。 「‥‥あのさ。もし予言が避けられないとして、俺がいなくなっても‥‥」 せめて君たちは、忘れないでいてくれるだろうか。 ざぁ、と風が吹いた。 殆ど聞こえなかった言葉が、不吉な弱音だったのは察しがついた。 人は二度死ぬ、という言葉がある。一つは肉体の滅び、いま一つは忘れられてしまうこと。 誰の記憶にも残らない‥‥そんな終わりは悲しすぎる、と。 「‥‥ば、バカなこと言わないで。元気にしてなさいよ? 又会いに来るから、さ、そんな沈んだ気分は、祭の中に捨ててしまいましょう。二人も待っていることだし‥‥あら?」 遠くで劉 天藍(ia0293)と弖志峰 直羽(ia1884)が一喜一憂しているのが見えた。 「‥‥中吉、中吉、中吉。神は俺に、他の選択肢を与えない気か!」 番号は違えど、三度全て中吉。 ある意味で奇跡だ。此処まで見事に引き当てると、観念するしかない。 劉の横で「負けたらもっかい引く!」と叫んだ弖志峰も三度、御神籤を引いたが、こちらは小吉、末小吉、半凶の順でどんどん出目が悪くなっていた。 「凶より悪い半凶? 勝ったな‥‥諦めたらどうだ?」 「今のノーカンだから! 次こそ天ちゃんよりいいのがひけるはず!」 次に大凶ひいたらどうするのだろう、と劉は思う一方、再び自分が引いて中吉が出るのではないかという奇妙な恐怖心があった。 それを止めたのが大大吉を手にした天霧だ。 「その位にしときなさいよね? 私の勝ちって事にして、お茶屋さんに行きましょう」 しかしその程度で、一度火のついた闘争心は消えなかった。 「諦めません勝つまでは! 天ちゃん、次は甘酒の一気飲みとお団子で勝負だ!」 ここでは胃袋が試される! 「そうだな、受けて立とう。俺の中吉は『健康で何事もない』って書いてあるからな!」 だが中吉といえど交渉取引欄の『金銭的な問題が起こりそう』とか健康病気欄の『だが一度は健康診断をうけよ。病気は相当重いと考えて良い』の文字は見えていないらしい。 「‥‥甘酒十杯も呑んでどうするの。あぶり餅三十皿とか、ほんと大人げないんだから」 見かねた天霧の手刀は二発分。 結局、劉と弖志峰の勝負は延々と続き、財布の中身は減り続けて。 食事処で菊花膳を使った勝負が始まってしまい、本気で怒られることになるのだけれど。 参拝道の片隅にある小料理屋は、菊祭の時期になると菊花膳を求める人で溢れかえる。 菊花膳は、菊の花づくしの懐石料理に他ならない。 苦みの薄い食用菊を使うのかと聞かれれば確かにそうだが、地元民は食用だろうと観賞用だろうと、関係なく摘んで料理してしまう。基本的に育てるのが難しく手間暇がかかる花だが、人々は花を愛でつつ花を食するこの季節に備えて大量に菊を育てていた。 勿論、珠々(ia5322)も菊花膳が目当てだ。 ついでに旬のものを食べて長生きがしたい、と年頃の娘にあらざる願望を抱いていたが、何よりも、傍らのフレス(ib6696)を初めとした異国出身者が『天儀の人はなんでも食べる』と思わないかどうかが心配だった。 「珠姉様、珠姉様? お膳、きたよ? どうかしたの?」 珠姉様ってダレ? 一瞬、自分のことだということに気づかなかった珠々は「そ、そうですね。なんでもないです」と焦って箸を握った。 いつもは、タマちゃんタマちゃん人参人参、とイジられ通しな訳だが、本日は菊祭を案内する『お姉さん』なので、いまいちしっくりこない。 「菊、ちょっと変わった味だけど、とっても美味しいんだよ。苦みがあって、大人の味、って感じがするんだよ。こんなの知ってるんなんて珠姉様やっぱり凄いと思うんだよ!」 照れたのも束の間。 「あんな綺麗な花もご飯なんだね。‥‥天儀の人たちって、なんでもたべるんだね!」 言いよったーっ! フレスの大声は店内によく通った。くすくすと笑う声あり、じろじろと見る視線あり。猫が体毛を逆立てるように『ニャァァァ!』と内心絶叫した珠々は、慌てふためいていた。 賑やかな食事光景があれば、当然長閑な者達もいる。 「五行の東は米どころ。結陣の酒は美味いと聞いていたが、これはなかなかだな」 「まあ、それはそれは。もう一献、いかがです?」 白地の着物に藤の柄。浴衣を纏ったヘラルディア(ia0397)は、愛する月酌 幻鬼(ia4931)と二人、窓の向こうの菊の花道をしげしげと眺めながら、菊花膳に舌鼓をうっていた。 味も食感も全く異なる菊花の七変化。 煮こごり、おひたし、あえもの、天麩羅、ご飯にお吸い物。全てに菊がある。 「あしらえた花をそのまま食べられる様にするとは、‥‥わたくしとしては見習うべきものでしょうか。自宅でも料理できるよう頑張ってみましょうか」 「どっちでもいいぜ。美味い酒に愛する嫁‥‥俺なんかがこんなに幸せでいいのかねぇ」 至福のひとときは、なにものにも代え難い。 そう思うと、ヘラルディアと月酌が御神籤で引いた小吉と末小吉の運勢も些細なものでしかなかった。 窓の向こうには、満開の花が広がっている。 菊花膳を求める人の数は多く、相席が増えていった。 混んでますね、と話しかければ、自然と会話が増えていくものだ。 礼野 真夢紀(ia1144)は菊を食べることを珍しがる者達に、こう話した。 「我が家でも菊は食べていましたが、家で食べる菊って、黄菊の酢の物位でした。こんなに色んな、それも色とりどりの菊が食べられる機会は初めてです」 それを聞いて和亜伊(ib7459)は唸る。 「菊が食えるって話は本で読んだ事があったけどなぁ‥‥菊が実際どんな味なのか知らなかった。ここまで種類があるのは驚きだな。天麩羅なら菊の味ははっきり分かるかねぇ」 隣の机の菊花膳を、物珍しげに眺めている。 菊花膳を売り切れる前に食べようと考えた和亜伊は、仕事の道具は持ち場に預けて、財布一つもって走って来た。期待は膨らむ。 「花の彩を楽しみながら食べられる‥‥素敵で贅沢なお膳ね。どんなお味がするのかしら」 フェンリエッタ(ib0018)は興味津々だ。 そうこう話している間に、菊花膳が運ばれてきた。菊池 志郎(ia5584)がごくりと喉を鳴らす。 「見た目も華やかで、食べるのがもったいないですね。うん、美味しい!」 食事は食べられるだけでありがたい、という菊池だが、今回ばかりは物珍しさに負けて贅沢をする決意をした。はずなのだが、美味しいが故に、食べ終えるのがもったいない。 「華やかで綺麗ですね。お婆様が丹誠込めて育ててるのと同じものとは思えません」 礼野は家族にも作ってあげたいと思ったが、地元で売っている菊は一種類だけだ。 ぱりぱり、といい音がする。 菊の天麩羅は、苦みもあったが薫り高い。 「これはこれで、確かに食べてしまうのが勿体無い気もしちゃいますね」 フェンリエッタは、じっと天麩羅を見た。こんな風に、薄く衣をつけて花の形状を保ったままあげた天麩羅などからは、料理人の意地が伺える。慣れない者が揚げたら、きっと団子状態に違いない。 「苦み、苦みか。どれ‥‥菊ってこんな味がするのか。菓子にも使えそうだな? 家で料理できないもんかな?」 首を傾げた和亜伊の言葉に、店の人間が小話を語って聞かせる。食用菊と言えば黄色や紫が一般的だが、なんだかんだ言って、食べようと思えば観賞用の菊を食べる人は結構いるという話に、唖然とする者もいれば、笑う者もいた。菊祭の花壇の菊も、愛好家は祭後も愛でるというが、この辺の出品者は毟って料理するらしい。 感心する和亜伊と違い、菊池と礼野は、自宅に帰ったら作ってみようと決意した。 フェンリエッタはといえば、薔薇の花を食したことを語り出し、菊池たちに世界の広さを実感させていた。礼野が「そうだ」と箸を止める。 「後で姉様と、ちぃ姉様にもお手紙で教えてあげなくちゃ。みなさん御神籤は、もうひきましたか?」 私くじ運悪くて、と呟くフェンリエッタ。気遣う菊池。 菊花膳を食した後、彼らが御神籤をひきに出かけた。散々唸っていたフェンリエッタが吉を引いて微妙な顔になっていた横で、菊池が半吉をひいていたりする。 そして菊花膳を食べた壮月 焔(ib7786)は店の外で、ぐっと背を伸ばした。 残念ながら彼の求める品は菊祭に無かったが、競争率の高い膳はちゃっかり堪能した。 「やっぱシメは麺だよな。花もいいけど、俺は美味しい店の方が大事だしな」 そして二件目を探して、ふらふらと菊の小径を降りていった。 茜の空はいつの間にか、満天の星空へと変化していく。 花道は提灯が揺れ、菊の花はしぼむことなく咲き続ける様が、窓辺からよく見えた。 「綺麗な月ですねぇ‥‥案外、小吉でもいいことが‥‥あ、菊花酒ってありますか?」 菊花膳を運んできた女性に、蝶柄の着物を纏った白藤(ib2527)がそっと問いかける。 やがて現れたのは菊酒だった。 梅酒と同じ製法で、氷砂糖と菊を漬け込んであり、薬酒として珍重されている。 「なんでしょう、この小皿みたいなの。杯なんですか?」 白磁の杯は何故か皿に似ていて、中央に兎の立体造形があった。黄色い小菊も添えてある。呑みにくいのでは? と思いつつ酒を注いでみると、水面から顔を出す小兎。黄色い小菊は、比重の重い酒に浮かぶ。 小さな杯の中に『水面に浮かぶ月と兎』が現れた。 「うわぁ、かわいい! みてみて慄罹さん、呑むのがもったいない月見酒!」 ほのかに香る菊の香り。 慄罹(ia3634)は愛らしい薬酒を見て微笑んだ。 「知ってるか? 菊花って解毒や目なんかに効果があるんだぜ。吹き出物にもいいんだっけ‥‥まぁ、これは受け売りなんだがな。さ、冷めない内に食べようぜ!」 「綺麗なお膳、どれも美味しそうですね。それでは」 かんぱーい、と食前酒を掲げて。 菊花膳に箸を運ぶ。幸せそうな白藤に対して、慄罹はどうやったら自分で作れるかを考えながら食べていた。見た目も華やかで、味付けも嫌みがない。これは家でもつくりたい。 今日はありがとうございました、と。 互いに微笑みあう二人を、冴え冴えと輝く月明かりが照らしていた。 秋風が運んだ泡沫の夢。 朱塗りの鳥居と石畳の参拝道を彩る、菊花の海。 共に歩こう、共に迷おう。 花に満ちた迷路の果てを抜けて。 茜の空と月夜に愛された花路を、今宵も人々は踊るように歩いていく。 くりかえし、くりかえし。 私たちは変わらぬ景色を愛するだろう。 来年も。 再来年も。 それはまるで、巡り来る季節を想うように。 |