|
■オープニング本文 陰陽寮入寮式のあった七月下旬から、早一ヶ月半が経とうとしていた頃。 玄武寮では‥‥問いつめる寮長と灰になりかけの副寮長がいた。 「‥‥まだなのですか、狩野さま」 「‥‥まだなんですよ、蘆屋さん」 まるで熟年夫婦のような会話をする二人。 悩みの種は、所謂『禁術』関係の授業についてである。入寮生徒の調査書を回収し、試験結果を提出したが、まだ早いとか危険なのではという話で上層部に渋られていたのだった。 「それなりに開拓者として実績を持つ子もいるのは確かですが、陰陽師としてこれからの子も多いですしね。授業の様子はまずまずですが、研究に勤しみつつ禁術を学ぶとなりますと悩ましいところ。かしこまりました」 玄武寮の寮長、蘆屋 東雲(iz0218)が立ち上がる。 「適度に実力を試す場を設けていくことに致しましょう。その方が上層の皆様もご安心なさるはず。ですから『狩野副寮長もきちんとお仕事を』なさってくださいね」 時々レポートを架して失踪する副寮長に、東雲は手を焼いていた。 「肝に銘じます」 苦笑しながら書類に向かう狩野 柚子平(iz0216)がいた。 +++ 赤く色づく紅葉が揺れる。 夏の酷暑も通り過ぎ、時々肌寒い風が頬を撫でる。 講堂では寮長の蘆屋 東雲(iz0218)が初歩的な話をお浚いしていた。 「皆様ご存じのように、陰陽師とは恐れられるアヤカシを再構築し、使役する者とされています。我ら陰陽師の長きに渡る研究的な結論から申しますと、アヤカシに実体というものはそもそも存在いたしません。彼らの実体はいわば仮初め。ゆえに新たに思いのまま作ることも可能だろう、という先人の言葉が、今日において実体化していない瘴気を式札と呼ばれる道具を使って構築し、更には人妖を作ることを可能にした訳です」 「あたしのことよ!」 びし、と可愛いポーズを決めるのは、副寮長の実験体である人妖こと樹里である。 その人に好意的で愛らしい容姿からは、樹里がアヤカシ寄りの存在であることを一瞬でも忘れさせてしまう力があった。美しい人妖が諍いの原因となる理由も、なんとなく理解できる者は多いはずだ。 「世界は数多くの謎に満ちています。しかし我々が生涯挑む謎は限られています」 瘴気、アヤカシ、そして魔の森。そこから発生する数々の問題や技。 「皆さん、アヤカシの四つの特徴を覚えていますか?」 そこで順番に指名される寮生達は口々に答える。 「アヤカシは『魔の森』と称される毒された地帯から頻繁かつ唐突に、瘴気が固まることで発生します」 「アヤカシは生物を食べるが排泄はなく、食後はアヤカシから紫色の瘴気が大地に降りていきます」 「アヤカシを倒すと瘴気の塊が現われ、大地に還ります。実体化している時は質量を持つが、瘴気となった後は持ちません」 「出産や分裂による増殖はしない為、この世の生物ではないと考えられます」 優等生の回答だ。 「そうです。我々が『瘴気』と呼ぶ物質がアヤカシの根元であり、大地から湧いて還る。しかし瘴気の正体は詳しく分かっていません。近年の報告で、どこにでもあり、死体の傍に多く漂う性質が分かってきていますが、質量を持つアヤカシは倒せても、瘴気駆除に効果的な方法は発見されていません。故に最近の世論では、瘴気ごと駆除するより、いかに被害をうけず暮らすかという保守的な意見になってきていますね」 カーン、と鐘が鳴り響いた。今日の講義はここまでだ。 初歩的な実技や術原理の講義に眠くなる者も多いが、熟睡以外は咎めない寮長には、逸れ相応に何か目的があるらしく、時折手帳に何か書き込んでいる姿は認められた。 「そうだ皆さん。たまには外で実技を致しませんか?」 教書の隙間から取り出したもの。 それは東の寺で行われる『菊祭』の案内状と、一枚の退治依頼だ。 毎年この時期になると、華やかな菊が長い参拝道を鮮やかに彩る。 丘の上まで続く、赤い鳥居と菊の花。 来週から解放らしいのだが、最期の境内に菊の花を設置していた作業員が、何人も襲われる事件が相次いだ。調査に出かけた陰陽師こと御彩・霧雨(iz0164)曰く、原因は雪喰虫だとか。 「雪喰虫?」 「低級アヤカシの一種です。糸くずや雪のように見える、白い毛の生えた虫状アヤカシで、丁度今の時期からあちこちで飛んでいる姿が見つかります。境内に何千もの菊で描く巨大絵が作られるはずなのですが、それに使う為に隅に置いていた白菊に紛れて、近くに寄った無防備な獲物を集団で襲い、体力を奪っている様子」 一匹や二匹は大した脅威ではない。 が、何百と群れると厄介なアヤカシである。 群れているわけだが。 「丁度、食堂の皆さんが玄武寮で出かける企画を立てていました。菊祭が始まる前に、皆さんで退治しに行ってきてください。花は傷つけないように。私は忙しいので、樹里ちゃんと霧雨さんに監督をお願いしましたから、皆さんの仕事ぶりはちゃんと届きますからね」 微笑む寮長がいた。マジで? 樹里が気落ちする寮生達を元気付ける。 「おわったら夜は花梨の石庭でお月見の宴なのよー!」 そういえば満月が近いっけ。 |
■参加者一覧 / 鴇ノ宮 風葉(ia0799) / 八嶋 双伍(ia2195) / 椿 幻之条(ia3498) / 神咲 六花(ia8361) / ワーレンベルギア(ia8611) / ネネ(ib0892) / 寿々丸(ib3788) / 常磐(ib3792) / 東雲 雪(ib4105) / リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386) / 緋那岐(ib5664) / 十河 緋雨(ib6688) / シャンピニオン(ib7037) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / セレネー・アルジェント(ib7040) |
■リプレイ本文 説明を受けたばかりの頃。 蠢く毛虫を想像したワーレンベルギア(ia8611)の顔色が青ざめる。 『アヤカシ退治、ですか‥‥? そしてたくさん、ですか』 それなりに戦場をくぐり抜けてきている者は多い。 従って退治自体に不安を感じているわけではないが、細かい毛虫が群れている様子という光景に生理的な嫌悪感を抱く者はいるらしく、何人かの顔色が優れない。逆に気合いが入りすぎる者もいれば、早く終わらせて月見を楽しみたいと思う者だっている。 花より団子。なにより、今宵は名月だ。 『綺麗なお月様にアヤカシは似合いませぬな。まずは、皆で虫退治でする!』 『月見か‥‥今日は満月だから綺麗だろうな』 寮を出発する直前、はしゃいでいた寿々丸(ib3788)の言葉に常磐(ib3792)はふと何かを思いつき、食堂に足を運んでいる。それは勿論、後ほど台所をかりたいという申し込みに加えて、月見用の芋羊羹と炊き込みの下地準備をお願いする為だ。抜かりはない。 『お月見だからみんながんばろー!』 『お月見ねぇ。風情があって好きよ、そういうの』 リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)は、ぴょんぴょん飛び回る人妖の樹里に笑いながら答えた。 雪喰虫の退治が先だが、大した心配は抱いていない。 『秋といえば食べ物が美味い! ‥‥その前に虫か。しかしなーんか似てるような』 緋那岐(ib5664)は月見の為に闘志を燃やしていたが、時々、樹里を眺めて難しそうな顔をしていた。何かを思い出しそうで思い出さない。 一方、楽しみは月見ばかりではなく。 『菊祭を楽しみにしてる人達の為、頑張って準備してる作業員さん達を護る為、頑張らないとね!』 『ええ。菊祭を心おきなく楽しめるよう、頑張りましょうね』 拳を握りしめて元気のいいシャンピニオン(ib7037)の隣でリオーレ・アズィーズ(ib7038)が意気込んでいる。人々のため、今回の働きは大切な仕事に他ならない。 菊祭の立て看板を通り過ぎ、立入禁止に張られた綱を潜って。 菊の鉢植えが置かれた参拝道は、紅白二色の垂れ幕で華やかに彩られていた。 これから始まる祭前夜の静けさを思わせるが、生憎と玄武寮の寮生以外に人の姿は見えない。何しろ微弱な虫のアヤカシといえど、一般人には対応のしようがないからだ。 実習の名のついた体の良いお掃除とはいえ、寮生達は気を抜けなかった。 現在の玄武寮の寮長たる蘆屋 東雲(iz0218)が多忙な為、お目付役として御彩霧雨と人妖の樹里が同伴していた。寮生達の働きは、彼らの耳を通して寮長に伝わるという訳だ。 石畳の階段は長く、本殿へと続いている。 境内に足を踏み入れた所で、一角に膨大な白い花が置かれていることに気づいた。 ‥‥あれか。 誰もが気づいたが、その数に圧倒される。 幾つかの固まりに別れているのは、おそらく用途別に分けてあるのだろう。 一番少ない場所でざっと千輪。大量に置かれた場所は、白くない菊も含めれば万を越える数がある。これほどの菊を一つ一つ調べるとなると、気の遠くなる作業だった。ここはやはり、囮か何か、手段を考える必要性があるだろう。 セレネー・アルジェント(ib7040)が皆を振り返る。 「雪喰虫、数が多いなら効率的に範囲の術で倒したい所ですが、やはり囮でしょうか?」 「擬態しているようなものだし、まずは小動物型の人魂でも使ってみましょうか」 椿 幻之条(ia3498)が人魂を試みかけて‥‥支度を忘れたことに気づく。うっかりだ。 手段がなければと囮に挙手するネネ(ib0892)と東雲 雪(ib4105)。 考えた十河 緋雨(ib6688)は片手をあげる。 「私は雪喰虫を退治しつつ、その生態を観察しようと思ってます。と、それはさておき、この中で人魂を準備してきている方、手を挙げて頂けます?」 ワーレンベルギア、ネネ、寿々丸、雪、ヴェルト、緋那岐、シャンピニオン、アズィーズ、アルジェント、そして十河の十人。 充分な数だ。 人魂という技は、符を小動物へと変化させ、術者自身の視覚と聴覚を共有する技だ。勿論、範囲内であれば何処へでもいく。 人魂で雪喰虫を引きつけられるかという問題の答えは『引きつけられるといえば引きつけられる』という曖昧なものだった。 人魂を生き物に似せた場合、見破ることができないアヤカシは人魂を生き物と判断して襲いに向かう。これがほどほどに動きが素早いアヤカシならば誘い出せるのだが、雪喰虫は漂う虫である。おびき出せても動きが非常にのろい。当然、鼠や鳥、蝙蝠や子犬の動きについていけない。かといって、人魂に虫が密着するのを待とうものなら、生物に張り付いて生命を奪う能力を持つ雪喰虫とは相性が悪い。というのも、人魂は僅かでも攻撃を受けると消滅してしまうからだ。 つまり。 虫を誘い出す前に符が素通りしたり。 虫がいると思しき一帯で符が消滅してしまう。 という悪戦苦闘を繰り返していた。これなら子鬼の群を相手にした方が、よっぽど楽だ。 「あああ! また失敗したー!」 ぶわ、と白い何かが舞い上がって、符が消滅。シャンピニオン絶叫。 「アヤカシが‥‥うざったい。頑張るつもりだったのに、これは面倒なのですよー」 雪が苛々し始める。一網打尽にする気だったのに、予想外の難題だ。 「白に白だから余計大変なんだろうな‥‥やっぱ人で吊るしかないのかな」 常磐が咲き乱れる菊を目の前に脱力している。 「攻撃パターンって、群れて吸い付くだけか? なんというか、蛭みたいだな」 緋那岐がぼやいた。 遠くから霧雨と樹里が様子を眺めている。手助けしてくれる気はさらさら無いようだ。 「‥‥まぁ、術ぶっぱなせば済むような議題を、あの寮長が出すわけないよな」 「頭と体を使うのよー! みんながんば!」 同情の眼差しを送る霧雨と、助言にならない助言をする人妖の樹里。 その時。 ばさぁ、と上着を脱いだのは椿とネネだった。 共に長髪を結い上げ、袖をまくって菊に向かって走り出す。体を張ることにしたらしい。 「人魂に反応しても連れ出せないなら、自分で吊るまでよ。ねえ?」 「はい。人のほうが『おいしい』だろうし‥‥こっちには秘密兵器があります! 椿さんも、どうぞ!」 ネネが手にもった麻袋。 一体何をする気なのかと思いきや。 菊に突っ込んだ。人魂の時とは比べものにならない量の雪喰虫が、椿とネネを襲うべく群がり出す。そこでネネは麻袋の口をあけて振り回し、自分の体に近づいた雪喰虫を袋詰めにすると、肩に担いで菊の花から脱出した。 「あっちにいくわ!」 「はい!」 走り出す椿とネネ。 後ろに続こうとした白い靄みたいな状態の雪喰虫は、八嶋 双伍(ia2195)が結界呪符で囲い込み、鴇ノ宮 風葉(ia0799)が氷龍を放って二人から引きはなした。 で、肝心の雪喰虫詰め麻袋は、離れた場所まで持ってきて投げ放つ。 「それじゃ、お願いね」 「お願いします!」 待ちかまえていたヴェルトとアルジェントが火炎獣で焼き尽くす。 「ふふ、飛んで火に入る夏の虫ねえ」 散々手を焼いただけに、怨念のこもった一発ですっきりした顔のヴェルト。 アルジェントも「物体化してるのでしたっけ、色々試したいですね」とやる気が出てきた。 二人の体についていた雪喰虫もこまめに潰しおえると、ひとまず虫が群れなくなるまで繰り返すことになった。ちなみに十河が地縛霊を設置してみたが、一対象しか封じることができない為に練力に対して効率が悪いため、瘴気回収をしながら膨大に設置して囮役の補助に回った。特攻する囮役は麻袋を持ち、或いは棒に袋をくくりつけて、まるで真夏の虫取り遊びの感覚で走り出す。麻袋を振り回して、雪喰虫を集めては仲間に運び。 「十回目です!」 投げられた麻袋。ワーレンベルギアが火炎獣を放つ。 「纏めて焼き払うには、今のところ、これが一番適切‥‥でしょうか? 退治よりも、花を気遣うべき、ですよね?」 花を無傷で守れという言付けが、作戦の難易度を更に上げている。 「おい、二人とも。地縛霊で体の虫を落としたら、こっちにこい。かなり吸われただろう」 幸いにも常磐とシャンピニオンの治癒符が大活躍していた。何しろ蒸し暑い中を攻撃を受けながら動き続けるので、結構な体力勝負である。 「‥‥いい加減、交代するか。囮にさせっぱなし、ってのもな。‥‥寿々、いけるか?」 「勿論ですぞ!」 「それでは、私も。先ほど待っている間に虫取り網っぽいものを自作致しました」 「私もそちらの花壇の最終確認に参ります。たかられたら上着を脱ぎ捨てる、とかもいいかもしれません」 アルジェントとアズィーズも加わって囮役は四人になった。 体を張った害虫駆除が続く。 雪喰虫を袋に集めては、待機している八嶋達が悲恋姫や火炎獣を放つ。 集まらなくなった頃に、地道に集めては地縛霊を張り巡らせた場所へ戻ってきたり、獲物でぷちぷちと潰し続けた。おそろしく根気のいる作業である。 あらかた片づけた場所は鴇ノ宮と十河、シャンピニオンとアルジェントが、最後に瘴気回収でできる限りの掃除にあたる。 ふと霧雨の傍らに近寄ってきたヴェルトが、小声で聞いてみる。 「ねぇ霧雨さん? ちょっと瘴索結界で確認してみてもいいかしら? 念のためよ、念のため。取りこぼして一般人が襲われるよりいいと思うし」 玄武寮初実習、の文字が頭の片隅をちらつくヴェルトは、他職の技使用について不安を抱きながら恐る恐る霧雨の顔を見上げる。 「‥‥別に? 陰陽師として片づけきれない点はアレだが、誰かが襲われると来た意味はないしな。つーか、そういう陰陽師の欠点に気づけるか、ってトコも大事だぜ?」 ぱっちり、片目を瞑って見せる。 樹里が「おしゃべり」とぺちぺち霧雨を叩く。 暫く悩んだヴェルトは「あぁそういうこと」と何かに気づいた。 陰陽師の技術は万能に近いが、決して完璧とは言い難い。 人魂で感覚の拡大はできても、巫女のようにアヤカシを探し出すことはできない。 今までの不可能を可能にする。新しい研究し続けた成果が、今日において皆が何不自由なく活用している技術なのだ。 昔は何もできなかった。 誰かが切望した。そして不可能を実現すべく、研究の末に編み出してきた。 開拓者は一種の特権階級だ。転職すれば大抵のことは済んでしまう。しかしそう言うわけにはいかない者も沢山いる。玄武寮で学んでいくに辺り、不便さや難題にぶち当たることは、非常に良い傾向と言えた。そこから新しい研究なども生まれていく。 「道理でやりにくい仕事だわ。なるほどね。‥‥ちなみに、全部を報告するのよね?」 「俺の仕事は、見聞きしたこと全部報告、だな。頑張れ」 傍観している男は、からからと笑った。 文字通り雪喰虫を虱潰しにした後のこと。 へとへとになった者は仮眠室へ。体力に余力のある者は台所へと向かった。 月見までは時間がある。折角の月見に備えて、お団子を手作りし、御馳走を持って宴に望みたい。 台所に入って速攻、常磐は芋羊羹と五目炊き込みご飯の仕上げに向かった。 「よし、始めるか。先に五目ご飯、炊かないとな」 「おねえさーん。哀弁一個、予約ね!」 シャンピニオンが厨房のお姉さんと語り合う隣では、いつの間にか借り物の割烹着を纏った八嶋が餅米を炊きつつ、白玉団子用の粉を振って練り始めていた。八嶋の手元をのぞき込んだネネが、瞳をキラキラさせている。 「まっしろーっ! お団子って、どう作るんでしたっけ?」 ジルベリア人に団子は馴染みが薄いらしい。八嶋が手早く白玉の形を整えながら答える。 「ええっと、団子と餅の区別は色々と諸説ありますが‥‥」 「団子とは、こういうものだ!」 ばばーん、と差し出したのは緋那岐特製、あんこ入りの団子。胡麻や海苔の顔文字付き。 「器用ですねぇ」 と全く動じない八嶋と「わらってますー!」と、はしゃぐネネ。 「へ? いや、ただ食うのもつまんないじゃん? 目指せ百面相!」 次々と同じ寮生を意識した顔団子を作っていく緋那岐。じっと眺めた常磐は「‥‥それ、食べきれるのか?」とさりげなく釘を差した。作りすぎると後が大変である。最初こぶしの大きさだった緋那岐団子は、いつの間にか、一回り小さくなっていた。でも作る。 「ちゃんと食べられる! みんないるから大丈夫だって!」 ところでネネを初めとしたジルベリアの女性陣は、故郷の料理を披露しようと粉まみれになっていた。熱い鉄板に注意しながら、パンケーキを焼くネネは、焼き加減に注意する。 後ろの方でアルジェントがケーキを手伝い、生クリームを作っていた。 「お月様みたいですね」 「そっか、これも白くて丸いからお月様ですっ! おっ月っさま、おっ月っさま」 一方アズィーズはジャム入りピロシキを作っては皿の上に積み上げていた。八嶋が作る典型的な月見団子を参考に、同じように積んでいくが‥‥下段のピロシキが潰れないか、見ている方はハラハラさせられる。 ところで。 玄武寮の副寮長、ついでに封陣院の若き分室長、なんて大層な肩書きを持つ狩野 柚子平はといえば研究室で頭が煮えていた。なぜならば部下に仕事を任せて脱走すると有名であった為、寮長と霧雨が論破しつつ押し込んだのである。研究室には暮らせる環境が整っている。窓から食事さえ差し入れれば生きている。問題ない。 以上、悪友の結論だ。 陰陽術を使えば当然、研究室から力業で脱走できるが、そこまでする気はないらしく、大人しく積み重なった仕事に勤しんでいる。誰かが自由の世界へ誘惑しないかぎりは。 しかしながら。 「別に点数稼ぎじゃないからさ! 機密とかはきかない。暇だから雑用位やらせてよ? 月見なんてガラじゃないし!」 経緯を知らない鴇ノ宮は、御盆の上に月見団子とお茶を載せて、副寮長の一室を訪ねて扉越しに声をかけた。下手すればうっかり色々押しつけられてしまいそうなものだが、この日は幸いにも、様子を見に来た人妖の樹里が「だめーぇ!」と鴇ノ宮の顔面にはりつく。 「なにすんの!」 「ゆずには団子あげて放っとけばいいのよ、ほら!」 樹里は、鴇ノ宮の揃えた御盆を小窓から中へ押し込む。五分も経たない内に空っぽになって御盆が返却された。盆の上には、半紙があり、一筆書いてあった。 『ごちそうさまでした。次は二倍でお願いします。狩野柚子平』 「ゆずって、ほっそい癖に霧雨ちゃんの食料庫、よく空っぽにしちゃうのよ」 「ゆっぴ〜副寮長は痩せの大食らい、っと。丁度いい所にこれたみたいですね」 そこにいたのは、御盆を持った十河。 みたらし団子に撫子の花を添えて持ってきたシャンピニオン。 そして謎の手料理を持ってきた雪の三人がいた。 「ゆっぴ〜副寮長に陣中見舞いです。差し入れてもらえます?」 「こっちも。お仕事の邪魔しちゃいけないし、雰囲気だけでもと思ってきたよー!」 「お疲れなのですよ。元気出たのでボクの手料理をさしいれるのです」 三人は次々と小窓から食事を差し入れた。 なんだか独房みたいだなと思いながら、激励の一言をかけていく。 ちなみに雪の手料理の味は殺人級らしいのだが、食べたのは独房在住の副寮長一人であったため、十河は惜しくも実況できなかったようだ。 「じゃ、ボクはあんまりお祭りとかは得意じゃ無いので、帰ってそのまま寝るのですよ」 目出度いこともないため、お祝いする気分ではないらしい。 同じく月見には興味がないのか、鴇ノ宮も立ち去った。 一方、購買の方には、ワーレンベルギアとアルジェントがいた。 二人とも『購買の白川さん』に聞きたいことがあるらしい。 アルジェントの質問。 『俳句の極意を教えてください』 ワーレンベルギアの要求。 『月見前にお団子を沢山仕入れて欲しいです』 ワーレンベルギアの質問。 『お月様へお供えすべきお団子の大きさは?』 果たして、どんな返信が来るだろうか? そんな謎の白川さんと出そろっていない七不思議を調べるために食堂へ出かけた椿がいるが、これまた色々噂話が出た為、今後寮生を賑わせてくれそうだ。 玄武寮の中庭、花梨の石庭。 巨石と枯れ木、そして石の表面の紋様で水の流れを表現した枯山水の憩いの廊下には、月見を楽しもうと団子や手料理を持ち寄った玄武寮の寮生達が、好みの場所に座っている。 曇り一つない夜空だった。 星々が瞬き、満月が誇らしげに浮かんでいる。 「綺麗ねぇ。水面に映る月っていうのもよさそうだけど、石庭も中々ね」 ヴェルトはワインを持ち込んで月見酒を始めた。ほんのりと薄紅に染まる頬。 「えぇ、この時季の月は本当に綺麗ですね。お団子も如何ですか?」 八嶋ものんびりと月を眺めている。沢山作った団子も、周囲の者達にわけていた。 「せっかくの宴なんだし、ね。頂くわ。隣に回せばいいの?」 「お願いします」 ヴェルトを経由して三色団子を受け取ったワーレンベルギアが「あ、ありがとうございます」と微笑む。 「は、花より団子ですし。月より団子ですよね?」 花より月より何より団子。 食い意地の張ったワーレンベルギア。しかし食い意地ではネネも負けていない。 「お月様がいっぱい、美味しいお月様がいっぱい」 みんなのお団子、アズィーズのピロシキ、一緒に作ったパンケーキ。あれもこれも全部がまるい。ネネの作ったパンケーキをとりわけ、色んな味が楽しめるように、様々な調味料を一口ずつ小鉢に盛るのはアルジェントだ。女性らしい気遣いである。 「生クリームに餡子やきな粉も美味しいですが、チーズをつけて食べるのも美味しいかも‥‥次は食堂にいれて頂かなくてはいけませんね。はい、どうぞ。皆さんの分がありますから順番にとってくださいね」 次々と皿を回していく。 重箱の紐をほどいていた常磐も受け取った。 「ありがとう。それにしても綺麗な月だな。曇らなくてよかった。なぁ寿々‥‥寿々?」 月見の為に、お腹を減らしていた寿々丸が重箱をのぞき込んでいた。 「常磐殿の料理は楽しみですぞ〜! まちきれないですぞ」 「悪い、お待たせ。芋羊羹と五目炊き込みご飯のお握りだ。焦らなくても、余るほどある」 「いー匂いがすんなぁ」 のしのしとやってきたのは、御彩霧雨と樹里だった。 「御彩殿や樹里殿にもお裾分けしまする!」 「お、悪いな。腹がへってさ」 それを見ていたシャンピニオンが手を振った。 「あー! 男の子ばっかりずるーい。って、霧雨お兄さん、今夜はぶつからないから、そんなに警戒しなくて大丈夫だよぅ〜花に団子、月に哀弁。これぞ風流! だよね!」 それは果たして風流なのか。 哀弁に気づいた面々が、シャンピニオンの弁当の蓋に、無言で次々と料理を積み上げていく。 「凄い御馳走。食べきれるかなぁ、全部美味しそう」 幸せそうなシャンピニオン。 「皆で食べれば、もっと美味しいのですぞ。幸せはお裾分けと、大兄様が言っておりました! 綺麗なものも美味しいものも、皆がいるからこそですな!」 同意を求められた常磐は「まぁそうだな」と小声で頷く。 ピロシキを配り歩くアズィーズも、寿々丸の言葉に共感した。 「ほんとうですね。本には、ピロシキの作り方は載っていても、今夜の月がこんなに綺麗な事も、皆で食べるピロシキがこんなに美味しい事も、載っていないのですから」 一通り配って、ネネとアルジェントの傍らに腰を下ろす。 賑やかになってきた寮生達を、蘆屋寮長は優しい眼差しで見守っていた。 「寮長! どうぞ!」 緋那岐が自信満々に差し出したのは、顔文字団子。 そこはかとなく寮長に似ているのが、無性に笑えた。 満月は何も語らない。 ただ静かに蜜蝋色の光を注ぐ。 まだ何処か蒸し暑い夜も、風通りのいい中庭にいると過ごしやすい。 うち解け始めた仲間と一緒に、和やかに食卓を囲む時間を幸せに感じる。 「偶には‥‥こういうのも良いものです」 穏やかな日々が、続きますように。 余談だが。 月見翌日、廊下の壁には白川さんからの返信が張り出されていた。 そのうちの三つはワーレンベルギアとアルジェントの投書に答えていた。 『魂(たましい)と、 四季(しき)を感(かん)じて、 筆(ふで)綴(つづ)る。 私は詩人ではありませんが、きっと感性を信じて続ける熱意が大切なのだと思います。 それでは一心不乱に詩を書いて上達する為にも、この機会に購買で筆記用具一式をお買い求め下さい。いまなら一割お安くお買い求め頂けます。是非ご愛用下さい。‥‥白川より』 『ご要望ありがとうございます。来年こそはお団子の品揃えを充実させたいと思います。その為には月見前夜の発注書を「改竄する」ところから始めなければなりませんね。責任重大です。先の目標を立てると鬼が笑うと申しますが、一晩で制覇の難しい挑戦的な団子の棚に、ご期待ください。‥‥白川より』 『一年に一回やってくる、あの行事。曰くは勿論、作法の正しさは迷いますよね。私も正しい作法を存じません。調べてみましたが諸説色々あるようです。ところでお月様には兎が住むと申しますが、お月様が団子を食べるものと考えると、あの体積に見合う団子の分量は、明らかに「天儀本島の体積を越える餅米」が必要になります。仮に一国の王が月に対する信仰心が芽生えて実行しようとしても、飢饉になること間違いなしの危険な誘惑ですので、超巨大団子を供えたい気持ちをぐっと胸に秘め、ご自身の胃袋がいっぱいになる量を備えてあげるというのは如何でしょうか。きっとお月様も理解を示してくれると思います。‥‥白川より』 |