【農場記2】夏の収穫期
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 易しい
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/08/05 19:26



■オープニング本文

「収穫の時期ねぇ」
 人妖ブリュンヒルデが眺める先に広がる、広大な森‥‥に見えるのは約900坪の畑だ。
「ヒルデー、ギルドに手続きいくよー」
「はぁーい」
 真綿のような白い髪をした少年が屋敷の奥から現れた。

 数寄屋風書院とジルベリアの建築様式を取り込んだ大きな屋敷である。
 北口玄関の扉一枚を隔てた先に、薄暗い土間と囲炉裏が現れる。
 奥には、襖で締め切られた蹴上がりの部屋。窓の外には広がる森と古井戸がある。
 土間に入って右手の西側に、一段高い位置で板張りの渡り廊下が続く。三部屋分の部屋は襖で区切られており、最奥の数寄屋造りのうち区切られた書院部分だけ、天井が色鮮やかな群青色で彩られ、岩絵の具で半永久的な色合いを保持していた。
 対して。
 左手の東側には段差が無く、石が精緻に敷き詰められた廊下がある。土足のまま進めば、同じ土壁で区切られ独立した小部屋が三部屋横並びにあり、最奥には倉庫化した大部屋があった。
 かつてこの屋敷が、沢山の奉公人を抱える農家であった証明だ。
 今年に入って、小部屋の一つには、氷を詰める簡易冷蔵庫が組まれている。この溶け水が、たえず玄関傍の栽培箱を潤し続けている。おかげで定期的に香草が生い茂る。とくに赤紫蘇が大量繁殖しているので、調味料作りが忙しい。

「炎鳥と絆は、るすばーん」
「へぇい」
「わん!」
 人妖と子犬に、そう告げた少年が麦わら帽子を被る。
「いってきまーす!」
 見送りに手を振っているのは、言無し姫の姉ミゼリと住み込みで働く二組の母子だった。


 五行結陣の遙か東、金山を越えた先にある白螺鈿。
 その傍にある農場の一つに、幼い杏と視覚障害と失った声故に嫁にいかず日々を暮らす姉のミゼリ、そして二人に付き従う人妖のブリュンヒルデと炎鳥は暮らしていた。

 かつて大きな農場だった此処は、昨年まで荒れ果てていた。

 そこで多数の開拓者を雇い、土地を開墾し、野菜や草花を植えて、小屋や畜舎を修復し、鶏二十三羽と雌牛十二頭の世話を再開。市場に参加するための手続きもすませ、農場が本来の機能を取り戻しつつある中で、ついに姉のミゼリは聴覚を取り戻した。視覚と声は失ったままだが、簡単な意志の疎通がとれるまでに回復したのは、開拓者の献身のおかげと言えた。
 だが取り戻した日々は、まだ前途多難である。


「今回はどういう人を雇うの?」
「うーんと市場初参加だし、屋台とか売り子とか、8月半ばの夏祭りも控えてるから、そういうのに興味がある人も必要だと思うんだ」

 杏の農場では作物だけのみならず、様々な分野に手を伸ばしている。
 乳製品や卵、紫蘇飲料に紫蘇味噌の加工食品に加え、街の料理人への手伝いだ。
 白螺鈿には4つの区画がある。
 指導者である四兄弟、誉、神楽、幸弥、虎司馬が競い合っているためだ。
 散々議論を重ねて、幸弥という若者が営む地域にお世話になることになった。
 毎週末になると、商店街の傍の公園に、大きな青空市場が開かれる。
 ここへ出店しても良いという話になったのだ。

 それだけではない。

 この7月下旬からは、白螺鈿の神楽の市にある料亭『まほろば』に葉物全般、塩卵、マヨネーズをおろさねばならない。食材高騰に加えて、夏が近づき、葉物が傷みやすいのだとか。そしてマヨネーズはこの辺ではジルベリアからの輸入が基本で、やや高めの値段であることから、易く手に入るなら有るだけ欲しいという。

 幸弥の市にある食堂『ほたる』に穀類、卵、塩卵、牛乳を降ろす。高級な食材が使いにくくなっている為、訪れる者にたらふく食えることを意識している。よって芋などの穀類は歓迎だというが、問題はこの食堂の主人、不慮の事故で体を痛めている為、無理がきかない。そのため一緒に今後の経営を考えてくれるよう頼まれていることだ。給仕もいれば嬉しいとは言うのだが。

 この件とは別に。

 冬から春にかけて農場を手伝ってくれた開拓者が、森の傍に残した謎の木箱に、蜂が住み始めていることも問題だ。数は多くないが、あの箱をどう扱っていいのか、杏にはさっぱりわからない。うろ覚えの話では山麓の養蜂がどうとか話していた気がする。

 あげく最近、野菜泥棒と空き巣が出没しているという話があり、不安要素が多い。

 やることが一杯ありすぎて困る。

「書き出してみたら?」
 人妖に言われて、杏は依頼書を書き始めた。
『五行の東、白螺鈿そばの農場経営を定期的に手伝ってくれる人をボシュウします。
 主なお仕事は、収穫と市場での販売と農家のお手伝いです。
 だれにでもできますが、お給料はとてもすくないです。ごめんなさい』

 更に簡単な家の見取り図と、事前に書き貯めてきた今回の市に向けた詳細を書き写す。

 800坪に広がる薄荷は自由にすればいいとして。
 約100坪の畑には、25メートルの畝が24本並んでいる。
 此処に膨大な種類が植えられている。

 まだ収穫できず、手入れが必要な作物を羅列する。
 畝5本に植えたじゃが芋を筆頭に、畝1本分の人参、畝1本分の根深ネギ、畝1本分の牛蒡、畝1本分の蝦夷蛇苺(ワイルドストロベリー)、畝1本分の迷迭香(ローズマリー)、畝1本分のラベンダー、畝1本分の蚊連草(ゼラニウム)、畝1本分の芸香(ヘンルーダ)、畝1本分の赤紫蘇、畝1本分の大葉、畝1本分の不断草、畝1本分の向日葵83本、畝1本分の蒲公英、畝1本分の玉蜀黍50本、畝1本分に植えた葛と鶏頭の花。
 香草の畝の所には、栽培箱に植えた加密列(カモミール)が置かれ、野菜のある畝の所には、栽培箱に植えた薬用サルビア(セージ)の苗がある。
 ちなみに、かつて畝1本分にあった三つ葉は、べと病が発生した為に全て撤去した。

 今回7月に収穫できるものは前記とは別だ。

 畝2本に植えられた、ほうれん草、小松菜、春菊、三つ葉。畝1本にびっしりはえる蔓紫。
 収穫後の場所、畝3本に何を植えるかも問題ではある。
 加工食品は氷を詰めた簡易冷蔵庫の中で出番をまっている。
 春から三度に渡る製造で作り貯めた470個の塩卵と9Lの試作マヨネーズ。
 牛乳は毎日一頭11Lとれる為、四日目の市場までの三日間で396Lは見込める。
 試験的に作った蜂蜜入りすっぱめ紫蘇飲料は一升瓶に2本分。
 同じく試しに作った紫蘇味噌は、1500gもある。
 雨季に森で見つけた桜桃を、人妖たちが雇った女性達と作った桜桃の甘露煮も20キロ。
 小瓶に分けて値段を決めて売るべきだろう。

 人妖のブリュンヒルデは、依頼書を眺めながら指折りで数える。
「市場での販売の準備、牧草刈りに家畜の世話、畑の収穫、畑の整備、各種加工品の仕込み、料亭と食堂への搬入と相談、蜂の件に、野菜泥棒と空き巣の防犯対策‥‥何気ないけど恐ろしくハードね。8月に入ると祭もあるし、ヒトを増やす?」
「‥‥ボクもそう思う」

 肉体労働は尊い。


■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116
12歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
若獅(ia5248
17歳・女・泰
アルーシュ・リトナ(ib0119
19歳・女・吟
ロムルス・メルリード(ib0121
18歳・女・騎
久遠院 雪夜(ib0212
13歳・女・シ
ミシェル・ユーハイム(ib0318
16歳・男・巫
白 桜香(ib0392
16歳・女・巫
ネリク・シャーウッド(ib2898
23歳・男・騎
桂杏(ib4111
21歳・女・シ
蓮 蒼馬(ib5707
30歳・男・泰
マハ シャンク(ib6351
10歳・女・泰


■リプレイ本文

 長く開拓者をやっていると、和やかな暮らしとは縁遠くなりやすい。
 荷車の轍が残る小径を抜けると、蝉の鳴き声が響く夏の農場が見えてきた。
 広大な敷地と緑の生い茂る畑。浅い池には魚が住み着き、獣が喉を潤す為に姿を見せる。
 かつて此処を今の形に戻した者達を見つけた少年が、手を振って再会を喜んだ。
「おかえりなさい!」
 何気ない杏の言葉が、じぃんと沁みるのは何故だろう。
「杏さん‥‥皆さんただいま、です。また、宜しくお願い致しますね」
 抱きしめていた。アルーシュ・リトナ(ib0119)のふわふわした髪がくすぐったい。
 飛びついたのは久遠院 雪夜(ib0212)も一緒だった。
「杏君、また来たよー。ボクは約束を守るんだから!」
 順番に抱きしめながら、過ぎ去った地味な戦いを思い出して明後日の方向に微笑んだ。
 みんなアヤカシとの過酷な戦いに疲れてるのかなぁ、なんて感じなくもない。
 その辺の地味な苦労を思い出したのは白 桜香(ib0392)も同様らしく、表情をくみ取って明後日の方向を眺めながら「また戻ってこれて良かったです」と何度も頷いた。
 まぁ、そんなことはいいのだ。
 久遠院は拳を握る。
「これから皆で一緒に農場を軌道に乗せようね! あと杏君に、神楽の都のお土産だよ」
 綺麗に包んだお菓子を渡した。その中に翡翠を忍ばせたのは二人だけの秘密。
「杏、ミゼリ、ブリュンヒルデ、炎鳥、絆、皆ただいま! また手伝いに来たよ! 一緒に頑張っていこ!」
 人混みをかき分け、雇い主達を強く抱きしめた若獅(ia5248)は、今後の忙しい日々を思って期待に胸を膨らませたが、全員の顔を見回した後、ふと一瞬寂しげな表情をみせた。
「どうしたの?」
「んーん、なんでもない。きっと、いつか帰ってくるよな」
 ここは『みんなの家』なのだから。
 しずしずと歩み寄ってきた桂杏(ib4111)は抱きしめる代わりに幼子の頭を撫でた。
「ただいま戻りました。杏さん、ミゼリさんと元気にしておられましたか?」
「うん。あっついけど、だいじょーぶ」
 柔らかい髪を梳く白い指。
 子を褒める母のような、そんな優しさがあった。
 ミシェル・ユーハイム(ib0318)は依頼主に飛びつく面々を、優しげな眼差しで眺めていた。そして両手には作物の病害虫予防に効く薬草を、ずっしり持っている。グラムで量ると大したことはないのだが、葉物はかさばるのがお約束だ。
 ロムルス・メルリード(ib0121)は感動さめやらぬ面々を見守った後、実り豊かな畑を一瞥して拳を握った。ふつふつと沸き上がる気持ちは、闘志に似ている。
「さて、ようやく経営できるとこまでは持ってこれたのだから、今度はこれを上手く回していけるようにしないとね。まだまだ先は長いわよ」
 メルリードの傍らに佇むネリク・シャーウッド(ib2898)は、頷きつつ流れる汗を拭う。
「すっかり暑くなったが仕事は山積。これからは体力が物を言うなぁ。まっ、一つずつ片付けていくしかないか」
 白が手を叩く。
「そうですよ。これから暑い季節、収穫と忙しい時期が続きますね。この農場を安定させる為に頑張ります。その前に、皆さんにお友達を紹介させてください」
 先に、酒々井 統真(ia0893)がギルドで調べものをしてくりから遅れてくる事を伝えてから、一歩離れたところから様子を見守っていた三人の紹介を始めた。
 はじめに歩み出たのは鈴梅雛(ia0116)だった。
「農場のお手伝いは初めてですが、一生懸命頑張ります」
 隣のマハ シャンク(ib6351)は「マハだ」と感情の抑揚に欠けた挨拶ではあったが、今後の経営方針や将来の夢について矢継ぎ早に尋ねる様子からは、仕事への情熱っぽい面が見え隠れしていた。なにより此処へは珍しい龍に似た容姿をみた杏は、どこか煌めいた眼差しを投げていた。幼くとも憧れの強い時期の少年には違いない。
 最期に頭を垂れたのは蓮 蒼馬(ib5707)で、雇い主の少年に微笑みかける。
「畑仕事は初めてなのでな。よろしく指導を頼みたい」
 何事も挑戦だな、と気持ちは前向きだ。
 此処へ初めて訪れた俺達に指導を頼みたいと、蓮の提案で、杏は農場説明を任された。
 他の者達は慣れた仕事に取り組み始める。此処へ来る前、蓮は言っていた。
『午前中なのだが、杏に農場や仕事の説明を頼みたい。いずれ専従の者を雇う時の練習になるだろうし、人に教える事は自身の仕事への理解を深める事にもなると思う』
 近い将来、いつか本当に、この農場を指揮していく日に備えて。


 杏が、鈴梅雛とシャンクと蓮の三人を連れて農場の説明をしはじめた午前中。
 リトナとユーハイム、そして白の三人は『再びお世話になります』という挨拶に加えて、最近頻発している野菜泥棒や空き巣についてたずねて回った。リトナは緊急連絡用としての伝書鳩を考えてみたが、この辺で飼っている人間は聞いたことがないと言う。なにしろ田舎で連絡手段は近くの街『白螺鈿』へ赴いて飛脚を使う事が多い。昨年前まではお互いの農家の交流関係すら希薄だった為、そういった緊急時の対応を心得ていなかった。
「一番の対策はご近所付合いかな、と。助け合い、大事です。野菜泥棒に屈せず頑張っていきましょう!」
 白が賢明に訴えると、諦めた空気漂う老人達も「そうだねぇ、やられてばっかじゃ酌だよねぇ」と言って笑顔を見せた。リトナも、せめて鳴子で警戒を、と労るのが精一杯。
「具体的な方法‥‥この辺はお年寄りの方々が多いですし、ひとまず一度帰ったら男性陣の古着をおかりしましょう。毎日順番に干せば、少なくとも若い男性がいると警戒してくれる気が致します」
 難しい顔で考え込むリトナ。しかし暗い話題ばかりではなかった。
「氷のお礼にと、隣のおばあさまから、葛の加工法を教えてくださいました。手間はかかりますが、夜に試してみます」
 笑顔の白は、夏のスイーツに心躍らせる。
 葛粉の作り方はこうだ。
 採取した根をよく洗い、まずは木槌で叩いて細かく砕く。次に大鍋に入れ、水をはって揉みほぐす。灰汁が出ても一晩放置しておくと大事な成分が沈殿していく。上澄みをそっと交換し、沈殿している成分に水を加えて攪拌、また放置する。何度も繰り返すことで、成分が精製され、布でこしたものを水とぎし、乾燥させたものが葛粉となる。
 恐らく今回の滞在中、布でこせる段階まで作れるのは一度きり。
「都にいると何もかも買うだけですが、今も手間をかければ家庭で作れるのですね」
 便利になる日々に埋もれた、田舎の知恵。
 人妖の桃香が「味見で手伝うから」と言い張るが、実際に葛粉を舐めて味のしなさっぷりに変な顔になるのは、後になってのお楽しみである。氷を作りながら夏場の乗り切り方を聞いたユーハイムは、白螺鈿で行われる夏祭りについての情報も得てきた。
 街を彩る提灯に、暑さを忘れさせる氷像の芸術、心躍る日々が近い。


 若獅が重々しい扉を開け放つ。一斉にぎらりと光る無数の目玉。
 そして最初に一歩、足を踏み入れたのは若獅ではなくシャーウッドだった。
「久しぶりだな、お前たち。明日から暫くあけることになるし、今日は思う存分ぶつかってこい。それが終わったら言うことを聞けよ」
 シャーウッドの気迫。若獅もまた、男手を逐一煩わせる訳にもいかないと決意した。
「これを機に、信頼関係を深めておきたいよな。ガチンコ対決が必要なら受けて立つ!」
 二人の宣言。
 ぶしーっ、と鼻息の荒い雌牛が地を蹴った。

 農場を歩き回った蓮は、去りゆく小柄な背中に眩しいものを感じていた。
 何処かで野垂れ死んだ父、過労で無くなった母、暴行を受けて心を閉ざした姉、荒れ果ててしまった農場を在りし日の姿を戻すために、あんな幼い子供が四方八方に手を尽くしたことが俄に信じがたかった。実際にここまで『らしく』なったのは、雇い入れた開拓者達の成果なのだろうが、苦しい日々に泣いて喚くこともせず、すべきことを分かっている。
 蓮は『農場を本気で発展させたいか』と聞いた。
 杏の答えは、蓮の期待とは少し違っていた。
「農場の発展がどうこう、という野心より、彼は‥‥取り戻したいのか」
 失ってしまった愛しい日々。
 幼い記憶にしか残っていない農場の黄金時代。
 もはや父はいない。母も死んだ。姉は心砕かれ、農場は荒れた。二度と元には戻らない日々だと知っていて、追憶により近しい毎日を、零から作り上げようとしている。
 それを虚しい行動だと評するか。
 或いは、何者にも代え難い場所があるのかと感じるかは‥‥人それぞれだ。
「あの子の先生っぷりはどうだったのかしら」
 ぺっとり、と。
 突然、冷たい感触が蓮の頬に当てられた。驚いて振り返ると、卵回収と鶏小屋の掃除を終えたメルリードが、氷の入った茶の湯飲みを差し出している。母屋で洗濯中の女性達に言って、全員に水を配るように連絡を出したのもメルリードだった。
「水分はきちんと取らなきゃダメよ。休憩もね。こんなに暑いんだもの、倒れるわ」
「ありがとう。彼の教え方か、『何処に何があるか』は教えてくれたな」
 色々と説明が足りないのは、年齢からして致し方ない。
「みんなが教えるわ。夏ばて気味の鶏の世話と小屋の修復は私がやっておくから、柵や畜舎が問題なければ、次は畑ね」
「そうか。見たところ案山子もなかったようだし、後で作って‥‥」
 その時だった。
「二人とも危ない!」
 若獅の叫び。蓮の背後に向かい来る一頭の猛獣、彼女の名はゲルヒルデ。戦う雌牛だ。
 ほぼ反射的に動いていた。回避を諦め、一撃で薙ぎ倒す。
 ぶもぉぉおぉぉぉぉぉ!
 雌牛の悔しそうな声がする。蓮に背後からの不意打ちは効かなかった。大丈夫か、と慌てて駆け下りてきたシャーウッド達。無事を確認した直後、むっくり起きあがった敗者はすごすごと畜舎に戻っていく。
 下克上を目指した雌牛の野望、潰える。
「‥‥今のは?」
 戸惑う蓮とは対照的に、メルリードは無言で平然としている。
「知らない蓮をみて、勝てそうな奴がいると思ったのかな。油断も隙もないよな」
「返り討ちにされてりゃ世話ないけどな」
「これで全部終わったし、天月連れて牧草食べさせにいってくるな」
「頼むよ。たまにはあいつらの体当たりも悪くない。俺も農場に染まってきたかな」
 若獅とシャーウッドだけの会議、恙なく終了。


 一方。
 畑の隣では子犬と忍犬達がもぐらの見回りをしながら騒いでいた。久遠院が番犬教育を相棒の天国と行うのだが、やはり普通の子犬なので時々横道に逸れてしまう。羽虫を追いかけ、カマキリを捕まえ、そのたびに「ぺ、しなさい、ぺ」と叱りとばす。
「実力行使する際の手足を封じて制圧する戦い方、は‥‥絆君にはまだ難しいかな?」
 むむむ、と対泥棒対策について悩みまくる。

「これだけ広いと、作業も大変そうです」
 鈴梅雛が作業の多さに目眩を覚える。時々見かける子犬たちに和みつつも、ユーハイムと共に農場を巡る。午前中に説明をしていた杏はといえば、人妖のブリュンヒルデに連れられて何処かへ出かけた。よく頑張ったね、とユーハイムに褒められた時は嬉しそうだったが、相変わらず人妖達共々落ち着きがない。

「すまない、案山子はどの辺に立てればいいんだろう?」
 案山子の材料を担いで歩いてきた蓮が、遠くからユーハイムと鈴梅雛に手を振った。


 リトナと桂杏とシャンクは白螺鈿の街へ来ていた。

 桂杏は運搬の為の荷車を、リトナと共にフィアールカに繋げた。
 荷車に筵を敷き、荷物を縄で固定する。
 卵についても無造作に積んで割らないように、と木箱に藁をぎっしり詰め、おが屑をしいて卵を均等に並べた。良品に安全は勿論、見栄えの美しさも大事な要素だ。
「何と言っても、最初が肝心ですから、最初の印象が悪いと後々まで響く。‥‥そういうものですよね」
 何処かしみじみと呟く桂杏。その背中に哀愁が漂う。
 牛乳は煮る手間があるので後日にしようと決め、マヨネーズと塩卵、そして収穫した卵を積んだ。四日目には葉物・牛乳などなどを市場に持っていくとして、店舗には三日後にまた顔を出せばいい。

 一方のリトナは、料亭まほろばで塩卵一個八文で交渉を試みたが、相手も渋ったりして、結局七文で降ろすことになった。塩卵はあくまで店舗に優先的に落とし、残りを市場での販売にあてる。食堂ほたるではメニューを最小限、それこそ三つか四つに絞り、数量限定販売を提案した。そうすれば下ごしらえの手間も今より押さえられる。

 シャンクは食堂ほたるへ赴いた際、面白い試みを考え、熱弁を振るった。
「‥‥つまりだ。朱印帳をつくり一定回数来たら割引や一品無料等、何度も来てもらう事でサービスを提供する、と言う目に見えるやり方で集客力を上げる」
 いつになく饒舌に語る。
 白螺鈿は食材が高騰している上に、上も下も競争社会だ。
 ただのんびりと運営しているだけでは、本当に店が消えてしまいかねない。
「もしも他の店が真似をして流行れば一店舗づつ朱印を集めて他のサービス等、その辺りの店とも競合せずに協力できるようになる。その為には、まずは客層の調査や人気料理などを知ることからか‥‥わしは農場で牧草刈りがあるし常時来られるとは限らないし」
 そこで、ふと。
 キビキビ身の回りの世話を焼く相棒が目に入った。
 語ることは殆どないが、主人の役に立ちたくて、何より少しでも多く構って欲しくて、必要以上の能力を発揮しようとする、この健気な相棒は、主人がじっと自分を見ていることを内心喜びながら、何かイヤな予感がしていた。
「丁度良い。菫を置いていく。五日間、励めよ。店の様子は後日聞かせてもらおう」
「ちょっ、ちょっとぉぉぉ!」
 決断の早い主人の命令により、人妖の菫は文句も虚しく、置き去りにされたのだった。


 ところで酒々井が農場にやってきたのは、日もとっぷりと暮れた後だった。
「遅くなっちまったな‥‥下準備もできたし、こっから赤字を取り返して、虎司馬に文句つけさせねぇ体力を、取りもどさねーといけねぇっつーのに」
 母屋の窓から光が零れ、屋根から煙が上がっている。
 きっと、いつも通り仕込みに忙しいのだろう。仲間達はとても働き者ばかりだから。
 新たに案山子が立つ畑を新鮮な気持ちで眺めつつ、木戸に手をかけた瞬間。
 わおーん、と子犬の声がした。まだ番犬の絆は起きてるのかと暗闇を見回した、刹那。
 がぶり。
「い、いでぇえぇぇぇぇ!」
「よっしゃー! これで空き巣は‥‥きゃあああああ! ぺ、しなさい、ぺッ!」
 本日徹夜当番の久遠院が、覚えのある光景に叫び声を上げて駆けつける。
 あろうことか酒々井の尻にかじりついて離れない番犬気取りのおバカな小犬こと絆をひっぺがすのに苦労していた。所詮は賢い忍犬とは違う普通の犬だ。

「偶然手に入った蜂蜜も残り少なくなってきましたね。あ、桃香、お塩が切れたので倉庫から在庫をとってきてもらえませんか?」
 白のお願いに「ちょっとまってて!」と人妖が飛んでいく。
 夜は夜更かし時間、ではなく。
 女性陣達の忙しい仕込み時間だ。
 卵をゆでたり、塩水につけたり、勿論マヨネーズだって増やしていかなければならないし、相変わらず増え続ける紫蘇を味噌や飲料に加工しなくてはならない。これらの作業が昼間にできればいいのだが、昼間には昼間で作業がある。暇な時間を見つけようとすると、どうしても深夜遅くになってしまう。
「はい、これでいい?」
「ありがとうございます、桃香。葛粉の処理もありますし、この分だと、新しいデザートの試作は後々になりそうですね」
 どれくらい時間がかかるか分からないだけに悩ましい。
 酒々井が洗って乾燥中の葛をのぞき込む。
「今度は葛粉か。どんどん芸が増えるなぁ」
「余り量は取れませんけどね。お怪我の具合はいかがです?」
 開拓者にとって怪我の治癒など力を使えば造作もない。犬嫌いのシャーウッドが「な、犬は恐怖だろ」と変な意識を斡旋していたが、酒々井は「戦の怪我と比べりゃ大したことじゃない」と、歯形の消えた自分の尻を撫でた。家族に噛みついてしまった絆は今夜はお外の番を命じられ、戸の外で「きゅーんきゅーん」と悲しげに鳴いている。
「結局、ギルドで何を調べてこられたんです?」
 氷を浮かべた紫蘇飲料を手渡しながらリトナが尋ねる。
「ああ‥‥元開拓者で依頼を受けて旅立って死んだ杏達の父親の事、な」
 ユーハイムの「何か分かったんだね?」という問いかけに「少しだけな」と短い返事。
 この家は、色々と不自然な状態に置かれていた。
 さして困るわけでもないので、時々調べる程度で、今日まで放置してきたのだが。
「一口で説明できねぇんだよな。ちと込み入ってる話になりそうだし。もうじき白螺鈿は夏祭だろ? 秋は収穫が多いし、落ち着いた時期に相談しようぜ。‥‥ただ少なくとも」
 明らかにする程度によっては‥‥ミゼリも杏も、今の穏やかな暮らしは望めなくなるだろう‥‥というのが、一旦口を閉ざした酒々井の見解だった。


 二日目の朝早く。シャーウッドは寝ぼけた目を擦る杏を連れて出かけた。
 目指す場所は、鬼灯方面の山麓にある養蜂家の所だ。
 三泊四日の講習会を「いってらっしゃい」とリトナ達が見送る。
 雇い主不在でも、農場は忙しい日々を送る。
 リトナは夕方まで食堂ほたるに出かけ、塩玉子丼や野菜饂飩の商品開発と給仕体験を決めて様子を見に出かけた。共に白螺鈿へ出かけた桂杏の向かう先は、料亭や食堂ではない。
 市場に並ぶ葉物の価格確認だ。
 高すぎれば売れ残り、安すぎれば同業から敵視されてしまう。美味い野菜を作ればいい、という訳ではないのが、田舎の切ない顔である。
「加工品は他所にありませんから、どうとでもなりそうなんです。こっちのが難しくなりそうで‥‥ああ、桜桃用の小瓶も一緒に買って参りますね」
 小柄な相棒も荷物持ちを申し出たが、注目を集めるので華麗に却下されていた。
 なにやら人妖の炎鳥が慰めるように肩を叩き、毎日桂杏が頑張っている牛乳の加熱処理の代理を任される。仕事が多いのでサボる暇もない素敵な環境だ。
 久遠院が間違いの多い子犬を、根気よく調教する様が微笑ましい。
 病害虫よけにきく薬草を煮出したユーハイムは、蓮や鈴梅雛と共に手桶に汲んで筆をもち、地道に塗布を始めた。雑草を抜いて掃除し、成長した葛を引き抜いては母屋に運ぶ。
 単調だが、恐ろしく重労働だ。
「長老様も、遊んでばかりいないで、荷物運びくらいは手伝って下さい」
 もっふりと微睡むもふらさまを叱咤した鈴梅雛は、その体にくくりつけた荷車に次々と引き抜いた葛を集めて運び入れた。小柄な背丈には森のようにも見える畑だが、太陽が真上にくる頃になると木陰も消えて直射日光に晒される。燦々と照る太陽が恨めしい。
「こんなに抜いても元に戻ってしまうなんて、葛って凄いですよね。長老様‥‥長老様?」
 姿がない。
 もふらさま失踪。
 ではなくて、のそのそと運び出していた。働いて欲しいと訴えはしたが、相変わらず自由だ。慌てて長老様を追いかける鈴梅雛。
 泥まみれの葛を眺めながら、少しばかり心が躍った。
 乾かした根は漢方薬にも成るし、白が毎夜手入れをして葛粉を作ると言うから料理の楽しみも増える。葛の蔓で愛らしく実用的な籠も編めそうだと、利用法には果てがない。
「ごめんなさい。おろすの手伝ってくれませんか?」
「ああ、かまわない」
 畑仕事の手伝いが終わった蓮は、軒先で栽培箱の製作を見よう見まねで始めた。時々手を木槌で打つのは、初めて故の不器用さで、一度作り出すとコツをつかみ始めていた。


 ところで家畜小屋は本日も賑やかだ。
 真面目なシャンクは家畜の世話を覚えながら不便に感じたことを書き留めるなど研究に忙しい。勿論、よりよい搾乳量増加のため、なにより清潔な環境向上に努めているし、四日目にある市では人用の売り物にならない大豆を大量に買い込んできて、餌に混ぜようと決意していた。
 そうして賢明に働く彼女を悩ます最大の問題は。
「私達がいない間、誰の命令でも聞けるようでなければ無意味だと思うのだが、どうしたものか」
「そーは言ってもな。牛達は認めた相手にしか従わねぇ。家畜女王はいなくてネリクは養蜂、なら数少ない勝者の一人、俺や若獅が無駄な闘争心の相手して、世話するっきゃねぇ」
 ぼやく酒々井が早速暴れている。
 隙あらば反抗してくる、脅威の雌牛たち。ある意味ストレス解消と運動なのだろう。
 ここが自分たちの帰る場所だとは思っているようで、以前他の農家に預けられた際、柵をぶち破って戻ってきた。かといって従順に従うのは癪に障るのか、森でノラ牛化して迎えを待っていたと言うから、正直、意味が分からない。
 唯一。さっぱり命令に従わないが、力比べ勝者ではない杏たち雇い主が、近距離にきても目立って危害を加える様子はない。鬱陶しそうにしながら乳搾りが終わるのを待つ。
 長く関わってきた開拓者達曰く『決定権を持つ主人』だと認識しているのだろう、というのが共通する見解だった。たかが雌牛にどこまで理解力があるかは不明だが、杏やミゼリ達が気を変えれば、この農場は『そこでおしまい』なのは間違いない。
 桶に新鮮な水を汲み、餌を盛ったメルリードが溜息を零す。
 昨日は若獅が交流を深め、蓮が偶然、雌牛をうち負かした。
「蓮の件は幸いとして、牛達を支配できる人が常に居るとは限らないのよね。言うことを聞かせられる者を増やしたい所だけど‥‥素手で力比べというのは流石に厳しいわね」
 ちらりと出入り口を一瞥する。
「‥‥久々にアレでも使ってみようかしら? そうよね、午後はアレで決まりね」
 最近、滅多に使わなかったアーマーケースを眺めて、手段を選ばなくなっているメルリードがいたりする。
 そこへ午前中、白螺鈿へ行っていた若獅が戻ってきた。
 防犯用に、新しい錠前を購入してきたのだ。
「これ、母屋からの差し入れ弁当。休憩にしようぜ。昼食が終わったら、全部錠前を交換に行ってくる。鍵は炎鳥やブリュンヒルデ、とくに杏に管理して貰おうと思ってる」
 空き巣は勿論だが、野菜泥棒がいつ家畜を盗み出すかわかったものではない。
 酒々井曰く牧草地に不審な足跡はなかったそうだが、何故か同じような牛の足跡が見つかったと話していた。何故牛、という疑問を飛ばしながら、昼食後は補強や鳴子作りに明け暮れていた。


 賑やかな農場とは異なり、養蜂を学びに出かけたシャーウッドと杏は緊張な面もちで職人と対面した。
 養蜂家は、寡黙な人物である。 
 旅人用の小料理屋をかね、店の裏手で細々と蜂蜜を作っていた。やはり広大な敷地や沢山の花がなければ難しいが、本当にやる気があるなら、教えても良いと返事をもらったのは雨季の頃。教えを受けるには、蜂の生態を知るために何日かこもりっきりになる。
 その支度をして、此処へきた。
「俺はよししげ、芳茂と書く。好きに呼んでくれ」
「俺はネリク・シャーウッドです。ほら杏、これから教わる先生だ」
「よろしく、おねがいします」
 ぺこん、と頭を垂れる。ぱっと見て五歳前後にしか見えない杏が農場主だと聞いて、養蜂家の芳茂は最初疑っていた。子供のお遊戯には向かないと、辛口で返されても、白螺鈿の地主候補の一人、幸弥から一万文で買った許可証を見せると、ようやく本気なのだと理解を示してくれた。だからこそ住み込みで働くことを良しとしたのだ。
「養蜂も一朝一夕でどうにかなるもんじゃないが、覚えられたら確実に農場の今後に繋がるからな。杏もしっかり覚えとけよ。早いうちに覚えておかないと今ある蜂箱ももてあますだけだからな」
「なんだ、あの後ちゃんと巣箱を作ったのか。で、様子は?」
 蜂が住み始めているらしいと言うと「分蜂が成功するかは暫く様子見だな」という返事が返ってきた。聞き慣れない言葉に眉をひそめると、養蜂家の芳茂は淡々と語り出す。
 分蜂。
 それは蜜蜂の生態の一種だ。
 蜜を盛った花が溢れる春の後半から初夏にかけて。蜜蜂の群は、たった一つの群でも膨大な数に膨れあがる。その数およそ五万匹前後。新しい女王蜂が誕生し、古い女王蜂が働き蜂の半数を引き連れて、古巣から飛び立ち、新しい安住の地を求める。
 これを分蜂と呼ぶ。
 分蜂の働き蜂達は、長期移動に備えて腹に蜜をため込んでいるために比較的大人しい。
 餓えを押さえた分蜂群は、暫く元の巣の近くの枝などに群れてぶら下がり団垂という状態を成すが、この時に分蜂群の偵察部隊が住み良い場所を見つけると、そこへ一斉に移動するのだそうだ。
 シャーウッドの話を聞く限り、恐らく今は移ってきた直後だろうと言っていた。
「近くに花はあるのか」
「一応、植えた物が‥‥足りるかは分かりませんが」
「気になるなら、巣の近くに蜂蜜と水を四対一で溶いたものか、無いなら砂糖と水を一対一で混ぜた砂糖液を置いておけ。少しは蜂も元気になるだろう」
 養蜂は、犬や猫のように大切に育てなければならない。養蜂家は、そう断言する。
 急に杏がシャーウッドの袖をひいた。小声でぼしょぼしょと話している。
「‥‥覚えられるかな? ちゃんと飼えるかな?」
 不安そうな杏に、シャーウッドは微笑む。
「今はまだまだ問題だらけでも一つずつ確実に覚えれば必ず先は見える。何事も同じだ。しかし、畑や牛は覚悟してたが、まさか蜂まで扱うことになるとはなぁ。人生何があるか全く分からないもんだ」
 こちらはこちらで、期待に胸が膨らむ日々が始まった。


 じっくり養蜂家の話を聞き込んでいるシャーウッドと杏はさておき。
 三日目の農場は戦場だった。
 リトナやメルリードを始め、白や桂杏も一斉に畑の手入れと収穫作業に徹する日だ。
 何しろ翌日の市に出す物の収穫に気をつけなければならない。品によっては日も昇らない早朝に刈り入れるのかと、本日見張り当番の桂杏は寝坊しないように気合いを入れた。
 勿論、過労で次の日に響いては困ると、畑仕事の合間に鈴梅雛はきちんと休んでいる。
 山ほど掘り出した雑草や葛、野菜を運ぶのは勿論、力に覚えのある蓮や酒々井たち、頼もしい肉体派男性陣。
 蜂と戯れているシャーウッドを青空に思い出して羨ましくなったりとかは‥‥しない。
 多分。
 泥を洗ったり色々しなければならないが、酒々井は昼間は泥にまみれ、夜は棒で乾燥した葛を叩く作業に追われた。ユーハイムは引き抜く端から新しい作物を混植していく。多くは栽培箱で育っていたものだ。ちなみに新しい栽培箱には葉葱が植えられている。
 雇っている女性達と商品の梱包作業に追われる若獅は『うちの農場で作りました』的な宣伝を上手くできないかと悩んでいた。注目を集めるという意味で、シャンクが「卵に入った雛をそのまま煮る料理があるんだが試すか?」という提案をして、世界の食文化の広さを皆に知らしめていた。何分、見た目に迫力のありすぎる料理なので、実際に売り出すかは少々保留な意見に繋がった。
 不思議な空気漂う梱包班の傍らをすり抜け、日が陰った時間を狙って久遠院がミゼリを畑に連れ出す。ちなみに絆と天国は空き巣の警戒で御留守番だ。きゅんきゅん鳴いても振り返らない。

 四日目。今日は市場が開かれる。
 日も昇らない薄暗い中、あくびをしながら作物を収穫して荷車に運んだ。前日から支度を重ねてはいるが、つい何かを忘れているのではないか、そんな不安が常に付きまとった。
「長老様。今日は沢山働きましょうね」
 鈴梅雛がもふらさまの荷車に積まれた品物を眺めて微笑む。
「さて。俺は交渉だの売り子だのは向いてねーから、物の運搬手伝って戻らぁ」
「こっちも酒々井と同じく。荷を運んだら畑を手伝おうと思う」
 蓮が荷を運び込みながら言う。
 結局午前中のお留守番はメルリードとシャンク。
 午後には酒々井と蓮は勿論、ユーハイムが葉ネギと青梗菜の苗を購入して戻ってくる。ちなみに残念ながらユーハイムが一番欲しかった苗は、この辺で手に入らなかったようだ。お国柄の性質が出る作物は、余り田舎まで流通が届かない。
 桂杏は一人、牛乳と葉物を両食堂に納品に出かけた。三日後にと約束していたからだ。次回の要望があればきちんと聞き取り、市に並べた品の中に必要な物があれば配送しようと手順を確認する。

 市場は人でごった返していた。
 そんな中で、間らしく身を飾った女性達が客引きに声を張り上げる。
「安いよ安いよ〜! 直輸入品のマヨネーズ? 折角なんだから、うちで地元民が本格的に作った新鮮な物を買っていきなって!」
 メイド服を着込んだ若獅が、さあさあと試食を斡旋。
 食わせてしまえばこちらのものだ。
「濃厚ミルクにさっぱりつめたい紫蘇ジュース! 素敵なお土産に桜桃の甘露煮はいかが? 食堂ほたるで評判の塩卵も特別にありますよ」
 謳うリトナは塩卵をちゃっかり一個9文で売っていた。勿論卵の値段は通常六文、高くて七文前後なので、異様に高い。しかしそんなお高い卵を贅沢に二つ割りにして試食に出すと、やっぱり手を出す人間は出てくる。試食の半身で四文ちょっと。その意地汚い計算をしてしまう主婦はといえば、食べてみると買うか買わないかを悩み出す。
 おかずやおつまみにもってこいだ。
「この季節ですと辛い物や冷たい物、爽やかなお品が売れそうでしょうか」
 白が客層と購入品を敏感に観察しながら、かきとめている。
 後ほど食堂ほたるに立ち寄り、農場の紫蘇や香草組合せで定食を考え提案するつもりでいる為、売れ行きや好まれる商品は決して見逃せない。
 勿論、敏感に受け答えるのは一人ではない。
「梅酸渇を癒す、とも言うんだよ。紫蘇ジュースで暑気払いなんて、どうかな!」
 久遠院は振袖に襷掛けの女中の格好で、熱気で疲れていそうな人や身なりの良さそうな子供を中心に試飲させた。
 元気な声が飛び交う中、鈴梅雛がせっせと売り上げを帳簿に記録していく。
 波のある来客の暇を見つけては冷やすための氷を作り、自らも接客を行いつつ、時には売り物にできない作物をおまけとしてつけた。
「へぇ。ここは氷も作れるのかい?」
「はい。暑いと、すぐに痛んでしまいますから」
「じゃあさ、そこの樽いっぱいに氷とか頼めないかい。勿論、相場の一キロ25文は払わせて貰うよ」
 喜んで、と鈴梅雛が答え、自分は帳簿から離れるわけにはいかないので白に代役を頼んだ。今年は異様に蒸し暑く、よその氷屋では氷柱が飛ぶように売れていた。

 最初は初めての市参加ということもあって客足が少なかったのだが、昼を過ぎる頃には食事に行く暇もないほど忙しくなった。市が閉会する頃には作物の殆どが売れており、道が込み合う前に片づけて、食堂の給仕に向かう者と、農場に戻るもので別れていた。
 この日の食堂は給仕と言うより、白の定食案や、久遠院の紫蘇味噌おにぎりや紫蘇味噌の冷汁などの提案と試作に忙しかったようだ。


 売れ行きの良かった日の夜にかぎって、泥棒がでたりする点は頭が痛い。
 それは蓮の迅鷹の絶影に空から見張らせ、怪しい者がいたらその場に留めさせろという命令を下した夜遅く、反省会の最中にギャアギャアとやかましく鳴いた。遠慮なく水遁を放つ桂杏や、実力行使を決めていた面々が熟練の開拓者という辺りで、泥棒には運がない。
 十名を越える猛者から逃げ切れたら、それは賞賛に値する。


 雪白を連れた酒々井が、泥棒を役所に連行した五日目の昼頃。
 シャーウッドと杏は、養蜂家から戻ってきた。殆ど見て聞いているだけだったけれど、それでも知恵が増えていくことは喜ばしい。お帰りなさいと出迎えられた杏は、久々に腕を振るったシャーウッドの手料理を食べてすぐに近所巡りにいくことになっていた。リトナが甲斐甲斐しく世話を焼き、格好を整えて「行って参ります」と母屋から歩き出す。
 ところで午前中、五日間も食堂に放置されて完全に拗ねた人妖の菫を迎えに行って帰ってきたシャンクは、午後になると大工道具を借りて、菫と整備作業に出かけた。食堂の様子を聞こうにも、まずは構って機嫌を取り戻してやらないことには始まらない。
 若獅は家畜の世話に戻り、久遠院は犬の調教ついでに害獣駆除をはじめ。
「さあ、森にいきましょう。何か良い物が有ると良いですね」 
 そう言って微笑む鈴梅雛とユーハイム、蓮と桂杏の四人は、森の散策をかねて何か収穫がないか探しに出かけた。蓮はちゃっかり野草図鑑も持っていく。薬草でも見つかれば上々だと考えながら、途中で見つけた美しい石や可憐な野花を摘んでは、ミゼリの手みやげにと話していた。
 白に料理を習うメルリードを眺めながら、シャーウッドが洗濯物を干し終える。
「よし、暑くなって足が速い食材の保存とかも考えなきゃいけないし、次来るときも大変そうだ。じっくり頑張るしかないかー」
 ミゼリも聴覚しか戻ってないし、と。
 色々言葉をのみこんだ所で、白が顔を出した。
「次と言えば、お祭が近いそうですよ。昨年は西にある鬼灯の里で鬼灯祭に参加したのですが、去年は楽しかったです。白螺鈿の夏祭りってどういうものなんでしょうか、楽しみですね」
「お祭、ね。楽しむ方か、楽しませる方か、悩み所だわ」
 メルリードが窓の向こうの入道雲を見上げた。


 これから夏祭りの季節がやってくる。