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■オープニング本文 金糸、銀糸、白に赤。 ひと針ひと針に思いを込めて。 神楽の都の一角に仕立て屋が軒を連ねている。ここの経営者は金混じりの茶髪に青い瞳を持つ淑やかな娘だ。かつては『生成姫の子』と呼ばれ、恐れられた志体持ちである。狩野柚子平の管理下を抜けた兄弟姉妹が次々に開拓者へ華麗なる転身を遂げる中で、恵音は縫い物を趣味から仕事にして市井で暮らしてきた。 「こんなものかしら」 縫い上がったドレスを満足げに見上げる。 「恵音〜、きたよー」 店番をしていた羽妖精の言葉に「今行くわ」と返す。 開拓者の養母による全面的な後押しを得て、洋装の修行を三年、和装の修行を三年、呉服屋で経営を学んで二年……神楽の都で開業したのが二年前だ。 多額の開店資金は孤児院が援助してくれた。 今や恵音は、地元では名うてのお針子である。 貴族から平民まで固定客も多く、ジルベリア様式と天儀様式、更にはアル=カマル風をあわせた斬新な衣装も人気が高い。恵音の元へは各地で暮らす兄弟姉妹が風変わりな服飾素材を届けてくる。例えばスパシーバはアル=カマルの某キャラバンに属する流浪の旅商人で物を見る目は確かだった。 「スパシーバ」 「姉さん、久しーな」 黒い髪に緑の瞳。太陽に焼けた浅黒い手が目立つ。 「また一層浅黒くなったのね。言葉遣いも向こうの訛りだし」 「しょーがないやん。キャラバンは四六時中一緒やし、それより買い取り、これ」 積まれた布地をつつく。 「ありがとう。計算するわね」 「頼むな。んで、用事があるから直接持ってこいって言ってたのは?」 恵音は結婚式の招待状を渡した。 「おめでとうさん。けど店はどないするん」 「すぐに嫁ぐわけじゃないわ。一年か二年は別居生活を続けて、将来的にお店は明希に譲るつもりよ」 「大丈夫なんか」 明希はスパシーバと年の近い姉である。 二人の養母を持つ明希は、幼い頃からお洒落が大好きだった。 様々な土地へ出かけ、多彩な衣装を与えられた。姉妹の中では着飾る事が群を抜いて好きだった。 だからなのか。 成人した四年前から衣装を着る専門家になった。つまりはモデルである。 写真技術が普及し、瓦版が鮮やかになった頃から、華やかな衣装を着て人の憧れを背負うようになった。脚光を浴びれば自然と薄暗い過去も掘り起こされて話のネタにされるのが世の常だが、噂話すら話題性という踏み台にしてのし上がるだけの心理的な強かさが明希にはあった。 「明希曰く『モデルは水物』なのですって」 「は?」 「老いてからできる仕事じゃないって事みたいよ。当面は此処とコラボレーションして知名度を上げて、兼業でお針子の修行するって。そんな簡単な仕事じゃないって言ったんだけど頑張るって譲らないし、華凛も手伝うって言ってくれたから」 「頑固やもんな。けど華凛姉さんの話は意外や意外」 華凛は相変わらず孤児院で暮らしている。 ただし華凛の場合は寝泊まりに帰っているだけとも言える。 兄弟姉妹が次々開拓者になったり独立したりする中、口数の少ない彼女は「接客は苦手」と告げ、装飾品やバックなどの華やかな小物を拵える職人になった。兄弟姉妹の店で裏方のアルバイトをしながら季節の花を眺め、お茶を飲んで過ごし、思いつくまま作品を仕上げては恵音の店に納品している。 「意外で悪かったわね」 「うわ!? いたんか、姉さん」 「あたしは此処の工房を借りてるのよ。いるに決まってるわ」 黒い髪に蒼い瞳を持つ華凛は、無表情だ。 弟の顔を凝視した後、恵音に「お茶飲んでくる」と言って店を出た。 「到真のとこ?」 「そうよ。ふらっと行っちゃうの」 苦笑いしながら、恵音は小銭と一緒に手紙を一通渡した。 「シーバ、未来に届けてくれないかしら」 「この近距離で?」 姉妹の未来が経営する花屋は、徒歩で五分とかからない。 「私は手が離せないのよ。仕事と同時進行で自分の花嫁衣装も縫わなくちゃ」 「まあ、駄賃付きでそういう事なら」 浅黒い手が手紙を受け取る。 お茶を飲み干そうとするスパシーバを見て、恵音は微笑んでいた。 不気味なほどイイ笑顔だ。 「……なに?」 「ううん、もう告白したのかなーって」 スパシーバは激しく咳き込んだ。 隣の羽妖精が「布を汚さないでよね!」と怒り出す。 「な、な、な」 「隠しても無駄よー? お姉ちゃんですから、ふふっ」 「あのなぁ姉さん、僕は別に」 露骨に顔を赤らめるスパシーバをによによ眺めながら、恵音は布を運んで棚に納める。 「祝言が決まったら、うちでドレス作るから言ってね。可愛い弟と妹の為に、がんばっちゃうから」 「おい」 「……なんで怒るの」 「変なこと言い出すからだろ!?」 恵音は養母譲りの穏やかさで「変かしら」と小首を傾げる。 「私たち兄弟姉妹は……血の繋がりがないし、十年も前に別々の家の養子になってるんだから、法律上なぁんにも問題ないわよ? 気持ち一つじゃない……素敵!」 「そんな簡単な問題じゃないっ」 喚く弟の頭を撫でた恵音は「兎も角、お使い宜しくね」と言ってスパシーバを追い出した。 羽妖精に頼めば済む仕事を、わざわざ言いつけたのは……つまりそう言う事だろう。 「そんなに……わかりやすいんだろうか」 憂鬱な足取りで花屋に向かう。 「たのもー」 スパシーバが間延びした声を投げると、店の置くから店員が飛び出してきた。 赤毛に紅茶色の瞳、姉妹の中では上から数えて三番目にあたる。 「シーバ! わー、いらっしゃい。ねーねに布の納品?」 「そんなとこ」 未来が花屋を構えたのは此処1年くらいの話になる。 十歳まで養父母に甘やかされて穏やかに育った未来は、開拓者になって数年間は世界を巡り歩いた。いつか花屋をひらきたいと願った彼女は、希儀やアル=カマルへ渡る最も効率的な手段が、開拓者になることだと考えたらしい。各地を巡り、植物を集め、縁を結んで、一流になる頃には開拓者を引退した。養父母の家から歩ける距離に店を構えて細々と運営しているが、開店まで色々手伝ったのはスパシーバだ。 その過程で色々芽生える想いもあるわけで。 「恵音姉さんから」 「ありがとう。えーと……ねーねのブーケの件ね、わかった。シーバ、いつまでこっちにいるの」 「んーキャラバンの連中に連絡しないといかんけど、まだ予定決めてないな」 「じゃあさ。結葉ねーねが花を取りに来たら、今日は到真の店に晩ご飯食べにいこう。旭がおいしい魚を仕入れるって言ってたから皆来るだろうし。偶にはわたしも、ねーねらしく奢ってあげるわ!」 力強いセリフにスパシーバが苦笑い一つ。 「……これで勝負しろって、無理やって……恵音姉さん」 人生の先輩であるキャラバンの仲間には幾度か相談したけれど、全然先が見えない。 「う? なんか言った?」 「いやー。んじゃあ、夕方まで店番手伝うよって。何からすればええ?」 「新しいサボテンのこと教えて欲しいなぁ。倉庫にあるんだけど」 「了解」 |
■参加者一覧
皇 那由多(ia9742)
23歳・男・陰
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
シルフィリア・オーク(ib0350)
32歳・女・騎
ローゼリア(ib5674)
15歳・女・砲
ニッツァ(ib6625)
25歳・男・吟
戸隠 菫(ib9794)
19歳・女・武 |
■リプレイ本文 ●花嫁に捧ぐ祈り スパシーバをお使いに出した後、恵音は仕立屋を臨時休業にした。 数多く届いた布の選別は勿論、養母アルーシュ・リトナ(ib0119)との予定があるからだ。。 扉のベルが鳴った。 「仕事はおわった?」 「うん。おかあさ……」 養母の傍らに立つ女性の顔には覚えがあった。孤児院運営を長年手伝った戸隠 菫(ib9794)だ。 戸隠は「久しぶり。おめでとう。今回はよろしくね」と言葉を続けた。 恵音が首を傾げると、リトナが微笑む。 「挙式の準備も進めなくてはいけないでしょう。なるべく恵音と旦那様の意向を聞きながら……とは思ったのだけど、でも会場は菫さんが良い所を進めてくださったの。披露宴か二次会か……聞いてみるだけでも、どうかしら。気に入れば、式場の手配や引き菓子などの手配を頼んでみようと考えているの」 ひとまず届いた布の検品をしながら結婚式の相談が始まった。 戸隠曰く、神楽の都の郊外に、天儀調の屋敷があり、外観の部分装飾にジルベリアやアル=カマルのデザインを採用した結婚式場があるのだという。 「あたし自身も関わったから詳しいよ。融通が効きやすい造りになってるんだ。庭園はジルベリア様式だけど、屋内は各国に対応。三豊さんは料理を作るのを楽しみにしている面があるから……希望を伝えれば張り切って用意してくれるはずだよ。そういう意味でも、三豊さんの所が一番だと思う」 「そんな場所が郊外に」 「うん。あと貸衣装もやってるんだーっていうのは、アレかな。恵音さんは自分で縫うと思うけど……きっとね、お商売でもいい関係になれると思うんだ」 自発的なコラボレーションを申し出そうだよ、と戸隠は笑う。 夫一家を招くのは大変かも、という話も開拓者がいるから問題ないと見通しが立った。 きっと御願いすれば来てくれる、なんて惚気も交えつつ恵音が頭を下げる。 「戸隠さん、宜しくお願いします」 「任せて! そのつもりで来たんだし」 「人のご縁をありがたく使わせて頂きましょう。娘の結婚式、宜しくお願いします」 「うん。作る引菓子は……アーモンドのドラジェにしよ。黄、赤、青、緑、白、色は数があるほど華やかになるし可愛いはず! ドラジェが出来たら、可愛い袋を作って、詰めて、と」 取り寄せ分や自前で作る分、人妖の劔楡たちに手伝わせる等、既に人員確保が戸隠の脳裏で巡っている。 具体案を練り上げる戸隠に対して、リトナの提案も弾んでいた。 「そうだわ。恵音。席次はほらあの二人 未来さんと彼は近くにしましょうね」 「え、でも、まだ」 「貴女の花嫁姿を見たら お嫁さんになるイメージが湧くかも知れないもの」 「あ、そうね」 花嫁衣装は永遠の憧れである。勿論、華やかな結婚式もそうだ。 「で、恵音。プロポーズの言葉は何だったの」 「言ってなかった?」 「きいてないわ」 「昔ね。畑で、静かな暮らしができていいなあって言った事があって。皆と一緒に暮らせばいいよ、って言われて。だからお母さんに同行したんだけど、そのうち、お針子なら此処でもできるよ、とか言われて」 涙ぐましい遠回しアピールを聞かされたリトナが「あらあら」と呟く。 『気づかなかった。というか、恵音も気づいてなかったのかしら』 農家では、皆が商売を考案して手広くやった。 だから特別な意味に聞こえなかったと恵音も白状した。 「プロポーズも特別な話じゃないの。ただ……お年寄りになってもこうやって一緒にいたいな、って言われたから、お嫁さんにしか言っちゃだめよそれ、って注意したら……お嫁さんになってくれないの? って悲しそうな顔されたから、その」 後はお察しの通りらしい。 戸隠は立ち上がった。 「さて。今相談できるのはこの位かな。一旦、帰るね。三豊さんに色々相談してくる。恵音さんの為にもアルーシュさんの為にも、良い結婚式にしてあげるんだから!」 戸隠を見送った。 ふと、リトナは傍らの娘を見た。 「恵音」 「なあに、おかあさん」 「結婚しても暫くはこちらにいるって分かってはいるのだけど……あちらに嫁いでもご近所とのご縁を大切にね。塩卵の作り手は貴女に譲りましょう。そういった事も継いでくれる貴女がいて嬉しいわ」 黙っていた羽妖精の思音が「あのさ」と声をかけてきた。 「僕はアルーシュと恵音とどっちについていけば良いのかなぁ。やっぱり味方が必要だよね? ねぇ行っても良い? アルーシュ」 伺う眼差し。 微笑むリトナは「ええ」と囁く。羽妖精の心は決まったようだ。 「二人とも大好きだよ。アルーシュ、偶に美味しいお菓子を作りに遊びに来てね!」 「はいはい。そうだわ、恵音に贈り物があるの」 奥の部屋に戻ったリトナは『純白の花飾り』を手荷物から取り出した。 「どんな髪型が似合うかしらね……挙式か披露宴か」 「もぅ、気が早いわ」 「ごめんなさいね。余り口出しはしないつもりでいたのだけれど、心が躍るの。身につける時は、お母さんに結わせて。出来る限りの事をしたいのよ」 鏡台の前に座らせた。 恵音は、凛と背筋を伸ばした淑女だった。 手塩にかけて育てた娘の瞳に遠い日の殺意や人形のような面影はない。 『長かった、とても』 リトナは後ろから養女を抱きしめた。 敵対していた頃、衝突した夜、辛く苦しい思いをした日々も脳裏に蘇る。 『初めてあの子と目を合わせた時には、こんな日まで迎えられるとは思わなかった……』 失う事を覚悟した時期もあった。 貴女はきっと、知らないだろうけれど。 『この幸せな気持ちをくれたのは恵音、あなたよ。ありがとう。愛しているわ。私の大事な娘』 「おかあさん? どうしたの? 具合悪い?」 「いいえ。違うの。これからは……旦那様と二人で道を選ぶのね」 恵音は笑った。 まだ同居は先だから、と照れたように笑う。 花の笑顔。そこに人殺しの道具だった頃の面影はない。 ああ、愛しい子。 どうか、どうか、忘れないで。 あなたと出会った事、あなたと過ごした日々、喜びも悲しみも分かち合った長い年月。 降り積もる雪のように、思いを重ねて芽生えた数多の心。 貴女が愛されていることを。 「仲良く手を取り合って、末永く幸せに」 ●未来の花屋と複雑な恋路 満開だった桜は終わりの兆しを見せ、民家の窓辺にパンジーの花が咲き誇り、畑に揺れるチューリップに双眸を細めながら街へ入った皇 那由多(ia9742)は養女の経営する花屋を目指していた。 ちりんとドアに吊した鈴が鳴る。 「いらっしゃいませ」 「やぁ未来。忙しそうだね。お店は順調?」 「うん」 「それはよかった。おうちに飾る花を探しに来たんだ。食卓に飾りたいんだけど……未来、お母さんの好みの花束にしてもらっていい?」 養父を見た未来は笑顔で頷き「言ってくれれば持って帰るのに」と言いつつ希望の花を尋ねてきた。主な花は皇が選び、添える花は娘に任せる。 「リボンきれちゃった。在庫取ってくる。シーバ、店番お願いね」 「ほいよ」 奥から顔を出した弟は那由多を見つけて一歩たじろいだ。 殆ど無意識だろう。我に返ったスパシーバは姿勢を正して頭を垂れる。 「お久しぶりです。皇さん……『姉さん』が、いつもお世話に」 那由多は苦笑いしながら歩み寄った。 「やぁスパシーバくん。元気そうで何よりだけど……こちらは順調、という訳でもなさそうだね」 スパシーバは石像と化し、那由多は笑ってしまった。 手招いて影に隠れ、内緒の話を始める。 「あのね、スパシーバくん。別に反対はしないし、君が立派な人だって事は分かっているし……僕も偉そうに何か言える人間じゃない。でも愛しい娘の心配はさせてね」 お見通しだよ、と言外に告げる。 ヒュッ、と変な呼吸がスパシーバの喉から零れた。 「つまりさ、僕たち夫婦と同じように未来を愛してくれる人は歓迎するよってこと」 「は、はい」 「まぁ……芽が出るかどうかっていうのは、頑張って」 肩をぽん、と叩き。 前向きに応援する意志を告げた所で、未来がリボンを沢山持って戻ってきた。那由多に頼まれた花束を手早く造る。那由多が恵音の注文書に目を留めた。 「これは」 「あ、それ、ねーねの。シーバが届けてくれたの」 「未来、恵音ちゃんのブーケを頼まれたの? いいね、素敵なものを作ってあげるといいよ。みんなと仲良く相談しておいで。そういう事になると、お母さんも張り切る人だから」 「うん! 力作をお届けするわ!」 「その意気込みで頑張って。お父さんは……恵音ちゃんとは深く知り合っているわけじゃないからね、未来とお母さんを応援するよ」 那由多は花束の代金を渡す。 豪奢な花束を受け取ってからお礼を告げ、スパシーバを一瞥してから店を後にした。 「……未来もいつかはお嫁に行っちゃうのかなぁ、寂しいなぁ……」 妻との間に実子はいるが、養女の未来も大事な娘だ。 共に暮らし、父親としての意識に芽生えてしまうと、今度は嫁にやる男親の悩みが脳裏に浮かんでは消える。とぼとぼ歩く道端に見えた甘味所を凝視して、亡霊のように店頭へ歩き、流れるような動きで甘味を購入していた。 「丁度いいか。家で待ってる妻と小さな娘に癒してもらおう」 ぐすん、と鼻を啜って帰っていく。 「え、那由多が来た?」 一時間も経たぬ内に、未来の花屋へ養母のローゼリア(ib5674)が現れた。 『ふふ、こんにちは未来。食卓の花を買いに来ましたの。見繕ってくれませんこと? お店では何か変わったことはありましたかしら?』 オートマトンの桔梗に家事と幼子を任せて、食卓に飾る花を買いに来たという。 夫の那由多と全く同じ用件だ。未来とスパシーバが、無言で立ち尽くしたのは致し方ない。 「もう買って帰ったから、今頃家じゃないかなぁ」 「あの人ったら……仕方ないですわね。折角きたのですし……未来、何か手伝わせてくれませんこと? 最近は子供を追いかけてばかりでしたから」 「じゃあコレ手伝って!」 未来が見せたのは招待状とブーケの依頼書だった。 「恵音が結婚ですか。それは素敵ですわね」 「うん。ねーねの好みは分かってるつもりだけど、私の好みの色や形になっちゃうから、助言してくれたらなーって。例えば、この様式だと暗すぎるかな、とか」 ローゼリアは暫く唸ってから「そうですわね。どちらかといえば明るい色が良いと思いますわ」と一言述べた。娘と一緒に話し合う。その間、スパシーバは暢気に黙々と水やりをしていた。 「そうだ。奥から写真集とってくるね。春だから新種の売り込みが多いの」 いったりきたりと忙しない。 「さて」 ローゼリアは踵を返した。若者の真後ろに立つ。 「珍しいですわね、スパシーバ。恵音の所へは納品しているとはお姉さまにきいておりましたけれど」 スパシーバは振り返る事のできない。 先ほどは未来の養父で、今度は養母。 なにせ未来は、ローゼリアの愛情を一心に受けて育った。ローゼリアこそが、よく笑いよく怒り表情がくるくる変わる……人に愛される『未来』という娘を慈しみ育てて創りあげたのだ。 「……の、納品がおわったんで、ブーケ依頼書を届けに」 スパシーバが絞り出すような声を発した。ローゼリアは「まぁそうでしたの」と朗らかな声を返すが、一切、微笑みの視線を背中から外さない。 ローゼリアは、ゆっくりと右手を伸ばして、若い背中に手を置いた。 「がんばりなさいな」 『この位にしておきましょうか。もはやバレバレなのですけど、未来からは直接相談もありませんし、問われない限り口出しはしませんわ。なんて』 直接言えない言葉を、心の中から投げておく。 花の写真集を腕に抱えて戻ってきた未来が「どうかした」と小首を傾げていた。 丁度その頃、行き違いがもう一名ほどいた。 「シーバのアホッ、好いた女んとこに手ぶらで行ってどないすんねんアホ」 仕立屋の玄関先で、両手で顔を覆って嘆いているのはスパシーバの育ての親ことニッツァ(ib6625)である。腕にはスパシーバの忘れ物を抱えていた。養子が育つ過程を見守ってきたニッツァは息子の相談に度々のってきた。 あれは一体何年前の事だったか。 最初の頃は体の病を疑い、その次には心がおかしいのではと自問自答し、一人で禿げるほど悩んだスパシーバに『血縁関係や戸籍関係がないから問題はない』という結論を提示しつつ、抱いているものが恋だと認識させるのに時間が掛かった。 『あれやな。便宜上、家族だ兄弟だねーちゃんだー、って言っちゃいるけどな。幼馴染みみたいなもんやで。別に悪いことやない』 問題は『義姉と義弟』の意識から、どう脱出するかなのだが。 涙ぐましい努力を続けるスパシーバは……仕事や商取引に関しては丁寧で真面目、慎重、完璧主義、そういった昔からの一面を持っていたが、恋愛となると捻子が一本抜けていた。 ニッツァが溜息を零す。 「折角出る前にアップルパイ焼いとったのに、慌てて出て行きよってからに……」 「ぶつぶつ良いながら届けるニッツァもニッツァだと思うニャ」 花屋を見つけた猫又のウェヌスが窓際に飛びのる。ニッツァは「ウェヌ、邪魔したらあかんで」と言いつつ店内を覗き込んだ。 数名の客。 接客する未来。手伝っているスパシーバ。そして古い馴染みの顔。 「シーバはニッツァに似て押しが弱いニャ」 「じゃかぁしぃわ。邪魔するのも悪いし、接客が落ち着くまで何処かで暇を潰して」 「そうはいきませんわよ」 急に窓が開け放たれた。 顔を出したのはローゼリアだ。 「丁度、話がしたいところでしたの。長くかかりませんから裏でお茶でもいかが」 「ええけど。なんなら店番に参加しよか? 金は天下の廻りもん、稼ぐんやったら……」 任せとけ、という言葉に「頼もしい」とローゼリアは言葉を返す。 「愛娘の為にも商売の手管を是非、といいたい所ですけれど……養父母として話がしたいのですわ。とくに未来とスパシーバの今後について」 ニッツァは「あー」と生返事を返しつつ頷くしかなかった。遠巻きに息子を眺め『シーバ、話してないって言ってたよな。完全にばれとるで』と心の声を投げた。 裏口から奥の台所へ通されたニッツァは、ローゼリアと小声で話し合った。二人の保護者として。 だが結局の所『まだ保留』という結論が弾き出される事になる。 「相談はされてるけど、こればっかりはな」 「まぁそうですわねぇ。うちの未来からはさっぱりですし、元々異性からの好意に鈍いといいますか……なんにせよ、基本的には当人同士の問題ですものね。気長に待ちますわ」 『さて、どうなりますやらね』 ローゼリアが溜息を零す。 一刻ほど経ってから客足が途切れた。 未来とスパシーバが現れて、目を丸くする。 「え、ニッツァ……?」 「ははは、シーバおつかれさん。けど、どこで油売ってるんのかと思って探したでー。俺めっちゃ仕事したし、疲れたし、シーバばっかずっこいわー。ちょうどええから持ってきたアップルパイと花茶「茉莉仙桃」で休憩しよやー?」 笑いながら暗に忘れ物を示す。 未来が「あっぷるぱいー!」と子供のように目を輝かせる後方で、スパシーバは『面目ない』と無言で両手をあわせた。 店頭に『休憩中』の札を出し、憩いの一時を堪能する。 お茶を飲みながらの話題は、最近の近況報告と恵音の結婚についてだ。 ニッツァが贈り物の話で首を捻る 「結婚式な……花籠でも作ったどないや? ブーケは依頼なんやろ? なら別に祝いの花を用意したらええやん。例えばシーバが籠編んで、恵音の好きな柄の生地敷いて、未来の選んだ花詰めて……形が残るもんやし、花が枯れたらまた未来が次の花、選んだったえぇ」 さりげなく共同作業を押すニッツァの手腕にローゼリアが拍手を贈る。 「よい案ですわね!」 「せやろ? 幸せは独り占めするもんやのーて、皆で分かち合うもんや」 『なーんて、こいつ等は皆、それをようわかっとるけどなぁ』 異論もなく贈り物が決まった。 早速、スパシーバが籠のデザインを黙々と紙に書き出す。 ふいにローゼリアが問う。 「恵音の件は喜ばしい事ですが、未来は気になってる人はいませんの」 恐るべき横槍にニッツァがアップルパイを喉に詰まらせ、スパシーバは鉛筆の芯を折った。 異様な空気が漂う中、未来は晴れやかな笑顔を浮かべる。 「そんなのいないよー!」 ズバシュッ、と誰かさんの心臓が血を吹いた。 ローゼリアは困った様に笑い、スパシーバは能面顔で心頭滅却中で、ニッツァは胸中で声援をおくった。 『シーバ、前向きに考えるんや、誰も相手がいないんやで!』 前途多難の恋路である。 夕方の仕事を終えた後、ローゼリアは夫と子供の待つ家へと帰った。 弟の店で食事をすると聞いたニッツァは一足早く店へ向かう事に決めつつ振り返り。 「あ、せや。シーバ。キャラバンやけど……まだ暫く居るし、長居するんやった俺一緒に残ってもえぇし、気にせんでえぇで」 気を利かせる養父の言葉に「ありがとう」と返す。 ニッツァの足下にいた猫又のウェヌスが「ニッツァがキャラバンを恋しがる前に帰ってやってほしいニャ」と一言添えた。 花屋から遠ざかるニッツァはくつくつと笑った。 「いつまで姉弟で居るんやろなー、ウェヌー?」 「シーバにそんな度胸無いニャ。男なら今夜の食事代くらい払うべきにゃ、にゃぁは魚位取ってこれるニャ」 「せやなぁ。未来が姉ちゃんやて言うんやったら、シーバは男やから俺払う位言うて欲しいとこやな。今夜の晩飯は、面白いもんがみれそうや」 一方、家で那由多の愚痴を聞いたローゼリアは困った様に笑う。 「未来については教える事は教え、伝えてきたつもりですの。ですから気にならない訳ではありませんが、心配しておりませんわ。だって私と那由多の娘なのですから。……あまり未来の事ばかりだと拗ねてしまいますわよ」 幼い娘をあやすローゼリアは優美に微笑んだ。 閉店間際に現れた客人は懐かしい美女だった。 「もしかして未来ちゃん? やっぱり! 覚えてない? 月虹を見に行った時にあたいも一緒にいたんだけど」 未来の眼差しが人妖小鈴に注がれた。 「アメジストのネックレスのお姉さん?」 シルフィリア・オーク(ib0350)は「覚えててくれたんだ」と顔を綻ばせる。 かつてオークから譲り受けたエプロンドレスや帽子ソフィーの類は草臥れてしまったけれど、輝石の首飾りは今も未来の手元にある。 「すっかり素敵な女性に成長しちゃってたから、お姉さんびっくりしたよ」 「お姉さんは相変わらず綺麗で美人ね」 「お世辞が上手だね。でも嬉しいよ」 『あれ以降、中々機会も無くて……オシャレの相談に乗ってあげれてなかったよね』 オークは古い口約束を思い出した。 「ここで巡り会えたのも何かの縁だし、あの頃には出来なかった大人びたオシャレなんかも色々と教えて上げたいもんだね。未来ちゃん、ここで雇われてるの? あたいとお休みにお出かけしない?」 「此処あたしのお店なの。お休みは定休日だけ」 「大したもんだね。これだけ器量良しさんだと、言い寄って来る人も少なくないんじゃない? 相手は見極めなさいよ」 ウインクしつつ、立ちつくすスパシーバを一瞥する。 女の野生の感、恐るべしである。 「そんな人いないよ〜」 笑う未来は日程表を見た。 「今度の休みでよければ、お姉さんにお礼したいな。だって貰いっぱなしだもん」 「いいんだよ、そんなの。あたいが贈りたかったんだからさ。じゃあ今度出かける時までに化粧水とか色々用意しておくよ。その時は、洋服のコーディネイトも……あ、仕事の後の夕飯は一緒にどうだい」 暇を持て余していたオークも到真の店へ同行する事になった。 まるでスパシーバから守るように未来を抱えているオークをみて、店にいたニッツァがスパシーバの肩を叩き、ある者は物陰で笑いだし、話のネタになったのは言うまでもない。 |