開拓者ギルドを去った日
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 4人
リプレイ完成日時: 2015/04/06 21:27



■オープニング本文

 開拓者は、神楽の都の開拓者ギルドで仕事を引き受ける。
 掲示された依頼を見比べ、これと決めた仕事を引き受けて現場に赴き、問題を解決して帰ってくるのが通例だ。隣人問題や些細な悩みの相談、凶悪なアヤカシ退治など仕事の幅はかなり豊富なものと言え、報酬もピンきり。時には無報酬の仕事も引き受ける事がある。自らの矜持の為と言えよう。
 そうして。

 一体何度、戦いに明け暮れてきた事だろうか。

 ギルドで調べれば『自分がどの程度仕事をこなしてきたか』を報告書から調べることができる。かつては幾度も報告書を見直し、地域について調べる事すらあった生活も、何年も過ぎる内に変わっていくものだ。
 数えることをやめるくらい開拓者業に身を捧げてきた者は多い。
 過酷な仕事だ。
 開拓者業は命の危険に晒される事が常である。
 だからこそ大切な者ができたり、愛する者との未来を考えると……自然と節目を意識するようになる。
 生涯現役を貫く者もいれば、引退する者も現れるというものだ。
 
 大勢を助け。
 大勢を失い。
 沢山の友人に恵まれた。
 それでも……彼らは新たな道を選んでいく。

「この仕事で、最期にしよう」

 +++

「はい。報告書、確かに受け取りました」

 ギルドの受付が微笑む。
 アヤカシ退治の結果を受け取り、報酬を渡した。
 いつもならば開拓者はこのまま帰るのだが、今日はそうではなかった。
 何枚もの書類を書いて提出していく。開拓者業を長期休業……或いは引退する為の書類だ。

「長い間、お世話になりました」
「はい、こちらこそありがとうございました。寂しくなります。本当に」
「そう言って頂けるのは光栄です」
「いつでも戻ってきてくださいね」
「さあどうでしょう。でも、そうですね、いつか」

 もう会わないかもしれない。
 でも絶対という保証はない。

 ……いつか。
 ……どこかで。

 願いを込めて握手をした。
 見慣れたギルドの中を見渡してから正門をくぐっていく。

 最初に開拓者ギルドの門を叩いたのは、いつだったろうか。
 初めての旅立ちを思い出す。

「どうか元気で」


 さあ、どこへいこうか。


■参加者一覧
葛切 カズラ(ia0725
26歳・女・陰
叢雲・暁(ia5363
16歳・女・シ
九条・亮(ib3142
16歳・女・泰
マルカ・アルフォレスタ(ib4596
15歳・女・騎
ハティ(ib5270
24歳・女・吟
音羽屋 烏水(ib9423
16歳・男・吟


■リプレイ本文

●三年後の約束

 古い宿屋の廊下を歩く。
 飴色に輝く柾目板を踏みしめて、きしりきしりと撓る音を聞いて回った。
 随分と長いこと居候した部屋はすっかり何もなくなり、必要に応じて弾き語りの為に駆り出された大広間は次の団体客を迎える準備をしていた。厳しい横顔で新米の仲居を指導する女将を見つけて笑いかけ、古い馴染みも含めて「世話になった」と声をかけて回る。
 今夜、音羽屋 烏水(ib9423)は……この宿を巣立つ。
『あっという間だった気もする。元々三味線で身を立てると家出したが……開拓者としての経験は、ただ三味線弾きを目指すだけでは得られぬものばかりじゃった』
 開拓者としての資格や籍もこれにてしまい。
 音羽屋は譜面や手入れ道具を積み込んだ相棒を見に行った。
 ものすごいもふら改めいろは丸は、音羽屋の姿を見つけると「やっときたもふ〜! 烏水殿。待たせすぎもふ」と文句を連ね始める。
「そうは言っても女将達に挨拶を……」
「ともかく行きたい場所があるもふ!」
 音羽屋は丸い瞳をぱちくりさせて「行きたい場所?」と首を傾げたが、いろは丸は「七塚の甘味処もふ。つれていくもふ」と迫った。
 明日から長旅になる。この宿の界隈は勿論、神楽の都そのものへ来る事は……無いかもしれない。そうでなくとも小さな店の流行り廃れは早いものだ。仕方がない、とぼやく音羽屋は宿の者に旅の荷物を預かってもらい、いろは丸の我が儘を叶える事に決めた。
「邪魔するぞ。いつものを二皿。それから弾いてもよいじゃろうか」
 長いこと通って顔見知りになった店の店主に頼み込み、通り沿いの席で三味線を奏でさせて貰う。べん、べん、べん、と撥の奏でる音を聞きながら、和やかな時間を過ごした。
「そういえばな、いろは丸」
「もふ〜?」
「実は、本格的に諸国を回る前に……か、かがせ……に会いに行く事を考えているんじゃ」
 音羽屋の顔が朱に染まる。もっちゃもっちゃとすあまを囓るいろは丸は、淡々と紡がれる独り言を聞いた後に「いいものがあるもふ」と言って頭の仮面をつついた。
「互いが長く身に着けていた品を交換し合えば、三年の間も寂しくないもふよ」
 その身は遠くとも、心は傍に。
 暫く呆けていた音羽屋は「そ、そうか!」と言って笑顔を浮かべた。
『三年後に天儀一とはいかずとも『天儀に音羽屋あり』と謳われるほどに腕を磨き、迎えに行く』
 それは石鏡の妹王香香背と交わした誓いと約束。
 甘味屋で決意を固めた音羽屋は、宿に戻って出立の準備をしながら、石鏡で行われる王の結納と花見に顔を出して、想い人にあうことを決めた。
「今度は修行の旅にて、三味線弾きとしての経験活かすのみじゃなっ!」
 そして。
 いつか必ず、あなたを迎えに。
 音羽屋といろは丸は旅立った。愛しい君が守り、青く澄んだ精霊の棲まう国を目指して。



●奏でる音は君と二人で

 開拓者の資格と名簿を凍結し、住んでいた家から少ない家財を引き払い。
 そうして身支度を整えたハティ(ib5270)が最期にした事は、手紙の投函だった。飛脚に手紙を託したハティが還ったのは孤児院『輝石の家』に他ならない。仲間の努力と善意と資材を投じて譲り受けた屋敷は、現在ハティともう一人の所有になっている。毎日、買い出しだの掃除だのと兎にも角にも忙しい日々であきない。
「にしても……かつては追われ、開拓者の身分保障で充分だった私が、一つの所に落ち着く事になるとは、縁とは不思議なものだな」
 穏やかな日々。
 過去と比較すると眠くなるほど平和だ。今やアヤカシの被害ではなく四季の催しについて悩んでいる。その日もハティは孤児の一人を連れて買い物に出ていた。忍犬リアンお気に入りの餌皿を森の館に置き忘れていた事もあり、あれこれ用事を済ます頃には、青かったはずの空が夕日の紅に燃えていた。
「綺麗」
「違いないな。花見の時期もそろそろだな。華凛は桜は好きか?」
 孤児院の正面には桜並木がある。花が満開になれば皆で花見の宴となろう。そんな計画を口ずさむ二人に「久しぶりだな」という声が投げかけられた。門前に立つすらりとした人影が見える。
「あんたが院長とはね。サマになってる」
「フォルカ……いや、それは一体どうした」
 みれば腕に猫を抱えていた。遠慮なく噛みつかれて爪を立てられている。ついでに両手のみならず顔にも引っ掻き傷があった。フォルカは「怪我をしていたので拾った」という。
「ふむ……抉られてるな。鴉にでも啄まれたか。手当をしなければ。猫も君もだ。華凛、薬箱はどこだったか」
 フォルカと野良猫を招き入れたハティが声をなげると、傍らの少女は薬箱をとりに向かった。懐かしむ前に、先ずは手当だ。消毒して薬を塗り、包帯で覆ったところで肩の力を抜いた。
「手紙で顔が見たい、とは言ったが、久し振りでまさかこんな有り様とは」
 くすくす笑いながら茶を注ぐ。最近の近況を報告し合った後、ハティは戦友に「約束が反故になってすまない」と静かに告げた。子供達が誘拐された事件後、ハティはフォルカに演奏旅行を提案していた。けれど機会を窺う内に時が経ち、ハティは今や経営者だ。
 フォルカは肩を竦めた。
「……ま、演奏は何処でも出来るさ」
「そうだな。いつでも、どこでも」
『私達は音楽家だから』
「その猫、面倒見てやってくれないか」
 ハティは「構わないが」と言いつつ、爪を切った猫を『飼わないのか?』と言わんばかりに差し出そうとしたが、ぶるぶる震える猫を見て考えを改めた。
『……狼とは相性が悪いのだろうか』
 身構える猫を凝視する。
「……先ずは家族と相談しよう」
 ひとまず猫を華凛に託す。ここの子供達は猫の扱いに長けている。一刻が経つ頃には、すっかり子供達は新しい猫と戯れていた。答えは聞かなくても分かると言えよう。
「折角、来たんだし、一曲どうだろう」
「いいな」
 フォルカはヴァイオリンを手に取り、ハティは自室から笛を持ち出した。
 重なりあう繊細な調べは、友の新しい人生と、子供達の健やかな成長に捧げられていく。
「また来るさ」
「楽しみにしている」
 新たなる歩みの果てに幸多かれ。



●瞼の奥に焼きつく日々を

 毎日歩いた石畳の道。休みに出かけた甘味処。
 意外と思い出はよみがえるものだと、叢雲・暁(ia5363)は気づいた。
 里の実家に戻って忍犬の育成や後進の指導につくと決まってから、慌ただしい毎日が始まった。長く暮らした家を引き払い、仲間達に挨拶をし、勿論のこと開拓者ギルドへの手続きもある。やっと落ち着いた頃になって「都内観光しよう」という発想に行き着いた。
「改めて歩き回ってみると、色々あったね〜」
 叢雲は神社の露店で買った稲荷寿司を囓りながら、桜の咲き誇る町並みを見下ろした。
 隣に座った闘鬼犬のハスキー君も「拙者も同感でござる」と呟く。
『思い出せば……ご主人と出会い、共に駆け抜けて幾星霜……様々な事があり、子宝にも恵まれ、満足のいく生活であった。もう全盛期のような動きはできないが……それでも伝えられる物はある』
 先日、孫の子犬が生まれた。
 かの子犬も、いずれ逞しく成長し、主を見つけ、やがて人の言葉を解するようになるのかもしれない。過去の日々を懐かしむと同時に、未だ見ぬ未来が待ち遠しいと思える。
『これからの生活も楽しみだ』
 ご主人はどうだろう、と闘鬼犬が傍らを見上げると……澄んだ瞳が薄紅の都を愛でている。長く暮らした、苦悩もあった、それでも地を踏みしめて歩いてきた。
「長く暮らした都ともしばらくはお別れだね〜」
 いつかまた来れるだろうか。
 花が咲き誇る、麗しの都へ。
 弁殻色の立派な鳥居の果てに続く石畳の道。神社仏閣に続く大通り沿いに栄える古い町並みと人の影。数多くの仕事をこなした街を眼下に見下ろすと、まざまざと思い出される風景がある。開拓者に成り立ての頃とは少し違う景色だ。季節が移ろうように、人の流れも変わっていく。建物も慣れ親しんだ道も、十年が経てば変わるだろう。
 さればこそ、みていて飽きない。
「夕飯はどこで食べようかな」
 こういう時、馴染みの味が数多くあると行き先に迷う。
 叢雲の呟きを拾った闘鬼犬は「拙者は串焼きが食べたいでござる」とちゃっかり希望を告げた。
「串焼き、肉……いいかも。じゃあぼたんとか」
「串焼きは猪肉より牛肉が良いでござる」
 肉のこだわりは譲れない。叢雲は笑って艶やかな毛並みを撫でた。最期のいなり寿司を口に放り込むと、ゴミを仕舞って立ち上がる。食べるものが決まれば行動は早い。
「少し遠いけど、脂ののった牛肉と言えばあそこかな〜……競争だね」
 叢雲達は石畳の道を下り始めた。
 食べ納めを楽しむ為に。



●思い出の品

 長屋の中で九条・亮(ib3142)は途方に暮れていた。
 元々覚悟していた事とは言えども、この惨状は心折れる。いや、本気で心が折れてはお話にならないので、どうにかせねばならないが……正直、いやかなり作業に終わりが見えない。うっかり死んだ魚の眼差しになってしまっても、誰もが納得するに違いない。
「いや〜、ないわぁ〜とか言ってらんないでござる、うん」
 膨れた腹を庇いながら雪崩落ちてきた宝珠武器を分別する。
 早く来い、義妹。
 心の中で亮は救援を乞うた。
 堅気仕事の人間と付き合い、深い仲になる。となれば自然と結果はついて回る。よって開拓者業を休業して相手の家に移るのも至極当然の流れというものだろう。亮は相手に覚悟を決めさせた。よって体調不良に悩まされながら各種手続きをすませ、ようやく長屋を引き払う段階にきたものの……押入には山ほど道具が詰まっていた。
 万商屋で買ったもの、使い道がなかった別職の道具、緊急時の資産にしようとした貴重品、合戦の記念品、仲間や仕事先でもらった思い出の品。
「持ち出すのは兎も角、仕分けはやんなきゃだめか」
 投げ出したい。
『あ〜〜、心機一転がんばってこ〜〜』
「姉さーん、いるー?」
 その時、救世主の声がした。九条・奔だ。扉を開けた瞬間、屋内の悲惨な状況を確認して頬をひきつらせている。しかし暫く立ちつくした後に「荷車持ってきて正解でした」と呟いた。玄関の向こうにスタンバイされた大きな荷車は、この惨状を理解しての備えに違いない。
「やっと来……あれ?」
 ふらぁ、と目の前が暗くなった亮が畳の上に膝をつく。
「姉さん!?」
「あ、ちょっと動きすぎた……かも」
「そっち座っててください! こっちでやります。新居では旦那さん……は留守だけど家人の方が待っていますので、はりきっていきましょ〜〜!」
 なんと頼もしい背中だろう。
 奔が驚くような素早さで荷車へ家財を積んでいく中、亮は手元を見た。使い込まれた神布「武林」は、戦場に置いて常に傍らにあったものだ。
『これからは使わなくなる……かな?』
 開拓者ギルドに休業届けを出した時、理由には『出産と育児のため』と記載した。ギルドの受付は『おめでたですかぁ。おめでとうございます』と喜び、うっかり引退手続きを始めたものだから、大慌てした事を思い出す。
『休業! 休業だから! 引退って訳じゃないからね!』
 育児は大変だときいた。もしかすると思うよりも長い休業になるかもしれない。それでも神布は手放せないし、思い出にはできない。いつかまた共に歩む旅路を祈りながら、亮は長年、己を支えてくれた相棒を懐にしまった。
 いつかまた、未来であいましょ。



●花町沿いの変わらぬ夜

 かつて遊郭であった訳有り物件は花街沿いにひっそりと息づいていた。
「歳を取るっていうのは、こういう事なのかしらね〜」
 かつては客間の一室だった二階部屋から夜の町並みを見下ろす葛切 カズラ(ia0725)は独り言を呟いた。開拓者としての籍を凍結し、引退した。付随する荷を片づけた時に『意外とすっきりするものね〜』というのが最初の感想で、やがて少しの物寂しさを覚えた。
 驚くほど当たり前のように毎日が過ぎていく。
 馴染みの隠居が私塾を開いたと聞いて手伝い、開拓者時代の腕を買われて近場の店のトラブルを仲介したり、稀に紹介されたお客の夜を彩ることは有る。けれどそれらは開拓者時代とさして変わらず、精々……ギルドの依頼を受けなくなった程度の違いしかなかった。
「一通りの技術習得もしたし、研鑽に区切もついた。世間的にも大事が減って……日々の刺激で満足できてしまってる以上、これが引退時だったって事なんでしょうね〜」
 ふー、と深い息を吐く。
「何を黄昏てるんですか、姉さん」
 急にかけられた第三者の声は、同居している葛切サクラのものだった。
 隣に浮いているのは羽妖精ユーノで食事の膳を持っている。家事全般を担う羽妖精と妹に「色々浸ってみたのよ」と気軽な返事を返した。のんびりだらだらと日々を過ごす。
「それはそうとサクラ、今月の家賃もらってないけど」
 ぎくり、と肩を奮わせる。家賃がわりに手籠めにされるのは毎度のことだ。
「姉さん、それはそうとですね」
「話そらしたわね」
「初雪ちゃん、まだ帰ってこないんですけど、私塾のお手伝いが長引いてるんでしょうか」
 カズラは「ああ、ハッちゃん?」と天妖の事を思い出す。
「仕事が長引いてるというか一種の家出かしら」
「はい?」
「昨夜、ギャンギャン騒いでたから。明日には戻るんじゃない?」
『カズラ!? 紳士ならオッケーってどういうことだよ〜!? アレ絶っっっ対に紳士じゃないよ!? 仮に紳士だとしても変態という名の紳士の方だよ!?」
 今まで上手く客をあしらってきた天妖の静かなる反抗は、ぷち家出に繋がった。どうせ落ち着けば戻ってくるわ、と言い放つカズラが、じりじりとサクラに近づいて組み伏せた。
「ふぁ!?」
「サクラ〜、や、ち、ん。あ、ユーちゃん、今夜のお客さんは任せたから」
 羽妖精は「はーい」と言って襖を閉めた。
 軽やかに見捨てられたサクラの声が廊下の果てに消えていく。



●新たな決意と思い出の湖

 開拓者ギルドで引退手続きを済ませたマルカ・アルフォレスタ(ib4596)は、郊外にある別宅へ向かった。此処には屋敷を預かる執事のトビアス・フロスマンが滞在している。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、じいや。これが手続き書類の控えです。保存して置いてくださいな」
 トビアスは外套と一緒に手渡された書類を一瞥すると「本当に引退で宜しいのですかな」と問いかけた。開拓者身分が有れば都合のいい事も数多い。それらの権利一切を捨てた。
「はい。今からわたくしが目指す先は、中途半端な気持ちでは辿りつけませんから」
 去る某日。マルカは両親の仇を討った。
 復讐を成し遂げた後に待っていたのは空虚な日々だ。随分と悩んだ後に見つけた新しい目標は……遙かに高い学識を身につけ、帝国臣民の役に立つ事だった。本腰で様々な知識を体得するには、開拓者の籍は不要。マルカはそういう結論を導き出した。
「じいやは……反対ですか?」
「いえ。おひい様が如何な道を歩まれましょうとも、私は執事としてお支え致しますぞ」
「ありがとう。これからも宜しくお願いしますね」
「畏まりました」
 マルカは庭へ歩いていく。アーマー黒姫を見上げて手を振れると「今までありがとう」と囁いてから解体を始めた。騎士になったばかりの頃は手間取った組み立てと解体も、今ではなれたものである。黒姫をアーマーケースに収納し、甲龍ヘカトンケイルの様子を見に行った。のんびりと昼寝を楽しむ相棒の寝顔はあどけない。
『黒姫とヘカトンケイルは元々我が家の所有物……でも』
 あの子は違う。
 マルカは屋敷の中に戻った。居間をふよふよと漂う鬼火玉の戒焔は、マルカの眼差しに気づいて「きゅー?」と声を発した。マルカは「湖を散策しませんか」と声をかけると、鬼火玉は傍らに寄り添う。ふわふわした手触りを確かめ、マルカは執事に声を投げた。
「じいや。少し裏庭を歩いて参りますわ」
「さようですか。ではこちらをどうぞ。お弁当です」
 なんと手際の良い執事だろう。マルカは感謝を告げて庭へ出た。さくさくと踏みしめる憩いの庭の果てにあるのは小さな湖である。なんの変哲もない湖ではあるが……マルカにとっては、戒焔と出会った大切な場所だ。だからこそケジメはつけなくてはならない。
『黒姫達と違い、戒焔はこちらの子。この子が望むなら別れも仕方ないかもしれません』
「きゅぅ?」
「戒焔、わたくしはもう此処へは戻ってこないかもしれません。貴方は、わたくしと一緒にジルべリアへ来てくれますか?」
 ざぁ、と春風が頬を撫でた。傍の桜が散り、マルカ達に降りそそぐ。
 暫くの後、戒焔はマルカに体を擦り寄せた。
「……来て、くれるのですね!」
 丸い瞳から涙が溢れた。柔らかい体を抱きしめる。
 遠巻きにトビアスが様子を見守る。やがて執事の耳には澄んだ笛の音色が聞こえてきた。
 あぁ、春ですなぁ……、と呟かれた低い声は桜の花と共に風の中へ溶けていく。