【未来】20年後【玄武】2
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/04/15 23:19



■オープニング本文

【このシナリオは陰陽寮「玄武」所属者向きの【未来】シナリオとなっています。20年後の暮らしを描く内容となりますので、解説を確認の上ご参加下さい。】


 少し歴史を遡ってみよう。


 五行国の首都「結陣」……ここに陰陽寮はある。
 陰陽四寮は国営の教育施設である。陰陽四寮出身の陰陽師で名を馳せた者はかなり多い。
 かの五行王の架茂 天禅(iz0021)も陰陽四寮の出身である。
 一方で厳しい規律と入寮試験、高額な学費などから、通える者は限られていた。
 寮は四つ。

 火行を司る、四神が朱雀を奉る寮。朱雀寮。
 水行を司る、四神が玄武を奉る寮。玄武寮。
 金行を司る、四神が白虎を奉る寮。白虎寮。
 木行を司る、四神が青龍を奉る寮。青龍寮。

 このうち【玄武寮】は少しばかり特殊な背景事情を背負っていた。

 天儀歴1011年5月31日まで改装が続いていた玄武寮は、同年6月01日に再稼働を宣言された後、稼働時の王命である『魔の森の阻止、或いは中級以上のアヤカシに対する有効な手段の具体的発見』を使命として封陣院関係者の間接的指導を受けながら、少人数制の徹底教育が基本方針となり始動されることになった。
 入寮時の『玄武寮生は原則として魔の森、或いは、アヤカシに関する何らかの研究を行い、またその成果を確実に上げること』という過酷な義務を背負わされた再稼働後の第一期生が、天儀歴1014年夏に卒業を果たしている。
 これら卒業生各自が優秀な研究成果を残すと共に、知望院及び封陣院への就職も多く『玄武寮の卒業生』というブランドに錦を飾る事になったのは当然の成り行きと言えよう。

 以上の成果が寮の運用方向性を運命づける事となった。

 以後天儀歴1015年から1019年あまりの五年間は、厳しい入寮試験・学業生活・研究開発・卒業試験が維持され、奨学金制度を導入しながら優秀な研究者の徹底育成と国家直轄の研究機関強化が行われた。
 再稼働から十年が経過する天儀歴1021年頃には、卒業後の進路に民間企業や地方分室が就職先の割合を逆転し、就職先を求めて地方へ流れる卒業生が増加していった。
『高位研究者の育成ならば玄武寮へ』
 という謳い文句すら生まれたブランド意識が少しずつ変わり始める切っ掛けであったに違いない。
 やがて転機は訪れる。
 天儀歴1029年頃に、有能な研究者を輩出する為とはいえ、少人数制の庇護を優先して経営赤字の凄まじい玄武寮が国家予算の厄介者になったのは至極当然の成り行きと言えよう。
 大臣他から予算削減の声が高まり、玄武寮を存続させていく為に研究費の予算削減が起こり、かつて再稼働当時の時に定められた厳しい実力主義精神がここで撤廃される事となった。
 広く門戸が開かれて年齢を問わない夜間学校も一時導入されるなど画期的なカリキュラムも取り入れられた……が、手広くやりすぎたことで教育の質が疑われることになったのも、やむを得ない事だったのかも知れない。優秀な研究者を輩出する玄武寮という暗黙のブランドが一時失われる事となった。
 そして……時は天儀歴1031年。
 二十年目の節目の年に名ばかりになった玄武寮のテコ入れが決定。

 再開後の第一期生が、優秀な講師として玄武寮に戻り始める事になる。

 +++

 薄暗い部屋に光が射し込んだ。
「ようこそ。お懐かしい」
「あなたが私の後任になっていたとは存じませんでした」
「はい。後任の後任ですが……かの玄武寮をこんなに廃れさせてしまったのは、私の不手際でもありますので……お恥ずかしい限りです。東雲さま」
 色褪せた黒髪を結い上げた蘆屋 東雲(iz0218)は、皺の増えた手で古びた机を撫でた。
「座られますか?」
 たおやかな物腰の青年が立ち上がって椅子を示す。
 小皺の増えた目元を細めて、東雲は微笑みながら「いいえ」と囁いた。
「私はもう引退した身ですから。そんな気遣いは不要ですよ。それより……副寮長の姿が見えませんね?」
 きょろり、と周囲に視線を走らせる。
 現在の玄武寮の寮長は「厨房だと思いますよ」と告げた。
「彼は料理が得意ですから」
「そうでしたね」
「今後の為に懐かしい顔ぶれをもてなす訳ですからね。身が引き締まると行っていました」
 話の途中で、ひとりの女人が寮長室に現れた。
「ソラ。客人が……、と失礼した」
「まぁ」
 東雲が嬉しそうに歩み寄る。
「久しいですね。元気でしたか、イサナさん」
 炎を操る等身大の人妖イサナの元主は、かつて封陣院の東分室長であった狩野 柚子平(iz0216)だった。しかし現在の主は、玄武寮の寮長であるソラに他ならない。イサナはソラの所有物であるが、その実態は母親のようなものだった。
 親に代わって養育し、知識を与え、術を教えた。
 長く母子のような日々を過ごし、仲の良い姉弟のようで、また恋人のようでさえあった。
「東雲殿も息災でなによりだ」
「しぶといもので」
「イサナ、僕に用事があったのでは?」
 ソラがやんわりと声をかけると「そうだった」と苦笑い一つ。
「講師の者達が到着した。食堂に案内したが、ここの現状を語るには寮長の方が相応しいと灯心が」
「ええー? 僕より、彼の方が言葉選びも話も賢いんだけど……律儀だなぁ」
 イサナとソラの会話を聞いて東雲が笑う。
「仲が良いのですね」
「実務面では特に支えてもらってます。正直、知識も技術も彼の方が寮長に相応しいのですが、頑として譲ってくれないんですよ。政府に縛られるのが嫌なんだそうです。合わない、と。希有なアヤカシの話を聞くと、すぐに出かけてしまったりする自由人な所もありますので、分からなくもないんですが……」
 三人は廊下へ出た。食堂に向かって歩きながら日々の話を連ねる。
 東雲はころころと笑った。

「なんだか、昔の私と狩野さんを思い出しますね」

 あれから20年が経ったなんて信じられない。
 そう囁いた。


■参加者一覧
露草(ia1350
17歳・女・陰
御樹青嵐(ia1669
23歳・男・陰
ゼタル・マグスレード(ia9253
26歳・男・陰
緋那岐(ib5664
17歳・男・陰
十河 緋雨(ib6688
24歳・女・陰
リオーレ・アズィーズ(ib7038
22歳・女・陰


■リプレイ本文


 正門を潜った緋那岐(ib5664)は、愛娘を人妖七海に託すと「目を離すなよー」と間延びした声を発した。相談話は長くなるに違いないのでお守り役をつけて放置を決め込む。遠ざかる子供の背中を眺めた後、緋那岐は寂れた建物を見上げた。
「いやー、ほんと久しぶりに来たな。母校が廃墟かお化け屋敷になったと聞いたけど……懐かしいな、ここが夢のはじまり、かもな」
 玄武寮を卒業してから、長いこと人妖の研究に勤しんだ。地道に研究を重ねて人妖師になりはしたものの、出世街道からは見事に外れた。というのも研究と二児の養育という面で多額の資金を確保する為、現在進行形で開拓業も兼任しているからだ。派遣陰陽師の身分にいると、どうしても出世からは引き離されてしまう。まあ地位より家族を取ったのだからやむを得ない。
 案内状を開く。懐かしの食堂に集うように記されていた。
「まずは食堂で飯を食うか。腹拵え大事。食堂のおばちゃん、どうしてるかねぇ……?」

 露草(ia1350)が食堂に入って最初に見つけたのは、料理を運ぶゼタル・マグスレード(ia9253)と御樹青嵐(ia1669)だ。招かれた側にも関わらず、台所に立つのは昔からの癖だろうか。
「ゼタルさん、青嵐さん、お久しぶりです!」
 晴れやかな声は興奮気味だ。
 何しろ露草は知望院の職員である。年末年始の宴の席だって 部署が違えばまるで違う。同じ学舎で競い合った仲間と揃って肩を並べるのは実に二十年ぶりと言えた。
「三羽鳥、再集結!」
 にこにこと上機嫌の露草はマグスレードを凝視して「お加減如何ですか」と問うた。
「うん? ああ、もしや正月の件かな。心配をかけてすまない、見ての通り全快した。次は上手くやるつもりだ」
 露草は「はぁ」と生返事を返す。遡ること昨年末、マグスレードは何度目か分からない魔の森の単騎サバイバルを実行した。元より出世街道に興味の無かったマグスレードは、研究や調査、実験ができる環境なら所属はどこでもいいらしく、寝食もまともにとらない生活を長年続けてきた。お陰で妻子と別居中だ。稼ぎはいいので養育費は毎月送金していると言うが、無理がたたって重度の瘴気感染により倒れたのが正月であった。
「新術の論文は仕事柄見てて驚かされますが、無理はなさらないでくださいね」
「次は気をつける」
「全くです。ゼタルさんもですが、露草さんの活躍ぶりもなかなかだと思いますね。お噂はかねがね伺っておりますよ。論文発表会でお話しされていた布符の防具など、幾つか審査中だそうじゃありませんか」
 部署は違えど最新の技術や論文、研究に関する耳は早いものだ。
 露草は知望院の職員ではあったが、趣味の縫い物から発生する利潤で、屋敷に小さな研究室を設けていた。いわば封陣院のまねごとである。大々的な施設を持つと問題になってしまうので、こぢんまりとした私的研究所に休日は引きこもり、仕事で得た知識を流用し、人妖や羽妖精向けの相棒防具の開発や試作を行ってきた。己の天妖衣通姫の衣類を改造して飾り立てる分には、開拓者時代の鍛冶屋強化と大してかわらない。
 時々安定した品質の商品を作っては、相棒武器の生産を生業とする処へ一時的な権利を売って、副収入を得ている。利便性が良ければ同業者の話題になり、一種の知る人ぞ知るブランドと化している。
「ええ、ちゃんと仕事の暇を見て防具の研究をしてますよ! 私のこの手で、天儀中の人妖はじめとした相棒を守って見せます! 本日の衣通姫ちゃんは実戦的モデルです!」
 この陰陽師、全くぶれない。
「皆様おそろいで」
 優美な所作で現れたリオーレ・アズィーズ(ib7038)は、同僚の露草の姿を見かけるとゆっくりと歩いてきた。腕に抱えた本の包みを「先日お探ししていた新しい文献です」と言って露草に渡す。
「ありがとうございますー! 衣装にかまけていて、予約を忘れてしまって」
「そうですか。こちらに予備があってよかったです。皆様、お元気そうで何よりです」
 にこにこ笑って男性達にも挨拶した。
「久しいな」
「お久しぶりです。それ、例の本ですね。まだ予備は御座いますか?」
「ごめんなさい。御樹分室長。予備はもう……ですが、うちの書庫にはありますから、読みに来てくださってもかまいませんよ。持ち出し厳禁ですから貸し出しはしてませんが」
「流石は書庫のヌシ。では近く伺います」
 アズィーズは都に幾つかある知望院分室の長である。開拓者を引退して五行国に戻った後、扶養家族二名を養う為に、地道に知望院へ務めた。主立った仕事と言えば、コツコツ文献研究や書籍管理、書誌編纂……欠伸が出るほど退屈な日々のはずだが、元々本に囲まれる生活を望んだアズィーズにとっては極楽でしかない。同期に比べて派手な研究発表はなかったが、家族とともに穏やかな生活を送っていた。
 続いて食堂に緋那岐が現れ、更に人は増えていく。
「懐かしい顔がお揃いですね〜」
 知望院職員である十河 緋雨(ib6688)が現れた。手に持った写真機とメモの束を見るに、相変わらず国内のゴシップ記事を集めた帰りなのだろう。知望院という性格上、国内各地で出版された資料や国外の資料を集める部署がある訳だが、十河はじっとしているのが性に合わないのか、休みも気にせず各地を飛び回っていて、同僚のアズィーズや露草ですら殆ど姿を見かけたことがなかった。

「皆さん、ようこそおいでくださいました」

 食堂に響き渡った声の主は、現在の玄武寮寮長であるソラのものだった。
 立派な青年に成長した姿を見て、わらわらと人が集まっていく。アズィーズも例外ではない。うっかり昔のように頭をなでなでしてしまってから我に返り、手を引っ込めた。
「ごめんなさい、つい。……ソラ様、お久しぶりですね。お元気そうで何よりです」
 緋那岐は成長ぶりに驚き『そうか、ソラが寮長か!』とうんうん頷いていた。


「えぇと……お忙しいなかでご足労頂き、感謝しております。申し訳ありません。まずは玄武寮の状況をご説明させて頂きたく……」
 席に座り直して、寮長のソラが頭をたれた。
 淡々と進む解説に、皆の目が死んでいく。
「……というような状況でして、是非に皆様のお力をお借りしたく」
 その時、玄武寮の事務員が歩いてきた。何か荷物が届いたらしい。玄武寮で使う物資の搬入業者であると説明され、必要な品の取り寄せ方を解説し、ソラは物資確認の為に席を外した。豪華な食事をはむ外部職員達は、暫く無言だった。

 アズィーズは頬に手を添えて溜息一つ。
「……ピンと来ないのですが、ソラ様や灯心さん、玄武寮の為ならばがんばりましょう」
『正直、私は好き勝手に本を読んで研究して論文を書いていただけなので……輝かしい時代、と言われても』
 マグスレードも「後進の為に人事を尽くすとしようか」と呟いた。目立った研究も片づいて暇を持てあましていた部分も大きい。
「で、具体的にどうしたものかな」
 途方に暮れた声を発した。
「数を募れば個々の質の差も当然出る。肝要なのは、当人の目的意識と向上心だと思うが……それを引き出す為のさじ加減や方法は、教師の責務か」
 露草が首を傾げる。
「そう言えば青嵐さん、前々から此処で講師を務めてらしたんですよね?」
 御樹は「ええ」と浅く頷いた。
「あくまで緊急の臨時講師でしたけどね。幸い、うちの分室は都の中ですから自宅から通えますし、後進の育成に当たる機会が多かったので今後の為に……しかし、なんといいますか。分室長権限を玄武寮に持ち込むわけにはいきませんのでね」
 玄武寮の衰退には胸を痛めていた。
 しかし出過ぎた真似をすれば、しわ寄せの責任は後輩であるソラや灯心に向かう。
 御樹は歯がゆさを覚えながらも、余計な口を挟まぬよう沈黙を保ってきた。
 けれど。
「今回は政府の召喚状による正規派遣という事で、遠慮は無用ですよね。微力ながら立て直しに力注いで参りましょう。なにより皆さんと協力しあえる事は大変に心強い」
 穏やかな眼差しと物静かな所作の向こうに、ごぉ、と燃える意欲を見た。学生共は覚悟しろ、と言わんばかりである。
『母校が堕落していく姿見るに堪えません』
「後ほど詳しく提案せねばなりませんね。綱紀を正し、だらけた雰囲気を一掃すべきです」
 何故か露草の双眸も燃えていた。
 驚くほどのやる気である。
『ふふふ……ご恩返しと参りましょうか!』
 気力の儚い者達に問う。
「基礎の復習ですか? それとも実戦でまず確かめますか?」
 暫く話した結果、在寮生に希望を聞いたり面談を先にする事になり、同じ思想の職員と共に問診票めいたものを作り始めた。
 それまで「ほ〜ほ〜」と呟いていた十河は「ま〜アレです。基本に返れ、って奴です」と独り言を投げた。
 緋那岐は「うーん。新入生に一体、人妖を預け教育して貰うってのも考えたんだけど」と言ったが、扱い方も分かっていない在寮生のたたき上げが先という結論になった。人妖師である緋那岐はまず『人妖とは何か』の講義から始めなければならなくなりそうだ。
「まー、基礎の叩き直しは外せませんよね〜」
 十河がバリン、と揚げ物を囓りながら、順を追って教育した後に、魔の森に放り込む懐かしの授業を提示した。文字通りのデッドオアアライブである。今考えても鬼の授業だ。
 鬼の指導を心に決めたはずの御樹が慌てる。
「最初からアヤカシの巣はいかがなものかと」
 良識派……というより、普段の寮生たちを知る者として、力量がまだ備わってない事を告げた。二十年以上前、御樹達ですら魔の森の授業は最終学年になってからだ。
「まずは寮生たちに、きっちりと具体的な目標を持たせ、それを達成できているかをハッキリと評価してやる必要があるかと思います。またそれに専念できる環境を作りましょう」
「そこからとは……難儀ですね〜、ま〜、母校が落ちぶれたから此方が召還されたわけで〜、ある意味で納得の惨状ですよ〜」
 盛り上がる作戦会議。
 議論を眺めたアズィーズは、台所の副寮長こと灯心をちらりと一瞥する。
『……懐かしの単語がちらほらと。思えば、玄武寮と言えば柚子平元副寮長の無茶振りでしたが……今の二人とも人格者ですし、彼らにあの真似は出来ないでしょうねぇ……」
「寮生に力量が備わってきたら、という辺りでしょうか」
 御樹が食堂の改装工事と献立の変更まで口にした所で、ソラ達が戻ってきた。
「もうお話が進んでいたとは……ありがとうございます」
「いえいえ。それが仕事ですし!」
 マグスレードは「なんにせよ、一筋縄ではいかない話だ」と呟くと台所に行って人数分の湯飲みを持ってきた。全員の背筋が泡立つ。分かる、この言い表せぬ青臭い匂いはアレしかない。当惑する者達に気づかないマグスレードは、湯飲みを並べた。
「これでも飲んで、気合いをいれてくれ! 最新作だ」
 ザ、青汁。
 学生時代の趣味は相変わらず続けていたらしく、誰一人身動きせぬ中、御樹だけが湯飲みを受け取った。眩しい笑顔で友を見上げる。
「ゼタルさんのご厚意、無駄にする訳には参りませんね。今後に乾杯します」
 お、男や!
 勇者がいた! 
 などとザワザワする者達を後目に、深緑のねっちょりとした液体を口に流し込んだ。
 全部流し込んだ。
 飲み干した。
 からーん、と空の湯飲みが倒れた。
 どう控えめに見ても、微笑んだ御樹の魂は天に召されていた。燃え尽きたぜ、真っ白にな……を体で示す分室長。
「青嵐さぁん!?」
 露草が襟首を掴んで必死に揺さぶり、マグスレードが首を傾げた。
「おかしいな……栄養価も高く調合して、活力が湧いてくる筈なのだが」
 味と臭気は規格外らしい。殺意すら湧くと噂の青汁は、本日も旧友を仕留めていた。


 招かれた講師達は相談せずとも飴と鞭に別れた。御樹はといえば、もはや遠慮はいらぬとばかりに鞭役になっていた。元々玄武寮の臨時講師だった御樹は、物静かで必要以上を喋らない教官……という評価が定着していたが、穏便な猫を脱ぎ捨てた男は遠慮がない。
「今までは黙っていましたが、今日からはそうは参りません。だらけきったその精神、根底から強制して差し上げましょう!」
 在寮生から暫く『この人ダレ』って眼差しで見られたのはやむを得ない。

 緋那岐やマグスレードは講師の中では比較的、平凡だった。
 とくにマグスレードは絵に描いたような教え方だ。
 頻繁に寮長やイサナ達と意志疎通を図り、まるで教本に載るような教え方で『正しく講師』を地でいく理想的な男だったが、やはり玄武寮出身者だから……というかなんというか、一本どこか捻子が外れている事を、寮生達は後々になってから理解した。
 定期的に行われる面談を元に、個人の知識量や技術量に合わせて丁寧な教え方をするマグスレードは、理想的な学習方法を打ち出そうと奮闘した。基礎学習が済んだ者には実技を教え、チームワークの大切さも学ばせる。一対一の親密さ。そんな学生思いぶり故に、やはり癖のある学生からはなめられた。
 悪態をつかれるのではなく、仮病や自主休講という奴である。
 そうした時に、どんなに仕事が山積みでも、マグスレードは親身になって寮生の家を尋ねた。親身すぎた。それは悪名高きパワフル飲料こと『ザ・青汁』を持参する程度には。
「風邪だそうだな」
「あ、はい、少し……ごほごほごほ」
「心配するな、二十余年の試行錯誤を重ねた特効薬を持ってきたぞ!」
 むわぁぁん、と恐るべき異臭を放つ緑色の液体を差し出し、輝く笑顔で彼は笑う。
「何、俺も無理が祟って稀に体を壊すんだが、これを飲めば食事も不要だ!」
 食べ物入らずのドーピング薬。
 それはそれでどうなのか。
 兎も角、マグスレードは善意の青汁を毎日持ってきては寮生を激励した。しかも飲み干すまで帰らなかった。やがて『青汁を回避するには授業に出るしかない』という謎の使命感を在寮生達の心へ生み出すに至り、マグスレードはマグスレードで「やはり効くな!」と青汁効果にご満悦だった。
 何事も知らぬが花である。

 インドア派のひきこもり性質な寮生を迎えるのはアズィーズに他ならない。
 最初はおかんの如き包容力で「がんばりましたね」と出迎えた聖母だったが、疲れていようが容赦はなかった。術式の説明、文献調査の手法、論文の書き方……諸々を緩みきった寮生の頭に叩き込んでいく。怠慢は許さない。居眠りしようものなら隣に座って微笑み。
「分からなくなると睡魔が来るんですよね。わかります。さあ続きをしましょう」
 隣の監視は結構くるものがある。
「先生、あの、よくわからないっていうか」
「わかるまで教えますから大丈夫。そういえば興味の分野はなんでしたっけ。学業など、自分の興味がある事をやって行けば、自ずと深まるものですよ。さあ項を捲って」

 がっつりお勉強を積まれた生徒達の悲愴な顔は他に類をみない。そういう時に面白おかしい話……に脅威の専門知識を織り交ぜて寮生メンタルの改善を計らうのが露草だ。
「座学が退屈なのは致し方ありません。しかしそれも今だけです! 術を次々に体得すれば、陰陽師ならではの楽しみもあるというものです。結晶術は勿論ですが、模擬訓練、そして玄武名物塗壁乱立合戦など楽しい催しもできるようになりますよ! ふふふ、私も学生の折りには、イベント時に同級生と塗壁をたてまくったものでした……」
 暇を持てあました陰陽師の遊びを滾々と語る。
 時々同僚巻き込んで実演したりもした。

 十河は各地を旅する事が多かった都合上、国内や国外に関する社会勉強を担う事が多かったが、やはり古巣の空気は体に染みこんでいるのだろう。連休になると「遊んでる場合じゃありませんよー」と寮生に強制召喚をかけ、晴れやかな笑顔で言い放った。
「さて。今日は玄武寮名物「実物提示教育」を行います! 我が五行国では研究のために魔の森を残してあります! 今から逝って……」
 不穏な一言を呑み込んで。
「行ってアヤカシを研究しましょう。だいじょーぶです、魔の森に単独で放り込むには未だ早いんで、比較的らくしょーなところにいきますよ。一人でいけとかいいませんから、怯えないでくださーい。サポート役は講師勢とイサナさんで安心です。私も言魂で監視しますし、まぁ倒すのは未だ無理でしょーから下級アヤカシの実物を拝みに行くって事で」
 研究所への定期便に乗りながら、きちんと解説はしていた。
「各国の様子を見てきましたけれど、魔の森は焼き払って浄化している国がほとんどですので、こうやって残っている国の方が珍しいんですよ。きちょーな機会を無駄にしないで下さいね〜」


 講師達の独自性に富んだ再教育は淡々と続く。
 貸し研究室や仮眠室、書庫を覗くと屍が累々とでも言うべき惨状だったが、全く気にせず寮生の成績別に班を組み直したり、カリキュラムの改善を討論したり、年間授業計画を弾き出すマグスレードや御樹達は、流石は叩き上げの世代というだけあって『まだまだ手緩いかもしれない』という言葉が出てくる感覚を持っていた。
 露草がぐーっと背筋を伸ばす。
「いやあ、来年はどこまで改善できるでしょう。は! そうだゼタルさん、今度共同研究などいかがでしょう? それから青嵐さん、実技授業見ましたよ、ますます腕を上げましたね!」
「いい案だ。今度相談しよう」
「お褒めの言葉どうも」
「あ、すいません。今夜は娘が帰ってくるので失礼しますね」
 常日頃、家族自慢をかかさないアズィーズが帰っていく。緋那岐もそうだ。思い出したように御樹も帰る。そして妻子と別居中の面々と独身を謳歌する研究者達は、仕事が恋人だった。
「あー、月が綺麗ですね」
 泣いてない。

 彼らの長い講師生活は、まだまだ始まったばかりである。