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■オープニング本文 【このシナリオは陰陽寮「玄武」所属者向きの【未来】シナリオとなっています。20年後の暮らしを描く内容となりますので、解説を確認の上でご参加下さい。】 少し歴史を遡ってみよう。 五行国の首都「結陣」……ここに陰陽寮はある。 陰陽四寮は国営の教育施設である。陰陽四寮出身の陰陽師で名を馳せた者はかなり多い。 かの五行王の架茂 天禅(iz0021)も陰陽四寮の出身である。 一方で厳しい規律と入寮試験、高額な学費などから、通える者は限られていた。 寮は四つ。 火行を司る、四神が朱雀を奉る寮。朱雀寮。 水行を司る、四神が玄武を奉る寮。玄武寮。 金行を司る、四神が白虎を奉る寮。白虎寮。 木行を司る、四神が青龍を奉る寮。青龍寮。 このうち【玄武寮】は少しばかり特殊な背景事情を背負っていた。 天儀歴1011年5月31日まで改装が続いていた玄武寮は、同年6月01日に再稼働を宣言された後、稼働時の王命である『魔の森の阻止、或いは中級以上のアヤカシに対する有効な手段の具体的発見』を使命として封陣院関係者の間接的指導を受けながら、少人数制の徹底教育が基本方針となり始動されることになった。 入寮時の『玄武寮生は原則として魔の森、或いは、アヤカシに関する何らかの研究を行い、またその成果を確実に上げること』という過酷な義務を背負わされた再稼働後の第一期生が、天儀歴1014年夏に卒業を果たしている。 これら卒業生各自が優秀な研究成果を残すと共に、知望院及び封陣院への就職も多く『玄武寮の卒業生』というブランドに錦を飾る事になったのは当然の成り行きと言えよう。 以上の成果が寮の運用方向性を運命づける事となった。 以後天儀歴1015年から1019年あまりの五年間は、厳しい入寮試験・学業生活・研究開発・卒業試験が維持され、奨学金制度を導入しながら優秀な研究者の徹底育成と国家直轄の研究機関強化が行われた。 再稼働から十年が経過する天儀歴1021年頃には、卒業後の進路に民間企業や地方分室が就職先の割合を逆転し、就職先を求めて地方へ流れる卒業生が増加していった。 『高位研究者の育成ならば玄武寮へ』 という謳い文句すら生まれたブランド意識が少しずつ変わり始める切っ掛けであったに違いない。 やがて転機は訪れる。 天儀歴1029年頃に、有能な研究者を輩出する為とはいえ、少人数制の庇護を優先して経営赤字の凄まじい玄武寮が国家予算の厄介者になったのは至極当然の成り行きと言えよう。 大臣他から予算削減の声が高まり、玄武寮を存続させていく為に研究費の予算削減が起こり、かつて再稼働当時の時に定められた厳しい実力主義精神がここで撤廃される事となった。 広く門戸が開かれて年齢を問わない夜間学校も一時導入されるなど画期的なカリキュラムも取り入れられた……が、手広くやりすぎたことで教育の質が疑われることになったのも、やむを得ない事だったのかも知れない。優秀な研究者を輩出する玄武寮という暗黙のブランドが一時失われる事となった。 そして……時は天儀歴1031年。 二十年目の節目の年に名ばかりになった玄武寮のテコ入れが決定。 再開後の第一期生が、優秀な講師として玄武寮に戻り始める事になる。 +++ 薄暗い部屋に光が射し込んだ。 「ようこそ。お懐かしい」 「あなたが私の後任になっていたとは存じませんでした」 「はい。後任の後任ですが……かの玄武寮をこんなに廃れさせてしまったのは、私の不手際でもありますので……お恥ずかしい限りです。東雲さま」 色褪せた黒髪を結い上げた蘆屋 東雲(iz0218)は、皺の増えた手で古びた机を撫でた。 「座られますか?」 たおやかな物腰の青年が立ち上がって椅子を示す。 小皺の増えた目元を細めて、東雲は微笑みながら「いいえ」と囁いた。 「私はもう引退した身ですから。そんな気遣いは不要ですよ。それより……副寮長の姿が見えませんね?」 きょろり、と周囲に視線を走らせる。 現在の玄武寮の寮長は「厨房だと思いますよ」と告げた。 「彼は料理が得意ですから」 「そうでしたね」 「今後の為に懐かしい顔ぶれをもてなす訳ですからね。身が引き締まると行っていました」 話の途中で、ひとりの女人が寮長室に現れた。 「ソラ。客人が……、と失礼した」 「まぁ」 東雲が嬉しそうに歩み寄る。 「久しいですね。元気でしたか、イサナさん」 炎を操る等身大の人妖イサナの元主は、かつて封陣院の東分室長であった狩野 柚子平(iz0216)だった。しかし現在の主は、玄武寮の寮長であるソラに他ならない。イサナはソラの所有物であるが、その実態は母親のようなものだった。 親に代わって養育し、知識を与え、術を教えた。 長く母子のような日々を過ごし、仲の良い姉弟のようで、また恋人のようでさえあった。 「東雲殿も息災でなによりだ」 「しぶといもので」 「イサナ、僕に用事があったのでは?」 ソラがやんわりと声をかけると「そうだった」と苦笑い一つ。 「講師の者達が到着した。食堂に案内したが、ここの現状を語るには寮長の方が相応しいと灯心が」 「ええー? 僕より、彼の方が言葉選びも話も賢いんだけど……律儀だなぁ」 イサナとソラの会話を聞いて東雲が笑う。 「仲が良いのですね」 「実務面では特に支えてもらってます。正直、知識も技術も彼の方が寮長に相応しいのですが、頑として譲ってくれないんですよ。政府に縛られるのが嫌なんだそうです。合わない、と。希有なアヤカシの話を聞くと、すぐに出かけてしまったりする自由人な所もありますので、分からなくもないんですが……」 三人は廊下へ出た。食堂に向かって歩きながら日々の話を連ねる。 東雲はころころと笑った。 「なんだか、昔の私と狩野さんを思い出しますね」 あれから20年が経ったなんて信じられない。 そう囁いた。 |
■参加者一覧
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
寿々丸(ib3788)
10歳・男・陰
ハーヴェイ・ルナシオン(ib5440)
20歳・男・砲 |
■リプレイ本文 寮長と客人が食堂に向かっていた頃、食堂では懐かしい顔ぶれが揃っていた。 「こうしてお会いすると懐かしいですなぁ……」 寿々丸(ib3788)は隣席の者達を見て、そんな一言を零した。 玄武寮を巣立ったのは、大凡20年以上も前の事である。いざ歳を取ってみると十年や二十年の時の流れを異様に早く感じるもので、かつては幼い童子だった寿々丸も精悍な男へと姿を変えていた。真っ白な髪に焦げた肌。小皺の入り始めた目元。それでも30歳という事を踏まえれば、まだまだ若い盛りである。 「同じ封陣院の分室長同士といえど、顔を合わせるのは年末年始の宴くらいですもんね」 砕けた口調で語るネネ(ib0892)は「そういえば出世のお祝いを申し上げていませんでした。おめでとうございます」と言って寿々丸に頭を垂れた。 「い、いえ、そのような」 慌てる寿々丸に対して、ネネに引き続き八嶋 双伍(ia2195)もまた「おめでとうございます」と言って穏やかに微笑みかけた。 「ようこそ哀と涙の中間管理職へ」 晴れやか且つ爽やかな八嶋の微笑みが、分室長職務の苦労を物語る。二人の後光を浴びた寿々丸は「私も最近、大変さを痛感しておりまする」と呻くように呟いた。 寮生時代に目覚ましい成果をあげた寿々丸は、ここ二十年、術の研究一辺倒だった。瘴気の檻を完成させたが故に、周囲の期待は相当な重圧になっていたとも噂されている。兎も角、封陣院の研究員補佐となってから昼間は所属分室の雑務に追われ、勤務時間外は出資者や後援者の支援を頼りに研究し……などという生活を続けた結果、誰かの為の研究などという状態が長年続いた。 所詮は一介の研究者。 出資者や後援者からの要望や介入は避けられない。やがて寿々丸は『本当に何の横槍もなく己の研究を持つには出世するしかない』という結論に辿り着いた。 「長いこと出世コースからは外れておりましたから、昇級試験の準備に随分とかかってしまいました。やっと己の分室を持ちましたが、何しろ部下を使う身分は初めてでございまする故、年明けから今まで分室の事で手一杯でございました。おかげで分室に半分住み込み状態で……実家にはあまり帰っておりませぬ」 仕事の鬼と化さざるを得ない過酷業務。 寿々丸の背中に哀愁が漂う。 学生時代、頻繁に寮から消えた副寮長の苦労を身を持って知った。 「最初は誰でもそう言うものですよ」 「皆が通る道でございまするか」 「通る道ですね」 ほけほけと和やかな空気を纏いながら遠い目をする。 八嶋が分室長に出世したのは随分と昔だ。 若くして今の地位につく為に、随分早い段階で開拓者業を休業し、封陣院で馬車馬のように働いた。当時の上司の無茶ぶりに答え続け、近侍のように付き従い、朝から晩まで仕事しながらも複数の論文を仕上げて輝かしい実績を作り、玄武寮卒業後十年で上司の支配から脱した。同僚達が『寝てる時間あるんだろうか』と心配したのも、今では笑い話になっている。 明後日の方向を見上げる八嶋の横顔を、ネネが凝視する。 「今は住宅に帰れてます?」 「おかげさまで。事実上、貸本屋は弟子が商っていますけどね」 弟子、とは言うが、実質的には家族に近い。彼女の支えあってこそ、八嶋は住居兼道楽の貸本屋『青蛙堂』と職場の分室を行ったり来たりする生活を保っている、という。 家に帰れているというだけで、寿々丸から羨望の眼差しを注がれる。 「私もいつしか家に実家に帰れまするかな」 職場が家というのは、余りにも寂しい。 主に食事面で。 不規則な生活は、食事所へ足を運ぶことも煩わしくさせてしまう。よく足を運ぶのが分室傍の居酒屋になってしまう辺り、研究者だれもが陥る魔のループに足を踏み入れかけている。飲み屋は深夜まで食事を提供してくれるが、数字に厳しくならざるを得ない為、酒も飲めないし、摂取する食品も偏ってしまう。 「どうにも実家の食事が恋しゅうございまする」 気持ちが痛いほど分かるとは同僚談。 「帰ろうと思えば意外となんとかなるものですよ。落ち着くまでが大変ですが」 「そうでするな。私も早く、止まったままの研究に没頭したいものです。その為にも研究費の確保と分室の維持管理をなんとかせねば……」 寿々丸はのっぺりと机に伏した。 八嶋とネネは『昔の自分がいる』という錯覚に陥る。 「信頼のおける部下が見つかれば、仕事をどんどん任せると楽になりますよ」 八嶋の言葉を聞いたネネは「流石は八嶋さん。すばらしいです」と拍手する。 「当たり前の助言しかしてませんよ」 「いえいえ『処理能力ギリギリのラインを攻めてくる』と巷で高評価ですから」 「おや。お耳に届いていましたか。なに『笑顔の鬼教官』には負けます」 「うふふ」 「ははは」 寿々丸の目の前で何か目に見えないものが飛び交う。 敵対心などではない。なんというか同類というか企みが滲む微笑みである。 寿々丸は含みのある微笑みを凝視した。 『私も……いつかお二方のように話をする日がくるのでしょうか。分かりませぬ』 分室長たる者、数名の部下が割り当てられる。同じ研究に興味を持つ者、分室の近くに住居がある者、政府から割り当てられた人員、理由は様々だが……中には必ず新人がまざるものだ。封陣院の分室は数多く存在し、新人達は指定期間をその者の指導の下で過ごす。 様々な分室を渡り歩いた末に、決まった分室に身を置くわけだが、部下の話を聞いていると自然と同僚の仕事ぶりも耳に入るものだ。 「ネネ殿は八嶋殿と同時期でございましたか?」 「いえ、娘が玄武寮を卒業した後に昇級試験を受けましたから、少なくとも六年くらいは前になりますね」 ネネが指折り数える。 たかが二十年。されど二十年。 二十年前に訳有りの出自を持つ娘の養育を決めた都合上、ネネは開拓者身分が手離せなかった。なにより子育てに大きく時間をとられた為、娘が独り立ちするまでは一介の研究員補としての身分に甘んじ続けていた。ネネの養女が成人したのは十年前だが、成人とともに玄武寮へ入寮し、多額の学費が必要だった事もあって……昇級試験は更に待った。 「そういえば……分室長独立後の『瘴気の流れと黒百合の関係』に関する論文、あれは素晴らしいと思いました」 八嶋の賞賛を聞いたネネが「ありがとうございます」と控えめに微笑む。 「今は乗用でしたっけ?」 「ええ『乗用陰陽術式系相棒の創成の研究』ですね」 玄武寮の寮生時代からネネが追い求めていた議題である。 「人妖術式の応用ではどうしようもありませんし、一から術式の探求をし続けていますよ。実用化の目処はついてい……なくもないんですが、練力頼みなのが高位向けと言いますか」 はぁー、深い溜息を零す。 養女の独立とともに再開した研究は、じりじりと進めているらしい。 「皆さん、ようこそおいでくださいました」 食堂に響き渡った声に、ネネがぱっと顔を上げる。イサナとソラを見て「大きくなりましたね!」と懐かしむように傍へ寄った。 ネネは二人との再開も楽しみにしていた。 勿論、八嶋たちも。 「やあ、お久しぶりです。立派になりましたね、ソラ君。灯心君も」 玄武寮を何とかしろと言われたので来ました、と笑いながら話しかける隣で、寿々丸は厨房から現れた灯心を見て、ぼーっと夢でも見ているような顔になった。 「灯心殿は……なんだか、お久しぶりでございまする」 首を傾げたソラが「……家、一緒ですよね」と灯心たちを見た。 「帰ってきてない」 「帰れておりませぬ。そういえば、何日ほど家に帰ってなかったか……忘れました」 ぼんやりと天井を見上げた。 「えぇと……お忙しいなかでご足労頂き、感謝しております。申し訳ありません。まずは玄武寮の状況をご説明させて頂きたく……」 席に座り直して、寮長のソラが頭をたれた。 淡々と進む解説に、皆の目が死んでいく。 「……というような状況でして、是非に皆様のお力をお借りしたく」 その時、玄武寮の事務員が歩いてきた。 蘆屋 東雲(iz0218)たちの姿を確認して一礼した後、寮長であるソラに「運び屋さんです」と声を投げていく。招かれた職員達が首を傾げている中、ソラは「玄武寮の備品の搬入です」と返した。 「当面、必要な品物については事務局へ御願いします。速やかに調達してくださるはずですから。少し確認して参りますので、席を外します」 ソラは一礼して部屋を出た。事務員と向かった先にはハーヴェイ・ルナシオン(ib5440)がいて、滑空艇アウローラから『割れ物注意』『危険呪術武器』『爆発注意』などの物々しい張り紙の張られた包みを静かに下ろしているところだった。 「おー? 寮長さんか」 「ご苦労様です。いつもすみませんね」 「運び屋業なんだからこいつも仕事だ。書類に印鑑頼むな」 「わかりました」 一通り目を通して、ぽん、と持ち歩いている判子で受領の印を押す。 「ルナシオンさん、当面はこちらですか?」 「一応な。他のところにも色々運ばないといけないんで体が空いてるかっていうと微妙なところだが、少なくとも都にもいるんじゃねえかな。なんか頼みたい仕事でも?」 「今はないんですが……直に資材調達が始まると思いますので、色々御願いするやもしれません」 なにしろ今回集った講師は、復帰後の第一期生だ。修羅の如き授業をこなして、誉れ高い研究成果と、数々の論文を打ち出してきた猛者揃いである。今から学生達が屍になる未来が見える。震えるソラの青い顔を眺めたルナシオンは何かを察したのだろう。 「……まぁ、必要になったら呼んでくれ。割増料金は貰うが」 「是非に御願いします」 研究分野の寮は、資材調達は勿論、それを運んで貰う足の確保も大変だった。 一方、現状を説明された者達の大半は目が死んでいた。 呆れが顔に出ている寿々丸は深い溜息を吐く。 「……これは……流石に、どうにかせねばなりませぬな」 八嶋も似たような感想を抱いた。 「我らの学び舎が落ちぶれてしまって。……どう叩き直したものでしょうか。資金の問題は、開拓者業の様な仕事形式の授業で稼ぐとか?」 唸る声が続出する。 しかしネネは「あらあらまぁまぁ」と若干楽しそうな声で呟いた後、ドレスの長袖をまくりあげて「こうなれば栄光再びです!」と拳を握った。 「やる気ですね……その元気が欲しいです」 「もう娘も独り立ちしましたし、次はこちらの子たちを育てるつもりで参りましたから」 母は強しである。 「停滞する自分の研究に発破をかける意味でも、若人のふれっしゅな刺激を受けるのは大事だと思いますからね!」 考えても見れば封陣院は研究向きの人間が揃う為、研究への情熱は兎も角、元気さは何処かへ迷子である。 「まずは順番に時間を請け負うんですよね。私は学生が学びやすい環境を整えることから、ということで……昔やった図書館の整備からさせようと思います」 『形を整えることで動きやすくなるのは誰もが知っている!』 ネネの言葉を聞いて八嶋が首を捻る。 「こちらは……どうしますか。かつて受けた授業や試験でもやって貰いましょうか」 果たして何をやったのだったか、と古い記憶を掘り始める。 寿々丸は「それでは」とのっそり立ち上がった。 「私はまず聞き取りをいたしまする」 「第一陣ですものね」 「第一陣だからという事もございまするが、あまりにも学生に骨がないと申しましょうか」 「とりあえず授業受けてる生徒も……いそうですね」 ネネと八嶋の呟きに寿々丸が頷く。 「されど寮に入ったからには、彼らにもやりた事があったのでは? と考えまする。そういった事をまず考えさせてみましょう。目標が定まれば、それが始まりかと思いまするぞ」 寿々丸は早速、授業に備えた質問一覧を作り始めた。 沢山の学生全てと面談する事は叶わないにしろ、少しずつ目標を定めさせる良い機会になる。 『まずは……話す時は厳粛な空気を作るより、気さくに参りまするかな。きっとこってり絞られる方もいらっしゃるはずでするし、ここは一つ、飴役になって……礼儀にも煩く言わないほうが、こちらの話をきいてくれそうな気も致しまする。順を追って色々と教えるにしても、他の方々と連絡しあい……』 任期の間は忙しないことになりそうだ。 学生達に夢を持たせることはできるだろうか、と考えて、寿々丸の口元に笑みが浮かぶ。 『夢を追うこと……暫く忘れていた感覚でございまするな』 懐かしい、と。 浸っていられたのは準備の間までだった。 まるで話を聞かない学生の大半を前に、寿々丸は口角をひきつらせながら菩薩のような微笑みを浮かべて語りかけた。 「封陣院分室長の寿々丸ともうしまする」 ぴた、と止んだ。寮の外から招かれた講師が名のある人物となると、やはり少しは気にするらしい。兎も角、部屋の隅まで声が届くようになったのを確認すると、寿々丸はアンケートの用紙を配った。 「まずは君達のやりたい事、やりたかった事……それを教えてほしいですぞ。これから長いつきあいになりまする。順を追って君達を知っていく所存故、まずは今の心構えだけでかまいませぬ。例えば夢を語るのは、恥ずかしい事ではございませぬ。私も、此処でたくさんの事を語り、失敗して、そして色んな事を学びましたぞ」 淡々と学生の心を掌握する為の会話を続けた。 続くネネは書物の整理。 それはもう、母親のような大らかさで接したが……それが、のちに『笑顔の鬼教官』と呼ばれるが所以の兆しであることを、学生達はなぁんにも知らなかった。 そう、これっぽっちも考えなかった。 初日から授業らしい授業をした八嶋はといえば「別に才能ないんでー」とすっかりひねている生徒に遭遇しては「才能なぞ幻覚です」と切って捨てた。 「例え才が乏しくとも、根性があれば大抵何とかなるものです。むしろ研究なぞ根性こそが支えとなるものと言えます」 しみじみと語り。 「さぁ、問いの1の基礎術式から参りましょう。はい、そこの方。できない? では前に出なさ……いえ、別に廊下に立て、とか古典的な事はしませんよ。そんな遠くで細々と教えても皆さんに分からないでしょう。問題がとけなければ何故とけないのか、その弱点を徹底して教えて差し上げます。一緒に考えましょう。私と。教卓の前、という私の横で。さぁどうぞ」 ある意味において面倒見がいい八嶋の……公開式徹底マンツーマン指導という名の晒し者を回避するには、意地でも基礎を習得する必要性に迫られることになった。 学生達が帰った後、寮長のソラは講師に声をかけて回っていた。 「手応えはいかがですか」 「初日はこんなものだと思いますよ。職員の新人教育よりは楽です」 廊下の一角に腰掛けていた八嶋はくすりと笑った。懐かしい石庭を前に双眸を細める。 「時が経つのは早いものです。幼い君達がこんなに成長して……ああ、そうだ。それとは別に……どうですかソラ君。あの頃の君が目指した自分になれましたか?」 「どうでしょうか。まだまだ精進しなければならないとも思いますが、少なくとも近づけている気はします。亀の歩み、ですけど」 「……そうですか。では、その調子で頑張ってくださいね。私は……君とイサナさんが幸せそうで本当に良かった。それだけでも、僕の青春は素晴らしかった、と胸を張れますよ」 遠い遠い昔の日々を思う。 「青春のお話でございまするか」 通りがかった寿々丸が双眸を細めて隣に座った。 「色んな事がありましたね、という話です」 「確かに色々ございました。不思議なものです。学生達とともにいると……寮生だった頃を思い出して、少しだけ術研究の初心に戻った気持ちになりました。……私も、もう一度最初からやってみるのも良いでございまるすな」 「存分に研究できた時期ですからね。とはいえ、柚子平さんの無茶は相当でしたが」 「違いありませぬ」 男達はからからと笑った。 この一ヶ月後。 ネネが課外授業で生徒達を魔の森……といっても下級アヤカシの群生地に放り込み『ぎりぎりクリアか、脱落か』という最初の洗礼を行った。その際、不敵に微笑み「ふふ、昔していただいたことを、返しているだけです」という囁きは寮生達を縮み上がらせていた。 「ネネさん。いくら私の熟知した調査地といえど……無理はなさいませんように」 人生を魔の森研究に捧げている八嶋の調査書を頼りに、すこぶる無茶ぶりを実行するネネは「頼りにしてます!」といい笑顔を返していた。 彼らの長い講師生活は、まだまだ始まったばかりである。 |