【未来】桜祭と花渡りの果て
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/05/11 19:36



■オープニング本文

 薫る風に虚空を舞った桜の花が、最期に墨染川を泳いでいく。
 水面には沢山の小舟の姿があった。 

 ここは五行東方、虹陣(こうじん)……
 五行の首都結陣から飛空船に乗り、渡鳥山脈を越えて北東に進むと見える里だ。
 かつて裕福な人々の屋敷が建ち並んでいた地域だが、現在は『魔の森』の拡大に伴い、裕福な層は土地から撤退し、寂れていった。
 しかしそんな寂れた里にも祭は息づく。

 虹陣では現在、早咲きの桜が見頃である。

 あらゆる場所に植えられた桜は、春になれば虹陣を薄紅に彩り、かつての栄華を感じさせる。
 桜の開花が桜祭の開催合図となり、田舎の河川敷に連なる桜の木々を楽しもうと、地元人は勿論、観光客も多くが足を運ぶ。

 そして今。
 桜祭で注目を集めているのが『花渡り』である。
 
 墨染川を埋め尽くす薄紅色の花弁。
 花の上を渡るようだ、と。何処かの詩人が詠んだらしい。
 桜祭の頃になると、墨染川は一面が桜の花で満たされて、ほんのりと花香る幻想的な景色になることで広く知られていた。

 + + +

 虹陣の桜祭りがお目当ての客は、大半が小舟の中から満開の桜を楽しんだり、親しい者と一緒に小さな宴を楽しむことが多い。花に埋もれた夢のような時間を担うのが、川を漕いでいく渡し守たちだ。
 虹陣の墨染川の舟守は、半分が地元の人間で、半分は開拓者ギルドから派遣されている。

 ここ十数年、ずっとそうだ。

 アヤカシの謀略に蹂躙され、荒れ果てた虹陣を開拓者が気づいた信頼関係が礎となり、今では舟守が半ば本業になっている者もいる。例えば春から秋は虹陣で暮らし、冬の間は開拓業で出稼ぎをするなどだ。
 勿論、かつては小舟を漕いでいた者が旅行で訪れることも多い。

 ひさしぶりだね。
 元気だった。
 明日は一緒に食事でもどうだろう。

 そんな穏やかな声が、あちらこちらで聞こえてくる。
 茜の空に闇の帳が落ちていく。


 さぁ、桜祭の夜がくるよ。


■参加者一覧
/ 北條 黯羽(ia0072) / 静雪 蒼(ia0219) / 羅喉丸(ia0347) / 静雪・奏(ia1042) / 御樹青嵐(ia1669) / ニノン(ia9578) / ユリア・ソル(ia9996) / ジークリンデ(ib0258) / ニクス・ソル(ib0444) / 朱華(ib1944) / 蓮 神音(ib2662) / 寿々丸(ib3788) / 紅雅(ib4326) / 緋姫(ib4327) / ウルシュテッド(ib5445) / アルセリオン(ib6163) / 月雪 霞(ib8255) / 戸仁元 和名(ib9394) / 宮坂義乃(ib9942) / 白葵(ic0085) / 桃李 泉華(ic0104) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / ジャミール・ライル(ic0451) / 庵治 秀影(ic0738) / ティー・ハート(ic1019


■リプレイ本文

●変わりゆく日々をくれたアナタに捧ぐ

 虹陣はこの季節になると、眠らぬ街になる。
 彼方此方で夜遅くまで店が開き、大通りには夜店がずらりと並ぶ。遊び疲れて眠った娘を夫に託した戸仁元 和名(ib9394)は羽妖精の和真と養子の到真と共に夜の墨染川を小舟で渡っていた。
「今年もここの桜は綺麗や……やっぱりお祭りはええね」
「そうだね。お店休んで来て良かった」
「息抜きも大事やからね。……そういえば到真……その、今好きな人とかおるん?」
 到真は「は、え?」と面食らった顔で養母を見た。
「ご、ごめん、びっくりしたやんな。その……家の近くの指物屋さんのおかみさんが娘さんをどう? って言うてきたもんやから……そ、その、一応はぐらかしといたで?」
 到真は「ありがとう」とぎこちなく笑った。
「困ったなぁ。やっぱり僕の歳だと、そういう話になるんだね」
「う、うん、どうやろ。そんな急ぐもんでも無いと思てるし、今後そういう話が来ても困るなら誤魔化しておくよって」
「御願いするよ。今はやっぱり、仕事が恋人だし」
 日々多忙を極める喫茶店兼居酒屋の経営を思い出して「せやね」と相づちを打つ。
「……でも、ちょっと前まで子供や思てた到真が、そんなお話出るようになるなんてなぁ」
 懐かしそうに双眸を細める戸仁元へ到真は「十年もたてばね」と話す。
「十年……これまであっという間やったね」
「うん。大人になってから益々、同じ毎日でも時間が早く感じるかな」
「毎年同じようで微妙に違ってて……でも楽しい思い出ばっかりや。ありがとうな、到真」
 穏やかに微笑む養母を見て、到真も笑った。
「感謝するのは……ぼくだよ、おかあさん」
 あなたがいたから今がある、と。
 養われた穏やかな眼差しは言葉のかわりに思いを語る。


●妻の自慢は同僚と

 満開の桜が象るトンネルを潜りながら、小舟は墨染川を下っていく。
「いかがですか、一献」
「頂きましょう」
 徳利を傾ける御樹青嵐(ia1669)の膝上には、人妖緋嵐がゴマ餅をつまんでいた。机を挟んで正面に座っているのは、同じ封陣院職員の狩野 柚子平(iz0216)と人妖樹里だ。仕事の帰りに花見でもしよう……という話になったが、お互いに妻子抜きの宴会は久々だ。
「柚子平さん。昔はね、私は傍らの華がいつ消えるか、不安で致し方なかったものです」
 若い頃は心に余裕がなくていけない、と自嘲気味に笑う御樹の眼差しは穏やかだ。
「奥方の話は幾度か聞いてますが……そんなに切羽詰まっていたようには」
「はは、虚勢ですね。あの人に頼りないと思われては困ります」
「顔に出ませんねぇ」
 すると御樹は「貴方には負けます」と言いつつ、降りそそぐ花弁を手に掬う。
「今年は彼女と一緒に桜を見る事は叶いませんでしたが、不思議と今は、一人でいても不安を覚えません。常に温かい華が咲いていると感じられる……というと、くさいですか」
「惚気にしか聞こえませんから心配ないです」
 ははは、と笑いながら飲む酒の席は始終陽気だった。
 お互いに妻子の自慢、分室の愚痴、政治や研究の話と移ろう話題の中で御樹は思う。
『今まで育んだ気持ちが永遠であるからこそ、こうして誰かに語れるのでしょうね』
 明日には帰ります、と。
 恋しい面影を瞼の裏に思い描いた。


●母の祈り

 小舟に乗り込み食卓を囲んだ。からっと揚げた海老心情に、華やかな手鞠寿司には金箔が輝く。御馳走が並ぶ花見の席で、上機嫌の春見を蓮 神音(ib2662)は穏やかな眼差しで見つめた。
「開拓業の方はどう」
「春見ちっちゃいから心配そうな顔されるけど、お仕事はしてるし、信用は作ってるよ」
 こんな仕事があった、問題が起きた時はこうやった、等と興奮気味に語る春見を愛おしげに眺める。神音にとって『今年が春見と過ごせる最後になるかも』という恐れがあった。だからこそ思い出の地を巡る旅行に誘った。こんな幸せな気持ちは久々で。
「あのね、春見。あなたはこれからも、色んな場所で色んな人と触れ合う。様々な人の顔を見て、人というものを知ると思う。良いところも悪いところも全部。でもそれは、いつか猫茶屋を開く時にきっと役立つ経験になると思うわ。先輩からのアドバイスね」
「はあい」
「ね、昔一緒に此処で桜を見た事覚えてる?」
「昔から綺麗だったよねー、ここの桜」
 春見を引き取る切っ掛けの夜桜を、神音は思い出す。
『ねぇ春見。あなたが私と居て幸せだったかは解らないけど……私にとってはかけがえの無い時間だった。何よりも大切な家族だったの』
 愛しい娘に、どうかこれからも幸多からん事を。


●桜の夢

 天妖輝々と宮坂 玄人(ib9942)は桜の古木の下を通り抜けていく。水面の揺れに身を任せながら、ぼんやりと考えるのは遠い里の思い出だ。
「玄姉ちゃん。桜、玄姉ちゃんの里にも植える?」
「……全ての魔の森を消したら、な」
 果てしない望み。終わりの見えない魔性の森。大アヤカシの多くを倒し、封印しても不浄の森は人々の生活を脅かす。けれど遠い故郷にも、いつか此処のような花を咲かせられるだろうかと考える。かつては蝕まれ滅び駆けた虹陣の繁栄を思うと、不可能ではないと思えるのだ。
「ここほど立派な桜とは言わなくても、いつか、故郷の里にも咲かせてみたいものだ」
「そうなるといいね。僕も手伝うからね」
 さくらよさくら。
 願わくばその色が遠い未来の故郷にもありますように。


●賭け事と願掛けと

 愛しい子供達が寝付いた後は夫婦の時間だ。
 小舟の上で揺られながら、水色地に桜柄の着物を着たユリア・ソル(ia9996)はニクス・ソル(ib0444)の手元を凝視していた。黒地の着物で渋くきめたニクスの手が扇子を掲げる位置を決めて、ふっ、と放る。リーン、という鈴の音がして的が押した。
「嫌だわ、まけちゃった。しょうがないわね、勝負だもの」
「遊びとはいえ勝負だからな。手を抜いた覚えはない」
 ニクスとユリアが食後に始めたのは、投扇興の十投勝負だった。開いた扇で設置したコマを倒し、点数を競う。この遊びを始める前、二人は折角だからと賭け事もしていた。
『投扇興なら花の中に舞う扇は華やかよね。ふふっ、旦那様だからって手加減しないわよ。私が勝ったら桜風呂とマッサージをお願いね』
『そうだな。じゃあユリア、俺が勝ったら膝枕でもしてもらおうかな』
 結果、二点差でニクスの勝利だ。ニクスは机を寄せると、ごろりと横になった。頭を妻の膝に乗せて、咲き誇る夜桜を見上げる。ユリアは片手で黒髪を梳きながら、扇で桜の花弁を掬った。最も色濃い一輪を唇に近づけて願いをかける。
『この先十年、ニクスがずっと私に恋しますように』
 ユリアは祈りを籠めた桜を、ニクスの唇に落として微笑んだ。
 勿論、ニクスには分からない。
『なにか願をかけていた様子だが何を願ったのか……わからないけれど、いいか』
 秘めた願いを問うのも無粋だ。なにより自分は、これからも妻と共にある。
 一年先、五年先、十年先、そのさきもずっと。
「愛してるよ。ユリア」
 私もよ、と囁くような声が桜の風に溶けた。


●願わくば遙か未来も

 上機嫌で鼻歌を歌うウルシュテッド(ib5445)は、小舟を花の川に泳がせていた。
 ぎしりぎしり、と漕いでいるが人影はない。横から見えるのは提灯南瓜のピィアだけだ。
 けれど彼の舟には三名の乗客がいた。
 金糸の髪が美しい妻のニノン(ia9578)、黒い髪に瑠璃の瞳を宿した息子の星頼、そしてゆるやかにウェーブのかかる焦げ茶の髪に、深い深緑にも似た翡翠の目を持つ礼文だ。
『偶には家族旅行に付き合え。さあさあ乗った』
 そう言ってウルシュテッドは息子達を飛空船に押し込んだ。
 どうにも仕事の気合いが抜けない星頼は貴族らしい装いのままだが、礼文はゆるい着物を着ている。こういう所にも順応性や性格が出ているように思えてならない。
 小舟に乗り込んだ後、ニノン達は土筆の佃煮持ち込み、皆で酒を酌み交わした後、ごろりと横になって桜吹雪と煌めく星空を見上げていた。
「そなた達が小さな頃は、こうして色んな所に行ったのう。星頼も礼文もそのうち自分の家族を持つじゃろう。あと何回こうした時間を持てるのやら」
「いつになく弱気な呟きだね、ニノン。子供達の成長が寂しいかい」
「さてな、親なのだから色々と思う事もあるぞ。じゃが生きていると偶にこういった美しいものを見ることができる。隣には夫と息子たち。憂うというより、愉快な夜じゃ」
 星頼も礼文も「当面は色恋より仕事だよ」と話す。
「今は、だろう。時間は川の流れのように全てを緩やかに変えてゆく。俺も髪に白い物が目立つようになったしな。けれど、どこへ流れ着こうと……家族の舟は変わらずここにあるさ」
 ニノンは夫を見上げて口元を綻ばせた。
「そうじゃな、変わらぬものもある」
 人は人生という名の大河を小舟に乗って漂っている。
 願わくば流れ行く景色が、この薄紅に染まった墨染川の花渡りが如く、鮮やかなものであってほしい。


●十年越しの誓いを君に

 十歳になる子供は、驚くほど親思いの息子だった。
 偶には二人で、と宿を追い出されたアルセリオン(ib6163)と月雪 霞(ib8255)は、下の子供達を任せ、我が子の言葉に甘えて小舟に揺られていたが……どうにも我が子が心配でならない。
「でも本当に大丈夫でしょうか」
「うん?」
「特に娘は貴方と離れるのを寂しがっていたでしょう? きちんと良い子にしていられるか」
「ははは。あの子は霞に似て、優しく気遣いができる子に育ったな」
 苦笑いしながらも、親を想える言動が、独り立ちを俄に感じさせて寂しさを覚える。
 薄紅の川を眺めたアルセリオンは「この十年で様々な事が変わったが、ここは変わらないな」と呟いた。十年前、妻の奏でるハープの旋律に耳を傾けながら桜の雨に祝福された美しき妻は、今も傍らにある。
「色んな事がありましたね、アル」
 息子が生まれてジルベリアへ渡り、師の墓へ挨拶をしてから旅をして、お互いに故郷の地を踏んで、と。歌を囀るように語る霞の言葉を聞いて、アルセリオンは双眸を細めた。
「色々な事があった。けれど変わらないものがある。この美しい桜の夢景色がそうであるように、穏やかに流れる時間も、霞や我が子への想いも。いや、より一層降り積もったと言うべきかな」
 アルセリオンは溢れる愛おしさをこめた眼差しで妻を見つめて寄り添い、手を握った。
「この夜桜と春風のなかで、もう一度……何度でも誓おう。
 霞と共に生き、同じ時を過ごし、同じ道を行くと」
「ああ、アル。
 あなたも子供達も、私の宝物です」
 かけがえのない、愛しい人。
 霞は骨張った手を握り返し、静かに白磁の唇をよせた。


●変わらぬ絆と成し遂げたもの

 お土産を手にしたティー・ハート(ic1019)は、小舟に集った面々を懐かしそうに見た。
「おー……みんな、久しぶりー相変わらずだなー」
『あー……、もう10年か。景色は……かわらない、なー』
 動き出した小舟の中で同じ料理を囲んでいるのは、まず「あっちの舟の子かわいいー」等と変わらない声を投げているジャミール・ライル(ic0451)、年季が入ってより一層精悍な顔立ちになった庵治 秀影(ic0738)、そして開拓業を引退している紫ノ眼 恋(ic0281)の四人だった。
「このお酒美味しいねー、もう一本いくよー」
「呑むなぁ。しかし、桜ってなぁ毎年飽きもせずに見事に咲くもんだぜ、なぁ?」
「なに、秀影殿。あたしらだって毎年飽きもせず眺めにくるのではないか。それにしてもティー殿は久しいな。十年、どうしていたか聞いても良いかな」
 するとハートは「嘘のようだけど森に籠もってたー森の支配者! ほんとだよ」と耳をぴんと伸ばした状態で忙しく喋る。紫ノ眼は「森の王?」と首を傾げていたが、興奮気味な近況報告の聞き手に周り「そうかそうか、大変だったな」と酒を注いでいく。
「後ねー、十年前よりは演奏も上手くなって酔っ払ってなくても素敵に演奏できるよー」
 ハートの言葉に「よぉし!」と大きい声で膝を叩いたのは上機嫌の庵治だ。
「ティー君、笛を吹いちゃくれねぇか。合わせて踊るぜ!」
 酔っぱらいの勢いは止まらない。
 ほぼ勢いで笛を奏で始め、庵治は立ち上がり、猛烈にぐらぐら揺れる小舟に困る舟守を見るに見かねたのは、意外にもライルだった。
「んー。てぃーちんが楽器するなら俺も超ひっさしぶりに踊ろっかなーって思ったけど、船の上だと危なくない? っていうかひっくり返りそうだし、庵治っちゃん、その辺にしとこ。おにーさん、濡れたくないし。まだ川の水って寒いよ、むり」
「あっはっは、違いねぇな!」
 どしーん、と庵治が座った。舟が揺れる。ライルは「紫ノ眼ちゃん膝枕してー」ところりと横になり、猫のようにごろごろ寝返りを打つ。紫ノ眼は「真白には秘密だなぁ」と笑いながら花吹雪の夜空を見上げた。ハートは酒を呷って机に突っ伏す。
「お酒は……まだ…弱いなー…あー」
「無理はするな。変わらぬな、だが、変わらなくていいものだ。平穏というやつは、な。そういえば……秀影殿は、何故、神楽の都にきたんだ?」
 紫ノ眼の言葉に庵治が眉を顰める。
「あん? 昔話を聞きてぇたぁ今更じゃねぇか? ……余興代わりって奴かぃ」
「いやその、なんというか。あたしは強くなる為に来たけれど、今はこの通り剣を捨てた。じきに結婚もすると思う。だからこそ、かな。今だから気になるのかもしれないね」
 庵治は頬を掻く。
「銭が必要で、実入りの良い開拓者になったってぇだけさ。何度か死ぬかと思ったがなぁ」
「金を稼ぐだけなら他にも方法はあったろうに。何故」
「ん? 金が必要だった訳かぃ。そらぁ……忘れちまったなぁ」
 眩しげな眼差しをした庵治は「おっと、むこうの桜が見事だぜぇ」と追求をかわした。
『……はは、もう終わった事だからなぁ』
 亡き友人の子を一人前に育て上げた。その誇りと充実感は、庵治の胸にのみ宿る。
 紫ノ眼達が静かに喋っている間、酔って饒舌になったハートはライルと賑やかなお喋りを続けていた。十年の空白を埋めるような語らいの夜を過ごしながらライルは笑う。
「次は夏かなー、どうする? 海で肉焼くの、なんだっけ、俺あれやりたいなー!」
 思い出と楽しみは降り積もる。
 墨染川を埋め尽くす、薄紅の花のように。


●二人の母

 舟守仕事を終えた北條 黯羽(ia0072)と上級人妖刃那は、桟橋の傍で人を待っていた。
 客ではない。煙管を手元で遊ばせながら、桜を愛でるでもなく、行き交う人々に視線を走らせてしまう。見るからに落ち着きがない事を刃那に指摘されると、北條は笑った。
「半年振りくらいに妹分の泉華と逢うンだ、楽しみじゃねェ訳がねェだろ? つーかさ、刃那も泉華のトコの燈呉に逢うのを楽しみにして……」
「姉上ぇぇぇ! お久しぶりでござるぅぅぅぅっ!!」
 耳を劈くような声と共に、何かが刃那に体当たりした。勢いに押されるまま桜の枝に突っ込むと、バサバサと紙吹雪よろしく桜が落ちる。確かめる必要もない。抱きついてきた物体は人妖の燈呉だった。北條が双眸を細めつつ、楽しそうに声を投げた。
「おぃおぃ、川に落ちンなよ。さぁて」
 北條が一方向を見据えると、白い花が視界を覆う。その向こうに佇む人影。控えめに笑う桃李 泉華(ic0104)は「半年ぶり位、やろか?」と伺うように問いかけてきた。
「ま、ちがいねェな」
 娘と息子を旦那に預けてきた桃李は、差し出された手を掴んで小舟へと乗り込んだ。
 夜の川へと漕ぎだしていくが、水面は桜の薄紅と白で染まっている。
 舟の少ない場所まで漕ぎだしてから、北條は漕ぐのをやめて、桃李と寄り添うように座った。舟は穏やかな水流に流されるまま、花景色も右から左へ移ろいゆく。
「前に姉さんとここ来たんは十二年も前かぁ……懐かしいなぁ」
 桃李はそう言いながら酒瓶を手に取った。
「姉さん。このお酒覚えとるやろか? あん時はお酌だけやったけど、今度は一緒や」
「前に一緒に桜を見に来た時は注いで貰うだけだったか……けどそうだァな、今は一緒に呑めるようになったンで嬉しいぜ。乾杯といこうか」
 念願の祝杯。
 けれど桃李は少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「ウチがもうちょい丈夫やったもっと出て来れるんやけど……ごめんな、姉さん」
「気にすんなって。子育てしてれば、こんなモンだろ。子供が元気なんだ、充分さね」
 桃李が嬉しそうに頬を染める。
「そうやねぇ」
 花の海に包まれた夜を愛でながら、北條と桃李が話すのは近況報告だ。
 子供の話題が多くなるのも、お互いが母親になったが故だろう。母子共に仲がよいから、子供達にとっては幼馴染に近しい感覚になっているかもしれない。
「子供等は丈夫に育って良かったわぁ。姉さんとこの子ぉとも仲えぇみたいやし……ふふ、ウチ等みたいに仲良うなるんやろなぁ」
 未だ見ぬ未来が待ち遠しい。
 桃李は盃に落ちた桜の花びらを摘んだ後、蜜蝋色の月を見上げた。
「下も上も綺麗な桜色……その奥の夜闇のお月さんの綺麗な事……変わらんねぇ」
「そうさな……変わらねェ。景色も、俺と泉華の……関係も」
 これからの幸せも、そう。
 夢見心地の幸福感は、夜風が運ぶ花吹雪に溶けていく。


●二人が死を分かつとも

 子供達を預けてふたりっきりの時間を提案した静雪・奏(ia1042)の腕の中には静雪 蒼(ia0219)が小柄な体を預けていた。降りそそぐ花吹雪の中でも艶やかに匂い立つ色香を纏わせ、朱塗りの盃を傾ける。ひらひらと散る花弁を一枚、虚空で摘んだ。
「散る桜、残る桜も散る桜……なぁ、兄はん」
 蒼が奏を見上げた。
「あんたはんが亡くなりはる時は……うちも連れて行っておくれやす? それまではあんじょう二人で……あぁチビもおりましたなぁ」
 夢見心地でくすくすと笑う。
 闇の中でも美しく冴える白い首筋に手をかけた奏が、麗しの顔を覗き込んだ。
「死ぬも生きるも一緒かい? 蒼」
「そうやね。ずっとずっと一緒や、たとえ行く先が地獄やっても忘れたらあきまへんぇ?」
 嫣然と微笑む蒼の瞳には、狂気と紙一重の熱情が宿っていた。
 燃えるような愛と執着を垣間見た奏が、華奢な方を抱きしめる。
「……いいとも。ボクはお前を離さない。……逃がさない。例え死んでも、ずっと一緒だ」
 触れ合う唇。着物越しにも伝わる体温が愛おしい。
「でもここでもっとこうしていたいから……当分はこっちにいよう。愛してるよ、蒼」
 蒼は双眸を細めた。頬の赤みは酒や化粧によるものだけではないだろう。
「うちは幸せやわぁ」
 ずっと、ずっと、どこまでも君と。
 永遠の旅路を歩いていきたい。


●家族の団欒

 花降る夜だった。
「桜は、毎年変わらず咲きますねぇ……どれだけ、人が変わっても、この花を見ると安心します」
「そうね。とても綺麗」
 のんびり虹陣の観光に興じていた紅雅(ib4326)と緋姫(ib4327)は、舟守達の営業時間終了に伴い、桜の花で薄紅に染まる河原へと向かった。紅雅達は既に開拓業を引退していたが、家族は違う。ある者は陰陽寮、ある者は封陣院、またある者は現役の開拓者として世界を駆けている為か、家族全員で揃う機会は昔に比べて極端に減った。そこで緋姫達は彼らが家へ帰ってこれないなら、店を休んで逆に押し掛けようという発想に行き着いたのかもしれない。舟守仕事をしているという虹陣へ、家族旅行をかねて飛んだ。
「待ち合わせの時間はそろそろよね」
 緋姫が大勢の小舟から家族の顔を探す。だが月光で明るくとも探し当てるのは難しい。
「ふぅ……久々の仕事は疲れまするなぁ」
「寿々の場合は籠もっていて動かないからじゃないのか
 それは寿々丸(ib3788)と朱華(ib1944)の声だった。声を辿ると二隻の小舟が紅雅達の所へ向かってくる。鬼火玉の炎蕾丸と仙猫胡蘭がいるので間違いないだろう。
 緋姫が「お疲れさまー」と声を投げて手を振った。こっちこっちと誘われる白魚の如き手招きに準じて岸に着いた寿々丸と朱華は、人数が足りないことに気づいた。
「遅れているのか?」
「いえ。子供の事もありますし、時間まで宿にいてもらって、ついでに灯心を迎えに行ってもらいました。直通便でそろそろ来るかと」
 紅雅の解説が終わるか否かの時に「お待たせやー」と声が聞こえた。
 声の主は朱華の伴侶である白葵(ic0085)だ。後方に続く陰陽師は灯心に他ならない。
 白葵は三人の子供を寝付かせるまで宿にいて、今日の最終便で虹陣へ来る灯心を拾って待ち合わせの川辺へやってきた。夫の姿を見て「お疲れさまや」と顔をほころばせた白葵が我に返って街を振り返る。
「帰ったら、我儘聞いたらんとあかんやろうなぁ……」
 願わくば朝まで起きませんように。紅雅が苦笑いしながら「あの子達も大きくなりましたね……活発で毎日大変でしょう?」と白葵を気遣う。朱華も苦笑いした。
「うちのが、五月蝿いだろう? 悪いな」
 一方で「遅れてごめん」と言う灯心に、緋姫、寿々丸、朱華の順に祝いの声をかける。
「あらためて。灯心、誕生日おめでとう!」
「灯心殿、誕生日をおめでとうございまする」
「灯心、誕生日おめでとう」
 白葵は隣を見上げて「灯心君も大きいなったね、おめでとうさん」と笑いかけ、最期に紅雅が「灯心、誕生日おめでとうございます」と頭を撫でた。
 皆が揃った所で二つの小舟を板でつなぎ合わせて固定する。
 朱華と寿々丸が息を合わせて水面へ漕ぎだしていった。最も桜の美しい場所へたどり着く前に、緋姫は持参した茣蓙を敷き、桜茶と重箱を披露する。
「今日は、灯心が主役なんだからゆっくりしてていいのよ! ところで……寿々、ちゃんと食べてるの? 心配だわ」
 寿々丸はびくん、と肩を奮わせた。目を合わせずに舟を漕ぐ。
「あ〜…いや、大丈夫でございまする、よ?」
 寿々丸の暮らしも多忙を極める。封陣院で術研究が忙しく、最近は玄武寮の講師が業務に追加され、研究費の足しにと開拓業も空き時間にこなし、食事はあるものを口に押し込む程度で……見事なまでに不健康。暫く帰宅すらしていない。この辺は灯心も同じ事が言えるせいか、やぶ蛇にならぬよう異様に静かにして目をそらしている。
『うう、灯心殿! 助けてくだされ!』
『ごめん。僕には君を助ける術がない』
 アイコンタクトの一瞬でかわされる魂の会話。
 唯一、白葵が「寿々君も苦労しとるんやなぁ」と心配そうな声を発し、朱華が「……まあ、無理はするなよ? 根詰めても何もならない」とだけ告げた。緋姫の追求をさける為に漕ぐのをやめた寿々丸が重箱をつついて「大変おいしゅうございまする!」と言った。
「そう? よかった。白ちゃんもたくさん食べるのよ? 遠慮せずに」
「白、此れ以上食べたら食べ過ぎたて太ってまう」
 一家団欒は賑やかに過ぎていく。
 重箱が空になった所で、小舟と小舟の板が取り外された。朱華と白葵の乗った舟が、周囲を見て回ってくると言い残して遠ざかる。
「皆でってのも良いものだけど……たまには、二人で見に行こうか」
「ふ、ふぇ? 朱華? う、うん」
 夫婦の時間だ。
 一方、寿々丸の小舟は長閑だった。薄紅の花に埋もれながら夜風を味わう。
「いやはや、久々にゆったりした時間を過ごしておりまする」
「こうやって、家族で出かけるのも久しぶりですし……楽しいですねぇ」
「みんなで会う機会は限られるものね」
「僕は休みが欲しいかな」
「……また、来年も……皆で、見たいですね」
 ひらひらと指をすり抜ける桜を仰ぎ見て、紅雅は双眸を細めた。


●命の壁

 舟守仕事を終えたジークリンデ(ib0258)は艶やかな薄紅の花に双眸を細め、口元に微笑を浮かべたまま小舟を操って細い水路に入っていった。客を捜しているわけではない。彼女が目指したのは、遙か前に構築した石の壁だ。今ではこけむしてツタが生い茂り、春から秋の間は土手にしか見えないこの場所は、ジークリンデが能力を酷使して築きあげた防壁であり、街の人々を守った証でもある。
「綻びはなし、と。毎年の事ながら補修は必要ですものね」
 一年に一度、自主的に行う作業。
 本来ならばそこまでする必要はない。けれど。
『十年程度で自然は回復しないのでしょうけれど……それでも自然は息を吹き返し、人は生きていく。願わくばこの壁が、私の力が、紡がれる命の礎であるように』
 何千人もの命を守った壁の傍から、夜の街を見た。
「さて。舟守仕事も終わりですし明日は文献調査と参りますか。宝の正体を突き止めねば」
 歴史に葬られた秘密を紐解く事も、ジークリンデの楽しみであるらしい。


●昔取った杵柄と未来に向けて

 羅喉丸(ia0347)が最期の乗客を降ろした後、天妖の蓮華は隠してあった酒瓶を引っ張り出して、きゅぽん、と音を立てながら栓を抜いた。ここからは蓮華と羅喉丸の宴会だ。
「なんというか、昔取った杵柄という奴じゃの」
「体は覚えているものだな。それ」
 ぐん、と大きく小舟が旋回した。
 軽やかな腕裁きにあわせて、小舟が水面を踊っていく。
「見事。みよ、向こうの舟が歓声をあげておるぞ」
 蓮華の視線の先に、別の舟の客がいた。
 羅喉丸は軽く手を振って営業スマイルを浮かべた後、ひと気のない桜並木のトンネルへと潜っていく。
「ここの美しさも変わらないな、蓮華。いや、以前より桜が増えて綺麗になったかな」
「ああ、この地は美しく、何度来ても新しい発見がある」
 羅喉丸は花降る下で瞼を閉じた。
 若い頃は様々な強敵に挑み、その都度『青山骨を埋ずくべし』と覚悟したはずが……今では結婚し、蓄えを使って道場も開いたのだから人生何が起こるか分からない。
 天妖が朱塗りの盃を傾ける。
「まあ、あれじゃな。この時期の此処は目に美味いが……道場の維持費も結構かかっておるからの。出稼ぎの必要がなくなるよう、日々精進を忘れてはならんぞ、羅喉丸」
「手厳しいな。今回のこれは頼まれたんだが」
「そういう事にしておくか。さあ呑め」
 苦笑いしながら盃を受け取る。
 道場は先達の想いと技術を次代に継承し残したいという思いから始めた事である為、経営が二の次に成りがちだ。
「ああしかし……弟子もいつか、花開くのだろうか」
 天妖は「きっとな」と頷く。
 二人で見上げた花に未来を祈り、花見酒を傾けた。