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■オープニング本文 牡丹雪舞う神楽の都。 白銀の大通りには、恒例となったもふら様の隊列が歩いていた。 寒さにもめげず、もふら様が荷車を引いている。 覆われた幕で、何が積まれているかは分からない。 もっふ、もっふ、と懸命に荷を運ぶもふら様たちは、一つの建物に吸い込まれていく。 搬入口、と書かれた裏口だ。 そして建物の正面入口には、淡色の衣をまとった幅広い年代の男女が列を成していた。 頭の禿げた素敵なオジサマが、人々に向かって大声を張り上げる。 「これより、サークル参加者様の入場を開始いたします。皆様、お足元にお気を付けて、ゆっくりとご入場ください。尚、一般参加者様の入場開始予定時刻は、一時間後となっております」 誘導係員たちが掲げる看板には、 『カタケット〜冬の陣〜』 という謎めいた文字が記されていた。 今回は『失われし旧文明や護大ちゃんが熱い』ともっぱらの噂である。 + + + アヤカシと開拓者。 神楽の都では見慣れた存在も、世界的な人口と比較すれば対した数とは言えず、世間一般の人々にとっては、アヤカシ被害に差し迫らない限りは、あまり縁のない人物たちと言える。 とはいえ。 世の中には奇特な事を考える人種が存在するもので、開拓者ギルドで公開されている報告書を娯楽として閲覧し、世界各地を飛び回る名だたる開拓者や見たこともないアヤカシに対して、妄想の限りを尽くす若者たちが近年、大勢現れた。 開拓者ギルドに登録する開拓者の数。 およそ2万人。 神楽の都が総人口100万人と言われる事を考えると、僅か2パーセントに過ぎず、世界各国で活躍する活動的な開拓者に条件を絞れば、その数は更に減少する。 開拓者とは、アヤカシから人々を救う存在である。 そして腕の立つ開拓者は重宝される。 英雄たちの名は人から人へと伝えられ、妄想癖のある人々の関心を集める結果になった。 彼らはお気に入りの開拓者を選んでは、一方的に歪んだ情熱を滾らせ、同性であろうと異性であろうと無関係に恋模様を捏造し、物語或いは姿絵を描き、春画も裸足で逃げ出すような代物をこの世に誕生させた。 人はそれを『萌え』と呼ぶ。 さらには相棒と呼ばれる動物や機械を擬人化してみたり、人類の宿敵でああるはずのアヤカシとの切ない恋や絶望一色の話を作ったりと、本人たちが知らない或いは黙認していることをいい事にやりたい放題である。 その妄想に歯止めなど、ない。 妄想は妄想を呼び、彼らに魂の友を見いださせ、分野と呼ばれる物が確立される頃になると「伴侶なんていらない、萌本さえあればいい」そう言わしめるほどの魔性を放っていた。 やがて生活用品や雑貨の取り扱いを開始し、有名開拓者の仮装をして変身願望を満たす仮装麗人(コスプレ◎ヤー)なども現れ、僅か数年で一大市場を確立するに至る。 業界人にとって、開拓者や相棒は、いわば憧れと尊敬の的。 秘匿されるべき性癖のはけ口といえよう。 四季の訪れと共に行われる自由市は『開拓業自費出版絵巻本販売所(絵巻マーケット)』と呼ばれ、業界人からは親しみを込めて『開拓ケット』(カタケット)と呼ばれた。 年々増加する入場者の対応を、薄給で雇われる開拓者たちが客寄せがてら世話する光景も、珍しいものではなくなってきていた。 + + + ところで……皆さんは覚えておいでだろうか。 このカタケット文化を支えた立て役者こと大金持ちの支援者達を。 世を忍ぶ彼女の名は『憂汰』…………本名はウィタエンジェ・ラスカリタ。 彼女は侍女付きで遙かなる大陸からやってきた。元はジルベリアで良い身分の貴族であったにも関わらず、破天荒な性格から双子の姉妹に城や領地の全てを任せ、見目麗しい美男美女と美食を求めて天儀へ来訪した後、実家の仕送りを食いつぶしながら芸術発展の名の下で莫大な資産を擲ってきた。 ついでに。 その双子の姉妹マレア・ラスカリタも、類い希な商才を(やむなく)発揮する旦那に同行して天儀に来た後、カタケ文化に填ってしまい『黄薔薇のマリィ』という源氏名で月刊の瓦版に作品を連載し始め、その侍女まで精霊や羽妖精の彫刻家として名を馳せ、生まれたばかりの娘の日向とともに天儀に居ついた。血は争えない。ラスカリタ家は一族揃って天儀に移住気味だった。 これにキレたのが部下達である。 主人達に向かって『いい加減に帰ってこい』と命令する位には頭にきていた。本当は兄のミッチェル・マディール・ラスカリタが地元に残っていたが、残念ながら彼は領地を治められるほどの人徳も才もない。四年近く不在を護り続けた部下が優秀すぎるが、いい加減に本職にもどれというのが本国からのお達しであった。 そう、カタケットを支えた彼女たちは……今度こそ実家に帰らざるを得なくなったのだ。 「この世はなんと不平等なんだろう!」 カタケット最大の支援者こと憂汰さんが雪降る路上で演説していた。 「これほどまでに素晴らしい芸術を置き去りにして、極寒の地へ帰らねばならないなんて! ああ、萌のない世界で生きるなんてボクには、ボクにはぁ……!」 うぃたさーん! なかないでー! 会場前の行列から妙な声が聞こえる。 「そこでボクは考えたァ! みよ! あれが僕らの絆を引き裂く運命の飛空船! ブラッディローズ号だ!」 カタケット会場の上空に羽ばたく飛空船。 姉の絵巻作品から名前をとってきただけで、本当は姉婿持参の船である。 しかし、何か、外観がおかしい。 「開拓者の中でも高名な者達の木像や姿絵を集めて飾り立てた萌え飛空船! これを我が領土から天儀への定期便に取り入れようと思う! 天儀で花開いた文化はジルベリアへ羽ばたくのだ! 我らの絆は永遠にして不滅なり! 是非とも自信作の萌船に乗船して遊びに来てくれたまえー!」 当然、萌船の外観と内装を飾り立てる開拓者の姿絵は許可を取っていない。 憂汰さんは、最期まで期待を裏切らなかった。 |
■参加者一覧 / 柚乃(ia0638) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 珠々(ia5322) / フェンリエッタ(ib0018) / エルディン・バウアー(ib0066) / マルカ・アルフォレスタ(ib4596) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 戸隠 菫(ib9794) |
■リプレイ本文 戸隠 菫(ib9794)は聳える飛空船を見上げた。 無許可万歳の外観は、もはや感嘆の領域に達している。戸隠は「こりないなあ」と呟きつつ周囲を見回した。空夫が運び込んでいる木像に自分の彫刻を発見する。 『やっぱり』 あれは禊ぎ中の自分だろうか。毎年こつこつ仕事をこなしてきた結果が出ることは誰しも誇らしいものだが……こんな所で名声に反映されているのは微妙である。 『う〜ん、知っているのにわざわざ警備を引き受けつつ受付をいびるのも飽きたかな』 主催と板挟みになる受付の観察や雇用費の値上げ交渉も決して悪くはない。 が、例えるならばそう。 刺激が足りない。 「よし! やっぱりあれでいこう!」 何かを決意した戸隠の行動は早かった。遠巻きに「戸隠ちゃん」とか「菫さま」と呼んでくる危ない眼差しの喧しい方々を押しのけて、手荷物預かり所に戻り、更衣室に消えていく。 やがて現れた戸隠は……アマガツヒの仮装をしていた。 勿論、全部お手製。主に相棒作である。 それは遡ること数日前。 『どれだけの人が知っているか分からないけど、アマガツヒの仮装をしようと思って』 『アマガツヒ、ですか』 最近は被服や衣装専門のさぁくるが増えてきているが、有名な開拓者や相棒のきぐるみが大半を占める為、難しい衣装は自作しなければならない。昨年は開拓ロードなる場所も出現したので材料の入手には事欠かないが、それでもかなり難しいお題だった。 『やっぱりアマガツヒでいくなら、仮の姿は恐ろしく禍々しいのがいいかな。鏡を通して見る真の姿は神々しいの。ついでに宝珠も使って、仮の姿が剥がれて浮き上がって真の姿が出るようにしよ。手伝ってくれる?』 それはもはや疑問と言うより要求に近いものではあった。 毎日せっせと夜なべして。 「これも新鮮でいいかな」 本日、苦労したアマガツヒの衣装がお披露目になった。 その圧倒的存在感に……絵師が「誰!?」とたじろいでいる。 「あれ、あたしだって分からない? まだまだ愛がたりないかな」 仮面を外した戸隠が絵師に情熱不足を指摘しつつ、自分の取り巻きをぐるりと見渡す。 「だれか、あたしの立体像、買ってきて並べてくれる? 並べて描いて貰うもの楽しいかな、って? 普段の姿も需要があれば、そっちも出来るけど、どう?」 それは正に鶴の一声。 「おお! 姫が! 我らの姫が命を下されたぞ!」 額に『戸隠たん命』の鉢巻きをつけた一般人の若者が「我が!」「我こそ!」「否、我が!」と言いながら即売会場へ走っていく。木像は結構な値段がするはずだが、大金を擲つ覚悟は万端らしい。 あたしの握手会したら儲かるかもしれない、と戸隠はぼんやり思った。 貴族という身分にいると社交期と縁が切れなくなる。 決まった時期に地方のマナーハウスからタウンハウスに移ってやることと言えば、文字通りの社交になる訳だが……そう言う時に重要となるのが爵位や紋章を事細かく理解しているかどうかだ。よって顔を知らなくとも家名や紋章は知っているという現象が往々にして発生する。 マルカ・アルフォレスタ(ib4596)は憂汰の披露した痛い外観の飛空船を茫然と見上げた。 『……ああ、なるほど。兄がここ数年、シーズンになってもラスカリタ家の方々を見ないと申していましたが、まさか開拓ケットに関わっておられたとは』 天儀で外貨を稼いでいたとなれば納得のいく話だ。 尊敬できるかは別として。 「折角ですし、外と中を散策させていただきましょう」 その為の格好ですし、と我が身を見下ろすアルフォレスタ。普段の格好はしていない。 憧れの皇帝親衛隊隊長様の仮装である。 『ふふふ、我ながら良い出来ですわね。気高く凛々しく美しく。わたくしもいつかあのような騎士になりたいですわ』 ぽー、と妄想に浸るアルフォレスタが絵師の視線を受けて正気に戻る。痛い船の探索も楽しそうだが、まずは絵師の期待に応える使命感がめらめらと燃え上がった。 「そこのあなたがた!」 ビシィ、と絵師達に指さす。 「描いても宜しゅうございますけれど、条件がありますわ! わたくしにおみせなさい! 破廉恥な絵は許しませんことよ! とくにかの御方の不埒な妄想は許しませんから!」 さあ描くがいいですわ、とでも言わんばかりにポーズを決めるアルフォレスタは、昔に比べると相当鍛えられているというか、洗脳されてきていると言わざるを得ない。 こっち側に。 痛い外観の飛空船を取り囲んでいる仮装麗人は他にもいる。 「神父様ったら、善は急げなのですわ!」 「ま、まってください。この眼鏡、度が合わな……わッ!」 羽妖精ケチャに引きずられる麗しき聖職者エルディン・バウアー(ib0066)は、持ち慣れない模造品の細剣を抱えて「アッー!」と声を上げながらつまずいた。 倒れて困っているドジなバウアーを全く助けずに一心不乱に絵を描いている絵師を見ていると世も末だなと思う訳だが、バウアーは全く悲観していなかった。 それは遡ること数日前。 『参りましょう、神父様!』 『嫌ですよ! あ、あ、あんな破廉恥な像がある場所になぜ!』 それがよいではないか的な思考回路を持つ腐女子改め腐妖精ケチャは神父の説得に難儀していた。幾度も引っ張っている内に恐怖心が芽生えたのかもしれない。 ケチャは悩んだ。 そして考えに考えた。 バウアーが興味を示すもの、それは布教だ! 『神父様、物事は些細なきっかけから始まるのですわ!』 『きっかけ、ですか』 『そうですとも! よく考えてみてくださいな。確かによこしまな欲求から始まった興味かもしれません。ですが神父様の説教を聞きたいと訪れ、考証的側面からでも聖書に詳しくなり、募金献金を行うようになっていくのが人というもの! 回を重ねれば立派な信徒! いずれは神への愛と信仰心に芽生えるかもしれません!』 ないな。 と即座に思ったケチャは現実的な感想を胸の奥に秘めてバウアーに訴えかける。 これは聖なる戦。 そうかもしれない、と思わせた方が勝ちなのだ! 『今肝心なこと! それは教会や聖書への興味ではなく、神父様への興味ですわ! 神父様に会いたい、神父様の声を聞きたい、神父様の話を聞きに行かなければ……そんな使命感を抱き始めた迷える子羊たちを、神父様は御見捨てになるのですか!?』 例えるならば其れは雷に打たれたような衝撃に等しかった。 『ケチャ……私は目が覚めました! 参りましょう! 子羊の元へ!』 目が曇ったの間違いではなかろうか。 しかし此処で折角の誘導を無にしてはならない。ケチャは更なる追撃を行った。 『神父様。彼女たちが喜ぶ仮装をすれば人気上昇、教会信徒が増えますわよ』 『なるほど!』 哀れすぎる神父はこうして羽妖精ケチャの言いなりになってしまった。 いつも通りのカソック、あわない眼鏡、片手に聖書、そして漆黒の細剣(レイピア)の模造品を三本を持って目立つ場所に立つ。そして剣を指に挟んで謎のポーズを決める。 「ケチャ……これ、持ち方合ってるのですか? 少々握りづらいようですが」 ぷるぷる震える指が辛い。 「そういうものですわ! さあ神父様、教えたとおりにビシッとするのです!」 「そうは言われても指が攣りそうです。受けてますかねー? これでまた教会の名が広がればよいのですが」 羽妖精による斜め上の布教は当面続きそうだ。 「まってぇ、青ちゃん〜」 「直羽、見えますか。あれが我々の戦場です」 大アヤカシ生成姫の格好をした御樹青嵐(ia1669)は、まるで決闘に挑む勇者のような眼差しを向けていた。その隣では「あいた! 青ちゃん、これ重いよ」とめそめそ訴える弖志峰 直羽(ia1884)がいる。ただし格好は上級アヤカシ時代の鬻姫だ。 「弱音を吐いてはいけません!」 「なんでぇ?」 「今こそ試されているのです!」 カッ、と渇を入れる御樹は……背中に実質2体分のナマナリ鬼人形を背負っている。 仮装に完璧を見いだす御樹。その拘りに付き合わされる弖志峰は、当然、鬻姫が頭にしていた巨大な黒角っぽい木製のかぶり物をしているので頭が猛烈に重い。其れは例えるなら頭上に小さな米俵を乗せているような重量感で、弖志峰は上手く重心がとれなかった。 重い。 なんでこんな格好をする羽目になったのか、弖志峰はぼんやり記憶をまさぐった。 確か知り合いから衣装を渡された。着替えるくらいはいつもの事だし、と割と簡単に引き受けてしまったのがいけなかった気がする。 『さあ此方を向いて! 鬻姫の顔にいたしましょう!』 『え、え〜? い、いいよ、俺は別に』 『本日は特別なんですよ!』 『でも』 『青嵐さんを見習ってください! 彼の横に完璧な姿で立つんです!』 見れば……石鹸で顔を洗い、剃刀で顔の産毛を剃り上げ、薬用の油などからこしらえた美容クリームを念入りに塗り混み、まるで歌舞伎役者の如く肌に白粉を塗り混み、唇に紅をひいて眉炭で目元から眉までキリリと自力で仕上げている昔なじみが居た。 『あ、青……ちゃん?』 なんだろう、あの念入りの化粧。 乙女も顔負けの手の入れようだ。 『直羽、早く支度をしないと皆さんに遅れを取ります』 椿油で髪を梳く。 ぽかーん、と様子を見守る弖志峰に向かって御樹は語った。 『外見は完璧にしなくてはなりません。にわかナマナリとそしられる訳にはいかないのですよ。外見は完璧な女にならなければ妖しい魅力はひきだせません。歌舞伎の女形を思い出しなさい。あの色香、所作、学ぶべき所は沢山あります。私達は、今日、此処で、麗しい女の格好で百合を披露しつつも内面の薔薇、つまり雄々しさも内包しつつ、倒錯的な世界を引き出し、なんちゃってナマナリの仮装麗人を駆逐するのです。嗜虐と諧謔の裏に隠された愛、主従の向こうにある情熱とかなんとかを妖しく表現してみせて行きましょう。私達ならば、それが可能なのです!』 なんか……よくわからない事を喋っている。 解術の法をかけた方がいいのだろうか。 弖志峰が茫然としていると化粧役が追撃を行う。 『大丈夫ですよ。私が芸術品を仕上げてあげます。その上で会場につきましたら、対抗心と倒錯と殺し愛とか醸して!』 「……って指導受けたけど、よく分からないけど頑張る! 青ちゃんの頼みだし!」 『押し倒すポーズとか取ればいいかな? 頭の飾り重いし、横とかの方が楽かも』 「その意気ですよ、直羽! さあ! あの場所で先ずは押し倒して組み敷くところから! 目指すは下克上の芸術性! 真夜中は別の顔です!」 よくわからないこだわりを芸術と言ってはばからない親友の前に、見覚えのある人物が立った。 「ふふ、きたね」 「憂汰さん」 「なかなかの完成度だ。恐れ入ったよ」 「それはどうも。しかし外見だけだと思ったら大間違いですよ。貴方が帰る前に、あらゆるシーンの再現が可能であることを我が身を持って実証して参りましょう。それが手向けというものです」 「ふふふ、どうかな。楽しみだ」 二人の視線が交錯する中で、弖志峰が「こんにちはー」と暢気な声を投げた。 「憂汰さん、ジルベリアに帰っちゃうんだ。寂しくなるなあ……またいつでも遊びに来てよね」 これほどの目に遭わされながらも憂汰に歓迎の意を伝える弖志峰はなかなかの猛者である。 船外のモデル活動に飽きていたリィムナ・ピサレット(ib5201)は羽衣のみの護大ちゃん仮装で甲板で舞った後、船内を練り歩いていた。大事なところが見えない際どい格好は人々の注目を浴びていたが、夜春術まで使って誘惑作業に大忙しだった。 「あたしの部屋はここかなー?」 ひょっこり噂の客室を覗き込んでいると。 「どうだい、いい出来だろう」 噂の憂汰さんだった。そこでピーンと何かを思いついたピサレットが憂汰に耳打ちする。 一時間後、ピサレット部屋には長蛇の列が出来ていた。 「はいはーい! 枚数限定の生リィムナちゃんの添い寝券販売はこっちだよー! お兄ちゃん、あたしと一緒に寝よ?」 ばちーん、とウインクを飛ばす。 公序良俗ギリギリの道を行くピサレットの商売。券が高額すぎて悪徳商売ギリギリだが、取り分は五分五分らしい。上級からくりヴェローチェが黙々と販売員をしていた。まもなく完売。これから布団でごろごろしながら誘惑だー、と思っていたピサレットはからくりに抱えられた。 「ほへ?」 「まずは鑑賞からですにゃ」 「なにが?」 「日常再現券が売れましたにゃ。よってお仕置きされるリィムナをお送りしますにゃー」 「何その券聞いてな……あぎゃあー! お尻叩かないで! あぎゃあ!」 ぱしーん! ぱしーん! ぱしーん! と派手な音がピサレットの客室から聞こえた。 相棒に諸々全てをまかせっきりにしたツケなのかもしれない。 近くの通路を通る人々は「くわばらくわばら」と心頭滅却してピサレットの声を耳から弾き出していた。 既に船内に乗り込んでいた珠々(ia5322)は美味しい艦隊を受けていた。 彼女の仕事は、この船が出立した直後からジルベリアに到着するまでの時間、襲われないように護衛することだ。つまり現在は自由時間。しかし周囲は放っておいてくれない。 ちらり、と視線を横にそらす。 そこには屯する絵師と自分のファン。 憂汰にもらったティーセットのスコーンに生クリームをたっぷりかけてサックリと囓るだけで、横で「きゃわいい!」「鼻にクリームついてる!」「おいしいにゃーとか言いそう! 珠々姫ちゃんまいらぶ!」等という発言が聞こえてくる。 うるさい。けれど実害がないのがせめてもの救いか。 「おいしいにゃー」 どんどん床や壁を打っている。 彼らの思考回路は理解不能だ。 理解は出来ないが、利用する事くらいは学習済みである。 「珠々ちゃんわらってー!」 そんなリクエストにも。 微笑みで答える珠々は、ティーセットを平らげると「お手洗いにいってくるのでそこでまっててくださいにゃー、きちんと待てたらリクエストにこたえてあげますにゃー」 一般人、正座待機。 忍犬風巻とともにお手洗いに消えた珠々は、風巻に出入り口を見張らせる。 「……部屋が、無くて良かったと、思うべきなのでしょうか」 お手洗いの鏡に自問する。 「それに笑ってー、と言われるようになったのですが……笑い顔は、そんなにいいものなんでしょうか? いまいち良さというものが分かりませんが、大人しくしてくれるのはありがたい事ですよね」 自分の絵巻は何故かにゃあにゃあ鳴いていたり、不可解な事は多いけれど、いちいち理解する必要もない。ふと窓の外を見ると、知り合いが二人、大勢に囲まれて難儀していた。 「あれは青嵐さんと直羽さん」 仮装衣装を着て、完璧に化粧をきめているのに、分かってしまうのは多分、職業病かも知れない。 「こちらの似顔絵が終わったら、行列の整理係でもしてあげますか。いきますよ風巻」 きゃん、と忍犬が一声吠えた。 ラウンジに戻って、慣れたセリフを棒読みする。 「姿絵希望の方は整列おねがいします。にゃー。リクエストは紙に書いてください。にゃー」 珠々達と同じく護衛仕事を引き受けたフェンリエッタ(ib0018)は飛空船の外観を凝視して立ちつくしていた。 「なんかもー、ここまで来ると笑うしかないって感じかな」 天妖ウィナフレッドが「この船襲う奴は呪われそう」と呟く。 フェンリエッタは笑った。 「曰くが広まったら船も安全ね。開拓者ご利益万歳? いきましょ、甲板の木像は確認しておかなくっちゃ」 フェンリエッタは追いすがる絵師達にひらひらと手を振って船に乗り込んだ。 甲板には、まるで船を先導するかのように、旗を抱える自分の姿が彫られた像がある。 「流石に出来がいいわねえ。叔父様が見たら何て言うかしら」 ふふ、と笑いが零れた。 途中で見た客室内装は頂けないが、こういう健全なものなら悪くはない。 尤も、彼女を心配してばかりの叔父が見たら『俺の姪を!』等と言って暴れるかもしれないし、こちらの業界を愛してやまない嫁の影響で、嘆きながら黙認するかも知れない。 想像するのは、少し楽しい。 「これもきっと……私が生きた証なのね。誰かがいっときでも私を覚えていて……記憶に住まわせてくれてるのは、多分幸せなことなんだわ」 多分、きっと。 何一つ言い切れないけれど、自分が過ごした人生の軌跡は、戦ってきた数年間は報告書に形を変えて、見知らぬ誰かに感動や驚きを与えたのかもしれない。 自分や家族の絵巻物を見ていると、そう思う。 『誰かが見てた』 それは積み重ねの結果。 『私が何を思って生きていたのか、誰か気づくのかしら』 そう思うと幸せなことかも知れないし、忘れて欲しいという思いにも囚われる。 「こんなのなくったって」 「え、なに?」 「こんなのがなくたって、ウィナずっとリエッタのこと覚えてるもん」 「……私も覚えているわ。ありがと、ウィナ」 まだ全てに期待していた遠い時代。 今は怒りや悲しみや、灰色の雪にも感じる日々の面影。 誇りを持って、向日葵のように明日を見ていた頃の自分に似た顔をした木像を見上げた。 『この目線は、私を見ていた誰かの視線なのね。不思議』 旗を掲げる木像の自分に手を触れて。 フェンリエッタは散策に戻った。 護衛の仕事に遅刻する。 柚乃(ia0638)は真剣に焦っていた。きっと兄は呆れてこちらを見るに違いない。 遅刻と想像で頭が一杯だった柚乃の瞳には開拓ケット(カタケット)の行列なんて目に入らなかった。仕事に遅れるのが尤も重大な問題だ。なにしろ今回は商用飛空船の護衛である。しかも行き先はジルベリア。遅れたら仕事がおじゃんである。 走りながら思い出すのは、依頼人との会話だ。 『あ、憂汰さん、帰郷されるんですか?』 『まあそう言うことになるね』 『お別れです?』 『なぁに暫くだけさ。隙を見て天儀に……』と言いかけた依頼人は背後から刺さる侍女の視線に気づいたのか『……きたいとは思っているけど実際は難しいだろうね』と訂正した。 『送別代わりに護衛しますね』 『いいのかい、愛しい人』 『愛しい人になった覚えはありませんけど仕事はお受けしますよ。任せてください』 芝居がかったセリフを無敵の笑顔で退けた数日前。 まさか自主的に太鼓判を押した仕事をすっぽかす訳にはいかないので、全力で走った。 こんな時くらい龍にでも乗ればいいものを、寒さに負けた柚乃が選んだ結論は一つだけだ。玉狐天の伊邪那を襟巻きにしている時点で、色々お察し下さい状態である。 やがて見えてくる飛空船。 「まにあった、かも!」 目立つ外観に抵抗感すら覚えなくなった柚乃が乗船許可証を握りしめて飛び乗った。 そしてよろよろと大鏡の前に座り込む。 「は!」 のんびりしてる場合ではない。この船には柚乃の木像や私室と瓜二つの部屋があるという。そして多くの客を乗せている。柚乃は別に自分の部屋はどうでも良かったが、折角開拓者が大勢乗っているなら、護衛を任せて、自分は探索しようと決めた。 だって面白そうなものが、あっちにもこっちにも。 『何か面白いモノ見つかるかな〜、探索しちゃいましょ』 ちょいちょい、とラ・オブリ・アビスを唱えると、柚乃の姿は第三者には真っ白い猫又にしか見えなくなった。首に結んだ真っ赤な赤いリボンが揺れる。 『兄様きてるんだっけ、どこかな〜』 やがて閉会式がおわり、こっぱずかしい飛空船が空中に浮かび上がった。 甲板で号泣している男装の麗人憂汰ことウィタエンジェ・ラスカリタが何かを叫んでいる。隣に並ぶのは道中の警備として雇われている柚乃たちだ。 「ありがとう! ありがとう諸君! ぼくは今日という日を永遠に忘れない! さらばだ、愛しき者達よ!」 らーらー、と甲板の楽団が音を奏でる。 遠ざかる姿を弖志峰達も見送っていた。 「寂しくなるね、青ちゃん」 「ええ」 まるで沈み行く夕日を愛おしむが如き御樹の眼差しが哀愁に満ちている。 「ですが憂汰さんは萌えの落とし子。よもやこれで終わりでないでしょう。 萌えとは情熱を燃料として熱く燃え上がるもの。 それは時として全ての障害をも焼き尽くします。 未開の地でも広がるであろう、この文化の行く末が楽しみとも言えましょう。我が終生の宿敵たる憂汰さんならば、万難を排し、カタケを真の聖地に導くと信じております」 ん? と弖志峰が我に返る。 「それ……って、よく考えたら「うすいほん」とか恥ずかしい彫像とかが、ジルベリアの人達にも広まって公開処刑状態になるって事じゃない?」 「何を今更」 一瞬の沈黙。 「あああぁ! それ! だめぇー! 像はやめて像だけは! 戻って憂汰さぁぁぁん!」 顔を覆う弖志峰の絶叫は、時既に遅しであった。 さらばカタケットの申し子よ! いつかまた、どこかであえますように。 |