永遠の鬼灯祭
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 54人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/12/22 10:26



■オープニング本文

●永遠の鬼灯祭

 しんしんと、降りそそぐ白い雪。 
 渡鳥金山の高嶺に、うっすらと雪化粧。 
 吐息が白く曇る頃になると、人々はにわかに活気づく。 
「今年もこの時期がきたねぇ。さぁ、みんな。鬼灯籠をめいっぱい飾ろうじゃないか」 

 ここは五行結陣が東方、山麓の田舎里。 
 かの名を『鬼灯』と人は呼ぶ。 

 かつて人々は里の裏山……渡鳥金山を『しでのやま』と呼んでいた。 
 要は『死者がこえていく山』すなわち『あの世』を意味する。所々魔の森の侵食を受ける山脈は常人達から恐れられ、行商人や旅人が山を越えていく『山渡り』は命がけと言われている。 

 そんな過酷な場所だからか。 

 鬼灯の里では、山で命果てた者を「鬼になった」とよく例えた。 
 アヤカシの鬼という意味ではなく、飢えた死者の魂という意味である。
 鬼灯では古くから土着信仰が根強く、飢えた死者の魂が鬼となり、いつか里へ戻ってくる、と信じていた。
 人々は里へ来る鬼の目を逸らすために、外出時は黒か赤の鬼面をかぶる。更に自分が食われないよう鬼の食事として供養の炎を軒先に吊したり、持ち歩くようになった。この炎を灯した鬼面の描かれた提灯を、里の人々は『鬼灯籠』と呼んでいる。
 現し世の食べ物が冥府で炎に変わってしまう御伽噺から、現世で炎を燃やせば、あの世で炎は食べ物にかわるだろう、という眉唾な話が広まって定着した説が有力で、人々は供養の為、提灯に火を灯して供物とし、鬼面を被って来たる鬼をやり過ごす。

 これが祭の起源と呼ばれている。 

 そんな土地の風習は、いつしか鬼と共に宴を楽しむ祭、へと変化を遂げた。 
 厳しい冬ごもりの前に、鬼に怯えず皆一緒に昼夜を騒ごうではないか。
 里の人々は、鬼面の描かれた提灯『鬼灯籠』を飾りに飾った。 
 出かける者は、大人も子供も、赤か黒の鬼面を被る。 
 誰が鬼か、誰が人か。 
 祭の間は、区別もつかぬ。 
 さあ……飲んで食べて、歌って踊れ。鬼灯祭が始まった。 


●伝説の名残り 

「鬼灯祭の警備かぁ、今年もそんな季節なんだな」

 毎年、鬼灯祭が近づくと開拓者ギルドには警備仕事が並んできた。

 五行都市『結陣』東方に聳える渡鳥金山の山麓に『鬼灯(ホオズキ)』と呼ばれる里がある。
 卯城家と境城家の二大地主が土地を治め、閉鎖された鉱山の坑道を自然の蔵とし、酒造りと、山向こう地域との交易の要として栄える場所だ。里の裏手に聳える渡鳥金山一帯は、かつて生成姫が支配した魔の森に半ば呑まれていた。
 今ではアヤカシ駆除や焼却が進み、静けさを取り戻している。

「ここらの戦から、じきに二年かぁ」
「あっという間です」

 大アヤカシ生成姫が討伐されて、じきに二年が経とうとしている。
 魔の森の侵食が止まり、色々と不審な出来事もあったけれど、開拓者が知恵と力で勝ち取った平和のおかげで……住民たちは元の生活を取り戻しつつある。鬼灯の里を始めとする多くの村々は、守り神を名乗る生成姫の配下に生贄を要求されてきた忌まわしい習慣から解き放たれた。
 最も恐れる存在が消えた喜びは、大きいだろう。

「鬼灯祭の天姫伝説は元々、生成姫や鬻姫の内輪もめから発生してるんだろ?」
「そんな昔話もありましたね」

 数年前まで。
 毎年鬼灯祭になると、舞姫が剣を持ち、舞台で里の成り立ちを夜通し踊っていた。
 天姫伝説と呼称される、里と御三家の歴史はこうだ。
『元々三つ鬼の財宝が眠ると言われる秘密里に、舞い降りた天女が飢えた鬼に食われてしまう。
 天に復讐を願った天女。しかし天女にあらざる振る舞いだと天の怒りを買い、自分を食った鬼の姫となって生まれ変わってしまう。
 美しい鬼姫に成長した後、二人の男に天の力が宿った剣と笛の音を教え、かつて天女の自分を食い殺した親鬼を成敗させたのちに、鬼の呪いを受けた男二人の片方と結婚し、人間と共に叡智を持って鬼灯の地を治める』
 開拓者の調査によって、この伝説は紐解かれた。
 なんと上級アヤカシ鬻姫と大アヤカシ生成姫の仲間割れを示した話だったのだ。
 元々地域を支配していた鬻姫の所へ、冥越から生成姫が渡ってきた。狩場を奪われて強制的に支配下に入った鬻姫は、これを良しとせず、密かに陰陽師と取引をして生成姫を封印し、一時的に己の天下を取り戻した。……最も、生成姫は後の世で解放されてしまったし、裏切りがバレた鬻姫も合戦中に自我のない肉団子にされた事は周知の事実である。

 時と共に摩耗する伝承の中には、必ず真実が混ざっている。
 恐れた存在から生まれた祭。
 大本の元凶が滅びても尚、続く習慣。
 本来はアヤカシを祀った祭だったというのだから……不思議なものだ。

「今年も警備仕事に行かれます?」
「ああ、頼むよ。祭に行くと、年の終わりが来たって感じがするんだ」

 生成姫の左右の顔と同じ、赤鬼や黒鬼の仮面をかぶって。


●共に過ごす夜

 鬼灯祭が終わりにさしかかるころ。 
 舞台のあった広場には、一軒家ほども高く積まれた薪が配置される。 
 村人も旅人も、多くが広場の薪に注目していた。 
 鬼灯祭の警備を行っている迎火衆と呼ばれる男達は、皆、赤か黒の鬼面をつけていた。男達は片手に松明を持ち、頭の合図で松明を投げ込む。 

 程なくして巨大な火柱が出来上がった。煙が天まで昇っていく。
 人々は嬉々として手に持っていた鬼灯籠や鬼面を炎のなかへ投げ込んでいく。 
 無病息災を願い、時には秘めた願いをこめて。 
 かつて送り火に慰められた鬼が安らかであるように、祈りを書いた鬼灯籠を一緒に燃やしていたのが、いつしか願い事を書いて燃やすと叶うと言われるようになった。

 天に届け、この願い。 

 人々は山道の果てにある一本松の所まで歩いていく。
 両脇を鬼灯篭で照らした炎の花道だ。魔の森の付近や山道には警備を配置してあるので、安全面も申し分ない。迎え火の道を歩いて一本松へ行き、くるりと里を振り返ると……そこには鳥居の形をした鬼灯の大通りが、煌めいて闇夜に浮かび上がる。

 祭の警備に増員されていた開拓者達が、暇を得られた最終日。 
 ともに祭りに参加するべく、里へとくりだした。

 町中に夜通し煌めく鬼灯籠。
 赤や黒の鬼面をかぶり屋台を練り歩く人々。
 時々混じる、人ではない者達の怪しげな影と声が……開拓者の尽力で、渡鳥山脈に戻された土地神たる精霊一派であることを知る者は非常に少ない。

 再生しつつある山。
 星の数ほど、輝く蝋燭の光。
 そこは現し世に現れた……幻の里。


■参加者一覧
/ 鈴梅雛(ia0116) / 芦屋 璃凛(ia0303) / 羅喉丸(ia0347) / 酒々井 統真(ia0893) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 大蔵南洋(ia1246) / 鬼灯 仄(ia1257) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / スワンレイク(ia5416) / 輝血(ia5431) / 樹咲 未久(ia5571) / からす(ia6525) / ニノン(ia9578) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ジークリンデ(ib0258) / 白 桜香(ib0392) / 萌月 鈴音(ib0395) / 透歌(ib0847) / ネネ(ib0892) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 晴雨萌楽(ib1999) / テーゼ・アーデンハイト(ib2078) / 蓮 神音(ib2662) / 蒔司(ib3233) / ハティ(ib5270) / ウルシュテッド(ib5445) / 明星(ib5588) / ローゼリア(ib5674) / 蓮 蒼馬(ib5707) / 宵星(ib6077) / アルセリオン(ib6163) / フレス(ib6696) / サミラ=マクトゥーム(ib6837) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / 刃兼(ib7876) / 華魄 熾火(ib7959) / 月雪 霞(ib8255) / 朱宇子(ib9060) / 永久(ib9783) / 宮坂義乃(ib9942) / 神室 時人(ic0256) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 徒紫野 獅琅(ic0392) / ジャミール・ライル(ic0451) / 白雪 沙羅(ic0498) / 火麗(ic0614) / 兎隹(ic0617) / メイプル(ic0783) / ティー・ハート(ic1019) / 綺月 緋影(ic1073


■リプレイ本文

●リプレイ

 かつて複雑な想いを抱いた鬼灯祭。
 この祭には思い出も詰まっている。
『え、え、あ、あの! 流石にこれは!』
『しばし待て』
 初めて着た天儀の着物。慣れぬ服と新しい草履で歩いた石畳の道。二人で呑んだ路地裏の甘酒。贈り物の簪……初めてのデートと違う事は首と指に輝く証。そして腹に宿る新しい命。
 月雪 霞(ib8255)の傍らに立つ夫のアルセリオン(ib6163)は「思い出すよ」と遠い日の思い出を諳んじた。
「霞は十歩ほど歩くと転びそうだった」
「今はそんな事はありません」
 ぷい、と視線を逸らした妻を、人の波と走る子供から優しく守る小麦色の腕は包み込む風のよう。互いにぎこちなく隣を歩んだ遠い日の思い出が色鮮やかに蘇る。
「もう三年か」
「ええ。我が儘を聞いてくださって、ありがとうございます。どうしても此処へきたくて」
「構わないが……無理はしないでくれ。心臓に悪い」
「ふふ、アルったら。先月に比べたら嘘のように体が軽いんですよ。お医者様も少しは運動して体力を養うようにおっしゃってますから」
「そう、なのか」
「時々中の子が元気にお腹も蹴ってきている感じもしますし」
 日に日に成長する新しい息吹。
 アルセリオンが子連れを眺め、月雪を振り返った。
「二人で鬼灯祭に来るのも最後になるのかな。……それとも、もう三人なのだろうか」
 月雪が優しく腹を撫でる。
「そうですね。いつか、この子と一緒に、手を繋いで……ねぇ、アル。アルがいなければ、私は私を愛せませんでした」
 愛して受け入れてくれた事への喜び。宿った命に感じる愛おしさ。
 今は未来が待ち遠しい。
「アル……あの、一つだけ、我侭を言ってもいいですか?」
「なんだろう」
「その、あの時のように私を抱き上げて、人通りの少ないあのお店に甘酒を飲みに行きたいです」
 アルセリオンは霞を抱き上げて思い出の道を歩きだす。
「霞、その子が産まれたら……師の所へ一緒に報告しにいこう」
 きっと喜んでくれるだろう。


 牡丹雪が降る中で白 桜香(ib0392)は、此処へ来る前に会った青年の事を思い出していた。
 線の細い四肢に柔らかな眼差し。
 白を見て眩く微笑んだ若者の名は如彩幸弥と言った。鬼灯から更に東、白螺鈿の地主である。
 丹誠こめて作ったサツマイモの茶巾絞りや茶巾寿司を差し入れて、少し話しただけだったけれど……
「桜香、また考え込んでるー」
 ぷぅ、と頬を膨らませるのは上級人妖の桃香。
 いつか連れていくと約束した鬼灯祭に訪れてご満悦だったが、白はどこか上の空。
 ぽー、と藍色の星空を見上げる白を桃香が度々声をかけて正気に戻していた。
 流石に白も申し訳なくなったらしい。
「ごめんね桃香。お詫びは何が良い?」
「屋台で小鍋食べたい! お饅頭も!」
「じゃ、美味しいお店を発見する為に食べ歩きしましょうか」
「任せて楽しみー!」
 白銀の道を歩いていく。


 もふら半纏を着て手袋を身につけた幼い春見の傍には、蓮 神音(ib2662)と蓮 蒼馬(ib5707)がいた。
「春見ちゃん、今日はお祭りだし林檎飴でも焼きそばでも、好きな物を買ってあげるよ」
「余り甘やかしすぎるのは良くないぞ」
 蒼馬に釘を差された神音が、ぶー、と頬を膨らませる。
「分かってるもん」
「ならいいんだが……」
 蒼馬の視線に酒の幟が目に入る。
「と、今年も酒の飲み比べをやっているんだな。やはりここは挑戦しないとな!」
「ちょっとセンセー、春見ちゃんがいるんだから余り飲み過ぎないで」
 釘を差された蒼馬が「おあいこだな」と苦笑い一つ。
 しかし呑む。
「ま、飲み過ぎないようにはするさ」
 神音が買い物に走るより先に、溺れるように飲み始めた。
 蒼馬の酒豪っぷりを客席から観戦する神音と春見は甘酒と五平餅を楽しむ。
 勝ち残った蒼馬が上機嫌で戻ってきて、春見を肩車するので神音は「センセー、転ばないでよ」とハラハラしていた。
「だぁいじょうぶだ。ほら春見、よく見えるだろう? 肩車はな、このお姉ちゃんにもよくせがまれたものだぞ」
「もぉ〜! センセー、いらない事ばらさないでよ〜!」
「あはは」
 笑いながらぐるぐる回る酔っぱらい。
 春見は無邪気に喜んでいて、後を追う神音はふと『神音も昔こんな風だったのかな』と古い記憶を掘り起こす。
「……この子を幸せにしてやらないとな」
 ぽそりと呟いた蒼馬の言葉に、神音は「うん」と首肯した。
『しかし、俺はこの歳で孫持ちになるのか……おじいちゃん、なぁ』
 道行く人の波に蒼馬達が呑まれていく。


「不思議なものだな」
 酒屋の軒先に座る羅喉丸(ia0347)は、熱燗を傾けながら大通りを眺めた。
 由来と真相の乖離。忌むべき存在の終焉。
 色々思う事はあっても「今はもう関係のない事か」と結論づけた。
 大勢があんなにも楽しそうなのだから。
「この地に平和を取り戻した開拓者には感謝しなくてはな」
 姿を知らぬ同胞に盃を捧げて呷る。
 さて次は何を頼もうか……とお品書きを手にすると、屋台を見に行った天妖の蓮華が戻ってきた。
「何を呆けおる、ゆくぞ、羅喉丸」
「待て蓮華。この銘柄を土産に一升買わせてくれ」
「悠長な。楽しい時はすぐに過ぎ去ってしまうぞ。さあ急ぐのじゃ。ついでに妾の分も忘れてくれるな。さもなくば」
「分かってる。今いくよ。……祭りが終わるその時まで、楽しまなければな」
 羅喉丸は鬼灯酒の発送を頼むと、雪の中へ繰り出した。


「外は相変わらず凄い人手だな! 美味しそうな匂いも沢山である!」
 大通りを歩く兎隹(ic0617)は酒饅頭の詰まった紙袋を抱えてご満悦だった。
「角屋の酒饅頭、美味しいのである〜。うぅむ甘酒と一緒に食べると、ほっこり温まるな!」
 うまうまと口いっぱいに黄身餡や粒餡の饅頭を頬張る。
 兎隹の隣には「いい食べっぷりだね、一口おくれよ」と笑う火麗(ic0614)がいた。片手に酒の徳利を抱えて豪快に直呑みしている。
『美味い屋台に美味い酒が有れば言うことないね。あとはまぁ……』
 火麗がちらりと一瞥する。
 俯きながら二人の後を追う白雪 沙羅(ic0498)がいた。こういう時、ついお節介を焼いてしまう。火麗は二人を屋台に誘い、美味しいと噂の鴨出汁と山菜の焼き饂飩を食べながら事情を聞くことにした。
「沙羅、黙ってないで話してごらんよ。少しは胸のつっかえが晴れるかもしれない」
「我輩達が力になるである!」
 すると白雪は饂飩を前につらつらと悩みをうち明けた。
 故あって養女が部屋に引きこもってしまったらしい。
「わ、私達の言葉が足りなかったせいで、あの子を不安にさせてしまって……」
「まあ人間誰しも誤解を生む時はあるってもんなんじゃないかい」
 今回の仕事も連れ出すのは心配で、かといって家に一人で置いておくのも心配だからと、相方がとんぼ返りする予定らしく、白雪はお土産を託されたのだそうだ。
「部屋から出て来た時に喜んで貰えるように、お土産買って帰りたいんです。火麗さんも兎隹さんも手伝って下さい!」
 ぐっと拳を握る白雪を前に火麗は「明希への贈り物かい」と土産物に視線を移し、兎隹は「任せるである! 例え軍資金が足りなろうと我輩も出資しようぞ!」と力強く叫ぶ。
 瞬く間に饂飩を啜ると、三人は大通りを彷徨い出す。
 再び饅頭を食べながら土産を探す兎隹は真剣そのもの。
「明希殿にお土産……里ならではのお面は女の子ではあまり好まぬか。羽織物は季節柄良いかもしれぬ」
「そうですね。冬だし暖かな羽織物とか! 素敵な織物ないかしら。うちで暮らすんですから服もあった方がいいですよね。あと髪飾りと日持ちするお菓子も買って……」
「お菓子も良いが、酒粕を買って帰って、家で鍋を囲んではどうかな? 明希殿も同居人のかたも、鬼灯祭の気分を味わえるやもしれぬ! 家でお祭りである!」
 あれも良い、これも良い、と話しているとお土産は膨大な量になっていた。
「な、何か両手一杯になりましたけど気にしない!」
 使い込んだ額を考えたら負けだ。
「明希、喜んでくれるでしょうか」
 俯く白雪に火麗が柔らかく微笑んで諭す。
「素直に想いを伝えられるようにするのがいいんじゃないかと思うよ。大好きな気持ち伝えられるのが何よりだと思うんだ」
「そ、そうですよね! 大好きな気持ちが伝われば! ちょっと荷詰めしてきます!」
 遠ざかる白雪の背中を見て火麗が肩を落とす。
「上手くいくといいけど。ふぅ……私にもストレートにああ言ってくれる人いないかね」
 小声を拾った兎隹が「ぬ?」と火麗を見上げる。
「火麗姐は我輩も大好きであるぞー!」
「わ!?」
 びょーん、と抱きついた兎隹と火麗の間で袋の中の饅頭が潰れた。



 お玉を握った鈴梅雛(ia0116)は鍋の中から茸と白菜を掬い上げる。
「酒粕鍋は、体がすごく温まりますね」
「はふっ……銘酒の里ですし……酒粕も……他とは違うんでしょうね……雛ちゃん、お塩と胡麻とってください」
 豆腐が熱い。しかし美味しい。萌月 鈴音(ib0395)は鍋を食べながら窓の外を見た。
 幾度も眺めてきた景色も、最初の頃とは随分違う。
『思えば……仕事で花嫁衣裳を探しに来ただけの筈が、随分な大事件に巻き込まれてしまいました』
「後で篝火にいきますか? 何か気になるお店が見えます?」
 萌月が振り向くと、鈴梅が鍋に埋もれた豚肉を探しながら首を傾げている。
「はい。いえ、その……時間は掛かりましたが、こうして……平和な姿を見ると、やっぱり感慨深いものが……有ります。鬼を探すことも……無くなって、不思議で。……正直、何度か本当に、死にかけましたが……」
 かつて刺された傷は癒えて痕も残っていないが、意識すると疼く気がする。
 鈴梅も窓の外を見た。
「元々人か鬼かも区別しないお祭りですし、紛れていた鬼が精霊様に代わっても、何も問題も無いですよね」
 願わくば……これからもずっと、平和にこのお祭りが続いていく事を祈りたい。
「ところで雛ちゃん、凄く……食べてませんか。お肉三皿?」
「うちも一悶着ありそうなので、今の内に英気を養おうかと」
 萌月は「……大変ですね」と言って手元の4皿目を差し出した。鍋は肉がうまい。


 ネネ(ib0892)は幼いののを膝に乗せて二種類の鍋を食べていた。
 子供に酒粕は大人の味らしい。結局ののの為だけに味噌鍋を頼み、仙猫うるるを抱きかかえたままで豚肉を好んで頬張る。また野菜嫌いと言っても芋類は好きらしい。
「のの、お姉さん達もさっき見かけましたから、食べ終わったら会いに行きましょうか」
「うんー!」
「そうだ、この前渡し忘れていたプレゼントがあるんです」
 ネネはネックレスのガーネットスターをののの首に飾った。元々大人向けなので、ちょっと鎖が長いけれど、何年か経てば身長も伸びて似合うようになるだろう。実はもう一つ贈り物があるのだが、それは帰ってからになる。
「のの。これはね、ずっと私を守ってくれていた物ですから、きっとののも守ってくれますよ。私はずっと一緒にいますけど、雪が溶けて、春が芽吹き、夏が過ぎて、秋の落葉がおわったら……次のお祭りも、また一緒にきましょうね」
「おまつり、いくー!」
 来年も、再来年も、その次も……穏やかに過ぎていきますように。


 毎度の事ながら、酔いつぶれた者介抱が当たり前になってきている、とからす(ia6525)は思った。いい加減、自前で提供している激苦薬草茶の代金を経費で取り立てても良い気がする。こうみえてからすは一般客だ。酒屋で居合わせた无(ib1198)と共に一席借りていて、鍋もある。からすがお節介を焼いている間は、提灯南瓜キャラメリゼが鍋の番をしていてくれるから心配はないが。
「ソコ! まだ煮えてないネ! ソコ! 煮過ぎネ火弱めるアル!」
「……キャラは別の卓の鍋にまで遠征したのか。よく働くことだ」
「お帰りなさい。煮えてますよ」
 无から椀を受け取り、話す事と言えば歴史の欠片。
「先ほどの話の続きだが」
「紡ぐ糸は変われど歴史という織物は紡がれる、とこですかねぇ」
「彼女らは死して本当に天姫となったのだ。これでいいのだよ。とはいえ『たった二年』の事。ヒトの記憶からいつしか忘れられる事もあるやもしれない。アヤカシの脅威を伝えるこの祭、末代まで語り継がねばなるまいて……」
「からすさーん、一人倒れました」
 ろくに鍋もつつけない。
「すまない。すぐに戻る」
「いえ、どうぞ。私も少し旧友に挨拶してきます」


 その日、胡蝶(ia1199)は小隊仲間や学友を引き連れていた。
「今日は私の奢り。合戦の報酬を支払ってあるから気兼ねせずやってちょうだい」
 胡蝶が注文する様を見て、お品書きを持つ晴雨萌楽(ib1999)がそわそわと鍋を待つ。
「山の幸、だって。楽しみだなァ、なに出てくるんだろ?」
 鍋がきた所で樹咲 未久(ia5571)が立ち上がり、謎の風呂敷包みを差し出した。
「胡蝶さん。折角の宴ですので、これも混ぜて頂いて宜しいですか?」
「却下」
「何故ですか」
 数日前、樹咲は『宴会では、私渾身の料理を持参しますので、楽しみにしていて下さいね』と宣言したのだが、その言葉に胡蝶含めて数名が戦慄を覚えていた。
「焦げたり爆発する物体は別の鍋に入れて頂戴。今、空の鍋を頼むから」
「違います! 今度は、焦げたり爆発したり溶けたり失敗してません!」
 疑惑を払拭すべく包みを解く。重箱には『揚げた鳥と芋の甘辛和え』が詰まっていた。
「鍋に……混ぜるの?」
「違います。鍋は完成品がありますので簡単に摘まめるモノですね。義弟の料理です」
 どうやら危険を察知した家族が作った様だ。経緯を聞いて、ありがたく鍋の隣に並べた。
 胡蝶は「未久、萌楽」と二人の名を呼んだ。
「青龍寮の卒業後は会いにくくなるでしょうけど……楽しかったわ」
 学舎で過ごした日々。
 国の都合に散々振り回されつつも、皮肉な事にそれが学友との結束を強めた要因の一つにもなっている気がする。苦楽を共にした学友の言葉に、晴雨が頬を掻く。
「えと、改まるとなんだか照れるね。卒業間近で授業の顔合わせも少ないから、こういう機会があって良かったってカンジ。ゆっくりお話したかったしさ。それで、えっと……」 急だと言葉が出てこない。
『何話そう。あたい自身は、そんなに自分から話すようなコトは……っていうのは嘘、か』
 晴雨には一大決心した事があった。
 だが同級生全員の前でもないので、言い出しにくい。
『また今度カナ。今日は宴会を楽しむ事にしよっと。皆と一緒にいるってのが、今のあたいには大切だかんね。で、なんて言い繕う』
 言葉に困る晴雨の隣では、酒を飲んだ樹咲が笑い倒していて、胡蝶は眉を顰めていた。
 そこに同寮生、現る。
「おや、来られてたんですね」
 无の姿を見上げた晴雨が笑った。。
「同じ店なんて奇遇だね。少しあたい達と話していきなよ」
 一方、席を譲った胡蝶は透歌(ib0847)やスワンレイク(ia5416)の隣に腰を下ろした。
「しっかり食べてる? 透歌も遠慮しないで」
「はい、あの、胡蝶さんも食べませんか。一緒だと、美味しいです」
「頂くわ」
 胡蝶の返事を聞いて、透歌は嬉しそうに鍋や大皿の品をとりわけ始める。
 スワンレイクも鍋の白菜を頬張った。
「酒粕の風味がとても引き立っていて、お野菜もお魚も美味しいですわ〜」
「口に合うなら良かったわ」
「寒い季節になりましたが、心も身体もぽかぽかと温まりますね」
 スワンレイクは店内を見渡す。
 あちこちで鍋を楽しむ同業者の姿が見えた。
『こんなにも穏やかな気持ちでお鍋を楽しめるのは、皆さんのおかげなのでしょうね』
「胡蝶隊長」
「なあに。この餅巾着ほしいの?」
「いえ、餅巾着ではなく。こうして楽しそうに鍋を囲む皆様をみていると……やがて穏やかな時代が訪れ、ギルドに警備のお仕事が並ぶ事が無くなったとしても、こうして年の終わりには集まって賑やかに過ごせるはず……そう思えてならないのです。この出会いに感謝しています」
 どこかしんみりとした言葉に「何言ってるのよ、当たり前でしょう」と胡蝶が告げる。「仕事が無くなる日はずっと先。これからも何かと頼らせてもらうけど、よろしくね」
 スワンレイクは「いつでも」と答え、透歌は「こちらこそ」と緊張気味に姿勢を正す。「あの胡蝶さん」「なあに透歌」「いままで……いろいろ助けてくれたり励ましてくれたり、本当にありがとうございました。それで、これからもどうか……宜しくお願いします」 年月を経ても、変わらぬ絆を祈りたい。
 ふいに胡蝶は煙管をふかす鬼灯 仄(ia1257)の視線に気づいた。
「何よ」
「いやぁ、からかうと面白いトゲのある小娘が、からかうと面白いトゲのある美女に成長するとは。月日の経つのは早いもんだなあ」
「褒めてるのか貶してるのか、どっちかにしなさいよ」
 軽口を叩き合う関係も思えば長くなったものだ。
「で、胡蝶。俺には何か無いのか」
「御礼を言うような事はないわね」
 清々しい返事だ。
「ひっでぇな。折角来たんだし一献酌み交わしましょう、とかないのかよ。美女の酌を楽しみにしてたのに」
 管を巻き出す酔っぱらいを一瞥して「まあ酌くらいはしてあげるわ」と新しい酒瓶を開封した。
 すると『シュパーンッ!』と衝撃音が聞こえた。
 胡蝶と仄が振り返ると襖の向こうに見覚えのある顔がある。テーゼ・アーデンハイト(ib2078)だ。
「見つけたぁあぁ、あ」
 倒れた。前髪と服が氷っている。
「どこいってたのよ、テーゼ」
「迷子の親御さん探しで時間取られて、これはある意味、天儀に暮らす人の危機を救う為の正義を成した訳で、うう、俺はよくやった」
「自画自賛はいいから火鉢に当たりなさい。上着を脱ぐ!」
 やがて凍傷寸前の手を畳に揃えて「すいません。バタバタして遅れました」と土下座芸を披露した後「わーん、待ち合わせに遅刻したけど大目に見てくだせぇ!」と大声で縋るものだから、仄達は吹き出し、縋られた胡蝶は慌てた。
「分かったから。いいからまずは食べなさい」


 火鉢の傍でガタガタ震えているのはジャミール・ライル(ic0451)だ。
「寒いー、まじ飲んでないとやってらんないよねー。都に比べて、こっちすっげぇ雪降ってるし……けど宴会は好きー。鬼灯酒ちょーだい、辛口吟醸の黒ね。器にお肉入れといて」
 冷えた足も温かそうな尻尾を見つけて布団代わりに隠す。
「冷えるとさー、人肌恋しくなるよねー。あ、お鍋来た」
『今年の冬は、誰と何して遊ぼうかなぁ』
 神室 時人(ic0256)は徐に和菓子が詰め込まれた紙袋を取り出すと団子や甘納豆、煉切などを徒紫野 獅琅(ic0392)の呑水に山盛り盛りつけ始めた。
 輝く善意を前に拒否権はない。
「遠慮せずとも沢山食べなさい、獅琅君。まだまだ食べ盛りだろう?」
「いや、はい、食いますけど……」
「ジャミール君も貸しなさい」
「え、あ、室ちん? 俺のお肉!」
「君は不健康な生活を送っていそうだからね。偶には野菜も食べたまえ。ほら、あーん」
 えー、と渋っていたジャミールも、こんもり椀に野菜を盛られる未来を想像してしまい潔く頭を切り替えた。試しに「野菜は、あんまりかなー」と言えば「好き嫌いはよくない」と真顔で宣う神室が人参を差し出してくる。
「じゃ、室ちんが食べさせてくれる分しかいーらない。あむ」
 まぐまぐ食べる様は餌付けされる雛の如し。
「俺も俺も、あーん」
 そしてジャミールが神室にあーん返しをして皿の野菜を減らしていく。ふわふわしつつも流石はその道のプロである。一方、徒紫野は愕然としていた。
『先生……女っ気がないなあと思っていたけど、そういうのがお好みだったんですか……』
 誤解加速。
 特別偏見は無いつもりだが、どうにも意識してしまうと落ち着かない。居心地悪そうにしている徒紫野を見て、野菜減量作戦中のライルはにんまり笑顔。
「しろちゃんもいる? はい、あーん」
「お、俺はいいです。どうぞ先生に差し上げてください。気にしないで」
 全力で回避。
 賑やかな男性陣を微笑ましく眺めて「賑わっているな。こういう日くらい飲んで食べてするべきだな」と放置を決め込んだ紫ノ眼 恋(ic0281)は、黙々と鍋奉行をしていた。
「酒粕鍋は温まるな。メイプル殿は食べれているか?」
「ん、ありがと」
 初めて見るお鍋は温かくて美味しくて思わず尻尾が揺れる。でも少しだけメイプル(ic0783)は寂しかった。大好きな彼がいないからだ。もし彼がいたならば、酔った振りをしてヤキモチを妬かせたりして楽しめただろうに……と、賑やかな男性陣を見て思う。
 メイプルの視線の意味を誤解した紫ノ眼が自信満々に宣言する。
「案ずるな、何かあれば酔っぱらいから守ってやろう」
「……ふふっ、頼もしいわね?」
「おー……、人が沢山だ。はい、お土産」
 遅れて現れたティー・ハート(ic1019)が紙袋一杯の酒饅頭を配って回る。甘党の神室は当然大喜び。並んで買った甲斐があったよ、と言って座り、紫ノ眼に渡された鍋を頂く。
「酒粕鍋……へぇー初めて食べ、た……結構うまい、な。酒臭い訳でもないし、下戸だけど……今日は3杯くらいはイケる……気がす、る」
「ティー殿、3杯等と言わず沢山食べて飲むがいい。折角の祭なのだからな」
 勧められるままお酒も飲むと……早くもハートの気分がふわふわしてきた。
「恋ちゃーん、なんだか楽しくなってきたよぉー! いない、いないばぁー、あはははは」
 酒を飲ませた元凶は「ティー殿は今日も元気だな。うむ」と事態を理解していない。
 メイプルがジッと眺める。
「楽しそう……ねぇジャミール、折角だから踊らない?」
「メイプルちゃん踊るの? じゃあ踊るよー、皆も如何ー?」
 本職が立ち上がった。メイプルが更に「恋も踊る?」と言って笑顔で手招きする。
 紫ノ眼の隣でウサミミをピコピコ動かしていたハートは、恋の腕を掴んで立ち上がった。
「みんな踊るの? じゃあ俺演奏するね! さぁ舞って! とう!」
「う、わ……え、えっと、ティー殿。こ、こうで良いか?」
 暴走を開始した向かい席を、温かく見守る徒紫野たち。
『よし、楽しそうだし放っておこう。で……先生がくれるものは、いつも綺麗で優しい気がする』
「先生。お好きなのは知ってますけど、甘いものばかりは駄目ですよ」
 神室は笑って兎型の煉切を徒紫野の掌に載せた。
「この煉切は、最近妹が好んでいるものでね、女の子が好きそうな可愛い形だろう?」
 味も保証するよ、と言った後、神室は鬼灯籠を手に取った。後で皆で篝火に投げ込みに行く。煌めく炎にのせて願う事は『彼らが幸せでいられますように』という事だった。
 お腹を満たして、どんちゃん騒いで、寝潰れて。
 穏やかな寝顔を見た徒紫野は……紫ノ眼にくっついて全力で尻尾をもふりだす。
『よく酔ったふりをして、もふり倒してたけど今日も癒やし効果抜群だな。ついでに耳も触っとこう』
 酔いが醒めたら、みんなで篝火へ足を運ぼう。
 来年も、再来年も、この先も皆で楽しく過ごせるように祈って。



 一本松に到着後、綺月 緋影(ic1073)は挙動不審だった。周囲を注意深く観察する。
「誰もいないか? いないな? よし」
「おんし、首がもげるぞ」
「蒔司ー。寒い!」
 びたーっと蒔司(ib3233)の腕に抱きつく。寒かったのか、と目を丸くした蒔司はなんだそんな事か、と溜息を零して外套の中に招いたが、綺月は溜息を別な意味で受け取った。
「いいだろ、少しくらい甘えたって。伴侶なんだからよ。俺の嫁になるっつったよなー?」
「……嫁っ。なんじゃ、改めて言われると照れる、のぅ。ふつつか者じゃが、宜しゅうに? 旦那様よ。して、願いを書かずに来た訳じゃが」
 良かったのか、と暗に問われる。一番乗りできた理由はこれだ。
 綺月は天を見上げた。
「願い事すんのもいいかな……って思ったけど、良く考えたら願い事はもう叶ってる。それ以上望むのは欲張り過ぎってもんだしなー。人が多いトコよりは、なんてーか二人の方がいいってか……何でもねーよ」
「なんじゃ、緋影は欲がないのう」
「ほっとけ。蒔司程じゃねぇ」
 蒔司は「ワシは」と言いかけて黙り、何か思い立ったあと真顔で耳を貸すよう合図する。
「何だよ?」
「ワシはおんしとおれば、いくらでも欲深うなるぜよ」
 ざわ、と赤毛が逆立った。
 挙動を隠せないのが獣人の悲しい性である。顔を赤くした綺月は耳を押さえた。
「ま、ま、ま」
「……うん? 酒の話じゃ、気にするな」
「え、あ、酒! 酒な!」
「……緋影、顔が赤」
「あぁぁあ里が綺麗だよな」
「おんし、何か考え」
「うるせぇ。景色が綺麗で感動で胸一杯なんだよ! ついでに蒔司で暖を取るのにも限界だから戻って酒! そう酒! 酒ひっかけようぜ!」
「おう……そうじゃな、鬼灯酒で一杯やろうやないか。酒粕鍋も食うてみたいのぉ」
 余裕綽々の長身から顔を背けた綺月が、物陰で仕返しを誓う。
「戻ろうか、旦那様よ」
「遊んでるだろ、蒔司。覚えてろよ。……元凶はもういねえけど、こういう祭が続いて行くのはいい事だよな。何より、真っ白なところに赤い火が浮かび上がってて綺麗だ。来て良かった」
「そうじゃのぅ」
 浄化の炎が描く鳥居の道。
 過去には苦難も哀切も怨嗟も、魂切るような祈りもあったことだろう。
『今は明日に向かって歩めるのなら、全ては生きる糧になりえた、ちゅう事なのかの』
 人の身では全てはあずかり知らぬ事だ。
 蒔司は頭を振って、来た道を戻っていく。



 願いを書くリオーレ・アズィーズ(ib7038)の筆には迷いがない。
『明希の誤解が解け、元気になりますように』
 養女の事を思う。
 からくりベルクートに留守を預けてきたが、やはり心配だ。速やかに炎へ投げ入れて熱心に祈ると都に向けて走り出す。焦っていてもアズィーズの頭は冷静だった。
『まずは何処から話せば……お土産を買って、お祭りの起源や裏事情あたりをとっかかりにすべきでしょうか。こうなっては開拓者と生成姫の戦いを順立てて話すしかないですよね。私や沙羅ちゃんが神の子で無いという説明も含めて、明希に責任が無い事と兄弟姉妹に襲われる心配もないことも話さなければ。戻って報告書の写しと資料集めからですね』
 準備が整うまで娘が家出しない事を願うばかりだった。


 耳当て付き帽子を被った華凛はハティ(ib5270)と篝火の傍に立っていた。
「それ何?」
「これは昔世話になった知人への手紙だ。色々とすれ違い伝えそびれたまま亡くなってしまった。ここで燃やせば届くように思えてな。華凛は何を願う?」
 封書を火にくべた。華凛は結局、何も願わずに面を火に投げた。
 何を思ったかは分からない。
 大人びた横顔を見て「サンタの代わりだ」とハティが言い、店の連なる通りへ華凛の手を引いていく。


 真綿の雪が吐息に溶ける。
 眩い祭火に満ちた石畳の通りを歩く礼野 真夢紀(ia1144)は、幼い桔梗と猫又小雪を連れていた。
 温かい鍋に、香ばしい串物。
 真っ赤に色づく飴玉に、鬼の焼き印が入った煎餅。
 最期に辿り着くのは橙色の炎がのぼる篝火の前だ。礼野は子供に手本の文字を見せる。
「文字はこうなるわね、自分で書いてみる?」
 まるで鏡に映した字になるのは致し方ない。桔梗の横で、礼野は自分の面に『姉達の無病息災と子供達の幸福を』と文字を書き綴った。
 紅蓮の炎に願いを投げ入れ、黒檀の如く燃える様を見守る。
「来年は自分で書けるように文字の練習しない?」
 言葉に命が宿る事を願って。


 白い雪が降る中に、少女を抱いた朱宇子(ib9060)がいた。
「篝火の傍でも冬だから、やっぱり冷えるね。旭ちゃん、大丈夫? 寒くない?」
「んー、ぬくぬくで平気。シューコ、寒い?」
「すこしね」
 そこへ三人分の甘酒を持った刃兼(ib7876)と黒鬼面をつけた迎火衆がやってきた。朱宇子達を見て小脇をつつく。
「刃兼ー、おめぇ。こんな吹雪の道端にべっぴんの嫁っこと娘立たしてたんかよ。先に言ってくれりゃ、あったけぇ席位手配してやったのに」
「……違う、ぞ」
「え、娘じゃねーの?」
「旭は俺の娘だが、彼女は単なる幼馴染みだ。同じ長屋で旭の風呂とか、よく面倒見て貰ってる」
「へえぇえ?」
 からかわれる刃兼を複雑そうな目で見る朱宇子と、状況が飲み込めずに交互に視線を動かす旭。刃兼は持っていた甘酒を二人に渡すと、男を振り返った。
「荷物、ありがとう」
「おう」
 串焼きや饅頭の紙袋を受け取る。持ちきれない買い出しを手伝ってくれたらしい。迎火衆の男は、最期に三人の後頭部に鬼面を被せて手を振った。
「じゃーなー、楽しく過ごせや。……おい、刃兼。あんな気立ての良さそうな娘、ほっといたら誰か貰っちまうぜぇ。俺とか!」
「いいから仕事に戻ってくれ。あんたの奥方が泣く、ぞ」
 迎火衆は「違いねぇな」と笑って去っていく。
 げっそり窶れた刃兼が気まずそうに「待たせてすまない」と告げた。
「ううん平気。甘酒のお陰、かな。ね、旭ちゃん」
「うんー、あまーい」
「なら良かった。さっきのは、どうにも無駄口の多い人で……悪い奴じゃないんだ、が」
「買い物、持ってくれたんだよね。分かってる。お礼、言い損ねちゃったけど」
 朱宇子の様子に刃兼が胸をなで下ろす。三人は篝火傍の長椅子で、早めの夕飯を食べながら鬼面に願い事を書き始めた。散々悩んで『家内安全 刃兼』と全く変わらない文字を記す刃兼に対し、朱宇子は周囲を気にしつつ丁寧に願いを書いた。
 岩魚の塩焼きを頭から囓りながら見上げてくる旭に気づいて「旭ちゃんには見せてもいい、かな」と独り言を呟く。
「刃兼には内緒ね」
 その言葉の意味を、旭はよく分かっていなかった。
 ただ「しぃー?」と人差し指を口元に当てる朱宇子の真似をする。旭が朱宇子の願いを見せてもらった。無垢な琥珀色の瞳に「こうして文字にして、自分に気合を入れたいな、と思って」と小声で囁く朱宇子は、旭を挟んで隣に座る刃兼を見た。
 白皙の横顔に減紫の髪が掛かる。
 色の違う左右の瞳が朱宇子の視線に気づいた。
「ん? え、俺考え過ぎ、か?」
 焦る刃兼を見て朱宇子が「そんな事は無いと思う、けど」と言いつつ苦笑を零す。
 二人の会話は微妙に食い違っていたが、刃兼が機微に気づく節はない。
「刃兼、お願いごと書き終わった?」
「ああ。同じ願いでも、込める想いは少しずつ変わってる……これが生きて年を重ねてるってことなんだろう、な。前は故郷を思ったんだが、今は自分が造った家族に対しても願うよ。健やかでありますように、と」
 言いながら娘の頬についた魚の屑を取る。
「数日後か、数年後か、どのみち色々と避けて通れない道、だな。そういう覚悟もひっくるめて親子になりたいと思った訳だけど」
「……るいな、旭ちゃん」
「え?」
「なんでもない」
「そう、か? 朱宇子や旭はどんな願いを書いたんだ?」
 すると旭が「だめ、ないしょー!」と言いながら自分の鬼面を養父の顔に押しつけた。鬼面には『さかな』と書いてあった。
「旭、これは……どんな願い、だ?」
「いつもお魚たべられますよーに!」
 娘の要求に『明日から暫くアラ汁と焼き魚だな』と覚悟を決めた刃兼は、朱宇子の願いを追求するのをすっかり忘れた。一方、朱宇子は何故か旭に感謝して手を合わせていた。


 篝火近くの甘味所で、小隊【四姉妹】が待ち合わせていた。
 サミラ=マクトゥーム(ib6837)がさりげなく真名(ib1222)を人の波から守る。
「ありがと。姉さん達、そろそろかしら」
「噂をすれば、かな」
 まずアルーシュ・リトナ(ib0119)が娘と羽妖精思音を連れて現れた。しろくまんとに手編みのマフラー。宿で待たせていた養い子を迎えに行っていた。続いてローゼリア(ib5674)とその娘も姿を現す。リトナは「未来さん、生活は慣れました?」等と話しかけて子供を話の輪に入れるよう気を使っていた。
「事情は前に聞いたけど、ローザ達の言ってたのは、その子?」
「ええ、サミラ。この子が……私の愛する娘、未来ですわ」
 誇らしげなローゼリアは集った面々を見渡した。
『ふふ、いつもならばお姉さま方の手を取っていたものでしたが、変わるものですわね』
 誰かにひかれることを願った手が、今は養女の小さな手を引いている。不思議だ。
「さ、未来。自己紹介を」
「あたしは未来よ。恵音ねーねは別々に住んでるけど、未来のねーねだよ」
 妹に先を越されて立ちつくしていた恵音を見て、手を握っていたリトナが助け船を出す。
「恵音も、サミラさんとは初めてですね。御挨拶をできるかしら」
「あ、私……恵音、です。未来と同じ場所で、育ちました。よろしく……御願い、するわ」
 ぺこり、と頭を下げた。
「二人とも、初めまして。私はサミラ、アル=カマルの戦士でアルーシュ達の親友、かな。よろしく、ね」
 大切な親友の家族なら自分にとっても大切な人に違いない、とマクトゥームは考えた。
「恵音は久しぶり。未来とは初めてだったわね。はじめましてね。私は真名。よろしく」
 真名は膝を折って視線を合わせると、にっこりと微笑みかけた。
「久しぶり……あの、私たち、い、一緒で……いいの?」
 真名は「お祭りはお祭りよ。一緒に楽しまなきゃ損よ?」と言ってウインクひとつ。
 ローゼリアは微笑みかけた。
「そうですとも。気にするより楽しみましょう。それでこそ越えた事になりますわ」
 鬼灯祭の発祥がなんであれ、今は人の望みが象った祭だ、とローゼリアは思った。養子に迎えた娘達が、昔は血塗られた運命の中にあっても、今は自分達にとってかけがえのない相手として隣にあるように。
 小隊【四姉妹】が集合後に「まずやろう」と決めていた事は願掛けだ。
 真名は『皆のお願いが叶いますように』と書いた。今は個人的に願う事はない。その分、皆の願いが叶えばいい。来年、再来年と、また来る機会はあるだろうから。
 マクトゥームも自分以外の為に願いを記す。
『私にとっての三人の様に、この子達が良縁に恵まれますように。それが私達の、幸せ』
「こんなもの、かな」
 マクトゥームは、じっと少女達を見た。恵音はゆっくりと、未来は熱心に文字を書く。
『あ……アルーシュやローザ達と過ごすこの子達が何を願うかは気になる、かも。ふふ、覗き見たら怒られる、かな?』
 す、と近づいてみると未来は『おはなつくるそだてる』と書いてあり、恵音は『ぬい物とあみ物が上達しますように』と記していた。隣のリトナが微笑みかける。
「来年にはきっと叶うわね」
「……わかんないわ。こうなれらいい、って思うけど。炎に投げてくる」
 小柄な背中を見たリトナは『恵音に素敵なお友達が出来ますように。アルーシュ』と書いた。育った環境故に大人びていて警戒心が高く、物静かな恵音は率先して外に出かけたり、近所の子と遊ぶ節はない。比較すると内向的な性格だ。だからこそ互いの想いを喜びや支えにできる様な友をゆっくりと見つけて欲しい。そう願う。
「きっと見つかるわよ、姉さん」
 真名は「例えば私にとっては姉さんとの二人から始まったお祭りだけど」と言いつつ一同を見る。敬愛する姉、信頼する親友達、そして可愛らしいおともだち。
「今は皆がいるのだもの。皆、大好きよ」


 綿毛の様な白銀の雪が炎に溶ける様を幾度と無く見てきた。
『風邪をひかないようにしなくちゃね?』
 あの時は羽織をかけてくれたっけ。
 フレス(ib6696)は鬼灯祭に初めて来た時の事を思い出していた。褐色の瞼を閉じればそこにいる、黒真珠の君。日々焦がれる旦那様。昔は兄の如く慕った相手が今は夫。
 フレスは提灯に『沢山の笑みをあの人と分かちあえること』としたためて微笑んだ。
 願う事は多くない。
 誰よりも大好きな人とずっと一緒にいられれば、不安も焦がれるような想いの炎が消してくれる。
「私は知ってるんだ……あの人が、私を置き去りにしてるんじゃなくて、一緒にいられるように頑張ってくれてること」
 柔らかく微笑む。
 そういえば、とフレスはある事を思い出した。
 幾度と無く祭を訪れ、炎に願いを投げ入れ、時には願いを語り合った。
 でも、最初の願いは秘密のままだ。
『僕の願い事? ふふ、ちょっと似ているけど違うかな?』
 旦那様、なんて書いたんだろう。今なら教えてくれるかな。
 微かな想いが胸をよぎる。
 フレスは知らないが、夫が遠い日に願った事は終わりがない。
 彼の願いは『大切な人達の笑顔と幸せを護れるよう、もっと強くなりたい』だったから。
 妻のフレスや小隊仲間が微笑んでいる様を見ると、概ね叶っているのだろう。
「早めに帰ったら、旦那様を抱きしめて『おかえりなさい』って言ってあげなくちゃ」
 そして空に煌めく星の数だけ感謝を伝えよう。
 フレスは篝火に願いを投げ入れ、お土産を買いに走り出した。


 宮坂 玄人(ib9942)と上級羽妖精の十束は願い事を書いていた。
『今いる師と兄、そして仲間と相棒と共にあれますように。玄人』
『平和になった後も強者と戦えますように。十束』
 願いを見た宮坂は呆れた。
「真面目に願ってると思ったら……十束の戦闘狂が治るよう書いておくべきだったか?」
 と言いつつ願いを書き換える訳でもなく炎に投げ込む。
 一方の十束は「ふふん」とドヤ顔で願いを投げ込んだ。
「浅はかだな。平和になったとはいえ、まだ戦いは終わった訳ではない。ならば、まだ強者は残っているはず。いつか一戦交える望みは捨てていない!」
 鼻息の荒い十束を見た宮坂は、炎に手だけ合わせた。


 篝火を見る芦屋 璃凛(ia0303)は鬼面と酒を手に管を巻いていた。
「結局声を上げ続けられへんかった。追い出されてしもた。下郎にはお似合いや。けど諦められへん。ただ仲良くなって世間話がしたかっただけや。どうすればええか尋ねれば違ったんやろな。許される事は無いやろうけど足掻き続ければ」
 璃凛は『自分に素直に成りいつかあの子らに会いたい』と鬼面に書いたが、子供達の大半が養子になり施設を去った事を知らない。子の成長は早い。将来出会っても璃凛に判別はできないだろう。
 今も分からないように。



「願掛けは何年ぶりかな……僧として、祈祷はする事はあるけれどね」
 手鞠のように投げ込まれる願いの数々が燃えていく。
 様子を眺めて永久(ib9783)も作法にならった。
「……こうすると、願いが叶う、か。熾火は信じるかい?」
「祈るはタダじゃ、それもよいではないか」
 くつりと笑う華魄 熾火(ib7959)は黒檀の黒髪を風に靡かせて身を翻す。
 向かう先は一本松だ。
「見ていかないのかい?」
「焼け落ちる刹那の炎も悪くはないが、共に眺めておれば願いが分かる場合もあろう。ああいうものは、私と神が知っておればそれでよい。内容は秘密じゃ」
 一理ある。
「俺は……いや、俺も内緒にしておこうか」
 永久は華魄の後を追って横に並んだ。賑やかな町並みが視界の隅を流れていく。
「願いは秘密じゃが、別に疚しい事を書いた訳ではないぞ。今宵は永久との外出じゃから、永久への願いを……な」
「はは。そういう意味では俺も人の為の願掛けと言えるのかな」
 やがて町の端に来て山道に至る。
 永久は手を差し出した。
「足元が暗いから……と、俺がはぐれないように、かな」
 頼めるかな、と暗に言われて華魄は肩を竦めた。
「酔っておるわけでもあるまいし……仕方ないのぅ」
「こうしていると……蛍を見たのを思い出すね。あれとは、光が少し違うけれど」
「懐かしいのう、蛍か」
 闇に浮かぶ光に導かれるように。
 辿り着いた一本松から里を見た。
「炎が見える。人々の想いと願いを……一緒に燃やして天に送っているのかな。……俺の願いも、熾火の願いも」
「投げ込んだのだからそうであろうよ。じゃが……燃やすだけでは物足りぬな、己の望みは己の力で手に入れる、必ずじゃ」
 自信に満ちた眩い顔。
『熾火の進む道に、光が絶えずある事を』
『自身が旅から戻るまでの、永久の無病息災を』
 きっと秘匿された願いが、二人の未来に加護を与えるに違いない。


 大蔵南洋(ia1246)は一本松に向けて坂を歩いていた。
 約四年前。この坂がまだアヤカシや旅人の遺体で満ちていた頃を知る大蔵は、人々の笑顔と笑い声が今でも幻覚のように思える。
「戦から二年が経つ、か。早いものだ」
 祭が有るべき姿になり、純粋に楽しめる催しになった事を思えば感慨深い。
 しかし今日に至るまでどれだけの人の死が必要になったかを思い出すと……大蔵の強面は笑顔を浮かべるに至らなかった。
 大勢が嘆き、憎悪し、無念の中で命を落とした。
 救えた命もあれば、どうしても救えなかった命もある。
 他に道がなかったのか、時々立ち止まって考えてみても、それは思念が運ぶ可能性の残滓に過ぎない。
『否、よそう。人々が命を賭した努力の結果、安寧と言って良いかは分からぬが……日々のなにげない生活があるのだと、常に心に留めておくべきなのであろうな』
 昼間面会した境城家の当主は窶れた顔をしていた。
 山奥で生きていた頃はまだ瞳に光があったものだが、実妹の執念でついた座に今更苦悩している様子だ。彼は生涯かけて、その後ろめたさと向き合っていくに違いない。
 鬼灯から白螺鈿へ。
 場所を変えて野心を燃やし続ける妹の強欲な罪に怯えながら。
「変わらぬといえば変わらぬ業よな。救えぬ兄と妹もいたものだ」
 ふー、と溜息一つ零して、丘から里を見下ろした。


 卯城家では、ジークリンデ(ib0258)が地主の翁と鍋を囲んでいた。
 囲むと言うより物忘れが増えてきた地主の介護に近いものがあったが、なんとか里の文献調査をさせて貰うべく頼み込んでいた。
 そこへ酒々井 統真(ia0893)が鉢合わせる。
「邪魔したか」
「いえ、もう私のお話は済みましたから。許可も頂きましたし、遅くなってはいけませんから、そろそろ失礼を。文献の調査にいきますので失礼しますね」
 目指すは伝承にある三鬼の財宝。
 ジークリンデのあくなき探求の旅は続く。
 酒々井が頭を掻いた。
「相変わらず……なのかね。さて、よぉ当主。通りの飯で悪いが、土産だ」
 こういう時でもないとなかなか会えない。


 その日、結葉が見た水鏡 雪彼(ia1207)と弖志峰 直羽(ia1884)はいつもと変わらなかった。一緒に屋台を巡り、お鍋を食べて、篝火に願いを投げ一本松に向かって登った。
「ここから里を見ることは初めてかな」
 目を細めた水鏡の視線の先には、弖志峰がいて、その時何かが違うと感じていた。
「ユイちゃんに伝えなくてはならない事があるの」
 話を切りだしたのは水鏡が先。
「雪彼は今、看病中間として勉強をしてる。直羽ちゃんの助けとなるために、人を救いたい為に。共に生きるって決めたの。ずっと前に。ユイちゃんは雪彼達にとって大事な娘だから、雪彼も勉強して成長してユイちゃんと会いたい」
 ぎゅっと抱きしめた。
 弖志峰が詳しく話を補う。アヤカシも争いも消えない世界で、一人でも多く救える命を救う為の存在であり続ける為に目指す、医者としてのあり方。本格的に儀を巡り、旅の空の下に過ごす予定であること。
「いつ?」
「春になったら」
「遠く離れても、ユイちゃんの事を想い続けているの。春に旅立つまでは、また会いに行くからね。直羽ちゃんとお手紙沢山書いて送ろうってお話してたところ」
 弖志峰は結葉の反応が心配だった。
 結葉は笑った。
「行ってらっしゃい。なれるといいね、お医者さま」
「良かった。俺達は何処にいても無事と幸福を願ってる。お互いの夢を叶える旅路で必ずまた逢おう」
 約束の指切り。
「私も強いお婿さん見つけて二人に紹介するね!」
 グサッ、と何か見えない矢が突き刺さったのを水鏡が気づいた。脇を小突く。
「直羽ちゃん、応援」
「う、うん、紹介待ってる」
「あ、じゃあお兄さま達、暫く鬼灯祭のデートお預けじゃない! お姉さまと遊ばなきゃ駄目よ! 早くデートに戻って! あたしは早めに宿に戻って寝るの!」
 若葉が芽吹く小春の笑顔で二人の背を押す。
「じゃあ、お言葉に甘えて。……直羽ちゃん、五年目……ここに投げた願いを、雪彼は後悔してない」
 弖志峰は柔らかく微笑んで愛する人の手を握った。


 水鏡達を見送った結葉は、一本松で立ちつくしていた。
『私、ちゃんと笑えた……かな』
 やがて登ってきた酒々井を見つけて、腹に飛びつく。
「ぐは! 結葉? あれ、直羽達と一緒に居たんじゃないのか。おい……何かあったのか」
「春の後、次に会う時までにお婿さん見つけるって約束しただけ」
「いや、婿探しは前から散々聞いてるが」
『話の前後が見えねぇ』
 ぐすぐす鼻を啜っている少女に肩を落とす。
「……焼き芋、食うか?」
「食う」
 黄金色の芋が甘い。
 丘から見下ろす里が美しい。
 昔は、こんな風にのんびり里を眺めたりする時間は殆ど無かった。
『ここから始まったみてぇなもんだよな。まだまだやることは多いから感慨に耽るのは早いきもすんだが』
 ちらりと隣で芋餅を頬張る少女を一瞥する。
『子供の事を考える事で俺自身成長したな……機会見て、ありがとうって伝えとこう』
 その前に、まずは宥めて話を聞くのが先な訳だが。


「このお祭りも何回目だっけ。気づいたら結構来てるものだね」
 一本松に辿り着いた時、輝血(ia5431)は無意識に口元を綻ばせていた。
「前はこんなの見ても何も感じなかったのに、今は不思議と綺麗だと思えるんだよね。色々変わってきたのかな、あたし……青嵐?」
 御樹青嵐(ia1669)が繋いだ手にやんわりと力を込める。
「来年……いえ、これからもずっと一緒に、こうして星を見ていただけますか?」
 私には、あなただけです。
 そんな言葉が聞こえてくるようだった。長い沈黙が続いた。
「正直、うまく答えられない」
 輝血は『迷惑』とも『はい』とも言わなかった。ただ普段より口数が多かった。
「あたしは、この先そんなに長く一緒にいられるという確証がない。だって、この仕事は、やめられないから。何度言われても、あたしは自分が幸せになるべきだとは思えないんだ」
 御樹が瞼を閉じる。
「でも、傍にいるっていうのは、嫌じゃないよ」
 輝血の言葉に瞼をあげた。真っ直ぐに輝く、無垢な瞳だ。
「最近は……青嵐の気持ちも嬉しい、と思う。でも最初に言ったとおりだから。それが答えじゃ、やっぱり駄目かな?」
「いえ、安心、しました」
 辛い恋路を選ぶ必要なんてないのに。
「青嵐は馬鹿だよ」
「かもしれません……でも、いいんです。きっと馬鹿だから、この道しか選ばないのです。輝血さんの身に何か有れば馬鹿正直に走っていって、私はあなたを助けるでしょう。誰よりも愛する人の隣に、来年も再来年も、立てるように戦う。そして一緒に都へ戻って。また祭に行きませんか、と暢気に誘うんです」
「ホント、馬鹿だね」
「ええ馬鹿なんです」
 馬鹿に付き合ってくれますか、と御樹が首を傾げた。


 人混みから離れたウルシュテッド(ib5445)とニノン(ia9578)夫妻の所では問題が起こっていた。
 呑んでいた甘酒が床に転がる。
 宵星(ib6077)と明星(ib5588)も含めて、星頼と礼文の一家六人の会話は……生成姫の消滅に関する告白だったからだ。
 ウルシュテッドはきちんと過去の物事を順序立てて説明した。親が夢魔だった事も踏まえて不足はない。
 ニノンは役に立つか否かの目ではなく、礼文自身に居て欲しいと求めた。家族で一緒にやったこと、出かけた思い出、これからの未来を共に生きて欲しいこと。
 明星は生死の概念と自然の摂理を。
 宵星は里の過去に罪悪感を抱く必要はないこと等を。
 それでも。
 礼文は暴れた。
 まずおかあさまに確かめに行くと言って聞かず、次に星頼にお面をぶつけて「ばか」「うそつき」と罵り、魔の森に向かって走り出そうとするのを家族で止めた。
 まるで姉、恵音の暴走の夜に等しかったが……
 礼文の怒りは、少し矛先が違っていた。
「僕は約束したんだ!」
 獣の様な悲しい咆吼。
「ナズナやヒナギクを倒した時に、神の子になって功を立てて、もう一度機会を貰うって、僕はうそつきじゃない。僕は騙してない。僕のした事は無意味じゃないんだ!」
 叫んで暴れた。
 疲れて寝た。
 宿に帰って憔悴気味の四人に、星頼は「礼文の気持ち、ぼく分かるよ」と告げた。
「ぼく達は殺し合うのが当たり前だったから。生き残る為の道は一つだけで、神の子になる為、おかあさまの為、自分が殺していった兄弟姉妹の為、そうやって意味のある理由をつけて掃除していかないと心がぐちゃぐちゃになるんだ。でも結局ぼくらのせいで本当の家族が死んだり試験で何度も兄弟を殺してる。起こったことは変わらない。罪悪感を持つな、とかって無理なんだ。もう人の命を粗末にした後だもの。なんでもっと前に助けてくれなかったんだろう、って姉さん達が会議の日に影で泣いた時、ぼくも泣きたくなった。助けて貰えなかった兄弟や先生を思い出すと心が痛くなる。泣いて叫んで、それから気づくんだ。ああ自分は助かって、もう平気で、何も変わらないんだって」
 星頼は子供とは思えない疲れた苦笑いを向けた。
「礼文も、後で気づくよ」
 大事な事は伝わったと思うから。
 どうやら何日か時間をおく必要がありそうだ。
 ウルシュテッドとニノンが数日間ほど宿の延長を申し込んでいる間、明星と宵星は炎に投げ込む願いを書いていた。
『おかあさんが安らかな気持ちでいてくれますように』
『お父さんとお母さん、ミンシンとシャオ、星頼と礼文、家族皆で仲良く元気に暮らします』
 翌朝、礼文は引きこもり。
 二日目に星頼と何か話をして。
 三日目になって皆の前に現れ、ウルシュテッドに「僕は怒られる事をしました」と申告し、二ノンに「一緒に漬物する」と言ってきた。
 家族旅行は波瀾の中で終了した。



 様々な人の思いを孕んだ祭の夜。
 五行国の鬼灯祭は来年も、再来年も、その次も……永遠に続く事だろう。