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■オープニング本文 厳しい戦いだった。誰もが口を揃える。 旧世界では熟練の開拓者ですら、己の力量を見誤ったり、気のゆるみや過信ゆえに命を落とす……そういう恐ろしい場所である事に変わりはない。長期滞在は命を削り、瘴気が体を蝕んでいく。この深刻な汚染は、精霊系の相棒のみならず、半ば瘴気で構成された人妖や機械、からくりにも影響を及ぼす。 身に降りかかった瘴気を清めるにはギルドの助けが必要不可欠だった。 汚染された空気から、故郷とも言うべき神楽の都の空気を吸った時の開放感。 「お疲れ様ー」 「お疲れ様ー」 重度の瘴気汚染から救われてギルドを出た。 そういえば長期不在で食料庫は空っぽ。馴染みの店で朝食をとり、人で賑わう市場へ買い出しに出かけ、武器の修理に鍛冶屋へより、万商店で新しい武器や防具を眺めて、帰る頃には、空の色が茜色に染まっていた。 太陽が沈む……この世はなんと美しいのだろう。 瞬く空を背にして上空を飛ぶ飛空船の影を、永遠の絵画に止めておきたい。 やがて釣瓶落としのように太陽が沈み、星が輝く満天の星空に出会える時間がくるだろう。 「ちょっとまったー。相棒を忘れてるわよ」 聞きなれた受付の声がした。 ささやかな夢が、砕け散る音がきこえる。 「……何も聞こえない。何も聞こえない。相棒も忘れてない。何も問題ない」 「きいてんじゃない。ついでにこの仕事やってくれない? どれでもいいの」 「やっぱりですかー」 野暮用を押し付けられた。 泣く泣く馴染んだ石畳の小道を抜けて、神楽の都の自宅へ帰った。 まずは夕食の準備をして、銭湯へ出かけるのもいいかもしれない。 ただいま我が家。我らが帰るべき場所。 鍵を手に持ち、玄関に手をかけて。 「ただいまー」 ピシャリッ。 家の戸がしまった。 |
■参加者一覧
露草(ia1350)
17歳・女・陰
ニノン(ia9578)
16歳・女・巫
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
ウルシュテッド(ib5445)
27歳・男・シ
ローゼリア(ib5674)
15歳・女・砲
音羽屋 烏水(ib9423)
16歳・男・吟 |
■リプレイ本文 ●歴史を語る三味線の音 開拓者の誰もが家を構えているとは限らない。 例えば音羽屋 烏水(ib9423)は普段、中流階級向けの旅館に住み込みで働いていた。 宿における主立った仕事は三味線の披露である。 お抱えの用心棒兼三味線弾きといった所だが、平日の夜に宴会があれば求めに応じ、休日や祭日に多忙な日を覗けば、愛用の三味線を持って街頭に立ち、流しの三味線で小銭を稼いだ。 正直なところ、金銭が云々よりも三味線の修行……と主張したい、のだが、すごいもふら改めいろは丸の食事代が莫迦にならない。 よって音羽屋に休日など無いに等しかった。 「人がへったのぅ、いろは丸」 吐息が白い。 時々雨が雪に変わる寒さ故か、この頃は大通りを歩く人の数も減った。 『平和じゃな〜……大戦も終わり、民も安心して暮らせる世がくるんじゃろうか……ならば天儀に音羽屋ありと言われるその日まで、日々修行あるのみじゃな!』 薄く濡れた三味線を抱えて宿に戻る。 楽器は良き相棒であると共に、かけがえのない半身だ。まめな手入れは欠かせない。 かつては物置だった小部屋に散らばる無数の楽譜を持ち……何を思ったのか、音羽屋はその日、全ての楽譜を片づけた。大広間の祝宴は長くなる事が多く、多くの持ち歌を持っている音羽屋でも譜面に頼らざるを得ない場合がある。 けれどその日は、小さな決意を固めていた。 『祝宴に満席、とくりゃ、腕の揮い甲斐があるというもの』 これからは語ろう。 この目で見届けた、戦いの日々を。 びぃん、と撥が弦を鳴らす。 音羽屋は鮮明な思い出を独自の地唄にして諳んじた。 「……現世に滅びを与ふ現象、護大と云うものあり ひとの後世を切り拓かんと挑むもの、開拓者と云ふ 破壊と云ふ変化の理を変えず、言問ひて理の輪廻を絶たんと欲りす 護大を守護するは其を信仰する末世の古代人と三柱の神 古代人との争い収めし者ありき。其は【架け橋となりし者】 カンナビコの本質を見極めし、かしこし者ありき。其は【天神を制す者】 アマガツヒへかの身を賭した一矢を放つ者ありき。其は【地神を制す者】 ホノカサキに仲間を信じ、止めとした者ありき。其は【人神を制す者】 うつつの護大へ開拓者の絆で以って討滅せし者ありき。其は【巨神を穿ちし者】 護大に名を与へ、護大を滅びの現象より解き放つ者ありき。其は【世界に名を与えし者】 ひとが新しき墾道へと漕ぎ出て、光満つ先へと行き切りゑりた語り物 この語り物は其───『舵天照』と云ふ」 ●招き兎は福を呼ぶ 荷の配達先が『白螺鈿』と記されていた。 簡単な仕事とは言い難い。 白螺鈿は五行国の首都結陣から東へ山脈を越えた先にある片田舎の米所だ。 一般的な飛空船を使えば数日かかり、開拓者が精霊門を利用しても大凡は一晩掛かる。往復二日以上掛かる仕事など謹んでご辞退申し上げる者が続出し、必然的に行き慣れている蓮 神音(ib2662)にお鉢が回ってきたが……神音も迷った。 『えー、センセーと春見ちゃんとのんびりお正月の準備ができると思ったのに……』 そこまで考えて我に返る。 『……あ。神楽さんとの約束、果たしてなかったかも』 約束は守らなければ意味がない。 如彩神楽は白螺鈿の地主四兄弟の次男である。 商才に溢れる次男は家のしがらみが嫌いなのか、複数の飲食店を経営していて家から一歩引いている。街の情報網に詳しく、仕事柄協力を依頼する事も多かった。お礼を金銭で支払う事もあるが、肉体労働な場合もある。 「おねがい、手伝ってほしいんだよ」 配達仕事を請け負った神音は、ついでに約束も果たそうと考えた。 だが、随分と遅れてしまったので友人に協力を依頼した。丁度、休暇だった神座早紀は「はぁ」と藪から棒な話に目を瞬かせていたものの、最終的には快諾した。 「お友達の頼みですもの。任せて下さい」 かくして二人は白螺鈿に旅立った。 「神楽さーん! お久しぶりなんだよ。お手伝いをしにきたよ」 神音は居酒屋に立つ次男坊に友人を紹介しつつ「あ、早紀ちゃん、この人男だからね」と今更な説明をした。何故なら次男坊は女装癖があり、言葉も仕草もなよやかであったからだ。身だしなみに人一倍気を使っているのか、髭の一本も見あたらない。 「この方、男性なんですか!?」 素っ頓狂な早紀の声は良く響く。 思わず周囲が吹き出し、早紀は頬を朱に染めた。 兎も角、世間話もそこそこに二人は厨房の仕込みと客引きを手伝う事になった。 まずは沢山の客が訪れる居酒屋で膨大なお米をといだり、魚を裁いて串に刺し、囲炉裏に駆ける。夕方が近づくとお店を担当の者に任せ、神楽は神音と早紀を連れて若い顧客の多い店に移動した。 そして着替えた衣装がグラスラビッツ……つまりバニーちゃんであった。 「さ〜、いらっしゃ〜い! 今日は厳選豚肉鍋が食べ頃だよ〜!」 神音は寒い中でも元気だった。 早紀は客の求めで店内の舞台に立ち、舞を踊る。 そして愛想を要求された仙猫くれおぱとらは「なぜ妾がこんな事を」とブツブツぼやいていた。 ウサギの看板娘の客受けは上々。 沢山のお客さんを誘導した後は、ちょっとだけ裏で一休みだ。 「ふー、……お客さんは寒いからお鍋を食べに来るのかな」 「お疲れさまね」 「あ、神楽さん! お手伝い、こんなんでよかった? 満足してもらえたかな」 「ええ勿論」 「そっか。神楽さんにはお世話になったし、これからも仲良くしてもらえると嬉しいな。あ、神音はお礼に来たからいらないけど、よかったら早紀ちゃんには報酬払ってあげてね」 「そぉねぇ、儲けたからいいわよぉ」 に、と笑って夜の酒場で賑やかな時間が過ぎていく。 ●工房『じんよーもえ』から愛を込めて 凍てつく外の寒さなど気にもならないのは、壁一面に分厚い布生地の束が並んでいるからに違いない。 パッと見て生地屋の倉庫にしか見えない。 地震で落ちてきたら、もれなく圧死する程の物量も、ここ一年の内に棚を増設して解消された。それでも納まらない床の布を押しのけると畳が見える事から……元は居間であった驚きの真実が伺える。 「……朝、ですね。もふら糸の生地は暖かくていけません」 寝室、という存在が何処かに吹き飛んでいる露草(ia1350)は工房の片隅で背筋を伸ばした。 昨日の夕方。 頼まれた野暮用を済ませ、冬用の布地を大量に買い込み、そのまま自宅に帰らず借家の工房に引きこもった。本来は客間であった場所は温度が安定しているので保管した生地が傷まない。新しい新作生地の見本品は綿毛のような手触りで、検分している間に、うっかりそのまま寝てしまった。 「こんな大きい布がタダの見本品で送られてくるなんて、私も出世しましたね」 仮の布団にしてしまった布は商品には使えないので、後で部屋着か何かにしよう……と考えつつ、皺になった布を畳む。更に裁縫道具や装飾品用工具が整然と並ぶ作業机を片づけ、業者の『工房じんよーもえ様へ』から始まる売り込みの手紙を置き、棚から人妖向けのきぐるみを取り出した。まるごとくだぎつね、の人妖仕様だ。 「いつきちゃーん、おはよーございまーす! さぁ! 冬が待ってますよ!」 天妖衣通姫は早朝から元気な露草に驚き「な、なに?」と困惑気味。 「スイーツ食べ放題しに行きましょう!」 衣通姫が「へ?」と素っ頓狂な声を発する間にも、素早いお着替えが行われた。 「街にいきますよ。何でも食べて良いですし、好きなお店屋さんに付き合ってあげます」 新しい布があるのに、露草が縫わない。 この現実に衝撃をうける天妖衣通姫が茫然としている間に、露草も着替えを済ませていた。 お財布を握りしめて工房を飛び出す。 七色の飴が美しいお菓子屋さん。ふわふわ生クリームで覆われたハニーシフォンのティーセット。とろとろのチョコレートに金箔が散ったガトーショコラケーキはお土産に。 「どうしちゃったの?」 天妖の質問は暗に『冬の新作、間にあわなくなっちゃうよ』という心配も混じっていたが、露草は大量の買い物を抱えながら穏やかに微笑んだ。 「おつかれさまでした会をしていませんでしたから。新作ドレスは心配無用です!」 終わったんだよ、という思いも込めて。 羽を伸ばす事に決めた今日一日。露草と衣通姫は目一杯遊んで羽を伸ばした。 沢山遊んで、心もお腹も幸せいっぱいになったら、家のフカフカもふら布団で眠るのだ。 『衣通姫ちゃん、ちゃんと傍に居るからね』 しあわせな夢が見れますように。 ●冬の安らぎ 長年培われた生活は、場所が変わっても余り変わらないものだ。 目覚めたローゼリア(ib5674)が眺めのいい窓際に立つと街の屋根に雪が見えた。 空気を入れ換えるのが少しつらい。身支度を整え、髪を結んで居間に行くと、養女の未来が食卓についていた。オートマトンの桔梗が、台所から朝食を運んでくる。 「朝は勝てませんわねぇ」 かの忌まわしい里で寝坊が許されるはずもなく、孤児院では規則正しい生活が常だった愛娘は「おはよー!」と元気な声を発する。朝ご飯は街で仕入れたカリカリのパンを焼き、塩漬け肉のスライスにぷりぷりの茹で卵、温野菜には濃厚な山羊乳チーズをすり下ろす。 「パンはハチミツとバターがいい! 昨日買った苺ジャムと生クリームものせるの」 「まぁ未来。太りますわよ。たまになら良いですけど……さて今日は何にしましょうか」 久々の休日だ。 『昨晩のうちに仕事を終わらせた甲斐がありましたわね』 今日は恋人の皇 那由多も訪ねてくる事になっている。 戦いばかりの忙しい日々の中で、留守番が多かった愛娘は暫くへそを曲げたり、何も言わずにお腹にしがみついたりと寂しかった様だが、毎日仕事へ出ても日暮れ前に帰るようになって漸く落ち着いた。 『これからはずっと一緒ですもの』 「う? おでかけするの?」 未来の鼻の頭についた生クリームを指で拭う。 「おでかけがいいですか? でしたら夕飯のお買い物にしましょうか。季節も変わりましたし、今夜はお鍋に。下旬にクリスマスパーティーをするにも材料は仕入れませんとね。先日約束したドレスも購入しないといけませんし……未来、何か欲しいものはあるかしら」 カンカンッ、と玄関からノック音が聞こえた。 娘が走っていく。扉の向こうに立っていたのは、小春のような笑顔を浮かべた恋人だ。 「いらっしゃぁい」 「おはようございます、未来ちゃん。ローザ。良い天気ですね、ちょっと……早かった?」 「ごきげんよう。那由多。いいえ、そんな事はありませんわ」 ローゼリアは体の冷え切った恋人を招き入れ、オレンジの香りがする紅茶を白磁の茶器に注ぐ。町中の様子を訪ねつつ、暖炉の前で温まっていると安らぎを覚える。 「そろそろ暖かくして行きましょうか。風邪をひいても僕が看病するけれど」 「那由多ったら」 しっかり身支度を整えてから、留守を桔梗に任せて街へ出た。 「これも綺麗ですわね。あ、あれなんか未来に似合うかしら? 那由多はどう思います」 ローゼリアがくるーんと後方を振り返ると、ドレスを納めた丸箱の山を腕に抱えた皇は前が見えなかった。完全なる荷物持ちの姿に少しばかり申し訳なくなる。 「えっと、一つ持ちましょうか? 那由多」 「気にしなくていいんですよ、ローザ。それより、この先の庭園をお散歩に行きませんか。丁度、寒椿や水仙が見頃で綺麗だろうから。荷物は受付に預かってもらって」 「それは素敵ですわね」 未来を間に挟んで、まるで夫婦の様に歩く。 いつか、こんな風に毎日を穏やかに過ごす日が……来るのかもしれない。 ●燕の棲む家 冷たい北風が白皙の頬を撫でる。 落葉を終えた街路樹の枝には、白い雪が積もっていた。毎日のように降っていた雨も、この頃は霰になって屋根を打つ日が増えた気がする。地面の浅い水溜まりが鏡面のように氷っていたのを出かけに何度も見たが、日が昇ると瞬く間に溶けてしまった。 「冬だなぁ」 八百屋には蕪や大根が並び、魚屋では蟹やブリが叩き売りされ、花屋に顔を出せば寒椿や葉牡丹が軒先を彩る。忙しい身では季節を忘れがちになるが、ただぼんやりと立って町中を眺めているだけでも冬は身近な場所に溢れている事に、ウルシュテッド(ib5445)は今更ながら気づいた。最近はジルベリアからの輸入も珍しくないのか、甘い香りを放つサルココッカの白い花を見つけて懐かしさを感じずにはいられない。 「おーい、テッドー」 戦馬ヘリオスを連れたジルベール・ダリエが手を振っていた。待ち人来る。 「寒い中で待たせてすまん。しっかし、ほんまに結婚するとはなあ……おめでとうさん。式やるなら呼んでや」 戦友の肩を抱いたウルシュテッドは「有り難う」と言いつつ、笑顔を向けた。 「俺達を引き合わせたのはお前だ、いの一番に呼ぶよ」 「で、ニノンさんは荷造りか」 歩き出した二人が向かう先はウルシュテッドの家ではない。妻ニノン(ia9578)の家だ。 今年の秋、ウルシュテッドは結婚した。 年始めから熱烈な求婚を続けた成果……といえど、二人の出会いは浪漫に満ちたものとは違った。 『二人とも修行がたりんのう。男児たるもの、上半身裸でこのくらい密着せねば客は萌えぬぞ』 『それが初対面に言うセリフか。俺には子供が居るんだ、妙な噂が立ったらどうしてくれる。ただでさえ独り身がいいネタにされてるってのに……責任取って、嫁に来るかい?』 『そうじゃのう。同人絵巻で屋敷一軒埋めても良いなら嫁に行っても良いぞ』 あの口論が現実になると誰が想像できたろう、とはジルベール談。 「来たか。こっちじゃこっちー。今行くぞ」 白亜の柵に囲まれたジルベリア様式の一軒屋に辿り着くと、二階の窓からニノンが手を振っていた。ジルベールは「引っ越しの手伝いに来たでー」と気楽な声を発したが、ウルシュテッドの表情は能面の様に固まっていた。 「俺の愛が、試される時か」 「は? テッド?」 「よう来たな。二人とも。書庫の荷造りがまだでのう」 開拓者という仕事柄、ニノン達は何日も家を留守にする事が珍しくない。そうなると引っ越しすら一日二日で容易くできないのが実情で、結婚以降、ニノンはウルシュテッド一家と半同棲状態にあった。仕事をし、家事をして、時々自分の家に帰っては荷を纏めて運び出す……そんな日々が続いていた。 生活必需品から運び出し、今日という日まで残っていたのが家財と本だ。 千日小坊の花が揺れ、センリョウの実が色づく庭を通り抜け、大きく開け放たれたベランダから階段へ向かう。書庫と聞いてジルベールは漸く嫌な予感を覚え始め、ウルシュテッドは悟りを開いた僧侶の如き眼差しをしていた。 「なぁテッド、まさか戦馬が必要なニノンさんの荷物って」 「……ふ、そう。俺すら結婚前には立ち入り厳禁だった部屋だ。あれこそが……開けたら最後、千年の恋も冷めるという」 恐れ戦く男達を振り返ったニノンが「なんじゃ、冷めるのか?」と悪戯っぽく笑う。 「いいや冷めない!」 「テッドー、顔こわばっとるで」 二階の部屋は、何故か錠前がついていた。 まるで金庫だ。 笑いながら戸を開けようとするニノンの手を制し、能面顔のウルシュテッドが鍵を捻る。 「俺は誓った。あの言葉に偽りはない。だから『俺はニノンのすべてが欲しい――君も絵巻も、全部纏めて嫁に来い』!」 腐れた絵巻ごと妻に娶った男が戸を開け放つ。 部屋に堆く積まれた絵巻の山。 天井まで聳える四方の書棚。なんとか窓の所に棚がない程度で、カタケットという同人絵巻即売会で仕入れた戦利品は、私設図書館を開ける位の物量があった。 「ここには厳選した絵巻の数々を置いておるのじゃ。別所に倉庫もあるが後日でよい」 「ま、まだあるんかニノンさん!?」 「無論じゃ」 「テッド……ほんまにエエんか?」 哀の試練を乗り越えた男は、輝く笑顔を友に向ける。 「ジル、何を言う。これでこそ俺の嫁」 「せやけどな」 「そう、俺にはニノンしか見えない。ああニノン、今日も君は輝いてるよ」 だめだ。考えることを放棄している。 衝撃の世界に困惑を覚える男達とは対照的に、ニノンはせっせと絵巻を荷詰めした。荷詰めしながら「おお! これは探していた伝説の!」等と言って読み出すので、男達が絵巻を詰めないことには引っ越しが終わる気配がない。 「はいはい、表紙も中身も見ず無心に迅速丁寧に。今日中に終わらないぞ、ニノン」 「今読みたいのは天荒黒蝕が大伴×藤原に割って入る三角関係絵巻じゃのう。デュフッ」 「天荒黒蝕ねえ……それは気になるな、どう引っ掻き回すやら」 かみ合う言葉を返すウルシュテッドに、腐の教育成果を感じる。ジルベールが慌てた。 「いやいや天荒黒蝕と藤原の爺さん接点ないやん。火のないとこに大火事起こし過ぎやろ」 「ジル。そこはそれ、妄想だから。ん? これはニノンが前によこした厳選幼年しりぃず全冊じゃないか。ニノン、何処に詰めるんだい」 対岸の火事なんて、もはやへっちゃら。 ニノンは指示を出しつつ満足げに頷く。 「配偶者に同人絵巻の趣味を隠す為に四苦八苦する者も居るが、我が夫は理解があって助かる。のう、テッド」 「俺に二言はない。だが子供が成人するまでは全力で隠してくれ……特にコレ!」 ジルベールと自分が描かれた絵巻が二棚ある事に気づいて「何故こんなに!?」と訴えるが「よいではないか。読みたいなら貸すぞ」と斜め上の返事をしてくるので追求も徒労。 「ニノンさん……俺、奥さんいるねんけど。あ、俺の受け絵巻!?」 「上か下かはどうでも良いんだよ、ジル。子供に見られたら父の沽券に関わる」 「しかしジルウルとウルジル絵巻を両腕に抱えたそなたらは退廃的じゃな。妄想が捻るぞ」 「誰の所為だい」 「わしじゃな。ともかく隠すのは当然じゃ。そなたも子供に破錠術など教えぬようにの。荷造りは丁寧に。万一破れたりしたら……」 ギラリ、と獰猛な獣の眼差しを感じる。三行半もじさぬ気配だ。 「そんな目で見られたら手許が狂うぞ」 本の搬出は夕方まで続いた。最期の搬出をジルベールに託した後、水拭きを終えて空っぽになった屋敷をウルシュテッド達は見て回った。 「名残惜しいな。君はもっと、そうなんじゃないかい」 「そうじゃな。身一つで都へ出て、家を借り、一人暮らしを始め……色々あったのぅ」 ニノンは軒下を見上げた。毎年燕がここへ来て、巣を作っては旅立って行った。 「次の住人も燕と仲良くやってくれると良いが」 「大丈夫、燕は家内安全の証だ。だから君は俺の許に来る」 「燕が家内安全の象徴か。ならば……また会えるかもしれんの」 「帰ろう、我が家へ」 夫に手を引かれながらニノンは玄関を出た。 『この家に入った時は一人。これからは家族と共に、別の家で歩んでいくのじゃな』 手の中に残った小さな鍵束は、小部屋や裏口、玄関の鍵だ。 鍵束を大家の指示通り郵便受けに投函する。 「さらばじゃ」 思い出の家に別れを告げた。 その頃、ウルシュテッド宅では留守番の星頼や礼文の面倒をフェンリエッタが見ていた。年末掃除も含めて手伝いに来た結葉に限定弁当や惣菜の買い出しを頼む等此方も忙しい。 「おかえりなさい、叔父様」 「今日は助かった、みんな有難う」 ウルシュテッド達が帰ってきた。 結葉は報酬と淡い薄紫色のマフラーを貰って帰り、夕べの団欒を家族と友人で囲む。 焼き芋を頬張るジルベールから家族全員の入れ子人形を貰ったニノンが微笑んだ。 「ありがとう。どこにかざろーかのぅ。改めて見て……荷を全部運び込んでも広い家じゃ。これなら絵巻を幾ら買い込んでも大丈夫じゃの」 子供達が「えほんー?」と問いかける中、ウルシュテッドが「床が抜けない程度に頼む」と呟く。この家にも開かずの間ができるのは時間の問題かもしれない。 新しい日々が始まった。 |