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■オープニング本文 紅に桃色、黄金に真珠。 視界に広がる大輪の菊花が、観光客を出迎える。 大菊、中菊、古典菊、小菊と。その数およそ4000鉢。 朱塗りの鳥居が立ち並ぶ参拝道の両脇には、地元民が育てた渾身の菊花が隙間を埋めるように並べられていた。石畳の花路から丘上の境内へ進むと、一本の幹から伸びた巨大な花手鞠が人々を圧倒する。これも全て菊だ。千輪近くの菊花を円形に仕立てた大数咲。境内の右と左を彩る風景花壇には三万本の菊花が惜しげもなく飾られる。 ここは五行。結陣の外れにある小さな社だ。 毎年この時期になると、寂れた社は菊祭で息を吹き返す。 人々は丹誠込めて育てられた菊を眺めて心を和ませ、参拝道途中の小料理屋で『菊花膳』を楽しんでいた。 菊花膳とは、菊の花をふんだんに使った花の膳だ。 菊の花が食べられるということを、知らない人もいるだろう。 酢を少し加えた熱湯でさっと湯がくと、菊の花はより鮮やかに生まれ変わる。 まずは黄菊を用いた菊ご飯。 ほのかな香りと甘みにしゃきしゃきした食感に、大根菜の緑と塩味が秋を感じさせる。 紫菊のおひたし、酢の物に胡麻和え。 勿論、少し苦みのある花心をつけたまま、花衣を纏わせて天麩羅でからっとあげたり、湯がいた白菊を吸い物に浮かべると、なんとも可憐で華やかだ。 そして今宵も、一ヶ月間の菊が織りなす祭が始まる。 + + + 「菊祭の警備?」 「警備というか、足腰の悪いおじいさまやおばあさまの補助とか、お客様誘導ですね。昼間の二時間くらいのお仕事で、夕方から夜は自由にしていいそうですよ」 祭と聞くと、心が躍る。 夜は鬼灯型の提灯を持って歩くのがお決まりだという。 こうして菊祭へ出かけることになった。 あなたのお気に入りの菊花は見つかるだろうか? |
■参加者一覧 / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 弖志峰 直羽(ia1884) / からす(ia6525) / ニノン(ia9578) / 尾花 紫乃(ia9951) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ネネ(ib0892) / 尾花 朔(ib1268) / ハティ(ib5270) / ウルシュテッド(ib5445) / 緋那岐(ib5664) / フレス(ib6696) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / ゼス=R=御凪(ib8732) / 呂宇子(ib9059) / 宮坂義乃(ib9942) / 白雪 沙羅(ic0498) / 白隼(ic0990) / リト・フェイユ(ic1121) |
■リプレイ本文 ●菊花繚乱の社にて 上級人妖槐夏と人妖桜が、麗しき菊花の真上を飛んでいく。 遊ぶ人妖には菊花の大海を泳ぐ感覚だろう。 「桜たちが少し羨ましいですね」 紅葉を思わせる秋草文様の色留袖に福良雀の帯をしめた尾花 紫乃(ia9951)が、菊花を眺めつつ微笑んだ。桜貝の唇が宿した微笑みに、白い礼服姿の尾花 朔(ib1268)が魅入られる。 艶やかに結い上げた黒檀の髪に、淡紫の花簪がよく似合う。 「簪曲がってます?」 「いいえ。紫乃さんに菊の花は良く似合いますね。では、お嬢様。どうぞ手を」 「ありがとうございます。良い頃合いに来れましたね」 満開の花。 菊花の洪水は宝石の輝きにも勝る。 太陽を思わせる橙に淡黄色、純白の白、燃える茜色、安らぐ桜色の花弁、色だけでも相当な数になるが、姿も様々で夏空の花火が如く地へ枝垂れる花弁は珍しい。 朔と紫乃は、紅葉の葉が絨毯の如く敷かれた石畳の道を歩いた。 けれど。 二人には違いがあった。 紫乃は菊花の薬効を考え、朔は料理の種類を考える。 口から考え事が零れる訳ではなかったが、お互いの視線を辿ると考えている事が手に取るように分かってしまう。まるで透明な水晶でも見ているようだ。 「似た者同士ですね」 「ええ。そうだ。一通り見て回ったら種を買って帰りませんか」 紫乃の言葉に朔が首をかしげる。 「種か苗か、両方でしょうか?」 薬用か、食用か、それとも観賞用だろうか。 「どちらでも。育てた菊で、来年の重陽の宴を祝いましょう。菊花酒を漬けて、料理も作って」 「自分たちで育てて料理やお酒を造る……素敵ですね、皆を宴に呼びましょうね。折角ですから……観賞用も買っておきましょうか?」 紫乃が頬を赤らめる。 「そ、そうですね。うっかり観賞用の菊の種を買い忘れない様に気をつけないと」 「綺麗な菊を鑑賞しつつ美味しいご飯で楽しみましょう? その時は」 私と一緒に、と手を取って口づけを贈る。 「来年が楽しみですね」 一年後の約束を愛しいあなたと。 路を埋め尽くす菊花の小路は華やかで美しい。 『この前、ローレルが摘んでくれた菊と同じのがあるかな』 リト・フェイユ(ic1121)の翡翠の瞳は、思い出に咲く花を探す。 「金色の小菊は星に少し似ているかもね?」 からくりが近辺を見渡した。 「濃紫の菊を空に見立てるなら、そうだな」 「風景花壇でも、濃紫と黄で夜が表現されてるのかしら。同じ菊の花なのに大きさも色も形も本当に沢山。知ってる? 菊は健康や長寿を象徴しているのですって」 言い伝えや伝説にあやかろうと、人々は菊花を食材として頂く。 祈りや願いをこめて。 「菊花の御膳があるのですって。お花を食べるの。後で一緒に食べましょう」 「花を? そうか、わかった」 頷く白皙の横顔は老いとは無縁だ。 美しいけれど、寂しくもなる。 「私も、健康に長生きできる様に頑張るけれど……しわしわのおばあちゃんになっても ローレルは傍に居てくれる?」 からくりのローレルは翡翠の瞳に「当然だ」と告げた。 「リトの命がある限り、俺が稼動している限り、傍に居る。外見がどうであろうと変わりは無い。気に病むことは無い」 嬉しいけれど……やはり少し寂しい。 不思議な感覚を覚えつつフェイユは白磁に似た手を握った。 舞い散る白花は雪の如く、涼しげな下駄は水晶の煌きを纏う。 「お洒落して大正解ね」 「うんー、ききょう、おねえさんみたい?」 黒真珠の髪をなびかせた礼野 真夢紀(ia1144)とオートマトンしらさぎは、振袖を着てはしゃぐ桔梗の姿に安心し、いざ観光をすべく手をつないで花の道を歩いていた。 穏やかな人の暮らしに溶け込んでいく日々は尊い。 「いろいろあるね」 薄紅の菊は枝垂桜を感じさせる。橙の菊は燃える炎のようで、白く見える菊も花芯に向かって蛋白石の如く色を変えていく。時々見える一面の緑は『まだ咲いていないのかな』と思わせるが……実際には違う。 礼野は傍に佇む女性に声をかけた。 「どうかしましたか」 すらりと伸びた高い身長。褐色の肌に銀糸の髪。人目を引く女性だ。 具合でも悪いのだろうか、と心配した礼野に対して白隼(ic0990)は「とても変わった花をみつけたので」と答えた。 「はな?」 一面の緑だ。 緑柱石の如き深い色合いをした葉は菊花の苗だと教えてくれるが…… 「あ、みどり!」 桔梗が礼野の手を引いた。 大きな緑葉に目を引かれて見落としてしまったが、葉の陰に小さな手毬状の小菊が咲いていた。花弁は淡い翡翠色そのものだが、まごうことなき菊花である。 白隼が顔を寄せて「とてもいい香りなんです」と教えた。 艶やかさはない。 けれど薫り高い一輪だ。 「こういう菊もあるんですね」 菫青石の如き蒼の瞳が、手毬のような菊花に魅入る。 「ええ、この花に包まれて踊りたいくらい。申し遅れました、白隼です」 「礼野真夢紀です。隣はしらさぎ、この子は都の孤児院に住んでる桔梗ちゃん」 「あい、ききょう!」 自己紹介を済ませたところで「境内で抹茶や甘酒飲もうか?」と礼野が提案した。少し距離があるので、お土産をかねて可愛らしい南瓜柄の小箱を桔梗に渡しておく。 「これはお土産だから食べきらないようにね」 「うんー、あいがとう」 「どういたしまして。白隼さんも一緒にいかがですか」 白隼は「お言葉に甘えて」と答えて、三人の隣を歩きだした。 去年の菊祭はおもてなしをする側だった。 だから今度は、お客様としてお祭りを楽しみましょう。 そう主張しながら白雪 沙羅(ic0498)は孤児院から明希を連れ出した。 リオーレ・アズィーズ(ib7038)も『そうですね。今年は怖いお爺様方が来る事も有りませんし、気楽に菊祭りを楽しみましょう』と言って誘った。 「菊の花沢山! 綺麗ですねえ!」 白雪の耳や尻尾は忙しく動く。 「菊は色々な色がありますよね。明希はどんな色が好き? 私は桃色の小菊かな」 「……黄色かな、手鞠みたいな大きいの。太陽やお月様に似てる」 明希が気に入った花を間近で眺める。 アズィーズは「私は白い菊が好きです」と言って指をさした。 「明希、知ってます? 白い菊の花言葉は『誠実』なのですよ。紅色は愛情、黄色は高潔、そして濃い色の花は『私を信頼してください』……同じ様に見えて、実はそれぞれが違っている……それでも仲良く揃って咲いている。明希は、どんな人達と一緒にどんな花を咲かせるのか、私は楽しみですよ」 「明希、お花じゃないよ?」 真顔で首を傾げているので白雪が言い添えた。 「あのね、明希。咲くって言うのは、花の開花じゃなくって、言い換えるなら成長かな」 「大人になること?」 「明希には時間が沢山あるわ。だから、のんびりゆっくり……明希の好きな事、したい事を探して行きましょう。私達……貴方が好きだから、つい色々言ってしまったけれど、焦りすぎだったかな、と思うの。どんな形であれ、私達はいつも傍にいるから、ね?」 白雪は通りがかった露店で、黄色い菊の簪を買って明希に与えた。 些かの出費だが、鮮やかな思い出になるなら構わない。 三人は御神籤をひく為に境内を目指した。 ●参拝道の菊花膳 菊花で作った御膳を出す小料理屋は、長い参拝道の途中にあった。 「こういう料理ってさ、故郷では無いんだよ!」 四人席で一際はしゃいでいるのはケイウス=アルカーム(ib7387)だ。 養女のエミカは「ケイ兄さん、私のも食べる?」と斜め上の気遣いをしていたし、妹のイリスは菊花膳を黙々と食べていた。イリスの養母ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)は、親友の喜び具合をしげしげと眺める。 「前に菊を食べるのは凄い事だと言っていたし、だから食べたいのだろうと思って来てみたが……案の定だったな」 「さすがゼス! あ、もしかして俺ばっかり喜びすぎ!?」 「いや……らしくて良いと思う。なぁイリス」 食べながら、去年は娘が接客に立っていた事を思い出す。 賄いはあったが、きちんと彩られた膳を食べるのは、やはり感覚が違う。 イリスは楽しそうなアルカームを凝視した。 「珍しい料理って言うけど、他の場所では秋の季節に何を食べるの?」 「場所によるかなぁ」 アルカームが軽く唸る。 ヘロージオは努めて丁寧に話し始めた。 「イリス、国や地域によって珍しい料理というのは存在する。俺達が普段捨てている物やただ眺めている物を食材にする事もある」 「捨ててるのに、食べるの」 「こっちでは食べる習慣が無かったり、料理方法が知られていなかったりするんだ。好みは勿論あるだろうが、理解することは大切だ。理解に苦しむ思想や信念を拒絶してはいけない……と、祭りで説教じみた話を言うべきではなかったな」 親友に意見を求める。 見ればアルカームの膳がほぼ空になっていた。 「でもさ、ゼス。別の見方を持てるようになるって、やっぱり大事だと思うよ。特にエミカやイリスには必要な事だと思うし」 エミカは「そう……なの?」と首を傾げる。 「そうだねぇ……拒絶する前に誰かと話をすると良いと思うよ。自分と違うモノの見え方を教えてもらえるかもしれない。あ、おばちゃーん、追加注文!」 ヘロージオは「まだ食べるのか」と友の胃袋を心配する。 「だってこれ美味しいんだよ!」 「確かにな。楽しんで食べるか。そうだ。境内で籤が引けるという話だ。食後は皆で引きに行くとしよう」 ヘロージオの提案に「さんせーい」という声が重なった。 「凄い行列だったわ」 やっと食事の席に着いた時、呂宇子(ib9059)は近くの菊花膳を一瞥した。 「初めて見るけど……菊花でご飯からお吸い物まで一式揃うとはすごいわね」 それを聞いた旭が、呂宇子に向かって「旭も作ったのーっ!」と唐突に声を上げた。 旭の輝く眼差しには『ほめて、ほめて』と期待する気配が感じられる。 養父の刃兼(ib7876)は苦笑いを零す。 「旭は去年、職業体験で菊花膳の下拵えをやったんだよな。今日はお客さんとして食べる側、だな」 そわそわしていた旭が「うん」と言いながら誇らしげに笑う。 呂宇子も微笑んだ。 「へぇ、えらかったのね。あ、そーいえば。旭。ちょっと前に贈った金魚の浴衣、袖通した? 妹が、体の大きさに合ってるか、気にしてたわ」 旭は「あ」と声を漏らした。 慌てて「金魚さんの浴衣、ありがとう」と言った。 「どういたしまして。で、着てみた?」 「うん。旭ね、金魚さんお祭りで着たのー、んで、ハガネから紫陽花の簪も貰ってね」 こーいうの、と身振り手振りで説明する。呂宇子はニヤッと笑って己の懐に手を伸ばす。 「随分『おとうさん』してるのね。男親にとって娘ってやっぱり違うのかしら」 「呂宇子」 「隠さなくたっていいじゃない。今じゃ親には違いないんだし」 「いや、そうじゃなくて……吸うのか?」 「え?」 見下ろすと呂宇子の手は無意識に煙管を握っていた。 「す、吸わないわよ。折角の菊の香りが台無しになりそうだし、つい持っちゃっただけで」 慌てて煙管を片づける呂宇子を見て、旭は「……美味しいの?」と小声で問いかけた。 「美味しくはないわね」 拙い。 子供の興味が煙草に傾き始めている。旭も吸う、等と言い出しかねない。 「そうだ旭、あの浴衣の柄を選んだのは私ら二人なんだけど、仕立て直したのは妹よ」 呂宇子は話題を変えることに決めた。 「したてなおす?」 「針で繕ったって事よ。裁縫できるのって強みなのかしらねえ、やっぱり。前に『波縫いさえできれば生きていけるんじゃないの?』って妹に言ったら、すごい顔されたけど」 難しい話に首を傾げる旭に対して、刃兼は古い記憶を漁る。 「……呂宇子、裾のほつれは波縫いだと目立つと思う、ぞ? と言うかお前の場合、波縫いでも直線のつもりが異様にガタガタになっていた気が……いや、何でもない、うん」 「おまちどうさまでーす」 三人分の菊花膳が運ばれてきた。呂宇子が箸を持つ。 「見て愛でて、食べて楽しんでってヤツか。うん、風流で好きよ」 「去年も菊祭に来たけれども……こう、ちゃんとした形で菊花膳を食べるのは初、だな。いただきます。ほら、旭も」 「いただきまーす!」 帰りは御神籤をひこう、と話しながら菊花を頂く。 「音楽家は耳がいいのでね」 微笑むハティ(ib5270)の正面には華凛がいた。 一人で菊花膳を食すには味気ないから良ければ付き合ってくれないか……ハティはそう言って華凛を孤児院から連れ出した。目で見て、舌で味わう。華やかで美味しい食事は自然と二人の間に会話をもたらした。南瓜パイや好き嫌いの話から始まって、辿り着いたのは華凛の独り言についてだった。 「以前『謝ってない』と言っていたが……そうして言葉にしたのは、君の心に何かが引っかかっているという事だろうか。どちらにせよ『謝るべき』とは言わないよ」 華凛は顔を上げた。 「あなたは他の人と違うのね」 「どういうところが?」 「兄妹達と一緒の大人は、みんな良い悪いで話すから。ありがとうって言えるかいとか、ごめんなさいは? とか。言われてること分かるけど、あたし、ああいうの好きじゃない」 気難しい華凛が俯く。 ハティが浅く首を傾けて、華凛の顔を覗き込んだ。 「ふむ、君にとって謝る事より大切なものがあるなら、それでいいと思うよ。絶対に譲れないものがあるというならね。それでも心のどこかに引っかかったままなら……代わりに、今度は君の方から声をかけてみてはどうだろう。埋め合わせという奴だ」 「うめあわせ?」 「言葉の謝罪では足りない時などに、代わりにする物理的な謝罪のことだ。御神籤でも喫茶でも散歩でも。埋め合わせの形は色々ある。暇な時にでも考えてみるといい」 暫く黙っていた華凛は「うん。そうする」と答えた。 「去年は此処で給仕をしていましたね。でも給仕して貰うのもいい経験でしょう?」 空龍フィアールカを社の外で待たせるアルーシュ・リトナ(ib0119)は、養女の恵音と菊花膳の昼食を楽しみに来ていた。客席には大勢の人々がいる為、食事が運ばれてくるまでの間に静かに大事な話をすることにした。 「あの日の夜、お話をしてくれて本当に嬉しかった。でもその後、沢山の我慢や辛い思いもさせてしまって……ごめんなさい。でもね」 リトナは客席を見渡す。 ぽつり、ぽつり、と、仲間の開拓者の姿を見つけて双眸を細めた。 「私も、他の開拓者も、願ってきた事は一つなの。あなた達が笑顔で幸せに暮らしてくれますようにって……」 魔の森で発見された親無しの子供達。多くの開拓者が、その境遇に様々な想いを馳せた。 「いつか貴女が思う事をまた話して欲しい。我侭でもいいの。どうするかはその時」 「……おかあさん」 「おかあさんの前で良い子ぶる必要なんてないのよ。例えばお留守番だってそう、恵音がしっかり者だからって任せるのは……早すぎたかしら?」 恵音は言葉に詰まった。様子を見てリトナが問う。 「戦の間、孤児院に、一時的に行きましょうか?」 「や、やだ!」 近くが静まりかえった。暫くするとまた賑わいを取り戻す。菊花膳が運ばれて来る。 「無理強いはしないわ。どちらでもいいの。けいと、貴女が選んでね」 「今は、おかあさんの家が……いい。お留守番……してるわ。だって……おかあさんが戦から帰ってきたって、すぐに……分かるから」 「他には?」 「……お、買い物……行きたい。上着とか、帽子縫うのに……端切れがほしいな。あとおかあさんの……織物、勉強したい、なって」 リトナは帰りに商店に立ち寄る事を約束し「さ、頂きましょう」と菊花膳の箸を持った。 ●境内の風景花壇と御神籤の行方 全てが菊花。 境内にあるのは美しい風景花壇だ。 宮坂 玄人(ib9942)は『風流とはこういう事を示すのだろうな』と考え、全く嗜まない俳句を諳んじたくなった。美しいものはいい。例えば戦いの中に身を置く者でも、薄紅に色づく桜の花が散る様や夏の薄紫の朝顔で飾られた路地などを歩くと、日常の中で四季の移ろいを楽しめるからだ。 これから再び遠い場所で戦が始まる。 血生臭い戦場へ向かう前に、心の安らぎを味わいたい。 目下の問題は…… 「きゃー!」 聞き慣れた声が響く。 心頭滅却しても耳に届く。 「萌え、萌えですわ! あれが純愛のかたちなのです!」 頼む。 呼ばないでくれ。 今だけは全く関係のない第三者でいたい。ただ菊花を…… 「玄人様! 菊花って仏壇に飾ってばかりかと思いましたけれど、菊花に囲まれても華やか間違い無し! 次の開拓ケットは真冬ですが、回想なら秋の情景も映えます! もしかしたらとは思いましたが、やっぱり外出はネタの宝庫ですね! きいてます玄人様?」 嬉々として帳面に何かを書いている、上級からくり桜花。 『ネタがあってたまるか!』 依頼前にはそう叫んだ。 鷹を括っていた。 しかし現実は無情そのもの。泣きたい。 「なにやら君の相棒は楽しそうだね、宮坂殿」 宮坂が「え」と顔を上げると「隣に失礼していいかな」と声をかけてきた人物がいた。 提灯南瓜キャラメリゼを連れた、からす(ia6525)だった。手にひっさげているのは参拝道の途中にある小料理屋で人気の弁当型の菊花膳だ。 「あ、……ああ、かまわないが」 「ありがとう。坂の店は混んでいてね、丁度ゆっくりできそうな場所を探していたんだ」 風呂敷を解くと「からす、お茶チョーダイアル」と提灯南瓜が主人を急かした。 「はいはい。君もどうかな、お茶でも」 宮坂は頷いた。勿論、茶屋の席を陣取るので、申し訳程度にお茶菓子を頼んでおく。菊花膳の弁当に、お茶にお茶菓子。この上ない組み合わせだ。提灯南瓜は先に食べ出す。 「オオー。これは見事アル。見た目華やかアルな。では味は……いやはや美味い」 お茶を用意しつつ、からすは宮坂に話しかけた。 「キャラメリゼは料理を極めていてね、今日の私は付き添いなんだ」 「大変そうだな。うちの桜花は見ての通りだ」 宮坂が両手で顔を覆う。からすがお茶を差し出した。 「いいじゃないか。どんな形であれ、こうして見聞を広めることで相棒達にも文化が広がっていくのだよ。人間が忘れていく文化もあるだろう? それを異種族が憶えていてくれたら楽しいじゃないか。料理しかり、絵画しかり」 「桜花のは……否、なんでもない」 芸術的な文化ならまだしも、桜花が俗物文化に傾倒している事を言い出せない宮坂が、明後日の方向を見上げた。 緋那岐(ib5664)は境内までの道のりをゆっくり歩いていた。 就職した報告を、古い馴染み……いわゆる人生の先輩に報告した帰りなのだが、傍らには少女型の人妖がいた。就職祝いだと言って託されたのだ。 「名前は?」 「なまえ?」 「あー……そっか、まだ有るわけないよな」 参ったなぁ、と内心呟く。 まだ構築されて何日も経たないという人妖は、緋那岐についていくよう言われて従っている程度だ。全くの白紙。ある意味、からくりを起動させた直後の状態に近いのかも知れない、と考えつつ……神楽の都に戻ったら修練を積ませなければならない事に気づく。 「相棒の修練、かぁ」 人妖は生物ではない。道具だ。からくりと違って個を認められない。その理由は、人妖の構成上、瘴気を含む事にある。活動する一生涯において、人妖は瘴気を吸収し続ける。 『なのに最初に覚えるのは……精霊術なんだよな。なんとまぁ』 その頃、妹の柚乃(ia0638)は上級からくり天澪と共に緋那岐を待っていた。 「兄様こないね? もう順番来るし……遅れそう、先に食べてしまいましょう!」 菊花のスケッチをしていた手をとめ、窓辺の席に誘導して貰う。 「うん、おいしい。あれ?」 少し遅れた兄の姿を発見したが、見慣れぬ人妖を連れている。 考え込んだ柚乃は、術を使って自分の姿を模した人妖に変じた。人妖の姿ならばうち解けるかも、という狙いがあった。 「仲良くなれるかな? 兄様〜!」 「お? 悪い、ちと遅れたな」 窓から響く声に気づいて、緋那岐はゆっくりと歩いてきた。 交代制の警備仕事を終えた結葉を迎えたのは、水鏡 雪彼(ia1207)と弖志峰 直羽(ia1884)だ。 「お仕事お疲れ様ー!」 「警備の仕事お疲れさま、だね。じゃあ境内にいこっか」 到着した御茶屋さんでお茶とお団子を注文する。三人分一気に届いたので、水鏡が甲斐甲斐しく世話をやいた。 「ユイちゃん、お菓子食べてね。直羽ちゃん、はい、お茶!」 「ありがと、お姉さま! 綺麗な景色が見れて、お茶菓子も食べられて、一人前に働けて、お給料ももらえるなんて……なんだか得した感じ」 満足げな横顔を見た水鏡が「本当、菊綺麗だね」と言いつつ「知ってる?」と尋ねた。 「菊は一年の最後に咲く花と言われてるの。ここにある菊は、人の手で支えられ、育てられたけど、綺麗な花を咲かすのは花自身の力なの」 感心して聞き入る結葉。 弖志峰も「菊の美しさは、育てた人達の愛情と細やかな世話の賜物だね」と話す。 実際、菊を綺麗な形に咲かせることは難しいと職人は話す。毎日の日照時間を気にしながら少しずつ角度を変えるなどの手間に始まり、尋常ではない努力と忍耐が必要とされるのだ。菊に関する知識を深めつつ、三人は穏やかな時を過ごす。 「そういえばユイちゃん、雲の下に行く話……戦への参戦を迷ってるってホント?」 水鏡は結葉の翠の瞳を見つめながら手を握る。 「あのね。忘れないでほしい事があるの。雪彼と直羽ちゃんはユイちゃんを支えたいし守りたいと思ってる……って、いつも言ってるね。それほどユイちゃんが大好きなの」 「そうそう、雪彼ちゃんも結葉も大好き!」 弖志峰が二人を抱きしめた途端「ひゃわー!」と結葉が変な声を出した。 「結葉?」 「お兄様が抱きしめるのはお姉様が一番じゃなきゃダメ! 私は二番目なの! もう!」 妙なこだわりを訴えて「お皿置いてくる!」と空皿を持っていった。赤い顔で。 「……女の子って難しいなぁ」 「ふふ、あのね直羽ちゃん。雪彼は直羽ちゃんもユイちゃんも守りたい。大好きだから、一緒に生きて、年をとっていきたいよ」 『力のない自分に焦るけど、出来る事をしなくちゃ、守れないよね』 揺るがない視線に「俺だって」と微笑みかける。 『俺だって……いつまでも、こんな風に四季を感じて、雪彼ちゃんや結葉と一緒の時間を過ごしていたい。だから護ってみせる』 太陽の笑顔に誓って。 斑に揺れる甘酒の粒は、秋の空に映える純白の雲を思わせる。 とろりと甘い甘酒に映った顔を見て、フレス(ib6696)は肩を落とした。 黒真珠の髪を靡かせた愛しの旦那様と一緒には来られなかった。けれど来年は一緒に菊花の小径を歩ける気がする。しなやかな白磁の指に褐色の手を絡めて、小さな歩幅で小菊に満ちた境内を歩く様を想像するだけで……小鳩の様な胸が高鳴る。 『うう……私ひとりだけドキドキしてる、ずるいんだよ』 優しくて、強かで、少し意地悪なところもあるけれど、輝く微笑みの愛しいひと。 『旦那さまの分も御神籤ひいて帰ろうかな』 勿論、此処で封をきらない。帰って一緒に結果を見る。そうすると良くても悪くても笑って過ごせるからだ。帰れば一緒に過ごせるから寂しくない。 「お土産、何にしようかな」 花に埋もれた参拝道を下りていく。 お茶は苦いけれど、お茶菓子はおいしい。 風景花壇を見るより、華やかな餡菓子に魅入る幼いののの膝には、仙猫のうるるが体を丸めていた。最近は寒い日が増えたので石畳も冷える。 「ののは撫でるのが上手くなったわねぇ」 「クシがないからてぐしー」 ごーろごーろ喉を鳴らす仙猫。片手で猫を撫でながら、もう片手で団子を食べているのだから器用なものだ。様子を見守るネネ(ib0892)は「去年のことを覚えていますか」と、ののに尋ねた。 「お花のお手伝いしたよ」 「ええ、お店屋さんをしましたよね。忙しかったけど、いい思い出になりましたね……今日は楽しめましたか?」 「たのしいしー、おいしい!」 どこまでも食い気。 足をぷらぷらさせているののを見ると、食べている以外では動き回っている事の方が楽しいのかも知れないと思わせる。けれど……戦の間に、飛び出されては困る。 『……待たせることは同じですけど、せめて、怖がったりしないようにしないと』 子供の時間感覚は、大人より長い。 遠い昔、帰らぬ背中を待ち続けた自分が……一番よく分かる。 「次はどこへ行きましょうか」 楽しい時間を、長くしてあげたい。 風景花壇を中央から望める席を選んだニノン・サジュマン(ia9578)は、星頼と礼文に注文した甘酒を差し出した。 「甘酒は栄養満点なのじゃぞ。それにしても菊は良いのう……美しいだけでなく薬にも食用にもなる。お得じゃ。さて、席も取れたことじゃし、御神籤のお披露目会といこうかの」 サジュマン達は全員で御神籤をひいていた。 一人一枚。 畳まれた紙を広げていく。サジュマンは願掛けの時に、開拓ケットの成果を占った。 「十九番みくじ。狙いの本を掴むのは一種の交渉か、技芸か。なんにせよ大吉とは幸先がよいのぅ。……身近な事はさっさと片づけること、勝負は勝ち、か」 星頼も礼文もサジュマンの手元を覗き込む。星頼は末吉で、礼文は別番号の大吉だった。 「む? 分からない文字は読んでやろう。テッドそなたも……」 振り向くと、ウルシュテッド(ib5445)は畳まれた御神籤を凝視して躊躇っていた。 「どうした」 「ああ、いや……ニノンは神や運命ってやつを信じるかい」 「藪から棒に。そうじゃのぅ……神は居るかもしれんが、忙し過ぎて我ら一人ひとりまでは見ておらんのじゃろう」 「そうか。俺は……神は信じない。占いで稼ぎもするが単なる助言、生かすかは自由だ」 固い言葉を聞いていたサジュマンは「ふむ」と呟き、籤をぺらっと見せた。 「賛否両論あるじゃろうが、わしはこういうのは嫌いではない。縋ったりする者も中にはいるじゃろうが、わしはちょっとした福引き気分じゃな」 サジュマンの籤を見たウルシュテッドが、愛情縁談恋愛の項目を読んだ。 『幸福な関係にある。美しい花が今咲こうという楽しいとき。華やかな未来はこれから。期待はおおきい』 「悪くなかろう」 「ニノン、君は……いつも俺が抱えたものを軽くしてくれるね」 「そうか?」 「ああ。でも君や子らとの出会いを運命の一言で済ませるのは、勿体無い気もするな」 「運命という言葉が納得できぬなら、縁と思うのはどうじゃ? 例えば籤を木に結ぶのも『縁を結ぶ』ことから来ておるらしいぞ。これを食べたら籤を結びに行こうではないか」 ウルシュテッドは「なるほどね」と呟く。籤は中吉だった。休憩中に星頼と礼文に将来について尋ねたが、まだ年長組の様に明確な将来を思い描けていないようだ。 『俺も、もっと頑張らねば』 心に誓いながら愛しい女性の横顔を見た。 ところで。 御神籤には大勢が集まっている。 「だめだあぁぁ!」 アルカームは籤運と戦っていた。 地に伏すアルカームにヘロージオが拍手する。 「三連続で中吉とは滅多に無い強運だな。多分、奇跡だと思うぞ」 「ゼスぅ」 境内の御神籤でヘロージオは吉をひいた。 イリスは末吉、エミカは大吉、そしてアルカームは中吉をひいた。だが釈然としなかった彼は更に二度も籤に挑む。だが番号が違うだけで全て中吉という驚きの結果になった。いい加減に引くなというお告げかもしれない。 「ケイ兄さん……私の大吉と交換する?」 まだ十歳にもならない養女の優しさが沁みる。 アルカームはふと思った。 『こういう風に、皆と過ごす時間を失いたくない……やっぱり、旧世界で戦わないと』 「ケイ兄さん、悲しいの?」 「ううん、なんでもないよ。それはエミカの大吉だから、ちゃんと持って帰ろう」 イリスと手を繋ぎ、様子を眺めていたヘロージオも決意を固めていた。 『この平和をただ守りたい。この先、何が起きようとも、誰と手を組もうと……必ず』 水鏡達も御神籤に挑戦していた。 弖志峰は結葉の背を押して得意げに語る。 「景気づけにもなるし、今一つな結果でも気を引き締めるには十分だったりするんだよ」 水鏡は「二人に大吉が出ますように」と祈り出す。 「景気きてー!」 結葉が引いた。見るのはやっぱり恋愛項目だ。 「……今ひとつ燃え上がる恋がない。縁談は不安定。想いが真か見つめ直すべし?」 結葉が溜息を零す。水鏡が耳元で囁く。 「元気だしてユイちゃん、不安定って事は、良いこともあるかもしれないって事よ。雪彼は何が出てくるかな?」 じゃらん、と箱を振って番号を見る。二十番だ。籤と引き替えた。 「中吉だって。雲はれて喜ぶべくまた憂うべし? お願い事が叶いにくいけど、御願いすれば助けて貰えるって書いてあるみたい」 「二人が末吉、中吉ときて、ここはやっぱり俺の番! 出でよ大吉ー!」 箱を振った。番号を籤と引き替えた。なんと『大凶』と出てきた。 弖志峰が暫く落ち込んでいた。 「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとしいそぐべからず……結果が芳しくない時だけ、枝に結んで帰るといいんだよ、な?」 刃兼親子と呂宇子も籤をひきにきていた。 「ええ。当たるも八卦、当たらぬも八卦ってね。あ、望み叶う、だって」 呂宇子は大大吉をひき、刃兼は小吉、そして難しい字が読めないと訴える旭は末凶をひいていた。最終的に旭の籤は枝に結んだ。 片隅では白雪たちが御神籤を枝に結びつけていた。 白雪は中吉、アズィーズは半吉と悪くはなかったが、明希が凶をひいてしまったからだ。 「結ぶと悪い事なくなるの?」 「きっとね」 「明希、いいことあるかな」 「勿論ですよ」 幸せを願い続ければ、人は自然と明るい未来を目指す。 大勢の心を和ませた菊祭は、今年も華やかに終わりを告げた。 |