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■オープニング本文 白原祭の季節になると、星の数の白い花が白原川を埋め尽くす。 蝉の鳴き声も心を躍らせ、彼方此方で氷菓子が売れていく。 「ハッパラ、ハスヲ、ミナモニナガセ……」 威勢のいい掛け声と花笠太鼓の勇壮な祭の音色。 夏の花で華やかに彩られた山車を先頭に、艶やかな衣装と純白の花をあしらった花笠を手にした踊り手が、白螺鈿の大通りを舞台に群舞を繰り広げていく。いかに美しく華やかに飾るかが、この大行列の重要なところでもある。 人の賑わう大通りの空には、色鮮やかに煌めく吹き流しが風に揺れている。巨大な鞠に人の背丈ほどの長さのある短冊が無数に付いており、じっと目を凝らすと、吹き流しの短冊には様々な願い事が書いてあった。 ここは五行東方、白螺鈿。 五行国家有数の穀倉地帯として成長した街だ。 水田改革で培った土木技術を用いて、彩陣の経路とは別に渡鳥山脈を越えた鬼灯までの整地された山道を約4年前の12月1日に開通。結陣との最短貿易陸路成立に伴い、移住者も増え、ここ一帯の中で最も大きな町に発展した。 今は急成長を遂げたとはいえ、元々娯楽が少ない田舎の町だったこの地域では、お墓参りの際、久しぶりに集まる親戚と共に盛大に宴を執り行うようになり、いつしかそれはお祭り騒ぎへと変化していった。 賑やかな『白原祭』の決まり事はたったひとつ。 『祭の参加者は、白い蓮の切り花を一輪、身につけて過ごすこと』 手に持ったり、ポケットにいれたり、髪飾りにしたり。 身につけた蓮の花は一年間の身の汚れ、病や怪我、不運などを吸い取り、持ち主を清らかにしてくれると信じられていた。その為、一日の最期は、母なる白原川に、蓮の花を流す。 白原川は『白螺鈿』の街開発と共に年々汚れている為、泳いだり魚を釣ったりすることはできない。しかし祭の時期になると、川は一面、白い花で満たされ続け、ほんのりと花香る幻想的な景色になることで広く知られていた。 そして今年も8月10日から25日にかけて白原祭が開かれる。 + + + ギルドの受付が慌てた様子で人を呼び集めている。 話を聞いてみると、どうやら祭のために送った警備の人間達が集団で倒れたらしい。 流石は猛暑。 脱水症状に高熱、手足の震え。当分、仕事に立てないそうだ。 となると増員や代理の派遣に忙しいのが、ギルドの受付に他ならない 「お仕事の後は遊んでてかまいません! 毎年ながら人が沢山押し掛けていて、本当に人がいるんですぅぅぅぅ」 情けない声で泣きつく。 蓮の花で真っ白になった白原川には観光客がごったがえし、昼間は花で飾った山車の大行列を一目見ようと沢山の人間が行き交っている。祭が恙なく進むように警備の仕事をしてくれれば、担当時間以外は好き放題に遊んでいていいと言う。 正に猫の手も借りたい忙しさ。 曰く、昼間は切り花で満ちている白原川には、ぽつりぽつりと陽炎の羽根のように薄く切り出された蓮の花型蝋燭『花蝋燭』が水面に浮かび、満天の星空の下で、優しく燃えながら香木の香りを人々のもとに運んでくれる。幻想的な光景は滅多に見られる物ではない。 あちらこちらに灯した篝火。 眠らぬ街。 大通りでは昼間は花車、夜は緻密な氷像の芸術が大通りを通り抜けてゆく。 昼も夜も一向に減ることのない人混みの中、縁日で小魚を掬ったり、射的や軽食の屋台を遊び回れるという。 こうして開拓者は急いで白原祭へ出かけることになった。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 御樹青嵐(ia1669) / 輝血(ia5431) / 叢雲・なりな(ia7729) / ニノン(ia9578) / ユリア・ソル(ia9996) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ニクス・ソル(ib0444) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 蒔司(ib3233) / 宮鷺 カヅキ(ib4230) / ハティ(ib5270) / ウルシュテッド(ib5445) / 叢雲 怜(ib5488) / 明星(ib5588) / 蓮 蒼馬(ib5707) / 宵星(ib6077) / ルシフェル=アルトロ(ib6763) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 月雲 左京(ib8108) / ゼス=R=御凪(ib8732) / 紫ノ宮 莉音(ib9055) / ユイス(ib9655) / 音野寄 朔(ib9892) / 翆(ic0103) / ジャミール・ライル(ic0451) / 庵治 秀影(ic0738) / 綺月 緋影(ic1073) / リト・フェイユ(ic1121) |
■リプレイ本文 ●白原祭の警備明け 白原祭の警備が終われば、自由時間が待っている。 朝早く別の仕事先へ戻って着替え、デートに出かけるウルシュテッド(ib5445)とニノン・サジュマン(ia9578)の二人を狼 宵星(ib6077)と狼 明星(ib5588)、星頼と礼文の四人が見送った。申し訳なさそうな顔をするウルシュテッドに宵星は「女性は待たせないの。早く行って」と背を押す。 「お父さんとニノンさんのデートも大事。シャオは応援してるから。また夜にねー!」 星頼が「いってらっしゃーい」と手を振る。宵星は満面の笑顔で背を見送った。 『ふふふ、あの人がお母さんになってくれたら嬉しいし、お父さんには幸せになって欲しいもの。星頼くんの気持ち、いつか訊いてみなくちゃ! あ、もう家族だから君付けは変かな……うーん、後で考えよう』 続いてフェンリエッタ(ib0018)と華凛、少し遅れてハティ(ib5270)が戻った。 華凛は「寝る」と言って奥へ戻り、礼文たちは「さんぽ?」と首を傾げる。 「まぁ、そんなところね」 「そんなところだ。海で会って以来だが……星頼、礼文、元気にしていたかな」 「おはようございまーす。元気ー!」 「うん、元気だよ」 元気よく挨拶して家の中へ戻っていく子供たち。 フェンリエッタはハティと物陰に移動し、事情を話した。 「……という訳。なんでもない、っていうだんまりに、悪夢をみたっていう嘘。長期戦ね」 会話にならず、諭すのもまだ無理と察して淡々と話をしたという。 『じゃあ良かったら私の話を聞いてくれる? 私ね、男の子に生まれたかったの。他にも色々あって自分を憎んでた。本当は好きになりたくて……頑張ってるから。なれない自分にがっかりしちゃう。 聞いてくれて有り難う。何も言わなくて良いわ。ただ『誰かに聞いて欲しかった』の。大人でもそんな時があるのよ』 「反応は」 「なし。まずはあの子がうち明けてくれるまで根比べになりそう」 そう言って肩を竦めた。 ●花車大行列 響き渡る笛の音、踊る太鼓、男も女も、大人も子供も歓声を上げて列を為す。付け焼き刃の白原花笠音頭も、前方を進む人々達を真似れば問題ない。 ひとつでほい、ふたつでほい、白い花笠、くるりと持って、右に左に掲げて回って。 蓮 蒼馬(ib5707)は農場の少年杏とともに花車の大行列に参加していた。 「聡志と小鳥がこられなかったのは残念だな、杏」 「しかたないよ。結陣は遠いもの」 共に暮らしていた少年と少女は、結陣で学業に忙しい毎日らしい。 「でもきっと祭と同じくらい、勉強は楽しいと思うよ」 蓮は杏の横顔を一瞥する。 『杏も……学問を身に着けたいと思っているのだろうか? どちらにせよ、俺もあまり学のある方ではないから、教えてやる事ができんのは少し情けないな』 「腕、逆だよ」 「お? おお、すまん。考え事をしていてな。ご指導宜しく頼む」 上空では上級迅鷹絶影がくるくると旋回していた。 ●警備帰りの縁日で ケイウス=アルカーム(ib7387)とゼス=M=ヘロージオ(ib8732)は時間帯がズレるような形で警備仕事を受けていた。どちらかが帰宅する時は、アルカームかヘロージオが姉妹を連れて迎えに行く。その日、ヘロージオは「寄り道をしよう」と提案した。 養女のイリスが「寄り道?」と腕の中で身じろぎする。 「そうだ。この近くに縁日がある。買い食いをしながら歩こうか。的屋があればやりたい」 アルカームが「それいいね、ゼス」と諸手をあげて賛成した。 「今日は俺も財布を持ってるし、報酬も貰って潤ってるし、今度こそ何か奢るよ!」 先日財布を忘れたアルカームは名誉挽回を誓う。 ヘロージオは軽く笑った。 「よかったなエミカ、今日はねだりたい放題だそうだ。イリス。歩行者専用の道に出たら、自由に歩いて良いぞ。いきなり自由と言われても困るだろうが……なに、気になるものがあれば好きにあちこち見て回って良い。ちゃんとつきそうから心配するな」 姉妹の表情が輝いた。祭に心躍るのは同じらしい。 エミカがおずおずと指さす。 「……あ、あっちの、たべてみたい。白い旗のと……黄色いの」 早速食い気に走る。 まもなく目的の店もみつけた。 「旗? くず餅と芋揚げの店かな? よし、皆でいこう!」 早く早く、と姉妹の背を押すアルカームの後をヘロージオが追いかける。 「あ、ゼスー! 射的あったよ! みんなでやろう! エミカ、よーくねらって!」 ぽんこぽんこ打ち込まれる玉は殆ど当たらない。エミカはさっぱりダメで、イリスは大きな的は当てることができた。大半は残念賞の煎餅菓子だったりするが、やはり自分で取ったものは感動が違う。勝利の巨大煎餅を抱きしめてバッキリ割ったイリスの横では、アルカームが小銭をつぎ込んで唸っていた。 「難しいな。どうやって落とすんだ!? ゼスー、手本見せてよ」 ヘロージオは現役の砲術士である。射的の的は動かないので百発百中の精度に等しい。 「俺がやる場合は離れて立つべきだな」 「おいおいそこのねーさん、そんな所から打てるもんかよ」 囃し立てるおっさんの声は無視して、ヘロージオはイリスを手招きした。 「イリス。あの棚にほしいものはあるか?」 「飴の入った筒と一番遠くのアレがいい。でも無理だからいいの」 陶器でできた少女の人形を指さした。イリスと同じ青い瞳は硝子だろうか。流石に繊細な人形なので、代わりの重そうな的に番号が付いている。ヘロージオは手を出した。 「的屋。装填時間が惜しい。規則違反でなければ二丁渡せ」 「かまわねぇけど。重いぜ姉さん」 的屋が笑う一方で、アルカームは「おぉ、ゼスの本気」と固唾を呑んで見守る。 『全部で四発。弾に威力はないから反動を利用するしかないな。角か額か……角だな』 パパン、パパン。 重そうな像が円を描くように揺れて倒れた。ついでに像にぶちあたった弾が跳ね返って飴菓子や煎餅を倒す。周囲が歓声に湧く中で、目玉商品を売る気がなかった的屋のおっさんが茫然と立ちつくしていた。 「ゼスは流石に上手いね! あ、もふら飴! お祭りならアレを食べないと! みんなで行くと潰れちゃうから、俺が行って買ってくるよ。エミカ、手伝ってくれる?」 井戸の横にヘロージオとイリスを残し、アルカームとエミカが手を繋いで行列に並ぶ。 「凄い人数だからはぐれないようにね。それでエミカ、何か欲しい物はある?」 ずっとイリスの人形を見ていた。 羨ましいんだろうな、と推察はできても、特賞の景品はひとつだけだ。エミカは何も言わない。聞き分けの良さは今に限った話でなく、毎日の送迎や、都での暮らしでも同じだ。 いってらっしゃいケイ兄さん、おかえりなさい、お米は焚いたわ…… 『ほんと。こういう時くらい我が儘言ってくれてもいいのになぁ』 「お祭りだから買い物しようよ。イリスと同じ人形、探してみる?」 エミカはぷるぷる首を左右に振る。 「……人間のは、いらないの」 不可解な単語だった。首を傾げつつ「人間の?」と聞き返すと「うん」と頷く。 「あのね。……ずっと前に、クマの人形をもってたの。毛がフサフサで、リボンがあって、キラキラした緑の石のブローチが首にある、このくらいの大きさの。……里長様に、燃やされちゃったけど。それを……思い出しただけ」 話から察するに、生みの親からの贈り物だろうか。 アルカームは「クマの人形だね」と確認しつつ、もふら飴をエミカに持たせる。 心ここにあらず、だったエミカが両目を輝かせる。行列から戻ってきて子供らしく笑うエミカとイリスを見てヘロージオは微笑んだ。少女らしい時間であればなによりだった。 ●新婚のふたり 昼間遊び倒していた叢雲 怜(ib5488)と叢雲・なりな(ia7729)は、沈み行く夕日をを背負って白原川の川沿いへ降りた。 水面を満たす、純白の花。 花蝋燭の光を浴びて水晶の煌めきを纏う無数の蓮は、くるりと周りながら流されていく。 「……綺麗。花の絨毯みたい……」 見取れていた。美しい川だった。なりなはチラッと隣を一瞥する。初夏に永遠を誓った夫は、髪飾りにしていた蓮の切り花と花蝋燭を一緒に川へ流して両手で祈っていた。なんだかいつもと違う横顔だ。ゆっくりと背後に回って、包み込むように抱きしめる。 「なりな?」 「ありがと、怜。連れてきてくれて」 とくん、とくん、とくん……心臓の鼓動が聞こえる。重なるように同じ音を奏でている。 早いような、安らぐような、他の誰にもきこえぬ特別な音だ。 なりなと怜は自分たちの浮かべた花が分からなくなるまでしゃがんでいた。 「みえなくなっちゃったね」 「うん。そうだ、なりな」 妻の腕の中でくるりと体を反転させた怜は、流れるような手つきで蓮華の簪を妻の髪に差し込んだ。水滴を模した硝子の粒が、しゃらしゃらと音をたてる。 「怜、これ」 「やっぱり似合うのだぜ。俺となりなにいいことがいっぱい起きるように、ってね」 元気に笑う夫を見て、髪飾りに触れたなりなは幸せで胸が震えた。 「ありがと……ずっと一緒だよ」 甘い声で囁いた。 ●赤波組 无(ib1198)は玉狐天ナイと共に、赤波組の打ち上げに参加していた。 感謝と差し入れに顔を出したはずが、何故か気づいたら隣席に座らされている。派手で賑やかな集団は、酒が入ると通りの人々を巻き添えにしていた。 「ささ、もう一杯」 「もうそろそろ。別の仕事が」 「まぁまぁ」 「いえいえ、充分ですのでまた今度に」 屋敷に残っている子供の為に、屋台飯を色々買い込まねばならない。絡み酒の巻き添えをくらう无を、組の頭が助け出した。詫び代わりの野菜寿司の折り詰め渡される。 「足止めしてすまなかったね。帰って食いねぇ」 「お心遣いに感謝します。今年もありがとうございました」 「なぁに大した事はしてねぇよ。あんたも子供の世話とか、色々、大変そうじゃねぇか」 ちらっと无の帯を見た。蓮の花が二輪挿してある。汚れを吸う花は一輪で充分なはずだが、余計に花を持っている様を見て何か察したらしい。実のところ二輪も持った理由を、无は玉狐天ナイにすらうち明けなかった。 『去年と色々違うね』 『いいんですよ。これで、いいんです』 「じゃ、気をつけてな」 「ええ」 无は軽く笑って頭を下げた。 少々の時間を食ってしまったが、子供達の仕上げた花車に対して「良い出来じゃないかね」と感想を貰えたことは大きい。 いつか飲みましょう、と言い残し、无は屋台が建ち並ぶ通りに消える。 ●橄欖石の石言葉は夫婦愛 深い翠の光沢を持つ橄欖石の瞳と、黒檀のオニキスを溶かした瞳が見つめ合う。 瑠璃の浴衣を着て白月の簪を挿した優美な女神は、青銀の長髪に甘い微笑みを隠していた。艶やかな白磁の指は、純白の綿毛を摘んで鋭利な口元に持っていく。 「はい、あーん」 「ユリア。もう一つ飴を買おうと思……」 「あら、妻の気遣いを断るなんて野暮なことは無しよ。暫くぶりの夫婦水入らずなんだから。それに同じものを幾つも買うより、分けて食べれば沢山楽しめるでしょう?」 黒絹の髪に隠れたニクス(ib0444)の顔は、気恥ずかしさを浮かべていた。何度も周囲を確認してから、観念して雛のように口をあける。知り合いが通りかからぬ事を祈りながら困り果てる愛しい人の様子を見て、ユリア・ヴァル(ia9996)は悪戯っぽく微笑んだ。 まるで子供の頃に還ったような夢を抱いて、腕を絡めた二人は歩き出す。 耳に届く太鼓の音。 連なる蓮絵の提灯。 花笠音頭を踊る舞い手の傍らをすり抜けて、錦の幟がはためく屋台の通りを巡った。 胡麻の香りが香ばしい団子、甘くとろける氷菓子、そして時には射的で真剣勝負。 「狙うは一等よ! そういえば、以前の夏祭りで大外しした原因ってなに?」 「……俺が心を乱す原因になる人はひとりしかいないよ。ユリア」 青銀の君が横を向いた隙に「隙あり」と一等を打ち落とす。 「やだ、負けちゃ……あら?」 下駄の鼻緒が切れていた。 「ふむ」 言葉もなく前に屈む夫の心遣いが胸にしみた。妻を背負って景品を持ち、黙々と歩き出す男の首筋から、小さな声で囁きかける。 「ありがとニクス……私の居る場所は貴方の隣よ」 「ああ、そうだな」 夕日が照らす茜の道は、祭よりも輝いて見えた。 ●茜の空で待ち合わせ 血のように赤い太陽が沈んでいく。 川沿いで夕焼けを見上げていた宮鷺 カヅキ(ib4230)とルシフェル=アルトロ(ib6763)はひたすらに人を待っていた。空に闇の帳が落ちていくと、町並みは煌々と輝きだす。 「お待たせしました。……カヅキさん、具合はいかがです?」 「お陰さまで何とか元気ですよ。ふふ」 「……そう。それは良かった」 「それで……知っている事を教えては頂けませんか」 現れた翆(ic0103)を真摯な眼差しで見た。アルトロは黙って二人の話に耳を傾けた。 沈黙を続ける翆に肩を竦めた宮鷺が、己の体を軽くさすった。寒さではない。 「今は痛み等ありません……が、うちの一族が作ったものです、どうせロクな物じゃない」 翆はゆっくりと口を開いた。 夜風が二人の会話を浚っていく。翆は小さな薬の包みを宮鷺に握らせた。治療薬とは言えないまでも、宮鷺の身を救う為の、特別なものだった。 宮鷺は「調合の仕方を、教えてください」と頼み込んだが、翆は穏やかに微笑むだけ。 「何かあったら、いつでも僕のところへおいで」 いつでも力になるよ、と。 そう話す翆の意図を、宮鷺は甚だ分からなかった。 何故そこまでしてくれるのか分からない。 だからせめて感謝を示すくらいだ。 やり取りが終わった後、アルトロは「其処まで送るよ」と言いつつ、翆にひっそり話しかけた。 「カヅキの事、宜しくしても良い?」 「というと?」 「俺のできる事があるなら何でも言って? 必要なものがあるなら揃えるし、儀の果てまで探しに行く。カヅキの為なら。……ただ、カヅキは俺の『大切』な子だから。肝に銘じておくように、ね」 物騒な響きに翆は吹き出した。 「大丈夫。それだけ心配なんだよね? 見送りはここまでで結構。またね」 ひらりと手を振って人混みに消えた。アルトロが宮鷺の元に戻る。 「見送りはいいってさ。これ、流そっか」 二人で寄り添い、花蝋燭に火を灯して川へ託す。 ぼんやりと光の洪水を眺め続けた。 「カヅキ」 「なんです、ルーさん」 「君はね……俺の世界、だから」 花蝋燭は短い時間を燃え尽きると、ほどけるように溶けて消えてしまう。 その光景が胸を打った。 儚く輝く蛍のような光は、人の命の煌めきに似ていた。 『守るから』 『いつまで君を照らせるだろうか』 無言で寄り添う二人を遠巻きに眺める翆は「大丈夫、あの子なら」と呟いて遠ざかった。 ●天上の星と水面の輝き 茜の空に、闇の帳が落ちる頃。 白い蓮で埋め尽くされている白原川に無数の炎が灯る。 蛍のように水面を踊る炎の正体は、花蝋燭だ。闇に隠されてしまう切り花の煌めきに代わり、陽炎の羽根の様に、薄く切り出した蝋の花弁を組み合わせて象られた繊細な花蝋燭は水面に浮かべることができ、香木の甘く懐かしい香りを蝋に閉じこめている。 川に流す寸前に灯す炎が、ゆるりゆるりと花蝋燭を溶かす。 夜風に舞う芳香が、人々の心を魅了してやまない。 藍錆の空に別れを告げて。 人々は動き出す。 「お待たせいたしましたか」 雪のように白い銀髪、黒檀の片目。 小柄で儚い容姿を最大限に引き立てる金魚の浴衣。 凛と佇む月雲 左京(ib8108)を見て、ユイス(ib9655)は感嘆し、感想を述べた。 「うん、良く似合ってるよ。凄く……綺麗だ」 月雲は頬を赤らめて慌てた。 「お、お戯れを……っ! ゆいす様も凛々しゅうございます!」 褒められる事は慣れない。慌てた末に俯く。零れる銀糸の髪に蓮の切り花が差し込まれた。は、と顔を上げた月雲の前髪が揺れ、真珠色の髪の向こうに紅玉の輝きが見えた。 「それじゃ行こうか?」 真紅の瞳を見据えたまま「暗いからね」と手を差し出す。月雲の口元が弧を描いた。 「ありがとうございます」 銀の月に見守られて、人気のない坂を駆け出す。 大通りの喧噪が遠ざかり、太鼓と笛の音が微かに薫風にのって追ってくる。月に見守られた川沿いの散歩は不思議と心安らいだ。微笑む月長石の君が案内した場所は、星々が降りそそぐ漆黒の空と、大河を埋め尽くす花蝋燭の光を一望できる街の外れ。 「美しゅう、御座いますね」 月雲とユイスは切り花を川に流した。けれど月雲は激しい思いを持てあます。 『流れはしませぬ、消せはしませぬ……この狂おしい想いを』 「左京くんどうだった? 今日の祭は」 丸い瞳が月雲を覗き込む。月雲は視線を川へ戻す。 「夏別れの祭でございましたね。季節は過ぎゆき、また大きな戦ばかり、あるのだと思うと、心静かなままではいられませぬが……でも、不思議と今宵は和らいで。また……こうして来とうございますね」 「じゃあ、来年も是非。どうかな?」 この顔に弱い、と思いつつも月雲は「ええ、ゆいす様」と約束した。 来年もまた祭へ来られるように、ささやかな誓いを立てた。 ●忘れない祭り日を君と 藍色の浴衣はからくりの乳白色の肌を際立たせるとリト・フェイユ(ic1121)は思った。 冴える月を背負う、白皙の横顔が美しい。 「よく似合ってる。やっぱりローレルも浴衣を着て正解だったでしょ。みて」 蜜蝋色の月光を浴びて、琥珀の如く煌めく子鹿色の髪に翡翠の瞳をした少女は、陶器のように艶めいた指をひいていく。 満天の星空に劣らぬ水面の星々は、人の願いそのもの。 「川が、光って。光の川が流れていくわ……」 ローレルは「明るい、な」と呟く。人が作った美しい幻の川を、つくりものの水晶の瞳が正面から見据えた。お互いに持っていた花蝋燭に炎を灯す。フェイユは待宵草が描かれた花蝋燭を水面へ解き放ち、ローレルは月桂樹の葉を描いた花蝋燭が遠ざかる様を見た。 『何処まで並んで流れていくか分からないけれど』 同時に解き放った花蝋燭は、遠ざかるにつれて徐々に方向を変えていく。 決して同じように流れてはいかない。 それは自分たちも同じこと。 「ローレル」 「なんだ、リト」 「また来ましょう。綺麗なもの沢山見ましょう」 いつか時が夢路の道を分かつとしても、夢より鮮明な光景を思い出せるように。 共に綺麗だと囁きあった旅路の夜を。 「覚えていてね、私のこと」 ●流した厄と財布の行方 夜の闇に提灯が踊っている。 空に瞬く星々の存在を忘れてしまう程に、街の賑わいが途切れることはない。 「厄は払っておくに越したことはないか。寄り道するぞ、蓮華」 「おお? どこへいくのじゃ」 「厄の権化みたいなアヤカシとやりあう事もあるしな。折角だから厄払いだ」 羅喉丸(ia0347)と天妖蓮華は、花蝋燭を持って橋のたもとに立った。 対岸に見える川床は、昨年の白原祭で天妖蓮華と共に酒や鮎を楽しみつつ行列を眺めていた特等席。去年は遠くから光に満ちた川を眺めて満足したものだが、間近で見る光景はひと味違う。 「心が洗われるな。何度見ても風流な景色だ」 返事がない。 普段なら何かしら言う蓮華が黙っているので視線を落とす。蓮華は熱心に祈っていた。 「どうした、蓮華。何か、願っていたのか」 「……む? なに、羅喉丸。妾がお主の無事を願っておいたから、感謝するがよい」 火をつけた花蝋燭が水流にのって遠ざかる。 「お主は少し無茶をするからな」 「ありがとう、蓮華。それではお礼をしなければな。行きたいところはあるか」 天妖の瞳が心なしか輝く。 「おお、気が利くな。去年の鮑や湯葉も捨てがたいが、今年は斜め向かいの真珠亭が良い」 また報酬が飛ぶな、と悟った羅喉丸は、重い財布を虚空に軽く放り投げた。 ●穢れを払う花に乞う 夏の夜に輝く、蜜蝋色の光の波。 無数の蓮と花蝋燭が滞留する岸辺から虚空へ舞った人妖緋嵐と人妖文目は、靴のつま先を黒檀の水面に浸して、薫風に揺れる散花の如く踊った。波の水飛沫は水晶のように散り、花の下に隠れた黒曜石の鏡が顔を出す。 「……綺麗。祭も凄く賑やかだったし、皆、楽しそうだね」 輝血(ia5431)は純白の蓮の切り花を白原川に投げ込んだ。御樹青嵐(ia1669)も傍らに立って一日身につけていた蓮を川に流す。けれど黒檀の瞳は蓮を追わず、傍らで揺れる桔梗の君を一瞥した。 可憐な桜色の唇が僅かに動いた。 「切り花を流して穢れも流す、か」 暗い闇を見てきた瞳に、この光景はどう映るのだろう。 御樹の好奇心と不安を知ることなく、紫水晶の瞳は感傷に揺れる。 「あたしの穢れは……それだけじゃ流せそうにないけど。なんて」 輝血は瞼を伏せて立ち上がった。 黒い絹糸が頬にかかり、吐露しかけた本音を隠す。 「ごめん、青嵐。折角のお祭りで暗いのはなしだね。こういう話はやめやめ!」 道化た乙女の手を、御樹は掴んだ。華奢な指を、骨張った手が絡み取る。 「流せないものであれば、共に背負うだけですよ」 薫風が沈黙を浚う。 遠くの笛の音を運んでくる。 「……あのさ。青嵐って、ホント真面目な顔で恥ずかしいこと言うよね」 「そうでしょうか?」 「そう。……恥ずかしすぎて、今のあたしじゃどう答えていいか分からないよ」 輝血は顔を背けて白原川を見た。二人が浮かべた切り花は寄り添うように遠ざかる。 「……でもね。最近はそういうのも……その、悪くは思わない、かな」 気分を損ねてしまったか、と俄に落ち込んでいた御樹は「今、なんと」と顔を上げた。 「ううん、なんでもない」 二度は言わない。穏やかな夢は胸に抱くだけ。 けれど微かに心に溢れる光の片鱗はある。御樹と輝血は寄り添いながら蓮を見ていた。 願わくばどうか、いつまでもこのままで。 ●紅玉と黒蝶真珠と菫青石 燐光の大河を見た羽妖精思音は「綺麗だね」と言いつつ振り返る。 「蓮に乗って何処か行けそう。だけど僕は二人の傍にいるよ」 そう笑って持ち歩いていた切り花を三人の髪に飾る。古葉色の髪に挿した花を確かめたアルーシュ・リトナ(ib0119)は感謝を告げた。 そして慈母の微笑みを愛娘に向ける。 「綺麗でしょう。色んな人が携わって、願いや思いを込めてこの風景を作り出しているの」 毎年繰り返される光の洪水は、似ているようで違う顔を覗かせる。 光の川は不浄を引き受け、清らかで新しく生まれ変わる。 『いつかあなたにも大切な人ができたら』 波紋のように重なり、オパールが如く虹の色に輝く思い出を慈しんで欲しい。 黒水晶の水面の傍に立ったリトナは、桔梗を描いた花蝋燭を持って黒蝶真珠の瞳を振り返る。 「私は桔梗で、恵音は梅ですが……真名さんはどんな花でしょう」 真名(ib1222)は向日葵が描かれた花蝋燭を見せた。 「太陽の花よ。似合うかはわからないのだけれど……好きな花だから。今年も姉さんと来れて嬉しい。新たに恵音っていう友達も得たし、尚更ね」 黒檀の髪を靡かせて照れたように微笑む。 「私も、今年も真名さんと来られて良かったです。ね、恵音」 菫青石の瞳の少女は静かに微笑む。 真名は静寂の君の前に屈み「これから恵音を知っていきたいし、私の事も知って欲しいの」と柔和な表情で告げた。穏やかで煌めく、見る者を惹きつける太陽の微笑みに、リトナは暫し魅入った。 「真名さん。また、一段と綺麗になられましたか?」 「え? そう? 特別何か化粧をしてる訳じゃないんだけど」 「そうですか。ふふ、一つ一つの経験が宝石になって貴女を彩っているのでしょうね」 例えるなら七色に輝くアレキサンドライト。魅力と情熱、揺るがぬ決意は燃え上がる星の紅玉にも劣らない。人知れず重ねる努力は芽吹いて実り、薔薇のように咲き誇るだろう。 輝ける薔薇の赤にも、憧れる大輪の芍薬がある。 見上げたのは麗しき翠玉の瞳。 『大好きな姉さん、私の憧れの音色。私が姉さんになれる訳じゃないけれど、でも』 「……大好きよ、姉さん」 側にいられる。一緒にいて笑い会える。 それが何より幸せだから……私はきっとどこまでも強くなれる。 ●真夜中は別の顔 月光の金髪に翡翠輝石の瞳を持つ可憐な淑女は、両腕にあふれんばかりの軽食を抱えて川辺に立った。サジュマンの背中を追うように歩いてくるのは、ウルシュテッドだ。 「今日は張り切りすぎた。ここで休んでから皆のところへ行くかい?」 「なんじゃ、体力がないのぅ。食べるか、テッド殿」 差し出された揚げ物を見て、笑ったウルシュテッドは「じゃあ食べさせて貰おうかな」と華奢な手を掴んで串に囓りついた。まだ熱を持った肉片を噛みしめて目を見張る。 「熱いが旨いよ」 「そうじゃろう。警備中に徹底的なりさぁちはやっておったからのう」 関節的な接吻も気にせず串に食らいつく様はこの上なく幸せそうだった。色気より食い気が勝る愛しい君の姿は、光に満ちた白原川を見ているよりも心を掴んで放さない。 「どうしたテッド殿、2本目の催促か?」 ほれ、と斜め上の気を利かせる金糸雀は笑顔を運んでくる。 「……いや、そうじゃなくてね」 澄んだ淡緑の如きエメラルドの瞳が、少しだけ暗く翳った。呑気に串を食べるサジュマンも微かな違いに気づく。闇に溶ける猫の目にも似た金緑石は見慣れぬ色を浮かべていた。 「俺は欲深くなった。君のせいだよ」 唇の端から頬に着いた味噌ダレを拭う。 幾多の肩書きと仮面の下に残る顔は、若き日の衝動と情熱を隠していた。眠っていた、という方が正しいのかも知れない。 「俺は立派な人間じゃない。妄執に取り憑かれた何処かの誰かと違わないかもしれないな」 どう思う? とでも言いたげな白皙の横顔。目の下には微かに隈。 「考え方は人それぞれじゃからの」 サジュマンはあえて笑みを返す。 「醜いもの無垢なもの。それら全てのごった煮が人じゃ。つまり人である以上は、抱えるものがみな、美しいものとは限らぬ。嫌なことは花蝋燭に乗せて流せばよい。少なくとも今夜くらいは……安らかに眠れるかもしれぬ」 「全く、君には敵わないよ」 花蝋燭を流したウルシュテッドは、サジュマンの手を繋いで川を見た。 抱えた心が流れ着く先を知らぬまま、光の波を見送った。 ●皆で過ごす川床の賑わい 川床の席では、明星と宵星、ハティとフェンリエッタ、そして星頼と礼文が豪華な夕餉を楽しんでいた。華凛も誘ったが、花車を仕上げると言って屋敷に残った。 豪華な食事の後は甘味が欠かせない。宵星は色々食べ比べる。 「あ、これ美味しい。はい、あーん」 向かいの明星は観光用の地図を眺める。 「ふー、お腹いっぱいだね。お父さん達が戻ってきたら次は屋台巡りしなくちゃ。みんなは行ってみたい屋台はある?」 すると星頼と礼文は「射的がしたい」という。 宵星も案内を見た。 「シャオはまず飴細工屋さんに行きたいな。誰か実演見た事ある? 何度見てもふしぎ」 「二人は射的でシャオは飴細工、と。印つけておかないとね。あとは輪投げ、千本引き? 何が当たるかなあ。いっぱいおねだりするといいよ。ここの目玉って何だろ」 「あと金魚さん! ミンシン、金魚さん掬おうよ!」 「シャオ、また勝負したいとこだけど金魚掬いは……後が困るかな? 旅先だしね」 宵星は「えー」と不満げに声を発するが、遠巻きに家族の声をきいて身を乗り出す。 「こっちこっちー! お父さん達もうじき来るみたい。それにしても川が綺麗……こんなお祭り初めて」 感動に魅入る宵星。ハティも川を眺めた。 「穢れも想いも吸い取ったあの花や蝋燭は、まるで人そのもの。美しいものだ」 ●雪若獅子舞と一緒の大宴会 待ち合わせの料亭の前では、髪に蓮を飾った音野寄 朔(ib9892)が猫又の霰の首輪に蓮を編み込んでいた。首飾りの代わりである。蓮を髪に飾ったのはジャミール・ライル(ic0451)も同じであるが、その隣には浴衣を着込んだ……獅子舞がいた。 「こんなに暑くなるなら変装なんざしねぇで堂々と歩きゃ良かったぜ。雪若の受難ってか」 ライルは「雪若?」と眉を顰め「あぁそんなのあったねぇ」と思い出した。 「道理で庵治っちゃん、何か変な格好してると思った」 「変だとぅ。……まぁいいさ、丁度いい余興が見せてやれるってぇもんだ」 雪若とは、白螺鈿に伝わる一種の福男である。 その年の雪若に触れて願うと願いが叶う、という言い伝えがあり、白螺鈿の住民は血眼で雪若を追いかける。よって一般人に紛れようと思うと、変装がつきものだった。 庵治 秀影(ic0738)は現在の雪若本人。 「おまたせしましたー! まあ、みなさん素敵です」 最期の待ち人紫ノ宮 莉音(ib9055)は人の波に揉まれながら手を振って走ってきた。 『ああ、ルベルをお留守番させてよかった!』 走龍アストラルベルを一緒に連れてきたら、きっと大騒ぎしたであろう様子が紫ノ宮の脳裏にありありと浮かぶ。音野寄が暖簾の奥へと進みだした。 「そろった事だし、行きましょ。仕事の後はお酒よねー、何がいいかしら、ふふ」 すると猫又が「サクー、葡萄酒はー?」と声を投げる。 「さぁどうかしら? 輸入物があるといいわね、高そうだけどお祭りだし。あったら頼んでもいいわ。でも飲み過ぎちゃ駄目よ」 四人は予約していた川床の特等席に座った。 川床から見下ろす光の川に心癒されながら、次々と一品料理の注文を行う。 鮎の塩焼き、胡桃豆腐、鮑の煮付け、湯葉の刺身、夏野菜の煮物。焼き茄子や胡瓜の酢の物が酒に合う。かぶりついた玉蜀黍は岩塩を振ってあるにも関わらず、砂糖のように甘かった。 さらに音野寄が揚げ物を出す。 「酒のおつまみに軽食を作ってきたの。どうぞ」 獅子舞を被ったまま食事をする庵治が対岸をみやる。 「ありゃぁ花車かぃ。華やかだねぇ、酒が旨ぇぜ」 紫ノ宮は「まぁ綺麗!」と歓声をあげつつ、箸を動かし続ける。 「見て、朔さんの好きなおあげがありますよ。巾着になってる。中身全部違うみたい?」 「よぉし。酒も回ってきた所で踊るぜぃ。季節違いも良いとこだが、俺の獅子舞なんざ滅多にみられるもんじゃねぇぜ。くくくっ、どうだ!」 狭い場所に立って獅子舞を動かす。 音野寄は「秀影さんは獅子舞が出来るの? お手並み拝見ね」と微笑み、紫ノ宮はブレスレット・ベルを身につけて手拍子を試みるも…… 『……あら、あら、うーん、どこで合わせればいいのかしら……分からないわ』 「莉音君はまだ飲めないんだったかしら」 「え? あ、はい」 「これからのお楽しみね。ジャミールさん、お酌しましょうか」 「ありがとー! 音野寄ちゃんこそ、お酒足りてる? 足りてなかったら注ぐよー」 結局、獅子舞の勇姿を無視して酒盛り再開。唯一の観客改め猫又の霰が「それが獅子舞? 酔っ払いかと思ったわ!」と毒舌をかました。 「……って、なんでぇその反応は!? そんなに俺の踊りが下手だったってかぁ……? そんじゃ誰かやってみろぃ」 拗ねた庵治を見て紫ノ宮は「ジャミールさん、踊って下さいな」と声をかける。 「踊り? やーだよ、俺はパス。だって今日オフだもん。どうしてもっていうなら、だけど、まじ金取るよ? まぁ、音野寄ちゃんみたいな美人に頼まれるなら別だけど」 踊り子が本業なライルが揚げ物をバリバリ囓る。 音野寄は「そうね」と良いながら扇子を広げて立ち上がった。 「舞なら私も巫女の端くれですから。篤と御覧あれ」 どのみち本職はここにもいた。 言い出しっぺの庵治「お、おぅ……ちったぁやるじゃねぇか」と言いつつ、居たたまれなくなって獅子舞のかぶり物を脱いだ。すると配膳の店員が仰天した。 「ゆ、雪若さま!? 当店へお越し頂きありがとうございます!」 ぶほーっ、と庵治が酒を吹き出した。しまったと思っても、もう遅い。大勢が雪若を探して立ち上がったのを見て、覚悟を決めた庵治は口に玉蜀黍を押し込み「また後でな!」と叫んで脱兎の如く逃げ出した。 ライルが「いってらっしゃーい」とヒラヒラ手を振る。 そしてふわふわ夢心地になってきた。 ごく自然に紫ノ宮の膝を借りる。 「んー、女の子の方が柔らかいけど、いい気分〜」 対岸の行列を一瞥した音野寄は、庵治の席にあった酒瓶を開封する。 「花車は見事なものね。お酒も益々進むわ」 ●古い縁に別れをつげて 蓮を象った花蝋燭は、汚れを洗い流してくれるという。 「蒔司……月が綺麗だな」 「うむ、良い月やな。景色を肴に一杯やれそうじゃ」 蒔司(ib3233)が「ほれ」と燧火を渡す。 「月下の川に咲く花か。綺麗だなー。行い悪ィから色々流せるといいんだが」 水面に花を浮かべて手早く火をつける。綺月 緋影(ic1073)も、傍らに立つ蒔司も、共にシノビという職業柄血生臭い話が多い。進んで花蝋燭を流す蒔司は過去の古傷が痛むのか、真剣な眼差しで川を見つめて祈っていた。 不浄が洗えるものなら洗いたい。 「さて。厄払いも済んだちゅうことで酒でも呑みにいくか?」 綺月は動かなかった。 しゃがんだまま灯を見ている。 「緋影?」 思えば。 警備の時から様子が変だった、と。蒔司は今更ながらに気づいた。 例えば幾度となく此方を見る割りに視線を外す。何度も何かを言おうとして口を閉じる。 『考えてみれば変じゃ。あの深刻そうな横顔。もしや緋影……不治の病か!?』 蒔司の思考が暴走を始めた。 「で、まあ。蓮の花でも流せない事があってだな」 などと言い出す綺月の声を聞いていると、余命幾ばくもない病人のように聞こえてくるから不思議だ。平常心を失いつつある蒔司は「お、おう?」と冷静を装いつつ身構えた。 「えっと……毎朝お前の味噌汁が食いたい」 蒔司の目が点になり「味噌汁?」と思わず聞き返す。 一気に肩から力が抜けた。 「なんじゃ、おんし。飯か。食べたいなら帰ってからでも作っちゃるが」 突然何を言い出すかと思えば手料理の催促だった為、蒔司は首を傾げつつ歩き出す。 「この辺は米がうまい土地じゃき、味噌汁も悪くはないぜよ。今晩の飯は川床で我慢……」 「蒔司!」 綺月が仁王立ちになり、拳を握りしめた。 「俺と指輪買いに行かねえか!」 「指輪? ジルベリアの装飾品がどうした。女子に贈る買い物に付き合えちゅう事か? ふむ、仕事の開いてる時ならかまわんが、ジルベリア産の宝飾品の店は詳しくないきに」 「だー!」 綺月は両手で頭を掻きながら叫んだ。 人の目なんて、もはやどうでもよかった。 「だから! 俺の嫁になれつってんの! あえて話そらしてるのか? そうなのか?!」 「嫁……急に誰を娶るんじゃ? すまんが主語がききとれんかった」 ぷち、と。 何かが切れた。 「おーまーえーだァァァ! 俺が真剣に求婚してる事に気づけよォォォ!」 ぜーはーぜーはー肩で息する綺月を眺めて、蒔司は暫く口を開けて絶句していた。 「おんし」 「俺は本気だ。悪いが冗談にとらないで、くれ」 「おんしは……よう女子と連れ添うておったきに。てっきりその中に本命がおると思うちょった。睦言を囁かれれば応える女子は数多じゃろうに……おんしも物好きじゃのう」 驚きもしなければ狼狽えもせず、淡々と観察するような眼差しに綺月は言葉に詰まった。 男が男に求婚する、という事が、一般的な目で見て奇異である事は承知の上だ。衆道を一時の嗜みとするなら兎も角、本気の求婚など不気味がられるか、笑われるか。 なんにせよ。 もう昔の友人関係に戻れない。 「いや。俺だって仕事以外でそう言う趣味はねえ、って思ってたんだよ。でも蒔司が女口説いて来ること考えると腹立つし……お前を誰かに取られんのが嫌でしょーがねえんだ」 執着。嫉妬。公に名の付く感情だが縁は薄い。 「俺、頭悪ィから。その理由に気づけなくてさ。1人の人として恋愛的な意味で好きなんだ。おっさん相手に、マジで色事を抱えると考えもしなかったけど……このままじゃ、前にも後ろにも進めねぇ。だから言った。ダメならすっぱり諦める」 思いっきり殴れよ、ふってくれ。 とでも言うように苦々しく泣きそうな笑みを浮かべる。蒔司は全く表情を変えずに暫く考え込み、やがて綺月に歩み寄り、両手で拳を作った。月を見上げた綺月は瞼を閉じる。 『ああ……これできっと、諦めがつく……』 ぺちん、という軽い衝撃と共に顔を挟まれた。 蒔司は「綺麗な顔が台無しじゃのぅ」とほっぺたを揉みながら笑う。 「勝手に結論まで出さんでくれんか。ワシも、好いとるよ。おんしと同じ意味でな」 「おま…… ……って、は? いいの? 俺の話ちゃんと聞いてたか?」 「一人の人として、なんじゃろ。なら他に言う事もないきに。不束者じゃが、よろしゅう、な?」 両手を放して頭を撫でられた綺月が、へなへなと座り込んだ。顔を覆って「正直、断られたらどーしようかと思った」と呟く。 古い関係に別れを告げた蒔司達は、寄り添ったまま暫く川辺で話していた。 |