救われた子供たち〜白遊戯〜
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/08/18 10:15



■オープニング本文

【★重要★この依頼は【明希】【華凛】【到真】【礼文】【真白】【スパシーバ】【仁】【和】の年中8人と【桔梗】【のぞみ】【のの】【春見】の年少4人の合計12人に関与するシナリオです。】


●消えぬ怨恨

 老人の一人が書類の束を投げ捨てた。
「これではまるで普通の子供ではないか!」
 別の老人は渋面をつくる。
 生成姫の子の追跡調査面談において、思っていた成果を彼らは得ることができなかった。


 一年と少し前。五行では戦があった。
 アヤカシと人間の衝突などさして珍しいものではないが、アヤカシの軍勢と戦うことで被害が出るのは、もっぱら戦地になった住民達と一般兵である。優れた術や格闘術で敵を屠り、生還する開拓者に被害は少ない。一方で、身を守る術に乏しい者、食料の供給を担う運び手、名も知られぬ末端の者達は、人知れず散っていく。
 彼ら老人達の息子や孫もそうして死んだ。
 人に殺されるならまだ恨む先がある。けれどアヤカシに殺されれば恨む先など跡形もない。
 開拓者がアヤカシの討伐を成し遂げるからだ。長年煮え湯を飲まされてきた人類にとって、開拓者が大アヤカシや上級アヤカシを屠れるようになってきた事は歓迎すべき活躍であった。無力な自分たちに代わり無念を晴らしてくれる。重傷を負いながら生還する開拓者を人々は熱狂的に迎えた。心の底から感謝もした。
 めでたしめでたし……

 とならないのが、人の心の難儀な面だ。
 優れた賢君の手腕で人々の生活は立ち直っていく。
 生活に余裕が出てきた者達は、言いようのない寂しさを胸に抱えた。
 憎悪や悲哀は簡単に消えはしない。
 愛する子を失う親の哀しみは、喪失を味わった者にしか分からない。
 何故、自分は生きているのか。
 できるなら自分が代わりになりたかった。
 何故、家族は若くして死なねば成らなかったのか……等と持てあました時間で、答えのでない問いを繰り返す。
 そして意識の底に眠っていた怒りは復讐心となり、矛先を探す。
 復讐心が向かう先は大アヤカシが育てた『生成姫の子』だ。
『我らの家族は殺されたのに。
 何故、殺されるべき敵の子供は庇護され、愛され、新しい人生を生きるのだ?
 ゆるせない』
 生成姫の子供の成り立ちを教えられ、子供達が被害者であると頭では分かっていても。
 暴走する感情に呑まれてしまう者もまた人であると言える。

「そう激怒する事もなかろう」
 目尻をつり上げる同僚を見て、面談を行った老人は肩を竦めた。
「面白いか面白くないかと言えば……面白くない話ではある。が、声を荒げるだけ無意味なことだ。化け物を出し抜いた狩野が、年の割に抜け目がない事は事実であるし、アレにとって儂らは政敵。獣すら敵に隙を見せぬもの。儂らは負けた。事実を認めねば対策も立てられん。頭を冷やせ」
 騒いでいた老人は押し黙った。
「まだ負けてなどいない。儂は必ず仇討ちを成し遂げる! 金など幾らでもあるんだ!」
 不可解な発言を残して出ていった。
 残された老人は、懐から他界した家族の姿絵を取り出した。
「アレを殺したところで……儂らの気休めにしかならんのにな。人の心は厄介だ」
 自嘲気味に笑った。


●寝言の警告

 人妖樹里が主人の手元を覗き込む。
「ユズ。それなあに」
「子供達の外出予算ですよ」
 先日、開拓者に対して行われた聞き込みは思わぬ成果を結んだ。
 干渉権限のない老人達は『第三者による評価の必要性を訴えた』ことで先日の調査権限を一時的に得ていた為、彼らの資料は上への提出が義務だった。
 結果、子供達が無害という評価に傾き、切りつめられていた予算の増額を決定付けた。
「で……嫌みでも言いに来ましたか、ご老人」
 人妖樹里が驚いて柱の後ろを覗き込む。
 其処には散々嫌みを投げてきた老人が座っていた。
「はて。空耳かのぅ。天気が良い故、瞼も重い。居眠りには絶好の昼時じゃて」
 話がかみ合わない。
「昼寝ならお部屋でなさっては如何です」
「昼寝ゆえに寝言が多い。年のせいかな。最近物忘れが激しい故、今喋った事も忘れているかもしれんのぅ。……白原祭に孤児を連れていくそうではないか」
 五行国の東、白螺鈿の里では毎年8月10日から25日にかけて白原祭が開かれる。
 その祭の準備を手伝ったり、賑やかな祭の日々の中で暮らすことを勧められた。
 幸いにも地主は柚子平の腹違いの弟にあたる。
 ある屋敷を借りて月末から暮らす事になっているが……
「手練れを連れて行け」
 老人は驚くべき事を告げた。
「人数は、多い方がいいな。といってもたった一人の暴走故、雇う程度は知れているが。いつかはわからんが目を離さぬようにしておけ。人が多いところで子連れは危ない。ちょろちょろしてすぐ迷子だぞ。まあ迷子で済めば良いがな」
「……どういう風の吹き回しです」
「寝言は思いも寄らぬ事を言う。だが儂は眠っていても、シノビに金を積んでまで人殺しに荷担する気はない。そこまで堕ちる気はないのでな。眠いな。もう帰るとしよう」
 老人は去っていった。
 人妖樹里が「なにあれ」と首を傾げた。
 柚子平は「ただのお節介ですよ」と短く告げる。
 開拓者の話に心動かされた老人の密告は、備えの時間を彼らに与えた。


●白原祭に向けて

 外泊をきいた子供達が呑気に荷造りをする中で、開拓者を呼び集めた柚子平は端的に要点を説明した。

 援助が増額された事。
 子供達を白螺鈿の町中で一ヶ月暮らす事。
 子に恨みを向ける過激な一派が、シノビに暗殺を依頼したこと。
 恐らく祭の中で狙われると思われること。

「理解を示した上の提案を無下にはできません。縁者の事もありますし、子供達は白螺鈿に連れていきます。純粋に祭を楽しませてやれないのは可哀想ですが、少なくとも奇襲には備えられる。皆さんを長期で雇います。子供達を暗殺者から守りきってください」
 その話を、アルドと灯心、結葉も聞いていた。
 三人は既に……事情を教えられた開拓者であったから。
「私達が嫌いなら、そんなに殺したいほど憎いなら、直接言えばいいじゃない」
 結葉が瞳に涙を溜めた。
 アルドと灯心は暗い顔をしている。
「人の社会は複雑なのです」
 柚子平は告げた。
「敵対していた人物から我々は貴重な情報を貰ったのです。少しずつ折り合いをつけていかねばならない。依頼された開拓者として何も知らない弟妹を守れますね?」
 三人は「うん」と首を縦に振った。
 しかし修練場で技術をささやかながら体得しているのは、まだ結葉ひとり。

 柚子平は開拓者に三つの仕事を頼んだ。

 ひとつ、白螺鈿で暮らす子供の一ヶ月間の護衛。
 ふたつ、修練場でアルド・結葉・灯心の修練につきあい、対人戦を教え込み、身を守れるよう指導すること。
 みっつ、何も知らない子供達の面倒を見ること。

 緊迫した一ヶ月が始まろうとしていた。


■参加者一覧
/ 酒々井 統真(ia0893) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 弖志峰 直羽(ia1884) / フェルル=グライフ(ia4572) / 郁磨(ia9365) / ニノン(ia9578) / 尾花 紫乃(ia9951) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / グリムバルド(ib0608) / ネネ(ib0892) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 蓮 神音(ib2662) / ウルシュテッド(ib5445) / ニッツァ(ib6625) / パニージェ(ib6627) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / ゼス=R=御凪(ib8732) / 戸仁元 和名(ib9394) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 白雪 沙羅(ic0498


■リプレイ本文

●古民家『笑楽庵』

 五行国東方に「白螺鈿」という名の里がある。
 開拓者たち一行は、地主から提供された大きな屋敷に到着した。

 蓮 神音(ib2662)は家の前に掲げられた看板を見上げていた。
『……ずーっと前にせんせーが言ってたお家って、ここだったんだ』
「どうかしましたか?」
 礼野 真夢紀(ia1144)が同じ看板を見上げた。
「ううん。此処、知り合いも来たことある場所なんだよ。神音は初めて来たんだけど、看板見て。この『笑楽庵』って名前、『誰もが楽しく笑える場であるように』っていう願いがこめられてるんだって」
 血塗られた縁と因習からの解放を願って名付けられた屋敷で、大人も子供も笑いあえるような催しが何度か行われてきたという。そんな話を聞いて、何名かの顔がほころぶ。
 正に、かの子供が一ヶ月間暮らすに相応しい場所だった。
「あ、そうだ。神音、ちょっと街の西側に行ってくるから子供達をよろしくね」
「一体何処に? 例の偵察とか」
「ううん。この街一番の豪商さんのところ。榛葉家っていうんだけど、そこの養女になってる人って、あの子達のお姉さんに当たる人で、生き延びた生成姫の子供なんだ。大丈夫だよ。神音は嫌われてるけど、子供達のことは大切に想ってくれてるから。もしかすると美味しい物も食べさせてあげられるかも。じゃ、行ってくるね!」
 蓮はそう言い残して出かけた。

「おっきなお家だね」
 真白の声に「そうだね」と紫ノ眼 恋(ic0281)が頷く。
「今日から一ヶ月ここで暮らす訳だけれど……真白、慣れない家は危険がつきものだ。段差で転んだりもするし、滑ったりもする。外に出る時は、一人になってはいけない。広い街だから、迷子になってしまう。そして何をやるにも協調性は大事だよ、今回は団体行動の練習にもなる。連絡や報告はしっかりな」
「えっと、協力して気をつける、外出は大人と一緒?」
 隣のからくりが「それだけ覚えてりゃ平気だな」と頷いた。
 同じく何らかの理由をつけて警告を促す者は多い。
 パニージェ(ib6627)も仁に念を押した。
「屋敷の外に一人で出るな。必ず開拓者に同伴して貰うこと。初めての長期外泊だからな」
「はーい。いちばんのりー!」
 走り出そうとした子供達を「ちょっと待って」と呼び止めたのはフェルル=グライフ(ia4572)だった。
 万が一に備えて『加護結界』を付与しておこうと思ったからだ。
『ここでは……誰も死なない。それが私達、子供達、そしてお爺さん達を含む全員が心穏やかになれる結末と信じます』
 強い決意を胸に秘めつつ、満面の笑顔で子供に柔らかく語りかける。
「今日はとっても暑い日だから、皆が暑さに負けないためのおまじないをしまーす」
「えー、一番乗りしたいー!」
「でも夜遅くまで遊びたいでしょ? 暑いと倒れることもあるんだから」
「うっ」
「はーい、並んでー」
 子供達が加護を受けている間に敷地へ入った尾花 紫乃(ia9951)が周囲を見て回る。
『かなり広いお屋敷ですし……逃走経路の確認と見回りは必要ですね』
 一周した紫乃は「地主さんへ到着のご挨拶に行って来ようと思います」と門を出た。
「道中、お気をつけて」
 礼野が手土産を渡す。
「お気遣いどうも。地主さんも忙しいでしょうから、すぐ戻って参ります」
 ところで精霊門を潜ってすぐ、自宅に猫又を置いてきた事に気づいたネネ(ib0892)は『この肝心な時に!』と暫く落ち込んでいたが、気を取り直した。年長組に付き添っている仲間が合流してから迎えに行けばよい。
「はい、おまじないはおしまいです」
 グライフの声が合図になり、元気な子供が走り出す。ネネは背を伸ばした。
「んー、よし。今はできることから! さぁ、1か月の長丁場ですからね! 頑張らないと!」
 ネネはお台所の確認に向かう。
 家の中は埃っぽいが、幸い井戸の水は澄んでいた。
「お台所使えますー! 簡単なお掃除ですみそうです!」
 ネネの声が聞こえる。
 戸仁元 和名(ib9394)は忍犬咲良と戯れている到真を見た。
「到真君、ちょっとええ?」
「何ー?」
「これからお掃除するんやけど、外はお日様が照りつけてて暑いやろ? おっきいお屋敷のお掃除やと飲み物も欲しなると思うんよ。巫女の人に氷を作ってもらえるよう御願いするさかい、お台所借りてお茶の用意しとこうと思うんやけど……一緒にどうやろ」
「うん。僕もお茶いれるよ。一緒に台所のお掃除行こう」
「咲良、先に勝手口みてきてな?」
 忍犬は一声吠えて裏へ走り出す。
「あっちいってみよう」
「旭まってー!」
 明希と手を繋いで走っていく旭を見て、刃兼(ib7876)の表情に笑みが浮かぶ。
 と同時に複雑な思いに駆られた。
『襲撃の危険がある以上、旭を白螺鈿に連れていかない選択もあったんだろうなぁ』
 けれど同じように養子を迎えた仲間は言う。
『俺の傍にいる方が安全さ』
 尤もだ、とも思う。目の届かない場所で何かとんでもない事が起こるより、目の届く場所で守った方が心配は少ない。何があろうと護りきればいい、という結論を出した。
「今はただ、旭との思い出を増やすか、な」
 一つ気になることは旭の行動だ。
 長く家を空けるからと長屋の鍵を閉めてきた。
 その際、刃兼は旭に疑問だったことを聞いてみた。
『なぁ旭。前、蕎麦屋に行く時に自分で戸締まりして偉かった。最近ずっとそうだが……誰かに教わったのか? 前はしてなかった、よな』
 すると旭は少し迷ってから小さい声で言った。
 誰かがあけるからしめるの、と。
『何かあって用心深くなった、と。……物取りか? けど、あの辺に住んでるのは修羅の開拓者ばかりだし、何か気づけばキクイチが俺に知らせるはず』
 仙猫キクイチを一瞥する。常時見張っている仙猫に聞いても侵入者の覚えはないという。
 暫く様子を見る必要があるな、と結論した。

 屋敷の庭では、暇になった相棒たちと共に、からくりのしらさぎと礼野がいた。
 礼野が細かい作業に向かない龍達も含めて注意を促す。
「はい、みんな集合。一応、必ず誰かといるようにみんな心がけてるけど『目を離した隙に』というのはあるかもしれないから、草刈りや洗濯がてらの見回りは忘れないで」
 殺気に過敏な図体のでかい相棒がウロウロしていると、敵の偵察も難しくなる。
「さて。しらさぎー、お布団の洗濯始めるから、手伝って」
「うん。オセンタクするよ」
 襲撃に備える様子を見たフィン・ファルスト(ib0979)が深呼吸して空を見上げた。
『……あたし、子供を嫌ってた国のあの人たちの事、鬼みたいにしか見てなかったけど、人間は、やっぱり人間、なんですよね……やりきれないなぁ』
 全ての事象に白と黒がつけられたら、どんなに楽だろう。
 溜息を零して、家具を運ぶ。


●大掃除

 子供も大人も、汚れても構わない格好に着替える。
 早速グリムバルド(ib0608)は襖や障子を動かし始めた。
「さあ大掃除だ。えーと、まずは空気の入れ替えか?」
 がらがらと縁側の窓を開けると、籠もった空気に太陽の光が射し込む。
「空気に粉がある」
 星頼が何かを掴もうとする。
 グリムバルドは「それは埃だ」と教えた。
「いいかー、埃は上から落ちてくるから掃除は高い所から始めると良いぜ」
『師匠は出涸らしのお茶っ葉を撒いてから箒で掃いてたって言ってたが……まぁいいか』
 到着したばかりでお茶すら呑んでいない。

「広くてやりがいがありそう」
 リトナは養女の恵音を見下ろす。
「花畑に早く行ける様にお掃除を張りきりましょう。恵音も手伝ってね?」
 三角巾やエプロンを蝶々結びで可愛らしく彩る。
「思音は?」
「着替えに行ったみたい」
「着替え?」
「汚れるからって」
 恵音に作ってもらったベストを散々周囲の相棒に自慢していた羽妖精は、汚れても良い格好に着替えて戻ってきた。

 郁磨(ia9365)が「かなり広いけど、皆が笑顔で過ごせる場所を作れたら良いね〜」と腰に手を当てて屋敷を見上げながら和の隣に立つ。
 和が「うん」と言いながら同じポーズを真似した。
「じゃあ先ずは何からしようか」
「掃き掃除! あと水拭きと、庭の草むしり! あとお洗濯して」
「うーん、一度にするのは難しいから分担すると効率がいいんじゃないかなぁ」
「じゃあ掃き掃除?」
「そうだね。埃は下に溜まるから、上から掃除すると何度も掃かなくてもいいかも」
 郁磨が「ほら」と天井の隅を指さす。蜘蛛の巣がはっていた。礼野がはたきを配って回っているので、二人で受け取り、箪笥の上の埃や蜘蛛の巣を落としていく。
「和、次なんだけど……あれ? 和?」
 いない。
 探してもいない。
『飽きた、のかな。和ってホント動き回っ……』
 前方から短い梯子がふらふらやってくる。ゴツッ、と壁にぶつかった。梯子を持っているのは和だった。どうやら手の届かないところは道具を使ってやる、という所まで自分で考えついたらしいが、どうみても子供が持つには重すぎる。
「和、縦は危ないから、横にして一緒に運ぼう」
 かけ声を発しながら運んでいく。

 綿埃を履いた後は、全員で雑巾がけだ。
 ニノン・サジュマン(ia9578)が冷水の盥と雑巾を持ってきた。
「さて一月の間世話になる部屋じゃ。すっきりさっぱり磨き上げるぞ! 床板は米のとぎ汁、畳は柑橘類の皮の煮汁で拭けばぴかぴかじゃ!」
 早くもお昼ご飯の為、台所に立った礼野がからくりと一緒に米をといでいる。きっと午後には蜜柑の皮の煮汁が用意されているに違いない。
 礼文が雑巾をじゃぶじゃぶつける。
「きちんと絞るんじゃぞ」
「うん」
「礼文、星頼、こうして敷居の溝まできっちりとな」
 サジュマンを見習って、二人の少年が競うように黒ずんで埃っぽかった溝を拭いていく。
「む、よいぞ、お陰でぴかぴかじゃ。このまま全室磨きあげるぞ!」
 掃除の終了は果てしない。

 雑巾をねじれば和や仁の握力でも固く絞れる。
 絞った雑巾を床に押さえつけながら中腰で一直線に走っていく。
「ぼくが、さきに勝つ!」
「ちがうよ! もっと早いから!」
 郁磨とパニージェが家具を磨きながら、仁と和の競う様を微笑ましく眺めていると、双子は前方不注意で……立てかけていた襖に激突した。
 派手な物音を立てて襖の下敷きになる。
「和〜!?」
「おい、仁。大丈夫か」
 這うように真下から出てきた仁は「平気」と言うと、倒してしまった襖を直そうと奮闘する。しかし身長や腕力がまるで足りない。パニージェは手を貸した。
「仁。一人で暮らしているわけではなく、必ず周りに誰かが居る。自分で対処しきれないと思ったら、素直に助けを求めることだ」
 小さい頭が縦に揺れた。

 部屋の隅で礼文が家具の隙間に手を伸ばそうと頑張っていた。
 しかし子供の腕は短い。サジュマンが唸る。
「ふむ、ここは箪笥をどけるしかなさそうじゃの。かといって……そうじゃ。テッド殿!」
「呼んだかい、ニノン」
 ウルシュテッド(ib5445)は箪笥や机などの力仕事を率先して手伝っていた。
「これをどかしてくれぬか。礼文と掃除ができぬのじゃ。何事も協力が大事じゃ」
「仰せのままに。もう一人を呼んでくるよ」
 手伝いに呼ばれたグリムバルドは「いつ終わるの」と尋ねる子供達に「今回は大勢いるからな。あっという間に終わりそうだ」と声を投げた。
 普通なら数日かかりそうなものだが、大人も子供もあわせて大人数だったからか、グリムバルドの予測通り、夕方には片づいていた。
 掃除の終わった家を眺めた郁磨が、和の頭を撫でた。
「一ヶ月間、宜しくね」
 ここで祭の期間を過ごすと思うと感慨深い。

 家の大掃除が一段落ついた頃、男手達は花車用の荷車を借りに出かけ、幼い子を連れた女性陣は希望者を連れて農家への挨拶と必要な花を集めに出かけた。


●榛葉の子

 その頃、蓮は榛葉大屋敷から子供達のところへ帰る途中だった。
 巻き込みたくない、という思いから襲撃については話さなかったが、榛葉家の養女「紫陽花」の弟妹達が街に来ているという事で、旬の作物を安価で届けてくれるという。
 蓮は屋敷を振り返った。
『思えば、一般人の身で全てを受けいれた恵さんと誉さんには尊敬の念を禁じえないよ』
 食料の手配は済んだ。
 早く帰らねばならない。


●花蝋燭の絵付け

 白い蝋燭を手にとって、グリムバルドは悩んでいた。絵付けにはさっぱり自信がない。
『ここで頑張らないと笑われるだけになりそうだぜ。いや、まてよ……子供達が楽しそうならそれもアリか。せめて今は何も考えずのんびりと、な』
 グリムバルドがちらりと横を一瞥する。
 桔梗はめちゃくちゃに色を塗っていた。楽しそうだからいいのかもしれない。

 一方、描く物に悩んだケイウス=アルカーム(ib7387)は養女の意見を聞いてみた。
「ねー、エミカの好きな花ってなに?」
「ん……沢山あるわ。花壇で育てた花は……好きなのばっかり」
 名前を詳しく知らないのか、エミカはシロツメクサなどを和紙に描いて教えた。しかし悉く白い色の花だった。着色に向かない。
「あとは……春に見た桜も。綺麗で……好き」
「俺が好きな花も桜だよ。じゃあ一緒に桜色の花蝋燭にしてみようか」
 隣のイリスとゼス=M=ヘロージオ(ib8732)もあれこれ色や模様に悩んだ後、好きな花を描くことにした。
「俺はスノードロップが好きだ。上手く描けるといいが……そういえば、ケイウス」
「ん? 何、ゼス。はっ、俺の顔に絵の具ついてる!?」
「ついてない。そうではなくて、だな。エミカとの暮らしはどうなんだ? 俺は住まいを変えたりと忙しかったが、そちらの家はかわらずなのだろう。今まで一人で暮らしてきた訳だから、どう変わったのかと思ってな」
 薄く微笑みながらヘロージオはアルカームをジッと見た。
『……ケイウスがしっかりとやれているといいが』
 心配の芽が顔を出す。
 胸中を知らないアルカームは「そうだなぁ」と天井を仰ぐ。
「エミカと暮すようになって……適当だった家事を頑張るようになったかな。でも掃除はエミカの方がずっと上手なんだ。ね、エミカ」
「ケイ兄さんは……置きっぱなしだもの」
「あはは……えーと、男の一人暮らしと今の暮らしは、やっぱり気にする部分が色々違うかな。分担してる方だと思う。後、エミカと歌や竪琴の練習をするんだけど、依頼の帰りに演奏し易い楽譜をお土産にする事も多いよ」
 何やら少し誤魔化された気もするが、容易に想像できるヘロージオは「そうか」と返す。

 花蝋燭の絵付けでは、何故か到真が筆を持ったまま固まっていた。
 冷たい麦茶を運んできた戸仁元が「到真君、絵はどない?」と話しかけて横に座る。
「僕も絵、描かなきゃダメ?」
「ダメなんてことはないけど、花車の方が良かった?」
「ううん、そうじゃないよ。けど、僕がおとうさんとおかあさんと一緒に投げたのは、真っ白だったな、って思って。川に投げるなら、真っ白いままが良い」
 戸仁元の双眸が細くなった。暫く黙って様子を見てから「そうや」と小声を発する。
「到真君、行きたいとことか希望あるようやったら聞いておきたいんやけど」
「行くの?」
「行くならどこか調べなあかんからね」
 到真は「橋が見たい」と言った。それと「竹の馬があるお店」と。

 早くも寝室となる部屋の縁側に蚊取りもふらに火をいれたウルシュテッドは、日陰で絵付けを頑張る星頼の手元を覗き込んだ。提灯南瓜ピィアは見本らしい。ピィアと同じ顔が、花弁に描かれている。
「お、描けてるね」
「上手に塗った」
「似てるよ。そういえば祭で気になるものはあるかな。やってみたい事は? 後で一緒に書き出すから、星頼も考えておくといい」
 隣のサジュマンは礼文の絵付けを指導していた。
「なかなかの稜線じゃの。此処まで緻密に書き込むとは、芸術的じゃ。あとは礼文の好きな色で描くと良い。さて、わしは花びらに金平糖を描こうかの」


●花の調達

「おーはなー!」
「のぞみちゃん、まって〜!」
 走り出すのぞみをグライフが追う。
 ファルストと春見も似たような事になっていたが、刃物を持たせなかっただけ安心だ。幼い子供達には大人が付き添い、持って帰る花を選ぶのだ。勿論、旭や明希たちは刃物を持って少し蕾のある花を選んで刈り取っていく。
 明日朝早くから花車を作るには、大量の素材が必要だ。
 道に並べられた桶には水が張っている。ここに次々集めねばならない。
 紫ノ眼が色鮮やかな花畑を見た。
「隣の畑の玉蜀黍も取り放題か〜」
 真白は紫ノ眼の手を引いて「恋おねえさん、ぼく、どっちとればいいの?」と尋ねた。
「それは勿論、花だね。今回は花車を作る素材を取りに来た訳だから。でも沢山摘んだ後にでも玉蜀黍を取りに行こう。帰ったら焼いて皆に振る舞うかな。花が傷まないように、素早くやろう」
「はーい」
「先にやんぞー」
 鋏を持った上級からくり白銀丸がザクザクと花を切っていく。

 掃除に続いて結構な肉体労働だったからか、銭湯から帰って食事を食べた子供達は、揃いも揃って布団に沈んだ。


●花車

 朝早く起きた子供達は、眠気を覚ます運動の後、花蝋燭と花車の班に分かれた。
 昨日の内に運び込んだ荷車はかなり大きい。
「今度は自分が作る側、だな」
「刃兼ー、刃兼は花車を知ってるの?」
「ん? ああ。以前、白原祭の氷像花車を見たことがあるが……今回は一緒に飾り付け頑張ろうか、旭。花の種類や大きさ、色に気をつけて見栄えが良くなるようにな」
「みんな集まったか?」
 数を確認した紫ノ眼が、子供達に簡単な手順を教えていく。
 むき出しの木枠に布を巻く時、手袋をはめて怪我をしないように作業すること。
 荷車の下は危険だから潜らないこと。
 手の届かないところは大人を呼ぶこと、等々。
「何日もかかる根気のいる作業だ。年長者の言うことは良く聞いて、な?」
 子供達が「はぁい」と手を挙げる。

 花車の骨組みが見える縁側で、リオーレ・アズィーズ(ib7038)と白雪 沙羅(ic0498)が七夕飾りの経験を思い出させながら、紙の飾り作りなどを始めていく。
「紙は飾り切りにしましょうね。明希は本当にお手伝いが上手ですねえ」
 白雪に褒められて得意げな明希は「染め物もするの?」とアズィーズに確認した。
「んー、夏の草木染は蓮や向日葵、後は藍の生葉とかですね。でもみんなで染めた布を縫い合わせて一枚布にして、花車に掛けて飾りたいな」
 白雪の白い耳が動く。
「それ素敵! 草木染の布を使って、お裁縫をしましょうか。お手玉を作って、車に吊るすと、ぽんぽん揺れて可愛いかもしれないですよ」

 紙細工を作っている様子を見たニッツァ(ib6625)が何かを思いつく。
「ふむ、紙と生花で飾りか」
『髪飾りとか作ったったら、ひぃさん等喜ぶやろか?』
 ニッツァは「なぁシーバ」と摘んだ花に水やりをするスパシーバを呼んで耳打ちする。
「ちょーっと趣旨ちゃうけど……姉妹等に飾りを作ったらんかー?」
「いいけど、なんで急に」
「祭の時に着けさせたろや。……お、見回りから帰ってきたみたいやな」
 ニッツァの猫又ウェヌスが、尾をゆらゆらさせながら塀から飛び降りた。
「見回り?」
「せや。知らんとこで一ヶ月暮らすさかいな。紹介が遅れたけど、俺の新しい相棒のウェヌや、仲良うしたってな」
 猫又は「にゃあはウェヌスニャ。よろしくしてやるのにゃ」と胸を張る。
 頷くスパシーバが肉球をぷにっと押す。ぷにぷにしている様はどこか満足げだ。
「おーい、花の水はー?」
「あ、はーい」
 スパシーバが走っていく。ニッツァは猫又を見下ろして「ウェヌ。シーバから目ぇ離すなよ?」と釘を差した。

 まだまっさらで飾り気のない荷車に、リボンを結んだり折り紙を貼っていく。
 皆が作った紙細工を持っていくのは桔梗だ。
「もっと上にはるー!」
 ぴょこぴょこ背伸びをする桔梗を抱き上げた紫乃が「今度は届きますか?」と手助けする。小さい子は力任せで貼ってしまうので、紫乃は「お花が潰れないよう、真ん中を押しましょうね」とさりげなく助言した。
 あくまでも子供達のやりたい気持ちや楽しさを失わないように気をつける。
『楽しそうで良かった。時間があったら子供達に似た人形でも作ってみましょう』

 花車の傍にはファルストが立って、調達した花を子供達に配っている。
 祭の当日まで花を生かしておかなければならない。専用の花瓶をつけ、井戸から水を汲んだりして忙しい。
「はーい、次は……春見ちゃんだね。どれがいいー?」
「おっきいやつがいい!」
「じゃあ向日葵にしよっか。これとか、どこに置いたら綺麗かなー?」
 隣ではグライフがのぞみの手をひく。
「花飾り、中にも作ってみようか。どの花にする? 向日葵はすき?」
「しゅきー!」
「そう、私も好きだよ。お揃いね」
 花車の内装を向日葵で飾りながらグライフは「のぞみちゃん」と話しかけた。
「あい?」
「このお祭りが終わったら、一緒に暮らそ。統真さんも一緒。時々結葉ちゃんも遊びに来るの。のぞみちゃんが良ければ、ね」
「あい! ねーちゃといっしょー!」
 無邪気なのぞみを撫でつつ、グライフは向日葵を飾り付ける。
「綺麗なお花でしょう。のぞみちゃんも太陽に向かって元気に伸びる向日葵みたいに、明るく元気に育ってね」
 穏やかな毎日が過ぎていく。


●合流

 白螺鈿の街で花車の製作も終盤にさしかかった頃。
 神楽の都で訓練に明け暮れていた年長達と、その面倒を見ていた開拓者達が、白螺鈿の屋敷へやってきた。
 久々に会う兄姉の姿に子供達が騒ぎ出す。

「泊まり先は此処だったのか」
 酒々井 統真(ia0893)は随分前に百宴をした会場を見て、幾ばくか懐かしさを覚えた。
「勝手知ったる、だな。あの時は確かルイ……じゃないな、うん。すまねぇ」
 上級人妖ルイが「置いてかれたわ」とささやかな抗議を訴える。人妖が何体も家にいると誰を何処に連れてきたのか忘れてしまうのが難点だ。
 後方にはアルドに色々と説明していた无(ib1198)が続く。
「すごい量ですね」
「花の匂い、すごい」
 玄関には子供達が摘んできた花が所狭しと溢れている。
「結葉、こっちきて」
 弖志峰 直羽(ia1884)は結葉の髪に睡蓮を挿した。
「不安も悲しい事も今は忘れて……祭が楽しい想い出になるように、俺達が力になる。人の心は悪い方に向く事だってあるけれど、その逆も勿論ある。少しずつ変えていこう。皆が悲しみを越えていけるように頑張ろう」
「うん」
 結葉を連れた弖志峰が庭へやって来ると、前日に到着していた水鏡 雪彼(ia1207)が待っていた。白螺鈿では孤児院の子供達が花車を作っているはずだから一緒にどうだろう、と誘ったのだ。
「二人ともこっちー。修行、お疲れ様! あ、それ睡蓮ね」
 水鏡は結葉の髪にある生花を見て微笑む。
「睡蓮は吉祥の神様の乗り物なのよ。きっといい事があるよ。心配事や上手くいかない時があるかもしれないけど、ユイちゃんが成長しようとあがき続けたら、きっといい事があるよ」
 結葉が「そうなんだ」と感心しながら花に触れた。
「結葉。刺刀と手伝っておいで。俺は氷菓子を作ってくるから、楽しみにね」
 ぱ、と表情が明るくなった結葉が、からくりの手を引いて、花車を彩る子供達の輪に入っていく。
 背中を見守る弖志峰の隣に水鏡が立った。
「直羽ちゃん、指導お疲れ様なの」
「大したことはしてないんだけどね。雪彼ちゃんこそ、きてくれてありがとう。これ」
 弖志峰が桔梗の花を渡す。水鏡は鮮やかな濃紫の花に顔を寄せた。
「雪彼は何も出来ないけど、雪彼の分までユイちゃんに巫女の道を示してあげてね」
 水鏡は弖志峰の手を握った。
「雪彼は、こうやって直羽ちゃんの隣に立って、ユイちゃんを見守るのすき。夫婦みたいになれて。本当に夫婦になっても、ここのお祭り、一緒にいこうね」
 いつか。
 そう遠くない未来を楽しみに感じる。

「いらっしゃーい」
 花車作成の傍らでは、蓮が玉蜀黍を焼いて春見たちに配り、醤を表面に塗っていた。
 焼き上がった玉蜀黍を、刃兼が旭に「網焼きは美味しそうだが、火傷するなよ」と渡す。
「うん! ふー、ふー、おいひぃ。ねー、明日は旭が玉蜀黍もぐー!」
「もぎ取るって? じゃあ次は塩で茹でるか、砂糖で煮るか」
「お砂糖がいいー! あまいのほしいー!」
 食欲に正直だ。

 花車を見上げた无は開拓者達を振り返る。
「これが完成したら、他の子にも祭について説明したいと思っています。主にナイが」
 何やら得意顔の玉狐天ナイが首に巻きつく
 フェンリエッタ(ib0018)が和紙の走り書きを見せた。
「待って。もし説明するなら、もう2日か3日ほど待って貰えないかしら」
「かまいませんが、何か」
「実は、旅の栞を作ろうと思ってるの。本当は事前に作れればよかったんだけど、相棒の訓練や模擬戦で、全く手が空かなくて今日になってしまったから。これから街で材料を調達して、手書きで人数分は間に合わないから街の木版屋さんで刷って貰って、それから皆で冊子を作って……祭の説明をするなら、そこに自分で書いて貰った方がいいかなって」
 曰く、冊子には日程、街の説明と周辺地図、集団行動の約束事、祭事や名所の一覧表、白紙の自由頁も含めたものにしたいらしい。
 話を聞いていた酒々井とアルーシュ・リトナ(ib0119)が顔を見合わせた。
「悪かねぇ思いつきだと思うが……この辺じゃ、都と違って色々と物価高いぜ?」
「え。そう、なの?」
「私達は仕事で四年近く住んでますから……一応、街の基本相場は理解しているつもりです。少しお値段が貼るのはやむを得ないと思いますが、良心的なお店はご紹介できるかと」
 ふいにリトナは何かを思いついた。
「そういえば私も白螺鈿に用事があるんでした。樹里さんが分室にいるはずなので相談があって……道中にご案内しますね」
 フェンリエッタは一冊の即日印刷代200文、子供21名に開拓者25人、予備4冊の50冊分、合計1万文をツケ払いする事になった。
 次来る時には支払いが欠かせない。
 无は「そういうことでしたら」と頷く。
「丁度良い。私も街に用事があるんでした。途中までご一緒します」
 酒々井が「買い物か?」と首を傾げた。
「いえ。昨年まで赤波組に世話になってましたから。挨拶に行って、気の良い方々なので……子供達に祭の作法や人付き合いなどの助言を華凛達にして貰えないか、と思いまして」
「赤波組……って、いやぁアレだろ。毎年社の角から出発してる、肩と背中に赤波組の文字と流水文様が真っ赤な……揃い浴衣で派手に決めた組じゃなかったか」
「よくご存じで。あそこですね。御神酒が美味いんです」
 酒々井と无の地元談義に花咲く。

 窓辺から庭の話を聞いていたウルシュテッドが「ニノン、俺さ」と目を閉じる。
「成人前から、姪の為に大人をやってた。その姪が、子供達だけでなく俺達大人にも旅の栞を作ってくれるって聞くと……なんだか不思議な気持ちになるよ。白原祭が初めてだっていう事もあるけど、こういう色々は童心に返るね」
 サジュマンは「ふむ」と少し考えてから笑った。
「ここでは存分に童心に返るが良いぞ。何といっても旅は非日常を楽しむものじゃからの」
「ありがとう。……ニノン、今いくつだっけ」
 絵付けの手が止まった。
「おぬし……それはおなごに尋ねる話題ではないのう」
「いや、変な意味ではなくて。子供の頃のニノンが知りたくなって」
「きいてどうするのじゃ」
「ニノンと俺が子供の姿で出会ったらどんなだろうって、ふと思っただけさ。でも、きっと俺は直感で君に運命を感じるだろうね。許嫁や幼馴染、関係が何にせよ、二人の恋が情熱に変わるのもグッと早い気がしないか?」
 迸る妄想。
「テッド殿、時を遡るトキカケじゃんるは真に結構じゃが、早く仕上げんと休憩のおやつは食い尽くされると思え?」
 途中で口説きが入った男のほっぺたに、サジュマンは赤い墨で金平糖を描いた。
「ぬ、意外と良い出来じゃ。蓮に描けばよかったのぅ」
 窓から酒々井が顔を出した。
「……何やってんだ」
「童心に返ってテッド殿に絵付けじゃ」
「仮装の化粧には早い気もするが。フェルルとのぞみは……お、いたいた」
 のぞみを発見した酒々井が「絵付けは全部終わったのか」と尋ねると「まだぁ」と言って居間に並ぶ花蝋燭を見せた。
 子供たち二十一人分と、開拓者達の数を足すと結構な量だ。
『途中で飽きても来るだろうし、どうすっか』
 酒々井は考えた末、数多くのフラワーブローチを持ってきて見本に出した。
「参考に使ってくれ」
「ありがとー」
「んじゃ、俺は洗濯でもやってくる」
 洗濯物で、汗を吸った敷き布団も天日で干す。
 人数分やるとなると結構な物量だ。
 叩く作業は、絵付けが終わったのぞみ達が交代でやった。
「ほら、もっとばっしばっし叩いて。がんばれよー」
 縁側で声援を投げながら、酒々井は暗器が無いか家の中を確認していた。


●白螺鈿の街で

 その頃、リトナは白螺鈿にある封陣院分室から帰るところだった。
 人妖樹里に相談があったのだ。
 今回の襲撃の件を、恵音に知らせるべきか否かを。
『ですから年長組で一人だけ知らないことを気にしないかどうか心配で……』
『知らせない方に一票』
『そうでしょうか』
『知らない事を気にしようがないわ。それに恵音は開拓者じゃないもの。狙われてると知ってもどうしようもない。今回の件は守秘義務が原則。恵音の気持ちじゃなくて、実際に襲撃にあわない限り、知る権利はないの。恵音は一般人なのだから線引きはしないとね』
 リトナは深呼吸して空を見上げた。
「外に出る時に弟妹と手を繋ぐように言うのが精一杯でしょうか」
 開拓者と普通の母の兼任で生じる感覚の難しさを切々と感じた。

 一方、无は「今年も宜しくお願いします」と赤波組を尋ねていた。

 冊子の発注を終えて屋敷に戻ったフェンリエッタは、華凛たちと絵付けの仕上げをしていた。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず……だから蓮を流すのかしら」
 隣には細かい作業に没頭している華凛がいた。薄く微笑む。
『謂われの話は、冊子ができてからの方がよさそう』


 夕飯は料理が得意な面々が交代で行う。
 本日はネネが当番だ。市場で買い込んできた当面の食材は、新鮮なものばかり。料理好きな結葉も手伝うというので、のぞみを連れたグライフ達もひょっこり顔を出す。
 台所は一気に賑やかになった。グライフを見上げたのぞみが問う。
「今日はごちそう?」
「そうですよ、のぞみちゃん。今日は祭の一日目です」
 野菜を洗うことすら楽しそうな様を見て、竈に火種で火をおこした結葉は「沢山作るのね」とネネに話しかける。ネネが大量の料理をこしらえようと決めたのには理由があった。
「はい。今後の為にも必要なことですから」
『折角の旅先ですし、のの以外の好き嫌いも把握しないとですね。食べたくないもの一覧を作って、好みの味を知ってから、少しずつ改善をできればいいですし、食材を選ばなくてすむなら節約にもなりますし』
 苦手な食べ物がある子には『色々食べようかな』と思って貰えるような環境が目標だ。

 食後、イリスはヘロージオに短銃の手入れを教わっていた。きちんとした訓練を受けていないイリスが撃ったりする事は難しい。しかし錆びたりしないよう、手入れは欠かせない。
「できたよ」
「うん。上手くできたな……なあイリス」
 ヘロージオは一瞬言い淀む。
「その……俺は普通の子供時代を過ごした事がないんで分からないんだが、寝る前に……絵本を読みたいと思うか?」
「私、読むほうだったよ?」
 孤児院では最年少組が絵本を読んで貰うことに必死だった。しかし最年長組は気難しい時期でつれない。そういう時に駆り出されるのが字を覚えたイリス達だった。ヘロージオが「そうだったな」と呟く傍ら、読んで貰う時期を過ぎてしまったイリスが布団を見た。
「時々思うの。おかあさまや里長様が……ううん、そんな事は絶対ないんだけど、もしも『お母さん』が生きていたら、私とエミカが普通のお家に住んだままだったら……お母さんは絵本を読んでくれたのかな、って。ただの想像だけど」
 組み上がった短銃を静かに置く。
 ヘロージオはイリスの横顔と青い瞳に悲哀と郷愁の色を見た。子供達は、己が手に掛けた親の姿の夢魔の残像くらいしか覚えていない。失われた少女時代は消して戻らない。
「では、どんなものか試してみるか」
「え、え? ため、す?」
「近いうちにジルベリアの絵本を買おう。俺も知らない話がみつかるかもしれない」
 そんな約束をした。

 多くの子供が寝静まった頃、アズィーズと白雪は明希を呼び出した。
「明希に大事な話なの?」
 白雪がぴっしりと背を伸ばす。
「明希。リオーレさんと私と、本当の『家族』になりませんか?」
「明希、私と沙羅ちゃんは、貴女を本当の娘にしたいと思っているのですよ。貴女が望んでくれるなら、明日にでも正式な手続きをしたいと思っています」
 明希の表情が華やいだが、何か言おうとして押し黙り、物凄く困った顔をしていた。
 アズィーズと白雪が顔を見合わせた。何を困っているのか、想像はつく。
 白雪が「他の子が気になる?」と問いかける。
 明希が押し黙る。前に旭が気にした事を、身を持って感じているのだろう。置き去りにするような感覚を。前は残る側だから快く送り出せた。
 けれど今は……
「あのね。明希が望んでくれるなら、すぐにでも養子にしたいの。でも、他の子供達が気になるなら、ずっと待ちます。私達は、いつでも明希が大好きですから」
 アズィーズは「私も沙羅ちゃんと同じ気持ちなんですよ」と告げた。
「明希が了承してくれるなら、明日にでも。でも、いいお姉ちゃんしているし、他の子供達が気になるなら、気が済むまで待つわ。娘にしたいって気持ちはずっと変わらないから、忘れないでね。おやすみ、明希」
 そして。
 明希は寝なかった。
 蚊取り線香の横で麦茶を飲んでいる華凛を見つけて「横に座っていい?」と近づいた。
「あのね、華凛。お姉さんやお兄さん達が、よその子になったじゃない?」
「この前は旭が出ていった」
「旭のは行ったらって明希が言ったの。えっと、さっきね、お姉さん達に『明希を娘にしたい』って言われちゃったの。いつまでも待つって言われたんだけど……どう、思う?」
「何それ、自慢?」
「ちがうよ、そうじゃなくて」
 慌てる明希に対して、華凛は驚くべき行動に出た。
 なんと飲んでいた麦茶を明希にぶちまけた。
 こん、と氷が跳ねていく。
 茫然とした明希の膝に、華凛が湯飲みを投げた。
「あたし、明希のそういうところ、キライ。なんて言って欲しいの? よかったね? うらやましい? のこってくれてありがとう?」
「かりん?」
「明希、いつもそうだよね。思いやりが大事だって言って、いい子な事してる。結葉姉達が居なくなって、お手伝いして、年下の面倒を見てた……今度は『私がお姉さんしないとだめ』とか思ってる? 明希は誰も信用してない。あたしや弟達に失礼よ。バカにしないで! どこへでも行けば?」
「か、りん。華凛! ごめん! 怒らないで、明希は」
「ついて来ないで!」
 立ち去ろうとする華凛。
 追い縋った明希は振り払われた。見上げた先には憎悪の眼差し。
「この旅行が終わっても私達と一緒にいたら……あたし、弟たちに言いふらすから。明希はいい子に思われたくて、あたしやみんなの面倒をみてる、自分勝手の固まりだって」
 真夜中に大喧嘩して別れた後、華凛も明希も、物陰でひどく泣いた。
 一部始終をみていた開拓者達は顔を見合わせた。
 アズィーズと白雪は明希のところへ。
 フェンリエッタは「どうしたの? 怖い夢みた?」と極自然を装って華凛に話しかけた。
「……あたし」
「ん、何?」
「……自分、嫌い。明希みたいに上手くできない。もーやだ……」
 譫言のように喋って膝を抱えた。

 畳に転がっている春見を見つけたファルストが問いかけた。
「……春見ちゃん、春見ちゃん」
「うー?」
 こしこし、と目を擦る。
「あたし、春見ちゃんのお母さんになりたいって言ったら、嬉しいかな?」
「春見のかかはいるよ」
『……うーん、会話が堂々巡りだなぁ……上手い言葉が見つからない。うう』
 ファルストはどうすれば意図が伝わるのか悩み出す。
 一方、深夜に訪ねてきた人妖イサナと蓮が向き合っていた。
「書類は確かに預かった。だが」
「何か不備?」
「この書類は『春見を養子に迎える為のものではない』事を忘れるな。あの子は、自分の実の親を覚えている。成り代わることはできない。誰にも。あくまで後見人として養育の支援をする立場だ。養子縁組は判断力がついてからになる」
「……うん」
「では今夜は休むと良い。委任施行はもう一人の書類が揃ってからだそうだ」
「柚子平さん、忙しいの」
「ああ、いつものことだ」
 イサナは肩を竦める。

 別室では髪飾りを掲げたニッツァが笑っていた。
「……そら、もう一個できたでー」
「僕も、でき、た」
 目を擦るスパシーバーが「ふぁぁ」と大きな欠伸をした。
 ニッツァが借りた時計を見る。
「お、けっこう遅い時間になってしもたな。続きはまた明日にしよか」
 スパシーバ達は、夜にこっそり姉妹用の髪飾りを作っていた。
 道具を片づけたニッツァが「明日は図鑑持って仕上げの花の調達しに行こか」と話しかける。
「うん。まだ沢山必要だから、時間があれば見たい」
「そないなこと心配せんでええて。今は忙しくても、今回は長い事一緒やさかいぎょーさん遊べるでぇ! あ、そうや。例の一緒に旅する話なんやけどな」
 正面から幼い顔を見つめる。
「誰でもえぇんやのーて、シーバがえぇんやて、知っとって欲しい。ほな、おやすみや」

 それぞれの夜が過ぎていく。