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■オープニング本文 魔の森では熟練の開拓者ですら、己の力量を見誤ったり、気のゆるみや過信ゆえに命を落とす……そういう恐ろしい場所である事に変わりはない。長期滞在は命を削り、瘴気が体を蝕んでいく。この深刻な汚染は、精霊系の相棒のみならず、半ば瘴気で構成された人妖や機械、からくりにも影響を及ぼす。 身に降りかかった瘴気を清めるにはギルドの助けが必要不可欠だった。 汚染された空気から、故郷とも言うべき神楽の都の空気を吸った時の開放感。 厳しい戦いだった。誰もが口を揃える。 灼熱の気温に悩まされる夏本番。 開拓者業に休みを下さい。 「お疲れ様ー」 「お疲れ様ー」 虚しい願望を抱きつつ、ギルドを出た。 そういえば長期不在で食料庫は空っぽ。馴染みの店で朝食をとり、人で賑わう市場へ買い出しに出かけ、武器の修理に鍛冶屋へより、万商店で新しい武器や防具を眺めて、帰る頃には、空の色が茜色に染まっていた。 太陽が沈む……この世はなんと美しいのだろう。 瞬く空を背にして上空を飛ぶ飛空船の影を、永遠の絵画に止めておきたい。 やがて釣瓶落としのように太陽が沈み、星が輝く満天の星空に出会える時間がくるだろう。 とはいえ連日の暑さは勘弁願いたい。 「ちょっとまったー」 聞きなれた受付の声がした。 ささやかな夢が、砕け散る音がきこえる。 「……きこえない、なにもきこえない」 「現実逃避しない。瘴気汚染を浄化した相棒のお迎え忘れてるわよ」 「あ、どうも」 「ついでにこの仕事やってくれない?」 「やっぱりかー! かえるー! 俺は帰るんだー! わあああ!」 「どれでもいいの。簡単だから、ね」 やはり空耳にすべきだったかもしれない。 野暮用を押し付けられた後、相棒を迎えに行った。 馴染んだ石畳の小道を抜けて、神楽の都の自宅へ帰っていく。 まずは夕食の準備をして、食欲がなくても何か口に押し込まねば。 銭湯へ出かけるのもいいかもしれない。水風呂が恋しい。 やがて辿り着いた我が家。 鍵を手に持ち、玄関に手をかけて。 「ただいまー」 ピシャリッ。 家の戸がしまった。 |
■参加者一覧 / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 露草(ia1350) / 御樹青嵐(ia1669) / 八嶋 双伍(ia2195) / ゼタル・マグスレード(ia9253) / ニノン(ia9578) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / グリムバルド(ib0608) / 无(ib1198) / 蓮 神音(ib2662) / ウルシュテッド(ib5445) / 刃兼(ib7876) / 鍔樹(ib9058) / 戸隠 菫(ib9794) |
■リプレイ本文 ●ひみつのお城 蒸し暑い朝に目覚めた柚乃(ia0638)の枕元には、昨日預かった荷物がある。 これを届けないと休暇にならない。 「暑い」 夏真っ盛りで厳しい天気の中、人通りの少ない道を歩いていく。焼ける。あつい。氷の浮いたお茶が飲みたい……、と額から零れる汗を拭いながら路地裏を迷うこと一時間。依頼書に指定された家へついた。小さな古い平屋で、繁華街からも離れている気がする。 「ごめんください」 柵に手をかけた柚乃は信じられないものを見た。 相棒の上級提灯南瓜クトゥルーがふよふよ浮いている。手に何か持っている。 「昨日からいないと思ったら! なんでこんなところに!」 クトゥルーがふよふよ飛んできて表札を示した。 『くとぅるーのいえ』 目が点になった柚乃をひっぱって縁側に連れて行く。そこには同人即売会で購入したと思しき物体が山と積まれていた。骨董品も混ざっている。多少は整理整頓しているようだ。 「ていうか、これ何!? まさか……くぅちゃんの、おうちなの?」 奥から冷茶にお茶菓子を持ってくる提灯南瓜が頷く。 配達小包の中には焼き菓子と招待状。 「私に?」 どうやら主人を招きたかった様だ。 長いこと溜めたお金で念願の自分の城を手に入れたらしい。 昨今のカタケット需要で店を開いている相棒達にも家を貸す商売があるという。その関係だろう。いつも何処に買い物の品々や荷物を置いているのか不思議だった柚乃は「成程、以前から買い集めていた品々は……ここに」と納得した。 『ですけど、いつの間に借りたのでしょう』 あっちこっちに見覚えのある似顔絵が貼られている。 庭でくるくるおどりだす提灯南瓜は、ご機嫌の極みであった。 ●司書の一日 蒸し暑い中でも全く疲れを見せず、近所の住民に愛想を振りまく玉狐天ナイ。その姿を疲れた眼差しで見つめる无(ib1198)は「帰るぞ」と声を投げた。 「おお、そうか。ところで見よ。この手土産。飴屋の限定水ようかん」 「お前なぁ……少し分けろ」 「やらんぞ?」 「ほう。昼飯は不要と」 「ぬ、なんという経済制裁!」 往来にて、水ようかん一つで口げんかを繰り広げる一人と一匹。 野暮用を済ませて長屋に帰ってきた无は「只今」と言って玄関を潜った。 しかし返ってくるのは沈黙ばかり。はて、と首を傾げて下駄を眺めて我に返った。 「そうか。今日はアルドがいないんだったな」 无は軽い食事を済ませると、玉狐天ナイを連れて神楽の都の図書館へ向かった。 最近、開拓者ギルドで仕事を請け負う以外の時間は、図書館に足繁く通っている。というのも青龍寮の勉学に付随して、遺跡や地域伝承の関係を集め、勿論瘴気と精霊力の研究から真理を探求しようとしていたからだ。 調査と研究の時間は、いくらあっても足りない。 更に、无は駆け出し開拓者となったアルドに渡すための本も探していた。 「アルド達が興味を持ちそうな本は……と。お、これは基礎に丁度良い」 机の上には、本が山のように積み上がっていく。 ●鰻会談 フェンリエッタ(ib0018)はギルド仕事を終えた人妖樹里を食事に誘った。 御馳走したのは鰻料理。樹里は「きゃー、鰻ー!」と見事に食事に釣られていた。 「つきあって貰って、ごめんね。樹里ちゃん」 「ううん、こんなに美味しいのが食べられるならいつでも行くわー。柚子は美食に興味ないから困っちゃうー」 鰻重を食べながら食に無頓着な主人の事を訴える。 「それで、話ってなあに?」 「あ、うん。実はね、星頼の事で叔父様が悩んでるのだけど……いつも星頼と一緒だから、代わりに」 養父になったウルシュテッドには子供の養育と開拓者業などが一気にふってきた。自由時間を獲得することは難しい。そこでフェンリエッタに代理を頼んだらしい。 「子供達は試練で両親を倒したと思ってるでしょ?」 「うん、そうね」 生成姫の子は、幼い頃に浚われ、手順に従って育てられる。完璧な暗殺者や密偵に仕上げるには充分な時間をかけねばならない。長い成長の過程で、子供達は自分を浚ってきた夢魔を倒すことを強いられる。夢魔は親に化けている為、親を手に掛ける段階があるのだ。 フェンリエッタはつらつらと語る。 「正体を教えるだけならきっと簡単で、星頼は叔父様の言葉を信じてくれる筈。でも果たしてそれで充分なのかなって……思ってるみたい。だって『偽者で良かった』で済ませられない子もいると思うの。結果として夢魔だっただけで、親と思う相手を手にかけた事実は変わらないから……偽物の証明もできないし、かと言って、誘拐の手口を最初からを伝えて、通り過ぎた筈の親の死を今突きつけるのも酷にも思えるし」 フェンリエッタは思い詰めた表情を向ける。 「叔父様も私も。自責の念を抱えたままにはさせたくないと思ってる。けど今は何を言っても中途半端になりそうで……」 樹里はフェンリエッタの話を書きとめ、柚子平に伝えておくと話した。 ●お蕎麦の縁 蒸し暑い風が頬を撫でる。 「あさひ」 穏やかな呼び声に、畳の上で転がっていた少女が身を起こす。琥珀色の瞳は完全に寝ぼけていたが、刃兼(ib7876)の姿を見るなり「ふぇ、おかえりなさい」と走ってくる。 「昼寝の邪魔をしたかな。仕事も終わったから、偶には外食でもと思ったんだが」 「行く! 旭も行くよ!」 食事が絡むとパッチリ目が覚めるのだから現金なものだ。旭は砂漠の薔薇の髪飾りをつけ、冷水の入った瓢箪黒桜を持つと、窓の戸締まりをしてから土間へ戻ってくる。不思議なことに、刃兼は戸締まりを教えた覚えがない。 『孤児院で習ったとか? いやでも』 妙な違和感を感じる。 考え込んでいると旭が「いかないの?」と言いながら袖を引いた。考え事を中断して戸を開けると小麦色の顎が飛び込んできた。旭がつんのめって相手の足に衝突する。 「……おう? びっくりしたなァ、大丈夫かオィ」 「こっちのセリフだ」 戸の向こうに立っていた人物は二歩下がって、ピッと片手を縦に振った。 「よーす、刃兼! ちっとばっか久しぶりだなァ。折角だし、いつもの蕎麦屋にメシ食いに行こうぜ。で、もしかしてそのお嬢が養子に迎えた子か?」 「そうだな。同じ長屋に住んでいても、なかなか顔を合わせられない時もあるからな。一緒に食べに行くか……旭は鍔樹と初対面だった、か?」 鍔樹(ib9058)が腰を屈める。 旭は「ぶつかってごめんなさい」と頭を下げた。 「躾がなってんなァ」 「旭、お兄さん知ってる。毎日、お家の前歩いてるひと。前、井戸の隣で寝てた」 「……いや、まぁ、時々飲み潰れるけどよ」 頬を掻く鍔樹に対して、刃兼は吹き出した。 刃兼が仕事でいない間、旭は家の中で暇を潰している。近くへ遊びに行くにしても、仙猫キクイチ達の監視は必要不可欠。暇つぶしの産物に違いないが、家の周囲をよく見ている。 立ち話をしていても日差しがきつくなるだけなので、軽く自己紹介をした後は蕎麦屋に急いだ。蕎麦屋は近所に住む修羅達で溢れていた。近い、安い、美味い、早いの四拍子揃った店は少ない。 刃兼は旭と一緒にお品書きを覗き込む。 「注文はおろしそばの冷たいのがいいかな。最近、日が沈んでも蒸すし、さっぱりしたい所だ。旭は何を頼みたい?」 「旭、おさかながいい! お魚のおそば食べたい」 迷い無くニシン蕎麦を選ぶ旭は、食の趣味が変わっているのかも知れない。 鍔樹は「俺ァ頼むものはどうしようかねえ……」と言いつつ、指先でお品書きを弾く。 「よし、丼ものとざるそばにするわ。おばちゃーん、此と此、どっちも大盛りで頼まァな」 三人分の注文を済ませると、刃兼が「ちなみに旭」と言いつつ、鍔樹を指さす。 「この兄さん故郷で漁師やってたから、魚にすごく詳しいぞ」 「ほんとー!? りょーしさん!」 旭が騒ぐ度に、がしゃん、がしゃん、がしゃん、と膝のぶつかった机が揺れる。 「おうよ。陽州の海の男、ってなァ俺の事だ! お嬢……旭っつったか? 長屋の生活に慣れたか?」 「うん」 「そうかァ。あの路地は、長屋全体が家族みてーなもんだからな。何か困ったことがありゃあ、気軽に言ってくれや。野郎に言いづらかったら姉ちゃん達でも構わねェしさ」 わっしゃわっしゃと撫でていると「おまちー」と蕎麦や丼が運ばれてくる。幸せそうな顔で蕎麦を頬張る旭を眺めつつ、丼を持った鍔樹がぴんと閃いた。 「つーか刃兼。この子、寺子屋とかに通わせンのか?」 「……寺子屋、か。確かに俺達がこれくらいの頃は通ってたよな。ゆくゆくは通わせたいと思うんだけども」 二人でじっと旭を見た。 旭はきょとん、と男二人を交互に見ていた。 ●慣れない暑さ 雲一つない晴天の中で、太陽の光は容赦なく降り注ぐ。 世界のあらゆるものが集まる神楽の都の市場は灼熱の中でも活気に満ちていた。その場で削り出されるかき氷に冷えた陰殻西瓜、氷を浮かべた甘酒が飛ぶように売れていく。 「……暑い」 グリムバルド(ib0608)と猫又クレーヴェルは活気に満ちた大通りをよたよたと歩いていた。何をしているかと言えば、当然仕事である。 「ジルべリア育ちに神楽の夏はキツ過ぎる……お?」 目的地発見。輝く笑顔で届け先に荷を届け、極楽の日陰に腰を下ろし、差し出された麦茶をありがたく頂戴する。ようやく重労働から解放された。 「おわったー!」 解放感に身を委ね、背伸びをした。途端ギラつく太陽が肌を焼いた。悲しいことに昼時ともなると太陽は頭上で輝き、歩いていても隠れる場所はどこにもない。 「なんでこんな暑いんだろうなぁ、そう思わないか」 隣を歩く猫又クレーヴェルが「暑いけど暑くないわ」と強がった。グリムバルドの体が作る日陰を利用して歩いているとはいえ、猫は毛皮を着ているし、剥き出しの肉球は熱せられた石畳の上を歩く上、地に反射する熱は地表に近いほど暑い。 つまるところグリムバルドの体感より数度上の温度の中を猫又は歩いている事になるが、ささやかな意地をまるで察しない男は「あーはいはい」と声を返す。 「相変わらず意地っ張りだな。じゃあ元気なクレーヴェルさんに鰻はいらな……」 シャーッ! 反射的に異議を唱えた猫又は、暑さへのいらだちをグリムバルドに向けた。すねこすりで転倒をもくろむ。 「うわっ!? ちょっ……すねこすりはやめろぉ!」 「なにさ! 笑えない冗談をかます方が悪いんでしょ!」 「そこまで怒っ、わ、わかった! おごる! 一緒に食べよう! ほら鰻屋!」 鋭い爪の猫パンチに降参したグリムバルドは、猫又クレーヴェルを抱えて鰻の店に入った。特上鰻重二つを頼んだ結果、野暮用の依頼料がすっぱり飛んだ。 このことに気づくのは数時間後の話である。 ●ある研究者の休日 蝉が鳴いている。力の限りに。 日が昇り始めた頃、八嶋 双伍(ia2195)は届け物を終えて市場を歩いていた。 午後は知り合いの様子を見に行く事になっていたので、何か手土産を探していたのだ。 少し前まで世界は真っ暗な気分だったが、今は晴れやかな心で周囲を見れる。 試験からの開放感とは、かくも素晴らしいものなのか。 「おや、初物ですかね」 目に止まった物体をこつこつ突いた八嶋は迷わず手土産を決めた。 向かう先は、陰陽寮玄武の副寮長、狩野 柚子平(iz0216)宅。 しかし面会相手は家主ではない。 「おひさしぶりです!」 門の向こうから現れたのは思い出の中より背が伸びた少年だ。 「どうも、ソラ君。遊びに来ました。元気にしていましたか」 封陣院の備品であり『火焔の人妖』という異名を持つ等身大人妖イサナの弟子。 村を追われた彼には身寄りがなかった。イサナは人妖である為、公の定義では物に過ぎず、孤児のソラを扶養することができない。そこで狩野は二人を引き取り、イサナを隷属にした。彼女の労働報酬はソラの養育費に充てられ、志体を持つソラは将来陰陽師になることが決まっている。一流の陰陽師になった時、狩野から人妖イサナを受け継ぐのだ。 歪な関係にある二人を、八嶋は度々気にかけてきた。 「イサナさんはお仕事ですか」 台所に立った八嶋は、手土産の陰殻西瓜をザクザクと切っていく。 「はい。せんせいは最近とても忙しくて。でも、夜はかえってきてます」 ソラが平皿を差し出す。刻んだ西瓜を縁側に運び、団扇で仰ぎながらかじり付いた。キンキンに冷えた西瓜は甘くて瑞々しい。釣り下げられた風鈴が、夏の涼を意識させた。 リリィィィ――――……ン。 美しい音だ。 「では勉強は一人で?」 「あ、はい。昼間の勉強はずっと一人なので、じきに入寮試験があるので心配で」 八嶋は「どこの寮を目指すんですか?」と尋ねた。 「玄武寮です。手加減や特別扱いはしない、と柚子平さんに言われました。でも入寮できればせんせいと会える時間も増えるので、必ず入寮しないと、がんばらないと」 視界の隅で、ソラが服の裾を握りしめるのが見えた。 『手加減も優遇も無し、らしいと言えばらしいですね……ふむ』 暫し考えた末に八嶋が麦茶のグラスを置く。 「僕が勉強をみましょうか」 「いいんですか?」 「ええ。ソラ君が玄武寮の一年生になれば、つまり先輩と後輩ですから。手伝います。入寮試験に備えた勉強なら、少しくらい手伝えると思いますよ」 「でも三年生は卒業の研究と論文が忙しいって」 「それでしたら心配無用です。正直なところ一時はもう駄目だと思いましたが……無事に卒業出来そうで良かったです。僕は何とかなったので、次はソラ君の番ですね」 「玄武寮卒業なんですか? おめでとうございます」 「ありがとうございます」 「あ、でも……もし僕が合格できても入れ違いなんですね」 しゅーん、とソラが肩を落とす。八嶋は苦笑を零した。 「卒業生は玄武寮書庫への出入りが自由だそうなので、きっと会えますよ」 かくして八嶋は一晩、勉強に付き合うことにした。 「寮生の極意って何かありますか!?」 「極意……極意という程の事ではありませんが、体力作りはしておいて損はありませんね。……大事ですよ、体力。本当に、大事ですよ」 数日後、八嶋の処へ合格通知を持ってソラが走ってくることになる。 ●夏日の買い物 住み慣れた長屋を出たアルーシュ・リトナ(ib0119)と羽妖精思音、養女恵音の三人はお買い物の為に市場へ出かけた。恵音がリトナを見上げる。 「何のお買い物をするの? おかあさん」 「浴衣です。好きな色柄を選んで? 予算は3万文ですけど遠慮は無しですよ?」 「さ、さんまん」 金銭の価値を多少覚えていた恵音は目がくらくらした。とてつもない大金に聞こえたからだ。賑やかな市場を歩きながら、冷えた甘酒を飲んだりしつつ、生活に必要な小物をそろえていく。浴衣を扱う呉服の店内は、見目鮮やかな衣類で溢れていた。 「おかあさん、これ」 「まあ素敵」 恵音が選んだ柄は金箔銀箔がちりばめられた夏の星空。 六千文の真新しい浴衣に袖を通し、綺麗に髪を梳いてもらう。新しい服を着て、髪型を変えるだけで、気分も随分と変わっていくものだ。 「さ、夕飯を買って帰りましょうか」 「うん! おかあさん、あの綺麗な箱なあに」 夏の花が描かれた漆塗りの小箱だ。化粧箱に見えるが、蓋を開けると針や待ち針、鮮やかな刺繍糸などが詰まっている。500文の値札があった。 「お裁縫箱ですね。端切れのセットと一緒に買ってみましょうか。……そうだ、恵音。もしお裁縫に興味があれば思音にお洋服作りませんか? 例えば簡単なベストから」 「お、お洋服縫えたら凄いなって思うけど……縫ったことないよ。きっと……めちゃめちゃにしちゃうわ」 消極的な態度に苦笑一つ。 「上手い下手だけが全てじゃなくて。丁寧に、気持ちをこめれば喜んで貰えますよ。相手が大好きならそれは尚更のこと」 「……そう、なの?」 すると羽妖精思音が恵音の前に舞い降りた。 「この端切れでベストを作るって事は、僕のお洋服? 嬉しいな。ねぇ恵音、この間拾った小さな貝、つけて欲しいな、ダメ?」 暫く悩んだ恵音は「じゃあ、がんばってみるわ」と答えた。 綺麗なお裁縫箱と一緒に色鮮やかな端切れの束を買って恵音に渡す。リトナが歩きながら様子を眺めていると、羽妖精にどの色が好きかを聞き始めた。目標ができると、それにむかってひたむきに努力を重ねるのが恵音たちの優れた点であり、刷り込まれた欠点でもある。 『日々の生活の中で少しずつ……「しなくてはいけない」ではなくて。少しでも貴女の望むように笑顔で居られる様に』 変わっていってほしい。 「恵音。今度、農場のお手伝いをお願いしますね」 「おかあさんが働いているところよね。お仕事の邪魔じゃないならお手伝いするわ」 茜色の夕日に向かって歩いていく。 ●青汁騒動 連なる長屋は何処も同じに見えてくる。 頬を伝う汗を拭った露草(ia1350)は、天妖の衣通姫とともに届け先を尋ねた。 扉の向こうから現れたのは、ゼタル・マグスレード(ia9253)……同じ陰陽寮の学友だ。 「いらっしゃい、どうぞ座って」 「お邪魔します。これ、ギルドから頼まれた小包です」 「ありがとう。助かる。実は希儀から取り寄せた薬草が入ってるんだ」 小包を開封するマグスレードは、まるで童心にかえったかのようにウキウキしていると見える。露草は『薬草学でも始めたんでしょうか』と内心思いつつも「珍しい草ばかりですね」と手元を覗き込んだ。 するとクラリと目眩がした。 「大丈夫か」 「だ、大丈夫です」 「こんな暑い日にすまない。何か出そう」 「いえ、確かに今日は暑いですけど……最近夏バテ気味だっただけですから」 連日連夜、部屋で布を裁断して衣装を縫っていたとか、行灯の明かりを頼りに極小硝子玉を縫いつけていたなどとは言えない。販売日が迫っているので多少の無理は承知の上だ。 単に追い込み且つ寝不足だった露草に対して。 純粋に露草の身を案じる学友は、希儀から取り寄せた薬草を握りしめ、台所に消えた。激しくもリズミカルな包丁捌きが聞こえてくる。すり鉢で薬草をすりつぶし、熱湯で煮ると、布巾で漉して冷水で冷やす。そして朝から作り続けていた青汁とミックスした。 「またせたが、夏ばてにはこれが効く!」 ホントか、と思わず聞き返したくなる緑色の物体が湯飲みに納まっていた。 輝く善意を辞退する事は難しい。謎の香りに怯えつつも、意を決して湯飲みを呷る。 からー……ん。 露草の顔色が緑色になり、瞳に涙を溜めてのたうち始めた。 一方、自信作を披露したマグスレードは顔を紅潮させながら青汁解説を開始する。 「ふふふ、それは甘酸っぱさとほろ苦さを内包した青汁へ、更に夏らしく砂糖と重曹を混ぜて炭酸水割にしてみたのだよ! 新たなる薬草が高い香りを放ち……」 云々。 どや顔で解説を続けるマグスレードに対して、倒れた露草を見た天妖衣通姫は「げどく! 解毒なのー!?」と泣き喚きながら大騒ぎする。やがてマグスレードが気づいた。 「……ぬ? 口に合わなかったか? 夏ばてには良い思いつきだと思ったのだが……すまない、口直しに何か奢ろう。女性にはやはり甘味かな。薬草の寒天とか氷菓子……」 不穏な単語が聞こえてきた。 刹那、根性を振り絞った露草が立ち上がる。 「で、では私が甘味を調達しましょう! 奢ってくださるなら! 是非に好きなもので!」 『ゼタルさんの青汁は刺客です』 露草はマグスレードをつれて市場へ出た。 「おや、おそろいで」 大量の巻物を抱えた学友の御樹青嵐(ia1669)と遭遇した。隣に浮かぶ人妖緋嵐が夕食の総菜と思しき包みや調味料を抱えている。 「何処かに行っていたのか?」 マグスレードの目が口ほどに物をいう。 御樹は「柚子平さんのお使いですよ」と告げた。 「早速、使われているという訳か。大変だな、主席殿」 「まだ『封陣院の勧誘を受ける』とは一言も言ってないんですけどね。卒業式までは一介の寮生ですから、副寮長の顎先で使われているという訳です。イサナさんや樹里さんの大変さを理解した一日でしたよ。溜まった鬱憤を、ついつい買い物で晴らす程度には……」 悟りの眼差しが太陽を見上げる。 マグスレードと露草は、学友の背中に哀愁を感じた。御樹が振り返る。 「折角ですし、うちで夕飯でも如何でしょう。食材を買いすぎてしまったので、是非」 露草とマグスレードは御樹の言葉に甘えることにした。露草はマグスレードに奢って貰った水菓子を、マグスレードは吟醸酒を持って、学友の自宅へ同行する。雑然と術関係の資料その他が積み上げられた部屋に対して、台所は丁寧に片づけられていた。 「すぐ料理します」 宣言通り、まもなく円卓には沢山の料理が並んだ。 「青嵐さん、改めて主席おめでとうございます。ゼタルさんも卒論と試験お疲れ様でした」 「ありがとうございます。なにやら気恥ずかしいですね」 「何を言う。青嵐君の努力の成果だ。それでは打ち上げかねて乾杯といこう」 共に青龍寮に入学した三人は、玄武寮に転寮して、人よりも一年多く、学舎に足を運んできた。二つの寮へ在籍し、ついに掴み取った卒業という高嶺。長い学業生活の終わりを祝して、三人は乾杯した。 ●乙女の家を訪ねて 「動きやすいかい?」 「うん」 ウルシュテッド(ib5445)は養子の星頼を連れて夏衣や塩等の買い物の為に市場へ出ていた。着やすい甚平は勿論、黒藍の地に銀糸で流れる星を刺繍した夏の夜空を思わせる浴衣などは星頼のおねだりに負けたりもしていたが、沢山の買い物を持ったウルシュテッドは何故か家へ帰らなかった。 「どこにいくの?」 提灯南瓜ピィアを頭にのせた星頼が、高い背を見上げる。 「俺の大切な人のお家だよ。今日はお手伝いなんだ」 一方、ウルシュテッドの大切な人改めニノン・サジュマン(ia9578)は、男性同士の恋愛や爺同士の愛を描いた官能的な絵巻を楽しんでいた。夏だからこそ妄想は迸る。愛の情熱に比べれば、連日の熱帯夜など妄想の香辛料程度にしかならぬもの。 「む、……きたか」 女の第六感で親子の接近を感じたサジュマンは、絵巻を速やかに抱いて、二階へ急いだ。子供の目に触れる前に、全てを開かずの間に片づけなければならないからだ。 「星頼、軒下をごらん。燕の巣だ。毎年来るらしい」 「テッド殿、良い所に来てくれた。おなごの独居ゆえ手が回らんでのう。いま行く」 姿が見えない。数歩下がって見上げると、窓から顔を出したサジュマンが微笑んで手を振っていた。やがて降りてきたサジュマンは挨拶を終えると、木香薔薇のある庭の草刈りをウルシュテッドに頼んだ。快諾したウルシュテッドは買ってきた塩を星頼に預ける。 「お前も確り手伝っておいで」 「……何のお手伝い?」 「塩か、気が利くの。さて星頼、父の働く間、そなたにも頼みたいことがある」 台所に立ったサジュマンは塩と氷で冷やした銅製の鍋にある材料を入れた。 「交代でかき混ぜるのじゃ。重労働じゃぞ」 氷菓子作りだ。開け放たれた窓から、茂る雑草と奮闘するウルシュテッドが見える。 やがて空が茜色に染まった頃、サジュマンは「風呂が沸いておるぞ」と声を投げた。 鉄製風鈴を卓に設置していたウルシュテッドが「助かる」と後をついていく。 小さな内風呂で汗を流し、用意して貰った浴衣に袖を通す。 「おぉぉ、至れり尽くせり……流石、俺の嫁」 拝みだした男とそれを真似する少年の前に、小さな器が並ぶ。 「それと、これはわしと星頼の合作じゃ。風呂あがりには氷菓子じゃろう。ご苦労じゃったの」 「風呂上りにこれは……うまい! 星頼もよく頑張ったね」 小さな頭を撫でて褒める。 ご褒美と食事の後は大人の雑談だ。星頼と提灯南瓜は管狐の花林糖と遊び始める。 「ふむ……星頼は花林糖と遊んでおるし、一眠りしていくと良い」 サジュマンは「客室の支度をしてくる」と言って席を立った。その僅か十数分後、ウルシュテッドは眠そうな顔で頭が船を漕いでいた。 「そなた、眠いと二重瞼になるのじゃな」 整った顔立ちを眺めて微笑む。サジュマンの笑顔につられて、口元が弧を描いた。 さらりと髪が薫風になびく。 「……の匂いがする」 「ん? なんじゃ? よくきこえぬぞ、テッド殿」 眠るならば客室で、と揺り起こそうとする華奢な手を握った。 「お風呂場にあった石鹸と同じ匂いがする。……星頼も俺も、君と同じ匂いがする。家族みたいだ……」 瞼を閉じた。 吐息が近い。 目の前には心に決めた愛する人。 部屋中に響く声は、守ると決めた子供の声。 この穏やかな時間に、いつまでも浸っていたい……そんな想いが浮かんで消えた。 ●近づく白原祭 五行国の首都「結陣」から東の山脈を越えると、白螺鈿の豊かな町並みが見えてくる。 華やかな提灯が連なり、花蝋燭や蓮の花の店が多い。 「うん、お祭りの準備で活気がある雰囲気って……好きなんだよね」 戸隠 菫(ib9794)達は賑わう大通りを歩いていた。 傍らには人妖の劔楡が浮いている。 「楡。お祭り本番はまだだけど、あちらこちらにお祭りの気配があって楽しいね」 「うふ、楽しいし、嬉しなあ」 普段は他の相棒たちに遠慮している人妖が、上機嫌で何かを探している。 『楡ちゃんは、一番最後にあたしの元に来たもんね……連れ出してよかった』 「そうだ。食べ歩きとかできる屋台あるのかな? 探してみる?」 「そやね、色んな通りを歩いてみたいもん」 ふ、と何かが前を横切った。その影をいち早く認識したのは人妖劔楡だ。 「樹里さん!」 「あ、樹里ちゃん。久しぶり。観光にきたの?」 狩野柚子平の所の人妖だった。戸隠に問われた人妖は重そうな荷物を抱えて首を振る。 「ううん。ユズに届け物」 「柚子平さんもこっちにいるの?」 「白螺鈿には封陣院の分室があるのよ。ユズは立場上、都や陰陽寮に出入りしてるけど、本職は東地域の分室を束ねてる長だから。白螺鈿には良く来るの。二人は観光?」 「そう。楡と一緒にね。祭の開始はまだみたいだけど、ここは豊かだね。観光ついでに色々見よって思ってたところなんだ。樹里ちゃん、いい場所知らない?」 暫く立ち話をした後、人妖樹里はおすすめの甘味所や丼屋、名所を教えて「楽しんで」と去っていった。何故か、興奮気味の人妖劔楡が見えなくなるまで手を振っていた。 「なんか忙しそうだったね」 「そうやね。でも会えて嬉し……あれ、菫さん。あの子、なんや困っているみたい。助けたって」 楡が迷子を発見した。 大泣きする知らない子を宥めた戸隠達は、颯爽と家探しを開始する。 「君、迷子なんね、一緒に家探そう。大丈夫、きっとすぐに見つかるんよ」 「そうだね。まずは向こうで聞いてみよう」 どうやら人助けの一日になりそうである。 ●十年の約束 蓮 神音(ib2662)の傍らには上級人妖カナンが心配そうに寄り添っていた。豪華な椅子に大木から削りだした机、そして数々の調度品。 蓮が訪れた場所は、五行国東方「白螺鈿」に鎮座する榛葉大屋敷に他ならない。豪商宅へ訪れたのは仕事ではなく、個人的な用件についてだ。 「連れてきたわ」 「ちょっとまって。恵さんと誉さん。紫陽花さんと神音、出来れば二人だけでお話したいんだけど」 蓮の頼みを聞いた夫妻は「お店にいるわね」と言い残して、上級人妖カナンを連れて客間から立ち去った。そして再び沈黙が満ちていく。 紫陽花は不可解な顔で蓮を見返した。 「なんなの」 「紫陽花さんの妹を殺したのは、神音だよ」 紫陽花は、唯一生き残った『生成姫の子』の実働組だ。 戦で猛威をふるった生き残りである。 彼女は最後、生成姫に荷担しなかった。ギルドに味方した。だから処刑を逃れて平民の養女となれたが、そんな彼女にも妹がいた。 蓮達が殺してしまったけれど。 「黙っていて、ごめんなさい」 「……いつ?」 「ナマナリや妖刀飢羅が生きていた頃。霧雨さんが紹介する予定だったんでしょう」 蓮はゆっくり話した。 殺害に至るまでの経緯。蓮たちが状況。殺した二人の容姿と能力。 何一つ、偽りなく、ありのままに。 「これが全部。言い訳はしないよ」 蓮は紫陽花を見ていた。 紫陽花は動揺をみせない。 「今になって話したのは何故」 殺される覚悟で話したのは、蓮なりのケジメだった。 「神音は……春見ちゃんのかーさまになると決めた。でも紫陽花さんへの告白を果たさないと前に進めない。そんな気がしたから。告白が出来なくて、いつかあの子に真実を話すなんて事が出来るはずがない。自分の為に過去にした事に言い訳なんておこがましいよね」 長い沈黙が降りた。 「……お役目の前に死んだのは、それは残念なことだけど。戦って死んだのなら、あの子も納得していると思う」 「紫陽花さん?」 淡々と話す紫陽花は「だけど」と顔をあげた。 「私がどう思うかは別。率直に言えば、今すぐあなたを殺してやりたいわ。私から妹を奪った。唯一、守り続けたものを奪ったのよ。でも、殺さずに話している。何故だと思う」 蓮が首を傾げた。 「今の私にも守るものがあるからよ。ある開拓者が私に言ったわ。私は里に生き残っていた子供達の保険だって。私が静かに暮らす限り、善行を続ける限り『成長した生成姫の子が更正したならば未洗脳の子供も更正できるはずだ』という可能性が用意される。私を庇った義理の母の正当性が示せる。今の私の命は、私だけのものじゃない」 俯いた紫陽花は拳を握りしめた。 「私は貴方を殺さない。けれど許せない。だから十年、待つわ。生き残った妹達が成人して、国の監視下を外れた時……その時、私の中に殺意が残っていたら貴女を殺しに行く」 殺意を感じさせない紫陽花の穏やかな宣言だった。 蓮は一生背負う覚悟でうち明けたが、どうやら問題は長期戦になりそうである。 |