遠き君に捧ぐ雪うさぎ
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 9人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/02/15 06:12



■オープニング本文

 守るため力はなく。
 迎えるための装いも失った。
 もう二度と会うことができないならば。

 心だけでも、きみのそばに。


 冷たいだけの雨も、白い結晶となって装いを変える季節。
「花びらの様でしょう?」
 牡丹雪と呼ぶに相応しい雪の片鱗は、掌に落ちて儚く消えた。
 吐息が白く色を持ち、虚空に溶けて消えてゆく。
「体が冷えるから、部屋に入りなよ。雫ちゃん」
 初老の女が空になった器をしまう。
 道の通りで蕎麦屋を営む雅は、時々こうして故あって外へ出かけられない者の為に蕎麦を運んでいた。何枚も擦り切れた羽織を重ね、小柄な体を更に縮めて、痛む体に鞭を打ちながらも面倒な宅配をやっているのは、何よりも生き甲斐のためだった。
 勿論、回を重ねれば、注文主と仲良くなる。
 雫と呼ばれた娘は、心の臓に重い病を抱えていたが、腕の良い仕立て屋として日銭を稼いで暮らしていた。また外仕事の経験のない肌は雪のように白く、あどけない容姿が魅力的で、噂を聞きつけた男達の興味をひいた。
 大した用事もないのに男達は雫の元へやってくる。
 そして困り果てる彼女を、雅が助けるという毎日が続いている。
「少しくらい動いても平気なのに‥‥みんな心配性なんだから」
「こんな綺麗な娘を放っておくもんかい。そろそろ婿を取ったらどうなんだい」
「いやよ。私には、この子がいるもの」
 それは華奢なてのひらにも乗る、雪ウサギだった。
 真紅の木の実で出来た目と、椿の葉っぱで緑に輝くふたつの耳。
「そんなことを言ってるから‥‥」
「残念でした。みててね?」
 雫は「もったいないけど、ごめんね」と雪ウサギをひと撫でしてから、手刀で胴を割った。
「‥‥え?」
 黄金色に輝く一枚の金貨。紛れもない一両の貨幣だった。
 文に換算して、およそ5000文。
 雅は唖然とした。
「やっぱり驚くよね。うん。私も最初はびっくりしたのよ。でも光蘭からだって分かってるから、大切に預かってるの」
「こうらん?」
「開拓者になった幼なじみ。すっごい格好良くて、頭が良くて、素敵な人。いつか雫をお嫁さんにもらってくれるの。五年前に遠くへ行ったけど、最近帰ってきたみたい」
「‥‥みたい?」
 妙な答えを聞き返すと、雫は暗い顔をした。
「旅先で大火事にあって怪我して戻ってきたって、一緒にいたっていう開拓者の人から秋頃に伝言をもらったの。やけどが治ったら会いに行くからって。だけど‥‥全然会いに来てくれない。一度だけ『忙しいんだ。ごめんね』って手紙があったけど、それだけ。雪ウサギにお金だけ隠して、毎月日が昇る前に窓辺においていくの。何処にすんでるかも教えてくれないから、待ってる」


 雪ウサギは二人だけの秘密の合図。

 ‥‥いつか必ず、迎えに行くよ‥‥

 だからずっと、ここで相手を待つと。


 そんな話をして一ヶ月も経たない内に、雫の容態が悪化した。
 自慢の縫い物もできず、寝込んだままだ。
 心配して毎日尋ねるようになった雅も、一度だけ置き去りになった雪ウサギを見た。
 隠されていた、二両のお金。普段よりも多い金額。
 雫の状態を聞きつけているに違いない。
 それでも彼は、会いにこない。

「雅さん。わたしまだ、死にたくない」
「弱気なことを」
「光蘭にまだ会ってないの。世界一綺麗なお嫁さんにしてくれるって、約束したのに」
 雫は泣いた。心臓が軋むのも構わずに。
 愛する人が、会いに来ない。
 その辛さを。
 押しつぶされそうな不安を。
 蕎麦屋の雅は、身にしみて理解していた。
「婆が何とかしてやるよ。だからゆっくり休んでおいで」
 泣き疲れて眠る雫。
 ひとまずは安心と扉を出た途端、雅は『怪物』に出会った。
「ひっ‥‥」
 それは全身を徹底して隠した大男だった。
 かろうじて見える両目はぎょろぎょろと恐ろしい光を放ち、瞼や鼻筋が変色してただれている。怪物のような男は、慌てて飛び退き、無言のままでいずこかへ走り去った。雫は巷の男達が競って訪ねる美人ではあるが‥‥ああいう変な男にまでまとわりつかれてはたまらない。
 雅は気合いを入れ直した。

 ギルドに頼めば、探し出してくれるはずだ。
 雅はそう信じて足を運んだ。一連の事情や様子を説明し、頭を垂れた。
「会わせてやりたい。手遅れになる前に」

 医者の話によると、雫は来週までもたない、という。


■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029
23歳・女・巫
宿奈 芳純(ia9695
25歳・男・陰
白 桜香(ib0392
16歳・女・巫
天霧 那流(ib0755
20歳・女・志
久悠(ib2432
28歳・女・弓
藤丸(ib3128
10歳・男・シ
蒔司(ib3233
33歳・男・シ
ディディエ ベルトラン(ib3404
27歳・男・魔
雪刃(ib5814
20歳・女・サ


■リプレイ本文

 幼稚な恋だと、人は笑った。
 大人になれば忘れてしまうよ、と。


 牡丹雪が軒先を白く染め変える頃、開拓者達は蕎麦屋の雅から話を聞いた。
 少々、雫の様子を見てくるからと、しばしその場に取り残される。
 天霧 那流(ib0755)は白い吐息で指先を暖める。
「本当に最期の望み、ね。命を賭けた。会わせてあげなかったら浮かばれない気がするわ」
 雫は死期が近い。
 雪刃(ib5814)は医者の言葉を胸中で繰り返す。
「‥‥病気のことは分からないし、医者がもうもたない、助からないっていうんなら、それはきっと仕方ない事なんだと思う。でも、どういう最後を迎えるかぐらいは、手を貸せる‥‥はず」
 寂しい思いをさせたまま死なせるか。
 それとも、ささやかな幸せを抱かせるか。久悠(ib2432)は「例えば」と口を開く。
「私が死ぬ時は、一介の民草として死ぬるなら大事な人に会い、温もりに縋って逝きたいと思う。仄暗い死出の旅のせめてもの餞に。それに多分願いを叶えたという想いは、生き残る者の支えになると思うから」
 こうして人々の手伝いをする事は多い。退屈な日々だという者もいる。
 しかし開拓者という身分故に、時には命がけの仕事に出くわすことも珍しくない。
「雪うさぎにお金を入れているのは光蘭だって雫は信じてるし、額を考えれば、実際に雫の為にそこまで手を尽くそうとするのも光蘭だけだと思う。会わない理由は、火傷の事だとは思うけど」
 雪刃は陰鬱な顔をした。
「今際の際にも会いたいと願う者、か」
 己の身に置き換えた時、浮かぶ顔は誰だろうか。
 蒔司(ib3233)は窓辺で崩れた雪うさぎに手を伸ばした。
「雪うさぎが繋ぐ想い、互いの手の温もりに換えてやりたいのう」
 すきま風に凍える季節に、病魔にのたうち、虚しく空を掴むようなマネはさせたくない。
 その為には。
「光繭さんの所在を把握しません事にはですねぇ、話しが前に進みませんです、はい」
 ディディエ ベルトラン(ib3404)の言葉に、万木・朱璃(ia0029)も同意する。
「確かに時間がありません。話から察するに‥‥置いていく金額が増えているということは、彼女の状態も少しは分かっているはずです。もう先は長くないと知らないかもしれませんが。はっきりそのことを伝えて現状が分かれば、彼も決心が付くかもしれません」
 白 桜香(ib0392)がそっと手を挙げる。
「多分光蘭さんは火傷を気にしてらっしゃるのかなと。‥‥でも、そんな事を言ってる場合ではありません。亡くなる前に会わせてさしあげたいです。‥‥悲しいですけど」
 火傷、というのはありふれた怪我だ。
 しかし、程度によっては悲惨な状態を引き起こすこともある。
「‥‥切ないなぁ。あいたくても、あえないって」
 雪うさぎが、泣いて見える気がする。
 藤丸(ib3128)の呟きに万木は呟く。
「悲しい話ですけど、少し羨ましくもありますね。そこまで強く想える事が」
 天霧は頷いた。
「例え相手がどんな姿になっていたとしても、愛しい人である事に変わりないはず」
 最悪を考え、雫の受ける精神的な衝撃が小さくなるような形で、光蘭と雫に直接やりとりをさせるべきだという雪刃の言葉に、皆が頷いた。宿奈 芳純(ia9695)が残る者達に声を投げてゆく。
「雫さんと光蘭さん双方の説得が必要でしょう。もしかすると思い描く『光蘭』ではなくなったので会う事はできないと拒否する可能性も捨てきれません」
 雫に確認を行う者達に説得を頼み、皆それぞれ出かけた。


 食が細るというのは、ゆるやかな衰弱を示す。
 物の少ない部屋で、日毎に横たわる時間が増える雫は、元の容色が衰えの兆しを見せ、上着をたぐり寄せる華奢な腕は、骨と皮に成りつつあった。依頼のことや光蘭との思い出など、白と楽しげに語らいながらも、時々胸を押さえて痛みに耐える。
「私にはそういう相手がいないので、憧れます」
 頃合いを見計らって、白の後ろから万木と藤丸が顔を出した。
「ところで、直接顔を見ない状態でも問題ないですか?」
「直接会えないかもしれない、それでもいい?」
「どういう意味?」
 意図を理解できない雫に、白が思い切って尋ねた。
「少々立ち入った事をお聞きします。彼の火傷が治ってなくて面立ちが変わってたとしたら、どう思われますか」
「治ってない? 火傷よ、そんなわけないじゃない。第一、顔が変わるなんて」
 信じがたい言葉だったらしい。情報が限られたこの長屋で、戦いから縁遠い娘には、想像するのが困難な話だ。せいぜい知るのは料理の火傷。痣が残る程度だろうと、たかをくくる気持ちが分からないわけではない。遠まきに壁へより掛かっていた蒔司が口を開く。
「おそらく、光蘭は人前に姿を晒すことを極度に避けている」
 身を隠す行動が意味するもの。
「それでも猶会いたいか?」
 雫の手を取った天霧は、しっかりと明言する。ごまかしはきかない。
「光蘭が見つかったとしても、きみが知っている彼とは違ってしまってるかもしれないけど、会いたいの? それでもと強く望むなら、ちゃんと見つけて連れて来るわ」
 酷い火傷、その程度が分からない。
「私は‥‥昔の光蘭しか知らない。光蘭に会うために‥‥まってたの」
 覚えているのは、広い背中と逞しい腕。
 心をざわつかせる美声。
 まばゆい笑顔。
 将来を誓った、恋しい人。
 相当酷い火傷を負ったはずだ。光蘭は雫に拒絶されることを恐れているに違いない。
 と読んだ天霧が、何とも言えない顔をした。数名が、同じく表情に難色を示す。
 会わせてみなければ分からない。だが多分‥‥あまりいい予感はしない。
 白が雫の手を握りしめた。
「雪兎を送ってくる彼は私には元のままの彼に思えます。きっと彼を探し出します。心を強く持って待ってて下さい。諦めないで」
「‥‥はい」
 方法を、捜さなければ。家を出て万木は頬を掻く。
「火傷を負ったこと思えば、雅さんが見た全身爛れた男‥‥が光蘭君なんでしょうね。私達も路地にいってみましょう。雫君の名前を言えば恐らく反応はかえってくるはず」
「結構目立つでしょうし、見つけるのは難しくはないかもね」
 天霧はそう言って走り出す。


 一方、雪刃達は逃走者相手に苦戦させられていた。
「ぜーはーぜーはー、私はもうダメですねぇ、はい、それでは来世で」
「あなたの尽力、無駄にはしません。とう!」
 地に倒れるベルトランを、飄々と飛び越えて宿奈が追う。
 全力で逃げる相手に、脱落者が発生する始末だ。
 らしい人物は来た。
 しかし複雑な小道を全力で逃げる。
 かろうじて追う宿奈すら、俊敏力が届かないのか追いつけない。
 宿奈は強硬手段に出た。行く手を阻む、白い漆喰に似た壁。
 結界呪符だ。相手は止まった。
「光蘭さんとお見受けします」
 漂う沈黙。ベルトラン達が追いついた。
「光繭さんとは彼方様の事では御座いませんでしょうか?」
 不動。
 本人の確認がとれぬまま、万木達が来るまで延々と睨み合いが続いた。

「酷い火傷を負った光蘭‥‥もしや、おんしがそうなんか?」
「雫の容態は聞いてるわよね? もう時間がないの。最期になるわよ、会ってあげて」
 蒔司と天霧の言葉に対して、時々身をこわばらせる。
 ほぼ間違いなく光蘭なのだろうが、どうも様子がおかしい。
 ベルトランは、光蘭が失ったのは隠した姿だけなのか、生来の聡明さまで失われてしまっているのか心配になっていた。
「病がいよいよというまで、きてしまって」
 言いながら様子を観察する。
「‥‥会えぬのは、酷い火傷の故か」
 蒔司の言葉に、首が縦に振られた。
「雫の記憶の中とは変わり果てた今の姿を恥じているのか」
 男は頭を上げた。蒔司は溜息を零す。
「確かに事実を知った雫は驚愕するだろう。けれど、待っているのはおんしだ。散りゆく定めの華へ最後の手向けができるのは、おんししかおらん」
 男は焼けただれて変色した己の両手を見つめた。
 宿奈が懇願する。
「雫さんが貴方とお会いしたいと仰っています。医者の見立てではもう長くありません。どうか会って言葉を交わして頂けませんか」
 男は、首を横に振る。
「会いたい。そう言っていました」
 ここで帰るわけにはいかない。白は訴えた。
「今会わなければ一生後悔します。彼女が外見だけに惹かれたなんてある筈ありません。彼女に貴方のぬくもりを伝えてあげて下さい。このまま彼女を天に行かせないで」
 戸惑うような気配に天霧が迫る。
「ずっと待ち続けて‥‥どんな姿でも会いたいって言ったのよ? きみが逃げてどうするの? 失ってから後悔しても遅いわ。遠くで想っているだけじゃ届かない、足りないの。触れて言葉を交わして‥‥雫の心を救ってあげて」
 返答はない。
「気持ちは少しだけ分かると思う」
 様子を見ていた久悠は呟いた。
「見ての通り、華奢と可憐には程遠い身だ。怖れられ奇異な目で見られる事もままあったし‥‥失ったもののせいで馴染んだ世界に突然牙を剥かれる辛さは知っている。‥‥雫殿の心臓の心配を? それとも拒絶されるのが恐いか? それだけで壊れる絆だろうか? もしも逆の立場なら? 考えたことはあるのか」
 静寂が漂う。
「‥‥正直なところ、見た目がどうでもいいとは言えないし、火傷でひどくなった光蘭に雫が嫌悪を抱かなくても『光蘭がそんな酷い火傷を負ってしまった』事実に心を痛めること自体が、雫を苦しめないとも限らない」
 雪刃は淡々と呟く。
「けど、今雫に大金を渡してあげても、そのお金じゃ雫の病は治せないよ。切り捨ててしまえば‥‥雫に何もしてあげていないのと同じ、だと思う。面と向かって会えとは言わない。ただ、一度でいいから、雫と言葉を交わしてあげて」
 男は何も答えない。
 ベルトランが『心を喪ったか』と目を伏せかけた時、ふと久悠が男の喉元に指をあてた。
「‥‥声が出ぬのか? もしや容姿だけでなく気道熱傷まで?」
 大火事に遭って怪我を負って帰ってきた、と聞いた。
 男の頭が、前へ倒れた。答えは、是。
 届けられた大金。
 ただ残されるだけの手紙。
 熱傷で溶けた顔は元来の容色を奪い、爆炎と熱風は彼の声を奪った。
 光蘭は何一つ、己の身を実証する術をもたない。
 皆、容姿をなんとかつくろう方法は考えていた。
 しかし話すことも出来ない、この場合‥‥
「いや」
 久悠は光蘭の手を引いた。
「まだ方法はある。光蘭殿、諦めるのは早い。私達を信じてくれ」
 藤丸が「あのさ」と袖を引く。
「俺の勝手な言い分になるんだけど‥‥今の雫さんて一日どころか、一時間、一瞬すらも宝石みたいに大切なものだと思うんだ。それを掌からこぼしながら、あなたを待ってる」
 時間は待ってくれない。
「俺の会った雫さんは、そんな風に見えた。顔を合わせるだけじゃない。すれ違ってるって寂しい思いをさせないってだけでも『会う』ってことになるんじゃないかな?」
 出来るだけのことを。
 たとえそれが望ましい再会にならなくとも、求め続けた願いだけは叶うはず。
 天霧達が身を翻す。
「花嫁さんになりたいという願い、叶えてあげて。添い遂げる事が出来なくても心はずっと一緒だと安心させて。先に戻るけど、必ず来なさいよ?」
「どうぞ勇気を出して下さい。彼女を悲しみのまま行かせるより辛い事はないと思います」
 白たち女性陣は、光蘭を残して長屋に戻った。


 式を身体の一部として形成させ、傷を癒すことは世に珍しくない。
 ただし欠損した体や、溶けて崩れた容色を元通りに出来るほど、治癒符は便利ではない。
 光蘭の熱傷は完治していた。ただし全身が斑に赤黒く変色し、毛髪一つない頭部は縦半分が熱で溶け、左瞼が開かなくなっていたり、口が殆ど開かない。何より声帯を損傷したことは、彼から意思の疎通手段を奪っていた。
 それでも可能な限りのことをしたい。
 藤丸は指先をはじめ、包帯で丁寧に巻いた。
 少しでいい。何か分けられたら、苦しさを分け持てたら、そんな思いを込めて。
 蒔司もまたシノビの変装技術や化粧を施し、可能な限り皮膚の爛れや造作を整えようと尽力した。加えて上に包帯を巻いていれば、面影だけは蘇るかもしれない。
 蒔司は最期に紋付袴を差し出した。
「これに着替えや。雫はおんしの花嫁になるがやと、心に決めとる。他の男に見向きもせんで待っとったんやで。娶ってやりや、お前は雫に一番の幸せをあげられる男なんや」
 雪刃が考え事をしていた。
「光蘭。もし、約束を違えない心があるなら、夫婦の契り、三三九度の儀式でもかわしてあげられないかな‥‥あぁ、でも雫にはきついかな」
 白が何か思いつき、急いで光蘭の手に『光来の指輪』を与えた。
「彼女の左手に嵌めてあげて下さい。ジルベリアの風習です。永遠を誓って与えます」
「準備できましたか〜」
 ベルトランが呼びに来た。
 光蘭の瞼の動きが芳しくないので、灯りを調節して戻ってきたのだ。
「なにしろ筆談ですから、二人しか答えられないような質問を用意しておいて下さい」
 共有する秘密が有れば、実証はできるだろう。
 床の軋む音しか聞こえない夜だった。
 到着を知らせると、扉一枚隔てて、女性陣の声が聞こえる。
「もう少し休んだ方が良かったかしら‥‥頑張って雫、光蘭が来てくれるわよ」
 天霧が囁いて席を立つ。筆談の理由を説明した久悠も離れる。
 窓際には白が作った沢山の雪兎。
 部屋の中央に、花を飾られ、白無垢を纏い、化粧を施された雫の姿。
 襖が閉まった。
 静寂が部屋の中に満ちていく。願うように、外で待ち続けた。
 やがて様子を見に戻った時。永遠に目覚めない花嫁が、男の腕に抱かれていた。


 雅の蕎麦屋に、雪刃達開拓者の列がある。
 万木は蕎麦つゆを飲み干した。
「ああ一年ぶりの味‥‥‥‥私は、救われた、と信じたい。命をなくしかけた二人の、かけがえのない約束ですから。私にも、何時かあぁ想えるような人が出来るでしょうか」
 厳しい冬、容態の急変は珍しいことではない、という。
 よくもった方だと、医者は言っていた。
 久悠が「これからどうする?」と尋ねた所、光蘭は開拓者を続ける決意を示した。
 いつか何処かで会うかも知れないと。
 ベルトランから贈られたローブを纏い、葬儀の後にいずこかへ消えた。
「納得する形で会えたかは分かりませんが」
 宿奈が肩をすくめる。白が番茶にふっと息をふきつけた。
「私達と雪兎が見届けましたよ。二人の心はいつまでも共にあると」
「大事な約束だったからこそ、の行動だったんだろうなぁ」
 藤丸の湯飲みに、蒔司が杯をかつん、とぶつける。
「果たされた約束に、不器用な祝福を。限りあるからこそ、輝く命が‥‥此処にも、あるのだな」
「そうね。‥‥あら、今日も積もるのかしら」
 天霧が空を仰ぐ。


 牡丹のように降りそそぐ雪の結晶。
 煌めく純白の向こうで、可憐な花嫁の笑い声が聞こえる気がした。