陽州の鳴き砂と輝ける蒼海
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 31人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/06/21 22:45



■オープニング本文

 あつい。

 開拓者ギルドの中を見渡すと、扇子や団扇で顔を仰ぐ人々が増えていた。
 太陽光も日増しにきつくなり、雨の日も増えているので肌が蒸し蒸しする。重装備を来ているだけで、倒れてしまいそうだが、夏本番にはまだ遠い。寒い地域で生まれ育った開拓者は、仕事へのやる気を根こそぎ奪われる季節である。
「毎年のことですけど……軽装備にするとかなさればいいのに」
「できるならやってる」
 ギルド受付の投げる言葉に、冗談を返す気力も湧かない。
「たまには涼しい仕事にいってみますか」
「山奥とか?」
「いえ、海です」
 受付係は依頼書のしまわれた帳簿を取り出し、ぱらぱらと眺めた。
「陽州の砂浜警備がきてますよ。この時期、丁度どこも海開きで、猫の手も借りたいぐらい監視役や海中アヤカシの駆除で忙しいそうです。鳴き砂の浜が、拘束が一週間ほどなので、その足で涼んできては如何でしょう?」

 陽州。
 古の修羅と天儀の戦いにより、同地は修羅の追放先とされ、その後約五百年の長きに渡って封印されていた修羅の暮らす儀である。
 近年、修羅との蟠りが解消され、現在は広く解放された場所だ。高温多湿の環境で、夏季は台風や暴風雨に見舞われることも多いため、海で遊べる期間はそれら天災を縫うようにして行うため、限られている。
 長年隔離された環境にあった為か、陽州の海は驚くほど澄んでいた。
 海を汚すことは、自らの命を縮めるからだったに違いない。努力で維持された真っ白に輝く砂浜には、ゴミひとつなく、走ればキュキュっと不思議な音を奏でる。天儀ではあまりお目にかかれなくなってきている、鳴き砂という現象だ。
 今回、仕事の来ている『鳴き砂の浜』は広大な浅瀬と、海産資源豊富な岩場を兼ね備え、夏場は名の知れた観光地として人々でごった返していた。

「じゃあそれで」
 依頼書を受け取って去っていく開拓者。
「はーい。いってらっしゃーい」


■参加者一覧
/ 海神 江流(ia0800) / 酒々井 統真(ia0893) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 御樹青嵐(ia1669) / フェルル=グライフ(ia4572) / からす(ia6525) / ニノン(ia9578) / 皇 那由多(ia9742) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 御陰 桜(ib0271) / ネネ(ib0892) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 蓮 神音(ib2662) / 蒔司(ib3233) / ハティ(ib5270) / ウルシュテッド(ib5445) / 明星(ib5588) / ローゼリア(ib5674) / 宵星(ib6077) / ニッツァ(ib6625) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / 刃兼(ib7876) / 呂宇子(ib9059) / 朱宇子(ib9060) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / ジャミール・ライル(ic0451) / 白雪 沙羅(ic0498) / 綺月 緋影(ic1073) / リト・フェイユ(ic1121


■リプレイ本文

●陽州〜瑠璃色の海で〜

 フェルル=グライフ(ia4572)と酒々井 統真(ia0893)、二人が手を繋いでいるのは幼子ののぞみだった。のぞみの表情には笑顔が伺える。海に来る前、孤児院に迎えに行った時は三人とも笑顔とは言い難い様子だった。
『のぞみちゃん、ずっと来れなくてごめんね。私のこと、覚えてる?』
 するとパッと身を翻して自分の部屋に戻ってしまった。ずぅん、と声もなく落ち込むグライフの後方で、酒々井がぽりぽりと頭を掻き『距離感を掴む時間が必要かもな。普段通りに振る舞えば、そのうち戻るさ』と慰めらしき一言を投げた。俯いたまま『……そうですね』と返事をするグライフの元に、逃げたのぞみが戻ってきた。
 翔鷹の鉢金を持って。
『ぅー、かなしいの? いつもいっしょ。あい!』
 涙の跡か涎の跡か分からないが、シミの多くなった思い出の品。
『……うん、そうでしたね。それはもう、のぞみちゃんの物です。のぞみちゃん、海、一緒にいこ? 海ってね、こーんなに広くて、青くて、綺麗なんです』
 かくして道中の殆どをグライフの膝で過ごした甘えん坊ののぞみを眺めて、酒々井は「杞憂だったな」とぽつりと零した。

 宿付きの海の家でぱたぱたと忙しく走る開拓者が一人。
「ごめんなさいね、恵音。そのままの足で連れて来てしまって」
「ううん。平気よ」
 アルーシュ・リトナ(ib0119)が色々と買い物を終えて戻ってきた部屋には、養女に迎えたばかりの恵音がいた。開拓者でない恵音は養母の仕事を手伝ったりすることはできない。代わりに羽妖精の思音が、ずっと恵音に付き添っていた。
『都ではきちんと挨拶できなくてごめんね、恵音。僕、思音だよ。宜しくね』
 仲良くなれると良いな、と笑いかけた羽妖精と恵音は四六時中一緒にいた所為か、蟠りはなくなっていた。そんな様子にホッとしたリトナが、麦わら帽子などを恵音に手渡す。
「近くの商店街は見て回った?」
 恵音は首を縦に振る。
「じゃあ浜辺へ一緒に貝殻拾いにいきましょう。今日はお休みなの。恵音は少しお姉さんだから、桜貝や真っ白くて薄いとっておきの一つを、ペンダントにしても素敵じゃないかしら。思音、一緒に探してね? 浜辺は日差しや照り返しも強いから気をつけて?」
 仲良く手を引いて、鳴き砂の浜を歩いていく。

 燦々と照る太陽の日差し。純白の砂浜と輝く青い海。
「ひろーい! きれー!」
 刃兼(ib7876)と手を繋いでいるのは、幼い旭だ。ずっと海を見たがっていた少女は、海の広さや青さにはしゃいぎ、道行く人々にも目を向ける。これだけ修羅が集まっている機会はそうない。初めて見せる海が陽州で嬉しい、と刃兼は思った。
「陽州へようこそ、だな。旭。渓流や温泉とはまた違うし、磯の香りは新鮮かな?」
「ハガネ、ハガネ、あれかって! あれかって!」
 くいくいと小さい手が必死に示す。
 海の家では様々な磯焼きを販売していた。飴色に輝く烏賊、塩のついた魚、ぐつぐつと網の上で踊るサザエの壺焼き。魚は旭の好物だ。我が儘を訴えられる様になったのは、心の距離が近いのだろう。
 うっかり笑った刃兼が「朝ご飯はあれにしようか」とアレコレと多めに買い込んで、涼しい軒下で胃袋へ納めた。食後は泳ぐ。刃兼も、旭に手を引かれるように海へ入った。

 幼いののを連れたネネ(ib0892)達が「さぁ海で泳ぎますよ」と海の家を目指す。
 多くの観光客が日陰で涼みながら海の幸を堪能する中、荷物を置いたネネがののと一緒に売店へ向かった。様々な水着が所狭しと並んでいる。
「またちょっと大きくなってますし、新しい水着を買いましょう。好きな色を選んでね」
「すきなのー?」
 ののが子供用の水着をアレコレ引っ張り出す。上手く元に戻せないので、ネネが綺麗に戻していた。やがて見つけた水着を手に取り「ぶちちゃんといっしょー!」とネネに見せた。今は猫茶屋で飼われている猫と同じ斑模様だ。
 新しい水着に着替えて髪を編み込みながら注意をしておく。
「のの。前に温泉で泳いだときのこと覚えてますか?」
「おんせん? うんー」
「今日は海で波もありますから、ゆーっくり海にいきましょう。波打ち際で色んなものを見つけましょうね。それから」
 楽しげに話すものだから仙猫うるるが「ねえちょっと、私のことを忘れてない?!」と抗議を始めた。しかし仙猫が海に来るわけがないと分かり切っているネネは「お荷物の番よろしく!」と輝く笑顔を向けた。ひどいひどいと言いつつ、荷物の影でむくれる仙猫。
 後で魚でも買って機嫌を直して貰うしかないのかもしれない。

 瑠璃色の海を背にして、白い耳がぴこぴこと動く。
「明希、ほら! 海ですよ、海ー! 大きいですね! 広いですね! 今日はいっぱい遊びましょうね!」
「あおーい! 鳥がにゃあにゃあ鳴いてる。不思議」
「あれはウミカモメですね。明希、去年あげた貝殻の腕輪は、ここの貝殻で作ったものなのですよ。一度、この景色を貴女に見せてあげたかった……」
 リオーレ・アズィーズ(ib7038)が微笑む。ずっと来たかった海。気分は鰻登りだったが、ひとまずは海の家で水着に着替えた。新しい水着は桜色で、アズィーズの黒水着と色違いのお揃いだ。白雪は暑さ対策もかねて麦わら帽子を三人分用意した。
「うふふ。2人共良く似合いますよ〜! 桜色のお花がついていて水着にぴったりでしょう」
「明希も沙羅ちゃんも、貝拾いをしませんか? そして、孤児院の小さな子達にお土産を作ってあげましょう」
「いいですね! 明希、まずは貝殻拾いをしながら、どんなアクセサリーにするか相談しましょう」
「ちょっとまって。明希、作りたいのがあるの」
 明希は布の小袋を何枚も持ち出した。一体なにをするのか見守っていると、鳴き砂を布袋に入れ始めた。
「明希、それは?」
「新しいお手玉にするの。きっと音が違うから、院長先生と一緒に頑張って縫ったのよ」
 砂を全部詰めると、紐で口を縛った。帰ってから縫うのだという。
「おしまい。貝殻取りに行く?」
 白雪が明希を撫でる。
「ええ、いきましょう。明希は素敵な感覚を持っているから、きっと素晴らしいものが出来ますよ。私達も手伝いますから、孤児院の皆へのお土産沢山作りましょうね。きっと皆喜んでくれますよ!」
 そんな二人の姿をアズィーズが穏やかな眼差しで見守る。

「海だー! こんなに蒼い海は初めてだよ。泳がないと勿体無いや」
 狼 明星(ib5588)がはしゃぐ。
 大所帯で海へ訪れたのはフェンリエッタ(ib0018)達だった。
「皆はどんな海を想像してた? いつか二人も一緒に海へと思ってたの。叶って嬉しいわ。それに孤児院の外に出たらエミとイリスは一緒の機会も減ると思って。今日一日、五感で味わうこの時間を楽しんで」
 海を前に落ち着かない姉妹の様子をハティ(ib5270)が眺める。
『大人しい姉妹だと聞いたが成る程……古い話だったようだ』
 星頼はウルシュテッド(ib5445)が連れており、華凛と礼文の隣には、明星と狼 宵星(ib6077)がいた。
「はじめまして」
「こんにちは」
 緊張気味な面もちで向き合っている相手は、帽子に日傘、手袋、ストールを顔にぐるぐる巻きという人相不明なニノン・サジュマン(ia9578)だ。
「ニノン・サジュマンと申す。噂はかねがね聞いておるぞ、誰よりも大切な子達じゃとな」
 普通に話しているが、重装備はやはり人目を引く。
「一瞬誰かと思ったよ……暑くないのかい?」
 ウルシュテッドが首を傾げる。
 サジュマンは日傘からちょっと顔を出して隣を見上げる。
「おなごに日焼けは大敵じゃからな。海水に浸かるのは足だけでよいのじゃ」
「足……ね。星頼、女の人は大変だな。どうせならニノンも水着をきればいいのに」
「水着? わしは……そう、海を眺めるのが好きでのう。泳ぎは若人がすればよいのじゃ」
「……泳げないなら教えたのに。ほら、うちの金槌娘も一緒にさ」
「泳げぬのではない。ただちょっと水に浮かばぬだけじゃ」
  宵星が「シャオも」と呟いて近寄った。なんだか仲良くなれそうな気がする。一方、泳ぎが得意という明星は「それじゃいつまでも泳げないよ?」と宵星の顔を覗き込んだ。抵抗する金槌同盟を微笑ましげに眺めるウルシュテッドが、愛しい人の水着姿見たさに食い下がってみた。
「折角来たのに。気に入った水着があれば贈ろうか? ニノンならどれも素敵だろうね」
「……贈り物で貰うなら絵巻でよいぞ?」
 笑顔凍る。
「は! すごいな、これが鳴き砂か! なあ星頼、ニノン、何かに似てないか? 遠くで犬が吠えてるような……それにしても気持ちいい眺めだなぁ、うん」
 金槌の言い訳を『可愛いぁ』と思っていたら、思わぬ切り返しに全力で話題を変える。
 サジュマンは軽く笑って目を閉じた。
「ふむ、砂が歌っておるようじゃの」
 宵星も「砂がこんな音で鳴るなんて、ふふ」と驚きと感動を胸に抱いた。

 海の家で場所を確保し、三人揃って水着に着替える。
「フェルル、ちっと代わろうか? ずっとのぞみを抱えっぱなしだろう」
「大丈夫です! それよりのぞみちゃんが何を楽しいと思うか、一緒に見て教えて感じて楽しく伝える日にするって決めたんです。だから……あれ」
 子供の特技は、少し目を離した間にいなくなることだ。
「どこに、あ!」
 のぞみは離れた机の串焼きを握って「ちょーだい」と無邪気な微笑みを向けていた。
「悪いくせが出たな……どうも秋頃から他人の飯を狙うらしくてな、飯に限らず絵本とか笑顔で『おねがい』して強請ればもらえると思ってるらしいぜ」
「えー!? 色々興味を持つのはいいですけど、どうしましょう。とりあえず、のぞみちゃん、それは別の人の串焼きだから返しましょう。ね。すみません」
「あら、フェルル」
 ぷー、と頬を膨らませるのぞみを抱えて戻る途中、知り合いと会った。どうやら他の兄弟姉妹達も引き連れた大人数で、浜焼きをするのだという。暫く話し合った末に、お昼は一緒にとることになった。酒々井は男手として連行され、くすくす笑うグライフはお昼時までのぞみと海水浴だ。

 无(ib1198)は幼い桔梗と空龍風天にのり、海面すれすれの低空飛行を行っていた。遊覧飛行から眺める海面は、真っ青に輝いている。
「久々の外かな、どうですか桔梗」
「はやーい! すずしーい! もっとー!」
 別の子は高所恐怖症になったものだが、低空飛行のおかげもあって桔梗はまるでおびえない。広い浴場をぐるりと三周したところで无と桔梗は浅瀬におり、水着に着替えて波打ち際で遊ぶ。
「おすなのなかにえびさんがいるよ。こーんなにちっちゃいの」
「桔梗、こっちは貝がいますよ」
 和やかに過ごす一方、空龍風天が浅瀬の沖合へ飛び込んで水浴びしていた。派手な水飛沫があがった。

 三つ子岩から浜の内側に広がる浅瀬は、時々魚が泳いでくる。
「とったー! 晩ご飯とったー! とったよハガネ」
「旭。それは食べられない魚だ。放してあげた方がいい、な」
 えー、としょんぼりしながら海に放す。落ち着きのない旭は「砂の中に何かいるー!」と逐一実況中継をしていた。溺れないよう見張る刃兼が太陽を見上げる。
「……これだけ天気がいいと、よく日焼けしそうだ。お天道様の下で遊んだ証だけども、火傷っぽくなる場合もあるというし、適度に休むか」
「ハガネー、これなあに? 食べられる?」
 目を離してる間に、旭がむんずと掴んでいるのは……クラゲの頭だった。未知の生物は危険がいっぱい。慌てて遠くにポイッと捨てさせた。しかし足がちくちくするという。
「刺されたな。陸で治療して貰ったら少し休もう。水分もこまめにとらないと……」
 子供は目が離せない。
 しかし旭は「お水呑んだら遊んで良い?」とまるでへこたれていなかった。
『次に陽州に来る時は、旭を連れて実家に顔出ししたい所だが、さて』
 一旦、肩車で担ぎ上げ、ざぶざぶと陸を目指す。

 砂浜で始めた貝殻拾いは思いの外、様々な貝殻を拾うことができた。
 生きた貝は、掘り起こしても砂の中へ潜っていく。羽妖精は「ほら、小さな貝の赤ちゃんも可愛いよ 恵音見て」と率先して目新しい物を探し回っていた。
「大きな巻貝なら僕の頭に乗せられる、かな?」
「貝の帽子? あ、しろいのあった。おかあさん。こういうの?」
「ええそうね。お揃いにしましょうか。もう一つ見つかるかしら」
 貝殻探しに戻る恵音と羽妖精の姿を眺めて、穏やかに微笑む。こられてよかったと思いつつ、途中で岩場の影に腰掛けてお昼ご飯を食べた。
「……恵音、おかあさんは恵音が大事で、大好きよ。ずっと、何があっても」
 潮風に髪をなびかせつつ、穏やかな顔で囁いた。

 踏みしめる度に、きゅっきゅと音がする。
「おもろい砂やなぁ。鳴き砂ゆうたっけ。アルシャムスがこんなんやったらやっかましいやろなぁ」
「あるー?」
「こことは別の遠い場所やで」
 ニッツァ(ib6625)は少年と砂浜を歩いていた。スパシーバは走りながら砂を踏みしめてまわり、貝を拾ったり、打ち上げられているクラゲを流木でつつき倒す。波打ち際に寄ってきた魚を追いかける姿は生き生きとしていた。
「ごめんな、シーバ。ほんとは座長に会わせななーって思ってたんやけど、忙しかったみたいや」
「ざちょー? ざちょーって何?」
「なんていえばええやろなぁ。一緒に旅とかしてる人なんや。いつかシーバとも一緒に旅でけたらなぁって思うさかい。また今度な」
 ニッツァがわしゃわしゃとスパシーバの頭をなでると、海水でぬれた髪が程良く軋む。初めての磯の香りの中で、果たしてスパシーバは何を感じているのだろうか。
「シーバ、一個だけ質問してええやろか」
「なに?」
「今いっちゃん幸せや思える事、いっちゃん信じたいもん……それて何やろか? 答えは今度でもえぇさかい」
 するとスパシーバは言った。
「いっちゃん幸せって、いちばんってこと? いちばん、いちばんかぁ、難しいな。でも自分で頑張って何かがちゃんとできたときは嬉しいと思う。でもいちばんってなんだろう、信じたい、信じたいこと……うー」
 澄んだ瞳がニッツァを見上げる。
 ニッツァは「ゆっくり考えるとえぇさかい」と呟いて笑うと、スパシーバとおいかけっこを始めた。

 浜辺を走り回る可愛い子供達や開拓者を眺めていると、微笑ましい気持ちになる。
 真似をしたくなったリト・フェイユ(ic1121)は、靴を脱いで素足で白砂を踏みしめた。
「うわ、本当に砂が鳴ってるわ。凄い凄い」
「リト、余りはしゃぐと熱にやられるぞ。ちなみに砂が鳴くと言っても砂の摩擦音だが、そのように形容するのが人なのだろうな」
「いいから、ローレルもやってみて?」
 フェイユの靴を持っていたからくりのローレルが、言われるまま靴を脱ぎ出す。綺麗な貝殻を拾いながら眺めていて、はっと我に返った。
「あ、ローレル」
「なんだ、リト」
「あの、えっと……錆びたり、とかはないわよね?」
「さあ。試したことはない。けれど今まで錆びた覚えはないから平気な気はする」
「そっか。でも砂が間に詰まったら大変そうね……気をつけてね?」
「リトは心配性だな」
 表情の変わらない相棒。靴を脱ぐと、やはりその足は高質な作り物だった。
「……ねぇ 潮のかおり。ローレルわかる?」
「海塩入りの水や海藻を鍋で煮ている時の湯気に似ているが、何か違うな。一種の苦みと表現する類か……具体的にどう違うかは言い表せない。すまない、リト」
 フェイユは「ううん」と言って首を左右に振る。
「ローレルの肌って、いつもひんやりしているのよね。今日は暑いけど、触っていい?」
 興味津々の眼差しを見て「かまわない」とローレルが告げた。
 相変わらず体温のない体に触って、少し苦笑いを零した。

 大海原の眩しい輝きが瞳を焼く。
「海キレイですねぇ、山育ちの僕には新鮮です」
 皇 那由多(ia9742)の隣には「ええ綺麗ですわね」と頷くローゼリア(ib5674)がいた。元気がない。本当は孤児院の未来を連れてくる予定だったが、お目付役書類の不備で養子縁組を延期した為、孤児院に戻れない未来は彩陣の旧知に預けられることになった。
 そのまま旧知と分かれたローゼリアは仕事に向かい、現在に至る。
「元気出してください。近い内に未来ちゃんを迎えにいくんでしょう」
「ええ」
「じゃあ折角、陽州の海に来たんですし、二人で綺麗な貝殻をたくさん集めて首飾りをつくりましょう。お土産に丁度良いと思うんです」
 海の家にお弁当を置いて、二人で砂浜を歩く。
「ふふ、面白いですわね、この砂。あら、結構沢山貝殻が落ちてますのね」
 ふいに皇が「ローザさん」と声をかけた。
「僕、今怒っているんです」
 などと笑顔で言い出すので、ローゼリアは頭が真っ白になった。
「え、そ、それはどういう」
「ローザさんが何でも一人で抱え込んでしまって、一人で悩んで悲しんで、言ってくれない事も、言われない自分も……情けなくて。僕は確かに頼りない男ですけれど、でもローザさんを笑顔にする事はできます、きっと」
 仕事の合間に作った貝殻のブレスレットをローゼリアの手首にはめた。それは土産物屋で売っている物より、ずっと拙い装飾品だったが、ローゼリアにとってかけがえのない品になった。怒られてしまったのに、想われていたことが……とても嬉しい。
「……周りが見えなくなっていた自分を、恥じ入るばかりです。自分の悩みも、どうしたいのかも、自分の弱さを込みで……これからは全て話しますわ」
 ざざーん、と白い波が暗い気持ちを浚っていく。

「天儀の夏が暑いと思ってたけど、陽州の夏って暑いなぁ……」
 フィン・ファルスト(ib0979)の足下には帽子をかぶった春見がいた。ファルストから持たされた皮の水筒を持っていて、自分で呑んだり蓋をしたりしている。自分の身なりについて一通りできるようになった春見に成長を感じていた。
『いつか、この子に言う日も来るんだよね……』
「うーみ、うみいくー、おやまつくるー」
 くい、と服の裾をひいた。
「えーと……ジルベリアじゃほとんどの季節が寒中水泳だから。あんまり深いところにいかなければいいかな。春見ちゃん、まずはお着替えして、御砂場セット買いに行こう。ヴィー、好きにしてていいよ」
 上級迅鷹ヴィゾフニルはバッサバッサと飛んでいった。沖の岩場で魚を獲るためだ。
「荷物沢山あるし、お着替えは神音が面倒見るよ」
 蓮 神音(ib2662)が橙色と桃色の水着を持って春見と着替えに行く。春見は既に自分で服の前後ろが分かるらしい。海の家で仙猫くれおぱとらが鞠と戯れる中、荷物番を任せた三人は波打ち際で、待望の御砂場遊びを始めた。
「春見ちゃん、泳がなくて良いの?」
「いー。みてー、おやまー」
 よく分からない形に砂を盛る。てっぺんには巻き貝の貝殻。この分なら沖合に行かないよう注意する必要もなさそうだ。やがてお昼時になって海の家へ戻り、お昼ご飯を食べてお昼寝を始めた春見の寝顔を、蓮が覗き込んだ。
 院長曰く。あれから時々、春見は何故両親がいないのか考えている節があるという。
「ごめんね」
 せめてこのひととき、そして夢の中だけでも楽しい思い出であってほしい。

 闘鬼犬の桃を連れた御陰 桜(ib0271)は露出の高い桃色の水着に着替えて、砂浜を走っていた。キュッキュッと鳴る砂浜は楽しい。しかし浜辺を満喫中の主人に対して闘鬼犬は熱心に色々試していた。
「桃〜、こっち面白いわよ〜」
「わんっ」
『頑張り屋の桃にずっと付き合ってると疲れちゃうから……適度に休まなくっちゃね』
 はてさてどうしたものか、と周囲を眺めると浜焼きを売っている店が見えた。
『海の幸は美味しいけど、消化の悪いイカタコとかわんこにはあげない方がイイものもあるから注意しておかないとね。魚もあるし、大丈夫かしら』
「もーも、ちょっとご飯食べに行かない?」
「わふ?」
 くり、と首を傾ける。人前なので体で表現していた。
「おいしそーな匂いがするのよ。きっと美味しいはずよ。おひるにしましょ」
「わん!」
 ととと、と浜辺に戻ってきた。
 偶にはこうして相棒と過ごす時間も悪くはない。

 大勢の海水浴客を見下ろすように、迅鷹ナジュムが遙か高い場所で旋回している。地上よりもよほど涼しいのだろう。気持ちよさそうに飛んでるなぁ、と独り言のように呟いたジャミール・ライル(ic0451)は、ぐっと両手を天に掲げて背筋を伸ばした。
「んー、砂漠の砂とは、やっぱり何か違うねぇ」
 故郷では滅多にお目にかかれない眺めは感動に値するが、目下の問題は美女とお近づきになれない現実である。可愛い女の子は浅瀬の沖合できゃっきゃと楽しそうだ。
「おにーさん泳げないんだよねぇ……ざんねん。ま、偶にはこういうのもいいよね。そろそろ紫ノ眼ちゃんもご飯の準備してるだろうし、戻ろっかな」
 押し寄せてきた波を器用に避けつつ、元へ戻る。
 紫ノ眼 恋(ic0281)とからくりの白銀丸が網の上に海鮮を並べ、香ばしい匂いをさせている。からくりが真っ先にライルに気づいた。
「あ、さぼりが戻ってきた」
「え? なに、おにーさん何もきこえなーい」
「まあいいじゃないか。仕事明けの休みなのだし。ジャミール殿、丁度焼けたところだ。食べていくといい。真白。よそってあげてくれるか?」
 紫ノ眼の影から小さい子供が顔を出した。孤児院からつれてきた少年だ。
「祭で焼き鳥を作ったよな。その時の感覚を思い出しながらやるといい。これは海鮮版だ」
「はい」
 紫ノ眼は真白に甲斐甲斐しく教える。頃合いを見て玉蜀黍を焼くと、真白が目を輝かせた。玉蜀黍は真白の好物である。芯に割り箸をさして炭火に焙った。
「紫ノ眼ちゃん、何でも良いからあーんしてよ」
 怪訝な顔をした紫ノ眼が言われたとおりに「そうか」と差し出した。
 熱々の玉蜀黍を見たライルは「……いや、紫ノ眼ちゃん、火傷しちゃう。おにーさんの色っぽい唇が火傷しちゃう」とかぶりつくのをご辞退して一本物を受け取った。
「おいしーね」
「そうだな。ジャミール殿もドンドン食べるといい。遠慮はいらない」
「そーするー。お……ほら、二人ともこれ食ってみ? 超美味しいから!」
 賑やかな食事の後は、砂浜で鳴き砂と綺麗な貝殻を集めてのお土産作りが待っている。

 沢山の炭に、焼き物の道具。
 浜焼きをする為に準備を整えていた蒔司(ib3233)は海風に目を細めた。
「憩いの為にわざわざ海に来るんは、初めてじゃのう」
 ジルベリア風の水着を纏う蒔司は、肌の色も相まってか正に海の男だった。相方の綺月 緋影(ic1073)は買い出しに行ったまま戻ってこない。この浜焼きも、元を言えば綺月の提案だった。
『なー、蒔司ー。海行って、綺麗なお姉ちゃん見ながら浜焼き食おうぜ。折角だから美味い酒も。……持って来るなとは言われてねぇし、ちゃんと片付けりゃちょっとくらいイイだろ?』
「まーきしー、わりーな、大行列で時間くった」
「おう、酒を持ってきちょったか。気が利くのう、緋影」
 機嫌良さそうに笑んで無骨な手を差し出す。が、綺月はなにやらジッと蒔司を見た。
『……相変わらず、いい筋肉してやがんな』
 ざざーん、と波が打ち寄せる青い海を背負った同業は、やけに映えた。男児たるもの己と比較せずにはいられない。余りにも見つめるので「緋影?」と蒔司が首を傾ける。
「わり、何でもない! 何でもないから気にすんな! ほら、酒、あと海鮮!」
『何をジッと見てんだよ、俺。少し前からおかしいぞ! 酒か、酒の醜態のせいか、いやそれともあの時の事か! わかんねぇ! 水着の美女より、何でこんなオッサンを凝視して悶々と考え込んでるんだよ! ドキドキする相手がちげぇだろ、目的は美女! 美女!』
「……大丈夫か? 暑いじゃき、休んでもかまわんぜよ」
「女を気遣うみたいに言うな、俺が海の男だー!」
 気遣いに過剰反応する難儀な綺月。一方の蒔司は「お、おぅ」と怯みつつ……傷だらけの自分の体はやはり奇異に映るのかと、的はずれなことで悩んでいた。心なしか、尻尾に元気がない。
 蒔司は黙々と海鮮を焼く。
 場所が海だというだけで、こうしていると普段の酒飲みとかわらない。
「そういやぁワシは猫舌じゃった……」
 ふーふー苦労して冷ましながら、何を思ったのか蒔司は貝の切り身を綺月に向けた。
「ほれ、口を開けろ緋影」
「……何だよ蒔司。俺は雛鳥かっつーの!」
 釈然としないものを感じつつ、貝を頂く。網焼き奉行は「うん、折角の美味で火傷してはいかん」と呟きながら箸をすすめた。
「うむ、店や家呑みもええが、こういう風情もええもんじゃ」
「とりあえず蒔司も飲めよ。ああ、どうせなら浜焼きやってる奴らと楽しくやるのもいいな。あいつらにも声かけみっか!」
「二人分にしては食材も多いじゃき、他の浜焼きの衆にも分けて回ろうかの」
 かくしてナンパ始まる。

 午前中、海で戯れたののとネネは、海の家でお昼ご飯を食べた後、畳の上でのっぺり横になっている。ののもお昼寝だ。蚊とり豚を炊いて団扇で仰ぎ、快適なお昼寝を演出するのは、昼食の準備で午前中忙しかった礼野 真夢紀(ia1144)だ。
 猫又が顔を覗き込む。
「ののちゃん、まっくろ」
「しぃー。うん……ひやけですね。明日はひりひりかもしれません」
 ののが昼寝の間に、新しい甘酒や石清水の竹筒を氷の入った盥で冷やし、梅干しの小瓶、お寿司やお握りが入っていた重箱を片づけ、お魚や貝を焼いて真っ黒になった金網や七輪も綺麗に片づけてある。勿論、着替えの準備も。
 お昼寝から目覚めたののの膝で、猫又小雪が「ののちゃんおはよう」と頭をこすりつける。幼い子供というのは不思議なもので、僅か一時間か二時間の短い睡眠を経ると元通りの元気を取り戻す。
 午後の相手を務めるのは、体力の余っている礼野だ。
「かいがらあつめにいく」
「ののちゃん、もう起きて大丈夫?」
「うん。あそびにいくのー、こゆきちゃんもくるー?」
 海の家で買い込んだ砂場の道具を持って、再び砂浜へ繰り出していく。

 星頼と礼文は、何故か明星と一緒に砂に埋まっていた。じゃんけんに負けたらしい。顔だけ日焼けしていく。華凛と宵星、サジュマンは波打ち際で足のくるぶしまで海水に浸しつつ、貝殻を拾ったりと忙しい。
「あ、かわいい。綺麗なものがいっぱいですね。この貝殻はどこから来たのかな」
 思い思いのひとときを過ごす。
 やがて浜の一角で孤児院に関わり合いのある者達が大人数で浜焼きを楽しんでいた。
 星頼を肩車したウルシュテッド達も、友人達に声をかけつつ戻ってくる。何しろ十人以上の人間がお腹をすかせて海水から上がってくるのだから、ウルシュテッド達大人は忙しい。宵星はせっせと氷を作り、生ものが傷まないように冷やしていく。勿論、果物やお茶などの飲料もキンキンに冷やしてこそだ。

 幼いのぞみを連れた酒々井やグライフ達も待ち合わせの時刻に現れる。
 桔梗を連れた无が通りかかり、磯焼き大会に混ぜてもらう。ふとグライフとのぞみの様子を眺め『ああ、なるほど』とのぞみの素行について考えて頷いていた。
 フェンリエッタは食事の合間にエミカに近づき、明日から旅に出るお守りに、と手鏡を渡した。
「時々覗き込んであげてね。鏡の中の貴方はどんな顔をしてるのか。瞳の色は海? 空? それとも……って。これから沢山のことを経験していくと、つらい事もあるけど、決めるのは貴方よ。だから幸運がありますように」

 浜焼きが一段落した頃、ウルシュテッドが星頼たちを集めて照れくさそうに話をした。
「この人は俺の嫁さん……になって欲しい大切な人だ。星頼達を助けた時もそう、いつも俺を支えてくれる。2人のいる景色はもう、俺の当たり前だな。有難う」
 魚を囓るサジュマンが目を点にする。
「なんじゃ改まって。ふふ、嫁になるかはまだ分からぬぞ」
 艶めいた笑みでネックレスを弾く。
 飽きられたら返却される愛と情熱と恐怖の証である。
「そんなことより」
「そんなことって」
「そなたらしっかり食べておるかえ。ほれ、魚が焼けておる。子供が遠慮などするでない」
 ぽいぽいと皿に放り込んでいく甲斐甲斐しい様に『結婚したらこんな毎日かな』と妄想の翼が羽ばたいていた。明星が「ふふ、大勢で食べると美味しいね!」と笑う。
「そういえばあっち、大樽に乗って行けるんだって。面白そうだよね。いつか泳ぎが上達したら皆で海の幸をとって来てさ、お父さんはそれを美味しく料理してくれる……そういうのもいいよね」
 夏が待ち遠しくなる話だった。

 甘味に手を伸ばすイリスとエミカの所へ、ハティがきた。
「楽譜は読めるかな? イリスはハープを奏でると聞いた」
「うん、よめるわ」
「良かった。私は子供に音楽を教えている。夏の海や山、星の物語、この季節に合う曲を集めたが……食後にどうだろう。一緒に演奏してみないか。歌もあるから、エミカやフェン様も一緒に」
 音楽はパーティーに華を添える。
 最期の演奏の後、ハティはイリスとエミカにペンダント「星」「月」を贈った。
「今日は楽しかった。お礼にこれを、好きな方を選ぶといい。君たちは何がお好みかな。……明日から別々の暮らしだと聞いた。形は違えど常に傍にあるものも多い、家族や人の絆もそう。姉妹の絆を大切に」
 変わらぬ思いを祈って。

●岩場にて
 賑やかな浜辺とは一転して、岸辺沿いの岩場は静かだった。
「おや。子供がひとりで狩りとは珍しい。釣れているかね」
 貝拾い中のからす(ia6525)が偶然見つけた大きな樽には、子供が一人乗っていた。
 橙色の瞳がからすを見上げて「こんにちは。ボクが獲ったんじゃないよ」と声を返す。子供の手元には、ウニやサザエ、なかには立派なシャコ貝まであった。確かに子供の身で獲るのは難しい、と眺めていると樽の海面にワカメが浮かび上がってくる。
「む?」
 ざばーっ、と海面から顔を出したのは漂うワカメ改め御樹青嵐(ia1669)であった。長髪が乱れに乱れているが、彼の網は大漁である。
「灯心さん、空の網をください。ああ、これはからすさん。こんにちは、今日も暑いですね。この辺は穴場ですよ」
 警備仕事で見かけた顔に手を振った。
「そのようだね。私もしっかり狩りたいところだが、しかし間の悪いことにミヅチを家に置いてきてしまって、空龍の鬼鴉は悠々と遊覧飛行中なのだよ。羨ましいことだ」
 肩をすくめたからすに、御樹が「では一緒に浜焼きにして食べませんか」と提案する。面白いように獲れるのでザクザク樽に投げ込んでいるが、どう見ても男一人子一人では食べきれない量だ。なによりふれあいは情緒教育に宜しい。
「灯心さんも、よろしいですか? こういう休日は皆と一緒に楽しむことが大事です」
「うん」
 からすは「ふむ」と樽を覗き込んで、首を縦に振った。
「ではお邪魔するとしようか。調理は私に任せるといい」
「ボクもお手伝いします。お料理、教えてください」
「ああ、いいとも」
「お二人とも宜しくお願いします。野趣あふれる宴会もいい物でしょう。そうと決まれば、ウツボとタコを仕入れねばなりませんね。例え吸盤であられもない感じに痣が残ろうと、食事のために耐えねばなりません。それでは暫しお待ち下さい」
 ざぶん、と張り切った御樹が波の下に沈んだ。
 戻ってきたら楽しい夕飯が待っている。

●太陽は沈み行く
 通りすがりのパーティーで磯焼きのお裾分けを貰った後、茜色の空の下で海神 江流(ia0800)は上級からくり波美と連れ立って砂浜を歩いていた。子連れの多くは宿に戻り、恋人達や遊び足りない若者達が砂浜に残っている。
「そういえば、あんな風に連れだって歩いている時でしょうか」
「何が」
「江流が仕事仲間と一緒にいる時に、落ち着かないというか、苛々してしまったりとか。嫉妬という類のものに似ていると思う。人間の言うのとは意味が違うのかもしれないけれど……私は、主を愛しているわ」
 沈む太陽を背負った波美の表情はよく分からない。海神は暫くして口を開く。
「何があってもお前は僕の相棒だ。お前が飽きるまで僕の隣に居ればいい。だから泣くな」
「ふふ、からくりは涙など流しませんよ?」
「知っている」
 艶やかな髪に指を通し、高質の頭を軽く撫でた。

●修羅達の帰郷
 潮騒の音が聞こえる。
 海に近い家というものは、総じて建物を密着して建てる特徴があった。潮風と砂の侵入を防ぐ為である。一種の防波堤と防砂林の代わりとも言えた。海開きで賑わいを見せる海岸沿いは、日暮れになっても古ぼけた商店街の活気が失せない。一年のうちで最も稼ぎ時だからだ。国交が再開されて各国からの出入りも増加し、収益は鰻登りだという。
「里帰りするの、一体いつぶりかしら。ただいまー、……って、あれ?」
 扉が開かない。
 眉を顰めた呂宇子(ib9059)が力を込めて扉をひくが、やはり開かない。後ろの朱宇子(ib9060)が心配そうに「姉さん、どうしたの」と声をかけた。呂宇子は砂が噛んで動かないのかと思い、ガタガタと動かしていた。
 すると。
「あらぁ、呂宇子ちゃんと朱宇子ちゃんじゃないのぉ。まー、美人になって」
 通りがかりの近所のおばさんが声をかけてきた。双子が「こんにちは」とか「お久しぶりです」と挨拶をすると、皺の深い顔が嬉しそうにしつつ、驚くべき事を告げてきた。
「お母さんだったら、昨日からお出かけになられてるわよ」
「えぇぇぇえ!」
「母さんが!?」
「福引きが当たったらしくてねー、山間の旅館に二泊三日ですって。不在の間の郵便物を預かってるんだけど、持っていって貰えるかしら」
 呂宇子と朱宇子は目が点になった。
 ひとまず郵便物を預かり、自宅に戻った。母親が旅行中では、扉の鍵も開くわけがない。縁側の影に隠してある合い鍵を使って、玄関を開ける。無人の家は、懐かしい匂いがした。
「ただいまーっと。……っていうか、母さん泊まりで出掛けて大丈夫なのかしら? あんまり身体が丈夫な人じゃないし。や、調子がいいならそれに越したことはないんだけども」
 机に置いてある福引きの残骸を見たところ、涼を取るには良い場所だった。涼んでくると言うのなら、太陽の照りつける海沿いより体にいいのかもしれない。
 心配する呂宇子に対して、朱宇子は少し複雑だった。
 旅行に出かけられるほど調子がいい事については『元気みたいで嬉しい』と思う。けれど母の顔を見られなくて寂しいという思いが、胸に押し寄せてはひいていく。波のように。
「親離れできてないのかな、私」
「ん? 朱宇子、何か言った?」
「ううん。……っと、ひとまず晩ご飯を作るね。そんなに量は作らないから、姉さんは休んでて大丈夫だよ」
 郵便物の受け取りついでに野菜や魚を分けて貰った朱宇子が台所に立つ。家の窓を開け放った呂宇子は、縁側から見える海の煌めきに目を細めつつ、手持ち無沙汰で妹の所に戻った。
「夕飯準備するなら手伝おうか? 魚焼くくらいならできるわよ。…………たぶん」
 朱宇子は少し困ったような微笑みを浮かべる。
「……姉さん。姉さんが魚焼くと、丸焦げになっちゃうから。ゆっくりしてて」
 軽やかに阻止された呂宇子が何とも言えぬ顔で居間の煙管盆を持ち出し、煙管をふかす。
「……うーん、見事なまでに手持ち無沙汰だわ」
 花嫁修業でもした方がいいのかと真顔で考えつつ、火皿の灰をカツンと灰皿に落とす。
 ふと居間の影に置かれた三味線が目に付いた。猫の皮を使った良質の三味線だが、香木の白檀から削り出された特別な一品で、持つだけでふわりと甘い香りがする。呂宇子は何気なく三味線を拝借して、縁側に腰掛けた。遠い昔、海を望みながら母に三味線を習った。
「えーと、太いのから一の糸、二の糸、三の糸よね」
 べん、べべん、べん、べん、べん……
 指先が覚えている。
 潮風にのって聞こえてきた音を辿って、朱宇子が姉の背中を見た。珍しい、と思いながらも懐かしい音が胸を躍らせた。七輪の魚を焼きながら、音に合わせて地歌を口ずさむ。

「夏の夕の宿を立出て眺むれば雲居にまがふ沖つ白波……」
 ……蒸し暑い夏の夕暮れに庵を出て眺め渡すと、空の雲とみまがう沖の白波がみえるのです……