救われた子供たち〜分岐章〜
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 18人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/06/18 00:11



■オープニング本文

【★重要★この依頼は【アルド】【恵音】【結葉】【灯心】の年長4人と【イリス】【エミカ】【未来】【星頼】の年中4人に関与するシナリオです】


 運命の日も、雲は変わらず流れていく。

「別の暮らし?」
 孤児院の院長室に呼ばれた年長4人と年中4人、合計8人は目を丸くした。
「そうですよ。天儀という世界を知る為に、少しずつ皆さんに別の暮らしを体験させてみようという事になったのです。ホームステイと言って、町中にある別のお宅で暮らすのよ。長期の旅行だと思って頂戴。勿論、居心地がよい場所が見つかったら、そこで長く生活できるように手配するし……外の暮らしが合わなかったら、いつでも此処へ戻って良いのよ。少し寂しくなるけれど、皆と待ってるわ」
 穏やかに話す院長先生は、慎重に言葉を選ぶ。
 子供が不審がらないように。
 輝かしい期待を胸に抱えて旅立てるように。
「アルドと恵音、結葉と灯心については、条件付きで開拓者身分を認めるそうよ」
「本当!?」
「姉さん兄さん、おめでとう!」
 部屋が拍手喝采に包まれる。
 けれど利発な灯心達は「条件?」と問い返してきた。
「開拓者身分を認めるという事は組織に所属すること。一人前の大人として責任を負うことなの。自由気ままはいけないの。沢山の決まり事や護らなきゃいけない約束があるわ。眠たくなるくらい長い説明を、キチンと覚えなくては……できそう?」
「話によると思う」
「そうね。話に寄るわね。本当に頭のいい子だわ」
 院長先生が灯心の頭を撫でる。少しだけ寂しそうに。
「みんなをよく知ってる人達が、色々お話ししてくださるわ。だから納得できなければ、開拓者になんてならなくていいのよ。普通に旅を楽しんでいらっしゃい。帰りたくなったら近くの大人に相談してね」
 子供達の荷造りが始まった。
 元々持っているものは多くない。瞬く間に荷造りを終えて迎えを待った。

 +++

 最近、開拓者の間で再び噂になっている子供達がいる。
 通称『生成姫の子』――――彼らは幼少期に本当の両親を殺され、魔の森内部の非汚染区域へ誘拐後、洗脳教育を施された経歴を持つ『志体持ちの人間』である。
 かつて並外れた戦闘技術と瘴気に対する驚異的な耐性力を持って成長した彼らは、己を『神の子』と信じ、神を名乗った大アヤカシ生成姫を『おかあさま』と呼んで絶対の忠誠を捧げた。
 暗殺は勿論、己の死や仲間の死も厭わない。
 絶対に人に疑われることがない、最悪の刺客にして密偵。
 存在が世間に知られた時、大半が討伐された。だが……当時、魔の森から救出された『洗脳が浅い幼子たち』は洗脳が解けるか試す事になった。
 子に罪はない。
 神楽の都の孤児院に隔離され、一年以上もの間、大勢の力と愛情を注がれた。
 結果……子供たちは人の世界の倫理や考え方を学び、悲しい事に泣き、嬉しい事に笑う、優しい子に変化を遂げた。開拓者ギルドや要人、開拓者や名付け親にも、孤児院の院長から経過を記した手紙が届く日々。
 だが養子縁組も視野に入った頃に『生成姫の子』を浚う存在が現れた。
 名を亞久留。
 配下アヤカシ曰く、雲の下から来た古代人なる存在らしい。
 何故、今更になって子を浚うのか。誘拐を阻止した大勢の開拓者達の問いに、返された答えは『生成姫との取引報酬』『天儀と雲の下を繋ぐ存在になる』『我々の後継者である』という内容だった。
 だから『返せ』と。
 無数のアヤカシを使役し、行動に謎の多い、雲の果てから来た異邦人。
 そして国家間の会議の末に、有害とされた異邦人は討伐された。
 これで少なくとも直接的な脅威は排除されたと見ている。
 生成姫の子供達や神代、大アヤカシに干渉していた経緯を踏まえても。

 そして噂の子供達は、元の生活に戻っていた。
 開拓者ギルドや要人、開拓者や名付け親にも、孤児院の院長から経過を記した手紙が届く。

 +++

「宿に子供達が居ます。誰が何の部屋かは紙を見てください」

 子供達は一カ所に集められた。町から離れた山荘の旅館を貸し切っている。
 かつて初夏の沢登りでやってきた宿だ。
 寝床はみんな一緒。
 けれど『開拓者身分に関する説明』や『体験する別の暮らしの説明』という名目で、寝室の大広間から隣接した個室に一人ずつ待たせている。説明が終わった後、一室に集まって子供達も話し合いができるように……という配慮だ。
 大人の都合だけではいけない。
 約一年以上に渡って隠してきた真実を告げるのだから。
「そう言えば、今回事情を伝えて養子縁組が成されない子はどうなる」
「私の目の届く機関におく……となると知らず内偵が入るので外部ですね」
「一般人の所へは預けないのだろう」
「適任者に託すつもりです」
「適任者?」
 彩陣という五彩友禅を営む里に、腕利きの開拓者がいるという。
「まさか……霧雨か」
 御彩霧雨。
 柚子平の相棒だった陰陽師だ。
 アヤカシに脅迫されたとはいえ、開拓者ギルドへの背信行為などで身分を剥奪された。
「若長の霧雨君は罰則で殆ど力が使えないので、正確に言えば奥方ですね。預ける人数次第で何人か派遣は考えています。彩陣は古くから生成姫の話に精通していて口も堅い。外部の人間も余り招き入れませんし、陰陽師を数多く輩出してきた関係上ノウハウだけはある。魔の森に近いのが難点なくらいです」
 肩をすくめた。

「皆さんに丸投げになって申し訳ない。……幸運を祈ります」

 柚子平はそれだけ告げた。


■参加者一覧
/ 芦屋 璃凛(ia0303) / 酒々井 統真(ia0893) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 尾花 紫乃(ia9951) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / グリムバルド(ib0608) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 寿々丸(ib3788) / 紅雅(ib4326) / ウルシュテッド(ib5445) / ローゼリア(ib5674) / 宵星(ib6077) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / ゼス=R=御凪(ib8732


■リプレイ本文

●もしもの代償

 子供達が待つ部屋へ、開拓者達が歩いていく。
「私は皆を、子ども達を信じています。成功を心から願っています」
 励ましの声をかけた泉宮 紫乃(ia9951)は、何故か狩野 柚子平(iz0216)の所へ来た。礼野 真夢紀(ia1144)とからくりのしらさぎも同様に。
「確認しておきたいことがあります」
「なんでしょう、泉宮さん」
「もし子供達が話を拒絶して宿を飛び出したら……討伐対象になるのではありませんか」
 一瞬の沈黙があった。
 けれど狩野は誤魔化すことなく「そういうことになりますね」と短く返事をする。例えば年長者の開拓者身分を認める事に対して後見人が必要とされるのも、監視対象と見られているからだ。
 アヤカシに荷担した人間は死を持って処罰される。
 数々の賞金首と同じように。
「わかりました。では通路や出入り口などを手分けして監視いたします。ここで阻止できたなら、まだ可能性がありましょう。築き上げた信頼が強固なものなら、一時の衝動を阻止できれば……やり直せるかもしれません。その為に私の全てをかけましょう」
 備えておけば最悪の結果は防げる。
「憂いは無くしておきたいです」
 礼野が泉宮の隣に立った。
「皆、強い人ばかりだから阻止できるとは思うけど、外部介入される可能性がないとも言えませんし……万が一の事があっても、戻ることを示唆すること位はできると思う」
 話し合いの結果、礼野が屋外の死角でからくりとともに見張る事になり、泉宮と忍犬は屋内の出入り口や階段の要所で、全てが終わるまで見守ることになった。
「では頼みます」
「はい。……どうか、無意味な心配で終わりますように」
 泉宮の祈るような声が闇に溶けた。


●アルド
 アルドは狭い室内で睡魔を堪えて座っていた。襖を開けたフィン・ファルスト(ib0979)は思い詰めた眼差しでアルドを眺め、无(ib1198)は席について努めて冷静を装った。
「こんばんは」
「こんばんはアルドくん」
「こんばんは、アルド。開拓者身分の件は聞いたかな」
 何気ない挨拶すら緊張する。アルドは「少しだけきいた」と短く返事をした。
 无が冷めたお茶で喉を潤す。
「改めて話しておきます。開拓者はいわば萬屋でほぼアヤカシ退治を生業とする。何故か。アヤカシは人を食い糧とする。開拓者ギルドはこれに抗う人間の守護役だからね」
「あのねアルドくん。もちろんアヤカシ退治の他、場合によっては犯罪者捕縛や要人護衛の依頼で人と戦う事もあるんだ」
 アルドは「知ってる。前に見た」と依頼時の事を話した。
 ファルストが続ける。
「その事であなた達に伝える事、あるの。あたし、ある事件で……お役目で人を狙ったヨキさんを、そうと知らず止める為に戦ったんだ。その果てにあの人は自刃した」
 アルドや恵音達の話に度々あがる『ヨキ』という人物は、神代の穂邑暗殺の実行犯である。
 洗脳が完成した『生成姫の子』の一人と知ったのは後になってからだ。
 アルド達には姉も同然。
 それを死なせた。だからファルストは刺される覚悟をしていた。けれど。
「ヨキ姉さんが、お役目の後に自分で首を刎ねた?」
「そう。あたし……前に言ったよね、貴方たちがここにいてくれて嬉しいって。あの人と同じ辛い結末から遠退かせたくて、来てもらったの」
 アルドは小首を傾げた。
「何が」
「え」
「何が辛いんだ。ヨキ姉さんがお役目を果たしたなら、何も哀しむことなんて無い。お役目の中で肉の体を放棄するのは誉れだ、って里長様は仰っていた」
「そうじゃなくて。あたし、貴方たちがあの人と同じ結末に至る事を受け入れられなかった。だから……貴方たちのおかあさまとの戦ったの」
 眉を顰めたアルドが意図を計りかねている。
 无は言い添えた。
「アルド。まず君達への誤解を正さなくてはならない。私達は、おかあさまの子ではない。私達は人の中で生まれ育ち開拓者になった。君たちは人の中で生まれたが生成姫の里で育った。違いはそれだけです。けれど先ほど述べように、開拓者ギルドに所属する者は人の守護役であり、此を最優先事項とする」
 无は立場の違いを明確に示した。
「一年以上前、生成姫と人は生存を賭けて戦をし、之を斃した。故に生成姫はもういない」
 アルドの紫色の瞳が大きく見開かれた。
「嘘だ」
「嘘ではないよ。君が開拓者になれば、当時の記録も見せてもらえる」
「おかあさまは全能の山の神なんだぞ」
 无は慎重に言葉を選んだ。
 お役目や生成姫、姉兄を否定したり、過去を無駄と評することだけは避けた。
「否定はしないよ。生成姫は、確かに魔の森の母であり王だった。大勢のアヤカシにとっては全能の神にも等しい存在であっただろうね。けれど人間にとっては天敵でもあった。言ったろう、お互いの生存をかけて戦をしたと」
「……おかあさまは、負けたのか」
 ファルストは「うん」と短く告げる。
「誰に」
 无は「此処にはいないよ」と静かに囁く。
「生成姫と直接対峙した開拓者も、ギルドの旗本で、人を護る為の戦いをしたにすぎない。開拓者の肩書きを持つ者、皆同じ。けれど私達だって傷つけ合う未来は避けたい。人とアヤカシの間で悩み苦しんだ例は幾つか見てる。黙っていたのは……不安だったからです。真実を知る前にアヤカシ側だけでなく、人間側の暮らしを知っていて欲しかった」
 呆然としたアルドの頬に涙が伝った。
「君は今、選択を得ている。御役目を自分で選べる。だから私達と一緒に歩もう」


●星頼
 ウルシュテッド(ib5445)は星頼の手を取った。
「星頼は自分で考え意見できる子になった。外の世界でもっと多くを学ぶといい。だから大事な話合いをしよう」
 狼 宵星(ib6077)が微笑みつつ「ジルベリア行きの時のこと覚えてる?」と尋ねた。
 肩を震わせた星頼が「うん」と頷いたのを見て、ウルシュテッドが続ける。
「あの時の白冷鬼の言葉……聞こえていたかもしれないな。正直に言うと、あの言葉は正しい。生成姫と人は多くの犠牲を払い、数百年戦ってきた。俺たち開拓者は、皆の母を滅ぼした。大勢の命と幸せを……これ以上失わせない為に。黙っていてすまなかった」
 絶句している星頼を見て、宵星が身を乗り出す。
「星頼くん。皆はアヤカシと暮らしてきたけど……人がアヤカシに向ける感情は、怒られた理由が分からない時とか、一方的な力に対して、何だか怖くて納得いかない気持ちと似てるかもしれない。食糧、環境、寿命……考え方や生き方が違ったりすると喧嘩になったりするでしょう。でも誰が正しい訳でもないと教わりました。ただ水と油のように相容れない物もある。私も多くの人もアヤカシより弱くて、アヤカシが人を糧とするのを分かってても、食べられて殺されるのを受け入れられません。大切な人と会えなくなるのは……悲しいし、寂しいから、きっと皆同じね」
「今、お前は何が辛い? 先ずそれを解決しよう」
「星頼くん、知りたいこと全部話せてないと思うから、分らない事は何度でも相談しましょう。ね。私も皆に笑ってて欲しい」
 提灯南瓜のピィアを頭から下ろした星頼が、ぼろぼろと涙をこぼした。
「みんなと会えないこと」
 誰に、と尋ねる前に星頼が呟く。
「ぼく何度も試練を失敗した。倒せなくて、きっと倒せたんだろうけど、会えなくなるのが怖くて。そんなぼくに里長様は言うんだ。神の子として認められて、お役目を果たして、眷属になればもう一度会えるから……って。おかあさまの為とか、みんなやりたいことがあるけど、ぼくはただ……もう一度会いたかった、今まで倒したみんなに」
 鬼灯祭で星頼は願い事を書いた。
 それは『たおしたみんなにあいたいです』という一言だけ。
 いつか眷属になって皆に会う事が星頼の望みだった。
「もう、みんなに会えないんだね」
 ウルシュテッドは、星頼が今まで父母に化けた夢魔や競い合ってきた友を手に掛けてきたことを察して「そうだな」と短く返事をする。
「信じるものは皆違う。人は死後を知り得ず、笑顔で生きて触れ合える今を大切にする。お前が望むように」
 星頼は何も言わなかった。ただ瞼を伏せて、失われた思い出を心に浮かべた。


●灯心
 粗末な扉が果てしなく大きな壁に見えると、御樹青嵐(ia1669)は思った。
『……来るべき時が来ましたね。灯心さんはとても聡い子です。自分たちがここにいる事実や開拓者の仕事から薄々に事情は、勘付いているでしょう。それでも』
 向き合うしかない。
 灯心の待つ部屋には、御樹と紅雅(ib4326)、寿々丸(ib3788)の三人が向かった。
 寿々丸が「お久しぶりでございまする」と告げる。御樹達はまず開拓者身分について教え始めた。
「開拓者は人より優れた力を持っています。それを用いて人々を守るが仕事です」
 寿々丸は「そうでございまするぞ」と饒舌に語る。
「開拓者は、人々の役に立つのが仕事でする。悪者も相手にしますが、殆どがアヤカシ相手ですな。灯心殿は志体をどう思いまするか?」
「したい?」
 灯心に開拓者の持つ肉体的な特徴の説明を行い、更に尋ねた。
「灯心殿は力は誇示する為に欲しいのでするか? それとも傷付ける為でするか?」
「こじ? よく分からないけど、戦う力は必要なものだ。強くなければ群の上には立てないんだって、おかあさま達は言ってた」
 群れ、はアヤカシか人か、いずれにせよ力による支配の片鱗だ。
「己が身を護る為に……ひとを傷付けまするか?」
「身を護る為なら人でもアヤカシでも倒すよ」
「それは……寿々や、大兄様でも?」
「必要なら」
 灯心は凍てついた眼差しをしていた。
「倒したくないけど、倒さなきゃなけないなら誰とでも戦います。今までだって、ボク達はそうしてきた。悲しい思い出は増えるけど、ボクは何もせずに殺されるのは……嫌だ」
 寿々は白い耳をぺしょんと垂れた。
「寿々は、皆が幸せになる為に力を使うべきと思いまする。力を持ち……けれど、一人ぼっちになった人を寿々は知っておりまする。灯心殿は、何を大事に思い……何を求めまするか? 最後に何を持ちたいか……何を理想とするか……寿々は、灯心殿も護りたいし、幸せになってほしいですぞ」
 灯心は不可解気な顔をした。
「ボクが身を護る為に力を使う事が、幸せになる為に力を使ってないってこと? ボクが身を守らなきゃいけない時は、ボクの身が危険な時で、ボクが襲われたり殺されそうな時だ。ボクを害する相手はみんな敵だ。ボクが殺されない為に力を使うのが皆の幸せじゃないなら、そんな変な幸せいらないよ」
「そういうことではありませぬ〜、う〜難しいですな」
 伝えたい事が多すぎて、今一、正確に伝えることができない。
 この世には力を持っていても正しく使えない者が多いこと。だからこそ誰かが幸せになる為に力を行使して欲しい、ひいては人に愛されるような力の使い方をして欲しい、という話を掘り下げず……もしも誰かに襲われたら、相手が身近な人間でも己の保身を優先して傷つけるのか、と問いかけてしまった。
 内容の乖離と誘導の失敗だ。
 頭が煮える寿々丸のかわりに、紅雅達が話を始めた。
「最初に一つ。……私は、貴方を信じています。信じ続けます」
 灯心が益々眉を顰める。
「アヤカシは何故討伐されると思いますか?」
「秋のこと? ひとの生活を害したから」
「それも答えの一つですが……彼らは人を捕食し、悪戯に人を嬲る。それ故に、私たち人間はアヤカシを討伐する。生成姫はその頂点の一角として、大規模な戦が起こりました」
「人間を食べないアヤカシだっています」
 灯心がムキになって反論したのを見て、御樹が言い添えた。
「里にいたアヤカシは、灯心さん達を食べなかったかも知れません。けれど無闇に森には入ってはいけないと言われませんでしたか? お供は何の為にいたのでしょう。人を食べないアヤカシは稀です。アヤカシの大半は人間を糧として認識し、それ故に人とアヤカシの戦争は絶えません。生成姫の場合もそうでした。同じように戦争が起こり、その結果として生成姫は敗北し、我々の手によって滅ぼされたのです」
「ほろび、た」
 紅雅は「そうです」と浅く頷く。
「開拓者ギルドは生成姫を討ち滅ぼした。灯心は今でも……神の子に、なりたいですか?」
 黙り込んでしまった灯心は暫くして「おにいさんやおねえさんも?」と問い返してきた。
「……先に、里を卒業した神の子について、私達は詳しくは知りません。ですが寿々のいた陰陽四寮にも『いた』と聞いています。その方は生成姫と人間の間で思い悩んで、最期は処刑された、とか。貴方に同じ道を歩ませたくはありません」
 灯心と戦いたくない。
 その想いが紅雅達の胸に湧く。
「全ての物事に善悪はつけられない。けれど灯心、先ほど襲ってくる相手は誰でも敵だと言いましたね。私達は生きる為に、襲ってくるアヤカシを倒す。灯心も私達と同じ人です」
 紅雅の隣で、御樹は様子を観察しながら囁く。
「灯心さん。おかあさまは……彼女は私達、人との生存競争に負けたのかもしれません。でも灯心さんが、彼女をおかあさまと慕っていたこと、私は忘れて欲しくないのです」
「え」
「例えば……彼女を嫌う方は、世に大勢います。それは理由が伴うからです。傷つけられた、家族を殺された、彼らには彼らの理由がある。同じように灯心さん、あなたがおかあさまを慕った事にも理由があるはず」
「おかあさまは……綺麗で優しくて偉大で」
「彼女は灯心さん達には優しく、アヤカシ達には神にも等しかったでしょう。あなたの慕った気持ちは真でしょう。けれど同じ経験を持たない者には、それを理解することはできません。誰に理解されずとも、母を愛した温かい気持ちは忘れないで頂きたい。あなたはとても聡い子です。滅びた経緯を聞いてどう感じたにせよ、異なる立場と思想、この世には割り切れない物事がある事も踏まえて、答えを出せる子だと考えています」
 灯心は涙すら流さず、暫くして言った。
「戦争の話をきかせてください。最初から」


●未来
 未来とローゼリア(ib5674)は向き合っていたが、長く沈黙のままだった。
『怖い……未来が、真実を知った時、どう思うのか……でも嘘が嫌いという、あの子にこれ以上黙っていたくもない。互いに真に向き合う為に、話さなければ』
「う? お腹痛いの? 大丈夫?」
 未来は黙ったまま何も言い出せないローゼリアを気遣った。
 その気遣いすら胸に刺さる。
「いいえ大丈夫。未来、おかあさまの事で、話さなくてはならないことがありますの」
 ぴた、と未来の手が止まった。
「私たち開拓者とおかあさまは、ずっと敵として相見えて参りました。倒さなくては成らない相手でした。隠していてごめんなさい。真実を告げなかったのは、告げたら混乱しただろう為、そして共にある幸せを壊したくなかったから……でも、駄目ですわよね。嘘は」
「おかあさま、どうなったの」
「消滅しました。私達が滅ぼしたのですわ。あなたから母を奪ってしまった」
「消えちゃったの?」
「ええ」
「おかあさまが敵なら、あたしも敵じゃないの? なんであたしを滅ぼさないの」
「そんなことしませんわ。愛するあなたを殺すわけがありません。……私は貴女が好きです、未来。貴女に嘘を付くこと無く傍にいたい。だからこうして……」
「あたし、おかあさまに『好きだ』って言ってもらったこと無い」
 未来は俯いたまま呟く。
「殆ど会ったことも無いの。おかあさまに会えるのは神の子だけ。ずっと一緒だった狼をおかあさまの為に殺しなさい、って里長さまに言われた時、よく分かんなかった。ずっと、なんで戦ったり、友達を倒さなきゃいけないんだろうって、思ってた。でも神の子になれば分かるって皆が言うの。おかあさまに会えるまで辛抱しなさいって」
 未来はローゼリアの顔を見た。
「あたし、おかあさまきらい。痛いことや辛いことばっかりさせる。でもねーね達はおかあさまが大好きなの。みんなになんていえばいいの。バラバラになっちゃう」
 膝を抱えた未来をローゼリアが抱きしめた。
「バラバラになどさせませんわ。他の大人が話していますもの。あなたは何も心配しなくていいんですの。身勝手だけれど……嘘をついた私を許してくれますか?」
 未来は「嘘はきらい」とキッパリ告げた。
「でも今の嘘は心が痛くない」


●結葉
 酒々井 統真(ia0893)と弖志峰 直羽(ia1884)が向き合っているのは結葉だ。
「開拓者身分に関する事から話すか?」
「そうだね。結葉、昨年の秋に開拓者の仕事を見学したよね。その時の事をおさらいしてみようか」
 弖志峰が開拓者の責務について再確認を始めた。
 開拓者は人の命を守る為、アヤカシを討伐するのが主な仕事であること。付随する責務と許される権利の数々。ギルドへの背信行為や依頼妨害は、厳罰であり禁忌であること。
「だからね。人々の立場や心情を慮る事の大切さ、仲間との絆、開拓者は常に人の世によって立つ者と心得て欲しいんだ」
 結葉の様子を見ていた酒々井が問うた。
「結葉。もし俺が自分の思想の為に、多くの人々の幸せを傷付けたら、俺を倒せるか?」
「ギルドから討伐を命じられたらってこと?」
「組織命令ってのは常々遅いもんだ。命じられなくても判断を迫られる事は多い」
 結葉は真剣に悩みこんだ。
「倒せる、と思う。でも自信ない。私はおにいさまより弱いし、それに」
「これは技量の問題じゃないぜ。覚悟の問題だ。人間社会の安全を託された開拓者ギルドの持つ天秤は大きい。より多くの人間の幸せを護り続ける。それ故の選択を迫られ、所属する開拓者は意向に従う」
 酒々井は極めて事務的な言い回しを選んだ。
「従って多くの人の幸せを揺らがすが故、開拓者ギルドは生成姫と戦い、倒した」
 静寂が降りる。
「……何、言ってるの」
 結葉の表情から感情が消えた。
 弖志峰が「黙っていてごめん」と伏して詫び始めた。
「衝撃的な話だと思う。今まで沈黙を守っていたけど、今の結葉なら受け止められると判断して話したんだ」
「結葉、俺達が今まで話さなかったのは、開拓者がそうまで守る人としての幸せを実感し知って欲しかったからだ」
「永遠のおかあさまを、開拓者ギルドが倒した? 変な嘘つかないでよ」
「嘘はつかねぇ。ギルドには、生成姫が人間社会に対して、どんな行いをしてきたかの事実だけを記録した報告書がある。あれが神の奇跡だと語る事象の影で、どれだけの人間が幸せを失っていったのかも、全部な」
 結葉は「そんなはずない!」と叫んで立ち上がった。
「おかあさまは優しいもの! おにいさま達はおかあさまを裏切ったの!?」
「裏切った、という表現は正しくないかな。元々俺達は配下ではないから」
 弖志峰の言葉に、隣の酒々井は「だな」と短く返す。
「結葉。生成姫はお前達には優しかったかもしれねぇ。でも他人全てに優しかった訳じゃねぇんだ。お前だって『おかあさまが里の外で何をしているか』は直接見たことはなかったはずだ」
 責めるような眼差しが動揺に揺らいだ。
 すとん、とその場に座り込む。
「知らないだろ?」
「……知らない、けど、里長様だってみんな、おかあさまは皆の為に……」
「何をしていたか、直接見せてくれた事はあるか? 秋に俺達が仕事を見せたように?」
「ないけど、おかあさまが嘘をつくわけない!」
 酒々井は長い経験を順番に話す過程で、責めたり否定に繋がらないように言葉を選んだ。
「そうだな。あいつらは不思議と『嘘』はつかなかった。けど全てじゃない」
「……どういうこと?」
「俺達は長いこと生成姫を追っていた。結葉が幼い頃からだ。神様は無闇に人前には現れないもんだろ。奇跡を成した痕跡を辿って、本当に生成姫が存在するのか、どうして奇跡を起こすのか、理由をききたかったのかもしれねぇな。そうして遂に生成姫に出会った」
「おかあさまと?」
「俺達は生成姫へ捧げられた娘を、心配する恋人の所へ帰そうとした。そして皆で森に招待された。里長に言われたぜ。
『ここは姫様の森。そこな無礼者共と、日没までに森を抜けてみせよ。さすれば、そなたの勇気を認め、娘を裂かずに解放してくださるぞ。失敗すれば不敬の罰として貴様の命も貰う』……てな。
 俺達は里長と生成姫の試練を乗り越えた。
 確かに女を無傷で帰してくれた。けれどもう死んでいた。体に魂が入っていなかった……命だけ食われちまったんだ。あの時に奥さんを奪われた旦那さんはまだ生きてるぞ。俺の話が信じられないなら……直接聞くか?」
「そ、んな」
「奴らは嘘はつかなかったが、それだけだ。生成姫の言葉を信じた人間は沢山いた。善人も悪人も神の奇跡に縋った。けれど結果的に不幸にしかならなかった。奇跡を都合良く解釈した人間が悪いのかも知れねえ。けど大勢が大切な人を失ったのを見て、開拓者ギルドは生成姫に戦いを挑むことを決めた。生成姫が倒されたのは戦の結末だ」
 ぽたた、と透明な涙が落ちた。
 俯いたまま着物にシミを作っていく。
「おにいさま、誰が悪いの。おかあさまが悪いの? 人間が悪いの?」
「さあな。それは結葉が自分で確かめるしかないぜ。開拓者が人間を守る為にアヤカシと戦うのは仕事だが……何が正しいかは、まだ誰も答えを出せていないしな」
 結葉が着物の裾を握りしめた。
「おかあさま、もういないのね」
 弖志峰は「うん、そうだよ」と囁く。酒々井が登録書類を机に置いた。
「どうする、結葉」


●イリス
 部屋に現れたゼス=M=ヘロージオ(ib8732)は「話をする前に抱きしめてもいいだろうか」と尋ねた。イリスは首を傾げつつもヘロージオに近づく。抱きしめたイリスに囁きかけた。
「お前だから全てを話そう」
「お出かけの事?」
「去年起こった戦のことだ。お前達を里から都へ連れ出した時、本当は何があったのか」
 ヘロージオは端的に戦に至る経緯を述べた。
 神代と呼ばれる巫女が襲われたこと。その時、生成姫に育てられている人間がいる事が世間に知れ渡ったこと。イリス達の姉貴分や兄貴分がアヤカシを引き連れて街を襲ったこと。大勢が死んだこと。戦の最中に、子供の教育を任されていた里長……上級アヤカシ鬻姫が生成姫に反旗を翻したこと、放棄された里の存在を知り、大勢が救出に向かったこと。
「その時の子供が私達?」
「そうだ。生成姫の命令でなく私達の判断で皆を連れてきた。会えなくなるかも、と考えたら怖かった。言えなかった……隠し事をしていて本当にすまなかった。もう一つ言わなければならない。……よく聞いてくれ。生成姫はもういない」
 イリスが身じろぎをして、ヘロージオを見上げた。
「船の話は、本当だったのね」
「そうだ。開拓者達は生成姫をうち倒した」
 イリスの瞳に哀しみが宿る。
「じゃあ私達も処分されるの? その為に此処へ呼ばれたの?」
「それは違う。確かに、お前達を嫌う大人がいるのは事実だ。生成姫にぶつけきれなかった憎しみや哀しみを、醜い感情を持てあます者もいる。だがイリス、お前は『育てられた』というだけだ。生成姫や兄姉の罪とは関係がないんだ」
「私達を殺す為じゃないなら、なんで話したの」
 イリスの瞳は静かに訴える。
「これからも共にいたいからだ。共に生きていたい。隠し事無く、本音をぶつけ合って、お前を知っていく為に。その為に、全てを話した。母を殺した者が憎いなら、俺にぶつけると良い。お前が怒りを抱くなら、それは自然なことだ。我慢しなくていい。俺はそれを受け止めると決意した。ぶつかりあう事で嫌いになったりしない。離れないと誓おう、その首飾りとお前自身に。お前が大切だから」
「全部知った私を、なんで大切だと思えるの。戦術の授業で、ひとつの集団に勝利するには、全て根絶やしにするべきだって教わった。私を危険だとか邪魔だと思わないの?」
「誰かを愛することに理由などいらないだろう。俺はお前と歩む将来に後悔などしない」
 ヘロージオは腕に力を込めた。
「……俺と生きていくのは嫌か?」


●エミカ
 姉妹のエミカと向かい合っていたのはフェンリエッタ(ib0018)とケイウス=アルカーム(ib7387)だった。アルカームは普段通りを心がけていたが、その拳は震えていた。
『しっかりしないと。一緒に生きていく為に、話すって決めたんだから』
「や、エミカ。外で暮らすことになったんだってね」
「うん……そう。ケイ兄さん達が、説明なの?」
「まあね。外の世界に出るのは俺も賛成。きっといい経験になる……エミカ、君に話さなきゃならない事があるんだ」
 アルカームが深呼吸一つして語りかける。
「もう気づいているかも知れないけれど……生成姫はもういない。人をたくさん傷付けて倒されてしまった。生成姫を倒したのは……開拓者だ。俺達は人だから、人に危害を加える彼女を放っておけなかったんだ。……隠していて、本当にごめん」
 黙り込んだエミカにフェンリエッタが話しかける。
「アヤカシは人を糧とし襲うでしょう?」
「里長様たちは私達を食べなかった」
「そうかもしれない。でも開拓者は大勢の命と幸せを守る為にアヤカシと戦い、滅ぼし滅ぼされてきた歴史がある。生成姫はなぜ敵対者の子を育てたかと思うかしら。肉親を殺して浚い、戦を手伝う役目を与えてた事実、その真意は私には分らないけど……」
「里へ引っ越した後、ととさまとかかさまを試験で殺したのは私とイリスよ。おかあさまじゃない。浚われたんじゃない。私達は選ばれたの。勝手な言いがかりはやめて」
 ギッ、と睨み据えた。
 説明の過程でフェンリエッタは話を端折りすぎた。
 だがエミカは襲いかかるような事はしなかった。深く深呼吸して淡々と言葉を吐く。
「……おかあさまが滅ぼされた事……嘘だったらいいなって思った。イリス達と何度も話し合った。本当だったら、私達は処分されるでしょ」
 アルカームは「そんなことないよ」と告げた。
「君達は生成姫に育てられたけど、君達が同じ事をするとは俺は思わない。俺はこれからも君達と一緒に生きたいと思ってる……この話をしたのは、その為に必要だと思ったからなんだ。知られたらエミカ達に会えなくなるかもって思ったら、怖くて言えなかった」
 告白への恐れを告げたアルカームの横で、フェンリエッタが囁く。
「私達はこの一年、エミや皆と過ごしてきた。楽しく遊び元気に笑っていて欲しいから。これからも、と願ってる。ここでの話、皆と相談して考えてみて」


●恵音
 恵音の待つ部屋にはグリムバルド(ib0608)とアルーシュ・リトナ(ib0119)が現れた。
 初めて会う羽妖精の思音と猫又クレーヴェルが恵音の傍らを占拠する。
『……さて。伝えたい事、上手く伝えられると良いんだけどな』
 グリムバルドが開拓者身分について説明を始めた。
「さて、恵音。この書類に署名すれば、君は晴れて開拓者の仲間入りだ。けれどその前に話しておかなきゃいけない事がある」
「決まり事……よね」
「それもある。開拓者の仕事はアヤカシや怖い人と戦う事……それだけじゃない。恋の悩みの解決だったり、病を治す手助けだったり。本当に様々だ」
 恵音は「恋の悩みもあるのね」と感心していた。
「共通しているのは……依頼をする人は自分だけじゃどうにも出来ない事を、助けてほしくてやってくるって事かな。そういう力無き人々のささやかな日常を、笑顔を守る助けになるのが……開拓者の仕事の大事な所だと思う」
「そういうお仕事ならできそう」
 真摯な表情でグリムバルドの話を聞く恵音を、リトナは陰鬱な表情で見ていた。
『恵音。私達は多くの命を守る為に……あなた達に憎まれても仕方ない事をした。でも、私は変わらずあなたのお母さんでいる。決めたもの。命懸けで向き合うって。願うことは……ただ一つ』
 幸せに生きて欲しい。この世界で。
「ルゥ」
 グリムバルドがリトナの肩に触れる。恵音の青い瞳がリトナを見ていた。
「大事な話って、なあに? おかあさん」
 疑いのない澄んだ瞳。
「話しておかなければならないことがあるの」
 深呼吸一つして語り始めた。
「アヤカシは人を糧とし、瘴気の中で力を得る。貴方達は特別で。だけど普通の人や動物も、瘴気の中で生きられない。共存はできない。今も昔もアヤカシと人の争いは尽きなかった。おかあさまはアヤカシの王の一人とされていたわ。人の世を望む生成姫は強大で、だからこそ多くの開拓者達が挑み……消滅したの」
「なに、それ」
「今だけでは話しつくせないことが沢山あるの」
 恵音達は、ずっとアヤカシと共存してきた。
 否、共存している風に見せかけられていただけで、実際は違う。けれど何故、一般人とアヤカシが相容れないのかは兎も角、おかあさまと共存できないと言う結論にいたるのか理解が追いつかないようだった。
「ずっと……皆がいなかったのは……おかあさまと戦っていたから? おかあさまを……倒そうとしたからなの? みんなでおかあさまをいじめにいったの!?」
「それは違うぜ」
 グリムバルドが助け船を出す。
「開拓者ギルドが生成姫に戦いを挑んだのは、ずっと前のことだ。最近まで俺達がいなかったのは、冥越国へ戦で行っていたからだし」
「じゃあ、いつ?」
「恵音、貴女が本来育つ筈だったこの世界を見て欲しいから……私達はあなた達を都へ連れてきたの。初めて会った時、戦の真っ最中だった。私達は、仲間の情報であなた達の事を知った。同じ頃に、あなた達の教育を任されていた里長が生成姫へ反旗を翻した。森で暮らしていたあなた達をそのままにしておけなかったんです」
 恵音の耳には殆ど話が届いていなかった。
 理由を濁されたまま、小さな頭が理解できた事は『開拓者が生成姫を消滅させた』ということだけ。
「ずっと……嫌われたんだって思ってた、いらない子になったんだって、だから迎えにきてくれないんだって……おかあさまが、消滅した? 開拓者がおかあさまに挑んだ?」
「恵音」
「さわらないで!」                         
 抱きしめようとしたリトナの手を恵音は払いのけた。
「開拓者が……おかあさまをいじめた。兄さんや姉さんも開拓者だった。お役目で開拓者になったって……言ってたのに、おかあさまを裏切ったの? みんなで……おかあさまを? 私、何も知らないで……ずっと、う、あ、ぁあああ!」
 恵音は畳に拳を叩きつけた。
「知ってたら助けに行ったのに、私だけでも、一緒に……おかあさまの、娘なのに」
 リトナとグリムバルドは、背筋が冷えるのを感じた。
 呆然と眺めながら心は妙に冷静だった。恵音の瞳が憎悪に燃えていくのが手に取るように分かる。
「……どこ」
「え」
「おかあさまに歯向かった奴はどこ。私は神の子よ。今も昔もおかあさまの為に全てを捧げるのが役目よ! 教えてくれないなら自分で探す! おかあさまの敵を消してやる!」
 獣の如き俊敏な動きで扉を目指す。
 咄嗟にグリムバルドが恵音を押さえ込み、リトナが体を抱え込んだ。
「人だけが正しい訳はない……けど、貴女には生きて幸せになって欲しいの。人の側で」
「放して! おかあさまあぁあ!」


●異変
 恵音の叫び声が廊下に響いた。待機している者達にも緊張が走る。
 そんな時、がらりと扉が開いた。灯心や結葉だった。
 灯心は歩み寄り……
 ぱぁん、と派手な音が響いた。恵音の頬が赤く腫れていく。
「なにするのよ!」
「うるさい。夜は騒いじゃだめだって先生に言われたろ」
 平手で打たれた恵音は「そんなことよりおかあさまが」とまくし立てようとして「知ってるよ、聞いた」と返され、放心状態になった。
「なんで……平気なの。おかあさまを助けようと思わないの」
 灯心は無表情のまま首を傾げた。
「今更?」
「な」
「おかあさまが滅びたなら、仇討ちは姉さんの気休めだろう。姉さんは一人で皆を倒せるのか。みんなを倒せばおかあさまは帰ってくるのか。違うだろう。自分の勝手にボクや弟妹たちを巻き込むな。死にたいなら死なせてあげるけど、おかあさまがいないんじゃ、死んでも眷属になれない。少し頭を冷やしたら」
 驚くほど冷徹な言葉だった。
 泣き腫らした顔の結葉が現れて、器の冷水を布巾に零して濡らすと恵音の頬に当てた。
「痛そう。大丈夫?」
「結葉もおかあさまのこと聞いたの?」
「うん。おにいさま達の仕事とか、おかあさまが里の外で何をしてたか、ちょっとだけ」
 聞かされた話が少しずつ違うことを悟ったのか、灯心たちは恵音を連れて、アルドと年中組が待つ大部屋に籠もった。
 子供達だけの会議だ。


●それから
 子供達が閉じこもって、長い時間が過ぎた。
 空は白み始めている。次に扉を開いた時、子供達が一斉に殺意を向けてくるのではないかと、開拓者達は恐ろしくてたまらなかった。子供達が人間の敵に回ると決断したら、彼らには為す術がない。
 処分しなければならない。
 それが決定事項だ。
 すっと襖が開いた。
 陰鬱な表情の恵音がリトナとグリムバルドの所へ歩いてきた。
「手、叩いて……ごめんなさい。これ」
 それは恵音用の登録書類だった。署名欄に名前はない。
「勝手に怒って、勝手にやめて、ごめんなさい。私……開拓者にならない。開拓者がおかあさまと戦う理由は分かった。けど、私はおかあさまの娘で、おかあさんだけの味方はできないって思ったの。だから開拓者にはならない。私、何もできないけど、おかあさんの子でいてもいい? やっぱりもうきらい?」
「いいえ……いいえ、恵音。何があっても、私はあなたのおかあさんです!」
 リトナは恵音を抱きしめた。
 恵音は開拓者になる決断は、できなかった。けれど人の暮らしを続けることを望んだ。
 次に結葉が登録書類を持ってきた。
 弖志峰と酒々井が見せられた紙には名前があった。
「理由をきいてもいい?」
「強いお婿さんを捜すから。あとね、おかあさまが……傷つけた人に、ごめんなさいをしていくには、開拓者が一番いいかなって。私、何もできないかもしれないけど、おかあさまが『ごめんなさい』をできないまま消えたなら、私が『ごめんなさい』すればいいわ」
 泣き腫らした顔で告げる結葉は、今だ生成姫への情を抱えていた。
 だが育ての親の罪を着ていく決意をできるほどに強い娘に育っていた。
 アルドは无とファルストに、灯心は御樹と紅雅と寿々丸に書類を見せに行った。
「君は開拓者になる決意をしたんだね、アルド」
「旅をするのが、俺のやりたい事だから。それに灯心と色々調べるって決めたんだ」
 灯心は署名をしていたが『ボクは開拓者になる。だけど開拓者にはならない』と書き添えていた。
「どういう意味です?」
「開拓者として登録して、普通のお仕事はするけど、アヤカシ討伐はやらない。前に、やりたくない仕事はやらなくてもいい権利があるってきいた。ボクは答えが出るまで依頼でアヤカシは倒さない。
 どうしてアヤカシは人を食べなくてはいけないのか。
 食べないアヤカシとの違いは何なのか。
 どうしておかあさまは滅ぼされなければならなかったのか。
 おかあさまは本当に滅んだのか。
 共存は不可能なのか。
 ボクは陰陽師の研究者になって、それを全部まっさらにしてみせる。だから開拓者になって五行に行って陰陽寮に入ります」
 この世の真理を解き明かそうと決めた灯心に、何人かが絶句した。
 誰も到達したことのない問題だ。
「ま、いいでしょう」
 柚子平が登録書類を回収した。
 八人中、三人が開拓者になり、五人は市井におりることが決まった。
 名付け親の存在が明らかにされ、明日からの暮らす先を選ぶように言われた。

 恵音はリトナの養女に、結葉は自立するまで酒々井と弖志峰の家を行き来し、アルドは无の家に居候になり、灯心は紅雅の宅で入寮目指して勉学に励むことになった。
 星頼は名付け親ウルシュテッドの養子となり、イリスは名付け親ヘロージオの養女に、エミカはアルカームと暮らしていくことを選んだ。
 フェンリエッタがエミカの手を握る。
「エミ。今日、あなたには二人の家族ができたわ。これって凄いことよ。一人は名付け親の私、もう一人は貴女が一緒に暮らしたいと強く願った彼。もうお父さんね。いつでも会えるわ。花のように笑顔を咲かせて会いに来て。ケイウスさん、エミをよろしくお願いします」
「もちろん! エミカ、早速だけど朝御飯なに食べたい?」
 未来はローゼリアの養女になる事がほぼ決定したが、お目付役の相棒2体が決まるまで彩陣に預けられることになった。既に呼び出されて待ちぼうけを食らわされていた御彩霧雨が「おーす、久しぶりー」とローゼリアに話しかけてきた。
「来てたんですのね。いいですわ。わたくしの大事な娘を泣かせたら承知しませんわよ」
「へーい。早めに迎えにきてやれよ」
「奥方はどうしましたの」
「友禅の納品」


 白む空に太陽が昇る。
 神楽の都で、新しい一日が始まる。