疲れた君の野暮用事件簿
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 7人
サポート: 5人
リプレイ完成日時: 2014/05/08 22:30



■オープニング本文


 厳しい戦いだった。誰もが口を揃える。
 魔の森では熟練の開拓者ですら、己の力量を見誤ったり、気のゆるみや過信ゆえに命を落とす……そういう恐ろしい場所である事に変わりはない。長期滞在は命を削り、瘴気が体を蝕んでいく。この深刻な汚染は、精霊系の相棒のみならず、半ば瘴気で構成された人妖や機械、からくりにも影響を及ぼす。
 身に降りかかった瘴気を清めるにはギルドの助けが必要不可欠だった。
 汚染された空気から、故郷とも言うべき神楽の都の空気を吸った時の開放感。
「お疲れ様ー」
「お疲れ様ー」
 重度の瘴気汚染から救われてギルドを出た。
 そういえば長期不在で食料庫は空っぽ。馴染みの店で朝食をとり、人で賑わう市場へ買い出しに出かけ、武器の修理に鍛冶屋へより、万商店で新しい武器や防具を眺めて、帰る頃には、空の色が茜色に染まっていた。

 太陽が沈む……この世はなんと美しいのだろう。
 瞬く空を背にして上空を飛ぶ飛空船の影を、永遠の絵画に止めておきたい。
 やがて釣瓶落としのように太陽が沈み、星が輝く満天の星空に出会える時間がくるだろう。

「ちょっとまったー」

 聞きなれた受付の声がした。
 ささやかな夢が、砕け散る音がきこえる。

「……あれ? 空耳?」
「現実逃避しない。瘴気汚染を浄化した相棒のお迎え忘れてるわよ」
「あ」
「ついでにこの仕事やってくれない? どれでもいいの。簡単だから、ね」

 やはり空耳にすべきだったかもしれない。
 野暮用を押し付けられた後、相棒を迎えに行った。
 馴染んだ石畳の小道を抜けて、神楽の都の自宅へ帰った。
 まずは夕食の準備をして、銭湯へ出かけるのもいいかもしれない。
 ただいま我が家。我らが帰るべき場所。

 鍵を手に持ち、玄関に手をかけて。

「ただいまー」

 ピシャリッ。
 家の戸がしまった。


■参加者一覧
胡蝶(ia1199
19歳・女・陰
ルオウ(ia2445
14歳・男・サ
サーシャ(ia9980
16歳・女・騎
ロムルス・メルリード(ib0121
18歳・女・騎
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
刃兼(ib7876
18歳・男・サ


■リプレイ本文

●萌ゆる休日
 晴れた日は、整備に最もふさわしい日だとサーシャ(ia9980)は思う。
 肌寒い冬の名残が遠ざかり、今は春真っ盛り。
 アーマー人狼改のコックピットから望む近隣の平垣や屋根には、野良猫や飼い猫がごろりと腹を出して寝そべっていた。ひだまりで過ごす怠惰な時間が猫たちには極楽であるように、サーシャにとって戦の心強き友アリストクラートを整備する時間は、なにものにも代え難い。
 部品の掃除、分解、傷ついた外装の塗装……
 複雑な調整は専門技師に頼まねばならぬにしても、愛機の掃除は己の手で終わらせたい。
「ふ〜〜、こんなものですかね」
 アーマーケースにアリストクラートを格納し、整備屋に半日ほど預けて調整を頼む。
 戦の中で整備不良が発生しては困るからだ。
 自主掃除で浮かせた整備費で食材や嗜好品を買い揃え、整備が終了するまで自宅で過ごす。
 身の回りにお菓子やお茶、必要な全てを用意したサーシャは絵巻をごろごろ並べた。
「いやはや。いろいろ大変だったからこそ、妄想が捲るのですよね〜、ふふ」
 普通の絵巻ではない。
 素人作家の描いた、同人絵巻である。
 先日、神楽の都で行われた開拓ケット(カタケット)の戦利品を、優雅に眺める。
 白磁の茶器に琥珀色の紅茶、香り高い茶葉のクッキー、そして萌ゆる妄想の結晶たち。
「ああ……今日はもう動きたくありませんね」
 至福。
 ぼくらが考える最強のアーマー的な妄想を巡らせながら、サーシャは誰にも邪魔されない屋内で感悦の時間を過ごした。これほど満たされる時間はまたとないが……うっかり絵巻にのめり込みすぎて、アーマーの受け取り時間に遅れるのは毎度の話であった。


●変わりゆく日々
 茜色の太陽が、神楽の都へ夕闇を運んでくる。
 市場へ配達を済ませた胡蝶(ia1199)は、そのまま食料を買って帰ることにした。
 旬の鰹、筍等の山菜、瑞々しい果実。朝食にパンも素敵かもしれない。
 合戦中は大したものが食べられない都合上、自宅へ帰った時に食べられる新鮮な料理は楽しみの一つと言える。道端の若者から瓦版を買い込み、終えたばかりの戦の記事を眺めて驚くことも多い。
「相変わらず瓦版屋は耳が早いわね。活躍した開拓者の名前がこうして載っているのをみると、負けてられないって気持ちになるけど……さすがに疲れたわ」
 合戦を終えて都に戻り、小隊員を送り届けて、お使いをこなす。
 疲れない方がおかしい。
「今日と明日ぐらいは自宅でゆっくり過ごしましょう。ただいま」
 大木から切り出した風情ある柾目の看板には『胡蝶庵』の文字が彫られている。
 門をくぐると、花々咲き乱れる庭が胡蝶を出迎えた。主人不在の間は、相棒達や小隊員が手入れを欠かさない花園の果てに、小隊『紫紋』の拠点としても使っている庵がある。
 土間に立って火を入れ、夕食の為に包丁を振るいながら、考える事は昔の思い出。
「昔は手抜き料理なんてさっぱりだったのに、変わるものね」
 料理の手つきも、作る食事も、随分変わった。
 使い慣れた皿に夕食を盛り付け、ジライヤのゴエモンをひょっこりと呼び出す。
「なんでぃ、お嬢」
「夕食ができたわ。少し話に付き合いなさい」
「へぇ、今夜はタタキか。昔は魚を三枚に下ろすだけでボロボロだったのにな」
「ひとこと余計よ」
 済ました顔で軽口を叩き合う。
 他愛もない会話と何気ない時間。
 けれど呼び出されたゴエモンは、それが一種の気遣いである事を理解していた。瘴気感染の後遺症や怪我の具合、そういったものを確認している事を視線から感じるからだ。
「ごちそうさまでした。ゴエモン。私お風呂に入ってくるから。好きにしてなさい」
「構わねぇけど、また術ぶち込んでカマド壊すなよ? ボヤ騒ぎはご近所迷惑だぜ」
「手加減ぐらいできるわよ」
「術の否定はしねぇんだな」
 生ぬるい眼差しで見送るジライヤが後を追う。
 主人の肩の力を抜く為にも、一日の最後にオチは必要だ。
 などと無駄な使命感が災いしたのか、召喚時間が切れた。
「時間切れかよ! オチもつけずに消えるのか……あと1歩、無念だ……ぜ」
 風呂場で髪を洗っていた胡蝶が顔を上げた。
 窓の外から何か聞こえた気がしたが、今は虫の音も聞こえない。
 空はすっかり鈍色で、蜜蝋色の月が瞬いていた。
「星でも見ながら、寝るまでのんびりしようかしらね」
 ちゃぷん、と湯船が音を立てた。


●幼き君にさよならを
 頼まれた野暮用は荷物の配達だった。
 最後に残った宛名はロムルス・メルリード(ib0121)がよく知る相手。
 自宅の前を通りすぎ、数件先の近所……ネリク・シャーウッド宅の戸を叩く。中から現れたシャーウッドは驚いた顔をしたが、荷物を見て表情が鮮やかに変わり「上がっていけよ」と幼馴染を招き入れた。
「ネリクが取り寄せなんて珍しいわね。それなぁに?」
 春真っ盛りでも、夕暮れ時の風は冷たい。
 しゅるりとショールを椅子にかけたメルリードは手元を覗き込んだ。
「希儀産のオリーブオイルやハーブなんかを色々な。丁度、農場に献立を考えてたんだ。これから夕飯作るから、折角だし食べていけよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。海老の殻剥きくらいなら手伝うわよ」
 シャーウッドの傍らで指導を受けながら、料理の下準備を手伝う。
 エビの殻を剥いて、爪楊枝で背ワタを抜き、むき身を小麦粉にまぶしてから水で洗う。
 昔は料理が不慣れだったメルリードも、片田舎の農場で仕事をするようになってから随分変わった。
「ミゼリ、そろそろ……落ち着いたかしら」
 メルリードの瞳が陰る。
 身を守る代償に、記憶を失った愛すべき家族。
 いつか元に戻るとは言われているけれど、記憶がまっさらな娘を落ち着かせるのが先だ。故に落ち着いた頃に、一旦距離を置いた皆を呼ぶ事になっていた。
「じきに連絡がくるさ」
「そうね。農場の為に何ができるのか、ミゼリに対してどうしたらいいのか、考えておかなくちゃ。きっとこれからも迷うことはあるかもしれないし、後悔することもあるかもしれない……それでも、前に進んでいかないとね」
 海老の汚れを洗い落とした桶の水は濁っていた。
 まるで悩みを抱える心のよう。
「私たちを家族と言ってくれた……あの子たちと一緒に。で、この海老どうするの」
 メルリードがシャーウッドを見て首をかしげる。ごく自然に、料理は出来上がった。
「なぁロムルス。俺達はミゼリの家族になったけど、それって俺とお前の場合はどうなんだろうな?」
「私とネリクの場合? 確かに家族みたいなものかもね。私もネリクも、ミゼリたちにとって家族って事なら、私達も家族って事になるかしらね……ふふ、賑やかに違いないわ」
 微妙に会話がすれ違う。
 シャーウッドは浅く肩を落とす。
「ロムルス。
 俺は……ずっとお前と一緒にいれたらな、と思ってるよ。
 農場は勿論だし、朝も昼も夜も、こうして一緒に食事をしながら、年老いていけたらいいと考えてる。
 お前がそう思ってくれるなら……嬉しいかな」
 沈黙が漂う。
 流石のメルリードも慌てだした。
「えっと、それってその、つまり……わ、私たちってさ、親同士が仲良かったから小さいころから、ずっと一緒で……今もこうやって自然と一緒に居て。た、多分、これからもそうなのかなって、なんとなく思って……いいえ、むしろ一緒に居ない事の方が、想像できないくらい。だからその……」
 シャーウッドは辛抱強く待った。
 返事は待てる。
 待てるけれど、この沈黙は辛い。
 必死に言葉を探していたメルリードは、やがてちらりと見慣れた顔を一瞥する。
「私もネリクと一緒に居たい……かも」
 朱に染まった花のかんばせは、赤く熟れた林檎のようで。
 長年を共に過ごした二人は、幼い関係に別れを告げた。
 まばゆい未来を、共に歩いていく為に。


●いつか帰るところ
 朱宇子は長屋の井戸で水を汲んでいた。
 物が腐りやすい時期、新鮮な旬の魚を保存しておくには井戸の冷水が望ましい。
 ふいに長屋の路地が賑やかになった。
「よう、ハガネ! 隠し子かい?」
「分かってて、からかってるだろう」
 野暮用ついでに夕食の買い出しを済ませた刃兼(ib7876)だった。
 傍らには可憐な人の少女がいる。修羅が集う此処の長屋ではやはり目立った。
「刃兼、おかえりなさい。旭ちゃんもいらっしゃい!」
 朱宇子の微笑みを見た少女は、表情を輝かせて「おねーさん」と駆け寄った。
 刃兼も「ただいま」と告げた。
『前の外泊から、もう一年になるんだな。キクイチは……よし、いる。忘れてないな』
 仙猫をギルドに置き去りにした事件は、今でも時々話題にあがる。
「あ、お魚さんだ」
 桶に手を突っ込む旭を見て、刃兼は「しまったな、魚を買い忘れた」と呟いた。
 何か忘れている気がするのに思い出せない。
 そういう事は希にある。
 朱宇子が微笑む。
「今朝ね、渓流で釣ってきたみたい。沢山分けてもらったの。よかったら二人で食べて」
 朱宇子は小さな盥に二尾移し、氷を落として旭に持たせる。
「ありがとう! ねー、もらったー! 晩御飯これがいい!」
「すまない、朱宇子。ありがとう。もう一つ、食事の後に、旭の風呂を頼みたいんだが」
「うん、また一緒したいな、と思ってたから、いいよ。旭ちゃん、ご飯食べたら銭湯に行こっか。花の香りがする石鹸もあるの」
 旭は「いくいく」と二つ返事。
 一旦分かれて夕食支度を始めると、どの家の土間からも美味しそうな匂いが漂ってきた。米を炊き、慣れ親しんだ包丁を握って魚を捌きながら、煮物の味付けを考える。
 そんな料理に没頭する刃兼の隙を、仙猫キクイチは狙っていた。
 旭が焼く焼き魚を通りすぎ、削り出されたばかりの鮪節をひとつまみ。
「くぅ、一級品のマグロぶしは一味違うでありんす」
「キクイチ、おまっ!
 ……盗み食いか、いい度胸だ。
 ……お前用に奮発したまぐろぶし、煮物の出汁に惜しみなく使うぞコラ」
「にゃっ!?」
 削り出された鮪節が、目の前で小鍋に消えた。
 今夜は豪華で良い味の煮物に違いない。
 ……ではなく、仙猫は「そんなご無体なぁぁぁ!」と悲鳴をあげていた。
 自業自得なので仕方がない。
 地面に転がって腹を見せるキクイチの毛皮を、旭がわしゃわしゃと撫でる。
 仙猫、捨て身の懇願である。
 散々謝って、ちょっぴり夕食に鮪節がついた。
「ごちそうさまでした。ハガネー、銭湯いこ!」
 刃兼達は、馴染みの銭湯を訪ね「楽しんでおいで」と旭を朱宇子達に託す。
 日々の疲れを癒すには風呂が一番だ。
 帰宅後、すぐに旭が寝た。何事もない日常の幸せを、寝顔に感じる。
「……『いらっしゃい』が、そう遠くないうちに『おかえり』に変わるといいな」
 絹のような髪を指で梳く。
 刃兼の手元には、陽州が届いた手紙の数々があった。書き寄せに近い内容だけれど、父親や婆様の一筆も混ざっていたりして驚かされることもある。
「近いうちに返事、出すか」
 天儀の日々。
 出会った人たち。こなした仕事。そして日々の変化。
 いつか帰るところへ届けたい思いを文箱にしまって、行灯の火を吹き消した。


●受け継がれる心
 男の隠れ家に行こう。
 ウルシュテッド(ib5445)はそう言って孤児院から星頼を連れ出した。
 勿論、帰る前に仕事がある事も告げて。絡繰を好む老人が蒐集した品の物置修理とネズミ退治を済ませ、大通りに出る頃には、空は茜色に染まっていた。
「明日は朝食がてら花見に来るぞ。何が食べたい? まずは買い出しだな、おいで」
 食材の買い出しを済ませ「仕事の後は甘いものだ」と甘味処に立ち寄る。
「待たせてすまんな、テッド。お、星頼は背ぇ伸びたんちゃうか」
 ジルベールだ。
 こちらも仕事帰りらしい。自然と三人で隠れ家に一泊する事になった。
 到着早々、柱に星頼を立たせて身長を測る。子供の成長は早いものだと、男二人は感心していた。
 花見に備えて早寝……と思いきや、星頼が寝た頃にウルシュテッドとジルベールは内緒話をしていた。
「お前のお陰で色んな覚悟ができた。有難うな」
「なんや水臭い」
 照れくさそうに話を切り上げ、ジルベールは布団を被った。
 次の日。
 すっかり熟睡する二人より早く起きたウルシュテッドは、花見弁当を仕込んで二人を布団からはがし、予定通り花見に出かけた。
 見事に咲き誇る藤棚を見上げて。
 そして特別に持ってきた甘酒と……四つの酒器を披露した。
「綺麗だろう? 早く見せたくて仕方なかったよ」
 好事家らしく目を輝かせるジルベールはさておき、ウルシュテッドは酒器を見せて「俺には夢がある」と言った。
「ゆめ?」
「星頼が大人になったら、これで一緒に酒を飲んで祝うんだ。俺たちは開拓者だから戦と隣り合わせだけれど、皆が無事で、星頼も望んでくれるなら、必ず叶う」
 そう信じたい。
 春風に身を委ねながら、つらつらと、ウルシュテッドは昔語りを始めた。
 養い子達に星を送ってきたこと。その理由。憧れた伯父や、ありように葛藤した若い頃の自分など。
「……で、伯父に言われたよ。『道を違えたからと言って子を放り出す親がどこにいる。お前が望む限り家族だ』と。だから俺も、同じように接してきた。これからも」
 何があっても変わらない絆を、持ち続ける為の柱として。
 この子は未来に何を望むのか、今はまだわからないけれど。
 変わらない年月を願って盃を掲げた。


●愛らしい訪問者
 髪を櫛で梳いて、衣装箪笥からお気に入りの服を選ぶ。
 女性としての装いだ。家を出たエリナは燦々と降る太陽の日差しに心地よさを覚えつつ、朝早くから開店している菓子屋を訪ねて手土産を持つと、寄り道せずにルオウ(ia2445)の家を目指す。
「昨日、遊びに行くって言いそびれたけど、いいわよね、たまには突然訪ねても。……これからは一緒に住むことになるんだし」
 ポッ、と頬を染める。
 妄想に花咲いたエリナが一人でキャーキャー騒ぐ内にルオウ宅へ到着した。
「ごめんくださーい。……ルオウ、起きてる?」
 返事がない。
 そっと中を伺うと、愛する侍は「ぐーぐー」といびきをたてながら畳の上に大の字で転がっていた。
 昨晩面倒な仕事を託されたのか、報告書が乱雑に散らばっている。
 だらしない寝相も、恋の魔法の前には愛らしく映るのが不思議だ。
『あ、寝てる…かわいい……もうじき、毎日こういう顔が見られるのね。ふふ』
 輝鷹ヴァイス・シュベールトがエリナに会釈すると、容赦なく主人を啄いた。
「いてぇえぇえ! 何すんだ、え、あれ、エリナぁ?」
 自分は夢を見ているのか。
 寝ぼけ眼のルオウは暫く状況を把握できずに困惑していた。
 だが猫又の姿がない上に、訪問者が本物と悟り、愛する客人を通した輝鷹を無言で睨みつける。
「ど、どうしたんだエリナ。あ、汚くてご、ごめん、疲れてて、今片付けるからな!」
『ぎゃあああ! 報告用の書類、昨日の服、夕食の皿も片付けてねぇ! くっそ〜』
 可愛い人の前でくらい格好つけたいのに散々だ。
「ううん、ルオウの顔がみたくて。遊びに来ちゃった。急にごめんね」
 その一言で全てがどうでも良くなる。
 汚い部屋の中でいい雰囲気だ。
 そそくさと掃除を始めたルオウは「と、とりあえずなんか作ろうか?」と得意な料理で名誉挽回を試みる。
「ん、じゃあ……ルオウは忙しいでしょ、片付けてて。私が朝ごはんを作っておくから!」
 ひらん、とはためくエプロンが眩しい。
 まさに新妻。
 ルオウは感激に胸が踊ったが、エリナが包丁を握り締めて一刀両断したのを目撃して、甘い夢からさめた。
「エ、エ、エリナさん?」
 衝撃のあまり思わず敬語。
「あ、少し変わってるでしょ? 友達も台所に立つのを止めるけど、そろそろ料理くらいしなくっちゃね! 料理は愛情だもの! 任せて!」
 鱗も削がない、臓物も抜かない。ぶつ切りの魚を頭ごと鍋に叩き込んで、味噌を目分量で入れたエリナを眺め、ルオウは完全に言語を忘れた。
 慌てて闇鍋料理に介入し、何かと理由をつけて朝食をジルベリア料理に変えた。
 あっさりしたスープとサラダが胃に優しい。
「ありあわせでこんなのが作れちゃうなんて、ルオウってすごいのね。おいしい」
「へへ、良かった。さて。どうしよ……ギルドでもいってみよっか?」
「報告の提出? 付き合うわ。その後は買い物いきましょ」
 苦笑する輝鷹に留守番を任せて。ルオウとエリナは家を出た。
 仕事を終わらせて、ギルドを冷やかし、馴染みの相手とおしゃべりに花を咲かせる休日は、今まさに始まったばかりだった。


●春を見る夜
「あの子を引き取りたい!?」
 素っ頓狂な声をあげた蓮蒼馬に、蓮 神音(ib2662)は「しー! センセー声が大きい、春見ちゃんがおきちゃう」と非難した。
 蒼馬が一瞥した隣部屋には、神音が連れてきた少女がいる。
 名を『春見』――生成姫が攫った子供の一人だ。

 昨夜の事だ。
 野暮用を頼まれたから朝に戻るね、と。神音は依頼書を手に夜の闇に消えた。
 精霊門が深夜0時開門である事を踏まえれば、珍しいことではない。
 いつものように「行ってこい」と送り出し「お帰り」と迎えるつもりが、蒼馬の養女は幼い少女を連れて帰ってきた。
「この人が蓮蒼馬、神音のセンセー、ぶっきらぼうな感じだけど、本当はとても優しいんだよ。で、センセー、この子が前に話した春見ちゃん! 今日一日お泊りするから!」
 孤児院には外出許可を取り付けて来たという。
 春見は初めて来た場所に落ち着かない。
「じゃ、今からお掃除をするから春見ちゃんも手伝ってね。その後はお買い物にいくよ」
「そーじ!」
「掃除の指導ならカナンにお任せだよ」
 幼子に家小人のハタキを持たせて、人妖カナンとホコリを落とす。神音は人妖と春見の姿を微笑ましげに眺め、普段通り洗濯を始めた。
 ひとり取り残される家主の男。
「蒼馬さん、どいて下さいます?」
 人妖カナンのすました声に「すまない」と声を返した。
 邪魔をしないように薪割りに戻る。やがて掃除を終えると買い物に出かけた。
 まるで一陣の風。
 献立は既に決まっていたらしく「センセー、今夜は希儀の食材をつかった料理だよ。デザートはチーズケーキの蜂蜜添えを作るね」と言ってきた。神音の隣には、金平糖の小瓶を抱えた春見がいた。ひとつだけの条件で好きなお菓子を買ってあげたらしい。
 料理中も。
 賑やかな夕食の時間も。
 春見を世話する神音は甲斐甲斐しい。
 銭湯に行って帰ってきて、春見が寝ついてから――家族会議が始まった。

「しかし、あの子。例の狙われた子供達だろう?」
 番茶を片手に月餅を齧る。
 正面の神音が正座していた。
「そうだよ。他の皆と相談してて、まだ暫く孤児院で育てた方がいいと思うけど、いずれ春見ちゃんを引き取りたいと思ってるんだよ。だから一度お家に来て欲しくて、連れてきたの。センセーにも会わせたかったし、それに……」
 養子として引き取るには、蒼馬の同意が不可欠だと思った。
 開拓者の技量には自信がある。養うことも経済的には問題ない。
 けれど自分はまだ年端もいかない娘で、子供が子供を育てるようなものだと、世間はきっと笑うだろう。
「……猫を飼うのとは違うんだぞ。可哀想ではだめなんだ。未婚の母になりたいのか」
 蒼馬の声は驚く程冷えた、大人の諭す声だった。
「センセーだって未婚の父だったもん」
「うっ……」
「春見ちゃんは、神音にとって『妹』みたいな存在だよ」
 涙目で俯き、頬をふくらませる。
 年齢や外聞ばかりは、自分の力ではどうにもできない。
 だからこその相談を悟った蒼馬は「……わかった」と頭を撫でた。
「娘がひとり増えるようなものか。きちんと話し合ってこい。迎える事になった時は、俺も迎えに行こう」
 神音は「ありがとー」と抱きついた。
 眠る春見の隣に布団を敷き、川の字で眠る。頭を撫でながら秘密の言葉を囁いた。