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■オープニング本文 ●朽ちた宮に囚われた者達 ――――寒い。 意識が戻る。水の流れる音がした。 朧な視界が輪郭を整えていく。気怠い腕を動かして身を起こす。幸い、どこも怪我していない。 「お目覚めね」 虚空に浮かぶ少女を見つけた。 幼い容姿に青白い翼。 認識した途端、自分の身に何が起きたかを思い出す。 そう。 教え子達を連れて、魔の森の遺跡の調査に来た。本来、ここへ来るはずだった封陣院の研究者、狩野柚子平の代わりに。そして里の面影を残す遺跡を視察するうちに、何故か瘴気が急激に激減したのを感じた後……社の中で、少女に出会った。 拉致されたのだ。 『良かったぁ……主様がお戻りになったけど、人間が誰もいないんだもの。どうしようかと思ってたところ。 丁度いいわ。 あなたを主様付きの巫女にしてあげる。身に余る光栄に、感謝なさい』 確か、そんな発言をしていた。 「朝ごはんは苺でいい?」 「ここは」 「ヌシサマを祀る場所だって言ったでしょ。心配しなくていいわ。山脈を治めるヌシサマの結界内だもの。アヤカシ達に襲われたりなんかしないわよ」 笑顔で陽気な少女の返事に、蘆屋東雲は渋面を作る。 『精霊の領域内か』 敏い彼女は、自力脱出は不可能だと悟った。 ならば…… 「私は五行王に忠誠を誓った陰陽師。ずっと昔、巫女であった事は認めるわ。だけど今は違うの。私は王から賜った陰陽寮に務める責務がある。寮生も守らなければならない。貴女達の巫女にはなれない。だから解放して頂戴」 「ニンゲンの都合なんか知らないわ。私はヒトじゃないもの」 にべもない。 少女は虚空を漂いながら溜息を吐いた。 「先代から色々聞いたわ。 大昔の人間達は一方的にヌシサマを祀った。精霊力を存分に利用し続け、やがて人間同士で争い、浚い、ヌシサマを平野に閉じ込め、そして結果的に守護を失った地を放棄した。里を守った先代達も全部捨てて……勝手だと思わない?」 少女の表情から微笑みが消えた。 それは幾年月の孤独に耐え、虚無を内包した眼差しだった。 凍てついた眼差しは一瞬で消え、代わりに底知れぬ微笑みを浮かべる。 慈愛と狂気を滲ませて。 「でもヌシサマは此処へお戻りになった。石鏡からのびてた龍脈も元に戻った。 元通りにできるのよ。 全て。 ヌシサマがお戻りになった今、先代達に聞いた通りに戻すのが……残された私の役目のはずだもの。貴女は安心してヌシサマを祀りなさい。国? 寮? そんなものを守って何になるの。今は陰陽師だっていうなら巫女に戻ればいいじゃない。 偉大なヌシサマに仕える責務こそ……崇高だと思わない?」 人間の論理では会話が成り立たない。 東雲は舌を噛む。 これだから精霊は嫌いなのよ――…… ●空白の経歴 その日、開拓者ギルドに現れたのは、依頼主の狩野柚子平ではなく人妖イサナだった。 「私は多忙な狩野の代理だ。座ってくれ。事態は急を要する。 救出対象は五行国の要人――陰陽寮玄武の寮長、蘆屋東雲。先日、魔の森の遺跡で消息を絶った。……と、ここまでは分かっている者もいるだろうが、諸君が相手にするのはアヤカシではない」 イサナは資料を円卓に提示した。 「例の古代人とかじゃ」 イサナは首を振り「相手は多分、精霊だ」と短く告げる。 「まず。魔の森内にある問題の遺跡から急激に瘴気が消えた。環境としては精霊力が噴出している魔の森内に発生した非汚染区域……あれと非常に似通った環境になりつつある。 この原因について狩野曰く、心当たりはあるらしい。 事件の数日前、開拓者から個人的に相談を受けたと聞いた。 五行東の白原平野に避難していた精霊と偶然知り合った、精霊は渡鳥山脈へ帰ろうとしているが瘴気の実を生む木が邪魔で帰れないらしい、実の回収の為に道具を貸してくれ、とな。 話が本当だとすると…… 相応の力ある精霊が遺跡に戻ったのでは、との見解だ。同時に、東雲を巫女として攫った者も羽妖精らしい、と聞いている。何分、精霊関連は狩野もお手上げでな。代わりにギルドへ頼んだわけだ」 疑問の声が上がった。 「精霊が、陰陽師を巫女と勘違いする事ってありえるの」 イサナは一枚の調査書を引き抜く。 「蘆屋東雲は、五行国結陣生まれの結陣育ち。陰陽四寮『玄武寮』の寮長に着任するまで陰陽博士として働いていた。というのが公の経歴なんだが……実際は経歴に空白がある。 若い頃に遊学のため一時国外へ出たが、数年後に母国へ戻った彼女は……憔悴していた。記録がない故、詳しい事は知らん。噂では『監禁されていた』と言われている。一つ確かな事は帰国時、高位の巫女術も習得していた事だ」 けれど蘆屋東雲は陰陽師に転職した。 沈黙を守り、巫女の力を秘匿し、陰陽師として生き、寮長の座に任ぜられた。 「誘拐犯は手頃な巫女を探していたようだし、目をつけられたか」 相手が人間やアヤカシなら力技ができた。 しかし精霊や妖精となると…… 「精霊相手にどうすれば」 「東雲は社内の大鏡の中に消えたらしい。鏡に見えるが多分、強固な結界だ。強引に連れ出すか、話し合いで解放を促して解決するか。戦闘は避けるべきだな。我々はヌシサマなる存在が、どの程度の精霊か分からん……」 イサナは報告書を読みつつ眉をしかめた。 「何か問題が」 「報告にある『誘拐犯の物言い』がな。東雲誘拐が『ヌシサマの命令か、は別かもしれない』と感じただけだ。兎も角、可能な限り穏便な方法で頼む」 厄介な仕事だった。 ●囚われた心 その頃。 名も無き誘拐犯は、朽ちた遺跡を散歩していた。 誰もいない寂しい場所。 けれど昔は大勢の人で溢れていた事を、彼女は知っている。 実際に見て知っているわけではない。そうであった、と聞かされた。脈々と主の帰りを待ち続けた先代達から。人を愛し、人を守り、そして見捨てられ、失意の中で消えた者たちから。 「先代、ヌシサマが帰ってきましたよ」 白い花を供える。 毎日同じ時間に、粗末な石に話しかけた。真下には何もない。 妖精や精霊は、死んでも遺骸が残らない。 だから墓標は感傷の証。 「ヌシサマは何も答えてはくださらないけど……里は綺麗になりました。 待ち望んだ瞬間を、あなたに見せてあげたかった」 我々の王が帰る時を。 永い悪夢から解放された瞬間を。 「昨日はね、巫女を捕まえたんです。とっても上物。ヌシサマつきの巫女に育ててみせます。先代が教えてくれたもの、全部伝えてみせますよ。まずは本殿を綺麗に掃除しなくちゃ。そしたら魔の森を焼き払って、建物を修繕して、人間も連れてくるの。お祭りの手順だって忘れてないわ。いつか本来の姿に戻してみせます」 先代。 私、間違ってないよね――? |
■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116)
12歳・女・巫
静雪 蒼(ia0219)
13歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
水月(ia2566)
10歳・女・吟
真名(ib1222)
17歳・女・陰
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
寿々丸(ib3788)
10歳・男・陰
神座早紀(ib6735)
15歳・女・巫
鍔樹(ib9058)
19歳・男・志 |
■リプレイ本文 人妖イサナが「では頼む」と言い残して帰った。 鈴梅雛(ia0116)と酒々井 統真(ia0893)、真名(ib1222)の三人は顔を見合わせ、救出対象の現教え子の寿々丸(ib3788)と御樹青嵐(ia1669)は移動手段で相談を始めた。 「羽妖精の類が誘拐なんて……」 神座早紀(ib6735)や静雪 蒼(ia0219)たち、巫女職は戸惑いを覚えざるを得ない。 『精霊が……人を誘拐することって、あるんだな』 鍔樹(ib9058)が半信半疑なまま頬杖をつく。 「その事なんですが」 鈴梅の声だ。酒々井と真名も厳しい顔。 「先ほどイサナさんが仰っていた『柚子平を尋ねてきた開拓者』は――私の事です。それと蘆屋東雲さんを誘拐した犯人と、私たち三人は面識がある可能性が」 酒々井が頭を掻く。 「ちぃーと、ややこしい話になるんでな。ここからは他言無用で頼むぜ。 現場がある五行の東――白原平野は、国内有数の穀物地帯として知られている。けど、こいつは偶然の恵じゃない。人為的なからくりがある。その根幹が、今回の誘拐に絡んでるかもしれねぇ」 五行の東は、古よりアヤカシの脅威に晒されていた。 大アヤカシ生成姫や鬻姫。 北からも南からも魔の森の侵食が進み、山脈に囲まれた土地の住民には逃げ場がなく、徐々に居住圏を狭められていった。 正にアヤカシの狩場。 そこで古の人々は、神をも恐れぬ行動に出た。西に聳える渡鳥山脈を守っていた強力な精霊を、守護地から強制的に引き剥がし、白原平野に縛りつけたのだ。 「禁術と人柱による強固な結界に阻まれて戻れなくなった豊穣の精霊を、土地の奴は『雪神様』と呼んで代々活用し続けた。それで今日の穀物地帯があるらしい。 ただ精霊を使役して祀ってた百家が、三十数年前に没落した。その際に精霊が宿ってた祠が一旦、行方知れずになったが……農家で見つかってな。人の身に余るシロモノだったんで内々に解放したんだ」 「ではその解放された精霊が件の……でもヒミツなのは、なぜですの?」 ケロリーナ(ib2037)が小首を傾げた。 鈴梅が陰鬱な表情をする。 「まず会話が成立しません。実体を持たないんです。そして想定外の代償を強いる。 長年、白原平野の――白螺鈿は、精霊の力で潤ってきました。勿論、事実を知っている人は僅かですが、今も信仰は生きていて、再び精霊を見つけ出して縋ろうとした権力者達を、ひいな達は見てきました。理不尽な土地の買収。奪う為に他人を陥れ、死者が出た事もあったとか。 ですから……生成姫が消えて、ご自分で山にお帰りになられた。そう言う事にしておいて下さい」 話を聞きながら水月(ia2566)は陰鬱な表情で押し黙った。 数多くの精霊と接してきた分、軽く聞き流すことができない。 同じ人間として罪悪感に近い感情も湧く。 『大切な教訓しなくちゃ』 皆、一切口外せぬ事を誓い合った。 「どうして解放されたとかのお話は、けろりーな、話題にもださないでおくですの〜」 「つーか、その雪神サンが誘拐犯なわけか?」 鍔樹が尋ねると真名が「違うわ」と首を横に振る。 「主様の使者だ、って言った羽妖精がいたのよ。それが誘拐犯の特徴と一致するの。随分な人間不信で、しかも考え方が違うから、説得に苦労するかもしれないわ。道中に話すけど……あなた、気をつけたほうがいいかも」 「え」 「彼と同じで昔、雪若だったんでしょ」 言いながら酒々井を指差す。 雪神の使者は、毎年雪神祭で選ばれる福男「雪若」の判別ができるらしい。 発言から推察するに『雪神様の加護がある』のだとか。 「雪若にも色々秘密があるみたいなんだが詳しく分かってねぇんだ。頑張ろうぜ」 鍔樹が「おぃマジかよ」と口元を引きつらせる。 神座も依頼書を読み直す。 「あの、精霊様のご使者が巫女を求めているという事ですし、私に何か出来る事があるならお手伝いしたいですけど、注意はしておいた方がいいのかもしれません」 静雪が「せやなぁ」と頷く。 「陰陽師に転職した巫女はんを判別できるなら、うちらの事も気にしはるかも。もし事前に引き込まれた場合やけど、抵抗せずにいるんで、そのまま行かせて欲しいわ。東雲さんに会えるかもしれんし」 「では現地まで案内致しまする」 寿々丸と御樹が戸口に立つ。 「寮長殿を助ける為に、力をお貸しくだされ」 深々と頭を垂れた。 一行は神楽の都から五行結陣に入り、渡鳥山脈の非汚染地域から龍に乗って、魔の森内部に埋もれた遺跡を目指す。 ケロリーナは駿龍クルースニク、鍔樹は轟龍アカネマル、神座は鋼龍おとめに乗り、鬼火玉炎蕾丸を連れた寿々丸は御樹の甲龍黒嵐の背に相乗りを頼んだ。玉狐天の紅印を連れた真名は「宜しくね、蒼ちゃん」と静雪の甲龍碧に載せてもらい、仙猫ねこさんを抱いた水月は、酒々井に空龍鎗真へ同乗する。 「ありがとう。お邪魔するの……鈴梅さん、それは」 隣の鋼龍なまこさんに、鈴梅は酒などを積み込んでいた。 「使うか分かりませんが、雪神様のお供物に。今回は戦う事はないと思いますが……きちんと敬意を払っておかないと。今は龍脈からも力を得ている状態ですし、不敬と思われればひとたまりも無いと思いますから」 実際に不敬で殺されかけたという三人の体験談は、仲間の肝を冷やした。 空から見下ろす魔の森に埋もれた遺跡は、精霊力に満ちていた。 清浄な空気を巫女達が感じ取る。腐り果てていたはずの大地に雑草が芽吹いているのを見つけた寿々丸は、人魂の白文鳥の目を通して『豊穣の神』の偉大さを感じた。 「これが精霊殿の力……外におられるのでしょうか」 寿々丸の問いに鈴梅達は「分かりません」と首を振る。相手は姿が見えない上に、人型ですらない。上空から廃墟と瓦礫の中から使者を探すのも至難。 水月がきょろきょろと視線を配る。 「お話合いするにも、まずはお会いできないと……やっぱりお社……かな?」 真名が「そうね。まずは彼女が消えた大鏡に皆でいく。そこから手分けかな」と呟く。 問題は大鏡が何処にあるか。 「寿々がご案内いたしまする」 御樹に降下を促しながら「その場におりました故」と震える声で告げた。 「こちらでございまする」 門をくぐり、境内を進み、朽ちた社の中に入った十人は大鏡を見つけた。 「ここで寮長殿が浚われてしまいました……寿々は、何もできず」 何時間も鏡に向かって叫び続けた夜を思い出す。 硬い鏡の中に彼女は消えた。 水月や鈴梅が触ったが、冷えた感触があるだけだ。神座が術視「参」で何らかの術を疑ったが――ダメだった。 歴然とした力の差を感じた。 「とにかく別なとこから中には入れないか……」 調べようぜ、と皆を元気づけようとした鍔樹の片腕が、ずぼっと鏡の中に埋まった。 体重を預け損ねた鍔樹が、倒れるように消える。 残されたのは倒れた下半身だけ。 「ぎゃー!?」 「きゃああああ!?」 半ば反射的に真名達が引っ張った。上半身と下半身がちぎれた光景を想像してしまったが、寿々丸達が引っ張ると鍔樹の上半身が現れる。 鍔樹、放心。 「大丈夫なん?」 静雪が手を翳す。大丈夫なようだ。 何を思ったか、酒々井が手のひらを鏡に当てた。 すると数秒の間を置いて、酒々井の腕が鏡の中に沈み始めた。痛みはない。 試しに水月が腕周りの鏡を触ってみたが硬い感触がするだけだ。 酒々井と鍔樹が顔を見合わせる。 「なんつーか……ひき肉とか、固い豆腐に埋まった感触がしたよな」 「え、俺、池に落ちた感じだったぜ」 感触が違う。 全員試したが、体を通す事ができたのは酒々井と鍔樹だけだった。酒々井が鏡を見る。 「なるほどな。あの使者の『随分加護が薄くなってる』ってのは、こういう事なのか?」 ここの主となった、雪神様。 雪神を祀る雪神祭では一年限りの福男「雪若」が選ばれる。雪若に触れる者はささやかな幸福を授かる、とは言われているが、どうも雪神が本当に干渉している節がある。 「感触の違いは抵抗力の違いでしょうか。だとすれば……一昨年の雪若よりも、昨年の雪若の方が融和性が高いのでは。鍔樹さんは、今年の一月まで雪若だったわけですし」 御樹の冷静な分析に「なんでじゃー!」と叫ぶ先代雪若。 「酒々井さん、ちょっと握手させて頂いて宜しいですか」 「構わねぇけど」 御樹が酒々井と握手した後、鏡に触れたが冷たい鏡があるだけだ。巫女の静雪が試しても同じ。神座とケロリーナが鍔樹に触れさせて貰ってから実験したが、やはりダメだ。 酒々井が溜息をこぼす。 「しゃーねぇ、行くか? 通れるの俺らだけみてぇだし」 「確かにここで逃げるわけにも……白螺鈿にいる時ゃ、逃げてばっかだったけどなァ。ただ精霊のシマに無断で入るのも気が引けるンだよな。まずは誘拐犯を探して、話をした方がいいんじゃねえか、とも思うんだが」 どうしたもんかね、と鍔樹が皆を見る。 御樹が唸った。 「込み入った事情は承知していますが、私達寮生としては蘆屋さんの無事が何より大事です。鏡の中に連れ去られてから随分経ちますし、まともな食事を与えられているかどうか」 この辺の懸念は鈴梅や神座にもあって、蘆屋東雲の餓死も考えられた。 神座が「どのみち東雲さんの所へ行かないといけません」と頷く。 今なら強引に連れ出せる可能性はある。 しかし。 『アヤカシと喧嘩するのたァワケが違う』 鍔樹達は相手が精霊な事で悩んでいた。 無理矢理では恐らく問題が解決しない。 『……無理やりに奪い返すとかじゃなくて、なんとかお話合いで解決したい』 水月が酒々井の手を握ったまま大鏡に触れる。 真名達が分担を話し合う。 「ひとまず通れる二人に内部の偵察を頼んで、残りは別の入口か里を捜索……」 「……待って」 水月が皆を呼び止めた。 先程は通れなかった手が、鏡を突き抜けている。雪若に接触した状態であれば、通り抜けられるらしい。手間はかかるが、全員入れそうだ。 鏡の法則を書き留めていくケロリーナ。 「雪若だったおにぃさまの体に、しっかり触っていれば通れるんですのね〜、でもこれって途中で手を離したら、どうなっちゃうのかしら。止まっちゃうのか、切れちゃうのか」 「……試すか? 身の安全の保証はできねぇが」 「やめとくですの」 首を横に振る。 内部の空洞を確かめた後、酒々井と鍔樹は八人を順番に中に入れた。神座が最後まで己の何かと葛藤していたが、酒々井の手を借りると密着せねばならないので、鍔樹と手を繋いで何とか入った。 澄んだ空気が流れていた。 石畳の階段がある。壁を伝うように下へと進む。 ザーッ、と水の流れる音。急激に視界が開け、溢れる陽光の中に探し人――蘆屋 東雲(iz0218)が倒れていた。寿々丸と御樹が走り出す。 「寮長殿」 「蘆屋さん」 脈は弱いが息はある。意識も。彼女は頬がこけていた。まともな食事を与えられていたとは思えない。鈴梅と神座は早速、水と食料、調理器具を取り出し、蘆屋東雲の体力を戻すことから始めた。周囲を見渡すと祭壇があり、水が流れているだけで何もない。 誘拐犯の姿はない。 話し合いの末、看病につく者以外が捜索することにした。 解放してくれるように納得させなければ。 雪神の使者の行方は、呆気なく知れた。朽ちた井戸の傍で掃除をしていた。 突然現れた人間達に驚いた様子だったが、顔見知りを見つけて警戒を緩めた。 「ここで何してるの」 「貴方を探してたの。少し友人の話を聞いてくれないかしら」 玉狐天紅印と同化していた真名は、呼子笛で仲間達を召集する。 静雪が敵意がない事を最初に説明し、水月が自己紹介をした。 「あなたのお名前、は?」 水月の乞う眼差しに「ないわ」と淡白な返事。 どうも今まで名を持つ必要がなかったらしい。 軽い困惑の中で、ケロリーナが「此処で何をしていますの?」と尋ねると。 「そんな話をする為にここへ来たの?」 御樹が前へ進んで頭をたれた。 「では率直にお伝えさせて頂きます。 御使者の方。我らの寮長、蘆屋東雲をお返しいただきたい。 貴方が鏡の中に連れ去った女性の事です。巫女として引き渡す訳には参りません。 その代わりといっては何ですが、ここの復興に、全力で協力する事ならお約束できます。こちらとしても魔の森が縮小し、その跡地が復興するのは願っても無きこと」 「どうか寮長をお返しくだされ! 寮長殿を返してくだされば……人が住める土地になるよう復興に尽力したいですぞ」 誘拐の瞬間に居合わせた寿々丸は、更に続けた。 「巫女殿が必要という事はお聞きしました。でするが、必要なのは人や巫女の人数でありまするか?」 使者は「多ければ多いほどいい」と言った。 どこか夢見心地に、この里が活気に溢れ、主様が大勢の巫女に祀られて、栄華を極めていたのかを、語り部が如く諳んじる。 静雪は注意深く話を聞いていた。 違和感に気づいた。 『この使者はん。全部、実物を見たことないんか』 延々「……って先代が言ってた」を繰り返す彼女は『あるべき理想』を連ねるばかり。 「寿々は違うと思いまする。大事なのは心でございまする。精霊殿が主様を慕うように、……大事だと想う心が必要だと思いまする。心は無理やりに作るものではありませぬ。そんなもの、何の意味も無いと思いまする」 「大事にしてないって言いたいの?」 短気な使者に、鈴梅が「違います」と引き止める。 「本人に雪神様に仕える意思が無いのに、強制的に巫女にする……と言うのは、有る意味不敬な事なのではないか、という話です」 仙猫ねこさんが水月の足元から「先代の遺志を受け継ぎ、復興をなそうとするその心意気はあっぱれ」と言い、使者を見上げる。 「しかし、強引に巫女に仕立て上げるやり方で先代たちが喜んでくれると、おぬしは信じておるのか? 真に復興を願うなら、今度こそ雪神を蔑ろにしない者たちを集めるべく、粉骨砕身努力すべきではないか。楽をして、良い実は育たぬぞ」 一理ある、と思ったのか使者の反論が止まった。 鈴梅が畳み掛ける。 「この場所は現在、人が長期滞在するのに向きません。 あくまで現時点では、の話です。雪神様ほどの精霊であれば、望んで巫女となる人も居なくは無いでしょうし、この地も、基盤さえ整えば発展していく筈です」 「精霊殿の主殿のおかげで瘴気がなくなれば、此処は人が住める土地になるはずでする。悪い事はあるかもしれませぬが……それでも、人と精霊が協力して、良くしていく事は出来まする! 少なくとも、寿々は精霊殿の為に何かしたいと思っておりまするっ!」 だから復興が先だ、と。 鍔樹たちは訴えた。 「俺らで良けりゃ、復興に力を貸すぜ。だから今は、結界内の人を返しちゃくれねーか」 使者は何か迷っている。 静雪が手を上げた。 「蘆屋はん、寮生さんらに返してあげておくれやす。あれやったら……暫く、うちが代わりにそちらに行かせてもらいますよって。それではあきまへんやろか? うちは弱いやもしれまへんけど、純粋なる巫女やし、仕える神さん、おらしまへんよって」 使者は「いいわ」と言った。 「人間は嘘をつく。代わりに残りなさい」 真名が「人を信じられないのは解るけど、そんな事しなくても雪神様の力を私は知ってるもの。逆らおうとは思わないわ」と言ったが、静雪が「大丈夫や」と真名を制した。 条件付きで蘆屋の解放ができそうだ。 大鏡へ向かいながら、ケロリーナが鍵を見せて、家のからくりを譲ると言い出した。 「人は精霊さんと比べて圧倒的に寿命が短いから、いつの日か寿命がきて、そうしたら再び雪神さまを祀る方法が喪われちゃうですの。みんなで頑張ってかわりばんこで祀る方法もあるですし、からくりさんを育てて巫女さんにすれば、きっと上手くいくと思いますの」 神霊クリノカラカミにも、同じ方法で対応した。 確かに『祀る必要があるなら正解』に違いない。 このまま。 雪神の使者と復興を約束して、人質を奪還して、少しずつ信用を取り戻して行けば、全てが丸く収まる……そう思い込んでいる者は多かった。 でも。 「最後に確認させて。それは主さまの意向なの?」 皆で蘆屋の元へ戻ってから真名が問うた。 「貴方が主様の為に行動してる事は疑いようがない。貴方の独断だと言うなら、それはそれで喜んで貰える方法かもしれない。でも他に方法があるか、焦らずに考えてみてもいいんじゃないかしら。もっといい方法があるかもしれないでしょう」 沈黙が流れた。 「主様が言葉をもたない、って知ってるくせに。でも私はわかる。私は神使。先代から全て聞いたの。里や祭事も、全て。これが最善よ」 動揺する使者に、神座も疑念をぶつけた。 「今回の件、本当に雪神様の御意志なのですか? 他国で長いこと精霊様と関わってきましたが、精霊様が巫女を欲して誘拐を命じるとは思えません。あなたに全てを教えたという先代様は、人間をどう思っていらしたのですか」 「どうって……先代は、里や主様を、全部元に戻るのを……」 鍔樹が首を傾げた。 「なんつーか、ヌシサマは人の都合で、この土地を離れたり不自由な目に遭ったンだろ? 今度は精霊が自分の都合で、人に強制的に役目を与えようとしてるみたいで、応酬になってねェか不安なんだけども」 「黙って祀ればいいの! これが正しいの! 何百年も待ったのよ! 主様が戻る日を! 先代たちは、その為に此処を守ってきた! 人間達が逃げ出しても、何もかもを捧げたの! そして力尽きた……もう私しかいないのよ! 私が元に戻さなきゃ、そうでなきゃ」 何の為に、先代たちは。 私は。 「今は、いい。お前が選んだ巫女が、精霊の意思によって祀ってるうちは」 酒々井は『人間の都合』で一蹴されぬよう慎重に言葉を選んだ。 「けど、人は代が変わっていく。 身に余る力を求める代償も、神への敬意も、自分勝手な人間が忘れてしまう恐れがある。それはお前もヌシサマも望まないんじゃないか。実際にヌシサマを神として祀る行為を、遥か昔に人間がやっちまった……」 そして人々は、山の神を縛った事すら忘れた。 酒々井は事実のみを指摘する。 「こういう人を攫う行為は、力ある神の存在を発覚させてしまう。復興させれば人は戻るかもしれねぇ。だが同時に神の力を利用したいが故のゴタゴタを、再び起こす可能性がある。それは誰も望んでない。望まれていない未来だ。人も、きっとヌシサマも、お前も」 長い孤独。 時間は重みだ。 人は、変質した執着心を『依存』と呼ぶ。 鍔樹が「ヌシサマを敬いたいって気持ちは間違ってねえさ」と話しかけた。 「けどよ、素質のあるヤツを強制的に連れてくるようなやり方じゃ、長続きしない上に、逆に人が寄り付かなくなりそうだぞ。それに、魔の森のド真ん中にある里を、人の住める環境にするにゃ……相応の人手や時間が必要だ。なァ?」 「だな。復興させたいというのが神の意思なら、俺達には協力する用意がある。けど……もう自分で気づいてるんじゃないのか」 今も姿無き精霊は、何も語らない。 「また歴史を繰り返しはるん?」 巫女を求めてなどいない。 「う、ぅう、ふ」 拘っているのは小さな精霊だけ。 主様の為だと言いながら、消滅した同胞の遺志に囚われて、残された己の存在理由を作ろうとしていた。昔こうであったから、今もこうでなければならない、と。己の正気に耳を塞いで。 全て自分のため。 憎み、軽蔑し、呪い罵った人間達と同じく、慕い守るべき主の存在を利用した。 もう神を人の手に戻すべきではないと。 本当は知っていたのに。 「うあ、あ、あぁあぁあああ」 名すら持たない羽妖精の慟哭が森の中に響く。 その日の夜。 失踪していた蘆屋東雲は、開拓者の手で医者へ担ぎ込まれた。 |