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■オープニング本文 薫る風に虚空を舞った桜の花が、最期に墨染川を泳いでいく。 水面には沢山の小舟の姿があった。 ここは五行東方、虹陣(こうじん)…… 五行の首都結陣から飛空船に乗り、渡鳥山脈を越えて北東に進むと見える里だ。 かつて裕福な人々の屋敷が建ち並んでいた地域だが、現在は『魔の森』の拡大に伴い、裕福な層は土地から撤退し、寂れていった。 しかしそんな寂れた里にも祭は息づく。 虹陣では現在、早咲きの桜が見頃である。 あらゆる場所に植えられた桜は、春になれば虹陣を薄紅に彩り、かつての栄華を感じさせる。 桜の開花が桜祭の開催合図となり、田舎の河川敷に連なる桜の木々を楽しもうと、地元人は勿論、観光客も多くが足を運ぶ。 そして今。 桜祭で注目を集めているのが『花渡り』である。 うっすら雪の残る墨染川を埋め尽くす薄紅色の花弁。 花の上を渡るようだ、と。何処かの詩人が詠んだらしい。 桜祭の頃になると、墨染川は一面が桜の花で満たされて、ほんのりと花香る幻想的な景色になることで広く知られていた。 + + + 「舟守のお仕事がきてますね」 「舟守?」 舟守とは、いわゆる船の番人である。 といっても今回の仕事は、大型飛空船などの護衛などではない。 川などを渡る小さな船の漕ぎ手が一時的に不足するので、手伝ってくれないかというのだ。 「数日間、みっちり仕込んでくださるそうですよ」 仕事は簡単だ。 小舟を操り、ただひたすらに決まった順路を通るだけ。 客は小舟の中から満開の桜を楽しんだり、親しい者と一緒に小さな宴を楽しむのだ。 「結構。重労働だそうですから……お仕事は昼間だけ。夜は自由にして宜しいそうです」 そこでふと思いつく。 夜に客として小舟を楽しむのもいいかもしれない。 或いは。 夜に小舟を借りて出かけ、ひっそり一人で桜を堪能することもできる。 暇なら行ってみてはいかがでしょう、と受付は笑った。 そして忙しくも充実した日々が過ぎていった。 茜の空に闇の帳が落ちていく。 さぁ、いこう。 花の香りに誘われて。 永遠の思い出を輝く、桜祭の夜がくるよ。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 弖志峰 直羽(ia1884) / スワンレイク(ia5416) / 郁磨(ia9365) / ニノン(ia9578) / 尾花 紫乃(ia9951) / ユリア・ソル(ia9996) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ニクス・ソル(ib0444) / 透歌(ib0847) / ネネ(ib0892) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 蓮 神音(ib2662) / 宮鷺 カヅキ(ib4230) / ウルシュテッド(ib5445) / ローゼリア(ib5674) / パニージェ(ib6627) / フレス(ib6696) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / 久良木(ib7539) / 刃兼(ib7876) / 戸仁元 和名(ib9394) / 霞澄 天空(ib9608) / ティルマ・ゴット(ib9847) / 音野寄 朔(ib9892) / 宮坂義乃(ib9942) / 神室 時人(ic0256) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / ジャミール・ライル(ic0451) / 白雪 沙羅(ic0498) / 庵治 秀影(ic0738) / 燦千國 猫(ic0741) / リズレット(ic0804) / トム=メフィスト(ic0896) / シエン(ic1001) / リト・フェイユ(ic1121) |
■リプレイ本文 墨染川沿いに咲き誇る、満開の花。 風に遊ばれて舞い散る花が水面を薄紅に染めていく。 これこそが花渡りと歌われる、美しきうつつの夢に他ならない。 ●学ぶ感性 宮坂 玄人(ib9942)は相棒とともに、予約した小舟で周遊していた。 「……雪? 否、花弁か」 羽妖精の十束が身に降り注ぐ花を見上げる。一緒に空を見上げて『春といったら、やっぱりこの花だな』と風流を肌で感じだ。美味しい弁当に舞い降りた一輪をつまんで「桜だ」と教えてやる。普段は読書と鍛錬が趣味の戦闘狂は、目を輝かせた。 「つまり玄人殿が使う技、紅焔桜か?!」 「あたらずとも遠からず。その技の原型となった桜の花だ」 「む? 確か、木の下に屍があるという……あの桜か?』 「埋まってないからな!? それ以前に、めでたい祭りの席で縁起でも無い事言うな!」 どこかズレた回答に、教えることの難しさを知った。 ●水面の罠 天窓を開け放って降り注ぐ、薄紅の花。 横の障子をひくと、川岸の桜並木だけでなく、薄紅の花に満ちた大河が望める。 「桜が綺麗ですね」 尾花朔(ib1268)の声が遠い。桜花に魅入られた泉宮 紫乃(ia9951)が窓から身を乗り出し、冷たい水に手を伸ばす。水面の桜まであと少し。 「紫乃さん、危ないですよ。それ以上寄ると」 途端、小舟が揺れた。 あ――、と気づいた時には泉宮は頭から水面に向かっていた。力強い腕が強引に個室に引き戻す。舟守が「大丈夫ですか」と扉一枚隔てて尋ねた。尾花が「大丈夫です、少し燥いでしまって」と取り繕った。腕の中には、川に落ちる寸前だった泉宮が呆然としていた。 花の静寂。 「あ、ありがとうございま……す」 押し倒しているような、或いは抱きついているような状態に気づいた泉宮の顔が耳まで朱に染まる。 くす、と微笑む尾花は、薄紅の額に口づけを落とした。 「ダメですよ、身を乗り出しては。今度こそ川に落ちてしまいますよ?」 諭すように囁き、尾花は……物陰に手拭いを隠した。出番のないものはお役御免である。 気を取り直して席に座り、寄り添った状態でお膳を食べさせあう。 愛する婚約者と過ごす、とても素敵で幸せな一夜だ。 ●妹のように 蓮 神音(ib2662)は、エプロンドレス姿の春見と仙猫くれおぱとらを小舟に招いた。春見には「夜風は寒いから」ともふら半纏を貸し、桜を鑑賞しながら、子供用お膳を食べさせてあげる。 まるで妹の世話をしているみたいだ、と神音は思った。きっと妹がいたら、こんな風に過ごしていたに違いない。 『春見ちゃんは、神音をどう思う? ……て、聞いてみたいけど』 返事を知るのが怖い。 「ね、春見ちゃん。去年、桜の花でお菓子作ったの覚えてる?」 「あまくておいしいおはな」 「うん、それ。今年も作るつもりだけど、春見ちゃんも手伝ってくれるかな」 「つくるー!」 元気な返事に「ありがとー」と抱きしめる。神音の肩に積もった桜を春見が摘んだ。 ……食べる気だろうか。 「まえくれたおはなとおんなじね」 一年前、玩具がわりに桜ひと枝を与えた。同じ花に沢山囲まれて上機嫌の春見に、神音の口元が弧を描く。忘れない思い出とともに過ごした桜祭の夜。 しいて困った事をあげるなら、仙猫が人のお膳を奪おうとするのに手を焼いた。 ●美味しい食事を 「お菓子も買いましたし。さぁのの、お舟ですよ。まだまだ寒いですし、毛布も持って」 大量の菓子を買い込んだネネ(ib0892)が、ののに乗船のマナーを語る。無闇に立つと舟が揺れて、ひっくり返る事もあるとか、川の水はまだ冷たいとか。一方、駿龍ロロは花渡りの上空を悠々と飛んでいた。 舟の個室に用意されたお膳は華やかだ。 「きれーなごはーん! ……でもお野菜ある」 ののの野菜嫌い、未だ健在。 しかし努力の甲斐あってか『ひとつは我慢して食べる』等の習慣がついていた。筍や山菜を食べてみると、桜祭の名物お膳というだけあって美味しい。 苦いもの以外は全部食べた。 「えらいですよ、のの。はい、ご褒美のお菓子。でもこっちのお菓子箱はお土産用ですよ」 食欲に応える用意は万全である。底なしの胃袋に驚かされつつ窓から桜を眺めた。 薄紅の大河を。 「お舟に乗っていると、私たちも流れる花びらになったみたいで楽しいですね」 ふいに、ののが天窓から降ってきた一輪の桜をネネの髪に飾る。 「おそろいー!」 窓から手を伸ばせば届く距離。この時間が幸せを薄紅に彩っていく。 ●やりたいこと 共に桜のお花見に行こう、と誘った。 上級からくりのしらさぎが、四人乗りの小舟を操る。 個室の中には礼野 真夢紀(ia1144)とローゼリア(ib5674)、そして赤毛に紅茶色の瞳をした少女……未来がいた。礼野から借りたお洒落着で、未来もお出かけ気分にご満悦。 「未来ちゃん、寒くない?」 「う? あたしさむくないよ! あったかい!」 「ふふ、よかったですわね。未来。今日こそ――を連れて来るべきでしたかしら」 彼に船漕ぎを任せて桜祭で女子会気分を味わえましたのに、……と小声で呟く。 「大丈夫。墨染川を知り尽くしたしらさぎは、ここ毎日、営業成績上位ですから」 礼野の言葉に、天窓をあけたしらさぎが「あっち、みごろ」と白磁の指で示す。 咲き誇る桜花の連なり。篝火に燃える花弁の粉。 美しい星座が夜を彩る。 豪華なお膳を賑やかに楽しみながら、食後は礼野としらさぎが用意した花見団子を頂く。 「まゆのはなみだんご、しろはうさぎさんなの。つぎは、さくらのとんねる、いくね」 満開の花の下を渡りながら、ローゼリアは未来の顔を覗き込む。 「未来。将来どんな事をしたいですか?」 「う〜んと、海に行ってみたい、たくさんおしゃれして、たくさん貝を拾うの」 それは他愛もない、ささやかな『やりたいこと』だった。 ●お手本 前髪を彩る星屑のヘアピン、結い上げた髪を纏める簪、首筋を飾る音符の首飾り。 お気に入りで着飾った恵音の傍らには、アルーシュ・リトナ(ib0119)と少し複雑な顔の真名(ib1222)がいた。恵音はリトナを「おかあさん」と呼び、リトナは恵音にさんづけをやめていた。微妙な変化に、最初は戸惑っていた真名も、手を引かれて船に乗り込む。 「私がご馳走しますね。真名さん、恵音。さあ、華やかなお膳をどうぞ」 素敵なものや美しいもので満たされた花渡りの一夜。 どうか心に残るものであってほしい。 「ありがとう姉さん。そういえばね、私、ジプシーの修行を始めることにしたわ」 程なく旅に出る、と語りながら桜餅をつまむ。 「転職ですか」 「そう。でも私は陰陽師。その事に誇りは持ってるし、いずれ戻るつもりだけど、……寄り道もいいかなって。別の世界に飛び込めば見えてくる事もあると思うから」 リトナが湯呑にお茶を注ぐ。 「真名さんも、これから旅に出て……今までと違う道を歩みながら、新しい自分を重ねていくんですね。全部が真名さんを象る大事なもの」 ふいに恵音が「開拓者は色んな仕事になれるの?」と真名に尋ねた。 「そうよ。恵音の参考になるかわからないけど、私みたいなのもいるって覚えておいてね。帰ったら……姉さんの歌に合わせて舞いたいな。皆で一緒にね」 ぱちん、と片目を瞑ってみせた。 「ね、恵音。私が開拓者になって良かったのは、依頼を切欠に世界が広がり、縁が繋がった事。どんな道を選んでも、辛い事もあるけれど……幾らでも道は選べるの。真名さんは、良いお手本になるわ」 きっとね。 ●いつかきみと 「ふたりとも、はーやくー」 船着場で小舟に乗り込む少年が手を振る。戸仁元 和名(ib9394)は、孤児院でよく出会う人妖樹里と話し込んでいた。戸仁元が「今行くから」と声を投げて、樹里に向き直る。 「……せやから、白原祭のある白螺鈿近くの村や町で、ここ6年程の間に、引っ越しを行なった父母息子の家族がいないか、の調査をお願いしたいんです。頼めますか?」 「いいよ。白螺鈿の分室に毎週いくし調べといてあげるー、でも礼は形で!」 戸仁元は苦笑しながら「周遊のお料理をご馳走しようと思て」と小舟を指差す。 遅れて小舟に乗り込み、いざ出発。 「動き出した! みて、花びらいっぱいだよ! 水の中見えないけど、魚釣りしたいね」 僕だと釣れないけど、と肩を落とす到真に「そないな事ないよ。お魚さんの気分やから」と言いつつ、お膳の筍の木の芽和え豆腐を「あーん」と箸で食べさせる。 「到真君、おいしい?」 「おいひい」 もごもご咀嚼しながら幸せそうな小顔に和む。小舟の中で遠慮なく派手に飲み食いする樹里はさておき、春のお膳を楽しんだ後は、苺羊羹とあったかい緑茶で和む。 川沿いの篝火が茜色に燃えて、桜並木が美しく映えた。 「到真君、この前の話の続きなんやけどな……言うてたおまつり、白原祭っていうおまつりに似てるみたいなんよ。ここより南の里のおまつりなんやけど、毎年八月にあるんやて」 桜に魅入っていた到真が、戸仁元を見た。 次の白原祭は四ヶ月以上先だ。 「まだ詳しくは分からないんやけど、調べ始めたから伝えておこうと思て。……到真君が、小さい頃のおまつりを覚えてるいうことは、すごく大切な思い出やったんやろうなと思う」 記憶の奥底にしまった、遠い記憶。 「昔のこと思い出すのは大切なことやと思う。同じくらい、新しく楽しい思い出を積み重ねるのも大事やと思う。……大きくなって、色んな大切な思い出、思い出せたらええね」 ひらひらと桜が小舟に舞った。 話を黙って聞いていた到真は、戸仁元の傍らに座って……華奢な手を握った。 「さくら、綺麗だね」 「せやね」 「またお祭りで一緒にごはん食べたい」 いつまでも色褪せぬ思い出を、重ねていきたいから。 ●遠い未来を 待ち合わせの船着場にいた水鏡 雪彼(ia1207)は、婚約者と一緒に手をつなぐ少女を見つけた。 「結葉ちゃん、元気だった?」 「おねえさま!」 飛びついてくる少女を抱きとめる。雑談に興じる乙女達の元へ、舟を取りに行っていた水鏡の婚約者改め弖志峰 直羽(ia1884)が戻って来た。仲睦まじい姉妹が如き姿に、笑みが溢れる。 「ようこそ、お姫様がた。手狭ではありますが、暫しの船旅をお楽しみあれ」 ここはひとつ一流の舟守として。 片足で舟を安定させ、岸に小舟を寄せたまま片手を差し出す。 結葉は「おねえさまが先よ」と水鏡の背を押した。弖志峰の手を取って小舟に乗った後「手を繋ごう。ゆっくり乗れば怖くないから」と結葉に右手を差し出す。二人の手を取る結葉を最後に乗せて、弖志峰の小舟は大河を泳ぎ始めた。 卯の花煮の小鉢に、八宝の茶碗蒸し、白魚の天麩羅に薄紅の岩塩をふって。 「美味しい。たくさんあって豪華ね、結葉ちゃん」 「うん。おにいさまは食べないの」 「一応、今は『舟守のお仕事中』だからね。気にせず食べて。俺は後で頂くから。そうだ」 弖志峰が「味覚でも桜の風情を味わってみて」と差し出した桃色巾着には、桜の落雁が詰まっていた。お膳でお腹いっぱいになった後は、落雁をつまんでお茶を楽しむ。 「おいしいよ、直羽ちゃん」 「よかった」 「直羽ちゃん、お礼に後で舟漕ぎが疲れたようなら『あーん』するから頑張ってねー」 水鏡の一言で。 突然、弖志峰の舟の動きが機敏になった。 窓から桜並木を望みながら「凄い、早くなったね」と燥ぐ婚約者の声がする。 「キレー!」 「ねぇ、結葉ちゃんは素敵な旦那様を探すって聞いたの」 「そう。おにいさまとおねえさまみたいになりたいから」 幸せの指標は自分たち。 水鏡はぎゅー、と肩を抱いた。 「あのね。雪彼も直羽ちゃんも、結葉ちゃんの事好きだから……素敵な人と結婚してほしい。そういう人が出来たら紹介してね」 頷く横顔を眺め……弖志峰は別な使命感に燃えた。 『結葉が選ぶ人だから、未来の旦那様は、きっと大丈夫だと思うけど……結葉を泣かせる男は許さぬ』 まだ見ぬ花婿に殺気を漲らせる、元告白された人。 人の心は難儀である。 やがて一周して戻ってきた時、兎のように小舟から降りた結葉は「だめよ」と水鏡の上陸を制した。 「おねえさまはおにいさまに、あーんするの。約束は守るものなのよ。だからもう一周! 私は先にお宿に帰るから、いってらっしゃーい!」 かくして恋人達の時間は始まった。 ●三人でいつまでも 夜光虫の輝きが手元を照らす。 「今日は桜尽くしなんですよ〜。桜肉手毬寿司弁当に、桜茶、食後のおやつに桜餅です!」 白雪 沙羅(ic0498)とリオーレ・アズィーズ(ib7038)は、明希と一緒に小舟のお膳を囲んでいた。桜並木を拝む為に窓を開け放った白雪は、水面を流れる花弁の洪水に混じって蠢く影に目を奪われたのだが……アズィーズたちが気づく節はない。 「明希、これから窓を全部あけますけど、川に落ちたら危険ですから……船から余り身を乗り出さないでくださいね。例えば静かな沙羅ちゃんを見習って……」 「つ、捕まえてやるのにゃ〜!」 じゃぼーん、と水飛沫が上がった。 落ちてはいないが、頭から水を被った白雪は濡れた桜花にまみれている。数十秒前の説得の重みが吹き飛んだアズィーズは、呆然としながら『ああ、お魚を狙う狩人の眼光に』と悟りきった眼差しを向けた。 我に返った白雪が咳払い一つ。 「舟の上で暴れるとこういうことになるので、明希は真似しちゃダメですよ? よ?」 急に明希がマフラーをかぶせた。遠慮なく動かす。 「あ、明希?」 「毛並みは大事なの。ぬれたまんまはよくないってきいたから」 手拭いなど何も持っていないので、マフラーで代用したらしい。何度も水滴を拭いてから、マフラーを折りたたんで置いた。髪がぐちゃぐちゃになった白雪を見て、櫛で梳かそうとする。 大丈夫よ、ありがとう……と囁いてお膳を食べ始めた。 「明希、お馬さんのお肉も、桜肉と言うのですよ」 「こっちの桜茶は、塩漬けした桜の花にお湯を注すんですよ。ほら、湯呑みの中に桜が咲いたみたいでしょ。素敵よね」 「桜の色きれい」 「来年もまたこうやって一緒に桜を見ましょうね。もちろん、沙羅ちゃんも。」 「はい! 明希とリオーレさんとこうして過ごせて楽しいです。来年と言わず、毎年来ましょうよ。三人で。親子……というのも微妙なので三姉妹でどうですか?」 「ねこねこ三姉妹?」 両手で耳を再現する明希をみて、笑みが溢れる。 ●幸せのカタチ フェンリエッタ(ib0018)は苺大福の入った紙箱を片手に、星頼と予約していた小舟に乗った。星頼の頭には提灯南瓜のピィアがいるが、何故かウルシュテッド(ib5445)の姿はない。星頼が落ち着き無く周囲を見回すのでフェンリエッタが教えた。 「星頼。叔父様は向こうの舟よ。今夜は自分の家族の形を変えようと、ある人と大事なお話をしてるの。星頼と一緒にお花見できなくて、ごめんって。許してくれる?」 窓の外、遠くの小舟を指差す。 星頼は言った。 「大事なお話は、大事だよ。ピィアも我慢だよ」 フェンリエッタは「後で陸に上がったら話せるわ」と囁く。 上級人妖ウィナフレッドが「たべないのー?」とお膳を既に食べていた。 食事をしながら、満開の桜を望む。 「綺麗ね……桜を見ると、皆と出会った日の事を克明に思い出すの。星頼は、どう? この一年で自分は変わったと思う?」 「色々覚えて、色々なところへ行って、色々変わったと思う」 「その変化はきっと力になるから、覚えておいてね。むこうの舟の叔父様も星頼に出会って変わった気がする。だからこそ……かな。また強くなったし」 ぱちん、と箸を置いた。 ごちそうさまでした、と両手を合わせて、苺大福を取り出す。 「人は自分が生まれた家族を巣立って、新しい家族を作ったりするけど、その形は色々あるわ。今の星頼が望む家族の形はどんなものかしら」 星頼は少し考えて言った。 「一緒にいて幸せになれる人?」 星頼の返事に、フェンリエッタは複雑そうに微笑んだ。 ●求婚のゆくえ 真っ赤な苺に白い餅、塩漬け桜を混ぜ込んだ白餡は味を引き立てる。 「そなたは本当に菓子作りがうまいのう」 ウルシュテッドの大事な話の相手はニノン・サジュマン(ia9578)だった。幸せそうに苺大福をほうばりながら、濃い目の抹茶を竹筒の牛乳で割る。ウルシュテッドは「抹茶も美味い」と微笑み返す。 「で、何かいいたそうじゃが……この前の続きかや?」 「ああ。何度でも言う。俺と結婚してくれないか、ニノン。直感が君を選んだ……それがすべてだよ。俺が積み重ねてきたものを知れば、君にも解る……だけじゃ困るか」 精悍な顔が崩れ、悩みだす。 「ニノン。君は返答一つで俺の全てを覆した。有り得ない事だ。己とは家族や故郷そのもので、その為に培った心身に絶対の自信がある。他人とは俺の『大切』に仇なすか否かの2種類だ。いや、だった。それを君ときたら」 少年のように笑う。 暫くウルシュテッドを見ていたサジュマンは、ふか〜い溜息をこぼす。 「惜しいのう……そなたのような良い男が、全員男とくっつけば世の中極楽なのじゃが」 絵巻的に。 と、揺るぎなく宣うサジュマンに、ウルシュテッドは脱力した。 「ニノン、全く君は……いや、大した胆力だ。一つの事に没頭してさ。楽しげで懸命な姿はいい。顔も好みだよ」 一喜一憂して、肩の力が抜ける。 ウルシュテッドは深呼吸した。初めての気持ちだ。 自分が恋に身を焦がす日がくるとは、想像もしてこなかった。 「……君と出会い。俺は初めて己の為に将来を考えた。ニノンとなら、お互い楽しく生きていける。これから俺の展望を見せよう。だから君も考えてくれ……共に築く未来を」 これ以上の熱烈な求婚があるだろうか。 「そなたの様な思慮深そうな男が、そこ迄言うのじゃから、本気の度合いは分かった。最初は気の迷いかと思うたがの。 そうさな。 人格、甲斐性、見た目、趣味への理解、腕っ節と料理の腕前……結婚相手としては申し分ない」 こくりと抹茶をひとくち。 「あとはあれじゃな。わしのこの気持ちを、恋に変えてもらえぬかの。……こういう事を言うと意外かえ?」 ふふ、と挑戦的に笑うサジュマンに「じきにそうなる」とウルシュテッドは告げた。 恋の駆け引きは、いつの時代も胸が躍る。 ●夫婦の願いは 『早咲きの桜……もう、そんな季節か。早いものだな』 最初、虹陣にきて桜を見上げていたニクス(ib0444)も、今宵ばかりは妻のユリア・ヴァル(ia9996)と久しぶりのデートに浸る。舟守はいない。ふたりきりの時間を楽しむために、自分で漕いだ。絶景の川岸で綱を張り、桜の雨に包まれながら夕餉を始める。 豪華な食事に箸を伸ばしながら、桜花を見上げた。ニクスの横顔をみて「ふふ」と微笑むヴァルは夫のサングラスに手を伸ばす。 「こんなに良い日和なのだもの。サングラス越しの景色は勿体無いでしょう? それに、ニクスの優しい目。私は好きよ」 引き抜いた眼鏡は食卓の端へ。 甘えながら寄り添う妻の願いを、ニクスは聞き届けた。 花吹雪は二人の傍らをすりぬけ、墨染川を薄紅に塗り替えていく。 「見事だな」 「ええ。そういえば昔、桜におまじないをしたわね。あの時願ったのはニクスだけの幸せだったけど……今ならきっと、もう少し欲張りよ。ニクスはあの時、何をお願いしたの?」 「願ったのは」 儚い花の果てに望むことは。 「長生きをしたいということ、だな。ずっとできるだけ長く、ユリアと共にありたいから」 ザアッ、と風が吹いた。夢景色を魅せる花弁が、夫婦を包み込んでいく。 ●巡る春に 生い茂る緑を圧倒する、桜並木。 枝もたわわな可憐な花は、手を伸ばせば届く位置にもある。 連日、客をのせて桜花の大河を渡る時は、操縦や安全、観光案内に気を取られてしまうけれど……いざ客の身になって花渡りを享受すると、普段見る景色も鮮やかに変わる。 「この料理、楽しみだったんです」 透歌(ib0847)の瞳が輝く。 「良かった。慌しい時期に遠出したかいはあったみたいね」 胡蝶(ia1199)は戦いの慰労を兼ねて、スワンレイク(ia5416)と透歌を誘った。舟守の技術習得に一番時間がかかったのは透歌だったが、自在に操れるようになると胸が踊るのは誰しも同じ。 個室の机に並んだお膳、苺などの瑞々しい春の果物。 そしてとっておきのお酒を共に。 「乾杯よ。今日は『お客』なんだもの。遠慮なく楽しみましょ」 胡蝶と盃を交わすスワンレイクは、食事の傍らで笹舟を作っていた。今乗っている小舟に似せて、折ってさいて織り上げて、美しくも儚い色に染まった墨染川に放流する。薄紅の花に押されるように小舟は遠ざかっていく。 「子供の頃を思い出しますわ。料理も美味しくて、贅沢三昧」 「きれいな花を見ながらたべるご飯は、いつもよりおいしいですね、胡蝶さん」 「ええ、そうね。透歌」 胡蝶の朱盃に舞い降りた白い花が酒を揺らす。 「思えば……スワンに協力を頼みこんで、透歌達を引っ張り込んで……お試しのはずが、この小隊も思ってたより長く続いてるわね。まあ……その、何よ。全員が居ない場で言うものなんだけど……感謝してるわよ」 ぽそり、と告げた。 改まって口にするのは気恥ずかしい。頬を桜色に染めた胡蝶の手をスワンレイクが握る。 「……また、来年もこの景色を見に来ましょう、隊長。透歌さん」 今年も。来年も。 再来年も。そしてその次の年も。 穏やかな春を慣れ親しんだ仲間と迎えられたら、それは素敵なことだと思うから。 「そうね。さて、帰りは飛行船なんだから、遠慮なく食べて飲みましょう!」 「はい隊長」 「胡蝶さん、次の瓶あけちゃいますね」 賑やかな花の宴。雪のように降り注ぐ、極彩の景色の中でスワンレイクは祈る。 ――わたくしの大切な方々に幸多からんことを。 ●相席の宴 「相席ありがとうございますなんだよ、おじさま」 フレス(ib6696)の前には、ここ連日の舟守仕事で一緒だったトム=メフィスト(ic0896)がいた。現在、墨染川の大河に漕ぎ出している小舟の操舵は、メフィストの養い子だという霞澄 天空(ib9608)が……緊張気味に行っている。 「出発前に気づけてよかった。どうぞ食べてください。お酒は嗜まれますか」 「ちょっとお酒には興味あるけど……私にはまだ早いかな。旦那様に怒られちゃうから」 「奇遇ですね。此方もお酒はあまり強くないもので……ありがたい。それでは桜茶で一献」 夜桜の下で、かちりと湯呑が鳴る。 「そうだ。私、頑張ってお惣菜をつくってきたんだよ。桜の花を象った海苔巻き。お料理は修行中なんだけど、上達の為にも誰かに食べてほしくて。私の旦那様は、なんでも褒めちゃうから」 「ほう、ありがたく頂きます」 フレスが霞澄にもすすめると、こちーんと固まった霞澄が「え、いや、ああ、う」と謎言語を発する。女性に対して上手く会話や接し方ができない霞澄は、連日の舟守でもついつい年配や男性を選んでしまう有様だった。息子を見かねたメフィストが、頃合の場所に舟を誘導するよう指示し、やがて三人で小さな宴会が始まった。 「見上げても桜、俯いても桜……綺麗ですね」 「うん。奇麗な桜を見ながらのお料理って、益々美味しく感じられる気がするんだよ」 毎年、桜の季節が楽しみで仕方ないと、フレスは語った。お膳に差し入れ、汁粉に花見団子。黙々と食べて続けて、気づけば寝入った霞澄を見て、メフィストが苦笑を零す。 「やれやれ、帰りは漕ぎましょう」 ぎぃ、と小舟は花の大河を渡っていく。 ●不運は続く 一日ぐらいは、と誘い合って音野寄 朔(ib9892)が席をとった。 「いやはや、花緑青の舞姫にまた会えるとは思わんかったわ。しかし今日は……デートか? 相席は邪魔と違うんか?」 首をかしげるシエン(ic1001)の言葉に、神室 時人(ic0256)は顔を赤くした。 「い、いや、デートだなんて、そんな」 「なんじゃ違うんか。ほー、色男が勿体無いの。それならワシも一緒に乗ってもええかの?」 「そのつもりで夜桜見物の舟を貸し切ったのよ。さぁ乗って。出発よ。お膳にお酒にお菓子もあるし。……神室さん。萎縮する必要はないわ。ほら一杯どうぞ。シエンさんも如何?」 「あ、ありがとう……きょ、今夜は晴れて良かったね」 「本当に、景色もええし昼間は日差しも暖かくて眠くなったし……」 あっという間に舟守仕事の日々が過ぎた。 時の流れは早いものだと感じる隣で、猫又は「サクー、アタシもー」と食事をねだり、シエンはうっかり神室の膝に座ったり、女性に囲まれて落ち着かない男は石像が如く固まっていた。上空に助けを求めても、炎龍蘇芳は夜の空中散歩で忙しい。 シエンは神室を椅子にしたまま猫又と遊ぶ。 「朔殿の猫又は可愛いの。飼い主に似たんかの? 一緒に寝るか?」 賑やかな夜宴の花見。 風に舞う白や薄桃の花弁が美しい、と風流に浸る音野寄の前で、一枚の花弁が神室の耳に入ったのが見えた。 「う、うわ、耳に何か! 虫!?」 「なんじゃ、急に立上がって! 待て、神室殿、危ないじゃろ……あああ!」 「ちょっと! そんなに騒ぐと落ちッ」 どぼーん、と小舟からシエンと神室が落ちた。 人が落ちる事は滅多にないので、周囲の舟がざわめき「大丈夫か」と声を投げてくる。しかし現役舟守が二名も落ちたとは口が裂けても言えない。音野寄は闇に感謝しながら「大丈夫です、ただの悪ふざけ」と切ってすてた。ジタバタ暴れる神室達に手を差し出す。 「まあ……風邪を引くわ。掴まって」 「おぉすまんな」 「ごぼごぼがば! 助かった、朔君! およげなくて」 刹那、シエンは手を掴んだが、溺れる神室の細い腕は……空をないだ。 もにゅ、もにもにもに。……なんだろう、柔らかい。 「……そこは、手じゃなくてよ」 「ヘンタイ!」 胸を揉まれる音野寄を見た猫又の霰は、大声で叫び、神室に懇親の蹴りを食らわして水に沈めた。沈めて初めて、神室は川底に足がつくことを知った。 「す、すすす、すまない、悪気があった訳では!」 「とにかく、上がって」 そしてシエンの方も服が大変な事になっていた。結び目は解けるわ、藻が絡まるわ、花びらまみれだわ。深い溜息を零したシエンが神室に迫る。 「……まったく、もみくちゃになったわ。神室殿、直してくれ。宿に帰ったら洗濯も頼むぞ。これはヌシがやったんじゃろ? ヌシも男じゃろ? 責任取れ」 つー、と顎を人差し指で辿った。 ●愚痴も皮肉も背中合わせ 「なにあれ、うらやましすぎー」 窓辺に顎を預けたジャミール・ライル(ic0451)は、からくり緋号巌鉄が舟守を務める小舟で庵治 秀影(ic0738)と食後の酒を傾けていた。庵治が笑う。 「くっくっく、冴えねぇ顔してるな。ちったあ上を見ろよ、夜空に桜が映えるってなぁ、こいつぁ思った以上に粋じゃねぇか。これだけ盛大に咲いてるんだ」 「えー、どうせ桜見るなら女の子とが良かったなぁ。お、あっちの船の子かわいい。あー……あっちの船乗りたかったなぁ、こんなムサいじゃなくて」 つらつらと女好きの恨み言が続く。 「てゆーか、何この……せまいんだけど。なんでこんな図体でかいのと一緒なんだろ……もうちょっとつめてよー、おにーさん落ちちゃう」 隣の巨体を押してみた。 「仕方ねぇだろうよ、でかい男二人乗ってるんだ。こんな小船に綺麗どころは乗せられねぇだろうさ、今日は出てる船も多いしな」 庵治は漆塗りの盃に手酌で酒を注ぐ。 「女ばかりが乗っている船と併走して一期一会で酒を酌み交わすのも悪かねぇさ。まぁ、子供や男付きを乗っけた船ばかりだけどな。……ふむ、まぁ、いつものように飲めばいいだろうよ。楽しくやってりゃあ桜の精でもやってくるかもしれねぇぜ」 「……冗談だって、嫌なら元から一緒にいねぇよ」 ぽふ、と背中合わせに寄りかかる。 信頼できる者は特別だ。 「おにーさんはそのへんの、なんてゆうんだっけ……フーリュー? はよくわかんないんだけど、庵治っちゃんと一緒は楽しいよ、それだけ」 天窓から注ぐ花弁に手を伸ばす。 「庵治っちゃん。桜って、梅と似てるね。違う?」 「そういやぁ、桜はちと怖い話もあってだな」 「この空気で怖い話する?! ちょ……お、おろして! ぎゃー!」 嗤う庵治は「どこに逃げるんだ? えぇおい色男」と逆襲を始めた。 ●天妖の苦悩 「壮絶な延長ラッシュじゃったのぅ」 ぐったり、と小舟の床に突っ伏しているのは、天妖蓮華である。駆け込み需要と言うべきか、今の今まで羅喉丸(ia0347)は小舟の営業に忙しかった。漕いでいる羅喉丸に余力があるのに、なぜ天妖蓮華が脱力気味なのかというと……正しく天妖だからである。 「ぬおお、妾は天下の人妖、それも天妖さまじゃぞ! かわいいは百歩譲って、触りすぎじゃ! 踊り子には手を触れぬものじゃろう!」 普段は羅喉丸が忙しく、全く構ってもらえない蓮華も……観光客の『見して持たせて触らせて』攻撃には精神的に窶れていた。 「終わったからいいじゃないか。上を見てみろ」 この静かな夜の墨染川と花吹雪が、ひとときの安らぎ。 「去年も来たが、同じ景色のはずなのに……ふと違う景色にも見える。綺麗なものだな」 一方、仏頂面の天妖蓮華が身を起こし、ごろりと仰向けになった。 小舟に降り積もる桜の花に抱かれているようだ。 「確かに美しいのぅ」 「そうだ。祝うのがすっかり遅くなってしまったが、天妖になったのだったな。おめでとう。蓮華。これからもよろしく頼む」 小舟を桜の古樹の下で止めて、隠しておいた酒をあけた。 ●いつまでもあなたと からくりローレルは洗練された動きで小舟を操る。 蜜蝋色の月と満開の桜を背負った硬質の横顔を見上げて、リト・フェイユ(ic1121)は感嘆の溜息を零した。しっとりした空気と墨染川の水、桜の香りが別の世界へ誘うようで。 「ローレルは、昼の桜も夜の桜も同じだと思う?」 「どうかな。桜は桜以外の何物でもない。ただそこにあるだけだ。だが……景観の変容は、日々異なる。晴天、雨、雪。人はこれを風流だとか美しいと評するのだろう? リト」 からくりは学習から個性を獲得する。 闇夜の桜を愛でながら、フェイユは言葉を紡ぐ。 「ローレル、私ね。心は何処から生まれるのか、ローレルを見ていると不思議になるの。存在の根本が違う事とか、頭では解っているけれど……でも、やっぱり私にとってはあなたと見る桜が何より綺麗なのよ」 ローレルはフェイユの言葉に耳を傾け、どんな返事を返すべきなのか悩んだが……ふいにばさりと、背中に当たってしまった桜の枝を眺め、愛でるひと時を特別に感じていた。 ●静寂の言葉 甲龍雪代とからくり橘は、岸辺で溢れんばかりの桜花に埋もれていた。 水面の上にまで枝を伸ばす桜が多く、墨染川を渡る小舟から極力見えぬ位置を選んだ。 「師弟水入らずだ。のんびり待とうぜ」 それでも気になるのだけれど。 彼らの主人達――久良木(ib7539)と宮鷺 カヅキ(ib4230)は、営業を終えた小舟に乗り合わせて、ひと気のない沖へ繰り出す。けれど遠くから見ても連なる桜は鮮やかだ。 雲一つない闇に星座が輝き、蜜蝋色の月が微笑む夜だった。 「こうしてのんびり過ごすのも、久しぶりだな」 なぁカヅキ、と視線をそらすと、愛弟子は花渡りの川と桜をぼんやり見ていた。 「……綺麗、ですね。師匠」 薬指に光る指輪に、久良木が双眸を細めた。 周囲に小舟がいないのを確認して棒を水から引き上げ、水流に流されるまま小舟を預ける。どっかりと腰を下ろして、軽やかに笑った。 「よく似合ってるじゃねェか」 「え? あぁ、これはその……、……大切な事、中々話せずにすみません。実は」 「おッとそれ以上言うなよ? わかってるから〜……良かったな」 言葉は不要だった。 瞳に映る想いが、全てを語る。 「俺はさ、嬉しいわけよ。あんなに表情も無くて小さかったお前が、こんなに成長してさ。……思い描く幸せを追えば良い。心が粉々にならなければ」 真に愛してくれる相手なら。 「あの時、俺はお前にそう言った。今も、何ら変わりないさ」 宮鷺は小首を傾げた。 「どんな状況に置かれようと、私が貴方の臣下である事に変わりありませんからね……?」 頑なだなぁ、と久良木が呟いて、再び棒を手に取り、小舟を操り始める。 師の背中を見ながら、宮鷺はなんとなく己の心臓に手を当てた。 静かに目を閉じた。 ●告白 綺麗な桜を、楽しんで欲しくて。 「綺麗だよね。ほら、桜の河みたい」 「はい、綺麗だと思います。実際に見るのは初めてですけど」 「……り、リズ。そ、その服と腕輪、よく似合ってるね。とっても素敵だよ」 小舟を操る天河 ふしぎ(ia1037)が囁いた言葉に、リズレット(ic0804)の顔は耳まで赤く染まった。桜を見るのは初めてで、お祭りだと聞いて、うんとオシャレをしてきたリズレットは「ありがとうございます、ふしぎ様」と言って、胸内の不安をかき消した。 『気づいてくれた……今夜はリゼにとって。特別な日』 予感があった。 揺れる小舟はイタズラで。助けを求めた手は、抱きとめられて。 「大丈夫? あ、あのね。リズ……僕、リズの事が大好きなんだ。僕と……お付き合い、して貰えないかな……そして、これからも僕の側で」 一緒に。 こくり、と頷いたリズレットを天河は思わず抱きしめた。 月光に照らされた二人の影を、桜吹雪が包んでいく。 ●問い 「どうしてあたしを連れてきてくれたの」 華凛の唐突な問いに、无(ib1198)は驚いた。桜で満ちた川を下る舟守仕事は、仕事の後に小舟を独占できる特権がある。普段ならアルドを連れて出かける无は、何故か華凛を連れてきた。夜風が華凛の黒髪を浚う。青い瞳から目を逸らさず、无は桜をひと房摘んだ。 「連れてきたいと思ったからですよ。華凛だって、あまり外に出たことがないでしょう」 摘んだ桜を、宝狐禅ナイが運ぶ。 「だけど、あたしは……困らせる事が、多いし、……なんでか、わかんないよ」 「本当は全員を連れて出かけたい。皆もそう思っているはずです。しかし大人には難しい取り決めがありましてね。外出の保証人は一人に一人。ままならないものです」 脳裏に思い出すのは『楽しんでくるといい』と言って送り出した、大人びたアルド。 「おいで。華凛、漕ぎ方を教えましょう。ちゃんと漕げたら好きな場所へ行きましょうか」 ひとりで悩んでいた華凛も、漕ぎ方を習うと短時間でコツを掴んだ。 「では漕ぎ手交代で。桜祭はどうですか」 「綺麗。ずっと見ていたい」 桜に手を伸ばした刹那「すいませーん、おくってください」と観光客らしき者が声をかけてきた。とっくに営業は終わっているのだが、慌てる華凛に確認を取って、客を載せる。 「それではお客様。訓練中の水先案内人が、花渡りをお見せしましょう」 无の言葉に、華凛が必死に漕ぎ始めた。 ●ともにある決意 小舟は桜花の川を渡っていく。 仙猫キクイチを抱いた旭は、墨染川へせりでた桜並木の隧道の真下を潜った。手を伸ばして花に触れる度、ハラハラと花弁が落ちていく。小舟の中は薄紅の花の絨毯だ。流麗な舵で一角に小舟をとめた刃兼(ib7876)は「少し休むぞ」と小舟の中に腰を下ろした。 「ハガネー、ハガネー、はい、たくさん花吹雪〜!」 着物の袖で集めた花弁を頭上に降らせる。 白、桃、薄紅の桜。 「―――旭、俺の娘にならないか」 旭の手が止まった。 ぽかん、と口を開けている。 舟守の証である手袋を外した刃兼が、桜を持つ少女の手を握った。 「……人が、誰かの人生を預かるって事は、途中で投げ出したりできないから、俺なりに覚悟が必要で。俺自身、随分悩んだが……俺の腹は決まったよ」 旭は『おとうさん』を必要とした。 大勢触れ合った開拓者の中から自分を選んだ。 その想いに応えたい。 なにより己に自問自答した時『家族になりたい』と望んでいた。 浚われた子供達の存在を知ったのは、ずっと前。初めて旭を見たのは昨年の二月。 共に過ごして僅か一年。 生涯の伴侶を選ぶ前に、養う子を見つけてしまった。 人生、何が起こるかわからない。まだ人として未熟なのは承知の上で、それでも。 「親として、お前の人生を引き受けたい。それに……俺は旭が好きだぞ。嫌ったりなんかしない。もし喧嘩することがあっても、どうすればいいか話して考えて、一緒に乗り越えたいと思うから、さ」 旭は……集めた桜を放り出して刃兼の首に飛びついた。ぎゅうぅ、と羽織の襟を握る。 骨ばった手が旭の頭を撫でた。 「だから、偉い人達と話し合ってくるよ」 肩に顔を埋めた旭が「うん」とくぐもった声で呟く。 「院長や皆と相談が必要だし、実現には時間が掛かるかもしれないが……家族になったら、長屋に住んで、新しい旭の布団を買って、そんなに贅沢はできないけど、旬の美味しいものを食べて、綺麗な着物を着て、温泉に行ったり、お祭りにだって行こう」 何気ない日々を過ごして。変わらぬ四季を巡りながら。 「きっと旭が大人になるまで、すぐだ」 小さな喜びを分かち合う。 「時が来たら迎えにいく。約束だ」 蜜蝋色の月が微笑む夜桜の下で、刃兼と旭は小指を絡めた。約束の指きりだ。 ●桜と四葉 一緒に出かけよう、と約束して随分と時が過ぎた気がする。 郁磨(ia9365)とパニージェ(ib6627)は、孤児院から連れ出した子供達が走り回る背中を見て「元気だなぁ」「全くだ」と話し合っていた。道端で買った手頃な玩具に焼き魚、食べ歩いて楽しそうな二人を見ると、疲れも吹き飛ぶ。 「まさに水を得た魚だな」 「孤児院の石畳にも桜はあったけど、ここまで立派じゃないもんねぇ〜」 視界を埋め尽くす艶やかな花。 夜も路に立ち並ぶ出店の列。過去に見た沢登りの川も、ここよりずっと狭かった。まだ見ぬ世界や美しい思い出を、子供達の記憶に残してやりたい。 道を走り回る仁は「ぶぅ〜ん」と言いながら、買ってもらったかざぐるまで風を起こす。和はというとかざぐるまは帯にさして……何故か、大量の桜の花びらをお面の中に押し込んでいた。色ごとに数まで数えている。 何をしているのだろう。 「あ、パニさんは漕ぎ手お願いね〜」 「う、きたか。仕方がない。俺が漕ぎ手をしようか。酒はお預けだな」 「帰ってからね。和、仁、船の上では暴れちゃ駄目だよ〜? ……落っこちない様に、ね?」 「あまり勝手に乗ると怒られるらしいからな。……こっそりとだぞ?」 人差し指で『内緒だぞ』の合図をすると真似をする。 力強く棒をついて、小舟は沖に出て行く。 「桜は去年以来だが……こうして毎年桜を見られることほど良い事はない。仁、楽しいか」 桜の水面に目を凝らして「花の下に魚がいた! 魚! こんくらいの!」と騒ぐ仁に対して、和は……また拾い集めた花びらの枚数を数えている。何故だ。 「ね、和。なにしてるのか聞いていい?」 「おみやげだよ」 そう言うと四枚の花びらを並べた。 四つ葉の形に。 「四葉かんせーい。あっちの桜に、この色はないんだ。だからここの色を持って帰る。持って帰ったら、全部四葉にして、しおりを作るんだよ。そうしたら、みんな幸せだよね」 和の胸を飾るブローチ「グリーンクローバー」は、一年前に贈ったもの。 全員分の四葉はみつからないから。かわりに桜で。 郁磨は、ぐりぐりと頭を撫でた。 「さて。舟降りたら林檎飴食べたいなぁ……パニさん、おごって」 「林檎飴……? そういえば食ったことが無いな、俺も。いいだろう、本日の稼ぎ頭がおごろうか、一本ずつな」 双子は「たべるー!」とか「おっきいやつー!」と歓声をあげていた。 ●語らぬ言葉と 舟守たちは朝早くから夜遅くまで小舟を営業する。 入れ代わり立ち代わり、例えば復路では墨染川の水の動きに逆らって。 「うんうん、あたしはよく働いた! 今夜こそティルと一緒にお花見なのじゃー、ティールー、うお?」 売上金を納入した燦千國 猫(ic0741)が待ち合わせの場所に行くと、ティルマ・ゴット(ib9847)の正面には、知り合いの紫ノ眼 恋(ic0281)だけでなく、少年がいた。 「こんばんはー、ぼく、真白っていいます。恋おねえさんのお友達?」 紫ノ眼が孤児院から連れてきた子供だった。お互いに自己紹介を済ませつつ船に乗り、燦千國はぽりぽりと頬を掻く。 『おこさまもおるしのぅ。こりゃあんまりいちゃいちゃするのは控えたほうがええのう』 百面相する燦千國を見て、紫ノ眼は何かを察した。 「舟の漕ぎ手は引き受けよう。ゆっくりするといい……気にせずしてくれて構わぬよ、普段通りに」 燦千國の表情が、ぱぁっと華やぎ「かたじけない。お言葉に甘えさせてもらおうかのう」とゴットの隣に座る。二人の尻尾の動きを凝視する紫ノ眼。 「あ、真白はあれだな。一緒に桜、見てようか。折角だ、花見を楽しもう。足元においで」 小舟が墨染川へ泳ぎだす。 燦千國は、ちらりと傍らのゴットを見上げた。 月光が照らし出す、大切な横顔。蜜蝋色の月を背負った姿に桜の花吹雪が紛れていく。この薄紅の夢を切り取って永遠にできたら、どんなにか素敵だろう。 最近は穏やかな毎日だった。 『しかし……開拓者など続けておれば、明日にはティルと居れんようになるかもしれぬ』 過ぎる不安を打ち消すべく。しゅるりと尻尾を絡ませる。 ゴットも、それに答えた。 ただし言葉はない。相手に思うことを伝えることが苦手だった。話したい事は沢山あって、募らせた想いを守る為に己を磨き、伝えきれぬ感謝を胸に秘めながら……何故、騎士を目指したかすら伝えてないことに気づいて苦笑いした。 「む? ティル? どうかしたか」 「いや。桜が綺麗だな。マオ」 「そうじゃのぅ」 一方、紫ノ眼は真白に「桜は一番好きな花なんだ」と教えていた。 最初の桜は師のもとで。一年前は、からくりの白銀丸と見上げて。 「今年は真白と見れた。思い出はこうして積もる、花弁の様に。皆と、真白と、こうして共に見れて良かった」 小舟は揺れる。 ゆらゆら、ゆらゆらと、沢山の想いをのせて。 |