【玄武】術開発のススメ1
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
EX :相棒
難易度: 不明
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/03/29 21:17



■オープニング本文

【このシナリオは玄武寮の所属寮生専用シナリオです】


 此処は五行の首都、結陣。
 陰陽四寮は国営の教育施設である。陰陽四寮出身の陰陽師で名を馳せた者はかなり多い。
 かの五行王の架茂 天禅(iz0021)も陰陽四寮の出身である。
 一方で厳しい規律と入寮試験、高額な学費などから、通える者は限られていた。
 寮は四つ。

 火行を司る、四神が朱雀を奉る寮。朱雀寮。
 水行を司る、四神が玄武を奉る寮。玄武寮。
 金行を司る、四神が白虎を奉る寮。白虎寮。
 木行を司る、四神が青龍を奉る寮。青龍寮。

 そして。
 玄武寮の一室では、術研究論文を精査した結果が発表されていた。
 元より玄武寮は研究者が集まる傾向にあり、抑も入寮の段階から明確な目標を求められる。
 三年生の多くは卒業論文に全てを捧げていく。
 だが時折、学生の身分で高度な技術を創りだせる者が現れることがあった。
 術理論の構築から研究における筋書き。三年かけた膨大な論述書の提出。
 沢山の資料を積み上げて。
 実現の可能性が高いと判断された者にだけ許される領域。

 それは研究の高嶺へ挑もうとする者たちの戦いの記録である……

 +++

 玄武寮の寮長、蘆屋 東雲(iz0218)は、符術の講師桂銅とともに、寮生たちに提出させた術研究の論文を返却していた。副寮長の狩野 柚子平(iz0216)は相変わらず多忙のため不在で、人妖樹里やイサナが寮長達を手伝っていた。
「さて皆さん、上層と会議した結果をお知らせします。資料を開いて」

 まず『複目符(仮)』は研究許可が下りた。最も、現時点では同時起動できない人魂の式神をどのように増やし、どの程度維持し、いかに酔うことなく、どの距離まで飛ばせるのか等の課題は多い。相当な力の消耗は避けられないだろうと、意見がついていた。

 次に『侵蝕符(仮)』も研究許可が下りた。更なる猛毒の考案はアヤカシ討伐に有効であると判断されつつも、術性質上、肉体を持つアヤカシに対象が限られたり、抑も毒性質を持つアヤカシへの無効化懸念など、開発研究過程で術の構造だけでなく条件の追求も必要になりそうだった。

 次に『金剛呪符(仮)』の研究許可もおりた。どの程度、強化効能が積めるのか、術使用での負荷の程度など、研究すべきことは多いが、強力なアヤカシが増えつつある昨今、防壁の強化には期待がかけられている。

 次に『瘴気の檻(仮)』については一応研究許可が下りたが、拘束用呪術具の一切を使用しない、瘴気のみを基盤とした檻の具現化を実現させた研究者は過去にいない、と記述があり、強い期待と共に研究の難しさが伺えた。実際に術が形になれば、アヤカシに複数回接触して試行錯誤しなければならない為、命の危険もつきまとう負荷の多い研究である。

 次に『瘴気測定(仮)』の研究許可もおりた。現在、瘴気や精霊力の測量には、懐中時計ド・マリニーなどの道具が必要不可欠だが、もし術のみで瘴気濃度を推し量れれば、利便性は上がると書かれている。

 次に『陰陽回帰(仮)』の研究許可もおりた。既に治癒符や瘴気吸収という回復術がある。ここから発展させ、瘴気で構築された敵の術を一瞬で元の瘴気に分解し回復術に変換する。いわば究極の陰陽術だ。目に見えぬ攻撃には対処困難だろうが、物理的な攻撃には実現が可能な論文であると認められた。問題は、余りにも高度で複雑な手順を踏む上に、危険が伴うという事だろう。

 そして『愛慕(仮)』は危険性が強く却下された。
 瘴気は物質化して知性を持たせようとすれば、大半が暴走する。攻撃術の式神は敵対象を攻撃する事しか頭になく、例えば高位陰陽師ですら、人妖作りの過程で大半を失敗作のアヤカシ化してしまう。瘴気が元で、構造が安定した愛玩物を作りたいなら封陣院の技術体得を目指すように、とのお達しであった。


 東雲が「実はですね」と困ったように笑う。
「皆さんの発案は素晴らしく、実現が可能な術も多いとは判断されたのですが……上層は技術の外部流出を拒んでいます」
 寮生が騒めく。
「技術の流出って、どういうことですか」
「仮に開発に成功しても、外で使ってはダメだというのですか」
 寮長が慌てた。
「全部じゃありません。ただ五行国では優秀な研究者は財産です。使う道具も五行のもの。開拓者兼業の方も多いですからね、皆さんの術開発が成功しても、一般化は一人か二人しか許されない可能性が高くて。ですから此処は玄武寮らしく、成績で実用化基準を図ろうと思います」
「……え」
「術開発成功者の内、成績上位に私が口添えを約束します。あとは玄武寮生の投票で決まった方に。恨みっこなしで行きましょう」


 この瞬間。
 玄武寮生徒には、研究も学業も卒論も、一切の手抜きが許されない事が決まった。
 明確な絶対基準と多数決による決定。
 容赦がない。
 呆然と佇む寮生に「暗い話はこの辺で」と講師の男が手を叩く。


「例えば、内部のみで使用される秘匿された術というのもある」
 符術の講師アカガネは、符を一枚取り出して何事かを呟き、枯れ枝に少し歪な桃の花を咲かせた。
「それは」
「狩野に大枚払って習った術だ。皆も見たことはあるだろう」
 随分前。
 副寮長が玄武寮を桃の花で満たした事がある。
 だが本物の花は九割だけで、瘴気で作られた造花が隠されていた。
 寮生の一人が手を挙げて「人体には無害だと聞いたことがあります」と発言した。
「そうだ。人体には影響がない。これは封陣院所属の狩野が大昔に作り出した術だが、一般には教えられていない。なぜだと思う」
 寮生が首をかしげる。
「今日において、人妖製造を希望する陰陽師の訓練術だからだ」
「人妖を?」
「高位陰陽師になれるかどうかを選別する、初歩術に近いな。機密文書を行き来させる際にも使われる。紙が瘴気なら、霧散すれば痕跡は消えるだろう?
 この【結晶術】は、瘴気を一時的に結晶化して実物の無機物を模造する術だ。
 結界呪符に近いが、あらゆる形状に具現化できる。ただし具現化には並外れた観察力と集中力が必要だ。素描でどれほど精密に花を再現できるかに似ている。
 そして封陣院内で共有化された結晶術には……術構成に一定の制約がかかっていてな。多少なりとも知識のある俺達がどんなに術構成を変えても十センチ四方の代物までしか物体化できないし、維持時間も半日で霧散する」
 かつて。
 狩野柚子平は、桃花の形状を丸一日維持した。
 開発者の結晶術は、相応の秘密がある、という事だろう。
「で、ここでモノは相談だが。お前らの中で、この結晶術の構築術を解析できる奴がいれば『一般提供してもいい』って狩野が言ってたんでな。卒論が固まってて、研究術がない奴は、暇つぶしにやってみるといいぜ」


 かくして、今回は術研究の進行や手順を寮長達と相談する機会になった。
 既に研究の道筋が決まっている者は、研究を開始していいという。


■参加者一覧
露草(ia1350
17歳・女・陰
御樹青嵐(ia1669
23歳・男・陰
八嶋 双伍(ia2195
23歳・男・陰
ゼタル・マグスレード(ia9253
26歳・男・陰
ネネ(ib0892
15歳・女・陰
寿々丸(ib3788
10歳・男・陰
十河 緋雨(ib6688
24歳・女・陰


■リプレイ本文

●壁殴り大会
 ゼタル・マグスレード(ia9253)は開発許可に胸をなで下ろした。
「まず術として成立させねばな」
 手元には『金剛呪符(仮)』と題された術式論述書がある。
 彼がまず最初に始めたのは『より強固な結界呪符作り』だ。幾多の戦いに身を置いてきたマグスレードとしては、練力の過剰消費は避けたい問題である。
「とりあえず厚みや密度を増す様な術式を組み込んでみるか」
 完成済みの術式に、独自の術式を織り込んで試す。
 結界呪符を試行錯誤する際に面倒な部分は、その壁にある。
 天井が低い室内では使えない。空中に呼び出せないのも欠点と言える。
 初日、詠唱時間を長くした安定性の高い術式で、次々と結界呪符を作り出した。
 かなりの確率で発動はした。
 しかし壁の厚みが異常で、正方形や台形になったり、強度に変化がなかったり。
 果てしなく『これじゃない感』を味わう羽目になった。
「なぜだー!?」
 八つ当たりに近い形で斬撃符を叩き込む。
「始めたばかりはそんなものですよ」
 通りがかった寮長が穏やかに声を投げる。
「いかがですか。寮長、一緒に壊しませんか」
「意識的に消せるでしょう」
「それでは耐久性が測れず……嘘です、解除の術式を折込忘れました」
 躍起になっていると、時々普段では考えられない間違いをする事もある。マグスレードを見て「ではお言葉に甘えて」と袖を捲し上げた寮長が、壁に何かを書き込み、壁を殴っていた。副寮長っぽい似顔絵に気づいたが、マグスレードは何も触れなかった。

●複目符の船酔い?
 全力は尽くすと決意は固めた。
「自分で提案しておいてなんですが、中々にやっかいな課題ですね」
 御樹青嵐(ia1669)は『複目符(仮)』の案を手に研究室に向かっていた。
 やりがいはありそうだが、果たしてどこまで問題を解消できるか。
「険しい道のりですねぇ」
「あの、一日でよろしければお手伝いします!」
 しゅば、と片手を挙げたのは同学年のネネ(ib0892)だった。
「よろしいのですか? 確か結晶術を解読するのでは」
 ネネは頬を掻く。
「闇百合の研究に思わぬ方面から役に立つ……と思いたいのです。そ、それに結晶術は明日明後日にやります。あれも解読できれば人妖の基礎になるそうですから、将来的に『乗妖(仮)』を開発する礎になるかも……って思ってます」
「ではお言葉に甘えて」
 まず克服しなければならない最大の課題は『人魂の複数』起動である。
 御樹たちは教書の書写しを見た。
 現在の『人魂』術は、視覚と聴覚を共有させた式を一体生み出すのみだ。二体生み出そうとすれば、二体目に視覚と聴覚が上書きされて、元の一体は消滅する。維持時間は三十秒。移動距離は四十秒だ。
 御樹は「今考案中の術式です」と言って、ネネに自分の術式書を見せた。
「複目ですもんね。ふたつ同時発揮できるようになれば、数を更に増やすこともできるようになるはず、ですよね」
 御樹とネネは、他に誰もいない研究室の中で、護法符などの符を二枚ほど手にした。
「人魂との感覚共有機能を視覚に限定することで達成できないかを試みましょう」
 本来の術式から聴覚共有の術式を差っ引いて、他の術式でよく見かける、2体の式神の同時起動を試してみた。
 できなかった。
 小鳥型の一体は視覚だけを共有する人魂として室内を飛び回り、もう一体は形にならずに燃え尽きた。
「まぁ最初からできるとは思っていませんよ」
 ふいにネネが「最初から同時発動ではなく、ひとつを作って、キープしながらもう一つをつくるやり方はどうでしょう」と言った。
 気を取り直して術式を書き直す。しかし感覚が上書きされてしまう。
 何かダメなのだろう。
「まずは同時発動が可能な条件を探らないと……気が遠くなりそうです」
 普段の戦いでは有り余る陰陽師の練力も発動だけを繰り返すと消耗が早い。そして延々と術式と格闘していると意識が怪しくなってくる。
 ネネが「だ、大丈夫ですか?」と消耗気味の御樹に話しかけた。
「……最初の配置してしまえば移動の機能もいらないですね、文字通り目を沢山作り出す方針でやってみましょうか。そうですよ、この際、視覚も聴覚も最初は遮断して」
 一体、何の為の術式なのか。
 御樹がやけっぱちになりかけた頃……
『お、や?』
 ぐらり、と。御樹は強烈な目眩を覚えた。
 右目と左目が別方向を向いている。室内の景色がぶれて見える。
 違う。
 それは『2体の人魂の視界』だった。
 は、と集中力が切れた瞬間、急激に意識が体に引き戻された。そして全く違う視界に眉を潜める。ネネの声が遠い。何か叫んでいるようだ。
「………ですか!? しっかりしてください!」
 自分は何故、横たわっているのだろう?

●侵蝕符(仮)の効能と構造を探れ
「さて、無事に許可は下りましたが……これからが大変です」
 研究室の八嶋 双伍(ia2195)は遠い眼差しで術式成立の道筋を考える。
 仮に術式を完成させて実用化するにも、攻撃系の陰陽術は注釈がつきもの。
 幽霊などの非実体系アヤカシや抑も毒を所持するアヤカシに関しては、一旦横に置いておくとして……まずは既存術式から必要な場所を抜き取り、新しく組みなおして性質変化をさせるところから始めなければならない。
「全く手本がないというのが困りもの……いえ」
 ぴたり、と手が止まった。
 完全にない? そうだろうか?
 仲間の中には根本的に基礎となる術式が存在しない者もいるが、自分の場合は。
「……異質な瘴気……と言えば、アレでしょうか。で、広範囲にばら撒く形の術を凝縮。瘴欠片の要領で射出……はまだ早いですね。ひとまず、性質変化はその方向で行ってみましょうか」
 瘴欠片とは。
 符に瘴気を充填し、対象のアヤカシへ飛ばして分け与える。実験用の術である。例えば巫女の瘴索結界で瘴気を反応させて惑わすとか、そうでもない限りは外部で使う機会はあまりない。
 庭に出た八嶋は瘴欠片の術で一定量集約した瘴気を、解放する為の術式を組み込んだ。
 瘴気の霧の術式に含まれる、瘴気を一気に拡散させる術式だ。
「こんなものですか、ね」
 刹那。
 ぶわーッ、と。
 持っていた瘴気充填済の符から五メートル四方に瘴気が散った。
 避ける暇もなかった。
「ごほ、そういえば瘴気の霧は敵味方関係なく全周でした」
 迂闊でした、と己の失態を責めつつ、瘴気に耐性を持つ陰陽師たる己の体に感謝した。
 少しばかり無茶しても体は耐えてくれる。
「……これは、あれですね。瘴封宝珠を使った拡散にしたら大惨事に」
 とりあえず寮内ではなく実験場を借りよう、と決意した。
 経費は寮が出してくれるのだ。遠慮はいらない。
 気分転換に瘴気の霧を凝縮することも考えたが、まず五十メートルに渡って拡散する瘴気の霧を、安定して凝縮状態にする為の術式も考えなければならない。
 あとは術者が巻き込まれない為には、どうすればいいのか。
「今後の課題は多いですが……まずは時間差で拡散を発動させないと。時間差、時間差、うーん術式がどこかにあったような。図書館で陰陽術一覧を調べましょうか」
 やれやれと肩を回しながら八嶋は図書館に消えた。

●瘴気の檻(仮)に挑む背中〜前編〜
 寿々丸(ib3788)は人妖嘉珱丸とともに図書館にいた。
 優雅に飛行する人妖嘉珱丸が「寿々、あったぞ」と言って持ってきたのは『征暗の隠形の術式に学ぶ』という本だ。寿々丸は他にも『瘴気の霧の成立と注意点』等、今回の術式研究で必要な参考書を持っている。実際に術式を獲得しているが、術式を分解して組み直すとなると、やはり参考書は確実な一歩への道とも言える。
「ありがとうございまする。ひぃ、ふぅ、みぃ……全部揃いましたかな?」
 白い耳がぴこぴこ動いて貸し出し名簿に本の番号と題名と名前を書いた。
 卒業論文用、と書けば持ち出し禁止の禁書も一時的な所持が認められるのだから、学業身分とは便利なものだ。
「真に精がでるのぅ。少しぐらい休めばよかろうに」
 研究室で煙管を蒸す人妖嘉珱丸に対して、寿々丸はぷるぷると首を振った。
「もとより基礎術は難しい術でございまする。神楽の都で修練をする時も、たやすくできたわけではありませぬ。何度も失敗して訓練して、習得した高度な術から……今度は新しい術を作り出す。いわば研究者の端くれでございまするぞ。難しいやもしれませぬが、なればこそ……頑張りまするぞ!」
 ぐ、と小さな拳を握った。
 人妖嘉珱丸がぱちん、と扇を閉じる。
「うむ。その意気や良し。しかし寝食を忘れている者らもおる故、無理のないようにな」
 励まされた寿々丸は、全ての参考書から術式項目をひらいて並べた。
 かつては難解すぎて頭から煙が出た術式の数々も、一旦習得しているとなると理解度は極度に違う。
 必要と思われる箇所を抜き出していく。
「まずは、閉じ込める檻の構築からでございまするかな……可能ならば、これが防御壁等の応用が出来れば……と思いまするが」
 寿々丸の考える開発術は、かなりの複雑な術式構築を必要とする。
 けれど柔軟な頭は、手順は理解していた。
「え、と」
 人にもアヤカシにも効果を発揮する異質な瘴気――瘴気の霧の術式を抜き出し、発動の前で変形の術式を組み込んでいく。征暗の隠形は高い濃度の瘴気を集約し、直径3メートルほどの半球型に形成する為の術式がある。術者の触れた位置を中心とした結界である以上、離れた場所に出現させることはできないが……術者に隣接して生成した『瘴気の霧』を半球型に変えることは理論上はたやすい。
「やってみせまするぞ!」
 丁寧に、寿々丸は試作用術式を書いていった。

●複目符(仮)の制約
 二日目の昼、煮詰まっていたマグスレードは友人たる御樹を訪ねた。
 そして戸を叩いても反応がない研究室を覗き込むと……
「生きているか?」
 長い髪を振り乱し、畳にうつぶせて、ぴくりとも動かない御樹がいた。和紙の散乱する陰鬱な部屋を、親子らしきネズミが三匹駆け抜けて壁の穴に消えていった。
「あ、おはようございます。ゼタルさん」
「今は昼だ」
「そうですか。時間の感覚が些か曖昧で……やはり卒論作成しながら術開発とはなかなかに疲れます」
 白い顔の御樹を見て、マグスレードは自分の判断の正しさを悟った。
「先日はすまなかったな」
「先日?」
「良薬口に苦しといえど、過ぎたるは及ばざるが如し……故に今回は、これも改良を重ねてきた!」
 厳重に封がされた酒のツボがあった。てっきり酒だと思って喜び勇んで開封し……その『もぁ〜ん』と漂う異臭と、どろりとした藻のような物体、を見た御樹は友の顔を二度見した。
「あの」
「これできっと研究もはかどる筈だ!」
 キラー、っと輝く善意の笑顔。
「……ゼタルさんの心遣い、有り難く頂いておきましょう」
 疲労以外の物も吹き飛びそうですが……と胸内で呟き、覚悟を決めてツボを煽る。しかし意外と、見た目に反して味は美味しかった。
「美味しいです」
 と言って、呼吸した途端。
 胃の底からくさやのような匂いがこみ上げ、強烈な青汁の破壊力を味わった。
「ところで……どうだ? 研究は」
 口直しの番茶を飲むと、より一層匂い引き立つ青汁に集中力を奪われながら、御樹はマグスレードに徹夜の成果を提示した。
「人魂の同時発動には成功しました」
「凄いじゃないか。今まで誰も……には?」
「ええ、ネネさんと手分けして実験したおかげで。術式を編み出すのに苦労させられましたが、二体以上の同時維持ができました。ただし弊害付きです」
 御樹は、まず全ての感覚連結を断ち切った状態で人魂を発動させた。式を移動させる為の構築式も抜いた。つまり単なる複数の式だ。触れば消える儚い性質は相変わらずで、理想の幻覚を生み出すのに似ている。
 しかしそれでは意味がない。
 御樹は一旦、全ての感覚共有を断ち切った状態で人魂を具現化し、後から視覚と聴覚を共有できる術式を組み込んだ。すると人魂を同時維持した状態で、術者の感覚と連結することが可能になった。
 けれど。
「視覚がね、重複するんですよ。円がこう……二つズレて重なってる感じですね。複数の目を介し、急激に広がった視界を、人間の視覚域に当てはめられないんです。この辺は想定内でしたので、複数の絵を並べるように分解を試みたのですが、複数の視覚が万華鏡のように入れ替わって……酔い続ける羽目に」
 何かに絞ろうとすれば他の式は消える。動かそうとすれば複数が同時に同じ方向に動く。
 これでは人魂としての役割は果たせない。
「解決策は」
「先ほどの『切り替え』が解決策です。悔しいですが……単独で使える術ではないと割り切るしかないようです。お見せしましょう」
 茶碗を置いた御樹が、一時間前に組み上げた術式を唱えた。手の符が輝く。
 二羽の鳥が構築された途端、御樹が倒れた。
「大丈夫か!」
 反応がない。
 力の使いすぎか、と焦りだしたマグスレードの前を、ひらりと鳥が舞った。一羽がマグスレードの隣に舞い降りてじっと見上げ、瞼を閉じる。すると二羽目が飛び立ち、棚の上に止まった。
「……まさ、か」
 刹那、二羽が同時に消滅した。
「そのまさかです」
 起き上がった御樹は、頭を押さえる。
「同時発動し、其々に聴覚と視覚を共有させ、動かすことはできましたが……同時に動かすことはできない。同時に見聞きすることも。瞬きをして一体ずつ感覚を閉じ、式を待機させて、別の式を動かす。その間、術者は完全に無防備です」
 御樹自身、術者本人のその場での感覚は一時的的に遮断される事になってしまいそうだ、と予想していたが……結局、術者本体の感覚を捨てる事になった。
 完全に集中しなければ『複目符』は使えない。
「実際、相当な練力や時間を消費しますし、まだ五メートル以上動かせていませんから、術式を変更しながら……どの程度の力加減で維持できるか、飛距離を伸ばせるか、調査せねばなりませんね。昨日お手伝いしてくれたネネさんは、三体の増産術式を作ってくれました。感覚が欠けたりしていましたけどね。徹夜で其の辺の不都合は解消しましたし、私も一瞬ですが、三体目の式も感覚共有付きで維持できたので、目の数を多少増やす余地はまだ残っている気はします。さっきの親子ネズミは……私です」
 そう言って、笑った。
 この次の日。
 目の増量に固執していた御樹は、全く飛距離を伸ばせなかったが……同時発動の限界数が、人間の手足と同じ『4体』である事をつきとめた。

●人妖作りの登竜門こと結晶術
 初日に御樹を手伝ったネネは翌日、符術の講師桂銅を訪ねた後に研究室に戻っていた。
 人妖のミュリエルが「おかえりなさぁい」と迎える。
「ただいま、みーにゃ。お掃除ありがとう」
 研究者の部屋は、散らかりやすい。しかし人妖がいてくれるおかげで、細かい掃除は任せっきりにできた。この小さなお姫様に何かあっても、いつか自分の手で修復できるような高位陰陽師になれるだろうか。
「どうしたのー?」
「なんでもないです。みーにゃ、私頑張りますね」
 ネネは早速、銅の言うとおり……拾ってきた桜の小枝を小瓶の水に差し込んで、素描を始めた。人妖のミュリエルはお絵かきだと思って、隣で真似事を始める。
 講師は言った。
『結晶術は道具に頼らない。術者の意思で、手に瘴気を結集する。瘴気回収みたいにな。だが結界呪符のような大味ではダメだ。細部の色合い、構造、質感……立体物を完全再現する。木から削り出す彫刻だって、現物と瓜二つにはならんだろう?』
 術者の集中力と意識に依存する以上、再現力にはかなりの差が現れる。
 よってネネが選んだのは、桜の花一輪だった。
 何度桜の花を描いただろう。
 上から見下ろした図、横から描いた図、花を伏せてガクや茎を描いた。
「よし!」
 ことりと机の上に瘴封宝珠を置いた。強い瘴気を感じる。
 完成した術式を解読するのは本来難しいが、既に実演を見ている以上、ヒントは得ている。瘴気集約から物質化の術式を導き出し、結集する。人妖ミュリエルが見守る前で、目を閉じたネネは結晶術の仮術式を構築し始めた。
『作るのは花、桜の花、小さくて、指でつまめて、花弁は五枚で、可憐で綺麗な』
 一分間、集中した。再び瞼を開けた。
「すごーい、さくらだぁ」
 人妖が燥いでいた。一輪の桜が、手のひらにあった。…………色がなかった。
 脱力しながら見事な失敗作を指でつまむ。
 しかし消えなかった。
 質感があった。
「瘴気の花」
 ぷちん、と一枚花弁を毟った。毟った接合点から瘴気が零れていく。やはり失敗だ。砂のように溢れる紫の霧は、あっという間に花弁の形を失った。けれど本体はまだ形状を保っている。
「みーにゃ、持ってみて」
 ネネが、花びらの欠けていて白い花弁に黒い茎の桜モドキを渡す。ネネの作った瘴気の花は、他の手に渡っても形状を保っていた。ちなみに零れた瘴気が、人妖に吸い込まれていく。取り込んでいるのだ。人妖は無意識に日常的な瘴気を引き寄せ、取り込んで己を維持する性質がある為、瘴気が薄い神社などでは体調不良になることがある。
「……お腹いっぱいになるかも」
 苦笑いするネネに、人妖ミュリエルが首をかしげた。
 この後、失敗した瘴気の花は4時間程度で霧散した。その後と試行錯誤を繰り返し、三日目には練力を減らし、詠唱を一分で固定して試したが、色づいた花の形状が本物の桜に近づく度、維持時間は益々短くなっていった。
 前日ほどの成果は、まるで出せなかった。
 散々結晶術の術式を繰り返し、書きなぐった和紙を眺めながらネネは思う。
 術の考案者である副寮長は、結晶術による瘴気の花を24時間維持してみせた。
 他の高位陰陽師に解放された結晶術の術式は、講師である銅が改造しても12時間しか持たせられなかったという。つまり結晶術を安定させるには、一定量以上の練力を注がなければならないかもしれない、と。
 自分が作った瘴気の桜を、人妖ミュリエルの米神に飾る。
「薄紅で綺麗ね! 本物みたい!」
「ありがとう」
 いつか、私も。

●結晶術と瘴気測定(仮)に至るまで
 結晶術の解析に挑む生徒は他にもいた。
 十河 緋雨(ib6688)である。初日の結晶術の実演を目にした十河も、几帳面にうろ覚え術式を書きなぐって、自分なりに解釈を加えながら、理論的に成り立つものを考案した。
 初回は数秒で霧散してしまい、二度目も大した時間も維持できず。
 砂時計と懐中時計を用いて延々と時間を計測する。
 しかし十河が解析途中の術式では、符術の講師桂銅に負けず劣らず不格好の花が出来上がった。色の濃淡もばらばらで何の花だかよくわからない。
『三度目にして。触れても消滅しないのは僥倖ですが……まるで想像と違う不格好な外観と短時間で消滅するこの状態は、一体どうやったら解消できるんですかねぇ〜』
 ぐったり。
 悩みながら机につっぷした。
 六度目にして十河は瘴気の花の長時間維持と、手から離しても形状を維持する状態にたどり着いたが……講師のように12時間維持することはできなかった。
 形状も踏まえ、まだ要解析である。
「あー! 気分を変えましょう! さっさと術の形を作っていければいいですね〜」
 結晶術の解析に頭痛気味だった十河は、二日目から『瘴気測定(仮)』の術式開発を始めていた。
「りょーう、ちょ〜!」
 訪ねたのは寮長室。
「あの……身構えないで下さい。取材じゃないです、術式の話です」
「それでしたら歓迎ですよ、どうぞ。……随分、数値も細かく頑張っていますね」
 書き上げた術式や論文を寮長が読み込む。
 十河が考えを告げていく。
「あー、ハイ。実験道具も限られていますから、一旦基本的なやり方を決めてから試してみようと思ってるんですよ。仮に術式が完成できた場合は、玄武寮内の館内図に測量具合を、瘴気回収による練力回復具合と合わせて観測して書き込んでいけば、玄武寮の瘴気の濃度を推し量り、瘴気の濃い場所、薄い場所、普通の場所などの資料が残る。複数回で平均化すれば理論値が出るので、寮長にも確認いただくのにいいかなぁと思います」
 緑茶をすすりながら「あ、それは素晴らしいですね」と寮長が微笑んだ。
「本当ですか」
「ええ。もし仮に『瘴気測定(仮)』の術開発を完成に持って行って、その術式で特定箇所の瘴気測量図を作ってあわせて提出するとなると……確か今、粘泥研究も続けていましたね?」
「はい」
「だとすると、卒業までに術開発と卒論2つ完成させる事になりますね。成績的には割とハナマルです」
 十河は「え!?」と立ち上がったが、寮長は「完成させたら、ですからね」と告げた。
 成功すれば成績が格段アップ。
 失敗すれば粘泥論文頼み。
 賭博状態である。
「はい、読み終わりました。目に見える形で瘴気を測る為に……瘴欠片か結晶術の術式構成への移行と転用。集約瘴気を回復ではなく物質化に持ってきて、瘴気の総量から反応しそうなものをつくる、と。そんな感じですかね」
 寮長は書棚を探し『瘴気計測具の今昔』という本を取り出した。
「発想的には良い方向性だと思います。ただ瘴気集約箇所の術式だけを利用すると、果てしないことになってしまうので不向きですね。結晶術はかなりの力と時間を使いますし、えーと」
 寮長は本の何かを探す。
「以前の発表では『瘴欠片の符に目盛をつけるか符の色の変化を観察して符に込める瘴気の量とそのときの符の変化を観察』……という話でしたが、結晶術の術式を使うなら、瘴気総量に合わせて何か構築する、より、瘴気に反応する小さい物質を作ってどうにかしたほうがいいかもしれませんね」
 寮長の指先が示したのは、懐中時計ド・マリニー。
 普段は時計として使われているが、他にも針が組み込まれていて、方位磁石のように其々精霊力と瘴気に反応して目盛を示す。現在の測量具の一種だ。
 寮長の示した意図が分からない。
「寮長?」
 寮長は羊羹を一口つまんでお茶を飲んでから、ふふ、と笑った。
「瘴気に反応する、その場の瘴気を引き寄せようとする、そういう術式『だけ』なら……現存はしているという事です。瘴欠片の術式で瘴気を集めて、結晶術で何らかの形に結晶化して、その次は? どうしたら練力を抑えて測量につながると思う?」
 あなたは気づけるかしら?
 と寮長はニコニコしていた。いい線にきているという事なのだろうが、寮長はそれ以上なにも語らなかった。ひとまず回復に至らず、瘴気を手に集約する段階まで持ち込んで……十河は頭をひねることになる。

●瘴気の檻(仮)に挑む背中〜後編〜
 初日に安定した術式の確実な構築に専念した寿々丸は、二日目にして瘴気の霧を半球型に変えることに成功していた。しかし気を抜くと、集約した異質な瘴気が拡散しようとするので、研究室では狭く庭は危ない、という結論になり、実験場を借りて移動していた。
 施設使用経費は玄武寮もちなので気が楽だ。
「……うぬぬ、最後はやはりアヤカシに実際に使ってみなければ、でするな」
「焦らずとも……魔の森に行く機会は、よくよくあるだろうさ」
 寿々丸の額から汗がこぼれる。
 ふいに扉が空いた。
「かんばってますね。お邪魔していいですか」
 玄武寮の寮長こと蘆屋東雲がお弁当を差し入れに来た。
「寮長殿!」
「寿々。ここはひとつ休憩してはどうだ。意見を聞くのもよかろう」
 人妖嘉珱丸は、ずっと寿々丸の傍にいた。
 というのも『実験の記録を手伝ってくれませぬか』という頼み故だが、やはり最初の懸念通り、新術を発動しながら記録を取る余裕は寿々丸には皆無だった。暴走しようとする瘴気の制御に、激しい集中力を奪われていたからである。
「そうでございまするな」
 人妖に纏めてもらった数字の記録と、自分で書いた術式を持って、寿々丸は寮長とお昼ご飯を食べ始めた。昨日から簡単な食事しかとっていなかった気がする。
「すごいですね。一日で変形まで持ち込むなんて。どの術の、何の術式を、どの段階で使うべきか、きちんと道筋ができている。他の方でも、なかなかこうは行きませんよ」
「ありがとうございまする。ですが」
 へにょ、と白い耳が倒れた。
 寿々丸は集約して半球型に持ち込んだ異質な瘴気が、どうしても暴走する現状を伝えた。
 しかし寮長は「それは割と仕方のないことですね」と驚いた節もない。
「言い方が少しおかしくなりますが、瘴気とは負の性質の塊です。構築した式も大抵は凶暴であったり攻撃性があったり、暴走傾向にある。特定の形に押さえ込もうとする術式に、反発して暴走しようとするのは……わりと至極当然の性質なのです」
 どこまで押さえ込んで制御するか、が術者の腕の見せどころともいえる。
「そうでするか。霧を変えるべきか、囲いを先に作るべきか……悩んでおりまする。ぬぅ……術の複数使用も考えねばなりませぬかな」
 寮長は少し悩んでから、和紙と筆を借りた。
「目標は『内部のアヤカシを閉じ込めて徐々に弱らせる』でしたね?」
 流麗な文字が、何かの術式を書いた。渡されて読み込んで……初歩術と気付いた。
「吸心符?」
 寮長は微笑んだだけで何も言わない。
「目指すところの回答は、割と限られています。既に貴方の言った2点です」
 寿々丸が首をかしげ、寮長は指を2本立てた。
「ひとつ。囲い無しの状態で、瘴気の霧の濃度を飛躍的に高め、一瞬で敵の体力と行動力を奪ってしまうこと。暴走する瘴気の性質を逆に利用し、檻の中の相手の生命力を外部放出してしまう事で……よほど相手が体力バカか強敵でない限り、瘴気の檻から脱出させることは困難でしょう。ただしこれには相当の操作力が求められる。術者は常時詠唱を行い続け、抵抗に打ち勝たなければなりません」
 寮長は指を折り曲げた。
「ふたつ。ひとつめの瘴気濃度を高めて更に性質を加算する、という事は、それだけ暴走力が高まり術者の力量に依存しますが……一定の強度を持つ囲いを霧の外部に生成できれば、濃度を今より高める必要はなくなります。ただしこれも形状をどうするか、大きさやどの程度の強度を持たせるか、等で練力や詠唱時間は天井知らずですから。全てはあなたがどうしたいか」
 寿々丸の頬についた米粒をとった寮長が「術式作り、頑張ってくださいね」と囁く。
「頑張りまする」
 はた、と寿々丸が何かを思い出した。
「寮長」
「なんでしょうか」
「寿々は、卒論は少々変える必要があるようでするな……それでも、瘴気関連のてぇまは変える予定はございませぬ。詳細はまだ少し考えておりまするが、この研究も合わせて頑張りまする!」
 寿々丸の決意に「ええ、待っています」と寮長は告げた。

●金剛呪符(仮)へ至る道
「もう三日目なのか」
 誰かさんは管狐エウロスを使ってまで試行錯誤しても、術者の力量に依存する耐久力の壁ができあがることに、軽く焦燥感を覚えていた。
「後の事は宜しく頼む! ゆくぞ!」
 気合を引き絞って結界呪符を構築したマグスレードは、目の前に出現した長方形っぽいのっぺりした分厚い箱みたいな何かを見て、トサッと地に崩れた。
 燃え尽きたぜ、真っ白にな。
 戦いに挑んた男の背中は切なさを訴えていた。
 初日は『これじゃない感』に悩まされ、二日目は気分転換の青汁(改)を作ったり、友人の順調ぶりを目撃して驚かされ、三日目はただひたすらに『形状失敗』『密度失敗』『詠唱過多』『強度不足』等の失敗結果が乱舞する記録の確認をしていたマグスレードは、霧の中を手探りで探すような術開発に思い悩み、寮長の元を訪ねた。
「……という結果になったんですが、アプローチについて是非にご意見を」
 珈琲を飲む寮長と、思いつめた顔のマグスレード。
 ひたすら失敗し続けた金剛呪符(仮)の失敗術式の束を眺めた寮長が「気絶するまでしなくとも」と言いつつ、術式の誤りを書き加えていく。
「一応『ひとつの答え』ではありますよ」
「と言うと?」
「結界呪符には、精霊術を扱う魔術師のストーンウォールに似た永続性はありません。瘴気から物質を指定形状に構築するには、限界があります。半永続が可能になったのが『人妖』と言えますが、あれにも寿命ならぬ耐久年数はありますからね。そう言う瘴気の性質的な意味では『防御力の耐久性を補う』という点で異常に厚みを増す、という結果は一種の答えであるという事です。分厚すぎれば刀や槍なんて埋まっちゃいますもの」
 質量で潰す肉厚な壁、という結論を求めるなら答えは出ている、という事なのだろう。
 しかし論文として成立しても、戦で使えるかは別問題だ。
「僕が求めるのは」
「そのままの厚みで強靭な壁を、でしょう?」
 寮長は棚から『結界呪符の成立変遷』なる本を持ってきた。
「結界呪符は外見はパッとしませんが、あれはあれで細部が小難しい術式です。白と黒では見かけは同じでも構築術式が違うので、開拓者が修練で習得するのは別々でしょう」
 言われてみれば、とマグスレードは渡された本を眺めた。
「今より強度を持たせた同型の結界呪符を作り出すのは、かなり難しい術式を必要とするでしょうね。最初から組み立てる事に似ている。あなたは練力消費を抑えたいのでしたね」
「はい。できれば時間も、ですが」
「そうなると……別種の結界呪符を組み上げる術式は、莫大な練力消費を要求される。あなたにとっては理想的ではありません。希望条件を満たす結界呪符を作ろうと思うなら『補強の術式』に切り替えなければいけない」
「補強ですか」
「一度、白か黒の結界呪符を生み出し、その上で強化術を重ねがける、という事です。攻撃を受けても表面を自己修復するように仕向けたり、特定の性質に反発力を持たせたり、やり方は色々あります。よく考えてみて」
 寮長は「また考えが固まったらいらっしゃい」と言って微笑んだ。

●錆壊符と棚からぼたもち
 食堂の露草(ia1350)は窓の外を眺めた。
 闇の中に浮かぶ月。こんな時間まで何をしていたかというと卒業論文だ。
「うーん」
 眉間に縦皺を刻みながら卒論の下書きを捲る。
「対物質としては面ではなく……点での攻撃もけっこう有効なんですよね。前回のあれこれをかんがみるに、一点集中できれば使い勝手もよさそうですし」
 式神を召喚したり、呪術武器を発動源にする陰陽師は、総じて術が大味になりやすい。
 最も、狙う対象が同じ高純度の瘴気物質……即ちアヤカシである以上、神楽の都に集うどの職業よりも、高い命中度を誇る事ができる場合も往々にして存在する。
「とりあえず仮題、決めておきますか」
 露草は筆をとり、

【対物質における錆壊符の一点集中による損壊集中の可能性(仮)】

 と記した。
 錆壊符とは、放たれた符が強酸性の泥濘に変化し、対象に取り付く術だ。
 敵を倒す事よりも人間相手に凶器や防具を破壊したりする事で無効化に主眼が置かれた術であるが、昨今、付喪怪系のアヤカシにも高い効果を発揮することが認められた。事実、露草は妖刀型の上級アヤカシとの戦いで、かなりの戦果を叩き出している。
 露草は『符に強酸性の性質を与えて泥濘型に変える』という一連の式の変化に注目していた。既に完成された術式を分解するのは頭の茹だる作業だ。
「内部破壊系の術は、他にも確かにあるんですよね」
 露草の脳裏には『強酸性の泥濘を、対象にべったり貼り付けるのではなく一点に穴を開けて、内部へ注入できないか?』という問題が延々巡っていた。
「難しい論文だねぇ、あたしにゃさっぱりだよ」
 夜勤の食堂のおばちゃんが、餡饅とお茶を持ってきた。
「ごちそうさまです。はい。これは錆壊符貼り付けによる面での腐食を、腐食させながら内部まで染みとおり、そこでも腐食させることで劣化をさらに進行させるのが目標でして」
 ついでに。
 目標地点を集中させる事により、目標以外の部分の腐食を避ける限定性質も取り入れたいが……現状、まだそこまで辿り着いていない。
 この三日間、管狐チシャの協力も借りて力を引き上げ、泥濘を小さく点にできないか散々試したが、どろりとした不定形の人工アヤカシは、憎らしいほどドロドロしていた。
『まー、しかたありませんわねぇ。次回もお手伝いしてさしあげますわ』
『ごめんなさい、チシャ』
 一体どうすれば一点集中できるのか?
 問題は頭打ちである。
 それでもめげずに失敗したケースは全て資料に記載して、今も読み直している。
「いやー、前回ひどい目遭っちゃいましたし、どうせなら目標地点オンリーとかの方が便利そうですから。新しい術を作る、よりも、術の形を変えるという感じなんですよね……悩ましい。って熱く語ってすみません。つまんないですよね」
「術式を理解できる頭があたしにはないからねぇ。話し相手に不向きで、ごめんねぇ」
「いいんですよ。おばさまのお料理で心はいっぱいですから」
「嬉しいこと言ってくれちゃって。にしても敵に張り付いて、さらに中へとか……まるで寄生虫だねぇ。鳥肌が」
 ぽろ、と露草の口から饅頭がおちた。
「お……おばさま、それですよ!」
「え?」
 困惑する食堂のおばちゃんの前で、露草は急激に頭の中の霧が晴れていくのを感じた。
 一点集中させる術式は現存する。
 毒蟲や神経蟲の術式だ。
 あれは符を小型の虫に変化させるが、虫の体内に猛毒や神経毒を保有する。小さすぎる点や、脆弱すぎて接触前に破壊されるなどの外殻の弱点を除けば、術者の操作力次第で敵対象の特定箇所に打ち込むことは不可能ではない。
 蜂型式の体内に仕込む保有物質を、強酸性泥濘の術式に変更し、外殻に強酸に耐えうる耐久度を持たせ、指定箇所から敵に注入することで、腐食タイミングもクリアーできる。寄生虫のように侵入した強酸性泥濘は、無知性でも深部へ染み渡って腐食していく……
 できる、やれる。
 論理的には成立する!
 分厚い装甲も一網打尽にできる!
 あまりにも術構成が複雑である為、寮の術開発として用いるには、指定期間内の成立は不可能だろう。多大な練力や集中力、技術力や操作力も必要とされるに違いない。だが応用と実現は可能な域だ。どの既存術を用いて、どの手順で式を構築し、効果を発揮するかを論理的に組み立てれば……論文は纏まる。
「やりましたー! 私、やりましたよ! きいてますかチシャ!」
 態々寝入ってる管狐を召喚して騒ぐ露草。
 露草の論文は、ほぼ書きあがったも同然だった。
 あとは粛々と600字か1200字に纏め、どの程度こだわりや変化をいれるか、という個人的な自己満足の領域だけだ。


 寮生たちの学業的な戦いは、着実に前へ進んでいた。