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■オープニング本文 しんしんと、降りそそぐ白い雪。 渡鳥金山の高嶺に、うっすらと雪化粧。 吐息が白く曇る頃になると、人々はにわかに活気づく。 「今年もこの時期がきたねぇ。さぁ、みんな。鬼灯籠をめいっぱい飾ろうじゃないか」 ここは五行結陣が東方、山麓の田舎里。 かの名を『鬼灯』と人は呼ぶ。 かつて人々は里の裏山‥‥渡鳥金山を『しでのやま』と呼んでいた。 要は『死者がこえていく山』すなわち『あの世』を意味する。所々魔の森の侵食を受ける山脈は常人達から恐れられ、行商人や旅人が山を越えていく『山渡り』は命がけと言われている。 そんな過酷な場所だからか。 鬼灯の里では、山で命果てた者を「鬼になった」とよく例えた。 アヤカシの鬼という意味ではなく、飢えた死者の魂という意味である。供え物をして供養してくれるのを待っているとされ『餓鬼』の字をあてた。鬼は常に飢えている。食べ物を見つけても火に変わる‥‥そんな哀れな鬼の供養に、現世で炎を燃やせば、あの世で炎は食べ物にかわるだろう、という眉唾な話が広まった。 人々は供養の為、提灯に火を灯して供物とし、鬼面を被って来たる鬼をやり過ごす。 そんな土地の風習は、いつしか鬼と共に宴を楽しむ祭、へと変化を遂げた。 厳しい冬ごもりの前に、鬼に怯えず皆一緒に昼夜を騒ごうではないか‥‥ 里の人々は、鬼面の描かれた提灯『鬼灯籠』を飾りに飾った。 出かける者は、大人も子供も、赤か黒の鬼面を被る。 誰が鬼か、誰が人か。 祭の間は、区別もつかぬ。 さあ‥‥飲んで食べて、歌って踊れ。鬼灯祭が始まった。 + + + ゆらりと炎が動き出す。 鬼灯祭が終わりにさしかかるころ。 舞台のあった広場には、一軒家ほども高く積まれた薪が配置される。 村人も旅人も、多くが広場の薪に注目していた。 鬼灯祭の警備を行っている迎火衆と呼ばれる男達は、皆、赤か黒の鬼面をつけていた。男達は片手に松明を持ち、頭の合図で松明を投げ込む。 程なくして巨大な火柱が出来上がった。 煙が天まで昇っていく。 人々は嬉々として手に持っていた鬼灯籠や鬼面を炎のなかへ投げ込んでいく。 「あれは何をしているの?」 「知らないの? 願い事を書いて火にくべると、願いが叶うんだよ!」 きらきらした瞳で、少女は笑う。 無病息災を願い、時には秘めた願いをこめて。 かつて送り火に慰められた鬼が安らかであるように、祈りを書いた鬼灯籠を一緒に燃やしていたのが、いつしか願い事を書いて燃やすと叶うと言われるようになった。 天に届け、この願い。 祭の警備に増員されていた開拓者達が、暇を得られた最終日。 ともに祭りに参加するべく、里へとくりだした。 |
■参加者一覧 / 音有・兵真(ia0221) / 劉 天藍(ia0293) / ヘラルディア(ia0397) / 柚乃(ia0638) / 相川・勝一(ia0675) / 鷹来 雪(ia0736) / 酒々井 統真(ia0893) / 天宮 蓮華(ia0992) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 黎乃壬弥(ia3249) / 瀬崎 静乃(ia4468) / フェルル=グライフ(ia4572) / 平野 譲治(ia5226) / 珠々(ia5322) / ペケ(ia5365) / 輝血(ia5431) / 此花 あやめ(ia5552) / からす(ia6525) / 神咲 六花(ia8361) / 和奏(ia8807) / リエット・ネーヴ(ia8814) / フラウ・ノート(ib0009) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 明王院 千覚(ib0351) / ティア・ユスティース(ib0353) / 琉宇(ib1119) / 无(ib1198) / モハメド・アルハムディ(ib1210) / 真名(ib1222) / 朱華(ib1944) / 白藤(ib2527) / 蓮 神音(ib2662) / リア・コーンウォール(ib2667) / 寿々丸(ib3788) / 常磐(ib3792) / 紅雅(ib4326) / 緋姫(ib4327) / シータル・ラートリー(ib4533) / 一 千草(ib4564) / 神支那 灰桜(ib5226) / 如月 遥(ib5238) / 三太夫(ib5336) / 天青(ib5594) / 獣兵衛(ib5607) / 緋那岐(ib5664) / 楊過(ib5754) / おくや(ib5761) / アルフサイン(ib5778) |
■リプレイ本文 むかしむかしの、そのまたむかし。 夜更けの祭で賭けをしたのさ。 鬼などおらぬ。人しかおらぬ。 酔ったまろうど笑いながら、自慢の娘を使いにやったさ。 鬼面を毟って、鬼路から祠へ。 暗い洞窟、蝋燭一本、迷った娘の泣き声響く。 すると天女が助けてやったさ。 しもべの美丈夫と酒場へ帰れば。 主人はびっくり、親父はさっぱり、娘はうっとり。 死んだ息子のお帰りだ。賭けは外れて、娘は喜ぶ。 冷たい頬に感謝の接吻。 鬼の美丈夫、真朱を抱きしめ。 もう放しゃせーぬ、逃がしゃせーぬ。花嫁連れて、山へと帰る。 卯城家の迎火衆が、小唄を口ずさんだ。 傍らに山と積まれた黒い鬼面と鬼灯籠。全て卯城家の依頼を受けた開拓者達に配る品だ。 「鬼と共に、か。珍妙な唄だね」 覚えのある名を聞いた三太夫(ib5336)が、黒鬼面と鬼灯籠を拾う。 无(ib1198)も一組、手に持った。 「それも鬼灯の伝承の一つ‥‥なのか? 書物の研究者として‥‥興味深い」 「今名前呼ぶから、待てって。あ? 祭りの時期になりゃ、酒場の親父共が歌ってるぜ。って、こら。お前もか。‥‥なんだよ、女連れか。け、鬼に浚われちまえ」 「やかましいぞ、笠音。雪白、やっちまっていい。許す」 フェルル=グライフ(ia4572)を一瞥した迎火衆・笠音のひがみに、酒々井 統真(ia0893)が人妖をけしかけた。イテェ、イテェと呑気な声。 何しろ連日の警備仕事だ。 両地主に雇われた開拓者達は、それなりに交友関係を築けていたし、家の警備を務めている迎火衆との関係も築けていた。名前と顔を覚える程度には、だが。 「フェルル、時間少し使わせちまって悪いが付き合ってくれ」 「はーい。統真さんがこちらで力を尽くしている事は知っています。おつき合いしますよ」 「笠音、祭の前に、ちょっと卯城の当主に挨拶してくる。先に一組ずつもらってくぞ」 女連れの後ろ姿を恨めしそうに眺めていた迎火衆。 気を取り直して名簿を手に取った。 「これから順番に鬼面と鬼灯籠を配るから、一組ずつもらったら出て良いぞー?」 咳払い一つ。 「えーと。三太夫と无はもらったな。酒々井とグライフもおしまい。御樹青嵐(ia1669)、瀬崎 静乃(ia4468)、平野 譲治(ia5226)、ペケ(ia5365)、輝血(ia5431)、からす(ia6525)、フラウ・ノート(ib0009)、琥龍 蒼羅(ib0214)、明王院 千覚(ib0351)、ティア・ユスティース(ib0353)、琉宇(ib1119)、モハメド・アルハムディ(ib1210)、シータル・ラートリー(ib4533)、如月 遥(ib5238)、天青(ib5594)、獣兵衛(ib5607)、緋那岐(ib5664)」 卯城家に雇われた開拓者たちは以上だ。 配り追えた迎火衆の笠音は、皆の苦労を労った。 「連日よく働いてくれた。主人に代わり、皆に感謝を申し上げる。それと、今後当家では魔の森の拡大を許容できぬとして、定期的にギルドから開拓者を雇用し、アヤカシの一掃と、彩陣に向けた山道の整備を実施していくことが内々に決まった。ギルドで見かけたら、是非とも力を貸して欲しい。それでは、今日はどうか楽しんでもらいたい」 良き一日を。 迎火衆の声を聞いた開拓者達は、皆、一斉に祭へ出かけた。 一方、こちらは境城家。 赤い鬼面を家紋に掲げるもう一つの地主で、白螺鈿行きの山道を管理する迎火衆を抱えていた。こちらも配る鬼面と鬼灯籠を積み上げている。 むかしむかしの、そのまたむかし。 夜更けの祭で娘が消えたさ。 酒場の主人も、まろうども。 酔った夢と笑いながら、真っ青な顔で囁き合ったさ。 鬼面を被せて、行かせりゃよかった。 戻らぬ娘、残った簪、愚かな賭けごと後のまつり。 すると剣士が祠を尋ねた。 しもべの鬼に真朱をかえせと。 天女がにっこり、しもべがにんまり、娘はびっくり。 鬼の住処から帰りたきゃ、渡りに払うカネがいる。 願いの代価は荒御霊。 愚かな親父と、阿呆な主人を。 ああ許しゃせーぬ、惜しみゃせーぬ。鳥居の下には、からっぽの墓ふたつ。 迎火衆の山彦が歌えば、傍らの同僚も歌った。 覚えのある名前を聞いた気がした弖志峰 直羽(ia1884)を含め、興味をそそられた者が耳を澄ませた。 「宵闇に揺らめく炎、鬼面を被れば誰そ彼‥‥隣の君は、俺の知ってる君だろうか?」 赤鬼面を被って戯けた弖志峰に「うまいっすね」と山彦が笑う。 紅雅(ib4326)も顔を出した。 「舞台があるそうなので、そちらも行って見ようと思っていますが‥‥なにやら里の話はどれも縁がありそうな‥‥、舞もお話しも大変興味があります」 「で、夜更けの祭‥‥鬼灯祭の唄かな?」 山彦が頬を掻く。 「祭の時期になると酔っぱらい達が歌ってます。バカな賭け事をしたせいで娘を失い、取り戻そうとしたら自分の命を鬼に支払われてしまった‥‥祭りのバカ騒ぎに乗じて先祖も恐れぬ阿呆な賭け事すると縁起でもないことになる、って感じのありがちな教訓です」 笑って手を叩く。 「さて。これから鬼面と鬼灯籠をお配りします。名前を呼ばれたら一組ずつお受け取りください。弖志峰さんと紅雅さんは持ってますね‥‥では、音有・兵真(ia0221)さん。劉 天藍(ia0293)さん。ヘラルディア(ia0397)さん。柚乃(ia0638)さん。相川・勝一(ia0675)さん。白野威 雪(ia0736)さん。天宮 蓮華(ia0992)さん。礼野 真夢紀(ia1144)さん。水鏡 雪彼(ia1207)さん。黎乃壬弥(ia3249)さん。珠々(ia5322)さん。此花 あやめ(ia5552)さん。神咲 六花(ia8361)さん。和奏(ia8807)さん。リエット・ネーヴ(ia8814)さん。アルーシュ・リトナ(ib0119)さん。真名(ib1222)さん。朱華(ib1944)さん。白藤(ib2527)さん。石動 神音(ib2662)さん。リア・コーンウォール(ib2667)さん。寿々丸(ib3788)さん。常磐(ib3792)さん。緋姫(ib4327)さん。一 千草(ib4564)さん。神支那 灰桜(ib5226)さん」 境城家に雇われた開拓者たちは以上だ。 一通り配り追えた迎火衆の山彦は、皆の苦労を労った。 「皆さんお疲れさまでした。おかげさまで最終日を迎えられました。輪が主人に代わり、皆様に御礼申し上げます。最終日はぜひ息抜きにお出かけ下さい。それと境城家は今月、新しい山道を開通させました。アヤカシの害はまだありませんが、山向こうにある白螺鈿との交易は、様々な結果を導くと考えています。今後とも是非ご助力頂ければ幸いです」 山彦は頭を垂れた。 良き一日でありますように、と言葉を添えられ、開拓者達は祭へ出かけた。 屋台は人で溢れかえっていた。 「あそこの屋台からいい匂いがする!」 笑顔の緋那岐が手を引くのは、人混みが苦手な妹、柚乃。 「うん」 ぎこちなく手を握り返す。時には柚乃が手を引いた。 言葉は少なくとも、表情を彩る幸福の片鱗。一緒に楽しむ祭は何年ぶりか。 「はい。柚乃の分の飴細工! ‥‥なんだか、昔を思い出さない?」 「開拓者になる前は、いつも一緒だったよね」 何気ない会話が、他愛もない出来事が、どうしようもなく愛おしい。 柚乃の視線が、ふと遠くを捕らえた。 相手を凝視し、記憶の片隅を辿ること数秒。 「あ‥‥面白コンビの片割れさん!」 「おやぁ?」 そこに立っていたのは変人と名高き陰陽師、柚子平だった。 「あなたも来てたのね。‥‥もう一人は、今日はいないの?」 「霧雨クンは療養中でしてね。お祭、楽しんでいますか?」 柚乃は緋那岐の手を硬く握り、「ええ」と答えた。三人は立ち話に興じていた。 鷲が羽ばたく異国の靴が、人混みをするりと抜けていく。 「赤と黄ぃー、朱色、オレンジぃ〜‥‥紅ぃ紅っ!」 ネーヴが人に衝突しそうになるたび、コーンウォールが叱りつける。『そか』と素直に謝罪し手を繋ぐ様子は、ほほえましい光景だった。 「これもたべたーい」 「ん。祭火で食事を送る前に、私達が満腹に‥‥リエット、ちゃんと食べきれるのか?」 注文の量に、疑念を抱く。小食なのを知っていればこそだ。 「それも飲みたーい」 すっと手を伸ばしたのは銘酒の杯。姪の手から遠ざけて叱りつける。 「コラこら。まだ、早いだろう? 大人になってからにしなさ‥‥ん、どうした?」 頬を膨らませていたネーヴが、急にあらぬ方向を見て笑顔で手を振った。 「リエット?」 「綺麗な着物のおねーさんがバイバイって」 コーンウォールが振り向く先には、着飾った観光客や地元の人々が溢れている。 「あれ? いなくなっちゃった」 不思議そうな顔で首を傾げた。 儚い牡丹雪を掴まえる。 「わ、白くちらつく景色に灯る籠の火、幻想的です」 流行の着物とショールを纏い、丁寧に髪を梳いて化粧を施したグライフ。 着飾った姿を見て欲しい相手はただ一人。 傍らの酒々井はといえば。 「‥‥良いのか悪いのか」 はあぁぁぁあ、と口から魂が抜けている。卯城の当主と面会してからこんな調子だ。 厄介な話を囁かれたようだったが、溜息を零すばかりで、空気が重い。 グライフは鬼面を被って「わっ!」と酒々井を驚かせようとした。 見事に不発。 『う、全然驚いてくれません』 しょんぼりと肩を落とした。折角のお祭なのに‥‥と胸中でぼやきかけて「なぁ、フェルル」と心ここにあらずの酒々井が呟く。 「俺が‥‥俺達が、手を尽くす意味があると思うか?」 「え?」 「考えても仕方ない。動かないと何も始まらない。そう思って、最善を尽くしてきた‥‥はずだ。少なくとも、どんな壁でも叩いて砕くつもりで。なのに最善を選んで、立ち止まって振り返ると‥‥知らない事実が見えてくるんだ。見落としなのか。変えられない事実だったのか。自分の選択が正しかったのか‥‥疑いだすときりがない」 べちん! と派手な音がした。 グライフの両手が、酒々井の両頬をはさんでいた。 「フェルル?」 「ふふ‥‥『前を向いて進もう、その先にはいい事があるから』‥‥私の信条です」 目を点にした酒々井に、グライフが「やっとこっちを見てくれましたね」と頬をさする。 「拳は剣より強し、なんでしょう? 自分の拳で決断して貫いてきたものを疑ったら、どうやってそれを証明するんです? 前に進むからこそ結果が現れる、良くも悪くも、それはきっと‥‥自分を成長させ、よりよい未来を掴んで引き寄せる糧になります」 笑って、酒々井の手をひいた。 「さ! お食事にいきましょう! 美味しいものが一杯待ってますっ!」 今だけは、陰鬱な仕事を忘れて屋台を覗いていくかな、と一人呟く。 屋台の建ち並ぶ道を、拠点『色邑亭』の面々が歩いていた。 「転ばないよう、気をつけて」 紅雅のおっとりとした声が聞こえる。 「祭りか‥‥何が食えるかな。腹にたまるものは、と」 思いつく軽食は、案外なんでも揃うのが祭りの醍醐味。 朱華は食べ物の話をしながらも、一つの『せがまれるだろうな』という懸念があった。 「兄様! 手!」 幼い掌がびしっと差し出される。 やっぱりな、と思った朱華が冷ややかな眼差しを寿々丸に向ける。 「‥‥お前は俺の彼女か?」 「兄様の手は寿々が繋ぐと決まっているのです! ゆえに兄様と手を繋ぎまするぅぅ!」 「‥‥泣くなよ」 「な、泣いてなどおりませぬ! 泣いてなどおりませぬぞぉぉおぅぅう!」 強がる寿々丸。拒まれてもめげない。そんな健気さに‥‥というより大泣きされては困ると判断した朱華が片手を差し出す。 途端に機嫌が良いだから、幼さとは素直なものだ。 「なんだか子供の頃を思い出すわ」 「ったく‥‥元気だなガキは」 微笑む緋姫と、半ば呆れた声を出す神支那。 そんな二人とは異質な視線。 羨ましそうに見ていた菫色の瞳は‥‥獲物、もとい常磐を捕らえた。どこかうっとり熱っぽい眼差しのまま傍に近づく。 「ねぇねぇ、常磐。私も手を繋ぎた」「嫌だ」 野生の勘が白藤の言葉を遮る。 あまりにもつれない反応に「即答!?」と衝撃を受けていたが、こちらも簡単にはくじけない。何しろ、諦めなかった先人は願いを叶えたのだから! 前を行く朱華と寿々丸が羨ましい。 「ね、やっぱり繋ごう?」 哀れっぽい声を出してみたが、今度は問答無用で払われた。 「手、払われた‥‥繋げると思ったのに!」 恥も外聞もなく白藤絶叫。 常磐が露骨すぎたかな、という罪悪感に振り返ると。 「千草ぁ〜〜! 常磐に拒否された‥‥‥‥手、繋いで」 「分かったから。姉さん落ち込むな」 頭一つ分ほども違う白藤の頭を、一の手が撫でる。そして要望通り手を繋いでやった。 「俺に繋いで貰えなかったからって、他の人に頼むな」 結局、誰でもいいのか。 とでも言いたげな常磐が、手を振り払った事実をすっぱり忘れて、不機嫌になった。 ぐるりと軽く一周してから、彼らはそれぞれ気に入った店や場所を目指すことにした。 「では、私は舞台の方に入ってみますね。何かあれば呼んでください」 「あ、紅雅さん。俺も舞台観賞ご一緒します」 少々心配性な一が後ろ姿を追う。緋姫と神支那も並んで歩き出した。 白藤と朱華が嬉々として食い倒れに向かい、手をほどかれた寿々丸がひと騒ぎ。 「落ち着け‥‥俺と遊ぶか?」 結局、常磐が保護者を名乗りでた。二つ返事で首を縦に振った寿々丸と人混みに消える。 淡い若草色の衣に蝶の刺繍。 異国の衣で身を飾った石動は、照れくさそうに、贈り主の反応を確かめる。 「似合うかなー? どう、にーさま?」 似合うと言って欲しい、かわいいと褒めてもらいたい。けれど神咲の言葉は違った。 「馬子にも衣装というところかな」 ちらりと目を配るだけで、まともに見てくれない。 これでは着飾った意味がない。 「ぶー! にーさまなんてもーしらない!」 「ごめんごめん。嘘、似合うよ。なんでも買ってあげるから」 「‥‥神音の胃袋は底なしだよ〜?」 ご機嫌を伺ったつもりが、したり顔にでくわす。 「これは、覚悟しないといけないね」 元々、目一杯甘やかすつもりで来ていたからかまわないけれど。 手と手を重ねて道を行く。 次々と飴菓子や山の幸を買い込み、両手に持てないほど食べ歩く。甘酒を買った時は、わざわざ冷ましてあげていた。 「にーさまは? 甘酒じゃないの?」 「お酒。‥‥神音にはまだ早いかな」 「ぶー! 子供扱いするのやだー!」 「あはは、それ飲んだら神楽の見物に行こうか」 「いくいくー! にーさま、おんぶしてくれるとうれしーな」 甘えられるのが嬉しくても、素直に現れない神咲の苦悩が見え隠れしていた。 道行く人々は皆、赤か黒の鬼面を被っていた。 摩訶不思議な心地を味わいつつ、天宮は傍らの白野威の手をぎゅっと握る。 「まるで別世界に迷い込んだみたいですが‥‥本物の鬼さんとすれ違ったりするのでしょうか? 雪ちゃんが攫われてしまわないよう、しっかりと手を握ってませんと‥‥!」 赤い鬼面を被り、おどけた調子で白野威の顔をのぞき込む。 白野威は頬を薄紅に染めながら、慌てて抗議を試みた。 「蓮華ちゃんも紫蓮様も、ちょっぴり心配性なのです」 思うように進まない人混みの中では迷う可能性があるので仕方がない。 「あ、雪ちゃん! あちらが舞台のようです!」 小耳に挟んだ天女伝説。期待に胸を膨らませて、二人は走った。 緋色の着物を纏った真名は、リトナに手を振った。 「お待たせ、姉さん。行きましょ」 「お面がお揃いですね」 「同じ雇い主だったんだから、当然でしょ」 「でも無性に嬉しくて。祭の灯に見とれてはぐれてしまわない様‥‥行きましょう」 微笑んで鬼面を被り、リトナは手を差し出した。面を通すと世界が違って見える気がする。 「はじめての参加だし楽しみだわ。どんなお祭りなのかしら?」 浮かれた足取りの真名は、幻想的だと噂の舞台が気になる。リトナは事前に屋台の場所を知っていた。警備の仕事の前、祭りが始まった頃、鬼灯に来ていたからだ。 しかし舞台の前で首を捻った。 舞姫がいない。舞台は空っぽ。 「姉さん、時間が違うんじゃない?」 「そんなはずは‥‥前に来た時は、確かに踊っていたはず」 あらー? と首を捻った。 同じく首を捻ることになったのは、お茶や骨董の店を回っていた紅雅と一だ。 「舞台に行く前に、温かい飲み物を買うのも良いですねぇ」 紅雅に差し出されたもの。 「紅雅さん、お茶です。舞台はあっちだそうです。穴場の場所もきいておきました」 そつがない。 甲斐甲斐しい友人を伴う紅雅は無人の舞台と、戯けた調子で語りを行う老人を見つけて首を捻った。「どうかしましたか?」と一が顔をのぞき込む。 「おかしいですね‥‥警備仕事の数日前、此処へ鬼灯酒の買い付けの仕事で来た時には、確かに踊っていたはず」 何故、誰もいないのか。 「他の人たちは大丈夫でしょうか‥‥特に緋姫さんと灰桜」 「まぁ、追いかけるのは野暮でしょう」 肩をすくめた。 神咲、石動、天宮、白野威、真名、リトナ、紅雅、一。 八人の開拓者が首を捻っていた頃、すぐ近くに『舞姫不在の理由』を知る者がいた。 「やっぱり、いない‥‥か。だよねぇ」 三太夫は呟く。 いるはずがないのだ。籠の小鳥を逃がしたのは、紛れもない開拓者だったから。 「失礼。どういうことが、お伺いして宜しいでしょうか」 紅雅だった。 他の七人も三太夫の独り言を聞いていたが、成り行きを見守る。 「‥‥見た顔だけど、卯城の警備じゃないよねぇ。鬼面が赤いし」 「生憎と境城です。先日、この辺で迎火衆の家を探してませんでしたか?」 「あぁ! 思い出した! あんた、空で派手に変人のリボン取り合ってた男!」 別件でも依頼期間や任務地が被ると、希にこんな現象が起きる。 「‥‥忘れていただいて結構ですよ。それで『やっぱりいない』とは?」 「あ〜」 「鬼灯祭が始まった頃は、踊っていたはずですが」 「仕事を口外していいもんか、あたしにゃちょっと。ただ祭が始まってまもなく真朱‥‥舞姫様が里から出奔されたのは、ここだけの話」 三太夫が舞台を仰ぐ。 「鬼灯の天女伝説を完璧に踊れるのは、消えた舞姫と開拓者に一人、いや二人かな。笛を覚えたのがいたから‥‥でも、二人ともいないみたいだし見物は難しいと」 思う。 そう言いかけて三太夫の言葉は、かき消された。 「代がわりだ」 里人の声だ。 「代がわり、『天宿り』だ! およそ二十年に一度、まさか拝めるとはーっ!」 貴重な年に遭遇したらしい。 御簾の向こうから白髪の老女が現れた。 豪華絢爛の五彩友禅に身を包み、特徴的な鬼面をつける。腰帯に差した銀の笛。鞘から引き抜いたのは、白銀に煌めく長い刃。老婆は年を感じさせぬ足取りで虚空を舞う。 かくてー‥‥ 追われし神は、奥津城に宿りぬ。 禍なるかな、天つ申し子。 人よ、鬼子よ、赤子をかくせ。 孫も、曾孫も、玄孫も愛し子。 厄災なるかな、天つ導き。 玄姪孫、来孫、これに会わず。 昆孫、仍孫、これを忘れ。 知らぬ雲孫、ついに招きぬ。 おお、くだりし神よ。いにしえの叡智よ。 奥津城より蘇り、今宵、来よ。我がもとへ。 我、汝に誓願す。我、盟約を守りし者なり。愛し子に御栄えの加護を与えん‥‥ 年寄りとは思えぬ、朗々とした声だった。 錦が舞う、剣が震える、笛が天に唱和した。 リトナの可憐な唇から感嘆の溜息が零れた。きゅ、と隣の真名の手を握る。 「真名さん、来られて良かったです。ありがとう」 姉の微笑みに魅せられた真名。 三太夫は「驚いたね」と二十年に一度しか舞われないという踊りを見た。 「何れなんぞに役立つやも、ね」 確信めいた独り言。 天宮は魅入った。魂を奪われるような感覚を覚える。 「心が‥‥魂が惹きつけられるような、不思議な感じです」 「あの天女さんのように、舞えたら良いですね」 白野威が微笑む。 そして神咲達もまた。 「どうだい? 天女の舞いは?」 「綺麗だねー」 神咲に促され、石動は舞台を見上げた。 里に点在する食事処。 その一つで、とある三人が買い込んだ折り紙にせっせと文字を書いては折っていた。 「干し茸の炊き込みご飯に栗ご飯美味しかったです。酒饅頭も美味しかったし甘酒も美味! ちぃ姉様用にお酒購入しようとして、怪しまれちゃったのは困っちゃいましたけど」 礼野が買い物を思い出しては幸せに浸る。 「ふふ。この幸せ、わけてあげないといけませんね」 おっとりと明王院が話す。一つずつ丁寧に『鎮魂の祈り』を込めていく。 「私も‥‥ささやかであっても温かなモノを継承し、送ってあげたいと思います」 ユスティースも微笑む。折り紙に書き綴る文字は甘露や食事、折る形は食べ物を盛る器や葛籠、お握りや駄菓子、或いは徳利に似せた。優しい心遣いだ。 火が食べ物に変わるなら、様々なものを捧げてあげたい。 「この志半ばに倒れ、死後も苦しんでいるだろう人々への慈しみの心‥‥折り終わったら火にくべに行きましょう」 どうか届け、と。 興味深げに祭りを眺める者もいる。 「ふむ。死者の魂を迎え入れて宴って、面白いわ」 しかしノートの目は、ついつい料理の方に向き、味付けや具材の分析をしていた。 「おやん?」 ノートの視線が屋台の一カ所で止まった。 同じ黒い鬼面を付けた、ラートリーだ。ふらふら、ふらふらと人の波に煽られながらも目的の屋台にたどり着いてはつまみ食いをしてご満悦。甘酒を勧められてほっこり一息。 「美味しいですわね。身体が温まりますわ〜、きゃ!」 「あっぶな」 人に押された処を支えるノート。 「シータルさん。なんか危ないから、一緒についてくわ。いい?」 「へ? は、はい。宜しくお願いしますの」 人が増えれば、勿論楽しい。二人組は祭りの中を歩いてゆく。 積み上がっていく鍋。 六人前は越えていた。様子を見守る白藤は朱華をのぞき込む。 「よくそんなに入るよねぇ。私の串焼き食べる? 何か買ってこようか?」 「大丈夫だ。まだ入る」 会話になっていない。 「そこまで食べて太らないって。本当に女の敵だ」 話す間に平らげてしまった。 「次は屋台かな。いこう」 「まだ食べるの!? 別にいいけど。あ! 向こうに林檎飴あるみたい! 美味しそう! 飴屋や駄菓子屋まである! 早く早く!」 結局、食い気に走った二人組だった。 一方その頃。 寿々丸と常磐は、遊べる店を中心に歩いていた。 「屋台はたくさん遊ぶ物がありますな」 「的屋か。これやってみるか? あっちには金魚すくいもあるみたいだぞ」 「全部いきまする!」 「‥‥無理だろ」 そうは言いつつ、結局回る。上手いかどうかはさておき、落ち着きのない寿々丸に対して、常磐は冷静に獲物を狙った。当然、成果は上がっていく。 「まぁ、これくらい取れれば良いだろ」 とった駄菓子を寿々丸に投げる。 「常磐殿は器用でございますな〜。寿々もっ、寿々もやってみたいのです!」 「お手並み拝見だな。他の屋台も回ってみるか?」 知らず笑みがこぼれる。 しかし、罵声ばかりの二人がいた。 「お。いい女」 「いやらしい目で見るんじゃないわよ!」 ぐわしゃ、と足を踏んだ。女性に目をとられる神支那と、面白くない緋姫の二人。 「いってぇ! んなに怒鳴らなくても聞こえてるっつーの!」 「この色魔! お祭りの時くらい自重出来ないわけ!?」 「あ!? 色魔って何だよ! この怪力女が! 力加減を覚えろ!」 重い沈黙。 祭りの楽しさなどどこへやら。 平行線を辿るかと思われたが。 「ほら。これやるから、いい加減機嫌直しやがれ」 髪を彩る銀細工の簪。 「ふ、ふん。この程度で釣られるような安い女だと思ったら大間違いよ! 嬉しくなんてないから! ゆ、許してやっても良いけど」 歯切れの悪い台詞。 「かわいくねぇな」 「なん‥‥」 言葉が途切れた。 真紅の飴細工。その向こうに、眩しい笑顔があった。 二人組は珍しくない光景だが、一際近寄りがたい空気を発する者達がいる。 「えへへ、しょーちゃん。あぁーん」 れんげを持って此花が冷ましてくれる。なんとも羨ましい光景だ。 「ちょ、あやめちゃん!? え、ええと‥‥あ、あーん」 突き刺さる独り身男達の嫉妬を感じながら、お構いなしで応じる相川。 ごちそうさまでした。 などという一言で終わるはずもなく、第二弾が待ち受ける。視線を気にして渋れば、可愛い子がむくれて拗ねる。仕方なく応じると。 「えへへ、しょーちゃん。次はお豆腐がいい? お肉がいい? それとも‥‥」 ‥‥ボクがいい? なーんて。周囲の男共の脳裏で、勝手に台詞が補充される。あ、隣の席で箸が割れた。 「あ、あやめちゃん。僕、僕もするから!」 いたたまれない相川がレンゲを奪い取るものの‥‥対して事態は変化しない。 「おいしーい。えへへ、しょーちゃんとお祭りー、いっぱい楽しもうねー?」 食べ終わったらどこへ行くか、案内図を眺めて賑やかに過ごす。 同じ店に拠点『華夜楼』の面々がいた。 鍋を運んでくるのは女装した御樹。どうやら以前、里に来た時に同じ厨房を借りて料理をしたらしい。 しかし。 何故客なのに率先して給仕をしているのか謎だ。 弖志峰は傍の囲炉裏に網を配置し、炭火で何か焙っていた。 板の酒粕だ。 手中には酒粕鍋の碗があったが、砂糖を持った皿を持ち出す。 焙った酒粕を笑顔で見つめ、砂糖をつけて頬張った。勿論、酒だって飲む。 「鬼灯の里で拠点の仲間と酒を飲むとはな」 ぽん、と背を叩いたのは音有だ。 「いいじゃないか、食って飲んで騒いで。さ、鍋が冷える前に食べよう!」 「まぁ仕事の事は忘れて、鍋つつきつつゆっくり飲むか」 良い思い出のない里も、こんな賑わいを見せていると、普段の騒ぎが幻だったような錯覚に囚われる。 「辛気臭い顔してる奴、いいからとっとと飲んで忘れろ」 銘酒を片手にした黎乃が、時に語りかけ、長閑に仲間の様子を見守る。 全身は包帯が目立ち、丸めた背はどこか小さく、凛々しいはずの体躯が儚げに見えた。 治癒術で目立つ傷は治せても、疲労感までは拭えない。 だが愛しい娘の晴れ姿や笑顔には、親として心癒されるものがあった。 酒を片時も離さないことと、道行く女性に目がいくのは男の性だ。 「父親してやるつもりが酒と女がどうにも‥‥というか、一番邪魔なのはやたら賑やかな身内かもしれんな」 ぽそっ、と呟く。水鏡が聞き返した。 「なあに?」 あどけない笑顔に「なんでも」とごまかす。 「楽しいか?」 「うん。大好きな壬弥ちゃんと一緒だもん。お祭りってなんだか久々だね」 そりゃあよかった、と無骨な手が頭を撫でて髪を梳く。 「壬弥ちゃん、暖かいね。えへへ。酒饅頭だよ。あーん」 「‥‥どうにも照れるな。どれ」 差し出された酒饅頭を素直に食べる。水鏡の笑顔が、なによりの薬だった。 「ねぇ、壬弥ちゃんは依頼や綺麗なお姉さんがお酒ついでくれる所ではあんな事してるの?」 「あんな?」 指先を辿って言葉を失う。酔いが回ったのか、皆が酷い醜態だ。 そう。 黎乃と水鏡が語らっている間、珠々は地道に料理から人参をどけていた。 千切りであろうと、細切れだろうと関係ない。奴は敵。忌まわしい人生の敵だ。 そして人目を盗んで酒を飲もうとしたら音有に見つかった。 「流石に飲ませるわけにはな」 悔しげな珠々。 「いいです、大人になったら酒笊々覚えて目一杯飲んでやります! とりあえず、甘酒お代わり!」 とくとくと注がれる杯。 丁寧に作られた甘酒は、驚くほど甘みが強かった。 そして再び天敵と戦いだした。悲劇はここから始まった。 「うん? タマちゃん、まーた人参避けて食べてるっしょ?」 弖志峰が酔った眼差しで珠々に近づく。 珠々の箸を奪い取り、白磁の頬に骨張った指を添え、可憐な唇を淫猥になぞり。 「‥‥大丈夫。怖くないよ。目を閉じていればすぐに終わるから」 艶を帯びた低い声音が、珠々の耳を嬲る。 「安心して、俺に体を預けて」 接吻の代わりに、人参を掴んだ箸がやってきた。 珠々、幻覚から目覚める。 「そ、その橙色はっ! 直さん、何をするんですかっ! それは私の天敵ですっ!」 人参、人参、人参が迫ってくる! 「優しく入れてあげるから、ね?」 ね、ではない。 「にゃああああああ?! 青嵐さん、天さん、たすけてー!」 いくら開拓者とはいえ、男女の腕力差は存在する。 絶体絶命。 「だめですよ、直羽、嫌がる人に無理やり勧めるのは」 「ん、あー、直羽、酔ってるな。よっ‥‥と。珠々ちゃん、無事か?」 御樹と劉が止めに入った。 力業で弖志峰を珠々から剥ぎ取った劉が、首締めに加えて羽交い締めに拘束した。女装の御樹は、微笑みを浮かべて弖志峰に跨る。 「因果応報ということを思い知らせてあげたくなります。さぁ、遠慮なく。あぁーん」 男に『あぁーん』されるとは、何の罰か。 いやむしろ、ぐっつぐっつと煮えたぎる豆腐の塊が近づいてくる。 「あつ! あつい! イヤァァァ」 前門の御樹、後門の劉。 乙女のような叫び声をあげながら、弖志峰が逃れようと試みる。 「ご心配なく。怖くありません。目を閉じていれば、すぐに終わります」 聞き覚えのある台詞だ。 「精々数日間、味覚が無くなるぐらいですから」 「ごめんなさい調子に乗りませんもうしません」 散々遊ばれた弖志峰は、うち捨てられたように畳に転がった。 「直羽は、ちょっと頭冷やしてこい、な。つまみはとっておいてやるから」 そう言いつつ、劉は安心しきっている珠々に目を配る。 「‥‥今度すり潰して何かで誤魔化してみるか」 ぼそ、と一言。 「殺気!? どこから!?」 怯える珠々。劉の苦笑が零れる。人参はあれでも甘い。毛嫌いするようなものではないと思いつつ、菓子のように甘くして食べさせてみようか、という好奇心が湧く。 それにしても。 「どうも鬼灯の里じゃ酔いが上手く回らないな、俺は。水でも飲むか」 酔い覚ましのつもりで手に取った杯が、御樹専用のキッツィ酒でひっくり返った。 そしてその一連の騒ぎを見ていた黎乃は、水鏡を振り返り。 「マネをするんじゃないぞ?」 「はーい。壬弥ちゃんは大人だもんね!」 音有が店先の甘酒売りに混じって通行人に声をかけ始めた。 「皆で、一緒に一杯どうかな?」 あてもなく道を彷徨う和奏は、意外な場所に飾られた鬼灯篭を探していた。 気が付いた事は、鬼灯籠を飾る家と飾らない家があることだ。 勿論、大通りには鬼灯籠が連なっていたけれど。 「あれ?」 黒鬼面を被った娘がいる。 「どうかしたの?」 「ひ!」 「ごめん。驚かすつもりは‥‥道にでも迷った? それなら、自分は昨日まで警備をしてたから少しは道が分かるけど」 「赤い鬼面‥‥境城の方か。どうりで見ない顔だと」 「もしかして。同業? 黒だから‥‥卯城の方かな」 「‥‥ああ。如月だ」 雇い主が違うと、顔を合わせることは少ない。和奏が如月が覗いていた方向を眺めると、一際開拓者で賑わう店があった。傍らで甘酒を売るヘラルディアやからすに加え、暇そうな人間を次々と隣の宴へ誘い込む音有がいた。 そこで、ぴんときた。 「いく?」 「は?」 「あそこで声かけしてる人、境城で雇われてた警備の人が多いから、少しなら自分は顔が利くよ」 「お、おい」 素直になれない如月を連れて、和奏が店に向かう。 知らない人間ばかりかと思われたが、案外同じ場所で働いていた者も集まっていた。 「おやぁ? おぬしも屋台を回るのに疲れたか?」 黒い鬼面を頭に乗せた獣兵衛が、軒先で煙管をふかしながら如月に声をかけてきた。 「まぁそんなところ‥‥なにをやっている」 如月が唖然と見つめた先に、女装した御樹が鍋を運んでいた。 「いらっしゃい。女装の事ですか? それとも割烹着? まぁ些末な問題です。こちらのお店とは前々からつき合いがありましてね、厨房をおかりしています」 卯城の警備で一緒だった時は男の姿だっただけに、違和感が拭えない如月が絶句する。 「あら、和奏様ではありませんか。散策はおわりまして?」 はいどうぞ、と二人分の甘酒を渡すヘラルディア。 自由にして良いと言われながら、結局のところ働いている。働き者だ。 「やあ、和奏殿。先刻以来だ。丁度、席を増設したところだから、どうかな?」 炎の見える席だと笑う、からすに従い、和奏と如月が宴に混じる。 「こんなところにいたのか、からす。別の屋敷に雇われたと聞いていたが」 黒い鬼面を被った琥龍が、見つけた友人の元へ走ってくる。 「警備なら終いだ。酒が良いかな?」 「あー、此処は酒が有名らしいが。俺は特に好きでは無いので、味見をする程度だな」 「なら、茶がいいか」 手慣れた様子で支度する。 拡張された軒先の見物席に、続々と人が集まっていた。 「しかし、おぬし。そんなに酒を飲んで大丈夫か?」 獣兵衛が、隣の席に座ったペケを心配する。 「お酒を堪能しにきてますから! 私より无さんの方が凄いですよ? ねー、モフペッティ?」 无はといえば、ひたすらに手帳を睨み続け、黙々と酒を飲み続けている。 というより、飲まされている。隣で笑いを堪えた天青が、悪戯半分に続々と酒を注ぐ。 並ぶ酒瓶。脅威の酒豪。 「‥‥あれで素面なのか?」 「そういえば、携帯していたお酒も命の水っていってましたねー?」 ペケが記憶を辿る。酔っても饒舌になる程度だというのだから驚きだ。 「アッサラーム・アライクム! 会いたかった、諸君!」 異国の言葉が宙を舞う。 同じ卯城に雇われていたアルハムディが、黒鬼面を後頭部につけて現れた。 「‥‥充分、馴染んでいるではないか」 異教には馴染めないと、仕事中にぼやいていたことを獣兵衛が指摘すると。 「ヤー、獣兵衛さん。ケーフ・ハラック。崇めし神は違えど、信仰する心は同じ! よってマーフィ・ムシュケラ!」 通じない単語を、あえて聞き返すのを諦めた。 「‥‥さようか。して、道にでも迷われたか?」 「ナアム、実はアナ・ダヤアト・アルタリク‥‥ってそうではなく」 道に迷いました、という冗談をかましたが、母国語だったので通じなかった。 「お世話になった開拓者諸氏とは感謝と挨拶も交わしたい、そう思い探していた」 珍しく会話が綺麗だ。ぴし、と姿勢を正す。 「シュクラン・リクッリ・シャイイン」 ありがとう、と言ったのだが、彼の会話は最期まで母国語折り混ざったままだった。 「獣兵衛達、すごい‥‥」 どうせだからと酒の飲み比べをしていた輝血が、天儀の広さを実感する。 祭りなのだし無礼講。雰囲気には酔えるが、雰囲気から会話が成立する様は更にすごい。 「輝血さん、ケーフ・ハリック」 「ええ、と。モハメド。折角のんびり出来るんだしお酒でものむ? 何時も仕事仕事だから、こういうときくらいはゆっくりやすまないとね」 輝血が言うと、アルハムディが申し訳なさそうな顔をした。 「ムタアッセフ。豚肉や酒は禁じられているのです」 それは困りましたね、と顔を出したのは御樹だった。 「山菜と魚の鍋ならできますが」 「鱗はありますか?」 調味料含めて細かい確認が行われてから「ナアム・イザ・サマハトッ。あちらで待たせてもらいます」と上機嫌で戻ってきた。面倒な習慣をくぐり抜けた鍋ができるらしい。 そして奇跡の鍋が出来上がった頃、更に音有達の呼び込みで人数が拡大していた。 なんと瀬崎の即席救急所まで出来上がっていた。 「‥‥応急処置はしたけど、念の為に医者にみせてください。じゃ、一旦ここまでで」 美味しい料理の出現に、隣の黒鬼面を手にして戻っていく瀬崎。 「今度、寮の人達と鍋もいいかな。‥‥もう一杯、お代わりお願いします」 ご満悦だ。 瀬崎の隣には同じ寮の平野が、一緒に屋台を遊び回っていた琉宇と共にいた。 「それもいいと思うのだ! ん〜! 美味いぜよ! おなっべっ、おなっべっ、んー。甘酒も‥‥おおっ? 前飲んだやつより味が逃げてくなりよ? るー!」 隣の琉宇の袖を引く。 「甘酒かぁ‥‥あんまり飲む事はないけれど、ちょっと飲んでみようかな‥‥酔わないよね?」 ちらっと向かう視線。 「鬼の祭りか。駄目だねぇ、親父様のことを思い出しちまう。血はつながってないけど、厳しくて優しい人だったねぇ。ううう」 「まぁ‥‥飲め」 話を聞いてやる无と、酒が入って泣きが始まった天青がいた。 祭りの最期に、皆が願いを書いた。 死者の魂が癒されますように。 一緒にいられますように。 怪我が治りますように。 病がいえますように。 幸せであるように。 口に出せない望みや、切実な願望も交えて。 そんな中で。 「さっきのお姉さんだ」 リエットが手を振って消えた女性が、人混みの中にいたらしい。 「落ちてきたの、何個かひろってちゃった。いいのかなぁ?」 誰かが願い事を書いて火に入れたものを、持って消えたらしい。 同時刻。 緋姫と真名、珠々と水鏡、そして酒々井と劉の六人が知らない女の声をきいた。 『ダイカ・ヲ・ハラウカ?』 振り向いても、誰もいない。 気のせいだと思って、火柱を仰ぎ見た。 天高く燃える炎に、無数の人々が鬼面や鬼灯籠をくべてゆく。 鬼と騒ぐ宴は、こうして星空のしたで過ぎていった。 |