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■オープニング本文 雪の残る銀世界で、梅の花が終わり、桃の花が咲いた頃。 ある五行国の社で移転話が持ち上がっていた。 「……時の小箱? ああ、一昨年建立した記念碑だろう?」 ここは五行。結陣の外れにある小さな社だ。 毎年秋になると、寂れた社は菊祭で息を吹き返す。 人々は丹誠込めて育てられた菊を眺めて心を和ませ、参拝道途中の小料理屋で菊花膳を楽しんでいた。 そんな社にも冬は巡る。 一昨年の大雪で御神木の老朽化による事故を心配した持ち主が、巨大な御神木を切って記念碑を立てた。 切り株の隣に佇む真新しい記念碑は『時の小箱』と名付けられた。 記念碑は、内部が棚状で、中に沢山の人々の手紙を詰めた。 未来の自分へ。 或いは、未来の大切な人へ。 今は秘めたる思いを手紙に託して、記念碑に封印し、数年後に受け取りに来ることを願った。 今回、社の改築に当たり、記念碑を移すことになったという。 それで一旦、中身を開封することになったのだ。 「詰めた時の名簿ってあったよな。開拓者もいるし、ギルドに連絡しないと」 「どのくらい受け取りに来るかねぇ」 ●記念碑『時の小箱』へ手紙封入名簿● 【差出人】柄土仁一郎(ia0058)〜【宛先】柄土仁一郎(ia0058) 【差出人】滋藤御門(ia0167)〜【宛先】フレス(ib6696) 【差出人】羅喉丸(ia0347)〜【宛先】羅喉丸(ia0347) 【差出人】真亡・雫(ia0432)〜【宛先】真亡・雫(ia0432) 【差出人】柄土神威(ia0633)〜【宛先】柄土神威(ia0633) 【差出人】柚乃(ia0638)〜【宛先】柚乃(ia0638) 【差出人】鴇ノ宮風葉(ia0799)〜【宛先】鴇ノ宮風葉(ia0799) 【差出人】礼野真夢紀(ia1144)〜【宛先】礼野真夢紀(ia1144) 【差出人】白紙 【差出人】からす(ia6525)〜【宛先】からす(ia6525) 【差出人】千代田清顕(ia9802)〜【宛先】西光寺百合(ib2997) 【差出人】フェンリエッタ(ib0018)〜【宛先】フェンリエッタ(ib0018) 【差出人】アグネス・ユーリ(ib0058)〜【宛先】アグネス・ユーリ(ib0058) 【差出人】アルーシュ・リトナ(ib0119)〜【宛先】真名(ib1222) 【差出人】ジークリンデ(ib0258)〜【宛名】ジークリンデ(ib0258) 【差出人】真名(ib1222)〜【宛名】ローゼリア(ib5674) 【差出人】蓮神音(ib2662)〜【宛名】蓮神音(ib2662) 【差出人】西光寺百合(ib2997)〜【宛名】千代田清顕(ia9802) 【差出人】リィムナ・ピサレット(ib5201)〜【宛名】リィムナ・ピサレット(ib5201) 【差出人】ローゼリア(ib5674)〜【宛名】サミラ=マクトゥーム(ib6837) 【差出人】フレス(ib6696)〜【宛名】滋藤御門(ia0167) 【差出人】サミラ=マクトゥーム(ib6837)〜【宛名】アルーシュ・リトナ(ib0119) 【差出人】乾炉火(ib9579)〜【宛名】以心伝助(ia9077) 【差出人】明神花梨(ib9820)〜【宛名】明神花梨(ib9820) 【差出人】佐藤仁八(ic0168)〜【宛名】佐藤仁八(ic0168)(アグネス・ユーリ(ib0058)) |
■参加者一覧 / 柄土 仁一郎(ia0058) / 羅喉丸(ia0347) / 真亡・雫(ia0432) / 柄土 神威(ia0633) / 柚乃(ia0638) / 鴇ノ宮 風葉(ia0799) / 礼野 真夢紀(ia1144) / からす(ia6525) / 以心 伝助(ia9077) / 千代田清顕(ia9802) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / フェンリエッタ(ib0018) / アグネス・ユーリ(ib0058) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ジークリンデ(ib0258) / 真名(ib1222) / 蓮 神音(ib2662) / 西光寺 百合(ib2997) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / ローゼリア(ib5674) / フレス(ib6696) / サミラ=マクトゥーム(ib6837) / 明神 花梨(ib9820) / 佐藤 仁八(ic0168) / 銀 蒼威(ic1525) |
■リプレイ本文 ※リプレイ内に未参加PC様のお名前が記載されておりますが、内容と状況を勘案の上、今回限りの特例として許可しております。予めご了承下さい。 ●待ち人たち 五行で仕事を終えた銀 蒼威(ic1525)は、ふいに足を運んだ神社の賑わいに首をかしげながら、茶屋で団子と抹茶を注文した。仕事の後は甘味が最高。自然と頬も綻んでいく。 「ここのお団子美味しいですねぇ……、もちもちとした弾力に鶯餡が最高です」 「そう、中々だろう」 声をかけてきた少女も同じものを食べていた。 軽く会釈して人混みを眺める。 「今日はお祭りか何かなんですか?」 「なんだ、知らないのか。今日は碑石『時の小箱』の開封日だよ。ずっと昔に手紙を埋めた者たちが集っているんだ。申し遅れた、私はからすと言う」 からす(ia6525)と握手を交わしながら、銀も「蒼威です」と名乗る。 「良い企画ですね。私も手紙を書いてみたいです。からすさん、何を書かれたんです?」 「さて私が私に送った質問は何だっただろうか。私は……すっかり忘れてしまったよ」 ずず、と緑茶を口に運ぶ。 その横顔は穏やかだった。 「こういう時、忘れてしまった方が楽しい時なのだよ。見たものを忘れてしまえば、それだけ新たな出会いが生まれるというものだ。一度見たものが、次は違って見えることもある。……旅人の受け売りだけどね。勿論、大事な思い出は忘れないように――」 言いかけて、集合がかかっている事に気づいた。 からすは「失礼」と席を立つ。 石碑のとなり……切り倒された御神木の前には柚乃(ia0638)がいた。心の旋律を奏で、訪問のご挨拶をしておく。幹の大半は枯れてしまっていたけれど、別の命を育んでいた。 そして。 「これから名前を呼びますので、受け取りに来てください」 係員が声をなげた。 ●遠い日の祈り からすは受け取った手紙を開封した。 【宛先】からす 【差出人】からす。或いはその代理人 【本文】 『今、君の世界が私が見た世界と変わらぬ美しさである事をここに祈る。君が生きた世界は最期まで自由だったかね?』 からすは、フッと口元に笑みを浮かべた。視界に映るのは賑やかな人混み。境内に積もる白銀の雪。そして木々の狭間から見える、青く澄んだ空だった。高く飛んでいく鳥に手を伸ばす。先へ、もっと先へ。からすは係員に頼んで、手紙を再び封すると、移転後の碑石に埋め直してもらうよう頼んだ。 そして言った。 「また忘れて思い出した時に取りに行く、忘却の楽しみさ……年寄りくさい発想だけどね」 いつかまた、会いに来るよ。 ●巡る言葉 羅喉丸(ia0347)は手紙の受取を待つ人混みに向かって歩いていた。 「青山骨を埋ずくべしというが、まずは取りに来れた事を感謝しなければな」 歩きながら考える。 かつての自分は未来の自分の為に、どんな言葉を残したのだろうか。 ……まるで覚えていない。 確か『すごいこと』は書かなかった。武勇伝や秘密なども書いていなかったように思う。ただ当たり前の、それでいて大事だと思った事を綴った気はするが、自信がない。少なくとも過去の自分に胸を張っていたい、と思いつつ開封した。 【宛先】羅喉丸 【差出人】羅喉丸 【本文】 未来の自分へ 青山骨を埋ずくべしというが、 再び手に取ってくれた事を感謝しよう。 きっと更なる修練を積み、強くなっているのだろう。 願わくば、初心を忘れず、己の信じる道を歩み続けている事を。 「……俺らしいな」 つい先ほど呟いた。全く同じ言葉を、ここに書いていようとは。 修練を重ねた。以前よりも強くなった。それだけは自信を持って言える。いずれの戦いにおいても弱敵と呼べるようなものは唯の一体もいなかった。 「これからも歩んで行けたら……そう、思うよ」 ●いたずらの名残 礼野 真夢紀(ia1144)は子猫の足跡や落書きの多い文に首をかしげつつ開封した。 【宛先】礼野真夢紀 【差出人】天儀歴1012年のまゆより (『本人死亡の場合は故郷へ送って下さい』) 【本文】 今の家族構成はどうなっていますか? 朋友も増えたり伴侶を持っていたりするのでしょうか? 今は未だそんな連想出来ないんですけどね もう故郷に帰っているのかな、それとも未だ修行中? 初志を忘れないで頑張って ●旅路の果て 仕事帰りの真亡・雫(ia0432)は参拝道を駆け上がった。 石段は地味にキツイ。 友人に『時の小箱』の開封日が今日だと聞かされ、全力で龍を飛ばしてきたのだ。 「ま、間に合った〜。助かった……この機会を逃したら、後悔しちゃう。危ない危ない」 係員から手紙を受け取り、茶屋の一角を確保して、お茶と甘味を頼む。 「何か細かいこと、書いたかな? ううーん、思い出せない」 首をかしげつつ、ペリペリと蝋印を破る。 【宛先】真亡・雫 【差出人】真亡・雫 【本文】 日々依頼を受けていく反面、何のためにそれを行うのか。きっと哀しいことは多々ある筈… その悩みに答えを見つけられたのでしょうか? 貴方が愛する人達とともにその答えを見つけられたことを、僕は切に願います。 昔は、ひどく悩んでいた気がする。 自問自答の日々だったかもしれない。 けれど悪いことだけでなく……良いことも色々あった。 愛する人と結ばれて、親友と呼べる人もできた。 ギルドで請け負う依頼が……以前より気が楽になっているのは、友人と呼べる存在が増えたからに違いない。遠き日の悩める自分に、伝えたいことがある。 「僕、開拓者をしていて本当によかったとおもう」 きみは分からないだろうけれど。 悩んで、苦しくて、自分の歩く道がわからなくても。 「だから、この道を選んだ過去の自分にも……感謝しないとね」 ――――ありがとう。 ●いつか 宝狐禅の伊邪那を首に巻いた柚乃は、茶屋で手紙を眺めて百面相していた。 開封には、まだ早い気もするが……宝狐禅の伊邪那はひたすら急かす。 お茶と茶菓子で和んでから、意を決して開封した。 【宛先】柚乃 【差出人】柚乃 【本文】 未来の私へ。 どのような苦難にあおうとも、私は真っ直ぐ前を向いて歩いていきたい。 未来の私に悔いが生まれぬように。 あなたが、過去の自分を懐かしみ…愛おしく思えたのなら。 私は… 「……なんて書こうとしたんだっけ」 餡菓子を口に放り込みながら、記憶を掘り起こす。 でも別なことも思い浮かんだ。またこんな機会があるだろうか。だとすれば誰かに当てるのもいいかもしれない。自分が誰に宛てたいか考えて……沢山の顔が浮かんで消えた。 ●己に問う 「あー……すっかり忘れてた」 山と積み上げた団子の皿は、全て鴇ノ宮 風葉(ia0799)が食べたものだ。 極力、石碑や御神木の方を気にしないようにはしていたが、自分の手紙が同じ場所に入っている以上、誤って誰かに開封されては困る。 結局のところ、手紙を強奪して店の奥に戻って来た。 古びた和紙を眺め「……全く覚えてないわ」と呟き、開封する。 【宛先】鴇ノ宮 風葉 【差出人】同上 【本文】 あー…えっと、あんた、そこにいる? この手紙を読んでる? 一年後もまだ世界征服してんのか、家の面倒な仕事してんのかわかんないけど。…あんたが楽しいなら、今のあたしは、満足よ。 じゃ。仲間を大切にしなさいな? 「……センチメンタルになる余裕は、あたしにはない、ってね」 ボッ、と手紙が燃え上がった。 火種の術だ。メラメラと遠い日の言葉が燃えていく。 言われるまでもない。 否、少し違うかもしれない。これを書いたのは鴇ノ宮自身だから。 文面を読む限り、昔の鴇ノ宮には不安があった。 手紙を受け取っていない可能性。世界征服の志を捨てている可能性。実家に戻っている可能性。全てが不透明な未来に語りかけた文面だ。 最後に気にしたのは、たった一つ。 ――――ねぇ、あんた。楽しい? 「あたしは、今でも元気にやってるわ」 あんたの仲間と一緒にね。 ●氷の心に届く春 お茶とわらびもちを楽しんでいたジークリンデ(ib0258)は、ふー、と深い呼吸をした後、手紙を受け取りに行った。 脆い和紙は年季を感じさせる。切り倒された御神木の前で手紙を開封した。 【宛先】ジークリンデ 【差出人】ジークリンデ 【本文】 未来の私へ 私は戦い続けているのでしょうか それとも平穏を見つけているのでしょうか 今の私は臆病で 届かないところでみているだけですけれど 貴女が恋をし愛を知ったならば教えて欲しい 貴女のかけがえのない思いを 「そう……でしたね。あの頃の私は、私自身が怖くて、触れるものが崩れていくのが怖かった、人を愛することなんてないと思っていた」 ジークリンデは静かに目を閉じて、手紙を胸に抱いた。 あれから、何もかもが変わった。 「でも、あの人に出会って。不器用だけれども生きているって思えた。世界が変わって見えた。だから感謝の気持ちを……伝えたい。ありがとう、私は生きています」 時を遡る魔法があるなら、伝えたいことが沢山あった。 「好きな人ができました。愛してる人がいます。私は……恋をしています」 教えてあげたい。 愛する未来が待っていることを。 ●ゆるぎないもの 茶屋で散々飲み食いしていたリィムナ・ピサレット(ib5201)は前に何を書いたのか思い出せないまでも、元気よく読み上げようと決めていた。 「あの頃は、まだ魔術師やってたんだよね〜。今は吟遊詩人と巫女とシノビとジプシーと陰陽師の技を使える様になってるけど……一年ちょいで物凄く強くなったんだね、あたし」 指折り数えながら達成感にひたり、待ち望んだ手紙を開封していく。 【宛先】リィムナ・ピサレット 【差出人】リィムナ・ピサレット 【本文】 やっほー! 元気? おねしょして泣きべそかいたりしてない? って流石に治ってるよね♪ …よね? もし、辛い事があっても 貴女なら必ずどうにか出来るよ! 自分を信じてゴーゴー! それがリィムナ・ピサレットのやり方だよ! 勢いで読み上げて、硬直した。近くからクスクスと忍び笑い。 ピサレットは手紙で顔を隠しながら「……まだ治ってないよ」と昔の自分にぼそりと告げた。手紙を元通り綺麗にたたんで、係員に渡す。 碑石を移転させたら、またそこにしまってもらう為だった。 「……よし。大丈夫! あたしはあたし! どんな時だって自信満々! もっともっと強くなって何でも解決しちゃうんだから。よーし! 頑張るぞっ!」 天高く拳を突き上げた。 ●遠い日の願いと 次々に手紙が配られる中で、明神 花梨(ib9820)は「手紙埋めてから、そないになるんか」と感慨深げに手紙を受け取る。 どんなことを書いたのか……覚えていない。 「おばちゃーん、甘酒のおかわり一つな。あ、こっちの抹茶も、ちょーだい。落雁も」 茶屋で甘酒のおかわりや落雁を頼みつつ、封を切る。 【宛先】「自分を含めた、未来の開拓者へ」 【差出人】明神 花梨 【本文】 この手紙を読むとき、天儀はどうなっとるやろか? 魔の森やアヤカシが減って、人の笑顔が増えとったらええな。 それから未来のうちは、沢山の精霊さんに会えとるかな? きっと、皆の幸せ願いながら、旅の僧侶しとるやろな♪ 天儀歴1012年12月吉日 「せやせや、未来の自分に向けてやったな! 年取ると、忘れぽいなってあかんね」 追加注文を持ってきたおばちゃんが「あんたいくつだね」と言いつつ、皿を置いていく。 「いくつやとおもう? んー、茶受けの落雁、なんの花なん? 梅? 美味いで」 世間話をしながら昔を思い出す。 「手紙埋めたころは、年の瀬やったっけ。あの頃と今のうちの違いな? ……出不精になったで。今はまだ寒いんやもん、太陽が出とったら、散歩ちゅう気になるんやけど」 茶屋の隣で花咲く古樹を見上げて、明神は双眸を細めた。 ●証文の悲哀 アグネス・ユーリ(ib0058)もまた「一年以上経つんだ……あっという間ねぇ」と言いながら手紙を受け取り、何を埋めたか思い出せぬまま、開封した。 【宛先】アグネス・ユーリ 【差出人】アグネス・ユーリ 【本文】 『覚書』佐藤仁八に渡したバイオリン「サンクトペトロ」22800文の対価及び利子、この覚書開封時に未払いなら、即日現金で回収すること。 「……ああ。あったね、こんなこと」 ぽん、と手を叩いてから、取り立てる対象を探す。 「結構な額面になってる気がするけど……約束は約束、きっちり回収しとかなきゃねぇ」 一方、取り立て屋が迫る佐藤 仁八(ic0168)は、手紙の宛名がなぜ自分と女性の名なのか首をかしげていた。 本能的に嫌な予感がして、渡す前に盗み見を……した。 【宛先】 佐藤仁八 アグネス・ユーリ 【差出人】佐藤仁八 【本分】 証文 バイオリン「サンクトペトロ」22800文也、右確かにアグネス・ユーリより頂戴し申し上げ候。対価は出世払い、天儀暦1012年大晦日より月6%の複利で利子を付け、開封時に現金で支払うものとす。 佐藤の頭が茹だる。 『月6%? いくらだ? 1824文か? 何ヶ月分だ? 利子だけで19184文いくんじゃないのか? いや、もう月末だから来月分も……』 「ま、律儀ねぇ。ハチ。しっかりした証文じゃない」 佐藤の手の中から一瞬で証文が消えた。 開封して凍りついた一瞬を、佐藤は地の底まで後悔した。 引きつった笑いを浮かべ、滝のような汗を流しながら後退していく。 「どこいくの? あたし宛の手紙、でしょ」 「アグネス……ま、まあ待ちねえ、落ち着いて話し合おうじゃあねえか。な?」 「話し合おうっていう割に、足が後ろ向きね。さ、耳を揃えて返して貰いましょ。義理は欠かしたことがないんでしょ?」 極上の笑顔。 普通の男なら見惚れるが、佐藤は心臓が縮み上がった。 「おう、こちとら義理と褌は欠かした事が無ぇお兄いさんだ。義理は欠かさねえが、手持ちが無くてよ。今も、昔も、この先も」 佐藤は逃亡を開始した。 「くたばるまでにゃ返すからよ! 先にくたばったら、金ぁ香典代わりだと思ってくんねえ。あばよォォォ!」 「まちなさい!」 群衆の前で曲芸が始まる。 ユーリは蛇の皮を用いて作った深く濃い緑色の鞭をしならせて、容赦なく佐藤を狙った。もちろん佐藤も手段はお見通しだ。気の流れを感じ取り、全身全霊を注いで逃亡に身を投じる。 ひゅぉん! としなる鞭が頭をかすめた。 「殺す気かー!?」 一発目を逃げ切った佐藤を、ユーリはしなやかな跳躍で追った。動き続ける佐藤を捉えるのは並大抵の難度ではない。佐藤が逃げきれるかどうかは三分の一……否、五分五分の確率に近かった。 ついに観客がサイコロで捕まるかどうかを賭け始めた。 運命の女神は、果たしてどちらに微笑むのか!? 「逃がさないわよ」 「ぎゃ、ぶッ!」 均衡を崩した佐藤の顔面が大地に接吻。鞭は足首を捉えた。ずりずりと大の男を引きずるユーリに『容赦』の文字はない。 「先に有り金回収よね。身ぐるみも褌以外は剥ぐべきかしら。質屋に入れても半額……」 「さ、先に酒屋と米屋と研ぎ屋と反物屋の付けを返さねえと腹切らなきゃなんねえんだ、あと半年だけ待ってくんねえ? 証文も渡しただろ。後生だアグネス。おい聞いてんのか、おい」 「証文は信用がイマイチだから不可。あ、芸事もできるのよね? 体張って稼いできてもいいのよ。さぁて、どこに連れていって欲しい? 見世物小屋? 大口狙うなら歓楽街かしら〜」 連れ去られる佐藤を見て、赤の他人の勝負師たちが両手を合わせた。 ●四人一緒に 「ふふ、もう一年半も経つのね」 真名(ib1222)は木の枝に積もった雪を固めて雪兎を4つ作って並べた。 「もうそんなに経ちますのね」 ローゼリア(ib5674)は感慨深げに呟く。真名は『なんだかあっという間だったなあ』と思いながら空を見上げた。果たして私は何か変わったのかしら……と思うのは真名だけでなく、アルーシュ・リトナ(ib0119)も月日の過ぎる早さを感じていた。 「こんな風に集うのも稀になりましたね。でも、この機会に集えて嬉しいです」 碑石に閉じ込めていた手紙を受け取ったリトナ達は、茶屋の軒下で話し込んでいた。 四人で開封すると決めたものの、サミラ=マクトゥーム(ib6837)に始まり、それぞれの近況報告が始まると中々話が止まらない。 「……こんな感じ、かな。そうだ。合戦後、少しの間真名と旅に出るから」 穏やかに語りながら、マクトゥームは思う。 昔は天儀にいないかも、と思ったけれど、まさか旅に出る準備をしているとは。 未来は予測不能だ。 『部族の輪から離れるなんて初めて、かも』 戦士である事が誇りなのは変わらない。けれど少しだけ不思議だ。 「ところで……皆にも、あの頃は想像してなかった、今が、あるの、かな」 んー、とリトナは考え込んだ。 「そうですね。もう1年半近く経ちましたけど」 ぐるりと三人の顔を見渡す。 「真名さんは表情が多彩になりましたね 女性であり乙女であり……どの顔も素敵な一面ですから自信をもって下さい。ローゼリアさんも良いご縁があるようで」 ぽ、っと頬を赤らめる二人。 「それでサミラさんは最初にお会いした時より、懐がより深くなられたような……」 「そう、かな」 「皆、前とは違う一面です。私の場合は……孤児院の子供達の事が大半です。ちゃんと、あの子のおかあさんになれると良いのですが、こればかりは。さて開封しましょうか」 真名宛の手紙はリトナが。 リトナ宛の手紙はマクトゥームが。 マクトゥーム宛の手紙はローゼリアが。 そしてローゼリア宛の手紙は真名が筆をとった。 「あはは、開封すると思うと少し照れくさい、ね」 マクトゥームの手紙を眺め、書いたローゼリア本人が悩み込む。 「昔の自分の言葉を友人が詠む、と。これはけっこう緊張しますわね」 様々な経験を経て、かける想いは随分変化した。 もし次があるのなら、また違う言葉を書くに違いない。 「ふふ。少し違いますが、答えあわせと参りましょうか? 過去と今の私たちの答えについて」 「なんだかワクワクするわね」 真名が封を封を破った。胸を高鳴らせながら一斉に手紙を読む。 【宛先】真名 【差出人】アルーシュ・リトナ 【本文】 真名さん 何時も真っ直ぐな愛情をありがとう 貴女から伝わる熱が大好きです 自由に情熱を持って駆け抜ける貴女の 帰る場所であれるなら。 願わくば 何時か共に歩む心強い人を… 巡り合せの星はきっと必ず… 祈っています 【宛先】アルーシュ 【差出人】サミラ 【本文】 これを開くのは数年後だっけ。 もしかしたら私は故郷へ戻ってるかも、か。 書く事思いつかないし、お祈りかな。 貴方達が今以上に幸せでありますように。 私が今以上に皆へお返しできていますように。 いつもありがとう。 【宛先】サミラ=マクトゥーム 【差出人】ローゼリア 【本文】 時折自分の事を女らしくないと言いますが、思いやりのある素敵な女性だと思ってますわ。 これが届く時にじゃ相応しい人がいる事を望みます。 あなた方に会えたのは私の幸福です。 未来の貴女と笑って話せておれます様に 【宛先】ローゼリア 【差出人】真名 【本文】 ローザ、私の大事な妹。 現在の貴女は凄く自分にも他人にも厳しい真面目な子。 私達には屈託無い明るい笑顔を見せてくれる… そんな貴女が好きよ。 今、これを見る時貴女はどうしてるかしら? ずっと4人一緒なら嬉しいな 「皆さん、読みました?」 四人で読んで、横目で自分の文面を確認したりして、掠れた文字や誤字に赤面したりしながら……四人、笑顔で笑いあった。 「ありがとうございます。サミラさん、お守りにしますね」 「……そんな事書いた、かな。憶えてないし……うん」 そっと顔をそらす。 「お、お茶とお菓子の追加注文をとってきますわ!」 「ローザ、逃げない。過去の私、今の私。その方向性は変わってないと思う」 変わっていくものもある。 変わらないものもある。 そして私達は巡り合う。 「姉さんもローザもサミラも、かけがえの無い人達よ。一年半前よりも、もっと。そしてこれからもきっと。そう思える素敵な友人達。私は幸せ。……これからも、宜しくおねがいします」 真名の差し出した手を、皆で握った。 ●広い背中が語るもの 「忙しいあっしを……飛脚扱い!」 以心 伝助(ia9077)は、神楽の都から五行くんだりまで足を運ばされる自分が哀れでならなかった。 突如、知人に言い渡された『今日、この場に行け』という命令を不審に思いつつ到着した。社では石碑に納めた手紙の受け取りが行われるという。同じ参加者に話を聞いて、未来の自分宛が圧倒的多数を占めると知り、先ほどから苛々が止まらない。 「全く、自分のものくらい自分で――……あれ?」 宛名には『以心伝助』と記されていた。差出人は命じた本人。 首をかしげて開封する。 【宛先】以心 伝助 【差出人】乾 炉火 【本文】 よぅ愛しい息子よ。俺はまだ生きてっか? たまには親父らしい事をしようと思ってな、簡単に説教だ 真面目も結構だがな、もっと気楽に生きな そんでお前も『幸せ』を望んでもいいんだぜ それじゃまた一緒に酒でも飲もうや 「炉……」 声が、出ない。 ここにはいない男の背中が脳裏に蘇った。 以心はシノビだ。いくら開拓者の籍があるとは言え、所詮は里の命による出稼ぎに過ぎない。鉄の掟が支配する陰殻の縁は切ってもきれないし、憎悪や怨嗟の伴う仕事に手を染める関係上、いつ死ぬか分からぬ環境下においては……親子の縁すら無きに等しいもの。 身内だと知られれば、代わりに殺される事すら珍しくない世界だ。 だから関係の秘匿は義務だった。 事実、酒や色事の酷い醜態を見て、赤の他人を装ったことは何度もある。 なのに…… ――――よぅ愛しい息子よ。俺はまだ生きてっか? これが埋められたのは、天儀歴1012年だという。いつ来るともわからぬ遠い未来へ託された。 では……もしかしたら未来で死んでいるかもしれない、と。彼は思ったのだろうか。考えたのだろうか。だから此処に残したのだろうか。託したのだろうか。 養い親として残したい言葉を。 短い文面を凝視したまま、以心は片手で口を押さえた。 長年殺してきた思いが溢れる様な気がした。……ろくでもない男だと思った。ふざけた生活態度に呆れた。恥を忍んで助けを乞うても、からかってくる顔に何を考えているのか分からないと思ったこともある。 それでも彼は『父親』なのだ。 「ちょっと貴方、大丈夫?」 見知らぬ老婦人に心配される程度には、以心は耳まで顔が赤くなっていた。 慌てながら「なんでもないっす、大丈夫っすよ」と手を振って人混みを離れ、乾の手紙を懐にしまう。 「戻ったら……酒に誘いやすか。手紙の礼は言うとして、炉火さんのお気楽過ぎる普段の生活態度を思い切り説教してやるっす」 この世にお互いが、生きているうちに。 忘れられぬ酒を一献。 ●永遠の言葉を捧ぐ フレス(ib6696)は茶屋の売店で、菓子折りを作ってもらっていた。一人で食べるのはどこか味気ない。けれど、家へ帰って愛しの旦那様と一緒に食べる憩いのひとときは、やっぱり美味しく感じるはずだから。 「お団子は日持ちしないから気をつけて」 「うん。ありがとうなんだよ。ひと皿食べたけど、きっと御門さんも喜んでくれるんだよ」 ぱたぱたと艶やかな尻尾をふりながら、ちらりと見たのは受け取った手紙。 受け取るのは少し恥ずかしかったけれど……中身が気になる。 『御門さんの手紙何が書いてあるのかな?』 待ちきれなくて丁寧に開封した。 【宛先】フレス 【差出人】滋藤御門 【本文】 僕は君を幸せにしてあげられているだろうか? 太陽のように眩しく温かい笑顔が大好きで、それを曇らせないようについ無理をする事もある。 それは君だからこそ頑張れる。 どれだけの時が過ぎても変わらず…愛しているよ。 「御門さん」 あの日のことを覚えている。 『どうしたの? 未来の僕へ書き忘れ?』 『私をお嫁さんにしてくれたら、いつか二人で一緒に読もうね』 『ん、交換して一緒に読むのが楽しみだね。その頃には子供もいるかもしれないよ?』 まだ子は授かっていないけれど、あの日共にいた彼は唯一無二の旦那様に他ならない。 雪の華を見た年末年始も、彼は誓って囁いた。 『どこにもいかないよ』 僕はきみのものだから――と。 「私も、何があっても……ずっと御門さんのそばにいるんだよ」 フレスの手にはもう一通の手紙がある。自分が彼に宛てて書いたものだが、残念ながら一緒に受け取ることはできなかった。忙しい彼の代わりに受け取ったけれど…… 「そうだ」 家に帰って直接伝えよう。 「これからもずっと一緒に居られるから! しっかり手を握って伝えなきゃ!」 早く、早く……あの人のところへ帰らなくちゃ。 ●邂逅 千代田清顕(ia9802)は茶屋の傍らに立って雪を見ていた。 手のひらに舞い降りた白い花びらが、儚く溶けていく。 手紙を納めたあの時は、傍らにもう一人、大切な人がいた。 何も告げずに消えた最愛の女性、西光寺 百合(ib2997)。瞼を閉じれば思い浮かぶ。忘れもしない凛とした姿を群衆の中に探してしまう。此処に来れば会えるのではないかという期待もあった。伝えたいことは山ほどあるのに。 『もしも今日会えなくても……きっといつか探し出す』 ふいに名を呼ばれた千代田が受け取ったのは、西光寺からの手紙だった。 【宛先】千代田清顕 【差出人】西光寺百合 【本文】 手紙を受け取ってくれてありがとう 覚えていてくれてありがとう この手紙を開いた貴方の側に私が居なくても きっと貴方は幸せで楽しく笑って過ごしていると信じてる 私を灯火だと言ってくれた事 生涯忘れないわ ありがとう 「百、合」 千代田は立ち尽くした。 まるで別れの手紙だ。何かを予感していたのだろうか。考えても答えはでない。 けれど愛しい人の言葉は、千代田の心をとらえては離さなかった。 君に会いたい。 想うあまり、千代田は一歩遅れた。愛する人の名が呼ばれたこと、受け取りが行われたこと、気づいて顔を上げた時、覚えのある艶やかな髪が群衆に消えた。 手紙を受け取った西光寺は茶屋の片隅に腰掛け、お抹茶と上生菓子を注文した。 ギルドに除名願いを出したのは随分前だけれど、預かり扱いだった事に驚いた。 「まぁ……こうしてお手紙を受け取りに来られたからよかったのかも」 くすりと笑ってお菓子を食べ、手紙を開封した。 【宛先】西光寺百合 【差出人】千代田清顕 【本文】 君は真っ暗な道に灯る光。 そう言うと君は、蛍程度の明るさだけれどとひっそり笑う。 例え離れてしまっても、君と過ごした記憶は俺の歩く道をずっと照らし続けるだろう。 けれど願わくばずっと、君の隣に。 懐かしい流麗な文字をなぞる。瞼の裏に蘇る遠い日々を思うと涙が滲んだ。 「……勝手ね。私は泣いていい立場じゃないのに」 手紙を丁寧に折りたたんで懐にしまった。 これは私の宝物。 「思い出と、この手紙があれば――生きていける」 満たされた気持ちで抹茶を飲み干し、お勘定を済ませて立ち上がった。 刹那。 「百合!」 群衆を押しのける千代田がいた。 西光寺が反射的に逃げ出す。西光寺は一切の接触を避けるつもりでいたけれど……シノビとして優秀な千代田の足から逃げきることは難しい。 千代田は奥義である『夜』を使って、時を止めてまで一心不乱に走った。 何者にも囚われぬ腕が西光寺の手首を握った。 「百合、全部片付けて来たよ。俺と結婚しよう」 色々あった。里に戻って父の跡を継ぎ、事を片付けて……話したい事は山程あるのに、今は長話をする時間はない。 逃れようとする恋人は、どうしたら振り返ってくれるのか。 西光寺は振り向かなかった。 振り向かないと決めていた。 痛い程の沈黙が流れた。 「……今すぐに、とは言わない」 押し殺した声で千代田は言葉を綴った。必死に考えて言葉を選んだ。 「百合。君の心が、まだ俺を向いているのなら。想いが残っているなら帰ってきてくれ」 二人で過ごした神楽の都へ。 俺のところへ。 「俺は待つ。未来永劫、生きている限り、君を想い続けるだろう。ただ君の顔が見たいと。それだけを願って。君だけが俺を照らす光。俺の願いは君の隣にいること。君の隣で、これから先も君とともにありたい」 沈黙しか返らぬことに、千代田は愛する者の手を離さなければならない事を悟った。 次に会えるのは、いつになるだろう。それでも望みは捨てていない。 西光寺が、自分の手紙を抱いていたから。 「だから俺は待つ。――忘れないで」 手首の拘束が解かれた。 西光寺は懐の手紙を抱きしめたまま、参拝道の果てに消えていった。 ●翡翠の祈り 手紙を渡された時、フェンリエッタ(ib0018)の手は震えていた。 手紙を持って戻ってきた場所には、親戚の兄のように慕うジルベール(ia9952)がじっと立っていた。茶屋の奥座敷を借りて、石亭の鹿威しの音に耳を済ませる。 けれど……箸が、すすまない。 食べることは、生きることだ。 「フェンさん」 「ねえ、ジルベールさん。開封が来月以降なら、少し前の私は受け取らなかったの」 受け取らなかった、というべきか。 受け取る者はいなかったはず、というべきか。 言葉の端々から感じる意味をジルベールは悟ったらしい。 疑惑は確信に変わっていた。 眉に皺を寄せて難しい顔をする友人の前で、フェンリエッタは手紙を開封した。 【宛先】未だ見ぬ明日のフェンへ 【差出人】21歳のフェンリエッタ 【本文】 私の事、覚えてる? 独り泣いてばかりで貴方の顔も見えない 困難な道に幾度挫折しても諦めきれぬ光と、己が信念 恥じず背かず私らしく…生きてこれた? 幸せを忘れた翡翠は貴方の幸せを祈ってる きっと笑顔で会いに行くわ 「……ええ、覚えているわ」 貴女が眩しい。痛いほどに輝いていた。 遠い日の自分の筆跡を、ジルベールに向けた。 「あのね、ジルベールさん。私はこの4年で強くなったと思う。できなくて悔しかった度に、手に入れてきたから。騎士や他の何でもない……これが私らしい力の在り方。でもね」 肘をついて、両手の指を絡めて、想うことは――…… 「望んだ幸せに対しては、何もして来なかったのと同じだった」 脳裏に浮かぶのは愛した人……否、愛していた人。 近づこうと挑む度に遠ざかった背中。 悲しいのは愛していたから。唇が震えるのは泣きたいから。声を上げて叫びたい。全てを忘れされたら、どんなに楽だろうと思いながら、震えの止まらぬ両手を握り締めた。 一度くらい殴れば良かったのかもしれない。 「私が選んで、信じて進んで、勝手に期待して、そして結局この様……全部、自分のせい」 「フェンさん、ごめんな」 ふいにジルベールは謝罪を口にした。 顔を上げたフェンリエッタの視界に入った彼の瞳には、哀れみや同情ではなく、背を押せ無いことへの負い目が宿っていた。 『……ごめんな。逝ってもええよ、って言うてやれんくて、助けてやれへんのに……』 無音の部屋で。 視線が交錯して何分経ったのだろう。 やがて複雑そうな顔で笑ったフェンリエッタは、再び箸を手にとり冷めた食事を口に運んだ。食べることは生きること。心だけが死んでいくような日々の中で、体は浅ましく生きたがる。今のフェンリエッタにとって食事は灰を噛む儀式に似ているが、それを見て安心する友人が周りにはいる。 「ありがとう、ごめんね」 罪無き優しい人達に謝らせる自分の、なんと罪深いことか。 「これじゃあまりに身勝手で。もう、生きてくしか、ないじゃない」 「……生きるって決めてくれて、おおきに」 「抜け殻の私でも必要と思ってくれるなら」 食事を終えて帰り支度をして。 茶屋の外にでると青空が広がっていた。ジルベールは太陽を仰ぐ。 「……未来の自分からも、手紙が届けばいいのにな。もしかしたら『生きてて良かった』って書いてあるかもしれへんで」 目元が赤く腫れたフェンリエッタの背を軽く叩いた。 ●夫婦水いらず 五行の社で手紙を受け取った柄土 仁一郎(ia0058)と柄土 神威(ia0633)は開封しないまま神楽の都の自宅へ帰ってきた。茶屋の抹茶は美味かったとか、昨日の仕事は大変だったと他愛のない話をしながら晩酌を始める。 二人で手紙を取り出した。 『掘り出すのはもう少し先になるかと思ったが、意外に早かったな。……しかし、いかんな。何を書いて埋めたか、もう覚えてないぞ』 神威を一瞥すると、手紙を開封して読み込んでいる。 【宛先】柄土神威 【差出人】柄土神威 【本文】 今現在のやってみたい事を書いておきます。 実現できそうなら、その日のうちに実行してみてね。 ・ジルベリアの着物の着方と御料理 ・仁一郎を甘やかす、仁一郎を甘やかす ・甘酒を一口飲んで意識を保てるか挑戦 一方の仁一郎も手紙を開封した。 【宛先】柄土仁一郎 【差出人】柄土仁一郎 【本文】 これを開けるのは何年後だろうか。 アヤカシとの戦いは終わったか? 俺達は夫婦そろって息災だろうか。 あるいは、子供の一人でも出来ただろうか。 いずれにせよ、今後とも幸多からん事を祈る。 「そうかそうか、こんなこと書いてたな俺は。……ま、うまくやってるさ。これからもきっと、な」 酒をぐっと煽った。すると炬燵の対面に座っていたはずの神威が傍らに来て寄り添い、盃に酒を注ぐ。神威の手には甘酒があり、ことん、と机の上に置かれた。 「お、おい?」 「あのね。こんな風に生きられるようになった自分に、今はとても満足しているわ」 行灯の照らす薄暗い室内で、愛する人に寄り添う喜び。 孤独に死ぬ覚悟が、人として生き抜く覚悟へと変わったのは……貴方のおかげ。 だから……、と募らせた思いと共に顔を見上げて微笑む。漆塗りの箸を持って、酒の肴に箸を伸ばした。そして口元に運ぶ。この驚く顔を見たかったのだ。 「さ、今夜は特別な夜よ。はいあーん。これでも一応、姐さん女房なのよ?」 たまには貴方を存分に甘やかしたいって思っても良いでしょう? 酒の勢い、とはよく言ったもので。 普段ならしない事を、甘酒を煽った神威は実行に移した。例えば舌っ足らずな甘い声で「じんいちろ、ぎゅってしてー?」などと言われたからには可愛い妻を抱きしめない訳にはいかず「あったかぁいー」などと耳元で囁かれれば、鋼の理性も揺らぐもので。 「か、神威!」 据え膳、の単語が脳裏に浮かんだ仁一郎の前で、酔っ払った妻は幸せそうな顔で寝入っていた。全身の力が抜けていく。やれやれと苦笑いしてから、寝潰れた妻を抱き上げ、布団に寝かせた。 「……どっちが甘えているのやら、だな」 笑みがこぼれた。 ●故郷の陽の下で 蓮 神音(ib2662)が墓参りの為に実家へ戻ってきた時、玄関には飛脚が立っていた。 珍しいな、と思いつつ無人の家を訪ねてきた飛脚に声をかける。 飛脚は一通の手紙を差し出した。 「お届けものです。蓮神音さん宛に」 それは五行の社の碑石『時の小箱』に埋めた手紙だった。 「ありがとう、飛脚さん! 今、お茶出すから飲んでいってね」 手紙を届けてくれた飛脚の労をねぎらい、再び送り出した後、神音は手紙を懐に忍ばせ、片手に水入り木桶と柄杓、片手に花束等を抱えて、両親の墓を参った。久々の墓は苔むしていたけれど、綺麗に洗って花を飾る。蝋燭に灯した炎が、ゆらりと風に揺れた。 ぺりぺりと手紙を開封する。 【宛先】蓮神音 【差出人】蓮神音 【本文】 今日は、未来の神音。 貴方の隣には今、誰が居るのかな? きっとセンセーだよね。 神音は小さい頃からずっと、センセーのおヨメさんになるのが夢だったもん。 きっと夢を実現してるって信じてるよ! 「あの時の手紙かー。もう一年以上たったんだね」 伏せた木桶に腰掛けて、二つの墓と向かい合う。小さい頃からの大切な夢だ。何度も何度も口にした。両親が生きていた頃にも話したことがある。 「二人はなんて言ってたっけ……そうそう。かーさまは笑って励ましてくれて、とーさまは神音は絶対嫁にやらん! って言ってたっけ」 眩しくて切ない、ひだまりの中にあった、遠い日々。 変わらぬ気持ちと思い出を胸に抱きながら、墓の下に眠る父母を思う。 「あの世から応援してて」 きっと叶えてみせるから。 こうして。 遠い日の手紙は、其々のもとに届けられた。 |