|
■オープニング本文 【このシナリオは玄武寮用シナリオです】 此処は五行の首都、結陣。 玄武寮。 玄武寮は入寮の時に『どんな研究をしたいか』を問われる。 一年の頃から明確な目的を要求される点においては、研究者を排出する機関独特と言えた。 しかし長い間学び、卒業が視野に入ると、興味はより明確なものに移り変わっていく。 卒業論文が差し迫った者たちは、其々の研究を始めていた。 魔の森で。 かつて大アヤカシ生成姫は、志体持ちの子供を攫って、魔の森で育てていた。 とはいえ人が魔の森で生きることはできない。 瘴気感染をひきおこし、放っておけば一日か二日で死に至る。 そこで大アヤカシが目をつけたのが、遠い昔に人が居住を放棄した村跡だ。 ここは龍脈の真上に当たり、地下を流れる精霊力の噴出口だったのだ。言ってみれば、偶然湧いた温泉の吹き出し口である。何故か蕨の里は瘴気の侵食を受けぬまま、魔の森に取り込まれた。そして大アヤカシですら侵食不能な土地を……生成姫は、攫った子供を育てる場所に決めたのだという。 開拓者の手で子供は救出された。 以後、飛び地となった其処は無人に戻る。 現在では『非汚染区域』と呼称され、魔の森に囲まれた土地という危険な場所へ、限られた陰陽師の研究者が出入りをするようになったのだが……知らぬ間に、非汚染区域の一つを独占した男がいた。 封陣院分室長、狩野柚子平(iz0216)である。 玄武寮の副寮長を兼任する彼は『危険? 大変? 学生に研究手伝わせれば、タダ労働です』という恐るべき発言で、豪雪で人の出入りが少なくなる冬から春先までの期間、占領権利をもぎ取ってきた。 しかし何も準備や装備のない状態で出かけるのは危険極まりない。 生真面目と名高い玄武寮の寮長こと蘆屋 東雲(iz0218)は、非汚染区域「蕨」に冬場泊り込める山小屋建設を行い、期限までに完成させた。 + + + 「なんとなく想像はしていましたけど」 蘆屋東雲は寮生をつれて、三度魔の森にやってきた。 しかし非汚染区域「蕨」は山間部にある。魔の森にも冬が訪れ、銀世界が広がっていた。 と、一見感動的な光景だが……雪は、屋根の上にもあるため除雪しなければならない。暮らすための建物はいずれも平屋で、玄関を掘らなければならなかった。区画の一箇所に雪捨て場を定める。一種の壁も兼ねて。 「寮長ー、そのうち全部埋まりますよね」 「ですね」 副寮長曰く、五行の東側……それも山間に近い場所は、家が埋まるほどの雪が降るため、気をつけなければならないらしい。今は積雪一メートルほどだが、三メートル前後は覚悟したほうがいいと言われている。 「とりあえず掘るしか。みなさーん、除雪が終わったら自分の実験に取り組んでくださいね。研究室に確保してある氷漬けの粘泥などはともかく、対象物が埋まっている方は掘り出してください。今後に備えて、実験区画の柵には5Mの棒を取り付けておくこと。わからなくなりますよ」 そう。 寮生の実験物も全て雪の下だ。 猛烈な瘴気に晒された、某寮生の『鼻緒の切れた草履』は付喪怪になったものの、1メートルの雪に埋もれて凍りついていた。足袋と風呂敷は朽ちている。 非汚染区域と魔の森の『境目』に設けられた区画では、榛の種が雪の下で芽を出していた。 非汚染区域と魔の森。二箇所に植えられた『瘴気の木の実』はどちらも一向に芽を出す節はなく、非汚染区域内に埋められた瘴気の木の実に至っては、瘴気が微かにしか感知できない炭化胡桃と化している。一ヶ月かけて浄化されたと見て良いだろう。 「遠出の方は気をつけてくださいね」 お決まりの言葉を投げる寮長に、一人の寮生が近づいた。 「寮長、あの。この辺で飛行するアヤカシってご存知です?」 「そうですね……副寮長から聞きかじった程度ですけれど」 サラサラと紙に書く。 下級アヤカシは、吸血蝙蝠、眼突鴉、怪鳥、白羽根玉に始まり、吸血霧や恨み姫などの幽霊系全般。 中級アヤカシは、以津真天、鷲頭獅子、鵺。 中級の上位個体で、且つめったに見ない類に、体長15M級の瘴水鯨など。 「白羽根玉や以津真天とかは戦でも見かけますが、瘴水鯨ってなんです?」 「超大型の半透明スライムです。クジラの形をしている事から、そう呼ばれていますね。鵺以上の、遥かに強力な個体です。どういう原理か空を飛び、この近辺では雲の中を泳ぐ姿が時々、商用飛空船から発見される程度で、副寮長も直接ご覧になった経験は一度かニ度だと聞いています。今のシーズンだと発見できるかもしれませんね……」 「一応、お尋ねしますが瘴水鯨の捕獲はできそうでしょうか」 「落下しただけで村ひとつ潰すアヤカシですよ?」 「無理ですわね」 結論は早い。 それぞれの研究が再び始まった。 + + + 【周辺地理図】 ※1マス約50M ■…汚染区域(魔の森) □…非汚染区域(龍脈) ◇…非汚染区域(水源&小川) =…水源への路(路幅3M。アーマーで潰しただけ。妖襲撃注意) △▽…商船航路 ■△■▽■■◇■■■■■■■■ ■△■▽■◇■■■■■■□■□ ■△■▽◇======□□□■ ■△■▽◇■■■■■■■□□□ ■△◇▽◇■■■■■■■■□■ ■△◇▽■■■■■■■■■■■ 【非汚染区域「蕨」構造図】 ※1マス10M ■:魔の森 ×:重機拡張した平地(魔の森) =:水源への路 ★:監視棟(火の見櫓) ☆:寮長室(平屋) 龍:轟龍警備 ◆:仮設山小屋(平屋:寮生宿泊) ◎:飛空船発着場 研:仮設研究所兼資材館(平屋) 舎:相棒置き場 雪:雪捨て場 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■□□□□□■■■■■□□□□□■ ■■■■■■□★□龍□■■■■■□龍□★□■ ■■■■■■□□□□□■■■■■□□□□□■ ■■■■■■□龍□□□■■■■×□☆□龍□■ ■■■■■■□□□□□■■■××□□□□□■ ■□□□□龍□□□□□□□□□□××■■■■ ×□龍□□□□◆◆□□□研研★□×■■■■■ =□□□□□□◆◆□□□研研□□■■■■■■ ×□★□□□□◆◆□□□□□龍□■■■■■■ ■□★雪雪雪龍□□□◎◎◎□□□■■■■■■ ■■■■■■雪雪□□◎発◎□□□□□□□□■ ■■■■■■雪雪□□◎着◎□□□□□□★□■ ■■■■■■雪雪□□◎場◎舎舎□□□□□□■ ■■■■■■雪★□□◎◎◎□□□□□龍□□■ ■■■■■■雪雪□□□龍□□□□□□□□□■ ■■■■■■■■■■■□□□□□■■■■■■ ■■■■■■■■■■■□□□龍□■■■■■■ ■■■■■■■■■■■□□□□□■■■■■■ ■■■■■■■■■■■□□★□□■■■■■■ ■■■■■■■■■■■□□□□□■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ |
■参加者一覧 / 露草(ia1350) / 御樹青嵐(ia1669) / 八嶋 双伍(ia2195) / ネネ(ib0892) / 寿々丸(ib3788) / 常磐(ib3792) / 緋那岐(ib5664) / 十河 緋雨(ib6688) / シャンピニオン(ib7037) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / セレネー・アルジェント(ib7040) |
■リプレイ本文 玄武寮の寮長、蘆屋 東雲(iz0218)から除雪発言を聞いても、何人かは固まったままだった。 常磐(ib3792)は「凄い雪だな」と立ち尽くし、十河 緋雨(ib6688)は『ほ〜ほ〜、冬の間独占するってこ〜ゆ〜コトですか』と内心頷いていた。 シャンピニオン(ib7037)は「うー……さむさむ」と身震い一つ。 「当面の敵はこの寒さかもねー。すいとんとか欲しいなぁ、お汁粉、雑炊、鍋にうどん」 口から付いて出る言葉は食べ物ばかり。 「……積もると知ってはいました。知ってはいましたが……積もりすぎでしょう、山間部」 八嶋 双伍(ia2195)の目が死んでいる。 「寒い。乾燥していて、喉も痛いとは。出入り口の除雪、終わりますかね。何とか早めに終わらせて実験しないと……時間が無くなってしまいます。そうだ寮長」 「なんです」 「弱体化させた消滅寸前の中級アヤカシでしたら持ち込んでもかまいませんか?」 「危険性を下げた状態なら構いませんよ」 できれば、の話である。 雪を見てドン引きしていたネネ(ib0892)が「よし!」と気合を入れ直す。 「しっかりと雪かきで体を温めてから出発しましょう!」 しかし研究系に肉体労働はつらい。 「いやですねー、こういう時がごりあての出番じゃないですか。時間もないですし、さくっといきましょー」 アーマー火竜を組み立てた十河は、出入り口などの大まかな場所をざっくりと堀りあげて「細かい掘り出しと階段作りは頼みますねぇ〜」と言って、確保した粘泥の掘り出しに向かった。 その背中は頼もしく輝いていた。 セレネー・アルジェント(ib7040)はなれた手つきで除雪道具を取りに向かう。 からくりのシュラウも手伝った。 「シュラウ、せめてマフラーを着ないと」 「人の言う『寒さ』は感じませんが」 「見ている方だって寒いんですよ。それに、防寒しないと関節とかの動きも悪くなるでしょう? さ、早く除雪と階段作りをすませて研究を手伝ってくださいね」 とはいえ。 きちんと雪を押し詰めて階段を作るのは結構な重労働だ。 除雪で疲れ果て、真綿のような雪の地面に突っ伏した露草(ia1350)は我に返った。 「は、これで終わりではないんでした……まずは掘り起こしましょう。それから解凍を試みて……縄以外にも鎖とかも持ってきたほうがいいですね、ああ」 よろよろと氷漬けの付喪怪の元へ向かう。 寒さで憂鬱な仙猫うるるを連れたネネは「さぁ、今回もばしばし調査です!」と張り切って出かけた。 しかしながら、ネネの調査対象は黒百合である。 今回は範囲の拡大よりも、今まで調べた箇所を掘り起こして、雪の下でも黒百合が咲いているかどうかを確かめなければならなかった。 「は! また雪かきですかー!」 長居すれば瘴気感染は避けられない。 ネネは泣く泣く数箇所の雪を1メートル下まで掘り返すと、数カ所調べて非汚染区域へ戻った。 その頃、御樹青嵐(ia1669)は人妖緋嵐とともに厨房にいた。 「そろそろ厨房にも汚れが目立って参りましたね」 「お掃除する?」 「そうですね。厨房は男の城。ここは徹底掃除をして、心清らかに夜の献立を考えるとしましょう」 掃除をしていると心が洗われる気がした。 そこへ通りがかりの常磐が「もう研究終わったのか?」と声を投げた。 御樹の表情が、笑顔のまま氷点下まで落ち込んでいく。 「……お、俺は寮長のところに急ぐから!」 地雷を踏んだ常磐が立ち去る。 御樹は床に崩れ落ちて「現実逃避してる場合じゃありませんね」と真顔になる。 実は、イマイチ卒業論文が進んでいなかった。 「私も寮長に相談してみますか。まずは研究書類をとってこないと。緋嵐、緋那岐さん、洗い物をお願いします」 割烹着を置いて、離れに向かった。 「はーい」 「まかせとけー」 支度を引き継いだ緋那岐(ib5664)は、ぼーっと考えに耽った。 考えてみれば、もう二ヶ月は神楽の都に戻っていない気がする。ひきこもり、と思われがちだが、どちらかといえば研究他諸々に悩んで家事をしていた感じである。 「その子のお名前は?」 人妖が提灯南瓜をみた。 「あー、いい加減、コイツの名前考えないと」 「え」 「寮内散歩してると気持ちよくってさー、考えなきゃなー、っておもいつつ、いつの間にか。俺も卒論とかやんなきゃいけないんだけど……は、そういえば五行王や柚子平さんのその後はどうなったんだ?」 ころころ変わる発言に「知らないです」と人妖は答えた。 一方、常磐は寮長を訪ねた。 「あ、のさ寮長の意見を聞きたいんだ」 差し入れを受け取りながら、寮長が首を傾げる。 「アヤカシは人をどうして食料として好むのか、知ってるかな。人じゃないヤツも居るのかも知れないけど気になって」 そうですね、と寮長は棚から幾つかの冊子を取り出した。 「これは五行国内の記録の一部です。ギルドの方はあまり網羅していませんが、そうですね。一般的によく勘違いされるのですが、アヤカシは人だけを好んで食べているわけではないんですよ。野生の獣、家畜などを襲ったケースも結構あります。ただ」 「ただ?」 「例えば、数年前に討伐された上級アヤカシ白琵琶姫の発言でこういう記録があります」 『我らが人しか襲わぬとでも思っている辺り、実に愚かしい。確かに人ほど美味くはないし、あえて食う気もせぬが……力を備えた生物であれば、我らを癒すことに支障はない』 「高度な知性を獲得したアヤカシの類を見るに、食の好みという類は確かにあります。生気を奪うもの、血肉を喰らう者、魂を貪るもの、年齢性別体型、様々です。それでもケモノより人間を食う傾向については、様々な議論がなされていますね」 「議論、て言うと?」 「無防備な人間が自然界において最弱に等しいことや、アヤカシが食った餌の性質を引き継ぐケースなどについてです。知恵をつけたアヤカシはより効率的な捕食を行いますから、優れた知性を持つ人を捕食することは、記憶を引き継ぐ事で知性の獲得を早めることに繋がる場合もあります。……決まった結論はありませんが、アヤカシが優先的に人を食料に選ぶに値する理由らしきものは、ある程度の論理的解答は出すことが出来ますね」 常磐は「ありがとう」と言って研究室に戻った。 「失礼します」 入れ替わりで寮長のところへ来た御樹は、早速、近辺で収集した地形の情報、仮設定したアヤカシとの攻略戦や防衛戦などの論評を見せてみた。 「いまいち卒論がまとまらないのですよ。それでご相談を、と。いかがです?」 生徒の論文を見る時の蘆屋東雲は、やはり教員故の厳しさを備えている。 「全体的に漠然としていますね」 グサッ、と御樹の頭に言葉の槍が刺さった。 「正直、アヤカシ対集団……或いは軍隊の戦術論は、ある程度確率されています。この辺の地形はよく調べていますし、アヤカシの種類も豊富なのは結構ですが……此処の地理を元にアヤカシを一定数配備した戦を想定しても、昨年に大アヤカシ生成姫との戦いを経た後で、あまり重要視される論文になるとは思えません」 ザクザクッ、と更に見えない矢が刺さる。 「此処は言わば『空白の魔の森』です。新たに大アヤカシが移り住んでくるなどの緊急事態を除き、順次段階を経て『焼いていく』場所と言っても過言ではない。大アヤカシなき今、魔の森が統率性を持たない以上、戦術的なプランは殆ど必要ないのです。他国に転用しようとしても、アヤカシの分布は国や地域により異なり、此処と同じ地形がそうあるとは思えません。何より玄武寮ひいては陰陽師の論文として考えると、軍隊戦術のみは……些か疑問が」 御樹は心理的に風化寸前だった。 「……議題、変更でしょうか」 「そういう必要はないと思いますよ。見方を変えればいいのです」 「と、いいますと」 「この国は、未だ根強くアヤカシの脅威にさらされています。開拓者も世界各国を充分に守れるほど数が多いわけではない。開拓者ギルドへ依頼できる者は限られ、或いは到着には時間がかかる……ですから例えば集団と一口に行っても『陰陽師のみ』の戦いに備えた着眼点で、一定の戦術パターンを考案する事は、国にとっても悪い話ではありません。もしくは特定職との連携に対する研究などでしょうか。五行は国家の要請によって、各地へ陰陽師の一団を派遣していますからね」 「でも、此処の地形は不向きなのですよね?」 「特定地の研究をするのは、其処に骨を埋める研究者が大半ですよ。副寮長みたいな方ですね。せっかく開拓者としての経験があるのです。それを生かしては? 魔の森近辺と一口に行っても平野戦、森林戦、山岳戦、雪原戦、洞窟戦、空中戦、水中戦……ここで研究できる事は沢山ありますよ。欲張ると、卒論には間に合いませんけどね」 「もう少し、色々と悩んでみます」 「まだ四月まで猶予はあります。じっくり考えてくださいね」 「はい。ところで今日の夜の献立何にしましょう。やっぱり大勢ですし寒いですし鍋がいいですかね、最近知ったのですが豆乳鍋ってのがありまして」 いきいきと料理の話を始めた。 八嶋は轟龍燭陰とともに単眼鬼を探して魔の森へ入っていた。 単眼鬼に幾度か遭遇するものの、単独行動をしていて、武装の低い個体を選び出す。 八嶋は攻撃手段を持っていなかった。 目的は、非汚染区域までの運搬だからだ。 錆壊符による強酸性の泥濘で錆び付いた武具のつなぎを破壊すると、幻影符による幻覚で誘導する。万が一の守りに結界呪符の準備はしてあるが、単眼鬼が二度体当たりした段階で八嶋の結界呪符が消えてしまうという難点があるので、あまり頼りにはできない。 「このまま非汚染区域に持ち込むと大騒ぎですし、かくなる上は」 八嶋は轟龍燭陰に合図を送った。 炎熱器官を気合をこめて最高熱量の爆炎を吐く。すると単眼鬼が軽く焦げた。大して効いていない。単眼鬼の抵抗力は、轟龍燭陰を遥かに超える。だが奥の手……鬼龍炎斬の技を使わせるわけには行かなかった。 というのも。 来る途中に別の単眼鬼で同じ技を試したところ、一撃で砕け散ったからである。 しょうがないので更に二度ほど焦がしたが…… 「あ」 真上からの連続業火は、想定外の事態を引き起こすことになる。 露草は、付喪怪化した草履が閉じ込められた氷塊を研究室に持ち込んだ。 「さて、そろそろ氷が溶けてきたでしょうか」 扉を開けた刹那。 何者かが露草の魂に介入しようとして弾かれた。 呪わしい声の名残が脳裏に響く。 露草が百戦錬磨の陰陽師であればこそ無傷だったが、駆け出しの陰陽師なら傷を負わされていたに違いない。みれば虚空に浮いて拘束から逃れようとあがく付喪怪がいた。 「もしや」 体内への介入を再び弾き返す。呪わしい声の主は付喪怪だ。 「この距離でも攻撃してくるとはなかなか。ですが……相手が悪かったですね」 通常、付喪怪は何種類かに分類されるが、知覚的能力に秀でた個体になっていたらしい。 けれど潜在的に強力な抵抗力を持ち合わせる露草は勿論、上級人妖の衣通姫にすら通じない。露草たちは鼻歌を歌う余裕すら見せて、児戯に等しい呪声を弾き返しながら実験の準備に取り掛かる。 露草は不気味な雰囲気を漂わせる革張りの書物を置くと、真っ赤に煌く結晶石で作られた額飾りを装着した。 「うッ」 一瞬、意識が揺れる。 術者の底力を引き出す呪術武器……玄武石「犠牲ノ血」の影響だ。 「だいじょーぶー?」 「大丈夫ですよ、衣通姫ちゃん。なんだか猛烈に疲れますけど、他の道具では壊しちゃいますもんね。始めましょう」 露草の手に、呪式が構築されていく。光り輝く一枚の符が、付喪怪に向けて放たれた。 付着した瞬間、じゅぅ、という音と共に煙が上がった。錆壊符が強酸性の泥濘に変化したのだ。瞬く間に草履の三分の一が溶けてしまった。 「もう一、二枚はいけそうですね。今度は切れてるあたりに。物アヤカシの弱点は物の弱点なのかを調べないとですね」 再び、ジュジュー、っとまるで鉄板を焦がすような音を立てる。 が、露草は一つミスをおかしていた。 「……あ」 身悶える草履が虚空を飛ぶ。天井にぶつかった。付喪怪を捉えていた鎖ごと腐食したのである。何しろ敵の装備品を溶かす目的で開発された無差別の術だ。強酸性の泥濘で破壊できるものは全て壊れる。……道具も然り。 「きゃー! いやー! あー!」 その日、逃亡を試みる付喪怪を捕獲する為、実験室では叫び声が響いていた。付喪怪も露草や上級人妖には呪声がまるで歯が立たないことを理解したのか、なんとか逃れようと術を乱発し、力がすっからかんになるまで消耗した。 「に、にが、逃しませんから、ね!」 露草の息が荒い。 力が底をついても浮遊することはできるらしく、みょーんみょーん、と捕獲用の縄から逃れようと動き続けていた。まぁ呪声が使えなければ、単なる動くゴミである。 耐えられるのは、あと錆壊符一発。壊れる手前で実験をやめた。 「ごはーん!」 「ええ、衣通姫ちゃん。今日は頑張ったから青嵐さんのご飯も美味しいです、きっと」 背後では、みょーんみょーん、と付喪怪が動き続けていた。 十河は凍結した粘泥の一体を研究室の別室に運び込んでいだ。 「さて、とかさない事には何も始まりませんね」 「溶かすの手伝うよ」 現れたのは差し入れに来た常磐だった。 常磐は氷漬けの粘泥を湯に叩き込んで、どの程度の熱量で動き始めるか観察していたが、最弱な個体だからか完全に解けないと動き出さなかった。 「何で十河は粘泥を選んだんだ? っていっても俺は別に大した動機は無いからな……あ、粘泥の場所、ありがとな、助かったよ。俺も捕獲に行ってみる。じゃあ頑張って」 おにぎりを置いて部屋を出た。 「はいはーい、さーて、ちゃっちゃと実験しますかね」 十河はまず音を発した。粘泥はあまり動かなかった。 人魂で小動物を模した式を近づけてみた。瞬時に襲いかかった。どうやら知性は限りなく低い。 次に窓を開けて太陽光に晒すと、粘泥は露骨に嫌がった。 物陰を目指して移動し、最終的にはぬるま湯の入った木桶に自発的に戻る謎の行動である。さんざん引っ張り出して調べるうち、どうやら乾燥を嫌って湿気の中に戻ろうとする事が分かった。 「へったれですねー、楽でいいですけど」 一通り調べた十河は、粘泥入りの木桶をアーマーで外へ運び、雪でがっちり固めてしまうと、再び徒歩で水源へ粘泥を探しに出かけた。岩場で氷をわる肉体労働により三体目を確保することになる。 一方、常磐は屋外にいた。 「紅玉、今日は留守番だな。いってくる」 炎龍をおいて魔の森に入った常磐は、白羽根玉か恨み姫を捜索した。 「魔の森の雪は普通かと思ったけど……瘴気が濃いな。ん?」 ふよふよと一体で飛ぶ白羽根玉を見つけて、死角に回り込む。数十体いると厄介極まりない相手だが、一匹ならば問題ない……はずだ。 「悲恋姫は習得する気が起きないんだよな……まあ、今日はこいつでいく!」 常磐の式が放った呪わしい声で白羽根玉は砕け散った。 同じ頃、緋那岐は懐中時計を持って魔の森に入っていた。 「何処かに小鬼退治ないかねぇ。うーん、ギルドで探した方がいいか」 未だ卒論、形にならず。 魔の森へ入ったアルジェントは、捕獲というより観察の為にアヤカシを探していた。 「うぅん。飛ぶことは面白そうですけれど……中級以上は遭遇も観察も難しそうですわね。低級は飛ぶのは羽つきあるいは密度が薄いか、になるような。どうしましょう」 遭遇する白羽根玉や、幽霊アヤカシを眺めながら唸った。 非汚染区域に戻ってからも、人魂の形状でうなっていた。 「うーん、羽を付与、あるいは密度は薄めで、しなやかで丈夫な壁でも構築できれば空中に浮けるのかしら……ああ、でも空中に壁を固定する理論が思いつかない。これ以上は術開発の領域ですわね」 卒論に悩める生徒がここにも一人。 その頃、シャンピニオンはからくりと一緒に植えた植物を掘り出していた。 きちんと積雪に備えて5メートルの棒も立てる。 「よーし、できた。ありがと、フェンネル」 一ヶ月前、シャンピニオンは榛のタネを植えた。 一見、芋のようでもあるそれは、生命力の強い雑草である。 非汚染区域側の榛は生き生きと育っている。 境目の榛は内側の榛ほどではないが、芽が出ている。 魔の森側の榛からは、芽が出ていないが濃い瘴気を感じた。 「うーん、取り敢えず植えかえてみよっか」 魔の森側の榛のタネを一部だけ掘り出して、非汚染区域内に植える。 植えた榛には、日付を書いた立札をたてた。 「汚染を受けた種が、清浄な土地で育つのかな。どのくらいで浄化されるのかも確認しときたいよね」 シャンピニオンは植物の可能性に思いを馳せた。 リオーレ・アズィーズ(ib7038)もまた、実験区画の除雪をして5メートルの棒を立てると、とりあえず様子を見守ることにした。 気分を切り替えて、瘴気の木の実を探しに行く。 今回は、ちょっとした試みをした。何をしたかというと、瘴気の木の実を持っている眼突鴉を捕獲し、桃色のふんどしを足にしっかりと縛り付けて、再び放逐したのである。 「ベロボーグ!」 駿龍の背に乗り、後を追う。 以津真天や鵺、鷲頭獅子に遭遇する危険はあったが、背に腹は代えられない。雲が多い雪深い季節であることが幸いし、高い高度を維持したアズィーズたちは、あまり大型のアヤカシに発見されずに済んだ。 眼突鴉は、魔の森と平地の境目まで飛ぶと、瘴気の木の実を落としてひらりと森へ戻っていく。 「どこまで飛んでいく気なのか」 暇だ。追うだけの時間は、余計な考え事へ意識を持っていく。遠巻きに見ている分には、眼突鴉が何か持っている、程度でしかない為、時々しなびた目玉のようにも見えた。 「あれが瘴気を帯びた目玉だったら、それはそれで嫌です。……あら?」 鴉が降下した。非汚染区域からはずいぶん離れている。 しかし森へ戻ろうとしたところで、布が引っ絡まったらしい。眼突鴉はふんどしを引き裂いて、林の中に消えていった……が、追いかけることは出来なかった。 大型のアヤカシが、岩の上で寛いでいる。 しかも一体や二体ではない。 総数は未知数。 「……巣が近いか、或いは縄張りなのか。どちらにせよ、今回はここまでですね」 アズィーズは地図に場所を書き込む。眼突鴉の消えた森の中へ向かうには、最低でも視察のために並みの陰陽師が四人以上、深入りするには更なる人数が必要と判断した。そうでなければ生きたまま帰れるとは、到底思えなかった。 「きゃああああ! なんですかそれ!」 アルジェントたちの悲鳴に対して、八嶋は「お話していた単眼鬼です」と真顔で答える。 「そうじゃありません! う、上が」 頭がない。 正確に言えば胸の辺りから上がない。炭化して崩れた形跡がある。両腕は炭化した肩から落ちたとみられ、残っているのは下半身だが、未だもぞもぞ動いていた。ただしやはり目がないからか、あっちこっちにぶつかっている。 悲鳴をきいて寮長達も駆けつけたが、八嶋の捕獲した消滅気味の単眼鬼を見て固まった。 「本当は完全体で捕獲したかったんですが、5メートルはやはり大きく。うまくいかず。ひとまず錆壊符で武具を無効化して、幻覚見せつつ、誘導して連れてくる予定が……」 やる気に満ちた轟龍燭陰を一瞥する。 一同はなんとなく理解した。 「とはいえ、もったいないので縛って連れてきました。頭がない以外は、さほど消耗もしてないので。保管の檻はどこでしょうか」 最低限の実験をするには役立つだろうと、八嶋は特殊な檻の中に、単眼鬼だった下半身を放り込んだ。 ネネは調べた結果をまとめていた。 雪の下には、確かに黒百合があった。しかし雪で押しつぶされて枯死していた。元々摘んだり移植しただけで枯れると言われる花なので、当然の結果なのかもしれない。この分では、冬の間に生息分布を拡大して調べるのは無理だろう。 「どうしましょうねー、うるる」 「しらないわー」 近辺から少し先までの黒百合分布は調べた。全て非汚染区域と非汚染区域の間にある魔の森……龍脈上と思しき場所の近辺で咲いているが、現在、地底の龍脈は石鏡から流れる精霊力で満ちているという話だし、他に瘴気の奔流のようなものは見受けられない。 「ううう」 頭が煮える。ネネは机に突っ伏した。 ところで連日悩んでいた寿々丸(ib3788)は寮長のいる離れに向かっていた。 寿々丸は虚空の人妖嘉珱丸を見上げる。 「寮長は、聞いたら答えてくれまするかな?」 「寿々の問い掛け次第であろうな」 気合を入れて戸を叩く。 「寮長、お尋ねしたいことがありまする」 室内へ通された寿々は、朗らかな笑顔の寮長に迎えられた。机の上に置かれた煎茶と羊羹を挟んで、向かい合う。 「さぁ、何が聞きたいのかしら」 「寿々は……『瘴気がどのように発生するか』を調べてみたいと思っておりまする」 一種の根源的な話である。 瘴気は世界中あちこちにある。魔の森でも、街中でも、程度の差はあれど感知することが可能だ。唯一『無い』と言えるのは、精霊力に溢れる場所や、高位精霊のいる聖域程度。 寮長はうつむく寿々丸の言葉に耳を傾けた。 「瘴気は負の自然……でするが、何かしら天秤のようなものがないかと思ってしまいまする。『生物にとって不要でも、世界にとって必要なものではないのか』と」 寿々丸は顔を上げた。 「大アヤカシ生成姫が消滅した時、五行国の島が一つ落ちたと聞きました」 「三珠群島の一角の事ですね」 「はい。あの島が落ちたのは、瘴気が集まった所為か、それとも強大な瘴気の固まりが消えた所為で均衡を失った為か……寿々はそれが気になって仕方ありませぬ。できるなら、島が落ちた件に関しての情報はありまするか? もしくは、どこかにその情報を知りえる場所はありましょうか?」 寮長は茶を一口飲んで微笑んだ。 「つまりこういうことですね。第一に、瘴気という物質がどのように発生するか、を調査したい。第二に、大量の瘴気が流れ込んだ途端落ちた島の原理を解明したい。もしかすると瘴気が集まりすぎると島が落ちるのか、或いは、大アヤカシのような瘴気の大型結晶体が失われると大地に影響が出るのかもしれないが、玄武寮の書庫を調べても答えはなかったので、知る事が可能な場所を教えて欲しい……と」 「はい」 寮長は微笑んだ。 「僅か数ヶ月で、こんなにも成長するとはね。まず第一に、その答えを知る者はどこにもいません。なぜ土は足元にあるのか、なぜ水は川を流れているのか、太陽の存在理由など、自然現象を問う類と同じ質問だからです。我々陰陽師は、瘴気という物質の性質を利用し、一時的に再構築しているにすぎません。『瘴気という物質がどのように発生するか』を解き明かすことができれば、世界的な発見になるでしょうね」 寿々丸は口をぽかん、とあけた。 寮長は続ける。 「第二に、三珠群島の解明を現在進行形で行っているのが、副寮長……いいえ、封陣院分室長の狩野柚子平さまです。正確に言えば、五行王様の命を受けた彼が率いる研究者の精鋭が、隣国と連携して調査中です……といっても進展がないそうですが」 「どういう意味でございまするか?」 「一過性の現象を追求するのは、非常に難しいことなのです。継続して島が落ちたというなら、まだ関連性を探ることができますが、たった一度の突発的な変化を辿る事は困難を極めます。狩野様も、他国との継続した調査が必要になるだろう、と言ってましたから」 つまりどちらも答えは探せない。 「どのみち卒論には適しません。ですから卒論にむけて再度、議題を考えなくては。……そんなに肩を落とさないで」 白い耳を、ぺっしょりと垂れている。 「いずれも寮生の領分ではありません。けれど研究者としては人生をかけるに値する議題です」 「え」 「その研究がしたいなら、開拓者として探求の旅に出るか、狩野様のように封陣院へ所属するしかない。……あなたはいつか、良い研究者になれますよ。私は、貴方がここにいる間、答えに近づける手助けをしましょう。あなたの行く先に、幸あらんことを」 季節は冬。 しんしんと降り積もる雪のように。 寮生たちの卒業論文や研究は着実に進んでいた。 |