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■オープニング本文 窓から見上げた天儀本島の蒼穹。 なにか人を呼ぶのに最適なものはないかしら。 そんな店主の妹のささやかな願いは、余りにも惨い形で叶うことになる。 神楽の都の片隅に、自家製の酒が評判を呼んでいる酒場があった。 看板娘として店を切り盛りする紅蓮と蒼美姉妹。豪快な赤毛の姉と知的な青い瞳の妹。勿論のこと看板娘なる呼び物は既に店主がそれに代わり、料理の腕前もそこそこ美味い方だった。 しかし客というものは『あきる』性質がある。 定期的に店の料理を変え、季節に会わせて内装を工夫しても、顧客を長続きさせるにはそれこそ機知に富んだ判断力が必要とされる。従って酒場の名前に相応しいように、妹の蒼美は常に努力を怠らなかった。良き酒の産地なる情報を求めて書庫に通った。 「紅蓮姉さん。お金頂戴、ギルドに行くわ」 目の前に姉が横たわっていた。くろぐろしたオーラを纏っている。 「なんてことなの。妹が馬の骨に入れ込むなんて」 話の脈絡がない。 「‥‥話、まったく聞いてないわね。男に貢ぐんじゃないわよ、ギルドよギルド」 「ああギルド! 麗しき大枚持った開拓者! 蒼美。そこが問題なの」 憑かれたような眼差しで、紅蓮は妹を振り返った。 「何故、若くてぴっちぴちの殿方や淑女が、酒場にこなくなっちゃったのかしら。私だって偶には目の保養がしたいの。あの瞳、あの声、あの肌、若さゆえの美貌と魅力! 渋い爺もいいけれど、偏った生活では飽きるのよ。刺激と潤い、それが無くては仕事にも張りが出ない!」 ‥‥。 前にも聞いた台詞だ。 返事に困る愚痴に、微妙な眼差しを送る妹。 男女や年齢を超えた魅了なんたらの口上を、右から左へ受け流す。 「同じ愚痴をこぼさないでよ。五行の鬼灯って里に、十年に一度の古酒『鬼灯酒』と、今年の新酒『乙女の誘惑』がでるのよ。開拓者達にとってきてもらうわ」 「お店を閉めて2人取りに行けばいいんじゃない?」 「イヤ」 即答だった。 ぺらっと見せた書類には、毎年鬼灯祭で怪我人多数の催しが記されていた。 噂の酒はどちらも目玉商品。 いわば勇者に贈られる勲章も同然だったのだ。 毎年決められた相手を捕縛することで商品を受け取れるらしいが‥‥捕縛相手が問題児だった。 二人は、奇遇にもこの問題児に一度遭遇したことがある。 「‥‥開拓者、受けてくれるかしら」 そら恐ろしい催し物の内容に、正気に戻った姉が首を傾げた。 + + + しんしんと、降りそそぐ白い雪。 渡鳥金山の高嶺に、うっすらと雪化粧。 吐息が白く曇る頃になると、人々はにわかに活気づく。 「今年もこの時期がきたねぇ。さぁ、みんな。鬼灯籠をめいっぱい飾ろうじゃないか」 ここは五行結陣が東方、山麓の田舎里。 かの名を『鬼灯』と人は呼ぶ。 かつて人々は里の裏山‥‥渡鳥金山を『しでのやま』と呼んでいた。 要は『死者がこえていく山』すなわち『あの世』を意味する。所々魔の森の侵食を受ける山脈は常人達から恐れられ、行商人や旅人が山を越えていく『山渡り』は命がけと言われている。 そんな過酷な場所だからか。 鬼灯の里では、山で命果てた者を「鬼になった」とよく例えた。 アヤカシの鬼という意味ではなく、飢えた死者の魂という意味である。供え物をして供養してくれるのを待っているとされ『餓鬼』の字をあてた。鬼は常に飢えている。食べ物を見つけても火に変わる‥‥そんな哀れな鬼の供養に、現世で炎を燃やせば、あの世で炎は食べ物にかわるだろう、という眉唾な話が広まった。 人々は供養の為、提灯に火を灯して供物とし、鬼面を被って来たる鬼をやり過ごす。 そんな土地の風習は、いつしか鬼と共に宴を楽しむ祭、へと変化を遂げた。 厳しい冬ごもりの前に、鬼に怯えず皆一緒に昼夜を騒ごうではないか‥‥ 里の人々は、鬼面の描かれた提灯『鬼灯籠』を飾りに飾った。 出かける者は、大人も子供も、赤か黒の鬼面を被る。 誰が鬼か、誰が人か。 祭の間は、区別もつかぬ。 さあ‥‥飲んで食べて、歌って踊れ。鬼灯祭が始まった。 + + + 「よーし、お前ら。準備はいいか!」 オォ! と熱気漂う鬼灯の里。声をかけたのは酒蔵の親方だった。 これから始まる競技とは『逃げる麗人の髪留めを持ってくる』ただそれだけだが‥‥相手は竜に跨っていた。 「ごきげんよう、諸君! 僕は美しい男女を愛する流離いの美食家・憂汰! 是非とも僕を華麗に浚ってくれたまえ!」 相手は鬼面を付けた、男装の女性であった。 黄金の長い金髪を赤いリボンで纏めている。持ってこいというのはアレだろう。 足下には「うるさいでしゅ」とか子供のような舌っ足らずな言葉を喋る侍女が同行していた。 空を飛ぶなんて反則だ! という正統なヤジが飛ぶなかで。 自称『流離いの美食家・憂汰』さんはこういった。 「案ずるな諸君! 里の上空と里の中を、僕は全力で逃げさせてもらう」 そんな話は聞いてない。 「そして僕の侍女は優秀な開拓者でね。忠実に僕だけを守ってくれる。全力で挑んでもらってかまわない」 それは暗に倒せという意味なのか。 「ちなみに、僕のリボンを持って帰れた者には『鬼灯酒』、逃走劇を観賞中の観客達を魅了できた者には『乙女の誘惑』を与える約束になっている」 どんな約束だ。 見せ物になることが条件となった、今回の争奪戦。 紅蓮と蒼美の希望は両方の酒。 果たして無事に酒を手に入れられるのか!? |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
ルオウ(ia2445)
14歳・男・サ
ペケ(ia5365)
18歳・女・シ
煌夜(ia9065)
24歳・女・志
藤丸(ib3128)
10歳・男・シ
紅雅(ib4326)
27歳・男・巫 |
■リプレイ本文 会場にはルオウ(ia2445)の元気な声が響いていた。 「俺はサムライのルオウ! よろしく〜、面白い祭りだな。せっかく祭りで仮面被るんだし変身してくぜぃ」 鬼の仮面や模様が気になるルオウは、もふら面など色々と格好を気にした上で、一つの決意を決めた。 「魅力ってのは俺じゃ無理そうだしリボン全力で奪いにいくぜぃ!」 男ならば正々堂々と勝負。 「いいえ! 私達、ペケ・アンド・モフペッティが両方ゲットしてみせます!」 ただひたすらに闘志を燃やすペケ(ia5365)。 体力と反射神経には自信がある。 「鬼ごっこ‥‥ですか」 騒がしい壇上を遠巻きに眺めながら朝比奈 空(ia0086)は目を細めた。 あの常人離れした二人を追いかけ回さねばならない現実よりも、素性が気になるらしい。 「勿論、ただの‥‥という訳でも無さそうですけど。‥‥どちらかと言うと、捕まえる方が只者では無い感じですが。変わっているの一言で片付ける訳にも‥‥ね」 紅雅(ib4326)は首を鳴らす。 「競争、ですか‥‥筋肉痛になるのは避けたいのですがね」 筋肉痛と命の危険。 今更ながら過酷な催し物だ。 「龍から落ちなきゃ安全じゃない?」 胡蝶(ia1199)が横で厳しい眼差しをしていた。 「しかし美しい人、ね」 一言で表すならば美辞麗句。 「あんなのに認められても困るけど」 発言者が得体の知れない相手となると、誉められても嬉しくない。むしろ身の危険を覚えるのが正しい‥‥かはさておき、腕を組んで不適に佇む胡蝶は自己防衛よりも勝る思いがあった。 「見向きもされないのは、それはそれで癪に障るわね」 淑女たる者の意地と尊厳が、正常な判断力を阻害する。 狙われたくない。 しかし狙われなければならない。 いやむしろ、一度はこちらを向かせなければ! 複雑な乙女心が、己の身を危険に導く。 「そうだわ。あの手があるじゃない」 あの手が何の手かはさておき。 胡蝶は何かを思いついて身を翻す。 目指す先は、天女の舞台だ。 ただ一人、御樹青嵐(ia1669)は不敵に笑う。 「以前御会いした時とその傍若無人ぶりは変わっていないようですね」 「あなた、あの変なのと知り合いなの? 友達?」 「‥‥違います」 ひとくくりにされてはたまらない。 昔、迷惑な仕事の被害を受けて、と。かくかくしかじか苦労話を披露した後に、御樹は不敵に笑う。 「かえって安心したと言いたいところです。それでこそへこませ甲斐があるというもの!」 黒い瞳に闘志が宿る。 しかし、目的が別な方向へシフトしている。 「必ず目的果たして見せましょう」 彼の脳裏を巡る秘策。ふふふ、とこぼれる黒い微笑み。 酒のことを覚えているかどうかは、神のみぞ知る。 難しい顔をしていたのは、煌夜(ia9065)だ。 「反則くさいけど、折角の祭の出し物だから派手に、賑やかにしたい‥‥という厚意だと思っときましょう」 案外、切り替えが早かった。 「せいぜい盛り上げましょうか」 煌めいた眼差しが標的を探す。 輝いていたのは藤丸(ib3128)も同じだ。 「つまり、魅せて獲ればいいんだな!」 微妙に違うと評するものと、まさしくその通りと評するもの。 まぁ、見せ物になるため、祭りの呼び物なのだから仕方あるまい。潔さが肝心だ。 『れでぇぇぇす、えんど、ジェントルメン』 突然、ジルベリア人っぽいけど変なしゃべり方でペケ達の前に現れた人は。 『旧友の活躍を実況すべく、この私、黒衣の講談師ヤホイ・ヒナトが実況致します』 全身真っ黒だった。朝比奈が残念な眼差しで遠くを見る。 「やぁ黒衣の君、今回も宜しく頼むよ」 憂汰とがっちり交わされる握手。 「お任せを」 いかん、変な奴らが増えていく。 呆気にとられる民衆達に動じもせず、黒い人は空の酒瓶を手にとって声を張り上げた。 『酒蔵の女神は果たして誰に微笑むのか! いま名誉と誇りと自尊心をかけて、新しい魅了の世界が君たちを待っている! それではいってみよう! れでぃ、ごー!』 ぱりーん。 黒司会は空瓶を壁に投げつけた。 良い子のみんなと良識のある大人は、絶対にマネをしてはいけないぞ! まるで乗馬を嗜むかのように、龍を操り大空へ舞い上がる変人憂汰とその侍女。 「はーっはっはっは! 諸君、大空へ追ってくるがいい! 泣いて縋っても僕は行く! ベタベタと追い回してくれて構わない! 勝ち残った君に熱いヴェェェゼを贈ろう!」 病んだ捨て台詞とともに、遠ざかっていく憂汰。 龍を持たないルオウが「すげぇ!」と龍にのみ感心するなかで、 「にがしはしません!」 朝比奈が炎龍の禍火に飛び乗り、彼女らの後を追いかける。 憂汰の様子を見ていた紅雅が呟く。 「要は寂しがりやさん、でしょうか」 外套の前をぴったり閉じた胡蝶が、うんざりした顔をした。 「捕まえてもいいことない気がするわ。ベーゼって、私、女よ」 御樹が呪符を口元でひらひらさせながら「まぁそうですねぇ」と相づちをうつ。 「元々困った性癖を持った輩ですからね。人様に迷惑かけてまわっていますし、相手に見境がないので、全力を持って叩き伏せるか認めさせるしか‥‥その格好は?」 まるで蓑虫のように丸まった胡蝶が気恥ずかしげに頬を染める。 「‥‥ちょっと寒いだけよ。そんなことよりアレ、男か女か気にしないってこと?」 「ええまぁ」 己の相棒、甲龍の黒嵐に向き直り、ひらひらした少女趣味の甘い装飾を行う。 ごっつい見た目は気にしない。 煌夜は「流石、経験者は違うわね」と言いながら上空を飛ぶ龍達を見上げる。 「まずは空中から下ろさないと何ともならない訳だけど‥‥どうせ空中にいるんだから、いい機会ということで華麗な空中戦で観衆を盛り上げて『乙女の誘惑』も狙ってみる?」 どうせならば二兎を追う。 教訓では逃がすと言われるが、煌夜は勝てそうな確信めいたものを抱いていた。 『おおっと、残りの者達に動きがない。まさかこのままリタイアなるかー!』 「‥‥あの司会に、好き勝手に言わせておくのもシャクね」 イラッ、とくるあおり文句を繰り返す黒司会もどうにかしたいところだ。 「それじゃあ、予定通りアレ、先にやっちゃいたい!」 ビシィッと手を挙げた藤丸に紅雅が「いいですね」と龍を見上げた。 「観客へのアピールを忘れてはいけませんね。桔梗、お願いしますよ」 よじよじと一斉に相棒へ登り始めた。 「お! 楽しみだな、雪!」 「か、可愛さならモフペッティの方が勝ってます! でも、みなさんがんばって!」 ルオウとペケが声援を送る中、五人と五匹は一列に整列した。 「みんなぁ!」 藤丸が声を張り上げる。上空の視線が再び地上の開拓者へ集中する。 「俺達開拓者ならではの技術の結晶、今こそその目で『魅』ていてくれ! せーの帆稚!」 ぐりん、と駿龍の首がなめらかに弧を描く! 「今です、桔梗」 絶妙なタイミングで二匹目の龍が首を回す。 「レグルス!」 「黒嵐、女性のような滑らかさで」 「ポチ‥‥貴方に任せるから、好きにしなさい」 ぐりん、ぐりん、ぐりん。 その回転は蜻蛉の目を回すような動きだった。ここまで調教された龍というのも珍しい。 大人達が物珍しそうに注目していると。 「おとうさん! あれほしい!」 「おかーさん、のりたい!」 「うわぁぁぁぁああん! のーりーたーいぃぃぃ!」 子供建の大合唱。 『なんということでしょう! 開始直後から追うのをやめた者達が、民衆に龍の芸を披露しております! お子さま達に大人気だー! さぁ、親方の判定は!』 しかめっ面のひげもじゃ爺さんは、カッと両目を見開いた。 「‥‥確かに欲しい!」 違うだろう。 判定ではなく物欲に囚われたおっさんがいた。 ところ変わって、こちらは大空。 朝比奈が憂汰のリボンをめがけて追いかける。しかし幾ら待っても誰もこない! 見事なまでに魅せることに全力を注ぐ者達を、侍女が物珍しげに眺めにいく。 朝比奈の目が輝いた。しとやかさの奥に滾る衝動。 獲物を狙う獣の目で、力の歪みを放つ。 「あれ?」 「少々荒っぽくなりますが‥‥禁止とも言われていませんからね」 案外、容赦がなかった。 「私が頂きます」 炎龍が突撃体勢をとる。おたおたしていた憂汰が「‥‥どうかな?」と薄く嗤った。 「な、うそ。禍火?」 ペキペキと音をたてて大気が凍りついていく! 離れた場所にいた侍女が、術を放っていた。 「少し動きが鈍くなるだけさ。アレは何があっても僕を守るんだよ。残念、それじゃおっさきー!」 「く、待ちなさい」 強力な雷が行く手を阻んだ。 侍女の隙のない攻撃を眺めた煌夜は、嫌な汗が浮かぶのを感じた。 「今のみた? 直接当てる気はないみたいだけど、護衛の侍女さん、かなり凄腕の魔法使いみたいね。空中でもわりと洒落にならない魔法が飛んできそうなのは厄介だと思ったけど‥‥」 射程が遠くても、最初から威力の大きいものを放たれては、あまり楽しいことにはならない。当てるつもりで本気で戦ったら『殺す気か』と疑いたくなる。 「引きつけ役が必要ね。レグルス、時々火炎を吐いて目晦まししておきなさい」 龍が吠えた。折角引き剥がしたのに戻られては困る。 レグルスが前方に回り込んだ。紅雅が付近の屋根に降りて神楽舞「抗」と「速」を仲間に付与する。 「お久しぶりです。また随分と派手に大騒ぎしておられるようですね」 乙女な飾りを身に纏う黒嵐にまたがった御樹は、呪縛符を手に侍女へ笑いかけた。 「お前は‥‥木彫りの詩の男!」 「どんな覚え方ですか」 「名を忘れたでしゅ」 「御樹青嵐です。どうでしょう。ただの祭りですから私達も本格的な攻撃を貴女の主人に加えません。短時間見逃して頂けたら手製の料理を御馳走します。少しばかり目こぼし願えませんか? 酒肴は自信があります」 「‥‥鱈と壬生菜と大根がいいでしゅ」 契約、完了。 障害の動きを制した紅雅、藤丸、胡蝶達は大空を目指す。 「あ、そうだ」 煌夜は「ものは相談なんだけど」と小さい声で『偽の戦い』を提案した。 命に危険が及ばなければ、侍女は食事に釣られて邪魔をしない。ならば遙か上空で戦っているフリをすれば、色々と派手な見せ物が出来上がる。 「珍しいものでも、いつまでも変調がなければすぐに飽きられちゃうし、何度か空中で方向転換したり、火炎を吐いたり、その炎の中を突っ切って、伝説の、炎の中から蘇る火の鳥みたいに見えれば」 「いい案でしゅね」 かくして『魅せる戦い』が行われることになった。 真っ先に向かった藤丸は威嚇射撃を行いながら大声で叫んだ。 「秘奥義! しば、わん、だーいぶぅぅうぅぅ!」 『おおっっと。なにやら上空で人が、‥‥人が、人がおちたああああ! 龍から離れたー!』 会場全体からわき起こる悲鳴。 「違うってば! だって空中戦なんだから、動きちょーっとオーバーにするくらいじゃないと下から見えないじゃん!」 遠巻きに人からどう見られるか、という問題は別である。 そして皆さんお忘れのようだが。 空中落下中で体勢を変えることは、殆ど不可能に近い。 「あれ?」 龍に乗っている憂汰は、ひょいっとかわした。 「あれ?」 落ちていく藤丸、空を飛ぶ帆稚、ここで忘れてはならないことが、もう二つある。 どんなに絆を高めても、手足のように意のままにならないのが龍である。 そして。 人体の落下速度は、龍の飛行スピードの四倍を遙かに超える。 つまり。 「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」 落ちていく藤丸、追いつかない帆稚。高速移動でも生身の翼の限界はこえられない。 藤丸と地上の観客は、命の終焉を覚悟した。その時。 落ちた先は、固い地面ではなかった。 「あぶないでしゅ」 交戦中の侍女が「めっ」とあまりにも危険な無茶を叱りつけた。 黒司会が拍手を送る。 『間一髪! 皆さん盛大な拍手を! ちなみに大変危険ですので、大人も子供もマネをしないようにご注意下さい。常に良い腕の乗り手がいるとは限りませんので、命の保証はされません』 朝比奈に追いついた紅雅は、憂汰に攻撃することもなく、静かに語りかけた。 「髪留め、いただけませんかね? 攻撃的な事はしたくないです‥‥怪我は嫌ですし」 「ふっ、その紳士的な振る舞い、気に入ったよ」 憂汰の声が柔らかく変化する。 「だが断る!」 憂汰は胸を張った。紅雅は頬を掻く。 「こちらも交渉には対価がいりますか‥‥そうですねぇ‥‥お仲間の内の誰かと一日お茶をいただく為の橋渡しでしたら出来ますよ」 柔和な微笑みのまま『袖の下大作戦』の為に仲間の切り売りを提案する。 「爽やかに黒いな、キミ」 「まあ、私は橋渡しだけで、断られるかどうかは本人次第ですけども‥‥とは言いませんけどね。私個人の事でしたら、困る事じゃなければ」 しばし悩んだ憂汰は「これも仕事だ、胸に飛び込んできたまえ!」と叫んで舞い上がった。 ある意味、侍女より仕事に忠実だ。 「交渉決裂ですか」 そこへ。 「逃がさないわよ!」 大声を上げて胡蝶が追いついてきた。 「ポチ、一気に距離を詰めなさい! 一撃当てるわよ!」 緊迫した空気。見つめる民衆。身構えた憂汰。構えた侍女。そして外套に手をかけた胡蝶は、全力で外套を脱ぎ捨てた! 「論評なんか始めたら一撃じゃ済まさないわよ!」 彼女は天女の衣装を纏っていた。 しかし着慣れない衣装は酷く乱れ、風に煽られて真っ白い素肌が顔を出す。 怒りと恥ずかしさで薄紅に染まった頬、可憐な唇に華奢な四肢、寒さ故に縮こまった体も、随分と蠱惑的に見えるというものだ。 『脱いだ! 胡蝶が脱いだァアァァ!』 「やかましいわね! もっと上品な言葉にしなさいよ!」 地上の黒司会に修正を要求する。 向かう先にいた憂汰はというと‥‥悦に入った顔で悶えていた。 「空で出会った、まばゆき美少女。 女神が贈りたもうた至高の宝石。 海底の蒼玉、太陽の金糸、真綿の素肌。 煌めく羽衣を奪いさり、その全てを手に入れることができたなら!」 鬼面をつけたままでは様にならない。しかし。 じょわ、と。 胡蝶の産毛が逆立った。 これは‥‥捕まったら剥かれる! 貞操が危ない! 「僕は君に恋をした!」 憂汰は自分の龍を捨てて、ポチと胡蝶に飛びかかる。 「いやああああああ!」 刹那。 皆の視界を電流が迸った。一瞬で憂汰が軽く焦げる。気絶した。 「そういうおしゃわりは禁止でしゅ。これは迷惑料でしゅ」 「‥‥ええ、と。護衛、なのでは?」 紅雅が主人をこんがり焼いた侍女に尋ねると「こういうのは諫めましゅ」と答える。 ぷすぷす焦げたリボンを胡蝶に手渡した侍女は、全く同じリボンを憂汰の髪に巻く。 「何故、2本も?」 「酒瓶の本数分あるのでしゅ。地上で仕切りなおしましゅ」 あっというまに地上に降りた。 「お! そこだ! いけいけぇ!」 地上で様子を見ていたルオウ。二人が降りてくるのをみて、一気に猫又の雪と駆けだした。ルオウの隣の猫又はどこか嫌そうな顔をしている。 「仮面モフラー参上! 尋常に勝負だ〜! 俺と雪を甘くみんなよ!」 ピシィィィ、とポーズを決めながら立ち塞がる。 着地地点に焙烙玉を投げる予定だったペケも急遽予定を変更して飛び出した。 「キャー! 侍女っ娘怪人ですよ〜! モフペッティ、たーすーけーてー!!」 「だれが怪人でしゅか!」 侍女の抗議。ぶらん、と小脇に抱えられている憂汰は無反応。ペケは悠然と立っていた。 「ヒーローもふらのモフペッティは怪人から人々を守る為に変身して戦うのです!」 「だから‥‥いいでしゅ、怪人ということなら怪人らしくいかせてもらいましゅ」 ざわざわと風が揺れた。 「俺と雪から逃げられると思うなよ!」 「何を言っても逃げられませんよ、侍女っ娘怪人! いざ!」 突進をかけるルオウとモフペッティをけしかけるペケ。しかしその十秒で劇的な変化があった。 「お前達の標的は我が主『名も無き君』でしゅ。『アイアンウォール』!」 突如として目の前に現れたのは、高さ五メートルもあろう鉄の壁だった。 壁に激突するルオウとモフペッティ。 「げふっ!」 「もふ」 「きゃああ! モフペッティ!」 「仕切り直しでしゅー」 聞こえた侍女の声は、あっというまに、遠ざかった。 そして十数分後。 鬼面を被った憂汰は負傷が嘘のように逃げ回っていた。 「はっはっは、悔しくば僕の前にひれ伏すがいい!」 さっきまで焦げていた人物の言葉とは思えない。 「待ちなさい。一本といわず、有るだけ頂きます」 「イダダダダ、激しい愛がお好みとは、君も随分と情熱的で」 「黙りなさい」 既に地上鬼ごっこでリボンを手に入れた朝比奈が、益々撒菱をまき散らし、或いは投げつける。 侍女はというと、傍にいなかった。 というのも、憂汰を回復して放り出すと、モフペッティの治療をしに行ったからである。 『タップリ日向ぼっこをした太陽の香りのふんわりモフペッティです。こんなのにじゃれつかれれば誰だって夢見心地ですよね?』 ペケの狙い通り、日々気苦労の耐えない侍女はもふらさまに癒されていた。 「待ちなさァァァい! さっきのお礼をしてあげるわ!」 着衣を正し、呪符を手に向かってくる胡蝶。 操の危機にさらされた彼女だが、案外逞しい。 「僕は、そんな簡単につかまらな‥‥ん?」 憂汰の視界の先には、可憐な乙女が佇んでいた。 清楚な白地に金糸で雪景色描かれた女性物の着物、唇をほんのりと彩る紅、うっすらとした白粉にぬばたまの黒髪を結い上げた、首筋の美しい後ろ姿だ。 憂汰の目の色が変化する。 「雨も雪に変わる頃、軒先に佇む物憂げな君は誰? 運命の女神が導いた路地裏。 寂しげな後ろ姿に、ボクは魅せられ囚われた。 ここは空虚な愛の鳥籠。 白銀の衣に金の煌めき、情熱の炎が咲かせた赤、誰にも触れさせない陶器の白。 いまこそ顔を上げて、僕にさえずっておくれ。 闇の向こうに見えたのは、僕たちを彩る愛の媚薬(ラブ・ポイズン)!」 胡蝶の眉間に青筋が浮かぶ。 「追っかけてるのに、評論とは上等じゃない。この変態!」 里の人間に被害が及ぶ前に捕獲しなければ! しかし標的を定めた憂汰は足が速すぎる! 「そこのねーちゃん、にげろー!」 ルオウが叫ぶ。 憂汰が飛びかかる。線の細い美女が振り返る。そのまま押し倒された。 「ぎゃー!」 被害の拡大を開拓者達が覚悟したとき。 「逃げたりするわけがありません」 「は?」 がし、と憂汰を捕まえたのは、男の腕。 「周りからは、ことある毎に似合うからと女装させられていましたが‥‥今回はそれに感謝できるでしょうか?」 しゅるん、と髪留めをほどいた御樹が複雑そうに笑った。 結果的に『鬼灯酒』をリボンの数だけ、『乙女の誘惑』は人数分以上を手に入れた。 これだけ成果を出したのだから、紅蓮と蒼美も満足するに違いない。 「お酒飲んでくるわ‥‥記憶から消し去りたいのよ」 己の醜態に肩を落とし、浴びるほど飲みに行く胡蝶。 「私もいくわ。この地元の酒を賞味したいの。レグルスも休ませないといけないし」 煌夜が後を追う。 「自己犠牲は貴いですね」 同じく身を捧げた御樹が呟いて、侍女との約束を果たすべく調理場に向かう。 藤丸とルオウは「せっかくのお祭りだし、楽しみつくさねば!」と町中へ遊びに出かけ、ペケは落としたという褌を探しに出かけた。 「禍火‥‥お土産です」 出店巡りをした朝比奈は、相棒に料理を分け与えていたし、紅雅は筋肉痛が怖いからと宿でゆっくり休んでいる。目的を立派に果たしたのだから後は自由だ。 「祭りが終わったら、次は何処に行こうか」 「お心のままに、でしゅ」 奇妙な主従の怪事件。 この先も暫く続きそうな予感がするが、賑やかな鬼灯祭は無事にすぎていったようだ。 |