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■オープニング本文 ●夢路の仕事 その日、豪華客船の警備仕事がギルドに張り出された。 共に添えられた華やかな紺色と白色の瓦版が、ひときわ注目を浴びている。 豪華客船の目玉は『月の虹を見に行こう』というものだった。 「月の虹って」 「あら、知らないの。月の光でできる虹のことよ」 太陽光が作り出す極彩色の虹はよく知られているが、月光がもたらす虹の存在を知る者は少ない。 雲一つない空に輝く、蜜蝋色の月。 満月を取り囲むように、白く淡い光の輪が現れる事がある。 これが月光が生み出す奇跡の虹だ。 世間では『月虹』『白虹』『月輪』などと呼び名は様々だが、総じて曰くがある。 「月の虹を目にした人には、幸せが訪れるんですって」 幸せを運ぶ夜の奇跡。 地方によっては『先祖の霊が白虹をわたって、祝福を与えに訪れる』と言われている。 これにあやかろうと目をつけた者が、開拓者をたくさん雇って天候を調べること数日。 今夜は月虹がかかる可能性が高いのだという。 「豪華客船の昼仕事が空いてるんですが……お暇なら行ってみませんか?」 夜は幸せを拝めるだろうか。 ●月虹の微笑 雲一つない夜だった。 たったひとつの月が、藍色の空に瞬いている。 観光客や警備員が、甲板で寒さに凍えていた。それでも静かに時を待つ。 やがて空を見上げる者たちの瞳に、光の輪があらわれた。 幸福の象徴。 そう聞いているからか、誰も動こうとしない。 甲板の一角では、バーが開店し、温かいワインや甘酒の販売を始めた。 早くもお茶と寿司の折詰を買い込んで、ひと気のない場所に腰を下ろす者も現れる。 星に耳を傾ける月光浴が始まった。 |
■参加者一覧 / 柚乃(ia0638) / 葛切 カズラ(ia0725) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 水鏡 雪彼(ia1207) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 尾花 紫乃(ia9951) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / シルフィリア・オーク(ib0350) / 无(ib1198) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 蓮 神音(ib2662) / 寿々丸(ib3788) / 宮鷺 カヅキ(ib4230) / 紅雅(ib4326) / ローゼリア(ib5674) / スレダ(ib6629) / ルシフェル=アルトロ(ib6763) / 刃兼(ib7876) / ラビ(ib9134) / ユングヴィ(ib9556) / リズレット(ic0804) |
■リプレイ本文 奇跡の呼び名を与えられた月の虹。 かの輝きを見たものには、幸福が訪れると人々は囁く。 隣にいるのは、大切な友人や親愛なる恋人、慣れ親しんだ仲間たち。 勿論、ひとりで物思いにふけるかどうかも……それは自由だ。 豪華客船の甲板は、時と共に賑わいを見せていく。 月虹がいつ現れるかわからないから、と。 ラビ(ib9134)とスレダ(ib6629)の二人は夕方から甲板に張り込んでいた。二人の話題は湧水のように尽きることなく、やがて誕生日の贈り物に行き着いた。 ラビが陽だまりの笑顔を向ける。 「そうそう! 誕生日祝いに貰ったマドレーヌ。すっごく美味しかったし、ほんのりチャイの味がして、レダちゃんらしくて、凄く嬉しかったよ! ありがとう!」 「気に入って貰えて良かったです。また作ってやるですから、楽しみにしてくれですね」 刹那、スレダがくしゃみを一つ。夜の寒さに体が冷えた。 ラビが「これ、かしたげるよ!」と言ってマフラーをスレダの首に巻く。 「ありがとうです。お礼はマドレーヌで返してやるですからね。……はて」 スレダの持っていたチャイに、月が重なって映り込む。 月虹だ。 スレダが「これは綺麗ですね」と空を見上げ、一方のラビは光の輪に見入っていた。 「……それと、ね。マドレーヌを食べた時、なんだか、凄く幸せな気持ちになったんだ」 スレダは夢見心地のラビをまじまじと見た。 ずっと仲の良い友達だった。 手料理を喜んでもらえる事は勿論嬉しい。 そして今の呟きは、元気いっぱいで溌剌としたラビが『男の子』である事を意識させた。急に頬が熱い。いつもと変わらぬ姿なのに、跳ねる鼓動は何を示すのか。 「レダちゃん」 「な、ななな、なんですか! 驚かさないでくれです!」 「ごめん。レダちゃん、幸せになるお願いって決めた?」 「ああ、月虹が叶えるっていう」 「うん。そう。僕は色々考えたんだけど……レダちゃんにとっての幸せな瞬間を、一緒に作れたら良いなって思って。レダちゃんは?」 繋いだ手に熱がこもる。 急に気恥ずかしくなったスレダは顔を逸らし、視線を月虹にむけた。 「もう、充分……幸せ、ですよ。こんな光景を見れたですから」 胸の中で芽吹いた気持ちは、幼い心を鮮やかに染めていく。 紅雅(ib4326)と寿々丸(ib3788)もまた、灯心とともにお弁当を囲んで月虹の出現を待っていた。灯心は甲板で会った御樹青嵐(ia1669)に買ってもらった甘酒を一口。 「人があつまってきてます」 「ええ。二人共、月にかかる虹は見たことありますか?」 紅雅が尋ねると、ウシャンカと毛布にくるまった寿々丸は「月虹でするか……寿々は見た事はございませぬ。楽しみでするぞ」と言いながら、食後のオータムクッキーをかじり出した。 「色々な形がありまする。灯心殿はどれにしまするか?」 クッキーを貰った灯心はというと。 「……虹って何ですか」 と言い出す始末だった。 光の屈折が生み出す幻の説明から入らざるをえない。現象としては何処かで目にしているのだろうが、それに対する呼び方を知らないままなのは……育ちのせいだろう。 「あ、大兄様! 灯心殿! 何か見えまするぞ!」 寿々丸の指先が示す、光の輪は……儚く白い光だ。 「あの月虹を見ると、幸せになるそうです。貴方たちの幸せは、どんな形でしょうね?」 幸せの形、という言葉に灯心は首をかしげた。物理的でないものの形の意味を真正面から受け止めて考え込んでしまう真面目さは……美徳でもあり、不器用さでもあった。 一方、燥ぐ子供たちを遠巻きに見守る大人もいる。 「歳の近い友人が見つかったことは、良い傾向ですね。緋嵐」 様子を見守る御樹は、バーでホットワインを嗜んでいた。人妖緋嵐は甘酒を舐めている。 つまみは銀杏の松葉刺しと穴子の野菜巻きだ。 こうして温かい飲み物や食べ物を手に、のどかな時間を過ごせるのは多くの人の支えあっての賜物だ。いつかそれを灯心たちも気づけるようになるのだろうか。 「……焦ることもないですか。しかし豪華客船という舞台から眺める月の虹。さぞ美しいだろうと思っていましたが……中々に、雅なものですね」 「そう、今宵は美しさ二乗だぜ。パーフェクトさ!」 突然、バーに向けられた若い声。 天空に瞬く蜜蝋色の月を見上げたユングヴィ(ib9556)は一輪の薔薇を弄びながら「へい、マスター。俺に似合う、いつもの一杯を頼む」と悦に浸って頼んだ。 ちなみに、ユングヴィが豪華客船へ来たのは今回が初めてである。 御樹は何処か既視感を覚えながら様子を見ていた。 店員が酒を差し出す。 「お待たせしました。今夜の特別ドリンク『女神の微笑』です」 「フフッ、月虹と相まって……今夜の俺様は一際美しいぜ。あ、釣りはとっておきな」 釣りはありませんよ……と真面目に言う人はいない。 グラスを持って立ち去るユングヴィを、店員は鉄の営業スマイルで見送った。 いつでも『美しい仕草』を追求するユングヴィは、歩きながらのポージングにすら余念がない。孤高の人を演出できそうな場所を見つけて周囲を眺める。 「美しい月虹だぜ……しかしなんか、アレだ。カップルが多い気がすんな」 確かに多い。 ついでにユングヴィの独り言も多い。 「そんな中で、パーフェクトでビューティフォーな俺様は一人なわけだ。美しすぎて近寄れないってか、さすが美しい俺様……」 そこでユングヴィの脳裏に『あれ、これもしかして』と閃くひとつの単語。 ぼっち。 「いやいやいや! まさかそんな俺様に限ってそんなハハハ! アレだよアレ! 俺様の美しさに周囲がついてこれてねぇんだよ! 時代を先取りしちまってんだよ! やべぇなさすが俺様だ!」 誰に問われた訳でもないのに、ひとしきり喋って意気消沈する。いつもの調子で『孤独が人を美しくする!』とか思いつきをやってみたが居たたまれない結果になった。 「うう、美しいはずの俺様が……戦で輝けばよかったのか」 「世間は戦だのなんだのあるけど、こういう時はのんびりしてこそ息抜きになるわ」 ふいに現れた葛切 カズラ(ia0725)がユングヴィの隣に座った。 「暇なら一緒に食べない? 美味しいわよ」 皿の焼き鯖寿司を差し出す。 「お、おう……フフッ、君の瞳に乾杯だぜ?」 ユングヴィ、ねばーぎぶあっぷ。 月の鑑賞は甲板が一等席、と言いたいところだが、味わうならば空がいい。 誰よりも早く甲板から空へ飛び立ったのが、ルシフェル=アルトロ(ib6763)と宮鷺 カヅキ(ib4230)だった。鷲獅鳥ヘリオスに二人で跨り、虚空へ浮かぶ。アルトロに抱き抱えられた宮鷺が声を投げた。 「ルーさんと行ってきます」 「いってらっしゃい。滅多に見れないんだし、のんびりしてきていいわよー」 留守番を決め込んだ人妖の白菊が手を振る。 二人と一羽を見送った白菊は、紫糸の三つ編みにくるくると指を絡めた。 「は〜……、よーやくくっついたわねぇ。何年かかったのやら」 世話が焼けると思いつつ、二人の時間を尊重する。時間がかかった分、今夜も関係が劇的に変化することはないだろう。それでも、少しでも幸せな方に進めばいい。 「あ、そーだ。花茶でも淹れておいてあげようかしら。あたしって気が利く〜」 自画自賛しながら、人妖は部屋へ消えた。 一方、低速で安全飛行を心がけたアルトロ達が雲の上を目指す。 冷たい風に髪を攫われながら、アルトロは宮鷺の肩に頭を乗せて擦り寄った。 「夜空を飛ぶのは、気持ち良いね〜。……月も綺麗だねぇ。カヅキの髪も月光でキラキラして綺麗」 首筋に吐息がかかる。 宮鷺は、自分とは違う骨ばった体の密着に体を固くした。触れられる事には馴染んだが……全く気にしないとは言わないし、物語に聞くような甘い言葉には、意図せず顔が赤くなる。待ち望んだ言葉や日々に、素直になれない不器用さはお互い様だ。 返事のない恋人の顔色を伺ったアルトロは、意地悪せずに話を戻した。 「みてよ、カヅキ。今日は『当たり』みたいだ」 月光が生み出す光の輪。 白い虹が闇の中に浮かび上がった。 「月光でできる虹だってさ。すぐに消えるものって、綺麗なものが多いよね〜」 「……幸せが訪れる、か。本当でしょうか」 「あー、それ。みんなが話してた月虹の伝説だよね。俺は今が幸せだけど。月より綺麗なものが腕の前にあるし。俺の綺麗なのはカヅキだけで良いや。カヅキは、消えないし?」 輝く銀糸の髪にキスを贈る。 振り返った顔の赤い恋人は「ヒトは、いつか消えるものですからね?」と上目遣いで訴えた。 同時刻の豪華客船では、月の虹が現れたと聞いて、天河 ふしぎ(ia1037)とリズレット(ic0804)も甲板に急いでいた。滑空艇改こと星海竜騎兵と、駿龍スヴェイルが飛び立ちを待っている。ふいにリズレットが歩みを止めた。振り返った天河は「どうしたの」と首をかしげる。 「あ、天河様。お誘い、ありがとうございます……でも、その、リゼが一緒で、よろしかったのでしょうか」 早鐘の如く脈打つ鼓動が、何を示すのか分からない。けれど小隊仲間は他にも沢山いたし、連れてきたい人は沢山いたのでは……という思いが、リズレットを悩ませていた。 「どうして?」 「えっと、その」 「僕はリズを連れてきたかったから誘ったんだよ。ほら、あそこ見て!」 甲板に出たところで、上空には月を囲む丸い光が浮かんでいた。月の虹だ。宝物を見つけたような輝く眼差し。 「凄いよね、本当に虹がかかってるよ」 天河の隣で、リズレットは「綺麗」と光に見入った。 「さぁ、行こう、僕達のパーティー会場へ」 一般客は甲板からしか見れないけれど、開拓者の自分たちは遥か先へ近づくことができる。天河が先導して空を飛び、リズレットが後を追いかけた。甲板の賑やかな声が届かぬ程の高度で動きを止める。 「リズ寒くない? 大丈夫?」 「大丈夫、です」 「よかった。地上も寒くなってきたけど、冬の空は更に冷たいからね……でも、そんな風に変わる空気も、僕は大好きで。ほんとに空って、何度飛んでも飽きないよ、ほら、あそこの月の虹だって拝めることもあるからね」 嬉しそうな表情で、とめどなく空の話を語る姿に、リズレットが魅せられる。そして実感した。この人は、やはり空が好きなのだと。 「あの、……ふしぎ様。今日はとても楽しかったです。ありがとう、ございました」 自然と零れた感謝に、リズレットは頬を染めた。 名の呼び方は、心の距離に違いない。 礼野 真夢紀(ia1144)は幼いののを船室で着替えさせていた。 「お外は寒いから温かい恰好しましょうね。はい、ばんざーい」 「ざーい」 両手をあげたののに、虹色もふらセーターとフリルリボンオーバーを着せ、帽子ソフィーを被せた。船室で作った温かい柚子茶を持って甲板へ出かけると、月虹を待ち望んだ大勢の人々が月を見上げている。この隙に、と売り場へ向かった。 「お腹に何か入れないと寒いものね。店員さん、豚汁二つで。ののちゃん、何か食べたかったり欲しいものある?」 「あれー、やぎさんー」 ヤギの顔をした焼きたて饅頭を指差す。味より外見に惹かれるところは、やはり子供なのだろう。希望の饅頭を買い与え、空いている椅子に腰掛けて、猫又小雪を呼んだ。 「小雪、ののちゃんのカイロになってくれる?」 猫又は「まゆきがそういうなら」とののの膝で丸くなった。動物好きな少女はご機嫌だ。 食べて飲んで、すっかり月虹を忘れていそうなののに「上を見てごらん」と空を仰ぐ。 「綺麗でしょう。あれが月の虹よ。見た人は幸せになれるんだって。私や孤児院に来る皆は、ののちゃんたち皆に幸せになって欲しいと思っているからね」 願わくば奇跡の夜が、心のどこかに残っていますように、と願った。 空龍ガイエルを甲板に待たせたローゼリア(ib5674)はある人物の一室に来ていた。 自然現象が作り出す奇跡を見せてあげたい。そう思って連れてきた子供がいた。 「未来、着替えは終わりましたの? あら」 扉をノックしようとしたローゼリアをシルフィリア・オーク(ib0350)が出迎える。 「ばっちりよ。今度こそ見立ててあげるって約束したもの。見てあげて」 オークの後ろには、着飾った未来がいた。 全体を清楚なエプロンドレスで纏めている。帽子ソフィーの下にある小顔は、不自然でない程度の薄化粧に紅を引いた。首筋にはアメジストのネックレス、指先には爪紅をしており、驚く程大人びて見えた。 「えへへ、にあう? おねーさん、みたい?」 「勿論ですわ。ありがとうございます、シルフィリア」 「どういたしまして。私はこれから小鈴とお酒を飲んでくるから、二人で楽しんできて」 オークは未来へキルティングスタッフを羽織らせると、人妖小鈴を連れて歩き出した。 瞳を輝かせる未来と手を繋いだローゼリアは、甲板で待つ空龍に跨る。 「マフラーもしっかり首にまいてっと。未来、しっかり掴まっていなさいな」 「うん! じゅんびできたよ」 「ガイエル! まいりますわよ!」 早さが空龍の取り柄である。帽子を飛ばされないように気をつけながら、舞い上がった空の一等席。滅多に見れぬと囁かれる月の虹は、白い燐光を放っていた。 「あたし、お月様の虹ってはじめてみたよ」 「私も見たことがなかったんですの。月の虹という言葉もロマンティックですけれど、実際に見るのが素直に楽しみでしたわ……、未来、後で食事にいたしましょうか」 「うん!」 奇跡とうたわれる白い虹は、もうしばらく輝いていることだろう。 愛らしいエプロンドレスに身を包んだ春見は、お気に入りのもふらぬいぐるみを抱えて部屋を出た。途端、ぶるりと身震い一つ。夜風は冷たい。蓮 神音(ib2662)は船室の毛布を二枚持って、春見と甲板に向かう。 駿龍アスラに乗り、荒縄で二人の体を縛った。 「落っこちないように捕まってて! アスラ、よろしくね!」 ふわりと空に舞った。月光が作り出す虹を見上げて、春見が指差す。 「あ〜、わっか〜! 白いわっか〜!」 「あの月虹を見た人は幸せになれるんだって。春見ちゃんもきっと幸せになれるよ」 もしも。 本当に願いが叶うなら、果たして何を願うだろう。 「……春見ちゃん。この先、大きくなったら……自分の足で綺麗なものを沢山、見に行けるよ。でも今日この時、お姉ちゃんとあの月を見た事、忘れないで欲しいな」 優しく春見の頭を撫でた。 辛い生い立ちを背負ったこの子を幸せにしてあげて欲しい……そう願いながら。 アルーシュ・リトナ(ib0119)と真名(ib1222)も、空龍の待つ甲板にいた。 「今晩は、姉さん。フィアちゃんも、よろしくね」 「キュッ」 空龍フィアールカが、真名とクリムゾンにぺこりと挨拶。 周囲の人々が空を見上げている中で、真名も目を凝らした。 「月虹かぁ……月に虹がかかるなんて初めて知ったわ。夜空を泳ぐのが楽しみだったの」 「ええ、私も。そうだ、真名さん。これをどうぞ」 リトナは小さな籠を渡した。布でくるまれた中身は、冬でお馴染みの温かいエッグノッグ……牛乳、砂糖、クリーム、溶き卵に香辛料を聞かせた月と同じ蜜色の飲み物だ。 「ありがとう、姉さん。それじゃ、いきましょう」 穏やかな翼が二人を空へ誘っていく。 夜空を藍色に見せる、月光の虹。 真名は夜光虫で手元を照らすことも考えたが、どうやらその必要はなさそうだ。 「真っ白で綺麗ね、姉さん。ちゃんと光の輪だわ」 「折角ですし、月虹に沿って回りましょうか。フィアールカ、頑張って」 「素敵。クリムゾン、平行飛行でお願い。ゆっくりね」 人々の邪魔にならないよう、空龍フィアールカとクリムゾンは、それぞれの主人を乗せたまま天空をゆっくり旋回する。リトナたちは持参したエッグノッグで指先と体を温めた。 寄り添うように並ぶ龍の影。 「姉さん、歌を聴かせて、だめ?」 「いいですよ。それでは……皆が幸せになれるよう願って」 リトナの唇が儚い旋律を奏で始めた。 「望月包む円環の虹、巡る幸福を儚き一時に願う……」 音楽に合わせて揺れる空龍フィアールカの背中は、小波の包容に似ていた。 「さあ、アウグスタ。大切なお友達も一緒だから安全飛行でよろしくね」 フェンリエッタ(ib0018)と少年の星頼を乗せた上級鷲獅鳥アウグスタは、一声嘶いて空を舞う。月の虹に向かって手を伸ばすと、幸せの欠片を掴めそうな気がした。 「ふふ、ねえ星頼、誕生日は覚えてる?」 「誕生日って何?」 人の習慣を知らない星頼に「生まれた日のことよ」と、フェンリエッタは囁いた。 「生まれてきてくれてありがとう。ひとつ大人になっておめでとう。この一年よく頑張ったね。新しい一年は何を目指そう。自分を褒めて労って、皆でお祝いする日を作るの。毎年を楽しみにできるわ。ね、楽しそうでしょ?」 「でも生まれた日のことなんて、おかあさまに教わらなかった。わかんないよ」 アヤカシに育てられた子供たちは、自分の生まれた日を知らない。 俯く星頼に、フェンリエッタは「奇遇ね、叔父様の子達も知らないのよ」と告げた。 「だから自分達で決めたのですって」 「自分で生まれた日を決めるの? いつなのか分からないのに?」 「誕生日は一年に一日だけ。勿論分かればいいけれど、分からない場合は自分で特別な誕生日を決めて、大事にしたっていいの。毎年誕生日を祝って、歳を重ねて……いつか星頼も、叔父様の様に男の人になるわ。星頼は……どんな大人になりたい?」 言葉を繰り返して悩む星頼を見て、フェンリエッタは月に願った。 どうか人を愛する人になって欲しい、と。 次々に飛び立つ龍を見上げていたアルドの隣へ、无(ib1198)は空龍風天を連れて戻って来た。夜色の空龍が大きな頭を下ろし、片目でアルドの顔を覗き込む。 「空は飛んだことがあるかね?」 无はゴーグルとキャスケットを差し出した。乗るかね? と暗に尋ねると、アルドは迷いなくゴーグルを装着した。小柄な体をベルトで固定した後、无の手が手綱を握った。 「いい感じの藍色の深い空だ。行くぞ」 「ひわっ!」 アルドの変な声を羽ばたきがかき消す。急激な上昇に対して、心の余裕は無いようだ。 船が手の平より小さくなったところで、无は「ごらん」と天上を指差す。落ちないようにしがみついていたアルドは、青い顔で下ばかりを見ていたが、月が浮かぶ夜空を見て動きを止めた。 「寒いけど……静かだ」 「考え事にはいい場所だろう。……いい月だねぇ。ああして白いのもあれば、淡い色彩の七色な月虹もあるらしい。いつか出会えるといいね」 アルドが月虹に手を伸ばす。決して届かぬ幻に、少年は何を見たのだろう。 弖志峰 直羽(ia1884)は、甲板の片隅で、水鏡 雪彼(ia1207)を膝に乗せていた。 水鏡が体重を弖志峰に預ける。今までは養父にしか預けられなかった背中を、別の男性に預けていることを……今は不思議とも感じない。それが命を預けられる存在に昇華している印だと、水鏡は感じていた。 『今は直羽ちゃんが支えてくれる。雪彼のお日様。どんな冷たい心も溶かしてくれる人』 手放せない。譲れない。 誰にも。 互いに眩暈がするほど満ち足りた時間の中にいた。 「こういう時、なんていうんだっけ……『月が綺麗ですね』かな」 ふいに弖志峰が、耳慣れた言葉を囁いた。物語ではよく愛の告白に例えられるお決まりの囁きに、水鏡は笑顔で頷く。外套ごとかき抱いて体温に擦り寄る。 「雪彼」 「なぁに、直羽ちゃん」 弖志峰が水鏡の薬指に口付ける。その所作を、水鏡はじっと見ていた。 「……ジルベリアは、指輪を贈るんだよね」 「うん。そう聞いてる。どんなのがいい? あの月虹みたいな銀かな。なんでも言って」 けれど水鏡は首を横に振った。 はっきりとした声で「雪彼は、指輪いらない」と告げた。拒絶とも取れるような声は、全く別の言葉を綴る。 「直羽ちゃんに口付けされるのがいい。雪彼は、直羽ちゃんと一緒に生きたいから」 絡めた指に力が篭った。 高価な贈り物はいらない。未来を知る事は誰にもできない。だからこそ宝石の輝きすら霞む約束が欲しい。水鏡の真摯な瞳に映り込んだ月虹の輪を見て、弖志峰は微笑んだ。 「俺は一緒に生きるよ。雪彼と離れるなんて考えられない」 誓いの口づけを首筋に落とす。 願わくば、一年後、二年後、そして共に命尽きるまで……変わらぬままであるように。 売店には人だかりができていた。 「ホットワインを二つ。ひとつは甘めで、普通より長く煮てください。こちらの淑女に」 盃を受け取った尾花朔(ib1268)は振り返って片目を瞑った。 「あったまりますよ、紫乃さん」 泉宮 紫乃(ia9951)が「ありがとうございます」と微笑んで、葡萄の赤紫を覗き込んだ。 ぽっかりと浮かぶ月に、白い虹が浮かび上がる。 甘く香る美酒につまみを持って席に座り、毛布にくるまった泉宮は「夜風は寒いですね」と囁いて尾花に身を寄せる。抱き寄せてきた腕の力に、心臓が跳ねた。 「ええ、寒いですからもっとこっちへ。月の虹、綺麗ですね」 上目遣いで尾花の様子を伺い、目があった瞬間に頬を染めて俯いた。挙動不審さを隠そうとホットワインに口をつけ、一気に酔いが回っていく。 月を見上げて半刻とたたぬ間に、こてんと泉宮の頭が傾く。 「大丈夫ですか……って半分、夢の中ですね。暖かい部屋に戻りましょうか。大丈夫、狼にはなりませんよ?」 素直に「はい」と頷いて微笑む無防備さに、尾花の心も少しぐらついた。これくらいは運び賃として許されますよね、と内心誰にともなく呟いて、白い額にキスを落とす。 「幸せな夢を……いえ、共に幸せになりましょう? 紫乃さん」 抱き上げた婚約者に囁きながら、月の虹に誓った。 空龍トモエマルの背に乗り、燥ぎ倒している旭を抱えつつ、刃兼(ib7876)は『元気だな』とやや疲れ気味の顔をしていた。元々は人見知り気味で背後に隠れていた旭が、今や馴れる……というより一度気を許した相手の前では『我』が出てきているような気がする。 『前のは遠慮や恐怖心とか、なのか』 「うー、トモちゃん、もっとうえー! うえがいいー!」 手袋をはめた幼い手で、鱗をぺちぺち叩かれたトモエマルが、更に上昇を始める。 晩秋の夜、しかも普段は雲が漂う高度に居る為、防寒着を着ていても相当寒いのだが、旭は元気だった。横目で他の仲間と子供達を見ていると……全員高い場所が平気、という訳でもなさそうだ。 「ふぇー。あれ、お月様の虹?」 「月虹を見るのは俺も初めてだな。見事――いや、美事なもんだ」 世の中には、まだまだ自分の知らないことや、見たことのないものが多くある事に気づかされる。 ふいに「くしゅん」と旭がクシャミをした。 「ここは寒いからな。降りたら、何か温かいものをもらおうか。掴まってろ」 「うん! 旭ね、あったかい牛乳がほしい」 楽しそうな旭を見た。 まだ年若い自分を『父親』に望んだ少女の未来を、どう受け止めるべきか。家族になれたら嬉しいと思う反面……一生を左右するだけに簡単に決められる事ではなかった。 『……最大の難問は、嫁さん探し、かなァ』 頭を掻きながら、船に向かって下りていく。 最近の柚乃(ia0638)は仕事選びを相棒に任せることが増えていた。提灯南瓜のクトゥルーが持ってくる依頼は時折眉をひそめるものが含まれているのだが、今回の警備仕事は特に断る意味もない。クトゥルーはふわふわと甲板を飛び、心なしかご機嫌だった。 「誰か待ってたんじゃないの」 「そういえば、また兄様の姿が見えない。……まぁいいや。樹里ちゃんがいるし」 ふよふよと人妖の樹里が虚空に漂う。柚乃は提灯南瓜も呼んだ。 「くぅちゃん、預けていたお菓子出して? ……て、あれ?」 提灯南瓜に預けていたお菓子が半分なくなっていた事に苦笑いしつつ、残りのさつま芋クッキーとお茶でほっこりと一休み。 「乾杯」 「かんぱーい」 たまには静かな夜を過ごすのもいい。 大勢の人の瞳に宿った、月の虹。 豪華客船初日の夜は、願ってもない幸運に包まれた幕あけとなった。 |