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■オープニング本文 侍女ポワニカ。 その一日は、規則正しい朝から始まる。 夜も明ける前から起き上がり、顔を洗う。前夜に仕入れた簡単な食事を食べると、歯を磨き、鼻の穴から耳の穴まで綺麗に確認。ジルベリアで知られたお仕着せを身に纏うと、ふわふわの猫髪を綺麗に整えて、カチューシャをかぶる。 身だしなみを整えたら、女主人の部屋の前に直立不動で待つこと数分。懐中時計で朝六時の時報を正確に計るのが規則だった。 「おはようございましゅ、名も無き君」 部屋に入って窓を開ける。 「うーん、かしこまってさがりたまへ」 かしこまりつつも、容赦なく布団をはぐ。 すると高価な絹のネグリジェに身を包む、金髪壁眼の女性が大の字で転がっていた。 目も当てられない…… などと嘆くほどポワニカの精神は柔ではなかった。 まだ夢の中の女主人を強制的に立たせ、顔を洗い、歯を磨き、洋服を着替えさせて、薄化粧を施し、豪奢な髪を整える。一連の動作が終わる頃には『名も無き君』と呼ばれた女主人も、多少は覚醒したのか、あくびをかみ殺した。 「最近は寒くなってきたね」 「はいでしゅ。今朝、霰が降りました」 「雪か。ジルベリアを思い出すね。ああいやだ。うまいものがあるから此処にいるけれど、陽州やアル=カマルが恋しく思えるよ。ポワニカ、今夜から布団に懐炉を入れてくれ」 「はいでしゅ」 愚痴やわがままにもイヤな顔一つしない。 一見、ポワニカは少女であるが、実年齢は主人が把握していないほどには年輩であった。ポワニカに衣食住、全ての面倒を見てもらった後に始める事は……『食い倒れ』と『綺麗な男女探し』である。 男装の麗人は食欲と煩悩の赴くまま、実家の財産を食いつぶしながら遊学していた。 誰に何を言われても湯水のように金を使う。 彼女は、それが当然の権利だと考えているし、周囲も嘆くばかりで……決して止めはしない。 傍若無人な旅を続ける女主人の、世話役兼監視役として同行しているのが、腕利きの魔術師であるポワニカだった。 しかしポワニカの本当の主人は、彼女ではない。 「失礼いたします。憂汰様、ジルベリアよりお手紙が届いております」 宿の支配人が一通の手紙を持ってきた。 しかしそれは憂汰宛ではなく、憂汰の次女として同行しているポワニカ宛だった。手紙には日付と薔薇の印が質されていた。 組織の者のみに分かる『召還状』であった。 +++ その夜、ギルドで護衛の仕事が出た。 「2日間ほど代わりに世話をしてほしい?」 「はいでしゅ」 紅茶を優雅な仕草で頂くポワニカと名乗った少女は、開拓者達に『麗人の子守』を頼んできた。 「我が君の夫君から連絡があって……一度ジルベリアの邸宅に帰国しなければならないのでしゅが、名も無き君は帰宅を好まないのでしゅ」 開拓者が眉をひそめた。 「名も無き君って、憂汰さんのこと?」 「そうでしゅ。本名があるのでしゅが『僕の名前じゃない』とおっしゃるので、我々はそう呼んでいましゅ。皆さんは、仮名の『憂汰』でよいと思いましゅよ。兎も角、私が戻るまで名も無き君の世話係と監視をお願いしましゅ」 お嬢様の監視ならお安いご用だ。 と自信満々な顔を見て、ポワニカは「気を抜くと逃げられましゅよ」と警告した。 「名も無き君は、志体を持っておられましゅ。幼い頃から身の危険にさらされていましたから、開拓者同等の身を守る技術をお持ちでしゅ」 雲行きの怪しい話に「命をねらわれているのか?」と訪ねると、ポワニカは「今は違いましゅ」と手を左右に振った。 「数年前に片づいた話でしゅから。ただ……身につけた技術を、煩悩の赴くままに活用しておられるのでしゅ」 元々魔術師としても騎士としても一流。 天儀にきてからはシノビの技術と吟遊詩人の技術に磨きをかけているらしい。 家の金を湯水のように使っている分、習得にかかる大金の壁は無いも同然なのだとか。 なんという自由人だ。 「な、何か弱みはないの、かな」 護衛が不安になってきた者がぽつりと一言。 「まず美食でしゅね。珍しい食べ物や酒に目がないでしゅ。次に美女と美男子。こちらはおさわりは勿論、朝までつき合わされるので注意が必要でしゅ。別枠で面白そうな事や珍しいこと、あとは芸術品を賛美する腕でしゅか」 「げ、芸術品って」 「元々貴族の令嬢にはかわりないでしゅから。美術品や美食について、いかに美辞麗句で飾りたてて相手を負かすか、という所に情熱を傾けるところがありましゅ」 ポワニカは立ち上がった。 「名も無き君は、寺町の高級旅館でねておりましゅ。薬の効果は朝六時で切れてしまいましゅから、ご注意を」 主人に一服盛った侍女は荷物を背負った。 「もう旅立つのですか?」 「精霊門は0時開門でしゅからね」 かくして、あわただしい日々が幕を開けた。 |
■参加者一覧
露草(ia1350)
17歳・女・陰
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰
藤本あかね(ic0070)
15歳・女・陰
瀏 影蘭(ic0520)
23歳・男・陰 |
■リプレイ本文 話を聞きおえた竜哉(ia8037)は『自由人、ねぇ』と思案顔。 既に給仕姿で準備万端の秋桜(ia2482)はポワニカと雑談を交わす。 「ふぅむ。ご令嬢ですかぁ。私はお仕えする方ですからよく分かりませぬなぁ」 「ともかく任せたでしゅよ」 「はう、かしこまりましたぁ。ポワニカ様の代わりに家事をこなしつつ、それとなく監視を致しておきましょう」 侍女ポワニカが精霊門へ消えることを確認した藤本あかね(ic0070)達は、憂汰が目覚める時間までどうするか話し合った。その結果、まずは陰陽師の瀏 影蘭(ic0520)と御樹青嵐(ia1669)が、夜も眠らぬ飲み屋街の裏市場で各種食材を調達してくる事に決めた。 「毎度毎度、かの御方には苦労させられます……しかし、この際です! 普段食材が高くて挑戦できない料理に挑んで見せましょう!」 人妖緋嵐を肩に乗せた御樹は『目にものを見せて差し上げます』と、宿敵憂汰への闘争心で燃え上がった。 一方の瀏は着々と二日間のメニューと仲間へのまかないを書き出す。 「ふふ、面白そうじゃない。男装の麗人のお世話が待ってることだし、二日分の食材となると大量だから手分けしましょ」 「いってら〜、当分の菓子も頼むぜ」 陰陽師二人を見送り、提灯南瓜の口にその場の駄菓子を詰め込んだ緋那岐(ib5664)は「憂汰女子の監視がんばらねぇとな、逃すな危険っていうし」と頬を掻く。 「じゃあ、俺は寝るから」 竜哉は相談室でごろりと横になった。 藤本が「えー!?」と困惑の眼差しを向けたが「大丈夫」とのんきな返事が帰ってくる。 「憂汰が起きるのがおよそ六時。起こすことから始まって身支度まで一時間は使うだろう? 女性の着替えを見るほど野暮じゃないし、朝食担当はもう決まったみたいだしな。交代に備えて寝とくさ。時間までには宿に行く」 人妖が「起こしていくから心配ないぞ」と手を振った。 露草(ia1350)の上級人妖衣通姫は「お宿で待ってるの〜」と同胞に声を投げる。 緋那岐も「俺も寝れるうちに寝る」と言って横になる。 様子を見ていた秋桜は「私は2日間、完徹の術で頑張りましょうかね」と肩を鳴らした。 夜の闇は、まだ深い。 そして新しい朝が来た。外で鶏が鳴いている。 憂汰に盛られた薬の効果が切れる前に、全員が食事を摂取した。露草が「ごちそーさまでした」とホクホク顔で皿を片付ける。上級人妖衣通姫は「おいしーごはん、よかったね」と無邪気に笑った。 「やだなぁ、いつきちゃんったら。私は青嵐さんのおいしいご飯がおなか一杯、しかも素材が素敵に高級だ! なんてことにつられてやってきたんじゃありませんよ。ええ、決して……おや、憂汰さんが起きたみたいですね」 多くの陰陽師が人魂で監視を強化していた。交代とは言え、練力を使い続けるわけだから、練力がすっからかんになりかねない。 「戦いのはじまりね」 立ち上がった瀏に、露草が「ですね」と相槌を打つ。 「お話を聞く限り、ポワニカさんは憂汰さんのご要望には全て応えていたようですし、それに近い環境を目指さねば!」 憂汰の起床をしらされた仲間たちが次々と部屋へ入る。 「おはようございます。憂汰さん」 輝く笑顔の瀏は、何故かお仕着せにカチューシャを纏っていた。誤解のないように言い添えておくと、歴然たる男性だが、このさいそんな事はどうでもよろしい。 「もごー!」 憂汰さんは布団の中で猿轡をかませられ、荒縄で簀巻きになっていた。ポワニカが憂汰のもとを離れることに、どれほど不安を感じているのか肌でわかる光景である。 藤本たちは目が点になりつつも縄を解き、寝巻き姿の憂汰の前に並んだ。 「ふぅーやれやれ、久々にハードなプレイだったよ。縄抜けすべきか少し迷ってしまった」 キラキラ輝く横顔に『縄抜けできるんかい』と言葉にできない質問を投げてみたい。 「で、君たちが代わりという訳かい」 「はい〜、秋桜です。お見知りおきくださいませ〜」 次々に挨拶する女性陣と女装1名。男性陣は着替え後まで待機だ。 「今日から二日間、ポワニカさんの代わりにお世話をさせて頂く事となりました、瀏影蘭と申します。どうぞ良しなに……身支度が整い次第、ご朝食をお持ちいたします」 瀏がスッと身を引いて厨房に戻ると、入れ替わりで秋桜と露草、藤本の三人が着替えのために憂汰を取り囲む。 上級人妖鶴祇と衣通姫は汗を吸ったシーツを剥ぎ、枕を覆っていた布なども真新し物に変えていく。 本日の朝食の献立は、鮭ときのこの包み蒸し、とろろ昆布のすまし汁、五穀米の3種という瀏の選んだ素朴な味だ。朝という条件を踏まえた勝負どころだが、憂汰は文句も言わずに食べている。 「おはようございます、憂汰さま。ご挨拶が遅れましたことをお許し下さい」 竜哉が騎士の振る舞いで自分や緋那岐たち男性陣を紹介する影で、さっぱり顔をださない御樹は、不気味な笑いで帳簿を作っていた。人妖緋嵐が「それどうするのー?」と不安そうに見つめる。 「勿論、憂汰さんに全ての諸経費を請求する為ですよ。これも任務の為仕方なき事です」 尊い犠牲なのです、と言わんばかりだが、彼は知らない。 働かない憂汰を養っているのは……本国の親族たる姉夫婦である事を! 竜哉の提案した下町の遊びに全く興味を示さなかった憂汰は、流石に初日なだけあって、開拓者を玩具にする事にしたらしい。最初の標的となったのは、ついうっかり『あ、あははは……お話し相手、なりますよ、よろこんで!』と言い放った藤本だった。 『ふふふ……ではこれに着替えてもらおう』 不気味に笑う憂汰が持ち出した衣装は、堅苦しい騎士の礼装だった。男装である。しかし露出が少ない事に胸をなでおろしたのも束の間、なんと前が締まらない。ぴっちぴちだ。 挙句、素足で憂汰の膝の上に座るよう命じられる。 「こぼれそうなナイス乳だ」 「うぐぐぐぐ……屈辱、屈辱ぅ!!」 顔を真っ赤にしながら前をかき抱く藤本。料理のような特別秀でた芸当がない事を悔やんでいたものの、若さを武器にしたら、とんでもない結果になった。十時のお茶と茶菓子を運んできた御樹が「藤本さん、あなたの勇姿、忘れません」などと言っている。 「いやぁぁぁ見ないでぇぇ!」 「ふふふ、さて僕のお人形ちゃん。タルトを食べさせてくれたまえ」 本日、十時のティータイムは竜哉の選んだリンゴタルトに紅茶を用意である。 「憂汰さん、他にご要望の衣装があれば揃えてきますよ?」 輝く笑顔の露草は、筆記用具持って希望の取りこぼしが無いよう準備万端だった。 救いを期待した藤本の「うらぎりものー!」という声が響く。しかし憂汰はお構いなしだ。 「そうだなぁ、アルカマルの踊り子なんかいいね。すっけすけで」 「はいよろこんでー!」 ある理由で必死な露草、他人(藤本)を売る。 屈辱に咽び泣く藤本の顎を掬い上げた憂汰は「涙なんて似合わないよ」と、朝に比べて三割増の笑顔を向けた。誰のせいだ、誰の、と反論する暇もなく告げられた慰めの言葉は。 「なんなら……僕の231人目の愛の奴隷にならないかい?」 「結構です!」 「残念。で、なんだい。その美しくないオブジェは」 部屋の隅で置物を装う提灯南瓜。 不審顔の憂汰に、緋那岐は「気にしないでくれ」と力なく答えた。憂汰の視線が藤本達に向くと、提灯南瓜はふわりと漂う。振り返ると止まる。怪奇現象を装った仕草に、無表情の憂汰が銀食器のナイフを容赦なく投擲した。 提灯南瓜の手前に刺さって、びょんびょん揺れる。 「南瓜が逃げたよ」 「今の動き、打剣の技術でございますね」 ごく自然に技を繰り出す憂汰の動きに対して、着目する秋桜の分析が冴える。 「そういう話じゃないだろ! 待てって! こらー!」 逃亡した提灯南瓜を緋那岐が追う。 そんな騒ぎにちーっとも干渉しない瀏と御樹は「まだ元気ねぇ」とか「そうですねぇ」等と縁側で茶を啜る老夫婦のような会話をしながら本日の夕飯と明日の仕込みをしていた。佛跳牆様々な高級人参や干しアワビ。最高級な乾物を壺に詰めて一晩寝かす。 散々、開拓者をからかった憂汰の昼食は、瀏の用意した平打の米粉麺と牛肉のスープだ。 部屋の片隅では『今まで経験した娯楽を教えてくれ』と真正面から挑んだ竜哉が、教えられたものが多すぎて『憂汰が納得する娯楽』にとらわれるあまり思考の海にどっぷりとはまって唸り続けている。瀏は不憫に思いつつも、さくさくと仕事をこなす。 「憂汰さん。アフタヌーンティーもジルベリア式にしようと思うのだけど如何かしら」 「ほう。二度目のティータイム。君たちに僕を満足させることができるのかな。さっきは藤本くんが面白かったから許可したが、同じものは却下だ。僕の好みはうるさいよ?」 挑戦的な眼差し。 しかし傍らの露草は手帳を見てニッコリと微笑み。 「ホットですか? アイスですか? 茶葉の種類やお湯の温度は? リンゴで香りを添えますか? 砂糖の種類は何がよろしいでしょう。白ですか、黒ですか、キビですか。旬のジャムを代わりに使いますか? それとも無糖? 檸檬を添えますか? ミルクにします? 牛の品種はいかがしましょう。それともアルカマル産の珈琲をご用意しましょうか」 一同、沈黙。 用意周到な娘は、容赦がなかった。憂汰がたじろぐ。 「……ジルベリアの、ラスカリタ家御用達茶葉店『プシュケ』の一級茶葉オレンジアマレット。ポットの温度は94度、……ミルクと砂糖とジャム類は、結構だ」 「かしこまりました。……だ、そうですよ」 かくして。 三時のティータイムは聞き出した茶と竜哉提供のオータムクッキーで恙無く完了する。 「しかし君、隙がないね」 クッキーをパリパリ食べながら憂汰が露草の笑顔を見る。 「そりゃあ、もう! ポワニカさんの満たしていた日々に劣るまいと皆必死ですから! ……それでその、もしよければなんですが」 「なんだい」 「来年の開拓ケットまで時間がありません。その衣装のデザイン面について、春や夏の開催に備えてご意見を伺いたく!」 俗称、カタケット。 それは有名な開拓者の皆様に、萌えて悶えて煩悩を具現化する奇特な趣味を持つ一般人の祭りである。残念ながら冬の開催は一ヶ月を切っており、もはや生産や発注が間に合わない。よって露草は考えを改めた。次の支度が間に合わないなら、その次を目指して支度をすればいいのだ。なにより憂汰はカタケットの支援者の一人であり、頻繁に祭に顔を出していた。 「とはいえ、うちの『じんよーもえ』は人妖・羽妖精を中心とした相棒向け商品が主体なので、憂汰さんの専門とはちょっと違うかもですが」 「ふ、甘く見てもらっては困るよ、君」 プライドに発破をかけた露草は『さぁ、大いに語らおうではありませんか!』と身構えている。冬に流行すると見られる泰国(たいこく)装束や文様について語りだす憂汰は、熱心な露草を見て「君は縫い物などの芸術家だね」と笑った。 「そうでしょうか。あ、最近塗装も興味あってですね、『オリジナル嫁ペイント始めました』ってのはどうでしょう? 近年グライダーも出てきましたが、アーマー系お洒落はまだまだ未踏の分野だと思うんですよね!」 何故か、竜哉が「詳しく聞こう」と傍に立った。 ちなみに逃亡した提灯南瓜を捕まえて戻ってきた緋那岐は、そそくさと物陰に隠れ、提灯南瓜は「かたけっと、なに?」と露草達の話題をきいて、物欲しそうに話へ参加した。 藤本という着せ替え人形状態の被害を除き、露草たちの白熱した会話は数時間で終わるフシがなく、瀏と御樹はこれ幸いと晩御飯作りに専念し、秋桜は黙々と寝具を整えた。 ちなみにディナーは豪華海鮮丼と竜哉秘蔵の壺漬けカルビだ。 就寝まで喋り続ける露草に相手を任せた瀏は、沐浴後の髪を整える作業などを地味に続けた。 「憂汰さんは肌も髪も綺麗ね。美容の秘訣は何かしら……と聞きたいところだけど、もう十二時だしまた明日ね」 ぱたりと扉をしめつつも、人魂による監視はかかさない。 夜間警備は眠気を実力でねじ伏せた秋桜と、朝に仮眠をとった緋那岐と竜哉が担当だ。 やっと解放された藤本が着替えに行くのを見送って、竜哉がふいに尋ねた。 「明日の晩御飯の食事って決まってるのか?」 「いいえ、まだよ」 「じゃあ美味い下町料理をベースに皆で食べる形式なんかどうかな。豪快に焼肉でもいいかもな。皆で料理をする、それも一つの娯楽じゃないか?」 御樹は「憂汰さんがおとなしくしてれば、ですけどね」と明後日の方向を見上げた。 そしてやってきた正念場。 瀏は執事服で朝食を運んできた。 朝食はとろけるチーズと、御樹が自信を持ってすすめる生みたて卵を使った、半熟卵チーズご飯。さらに新鮮で糖度の高い蜜柑のジュースを添える。 緋那岐と竜哉は仮眠に行き、やや疲れの色を見せる秋桜も意地で寝具を整え、上級人妖鶴祇は、憂汰の美意識に訴えかけられる精緻な刺繍のハンカチを作り、意見を伺ったが……なんだか会話が上滑りしていく。 「いかんな、飽き始めておるぞ」 「昨日お宿で静かにしてたのは奇跡ねー」 「まだ一日ありますね」 人妖の鶴祇、衣通姫、緋嵐が、開拓者たちの焦る様子を眺めながら危機感を感じる。 朝食と十時のお茶をつないだのは、藤本と緋那岐だった。 「ほーらミヅチの水芸です、式神もどんどん作りますよ!」 「次」 退屈が顔色でわかる。昨日の溺愛ぶりが何処かへ消失。 憂汰が窓の外を見始めたので、緋那岐は提灯南瓜を生贄に差し出した。他大陸からやってきたと言われる提灯南瓜は妖精の一種で、人里で見かけるのは勿論、開拓者の側にいる数も圧倒的に少ない。真面目に解説すると珍しがって興味を引くことには成功したが……提灯南瓜を凝視して、食後のお菓子にパンプキンパイを所望する冷徹さも伺えた。 ああ、怯える妖精を見て楽しんでいる。 それでも「要望には応えるさ」と言い切った竜哉は、パンプキンパイを用意していた。 しかし、開拓者の努力が実ったのは二日目の昼までだった。 「気分が悪い、少しだけ一人にしてくれ」 憂汰が神妙な顔でそう言い放ったので、人魂だけ部屋に隠し置いて、一同は廊下へ出た。 すると憂汰は急に衣装を着替えて外套を羽織、窓から脱走を開始。 「世界が僕を呼んでいる!」 この時のことを後に秋桜が『はう、絶対やると思いました』と語っている。 それはさておき憂汰の脱走に気づいたのは、起床していた御樹、藤本、露草、瀏の四人であった。秋桜が同じ道筋を追いかけ、人魂のネズミたちが追いかける。 「大変よ! 脱走したわ! 標的は窓から踊り場へ移動、一階へ降下中!」 野点に備えて着物に着替えていた瀏が叫ぶ。 寝たばかりの竜哉と緋那岐もたたき起こされた。 憂汰を見失ったら報酬はない! 「全出入口閉鎖! 他のお客さん申し訳ありません!」 謝りつつもやめない。藤本たち陰陽師総出で結界呪符による閉じ込め作戦が決行された。 「いざ、尋常に勝負だ!」 緋那岐は焦りつつも『相手は強敵だが、ここでひくわけにはいかねぇ』と間合いをつめていく。 「はーっはっは、この程度で僕を封じ込めたつもりかい!? 笑止! 結界呪符は精々10分、そしてその前に脱出する方法などいくらでもあるさ! わーはっはっは!」 「そんな風に喋る余裕をみせていてはいけませぬよ」 秋桜は憂汰を影で縛った。 やれやれ危なかった、と緊迫した空気が晴れていく中で、秋桜は驚くべき行動に出た。 「せめて脱走の理由をきいてもよろしいでしょうか」 「世界が僕を呼んでいるのだよ! そして酒のない生活など耐えられないね」 「はう、さようでしたか。酒屋などでの飲食なら……朝まででも付き合いますよ!」 拘束をといた。 ついでに憂汰とがっちり手を結んで、共に逃亡を試みた。 「なにぃぃぃぃ!」 緋那岐たちの叫び虚しく、憂汰と秋桜は街に消えた。 見失って十二時間後のことである。 「昼は焦りましたよ、まったくもう」 「やや、失礼致しました。これも作戦というやつです」 秋桜は帰ってきた。 完全に酔いつぶれた憂汰を、縄で縛り小脇に抱えて。 むやみにとめて逆効果なら満足するまでつきあい、協力を装って常時監視を続ける。そういう手段に出たのだ。脱走時に同化していた迅鷹すっちーを連絡役に使い、居場所をしらせながら酒屋を回って、憂汰を潰した。 籠の鳥は結局、籠の鳥。 午前零時に帰ってきた侍女ポワニカは「依頼はこなしてくれたようでしゅね」と御樹たちに歩み寄ってきた。 「ええ。それではポワニカさん。たてかえの返済をお願いします」 御樹は、分厚い帳簿を輝く笑顔で差し出した。食材と技術を注ぎ込まれた結果は、明細の屍である。そして秋桜も飲み食い珍道中で重ねた出費は、きちんと記録して帰ってきていた。 ポワニカは顔色ひとつ変えず、その場で精算した。 「ご苦労様でしゅ。……また寿々達から使い込みの問い合わせがきましゅね。やれやれ」 どうやら同僚たちと金の管理でもめているらしい。がんばれ、としか言い様がない。 「あ、そうだ。相棒から手紙を預かってきたんだった。渡しといてくれ」 「いいでしゅよ」 緋那岐は一通の手紙をポワニカに託す。 「つかれたなー」 「ええ、この『お嬢様』はかなりの曲者だったわね。と、そうだ」 仕事の安請け合いを後悔していた瀏は、それでも意識のない憂汰に「憂汰さん。またお逢いする事があったら――その時は本当のお名前、教えてね?」と囁く。竜哉は憂汰の寝顔に『この人は、寂しさや……やりきれない何かを抱えているのでは』と考えはしたが、答えは夢の中だ。 憂汰を受け取ったポワニカが依頼料を支払い、開拓者たちの任務は恙無く完了したのだった。 |