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■オープニング本文 孤児院から定期報告の手紙を受け取った開拓者たちは、仲介役である陰陽師――――の使いとして雑務を請け負っている人妖を探し出して、問いただした。 「樹里、これはどういうことだ」 「わ、私は裏事情を横流ししただけよ。決定事項だし知ってたほうがいいと思って」 押し黙る一同。 「それはそうだけど。少しやっかいなことになったわね」 此処にいない陰陽師の飄々とした横顔を思い浮かべて、何人かが舌打ちした。 +++ 神楽の都、郊外。 寂れた孤児院に隔離された、志体持ちの子供たちがいる。 彼らは、かつて慈悲深き神を名乗った大アヤカシ生成姫を『おかあさま』と呼んでいた。 自らを『神の子』と信じて。 子供たちは自我が芽生えるか否かの幼い頃に本当の両親を殺され、親に化けた夢魔によって魔の森へ誘拐された『志体持ち』だった。浚われた子供達は、魔の森内部の非汚染区域で上級アヤカシに育てられ、徹底的な洗脳とともに暗殺技術を仕込まれていたらしい。成長した子供達は考えを捻じ曲げられ、瘴気に耐性を持ち、大アヤカシ生成姫を『おかあさま』と呼んで絶対の忠誠を捧げてしまう。 偽りの母である生成姫の為に、己の死や仲間の死も厭わない。 絶対に人に疑われることがない――――最悪の刺客として、この世に舞い戻る。 その悲劇を断つ為に、今年81名の開拓者が魔の森へ乗り込んだ。 里を管理していた上級アヤカシ鬻姫の不在を狙い、洗脳の浅い子供たちを救い出して、人里に戻したのである。 しかし。 救われた子供たちを一般家庭の里子に出す提案は、早々に却下された。 常識の違う子供たちが里親に害を出さないという保証は、まるでなかった。 洗脳は浅くても、幼い頃から徹底して戦う訓練を積まされた子供たちは、人間社会の常識を知らない。 日常生活を通した訓練による体力増強、度重なる友殺しの強要で痛む心を忘れてしまった。 子供たちはアヤカシに都合の良い価値観の中で、その人生の大半を過ごしてきた。 殺すことは美徳だった。 『子供たちの教育には、長い時間がかかります』 生成姫に関する研究の第一人者である封陣院分室長、狩野 柚子平(iz0216)は子供の未来を案じる開拓者にそう告げた。 少しずつ、根気強く、正しい『人の道』に戻すしかないのだと。 だから毎月。 開拓者ギルドや要人、名付け親のもとに孤児院の院長から経過を知らせる手紙が届いていた。 +++ 半年前に比べ、子供達は『子供らしさ』を取り戻し始めている。 感性や常識をゼロから教えていくことの難しさを痛感しつつ、それでも開拓者たちの努力は実りつつあった。先日の夏祭りでお金の扱い方を覚えたり、商売にも触れて、いよいよ紅葉の季節で様々な体験を……と思っていた矢先のことだ。 柚子平は「子供達全員を五行の結陣外れの社につれていき、数日間ほど菊祭の手伝いをさせる」と言い出した。 「職業体験、というやつですよ。参拝道途中に毎年『菊花膳』を売り物にしている小料理屋があるのですが、そこで実際に働かせるんです。殆ど籠を持って菊花摘みか、摘んだ花を洗ったり茹でる下ごしらえが主な仕事で、忙しい時に接客に出る。その程度でいいのです。賑やかな夏祭りと違って、来客も比較的年配が多い。季節の移ろいと共に、人に馴染めます」 既に小料理屋にも申し込み、子供たちが数日感寝泊りする寂れた宿も手配済み。 急に話を聞かされて手際の良さに首をかしげた者もいたが……嫌な予感はよくあたる。 人妖樹里が書き添えた文面には『子供達を嫌う大人がくる』と書かれていた。 「だからね。官職についてた人達だけど、悉く『生成姫の子供』に対して……全員殺処分にするべきだ、って主張してた人ばかりなのよ。更生させられる訳がないって決めつけて、聞く耳もたない年寄りばかり。救出した子達を、人里に復帰させる相談になった途端、騒ぎ出して」 「つまり客を装ってアラ探しにくるのね」 「危険性を引き出そうって腹か」 「何故早く知らせなかったの」 皆が人妖に詰め寄る。 「その方が自然体でいられると思ったのですよ。身構える必要もない」 突然現れた柚子平は、人妖樹里の首根っこを掴んだ。 「知られた以上、仕方がありません。子供たちを危険視しているご老体たちが菊祭にきます。客として。そこで子供らが無害である事を実証しなければならない。手伝ってくれますか」 「……俺たちは?」 「毎年、菊祭の警備員はギルドで募集がありました。何人か、足を運んでいた方もいるでしょう。今年の警備募集枠を、皆さんの名前で確保してあります。腕章を渡しますから、会場をうろついても疑われることはないかと。警備しつつ、上手く立ち回ってください」 柚子平は無茶難題を言った。 後日、何も知らぬ子供たちに『菊祭のお手伝い』に関してのみ伝え、やりたい手伝いも調べた。 籠を背負って石畳の長距離を移動する菊花摘みを第一希望にしたのは【桔梗】【春見】【エミカ】【イリス】【未来】【華凛】【スパシーバ】【仁】【和】の9人。 小料理屋で皆が運んでくる菊花の仕込み作業を希望したのは【結葉】【灯心】【明希】【旭】【のの】【のぞみ】たち6人。 接客の希望は【アルド】【恵音】【星頼】【到真】【礼文】【真白】の6人。 けれど。 望み通りの作業を手伝わせるか否か、は吟味しなくてはならない。 何しろ接客を担う子供は、間違いなく老人たちの標的になる。 無茶な注文、横柄な態度、そして彼らを刺激するであろう生成姫の話題や理不尽な中傷の数々。 だから心無い叱責に耐えられる子でなくてはならない。 半年間の教育成果が問われるのだ。 +++ かくして何も知らぬ子供たちは五行へ渡った。 毎年この時期になると、結陣の外れにある寂れた社は菊祭で息を吹き返す。 紅に桃色、黄金に真珠。 視界に広がる大輪の菊花が、観光客を出迎える。 大菊、中菊、古典菊、小菊と。その数およそ4000鉢。 朱塗りの鳥居が立ち並ぶ参拝道の両脇には、地元民が育てた渾身の菊花が隙間を埋めるように並べられていた。石畳の花路から丘上の境内へ進むと、一本の幹から伸びた巨大な花手鞠が人々を圧倒する。これも全て菊だ。千輪近くの菊花を円形に仕立てた大数咲。境内を彩る風景花壇には三万本の菊花が惜しげもなく飾られる。 人々は丹誠込めて育てられた菊を眺めて心を和ませ、参拝道途中の小料理屋で『菊花膳』を楽しんでいた。 菊花膳とは、菊の花を使った花の膳だ。 白菊が繊細な吸い物に、黄菊が華やかな菊ご飯。紫菊のおひたし。酢の物に胡麻和え。菊の天ぷら。 見て楽しみ、食べて楽しむ。 花摘みと給仕の、忙しい菊祭が始まっていた。 |
■参加者一覧 / 芦屋 璃凛(ia0303) / 酒々井 統真(ia0893) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / フェルル=グライフ(ia4572) / 鈴木 透子(ia5664) / 和奏(ia8807) / 郁磨(ia9365) / 尾花 紫乃(ia9951) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 萌月 鈴音(ib0395) / グリムバルド(ib0608) / ネネ(ib0892) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 蓮 神音(ib2662) / 紅雅(ib4326) / ウルシュテッド(ib5445) / ローゼリア(ib5674) / ニッツァ(ib6625) / パニージェ(ib6627) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / ゼス=R=御凪(ib8732) / 戸仁元 和名(ib9394) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 白雪 沙羅(ic0498) |
■リプレイ本文 開拓者たちが最初にした事は、希望の仕事につけなかった子供への説明だった。 樹里が説明をしているが、やはり落胆を覆すには、きちんと向き合わなくてはならない。 弖志峰 直羽(ia1884)は接客になった結葉と向き合い「ユイ、接客に回ってもらってありがとう」と手を握った。二人の近くでは、ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)が膝をついて、イリスとエミカに視線を合わせる。 「希望通りの場所へ行かせてやれなくてすまない。だがこの仕事はお前達に任せたい。お前達ならばできると信じているからだ」 期待されているという事は、何よりも意欲を引き出す。 ヘロージオの傍らに立つケイウス=アルカーム(ib7387)は「俺もゼスと同じ考え。だから接客、任せたよ!」と言って片目をつむる。 紫ノ眼 恋(ic0281)は真白に説明をした後、幼い顔をみて感慨深いものを感じた。 子供達が救出されたのが2月末。人の世に触れた春は、人を怯えて隠れていた。 『怯えていた真白が自ら接客を望むとは……これは大きな一歩だな』 願わくば共に歩いていきたい。 戸仁元 和名(ib9394)もまた「接客、大変やのに立候補してくれてありがとうな?」と前置きしてから、他の子が頑張れるように支えてあげよう、という話に持っていった。 萌月 鈴音(ib0395)は到真に「希望と違うお仕事になったり、望んだ通りになるとは限らない事は、よくあることなんです」と、体験談を踏まえながら世の摂理を教える。 「でも、代わりに……花摘みを頑張りましょう。どの花を選ぶかも、大事です」 「えらぶ?」 「終わりかけの花でも……やっぱり綺麗な方が……喜んで貰えますよね」 更に五行国の菊まつりへ向かうまでの飛空時間を利用し、迷惑な客の訪問に備える。 気合の入っている泉宮 紫乃(ia9951)は「一般的な接客は勿論、妨害を受けても大丈夫なようにしないとですね」と言って、子供達に覚えてもらう台詞を、対応項目ごとにズラリと書き出した。 例えば……注文を間違えた時、待っているお客様が騒いだ時、喧嘩になった時、ぶつかって服を汚した時、クレームをつけられた時……など、想定される問題は多岐にわたる。 勿論のこと『正解』を教えるのは、一通り前知識のない状態で考えさせてからだ。 弖志峰も様々な客の想定に頭を働かせる。 泉宮たちが細かい内容を吟味している間に、ウルシュテッド(ib5445)たちが大原則から教えていく。 「仕事と名のつくものは楽なことばかりじゃない」 ウルシュテッドは現地で年配者が多いこと。年齢や志体持ちであるか否かは体力や腕力に大きな違いを持つことを説明した。潜在的な力を暴力に使ってはならない。 パニージェ(ib6627)が「確かに俺たち志体持ち以外が多い」と頷く。 「だから形から入っていこうと思う。夏祭りのお祭りを思い出しながら、最初は俺たちの質問に答えて欲しい。さて、どれだけ覚えてるかな?」 まず基本的な挨拶の練習を行った後、アルーシュ・リトナ(ib0119)は髪型を変えて伊達眼鏡を装着し『怖いお客さん』になってみせた。 アルカームも模擬接客で嫌な客になってみせるが、子供たちが目の前で悄げるのはキツい。あぁごめんね、と言ってしまいたくなる衝動を抑え、心を鬼にして嫌な役に徹した。 一通りやって、リトナが反省会を行う。 「いいですか。まずお品書きにない注文を言ってきたら、そのまま受けてはいけません。曖昧な態度をせず『厨房に確認してまいりますので暫くお待ちください』と、待ってもらうこと」 リトナは他にも、遅いと言われたら素直に謝り、店に関係ない個人的な事を言われたら受け流して笑顔で一品を勧める事などを教えた。 模擬接客で言葉遣いを教えていた无(ib1198)が「アルド」と声を投げる。 「完璧を求めなくてもいい。初めてやることだ。できることだけでいい」 常に理想を追い求め、己に厳しいアルドが接客の会話を機械的に読み上げて暗記する様は……見ていて可哀想になる。 「皆も言っているように……本当に困ったら『わかりません』でもいいし、助けを求めていい。もし笑いたくなければ、無理に笑わなくてもいい。私も仕事の時『真面目な顔だけ』という事もあるし。……ただ怒りを覚えても、その場で怒るのは厳禁だ」 ヘロージオがイリス達の目を見て語る。 「相手の気持ちを考える事が大事だ。しかし良い客ばかりとも限らない」 御樹青嵐(ia1669)が年長者の恵音たちに「世の中には色々な人がいるから」と説明で主語を濁したが、フィン・ファルスト(ib0979)が「悪い客、ってのも時々いるからね」とズバリ言って溜息をこぼす。 「わるい客?」 横で眺めていたジルベール(ia9952)が『いるいる』とでも言いたげな顔で相槌をうつ。 「ええか。謝っても、しつこく意地悪する奴は……困らせたり怒らせたりしたいだけや」 困らせたり怒らせるのが楽しいのだろうかと、星頼たちはピンと来ない。 「ん〜、なんつーか。構って欲しいんやろな。そこで挑発に乗らず『ごめんなさい。気をつけます』って言えたらこっちの勝ち。けど、あんまり辛かったり腹が立ったりしたら俺らや店の人呼ぶんやで」 リトナは子供達の先入観を固定させないよう「そんな人はごく少数なんですが」と前置きして「本当に困ったら一礼して裏に下がって助けを求めてください」と教える。 泉宮も言葉を添えた。 「リトナさんたちの言うとおり、暴力沙汰になりそうな時や手に負えない時は助けを求めてくださいね」 ヘロージオは「いかなる時も落ち着くことだ」と断言した。 「そして絶対に手は上げるな。たとえ相手が全面的に悪くとも……手を上げた方が悪者扱いを受ける。世の中は理不尽で溢れている。どの相手にも、正論が必ず通じるとは思わない事だ」 少し難しい話になってきた。 正論がまかり通らない事を教えるには、子供たちが幼すぎるのが難点だ。リトナは「善意は受け止め悪意は受け流す……正直、私たち大人でも、難しいのですけどね」と照れたように笑いかけた。 アルカームがなんとか伝えようと悩みだす。 「そうだなぁ。お客さんの態度や言葉で、嫌な気持ちになったら、無理せず俺達を探してみて。困った時は遠慮なく頼って良いからさ。もし怒りそうになったら……」 エミカは「ぶつのはダメで深呼吸よね」と小首を傾げる。 「うん。そう。本当に困ったら、まず一呼吸置いて頼る事を考えて」 ファルスト「ともかくね」と人差し指を立てた。 「もし酷い事を言われても、みんなの為に何かを我慢する時も、いつか必ず来る。怒っても手を出さず、周りの大人を頼る。いい?」 はぁい、と子供たちは声を揃えた。 この子供たちは普通の子ではない。 一般人相手に大暴れしたら相手の命が保証できないのだ。そこを狙われない為にも、泣きついてくれた方が穏便に済む。 一方、飛空船の台所では礼野 真夢紀(ia1144)が、幼いのの達に料理の仕方を教えよう――と考えて、まず既に完成している料理を子供達に披露した。初めて見る花に、食べたことのない料理では、子供達もピンとこないだろう、と判断してのことだ。 「おにぎりのお花きれーい」 「こういう料理になるから」 無論、少量しか手に入らなかったが、神楽の都で練習用の菊仕入れは済ませてある。 「丁寧に、なれたら早くお花を摘んで。下拵えで花を傷つけないようにね。……さ、練習よ。あ、ののちゃん。抱っこした猫又の小雪は床に置いて。動物を触ったら、料理の前はきちんと石鹸で手を洗わないとだめよ」 礼野は天麩羅など難しいものは灯心たち年長者に教え、のの達幼い子には胡麻和えなどの単純料理の手伝いや菊花の洗い方などから教えた。 「他にもいろいろ調理法あるよ」 果たしてどこまで覚えられるか。 台所には他にも集まっていた。子供たちの自発的な希望に感動した者も多く、フェルル=グライフ(ia4572)はのぞみに飾りつけをさせてみる。 「このお花、どんな風に飾りたい?」 「おく」 「うん。どこに飾ると綺麗で美味しそうかな。みんなのも見て、飾りを一緒に考えてみよっか」 ローゼリア(ib5674)は花を毟る未来の様子を伺う。 「未来。花摘みを希望したのは何故ですの?」 「きれいだし、食べられるから」 食い気か。 「んとね、菊って天儀の色んお国で咲くんだって。本に書いてあったの。もし美味しかったら、見分け方が分かれば、いっぱい摘んで、兄さんたちに料理してもらえるもん」 ローゼリアは「そうですか」と頭を撫でた。 刃兼(ib7876)が旭の顔色を伺う。 「旭が仕込みを希望したのは、やはり食べ物絡みだから、か?」 顔が赤くなった。図星らしい。 「そっか。これからも、新しい食材や美味いものを知っていけるといいな」 遠出する場所が増えていったら、どんなに楽しいだろう。 白雪 沙羅(ic0498)は接客指導を受ける子供達の声を聞いて、傍らの明希を呼んだ。 「あのね、明希」 「なにー? 洗い方へんー?」 「そうじゃなくてね。接客に出ている子達が、……お客様にとても酷いことを言われるかもしれない。我慢できたら、褒めて慰めて、支えてあげてね」 リオーレ・アズィーズ(ib7038)も「沙羅ちゃんの言うとおりです」と声をひそめる。 「客は全員、好意的な訳ではありません。でも、家族が支えてくれれば頑張れるものです」 「……分かった」 ネネ(ib0892)も「のの、悲しい顔の子がいたら慰めてあげてね?」と内緒話をしておく。 模擬接客が一段落したところで、紅雅(ib4326)は灯火に首飾りを預けた。 「お守りです。困った時に私の代わりに灯心の傍に。お貸ししますね?」 無事に仕事が終わったら返すこと。 他愛もない約束でも『誰かの大事なものを預かる』というのは信頼を肌で感じさせる。 模擬接客を眺めつつ、フェンリエッタ(ib0018)はネネが提案した、ニコニコ顔ワッペンを黙々と縫っていた。流石に21人分なので暇な女性陣や、手が器用な男性陣も手伝う。 「これなーにー?」 「離れてても一緒に頑張る約束の印よ」 桔梗がむにむに引っ張るので、フェンリエッタが上着に縫い付けた。 「店の一員としてお客さんの笑顔の為に、皆もこんな風に笑って楽しくね」 接客役になったアルドや恵音たちの服から優先的に縫い付けていく。 「大変な時はニコニコの印を見て、今学んだ事を思い出すの」 紫ノ眼が真白の衣類に笑顔のワッペンを縫い付けていく。 「辛い時ほど、この笑顔を忘れないように。君が笑えば、それは君と、皆の力になるよ」 「お菓子をおいてきました」 隣室で子供たちが休憩のお菓子で賑やかに過ごしている。 あの笑顔が曇ると思うと気が重い。和奏(ia8807)が「悪い心証は何故だかすぐに伝わってしまうのですよね」と呟いて溜息をこぼす。 「どのみち、表立って子供のあら探しに来られても困りますよね。菊祭は他のお客さんも沢山楽しみに来られている。折角いらしたのですし、咲き誇る花に目を向け愉しんでくださるよう誘導をしたいです」 猫又クレーヴェルに乗られたグリムバルド(ib0608)が星頼たちの声に耳を澄ます。 「其の辺は大人の出番だなぁ。あー……まぁ、いつか来るんじゃねぇかとは思ってた。来ないでほしいとも思ってたけどな。来ちまったものは仕方ねぇ」 できることは最善を目指していくことだけだ。 結局のところ、子供たちの安全が実証されようとされまいと、こうして開拓者を派遣してお目付け役にする国の対応が、今日明日で変わるとも思えない。波乱は続くだろう。 グライフが拳を握る。 「確かに時期は早いけど、ここまでやってきたんです。柚子平さんの言う通り身構えず、行きましょう。子供達と皆さんを、私は信じてますよ」 信じなくては何も始まらない。 フェンリエッタも「皆を信じてるわ」と囁く。 到着前に、と。礼野は子供の衣類の洗濯に行った。食材を扱う以上、清潔にしていないとケチをつけられそうだと思ってのことだ。 朝霧に包まれた町並みに身震い一つしたニッツァ(ib6625)が、スパシーバの首にスカーフを巻いてから頭をなでてやった。 「朝晩は寒うなって来よったからな、貸したるわ。あったこうして楽しんどいで。俺等も近所に居るて、何ぞあったら思い出してぇな」 刃兼が旭の手を引く。 「それじゃ、みんなで小料理屋に挨拶に行こうか。ここの菊花膳を見るのは初めてだから、な」 日中は殆ど手伝えないので、仕事前くらいは仕込みの決まりごとや注意点などを一緒に聞いておいてもバチは当たらないだろう。リトナも「人との繋がりが助けになります」と言って、小料理屋へ挨拶に向かった。ついでに献立も確認しておく。 花の摘み方に始まり、一通り講義を受け終わった頃には、人がまばらに訪れ始めていた。子供たちは花摘み班、調理班、接客班に分かれてお仕事開始だ。開拓者たちは全員、警備の仕事が待っている。 ウルシュテッドや和奏が、落ち着きのない子供を呼び集める。 「労働は尊い。喜んで貰える喜びを、皆はもう知ってるはずだ。楽しんでおいで」 「皆さん、肩の力を抜いて。助けてくれる人も今日は沢山いますから……辛くなったらすぐ近くの人に助けを求めるのもアリです」 弖志峰が子供たちに「忘れ物はない?」と確認を促す。 「困った時、慌てた時は、まず深呼吸。笑顔と元気な返事を忘れずにね。仲間を信じて」 忙しなく出かけていく後ろ姿を見送りながら、弖志峰は結葉の肩に手を置く。 「お店。頼りにしてるよ、ユイ」 蓮 神音(ib2662)は「ガサガサの手だけどごめんね」と囁き、籠を背負った幼い春見と桔梗の手を握った。 「こないだのお祭りみたいに沢山の人が来るから、中には嫌な事を言う人もいるかもしれない。そんな時はこうして手を握り合ってね。辛い事も、嫌な事も、お互いの手の温もりで溶かしちゃえ! お姉ちゃんは二人が最後まで泣かずに頑張れるって信じてるよ」 優しい微笑みに「がんばるー」「なかないー」と返事が返される。 郁磨(ia9365)は和に念を押した。 「いいかい和。仕事は途中で投げ出さない事、店員さんの話はちゃんと聞くこと、笑顔で元気よくお客さんに接すること。忘れないで」 「うん」 「よし。和には幸せの四葉があるから、大丈夫だよ。楽しんで頑張ってね。そっちは支度できたー?」 郁磨が振り向くと、パニージェが仁へ籠を背負わせていた。 「良いな。礼儀よく、元気良くが基本だ。何かあればすぐに俺たちを呼ぶといい。何かあっても、俺はお前の味方だ……気をつけて行って来い。景色を楽しむのもいいが、怪我はするなよ」 ニッツァは別れ際に「お昼の休憩時間は一緒に、ぎょーさん食べよーなー」と言って楽しみを約束した。 警備に行こうとした戸仁元が立ち止まり、何か悩んでから到真を追いかけた。 「接客じゃなくとも、道で出会うお客さんには、ちゃんと挨拶せなあかんよ。楽しく過ごしに来た人たちやから。もし何かを聞かれて、答えられないことがあったら自分達を呼べばええからね」 そして懐にお守りを持たせる。 「お守り貸したげる。何かあったら、これ握ってな。落ち着くからね」 店先では、ウルシュテッド達が声をかけていた。 「星頼。後でジルと食事にいくよ。どんな事があったか後で聞かせてくれ。俺も祭の出来事を話そう」 酒々井 統真(ia0893)は結葉の肩に手を置く。 「俺やフェルルも暇な時に客としてくるつもりだし、楽しみにしてるぞ」 小柄な顔がぱっと華やぎ、こくこくと頷く。 「恵音も、他の子の補助、頼むな」 恵音は静かに頷いた。 ヘロージオは奥でイリス達に念を押している。 「笑顔は周りを明るくする。他の子にもそれを教えてあげてくれ」 かくして試練の多い職業体験が本格的に始まった。 芦屋 璃凛(ia0303)たち開拓者は、参拝道で見回りの仕事がある。 迷子の世話や道案内は勿論だが、視線の先には常に花摘みで働く子供たちがいた。芦屋達は陰陽師っぽい老人に気を配っていたが、残念ながらそれらしい人物がいない。 やはり私服なのだろうか。 ファルストは遠巻きに春見たちを眺め『みんな頑張って!』と心の中で応援していた。 にこにこワッペンは笑顔の象徴。 華凛や礼文たちは「こんにちは」と朗らかに道行く人々に声を投げる。 教えた話を従順に守って挨拶を欠かさない到真たち。警備の戸仁元が「この様子なら大丈夫そうやね」と微笑んだ。 和やかに過ぎると思われた、昼近い時刻のことだ。 「わ!」 「きゃう!」 到真と春見の声が同時に聞こえた。 見れば到真は花の中に突っ込んでいる。鉢植えは次々と横倒しになり、春見は段を踏み外して転んでいた。駆け寄った桔梗が手を握った。涙目の春見の背負っていた籠は、菊花をまき散らしながら階段を落ちていく。スパシーバが春見の籠を追いかけていった。 「邪魔じゃ、小僧ども」 「観客の目も弁えずに花壇を荒らすとは」 丁度目を外していた紫ノ眼が「何が起こった」と蓮達に確認する。 「あのお爺さん達が、杖を引っ掛けたんだよ」 慌てて近くのパニージェが春見に駆け寄り、怪我の手当を行う。岩清水で傷口を洗い、薬を塗って、包帯で巻く。備えあれば憂いなしだ。 到真の擦り傷は、郁磨が手当に動いた。 ファルストが双眸を細める。 「私も見た。春見ちゃんもだけど、到真君の方は露骨に杖で突き飛ばしてた。なにあれ」 折角摘んだ菊花が滅茶滅茶になっている。 幼い春見の方は、下手すれば長い石畳から転げ落ちて大怪我を負っていた可能性が高い。 下にいたニッツァがスパシーバと共に籠や花を拾い、戸仁元も到真の元へ走っていく。 悪質な嫌がらせにファルストたちの目尻が釣り上がった。 が、老人は気づいてない。 「親の顔が見てみたいもんじゃのう。所詮はロクでもない母であろうが」 忌まわしい鬼子め、と老人の目は蔑む心を語っていた。 落ちた花をぐしゃりと踏む。 怪我をした到真の代わりに、落ちた菊花を拾っていた真白や仁たち兄弟が、お守りやワッペンを握り締めた。 「あぁ真白が。あの老人、わざと拾おうとした花を……っ!」 「待って紫ノ眼さん。お年寄りはこっちに任せて」 開拓者達は小声で分担を決めた。萌月と蓮が気遣わしげな様子で老人に近づく。 「いかがされましたか、お客様」 「おい、警備。きちんと仕事をせんか。悪ガキどもに花壇を荒らさせっぱなしとは……使えん奴らめ」 まず萌月が頭を下げた。 「申し訳ありません。ただ……そちらの『立て看板に』ございます通り、この区画の菊花公開は、昨日で『終了』致しております」 言葉に刺が入るのはやむを得まい。 蓮も追撃をかける。 「そちらの子供たちは見ての通り『展示の片付け』をしています。摘んでいる菊花は、小料理屋で『新鮮な菊花膳をお客様に提供する為のもの』で、集めてもらっている最中になります」 貴様の勘違い且つ仕事の邪魔をしている、と暗に告げる。 老人の顔が朱に染まった。 「……そ、そういう事はもっと分かりやすい場所に書いておくべきじゃろう!」 「相済みません、展示に関する苦情の受付はあちらになります」 蓮達は老体を労わり謙りながら、その場から連れていく。 ローゼリアが遠ざかる背中を睨みつけた。 「あんのジジイ。全く油断も隙もありませんわね」 気が抜けない。 一方、総出で散った花を集めていた子供たちは、理不尽な嫌がらせより、潰した花をどうすればいいのか困り果てている。到真と春見に「二人は悪くないよ」と何度も説明しつつ「決して皆は怒られないから」と保証した。 これだけ目撃者がいるのだ。怯える必要はない。 ふいに到真が「……ごめんなさい」と戸仁元に謝ってきた。 「なんも悪くないんよ」 「違くて。ボク、お守りまで、汚しちゃった。ごめ……」 戸仁元は「洗えば綺麗になるから」と、震える到真を抱きしめた。 花を掃除し、横倒しの鉢植えを元に戻しつつ、ニッツァたちは石畳の階段の果てを見上げた。 「しっかしロクでもないじーさん達やなぁ。この分だと、料理屋は相当大変そうや」 不安が胸を掠めていく。 ところで小料理屋の奥には灯心、明希、旭、のの、のぞみがいた。 花摘み班が厨房へ運んできた菊花を、丁寧に洗ったり、盛りつけを手伝わせてもらっている。この時期は皆、菊花膳が目当てなので、同じものを作るとなれば覚えは早い。年長で料理に触れてきた灯心は、率先して下茹で等の料理を手伝う。 そんな裏方の様子も、開拓者たちは交代で様子を見に来ていた。 「失礼いたします」 御樹と人妖緋嵐が顔を出し、ネネが勝手口に猫又のうるるを待たせて「元気に頑張ってますか」と覗き込んだ。駆け寄ってきたののが「うるるちゃんはー?」と尋ねる。 「うるるも来てますけど、ここはご飯を作るところですから、入っちゃ駄目なんですよ。さ、お仕事の続きに戻りましょう。ひとつひとつ丁寧に、頑張って」 少しの時間だけでも、ののやのぞみ達と仕事に勤しむ。 御樹は灯心に、天ぷらをかりっと揚げるコツを教えていく。 また刃兼が仙猫キクイチとともに、こっそり様子を見に来た。 旭は刃兼の助言通り、色の違う菊を混ぜないように注意したり、菊の天ぷらは花が崩れないように気を使っていた。 料理は見た目も重要なのだ。 「ひとつずつ大切に作ってるみたいだな」 品物を通して客と接する。その事を分かってくれている事を期待したい。 アズィーズと白雪も、休憩時間には明希たちの様子を見に来ていた。 菊花膳の出来栄えを褒めつつ、時には袖をまくって下拵えに挑む。 休憩時間は長くなく、すぐ戻らねばならない。 それでも励ましは忘れなかった。 「明希、菊花を洗う時は優しくね。盛りつけは慌てなければ大丈夫。上手に出来るわ」 気になるのは、店先で接客に出ている子供達のことだ。 いつ現れるかわからない老人たちが、子供たちを試すような事を言わないか、とても不安な気持ちに後ろ髪をひかれつつ……定位置に戻っていく。 午後。 料理屋周辺で警戒していた泉宮が、神経質そうな強面老人の集団に気づいた。 近くのグリムバルドが「あれか?」と尋ねて様子を伺う。 「ええ、きっと。すぐに分かりますわ。とても菊を楽しみに来たように見えませんもの。皆さんに知らせてきます」 泉宮がその場を離れた。 グリムバルドは引き続き様子を伺う。警備役の大人は、そう簡単に介入できない。丁度、グライフと酒々井、弖志峰、ウルシュテッドとジルベールの五人が入店した。からくりの白雪は割る専用のお皿を持って、万が一に備える。 ヘロージオやアルカームたちも集まり、客として入店していく。 老人達がまず標的に選んだのは、最も小柄な星頼だった。 水がない、おしぼりを出せ、声が小さい、確認が遅い……老人たちは横柄な態度だったが、それは泉宮たちの想定範囲内だ。練習の通りに「申し訳ありません」と静かに礼儀正しくしながら、なんとか人数分の注文を待ち変えずに受けて台所へ戻って来た。 しかし。 予行練習をしているからといって、幼い子が言葉責めに平気なわけではない。 「……やあ。ちいさな店員さん、ウチのちびにお水をもらえないかな」 様子を見に来たウルシュテッドが忍犬を口実にして、星頼を店の裏へ連れ出す。 「気にしないのは辛いね、充分頑張ったよ」 飴玉を渡して頭を撫でる。 第一関門は突破したが、老人たちが去るまで気は抜けない。 「おまたせしました」 お膳を運んだのはアルドと結葉だ。 「ふん、目障りじゃ。置いて去れ」 「まぁそういうな。おい、ぬしら。その年で働かされて、母御の所へ帰りたくはないか?」 生成姫の元へ……帰りたいと思わないか、と。 老人は子供達の弱みを、調査報告書などで調べたのだろう。 参拝道に立つ无は、宝狐禅のナイとしかめっ面だ。意地の悪い聞き方をする、と思った。 飛び出したくなる。いっそのこと殴り倒したい衝動を、こらえなければならない。作り笑顔を絶やさぬグライフや酒々井達が見守る中、沈黙が降りた。 暫く黙り込んでいたアルドは無表情に「失礼します」と言って下がった。 が……結葉はお盆を抱きしめて俯く。 「おかあさまには会いたい、です」 「ほう」 隣席にいた弖志峰の表情が凍る。紅雅達にも緊張が走った。 誘導されようとしている様を見てジルベールとからくりが皿を割ろうとした刹那。 「でも里には帰りたくないです」 「む? どう違う?」 おかあさま――生成姫と里の話だと気づいて、恵音も興味を惹かれたのかもしれない。言い澱んでいる結葉と老人の間に入って、饒舌に尋ね始めた。 「お客さまは、おかあさまの……知り合い? 会う?」 「なんぞ伝えたい話でもあるのか」 蛇が嗤っている。 追求の手を緩めない爺に向かって、恵音は「あの」と口ごもり「おかあさまには……秘密で」と囁いた。 生成姫には知られたくない話、という展開に、開拓者達も注目する。 「里は……戦うことだけ、だったんです。友達も……倒さなきゃダメで。強くならなきゃ、ご飯抜きで。おかあさまが褒めてくれるのは嬉しいけど……友達と戦うのは嫌、でした。お外で働いたりする方が……ずっと楽しいので」 老人たちが押し黙った。 恵音が結葉を振り返って「ね」と言うと、結葉も「そう」と頷く。 「あとね、人里のごはんって美味しいの」 「新しい家は……沢山遊んでも、怒られないし」 結葉と恵音は今まで孤児院で食べたものを列挙し始めた。どんな遊びをしてきたか、半ば照れるように、指折り数えて語って聞かせた。 怯えた顔が生き生きと華やいでいく。 「だから……お里には戻りたくない、です」 「おーい。こっちにも客、待ってんだが」 酒々井が呼んだ。離れる切っ掛けが必要だった。 恵音と結葉は「はい」と答えて、老人に頭を下げて去っていく。 入れ替わるように笑顔のイリスとエミカが現れて、礼儀正しく頭を下げる。 「食後におよびください」 「あたたかいお茶と、おくちなおしの芋菓子をおもちします」 アルカームとヘロージオが見守る中、老人たちはもう、何も言わなかった。 数名の開拓者が、老人達の後を追った。 泉宮のように、何人かは怒り心頭だった。文句を言ってやろうと考えを巡らせる者もいた。 足の速い者達が、回り道をして正面に立った。 「頼みがあるんや」 「どけ小僧。儂らは忙しい」 ジルベールは色々な言葉を堪えて本題を述べた。 「ここで道を閉ざしたら、あの子らは、あんたらが恐れる『生成姫の子』のままや。変えるための時間をくれへんかな」 睨み合いの中で萌月は何を思ったのか、老人の前へ進んで微笑み、深々と頭を垂れた。 「命懸けで『子供たちが安全だ』と証明してくださって……ありがとうございました」 老人達の目が点になった。 萌月は『この老人達を、単純に敵として追い返してはいけない』と感覚的に感じていた。 そして極一部の予測は、的中することになる。 「なんじゃと?」 「だって……安全でなければ、今頃、殺されている筈です。実力は私達に準じますから」 陰湿な嫌がらせをしても無傷で返された。老人たちこそが『安全の証明』になる。 萌月の勝ちだ。 老人は口を一文字に結んで次々と帰っていく。最後の一人が、すれ違い様に吐き捨てた。 「決して、アレの存在を認めたわけではないぞ」 「わかっています」 「儂の息子は、戦の中で死んだ。ナマナリの子に殺されたようなものだ」 「ご心中、お察し致します。でも……あの子達に、浚われた過去は……変えられません」 老人は立ち止まった。 萌月も老人も、正面を向いたまま、顔を合わせない。 「アレが『別の子』だとは分かっている。だが恐ろしい存在に変わりはないし、殺してやりたいのも事実だ。間違いが起こる前に処分すべきだ、という遺族の考えは決して揺るがぬぞ」 「ご子息を奪われた以上、生理的な反発は……致し方ないことかと存じます」 戦が終わっても、大アヤカシが滅びても、戦の爪痕は決して消えない。 「変えるための時間、か」 秋風が頬をなでた。 「狩野の持って来た……子供の支援金の件は、承認しておこう。儂らを、後悔させるな」 「はい。必ず」 老人が再び階段を下りていく。 小奇麗な身なりをしたグリムバルドは、礼節ある振る舞いを心がけつつ「出口までお送りいたします。お足元にお気を付けて」と老人に声をかけた。人妖の光華を連れた和奏が「自分にもお送りさせてください」と挟むように傍らに並ぶ。 「ふん、ぬしら見張りのつもりか」 「いいえ。本日の主役は、大輪の菊とご来賓の皆様ですから。せめて帰路の花だけでも、ご紹介させてください。どれも美しいですよ」 弖志峰も毅然とした振る舞いで「華麗な菊花を楽しんでいってください」と声をかける。 「華は目のみでなく心で楽しむものだとか。心和むひとときでありますよう」 「……もう行く」 こうして陰湿な嫌がらせをした老人達は、菊祭から去っていった。 様子を見ていたアズィーズは自分の身飾り――玄冬を見て、ふっと微笑んだ。騒ぎにならずに済んだ事は、本当に良かった。弖志峰もまた、憎しみの連鎖は繋げさせない、と心に誓う。 茜色の太陽が沈んでいく。 菊祭は太陽の下でしか賑わいがない。お客が帰った後、子供たちも仕事を終えた。 迎えに行った郁磨は和と手をつなぎ「お疲れ様〜。お仕事如何だった?」と声をかける。 「……おとな、こわい」 「うっ」 「でも、お花は綺麗だったよ。たくさん運べたし。明日もがんばる」 「お店の人も喜んでたからね。此れからも一緒に、いっぱい楽しい事しようね……優しい大人だって沢山いるから、大丈夫」 和は「うん」と言って郁磨の手を握り締めた。空いた手はワッペンを握っている。 直接嫌がらせされた到真はといえば、戸仁元と手を握って、散歩を楽しそうにしている。 機嫌が戻ったのは何よりだった。 警備仕事から宿に戻った鈴木 透子(ia5664)は、湯船に浸かりながら「教えてくだされば他の孤児院とか寺子屋の見学も斡旋しましたのに」と独り言を呟いていた。子供の至らなさや、孤児院の有り様などを、切々と訴えるつもりだったようだ。 「無礼とか乱暴とかなら幾らでも言えるし、勝手にこじつけて不自然だと言えてしまう。そういうのも懸念していたんですが、そうですか……」 ひとまず裏付けが取れなかった以上『殺処分すべきだ』という主張は落ち着くだろう。 風呂に浸かりながらローゼリアが未来に近づく。 「未来……誰といるのが一番楽しいと思います?」 おかあさま。そう言うのではないかという予測と覚悟をしつつ、手拭いで遊ぶ未来に尋ねると「ぜんぶ一番じゃだめなの?」と返事が戻って来た。期待と予想の斜め上を行く返事ではあったが、視野の広がりという意味では、良い傾向に違いない。 芦屋は湯上りの恵音や結葉を捕まえて、何やら話し込んでいた。 どうやら許してはもらえたらしい。猫又の冥夜は食べない、とも約束していた。 「猫のお肉より、牛とか豚がおいしいもんね」 結葉達の独特の感性には返答しにくい。 「あ、そうや。色んな人間が居るから、昼間のおじいさんとか気にしたらあかんよ」 軽い助言だけしてお開きになった。恵音も結葉も明日が早い。 物を食べながら寝る、という様子をみた刃兼が苦笑を零す。 「口から落ちるぞ」 「ふぇ」 「旭。もう寝たほうがいい。明日も忙しいからな」 「うー」 アルカーム達はエミカたち姉妹を褒めていて「丁寧な仕事だったし、偉かったよ。頑張ったね」と抱きしめた。しかし接客組のイリスたちを筆頭に、半分夢の中だ。 「これは寝かせた方がいいな。エミカを頼む」 「任せて、ゼス」 おんぶをして布団へ連れて行く。 食後、熱心に手帳を書く灯心を見つけた紅雅が「見せてくれませんか」と興味津々で覗き込む。灯心は少し、見せるかどうか躊躇う素振りを見せた。 「笑わない?」 「笑う? 何故?」 灯心は「ボク……下手だから」と呟いて、手帳を開いた。そこには料理のレシピだけでなく絵が入るようになっていた。恐らく食べ物の絵と人の顔のようなものが並んでいる。 「上手ですよ。これは今日の菊花膳でしょう。あとこれは、誰でしょうね」 灯心の視線が泳ぐ。ものすごく居たたまれないような感じだ。 じーっと見て、独特の文様にピンときた。 「……甘藍、右側は甘藍ですね? じゃあ左は……私、ですか?」 灯心が茹で蛸のようになった。人の顔を描くようになった感性の広がりが喜ばしい。 「灯火。もし良ければ手帳に料理だけでなく日記もつけてみませんか? 必ず、一つは貴方の心を書いてもらいたい。感じた事を、私に教えてほしいんです」 楽しい事も失敗も振り返って、活かせるように。 紅雅の提案に、灯心は頷いた。借りていたお守りを返して、新しい約束を結ぶ。 「灯火のお守りも、今度作りましょうね? さあ、書き終わったら寝ましょうか」 「アルドは寝ないの?」 ファルストが三白眼状態のアルドの顔を覗き込んだ。眠気を我慢しているので、目つきが悪い。少し話をすると「不眠の訓練になるから」と言い出した。 「無理せず眠っていいのに」 ふらりと現れた无が、アルドの隣に座る。 「それではアルド。今日の感想を教えてください。報告を」 「お仕事は……できたと、思う。自分の話とか無駄話もしなかったし。忙しくて、終わった。多分明日も、同じ仕事ならできる」 无がぽふりと肩に手を置いて「結構」と告げる。 「体や頭を休めるのも仕事です。自己管理といいます。無理せず寝るといい」 やっと頷いたアルドを、ファルストが寝室へ連れて行く。 「あなた達がここにいてくれて、あたし達は嬉しいよ、アルド。おやすみ」 良い夢が見れますように。 アルド達の様子を眺めつつ、白雪が明希の手を握る。 「明希にも、この先……意地悪な感情をぶつけて来る人達が、いるかもしれない」 花摘みで起こった事や、店先に現れた老人の話は、子供たちの間にも広まっていた。 「明希も?」 びくりと肩を震わせる明希の手を握り締める。 「そう。でも、私達はあなたが大好きよ。明希の心の拠り所になれたら良いと思ってる。あなたはとてもいい子。だから何があっても負けない、って信じてるけど……辛いことがあったら何でも言ってね」 明希は首を縦に振った。 疲れた子供達が早く寝静まった頃、台所で洗い物をしていたリトナのもとへ、寝たはずの恵音があらわれた。 「……私……私たちは……良い子……だった?」 「勿論ですよ。眠れませんか」 恵音は椅子に座って膝を抱えた。リトナが、温めた蜂蜜入り牛乳を湯呑に注いで渡す。 「ありがと。……あのね。私小さい時……森で……迷子になったの」 森、とは魔の森の事だろう。 眉をひそめたリトナは、お菓子を皿に盛って隣に座る。 「歩き回って疲れて……真っ暗で息苦しくて……会うのは言葉が通じないのばっかりで」 忌まわしい里を脱走した時の話かもしれない。リトナが「大変でしたね」と短く囁く。 「でもね。大泣きして呼んだら……すぐに撫子を迎えに来てくれたの」 瞼の裏に蘇る。 『うあぁぁあん……おかあさまぁ!』 『どうした妾の撫子や。あれほど供無しで里を出るなと申したであろう。さぁおいで』 昔日の出来事。 「十も数えなかった。おかあさまは私を抱き上げて……里に着くまで……赤い空を散歩してくれた。綺麗だった。その時……おっしゃったの。神は……娘がどこにいても必ず分かるって。だけど今は……迎えに来てくれない。私が、不用品になったから、だと思う」 かつて撫子と呼ばれていた恵音の表情が、暗く陰った。 「撫子はいらない子なの。だから此処では……今度こそ、私、いらない子になりたくない」 リトナは確信した。 『気づいているような、気はしてましたが……これは』 二十一名の兄弟姉妹の中で、最も目敏い。恐らく現状認識の能力に優れているのは最年長のアルドや結葉ではなく、恵音である事を。この子は変化を機微に感じ取る。そして己の知りうる情報の中で、最も合理的な鉄の判断を下す。 つまり。 恵音は母の消滅こそ知らぬものの、生成姫が絶対に自分達を迎えにこない事に感づいている。そして自分を含める兄弟姉妹が、開拓者や国の情けで生きている事に気付いていた。 どうやって生きていけばいいのか。思考の闇であがいている。 今まで誰にも打ち明けず、たったひとりで。 「恵音さん」 リトナが恵音を抱きしめる。 「大丈夫。何があっても、私はあなたが好きですよ」 新しい名とともに、これからを生きていこうとしている少女が、不安を感じずに済むように。 傍にいるよ、と。 子供たちが全員寝静まったのを確認して、離れの座敷で大人たちが顔を突き合わせる。 「手っ取り早く不安分子を片付けて、子供達への援助を打ち切ろうと狙ってたんだな」 「でも……承認してくださるそうですし」 「今回は、な。精々一年だろう」 「それならそうと事前に言ってくだされば私たちにもやりようが」 「まぁ、柚子平さんの吊るし上げは後にしよう。本人がここにいない訳だし」 今回。 生成姫の消滅を知られずに職業体験は済んだ。 最も不安だった事は杞憂に終わった。子供たちについても『おかあさま』へ情が消えぬ一方で、人里の暮らしを強く望み始めていることは大きな一歩だ。 その事が深い安堵感をもたらす。 けれど。 同時に、頭の痛い問題も明確になった。 人為的でなかったとしても、そう遠くない未来に……子供たちは生成姫の消滅を知るだろう。兄や姉の殉死も、開拓者と戦って果てた事実も。志体を持っている以上、開拓者への門戸も開かれている。仮に市井へ下っても、生涯を通して隠し続けることは困難だ。 「ナマナリのこと、かぁ」 グリムバルドは星頼の顔を思い浮かべた。 恋しい母が亡くなったと聞いたら、あいつらは泣くだろうか。 分からない。怒ったり責めて来るのは仕方ないものと覚悟しているが、泣かれるのは嫌だった。猫又のクレーヴェルが、沈んだグリムバルドの顔をしっぽで叩く。 「痛っ」 「いつか、話す時は来る。未来やイリスに関わった時から、それはわかっていた事ですの」 ローゼリアが瞼を伏せる。 真実を知るには子供たちは幼すぎ、自分たちは覚悟が固まっていない。 「願わくば……その日が一日でも遅く、相応の覚悟ができた時になる事を……切に願いますわ」 御樹も同じ心境だった。世の出る以上、いつかは乗り越える試練だと分かってはいる。けれど子供たちはまだ幼すぎる、とも。 いずれ時期が来たら、正直に話さねばならない。 偽り続けることは不可能なのだ。 「樹里ちゃん」 フェンリエッタは人妖に声をかけた。 「いつかその時が来たら、もしも子供たちが秘密を知ってしまう事があったら……その時は、真っ先に知らせてくれる? 私たちの仕事なんて気にしないでいいから。此処にいる皆、其々が子供達に話したいことがあるの。正面から向き合わなくちゃいけないから」 御樹や弖志峰、ネネやアズィーズ、ファルスト、グライフやリトナ、郁磨やニッツァ、パニージェやケイウス、紅雅や戸仁元、紫ノ眼、ウルシュテッドや无……毎月のように孤児院を訪ねて、子供たちを見守ってきた者たちの殆どが、同じ想いだった。 約束の指切り。 「……うん」 この思いは祈りに似ている。 満天の星空の下で、開拓者たちは子供たちの幸せを願っていた。 |