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■オープニング本文 ……この人は誰だろう? そういう顔で周囲を眺める、顔、顔、顔。 目の前には大きな篝火があった。ばちばちと音を立てて燃えている。 串刺しになった魚が、真っ黒に炭化していた。 随分長いあいだ火にくべられていたらしい。残念だが食べられたものじゃない。 鍋の中にはグツグツと煮えたぎった沢蟹と山菜の汁物がある。 手元を見た。 皿、お椀、箸……食事中らしい。 周囲には人数分の小型天幕もある。武器や防具も。 空は茜色に染まっていた。四方が森が囲まれており、近くに街の気配はない。 頬を撫でる冷たい秋風。つまりは野営の最中らしい。 「あのーもしもし」 隣に座っていた人物が声をかけてきた。 既視感を覚える顔だが、残念だか赤の他人だ。よって少し身構えてしまう。 「な、なんでしょうか」 「申し訳ありません……私の名前を伺ってもよろしいでしょうか?」 暫く言葉を失った。 「え?」 「私は誰なんでしょうか。ここはどこです?」 いや、それはこちらが聞きたい。 |
■参加者一覧
劉 天藍(ia0293)
20歳・男・陰
皇・月瑠(ia0567)
46歳・男・志
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
フィーナ・ウェンカー(ib0389)
20歳・女・魔
劉 那蝣竪(ib0462)
20歳・女・シ
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
ラグナ・グラウシード(ib8459)
19歳・男・騎 |
■リプレイ本文 忍犬の武流は死んだ魚のような眼差しで緋神 那蝣竪(ib0462)を見ていた。 何故かというと、武流は犬ゆえの優れた嗅覚と野生の感で『あの鍋はヤバイ』ことを元々感じ取っていた。忠犬よろしく謎の危険を主人に伝えようとしたにも関わらず、夫婦の熱愛ぶりに阻まれたのが数十分前の話だ。 きっと喋れたら『そーれ言わんこっちゃない』とボヤいていたに違いない。 悲しいかな。喋る事ができない忠犬は、自爆した主人達を生温い眼差しで見守り『そのうち元に戻るだろう』と不貞寝を決め込んだ。 夫妻の向かいで倒れたラグナ・グラウシード(ib8459)を起こそうと懸命になっていたのは、毒々しい色の汁を怪しんで食べなかった羽妖精のキルアだった。 「おい、どうしたラグナ?! しっかりしろ!」 平手打ちをかまして頬に出来る手形のアザ。目覚めたグラウシードは起き上がっても『ここはどこだ? お前は誰だ?』という心の声が顔面に現れていた。 「ら、ラグナ?」 「らぐな? 何だこれは……動きにくい。ぬいぐるみ? 訳が分からんな」 自分の名を認識できなかったグラウシードは、昼も夜も仕事中でも背負い続けた大事な物言わぬお友達『うさみたん』を地面にポイ捨てした。普段からは想像もできぬ珍現象を目撃した羽妖精のキルアが、青い顔でぶるぶると震えだす。 「な、なん……だと。うさみたんを捨てた、だと?!」 「うさみたん? なんだそれは」 首を傾げる。 喪越(ia1670)は普段のふざけた態度は影を潜め、ぽりぽりと頬を掻いた。 「だめだな。何も思い出せない。記憶が無いのか……僕は一体どこの誰なんだろうね?」 すると上級からくりの綾音が、両手で顔を覆って大げさに嘆く。 「あぁ、主……おいたわしや。自らが何者であるかも忘れられてしまうとは。――ふっ」 顔を背けて漏れる笑い。 綾音が人であったなら、頬を膨らませて笑いをこらえていたに違いない。 喪越が「どうしたんだい?」と極めて真摯に尋ねる。綾音は「思わず涙が出そうになりまして」と言い出した。勿論、冗談である。無機質な人形に涙を流す性能はない。余りにも真面目顔の喪越が面白かったのか「……暫く観察してみましょう」と密かに呟き、放置を決め込んだ。 「記憶喪失、ですか」 フィーナ・ウェンカー(ib0389)は、からくりのミラージュから説明を受けて「困ったものです」と呟いた。普段なら即刻、原因にあたりをつけて元凶を締め上げていそうなものだが、今のウェンカーは純朴で清楚な乙女だった。 「そしてあちらの皆様が今回のお仕事でフィーナ様とご一緒だった皆様です」 皆の騒ぎを眺めて、少し身を固くするウェンカー。 「フィーナ様?」 「仲間と言われても、……見ず知らずの他人なんですよね」 淑女の気品漂うウェンカーが不安そうに柳眉を顰めたが、我に返って首を振った。 「いえ、仲間だという皆様を放置するわけにもいきませんし……何か手助けを、せめて何かお役に立てればいいのですが」 あまりにも敬虔な発言にミラージュの目が点になった。 記憶がない、というだけで、これほどまでに凛とした清楚で純朴な貴婦人なら、一体何があって身もココロも真っ黒に染まったのか、不可解極まりない。 ひとまず『役に立ちたい』を主張した主人の為に、からくりは頭を働かせる。 「フィーナ様。わたくしが考えますに、日記帳を振り返ってみては如何でしょうか」 ミラージュが荷物を差し出す。 「まぁ。私は日記をつけていたのですか? それは良い考えですね。普段の何気ない一日の様子から遡れば、記憶が蘇るかもしれませんものね」 可憐に微笑んだウェンカーが荷の中の日記を探し始める。 ネネ(ib0892)は最初こそ「……ええとなにがどうしてどうなって?!」と混乱の境地にいたが、すぐ横で人妖ミュリエルが号泣していた。 「ごはん食べたネネがー! なんかわかんないけどふわふわしてるー! うええ、もうおうちに帰りたいよう。でもネネがふわふわしてたらおうち帰れないようぉぉぉ!」 盛大に泣き叫ぶ人妖。 人は他人を見て我が身を振り返る。冷静さを取り戻して立ち上がった。 「ネネ……私の名前でしょうか。そうです! 荷物をさがしましょう!」 ネネは急に真後ろの天幕へ走り、人妖ミュリエルは涙を袖で拭いながら「わ、わかんないけど、お片づけしてよう」と散らばった食器を洗い始めた。解毒すれば一発なのだが、そこまで頭が働いていないらしい。 皆が個々に当惑する中で、社交的に手当たり次第で話しかけた緋神は殆どの者が記憶喪失であったことと、周囲に散乱或いは手にした食器を確かめて『原因って食べた物のせいなのかしら』と、桃色の鍋を眺めた。 「普通に食事をしていたようだし、アヤカシもいないし」 「けど、食事の最中って事は安全な場所で、信頼する仲間と休憩中かな」 適当に相槌打っていた劉 天藍(ia0293)は大して慌てていなかった。むしろ皆の中で群を抜いて落ち着いていた。元々森で育ったが故の感覚を、体が覚えているのだろう。しかしながら人妖の大門は「コイツは少し厄介だぜ」という口癖を念仏のように繰り返していた。 「なんにせよ、みんな記憶がないなら、この場から動かず治るのを待つか」 「そうよね……あなた誰?」 柚乃(ia0638)は人形のように身動きせず、つぶらな瞳で様子を見ていた。 名前も素性も含めてあらゆる基礎が失われた状態だからか、どうしていいか分かっていない。 召還された宝狐禅の伊邪那は最初こそ『なんか面白いコトになってる?!』と若干心ときめかせつつも多少は慌てていたが、一時的なものと知るやイタズラ心が沸き上がってきたらしい。 「貴女の姿は所詮かりそめ。世を忍ぶ仮の姿。その実体は、このあたしに仕える精霊なのよ! さぁまずは櫛で毛をすいてちょうだい」 「は、はい」 一方、ネネは天幕の中を探る。 「他にも何か、何か身元を特定できるものがあるはず! 革袋から現れたるは、きりんぐ★べあー。 手に斧を握った気のない熊を模した人形だった。全体的にだらんとしてへたれているが、口元などに赤いしみが浮かんでいたりしており、どうにも不気味。 「……すいません。なんですかこのぬいぐるみ。なんか顔怖いんですけど!」 改めて荷物を探った。 次に出てきたのは猫の人形だった。 呆然としているネネの背中に、食器を洗って戻って来た人妖ミュリエルが声を投げた。 「それはネネのよー、いつも持ってるのなのー」 泣きたい。 打ちひしがれたネネの持つ人形ズは、共に呪術武器なのだが……どうやらその手の知識もまるごとすっぽ抜けているらしい。 皇・月瑠(ia0567)は周囲を見回した。 一見、全く動じている節は見受けられないが、若干視線が鋭い。 皇もまた記憶が根こそぎ失われていた。同じく鍋を食らった駿龍黒兎は、男性開拓者を順番に見て、口の端から涎を垂らしていた。 『んま、いい漢がいっぱい! この方。ちょー好みっ! この筋肉たまらないわ。愛でちゃいたい。食べちゃいたーい。て、言うかいただきまーす』 「ぐほ!」 鼻息の荒い駿龍が、好みのナイスミドルへのしかかった。 マジで乗ると圧死してしまうので加減はしつつ、皇を逃がさぬよう爪で押さえ込む。そして犬のように飼い主をなめ回しはじめた。活きがイイ漢はたまらないわ、とは本人ならぬ駿龍談だ。 『こいつ……俺を殺る気か』 皇は、唾液でべちょべちょに顔で考えた。 この世は弱肉強食、それこそは世界の真理。ここで食われると言う運命ならば…… 「俺が……食うっ!」 糸目、開眼。 カッと見開かれた双眸には、燃え盛る闘魂が宿っていた。 手で手繰り寄せた愛用の山姥包丁がギラリと輝き、駿龍黒兎の前足を思いっきり薙ぐ。 「ぎゃう!」 「ふん。……おい、そこの娘!」 「はいい!?」 急に呼ばれたネネが飛び上がる。 「助太刀いたせ。今宵は龍肉が主食だ! 仕留めるぞ」 長い間連れ添った相棒を、記憶喪失とはいえ遠慮も躊躇いもなく夕食の食材に狙う皇。 ガウガウ吠えて抵抗を見せる駿龍に対して、ネネはサッと顔色を変え、涙目になりながら……後退を始めた。 「おいこら何処へ行く」 「え、私戦えませんよ? 他の皆さんは武器を持ってらっしゃるのに、私ぬいぐるみですよ!? 死にたくありません! 失礼します!」 ネネ、全力で天幕の裏へ逃亡。 術の使えない陰陽師など、底の抜けた鍋である。 ネネに見捨てられた皇は怯む気配もなく、哄笑をあげながら本気で相棒を龍肉ミンチにすべく挑んだ。今夜の晩飯は、串に刺して焼肉か。鍋で煮込んでもいい。ひき肉にしてそぼろ飯もなかなか……などと料理の品目が脳裏を駆け巡る。 「くくく……面白い、実に面白い。しかし、やるな……おぬし。殺すには惜しい、俺の物になれ」 ひと目会ったその時から、何かが花咲くこともある。 駿龍黒兎は既視感を覚えつつも、びったんびったん尻尾を振って身をくねらせた。今まさに殺して食おうとしていた山姥包丁の男の言葉を『愛の告白』と捉えてしまうあたり、龍の趣味も特殊と言わざるを得ない。 「龍よ。我が名は……なんだったか。まあいい。名など些細なこと、今は……飲むか」 皇は酒瓶を取り出し、記憶喪失なまま酒盛りを再開した。 騒がしい者たちに対して、劉たちは至って静かだった。 緋神はとくにそうだ。記憶がない、自分がわからないという心細さはつらい。どうにか記憶を戻すためにも「もしも食事が原因なら」と小声で独り言を繰り返す。 傍らで悩む緋神の横顔を、劉はじーっと凝視する。 「ところでさ、どっかで会った?」 素早く傍らに座り、ニッと笑って顔を近づける。緋神の心臓が意味もなくはねた。 「ど、何処かで逢ったか? そりゃ、記憶喪失になる前は一緒に仕事してたんじゃないの? みんなでご飯食べてた位なんだから」 「そうじゃなくて、なんか特別な、さ。他の人よりも俺を意識したり、しない?」 暁に似た金の瞳。 「ナンパにしては芸の無い台詞ね」 緋神は頬をふくらませて、ぷい、とそっぽを向いた。劉は明るい笑い声をあげながら、再び緋神を口説きにかかる。確信めいた何かを感じていたし、そうでなくても見知らぬ者同士で終わらせたくない意地があった。 艶やかな髪をひと房掬って口づける。 「な、なにすんのよ。気安く触んないで」 「キレイだね、髪。手入れが行き届いててサラサラで。花の香りだ。俺は好きだな」 「な」 「せっかく美人なのに、笑顔じゃないのは勿体ない」 「ほ、ほ、褒めたって何も出ないんだからね! あんたこそ、私なんかに構ってないで何か食べておきなさいよ。薬草探したりとかしなきゃいけないだろうし、体力はつけないと……べ、別に心配してる訳じゃないんだから!」 突き出された椀物を眺めて「食べるにしてもこれはちょっと」と言葉を濁す。 鍋が原因では、と話し会ったばかりだ。 「そ、そうよね。ごめんなさい。じゃあ串物で……」 「ヤバくなさそうなら、美人の手で食べさせてもらいたいところだけど……うーん、何か食べ物が悪かったように思えるし。解毒、解毒って誰か使えないのかな」 そこで我に返ったのはネネの人妖ミュリエルだった。 「解毒……解毒ならできます! ね、ネネ〜!」 人妖、主人が最優先。 「まぁいいか。順番がくればそのうち治るだろ。で、あんたはできるのか?」 人妖の大門が「できるぜ!」と叫んで正気に戻った。 「じゃあ早速」 「ちょっと待った」 人妖の術に待ったをかけた劉は、緋神が持っていた串にかじりつく。自分の串を奪われた緋神が「なにすんの」と叫んだが「体力つけとけって言ってたろ」と平気で宣う。 「うそうそ、俺の串やるよ。どうぞ、ってそうじゃなくてさ。もし食べ物が原因で解毒で元に戻るんだとしたら、俺とあんたは元に戻ってしまうだろ。もしかすると実は仲が悪いのかも」 「それはまぁ、戻ってみなきゃわからないけど……そうかも」 「な。だから賭けないか? もし俺達が元に戻って、今の会話を覚えていたら、俺にキスしてよ。あ、もちろん口と口で」 「な、何言い出してるのよ! このすけべ!」 「あんたが気に入ったから。ただの仕事仲間で終わらせたくないな、って思ってさ。忘れてたら約束は反故でいいよ。その時は、俺が振り向かせるから。信じてよ」 「……強引なナンパね、忘れてやるから」 顔真っ赤にして反論する緋神と軟派な劉を見て、忍犬と人妖は『爆発しろ』とでも言いたげな目をしていた。 グラウシードは「お前は、誰だ? 私は、誰だ?」と訪ねて回ったが、殆どの仲間が同じ記憶喪失状態で自らのことに手一杯だ。 ただひとり、柚乃は違った。 「あなたは我々に使える荷物持ちよ! ……と、伊邪那様が申しております。一日三度の飯とともに私たちに踏みつけられるのをご所望だったとか」 「なんだと!」 間に受けるグラウシードを見て。 「そんな訳ないだろうがあああ! ラグナしっかりしろ! 下僕にされるぞ!」 羽妖精のキルアが、グラウシードの後頭部にケリを入れる。 ち、と舌打ちしたのは宝狐禅の伊邪那だった。柚乃が首を傾げる。 「あれ? 違うのですか、伊邪那様」 「そいつはあとよ! 次!」 柚乃は言われることを素直に信じ込んでいる。 少女と一匹が遠ざかり、グラウシードは真面目に自分探しを始めた。 「ぬう、何処かに名前など書いておらぬものか……」 手がかり求めて荷物をあけまくるが、当然グラウシードの荷物ばかりではない。 「失礼するぞ。手がかりを探さねば」 グラウシードが開けた荷物は緋神のものだった。忍犬の近くにあったので間違いない。 「あ、私もまだ見てないのに……え?」 荷物の中身は、男と男の熱愛と官能を書いた絵巻が数本。淫らな表紙絵の冊子もあった。 先日神楽の都の行われた開拓ケット(カタケット)という催しの戦利品だ。 仕事場にまで衆道本を持ち歩く緋神の趣味は兎も角。 「なんだこ……ぶふぉ!」 グラウシード、渾身の一撃で弾き飛ばされる。 無闇矢鱈に人様の荷物を開けてはならない。 緋神は内心取り乱しつつも、グラウシードに反射的に蹴りを叩き込んで吹き飛ばすと、何事もなかったように絵巻を元に戻し、急に思い出した術で地面にずぶずぶと沈んでいった。 いたたまれない。 そして喪越は……延々からくり綾音と語らっていた。 「それにしても、僕を主と呼ぶ君は?」 「はい。諸国を放浪されて人々に救いの手を差し伸べていらっしゃる、稀代の(変態)紳士、喪越様――つまり貴方様にお仕えする冥土の綾音と申します」 「そうだったのか! それは苦労を掛けたね。他の人達も記憶を失っているようだし……何とか、彼等だけでも記憶を取り戻せないだろうか。原因はわかっているのかい」 記憶がない喪越の恐るべき謙虚且つ普通なセリフに、綾音が早々に飽きる。いい加減に記憶を取り戻して欲しいとは思いつつ、どうすれば記憶が戻るのかさっぱりわからない。 「どうしたんだい」 「いえ。こういう時は、強烈に脳を揺さぶるのが良いと伺ったことがあります。さらに、主の性癖を考えると……やはり、『乳、尻、ふとももー!』でしょうか?」 紳士な喪越。耳を疑う。 「え? 性癖?」 「さて、獲物は――ふっ。主の望みを叶えるのも冥土の勤め。ではいざ……ちょいやー!」 からくりの回し蹴りが、喪越の鳩尾に叩き込まれた。 「うご!」 吹っ飛ばされる先は――――地獄の一丁目だ。 時は少し巻き戻り。 ウェンカーは自分の日記をひたすら捲りながら、戦慄を覚えていた。 「……大半に誰かへの恨みというかなんというか、呪詛っぽいものが延々と書かれているのは気のせいでしょうか。あら、この立派な本はなんでしょう」 やけに立派な黒い革張りの本だった。金縁の小さな文字に目を凝らす。 「えーと『どさくさに紛れてぶち殺すリスト』ですか」 思考停止。 「……え? ……ぶち、殺す? 一体、何を書いてあるんでしょう」 赤錆た文字がびっしりと書かれていて目が痛い。ウェンカーは適当な項目の読みやすそうな行を探した。そこには次のように書かれていた。 ※ ※ ※ 暗殺計画137号 握手からのアイシスケイラル ターゲット:喪越 ※ ※ ※ ウェンカー、絶句。 魔術知識もすっぱり抜けているので具体的にどんなものか想像できなかったが『暗殺計画』と書かれているだけに、余りよろしくない内容にしか思えない。 「……ミラージュさん、でしたけ」 「なんでしょう。フィーナ様」 「私って記憶を失う前はどんな人間だったのか……正直、思い出すのが怖いです。このままっていう訳には、いきませんか?」 「フィーナ様は日記通りの人柄です。それに記憶喪失はいつもどるか……あ」 冷酷なツッコミを入れるからくりの視界に映ったのは、ウェンカーの方へすっ飛んでくる喪越とグラウシードの二人だった。 「ぶつかる!? そこの女性どいてくれ!」 「ぬあああ!」 「きゃあああああああ!?」 純真無垢な貴婦人ウェンカーは、むさい男二人の下敷きになって気を失った。 まず正気に戻ったのはネネだった。 泣きじゃくって酷い顔の人妖ミュリエルを宥め、どうしたものかと狼狽えつつ、いざ仲間を治癒してまわろうと天幕の外へ出ると、妻の緋神に顔向けできない若き亭主が、巨木に頭を打ち付けていた。 「う〜ふ〜ふ〜、天〜藍〜君〜?」 恋する乙女顔の緋神は、盛大にびくついた劉を背中から抱きしめる。 温度差が凄まじい。 「知らなかった、あんな情熱的な一面があったなんて。こっち向いて。約束でしょ?」 劉は片手で顔を覆って硬直したまま。 一方の緋神は、バツの悪そうな旦那を可愛いと思いつつ、薄い本用の萌えネタを書き留める。 人妖大門は空気を読んで他所の治療に向かい、忍犬は欠伸を噛み殺した。 次々と人妖の治療を受け、皇は酒飲みを続行し、柚乃は「い、伊邪那ー!」と相棒を叱りつけようにも勝手に同化。慌ててグラウシード達に謝りに行ったが、謝罪は男たちの耳に入らなかった。 怒っていたわけではない。 絶望していた。 「う、うわああ! す、すまない! わ、私がうさみたんのことを忘れるなんて……ごめんだお、ごめんだお、キルア私としたことが、うさみたんを、うさみたんを、あ、キルアも忘れててすまな……」 「貴ッ様〜、なんで私がぬいぐるみの後なんだああああ!」 眉間に拳一発。 失神した。 しかし最も、絶望していたのは綾音の謀略でウェンカーに体当たりさせられた喪越だった。 事故とは言えど、黒き魔女の太ももを触ってしまった。 正気に返って、即効で荷造りし、たった一人(とからくり綾音)で夜の野営を脱出した。 「男には、去らねばならぬ時がある! ってなぁ! あばよ!」 最後に目が覚めたウェンカーは、猛烈な殺意を漂わせていた。 第一標的が一足早く逃亡したことを知り、手帳の刑を書き換えていく。ミラージュが黙祷を捧げたことから、その刑の恐ろしさを察することができる。きっと骨も残らない。 ひと仕事終えたウェンカーが、黒焦げになった鍋を見下ろした。 「それにしても……誰が鍋という神聖な食事に、毒キノコを入れたのでしょうね。誰かは知りませんが、悪意がないなら許します。罪を憎んで鍋を憎まず。それがナベビトたる矜持です」 鍋の残りは炭化し、ネネが『原因のキノコを探しつつ、研究に使います』と言って持って帰ったのだった。 |