強き者の苦悩
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/09/17 16:57



■オープニング本文

 彼女はかつて強き者であった。
 愛想もよく働き者で、奢るところのない女性だった。
 昔は誰からも愛されていたんだよ、と語るのは古い馴染みたち。

「どうして、こうなってしまったのかな」

 長年開拓者という勤めを続けていると、不思議な縁が生まれる。
 それは国や里であったり、住民や依頼人など様々だが、時々人との関わりから開拓者という仕事から足を洗う者も現れる。
 今回持ち込まれた依頼の標的は『引退した開拓者』だった。

「彼女の名前は、黒羽(くれは)よ」
「そう呼んであげて欲しい」

 元々アヤカシという脅威と対峙する開拓者は、正直な話をすれば、いつ命を落とすか分からぬ流浪の者にほかならない。
 それが故だろう。
 ある霧深い里の年寄り達は若者たちに対して、山の男や海の男に惚れるな、と囁くのと同じく、開拓者と親しくなることを公に禁じた。里人と開拓者の間にあるものを、雇用関係のみにしておきたかったに違いない。得体の知れぬよそ者を必要以上に招き入れたくなかった、という事も本心であろう。
 しかし頑なな障害は、若者たちの好奇心を刺激するだけに留まる。
 特にひと目を盗んで逢瀬を重ね、開拓者の黒羽を里から離れがたくしたのは、里長の一人息子だった。別に物語に語られるような美貌など持ち合わせていない。ただ会う日々を重ねるうち、裏表のない性格に好感を覚えたのだろう。
 何よりも男の言葉が、正義感に溢れる黒羽の胸をうった。

『どうか帰らないでください』
『誰よりも里の未来を考えてくれる人に残って欲しいのです』
『私には、あなたが必要です』

 開拓者には神楽の都に居を構える義務がある。
 彼女は仲間に事情を説明し、開拓者をやめ、男と結婚して里に残った。
 終の棲家と心に決めて。

 ところが黒羽の人生は、物語のようにうまくはいかなかった。

 二人の結婚は里長の逆鱗に触れ、誰からも祝福されなかった。
 男には許嫁が存在し、既に持参金目当ての縁談が決まっていたのである。反対を押し切って結婚した手前、黒羽は責任を取ると宣言し、自らの私財を持参金として、里長夫婦に献上した。命をかけて必死に戦ってきた分、黒羽には蓄えがあった。黒羽の蓄えは許嫁の持参金を遥かに超える金額であったにも関わらず、それでも結婚を許されることはなかった。
 とくに姑は大人しい嫁につらく当たり、言葉の鞭と置物の雨をふらせた。
 女親にとって息子というものは特別なのだ、と。
 手紙で近況を知らせ合っていた友は、慰めにならない慰めを囁く。
 利口な顔で無理やり納得した黒羽が、人知れず影で泣く一方。
 愛する息子を奪った女を、姑は恨み憎んだ。

 誰にも祝福されない結婚生活は半年続いた。
 
 黒羽は誰にも感謝されなくとも里を守り続け、夫と暮らす囁かな時間だけを拠り所にした。
 ところがある日。
 アヤカシの襲撃で、里を守ろうと奔走した黒羽が家に帰った時、そこには食い殺された夫が横たわっていた。一人で里を守るなど到底無理な話だ。夫を失った悲しみに暮れる黒羽を、里人は誰もいたわらなかった。

『やくたたず』
『疫病神』
『お前が殺したようなものさ』

 心無い言葉を浴びせ、葬儀にも参列させなかった。
 黒羽は拠り所を失った。
 こんな状態でも里を守る意味があるのだろうか、と手紙で古い友人に問いかけた。

「帰って来い、と言ったの。居心地が悪いだろうから」

 そして決定的な事件が起きた。
 黒羽が神楽の都へ帰ることを決めた翌日、黒羽の炎龍が殺された。嫌がらせと八つ当たりだ。眠っているところを里の人々に襲撃されたのだ。幼い頃から共に戦ってきた相棒は、龍肉となって里の者の胃袋に消えた。
 我慢は限界に達していた。
 無慈悲な仕打ちが、凄惨な光景が、優しかった黒羽を鬼女へ変えた。
 最後に届いた手紙は、赤黒い人の血に濡れていた。

「黒羽は、里長達を含める老人たち十数人を殺害して森へ消えた。
 この依頼書がギルドで張り出された時、私たちは思ったの。
『ああ、遅かった』
 って」

 机の上には二枚の依頼書があった。
 一枚は里人から、恐ろしい鬼女が夜な夜な人を殺しに来るから退治してくれ、というもの。
 二枚目は、裏の事情を知る昔の仲間たちが出した黒羽の討伐。
 子の刻になると里の十字路へ現れる黒羽は、いつの間にか鷲頭獅子を従え、不気味な哄笑をあげ続けている。

「事情は話したとおりだ。大勢の人を殺した以上、もうかばうことができない」
「でも、私たちに黒羽はとても殺せない。今でも大事な仲間だもの」
「このまま放置もできない」

 汚れ仕事であることを説明した上で、彼らは頼んだ。
 黒羽を眠らせてやって欲しい、と。


■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072
25歳・女・陰
静雪 蒼(ia0219
13歳・女・巫
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
紬 柳斎(ia1231
27歳・女・サ
九法 慧介(ia2194
20歳・男・シ
千代田清顕(ia9802
28歳・男・シ
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
ウィンストン・エリニー(ib0024
45歳・男・騎
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
エリアス・スヴァルド(ib9891
48歳・男・騎


■リプレイ本文

 耳をほじった酒々井 統真(ia0893)は「重っ苦しい話だな」と溜息を零す。
 まずエリアス・スヴァルド(ib9891)は元仲間達に黒羽の戦い方について尋ね、静雪 蒼(ia0219)は食い殺された黒羽の龍の名前や、かつての彼女の様子を尋ねる。
 厳しい表情のウィンストン・エリニー(ib0024)は「隊士として成敗致す」と告げた。
 黙っていたフェンリエッタ(ib0018)は陰鬱な表情で「私達にも有り得る末路よね」と呟く。
 アヤカシを滅する為の技術。
 それらは、力を戒めなければ人殺しの力に変わる。
 暗器を磨きながら千代田清顕(ia9802)が、もう一方の依頼書を一瞥する。
「俺は里人達の所業の方が、余程『鬼の名に相応しい』と思うけどね」
「ふふ、ほんに。よそものやったら、何をしてもえぇんやなんて……恐ろしぃおすな〜」
 笑いながら里の依頼書を眺める静雪の口元には、侮蔑の色が滲んでいた。
 振り返ったスヴァルドは肩をすくめ「あいにく第三者の開拓者は、被害者面した里の人々を守るのが仕事だ」と零した。
 フェンリエッタが依頼書を握り締める。
「必死の努力が報われない……救われない、なんてインチキな世界なのかしら」
 憎悪や殺意は呆気なく湧く。それを象徴するかのように、日々アヤカシは増えていく。
「確かに同情すべき点は有れど力に溺れてはならぬな」
 エリニーが荷を担ぎ、酒々井も立ち上がった。
「まーな。やっちゃいけねぇ事をやったご同業を止めるのも必要な仕事だ。ケジメが出来なきゃ、開拓者は一般人と離れた存在になっちまう。胃に来る仕事は初めてでもねぇ、やるさ」


 初めに「ギルドから派遣された開拓者です」と告げたのはジークリンデ(ib0258)だった。
 手早く自己紹介を済ませた後、北條 黯羽(ia0072)と静雪は依頼が『鬼女の討伐』のみであることを再確認する。家屋被害や怪我人の治療を体良く頼まれてはたまらない。
 静雪は引き続き襲撃の様子などを尋ね、エリニーは周囲に死角となる場所や袋小路がないかの確認に出かけた。北條やジークリンデ、スヴァルドたちは離脱を渋る村人を複数に分けて、近くの里へ避難させた。てこでも動かない老人たちは、一箇所に集めて万が一に備えるしかない。

「鬼女の討伐をくれぐれも頼みます」
 そんなお決まりの台詞を言ってきた老女に、千代田は薄く微笑んだ。勿論だ、と口は言える。しかし『頼む』のは一部ばかりで、圧倒的大多数が『金を払ったのだから、退治してくれなくては困る。それが仕事だろう』という横柄な態度をしていた。
 去り際に千代田が振り返った。
「そうだ。俺、ふと思うんですよ。黒羽を鬼にしたのは……誰だろうね」
 お前たちの所業を知っているぞ、と。釘を刺した。

 帰ってきたスヴァルドは手持ちのハープを壊して弦を結び、数箇所の罠にしようとしたが、実際にはさほどの長さは得られなかった。同じくジークリンデは森の監視に適した火の見櫓を探したが見つからず、森に面した長屋の屋根に立つしかない、という結論に至る。
 同じく戻った北條は「……名前、似てンなァ」っと呟いて森を見た。
 紬 柳斎(ia1231)が「なんぞ思うところでもあるのか?」と尋ねる。
 傍にいたフェンリエッタが微笑んだ。
「黯羽さんと黒羽さん、確かに似てるわね」
「いや、別に。それ以上でも以下でもねェンだが。なんとなくな」
 ひらひらと手を振る北條が「屋内で待機するさね」と戸口を潜った後、フェンリエッタが土の壁に背をあずけて剣を抜いた。
 紬が表情を伺う。
「大丈夫か」
「ええ。黒羽は、復讐と同じく破滅を……殺してくれる誰かを、望んでるのかもしれないわ」
 アヤカシも人間も斬ってきた剣をかざして、フェンリエッタは言葉を切った。


 茜色の空に闇の帳が落ちていく。
 星のまたたく夜だというのに、ひどく物悲しさが身を刺した。
 里の各所にスヴァルドやジークリンデ達の手で篝火が焚かれているが、里外れから森方面は闇の中だ。外警備のフェンリエッタ達は屋敷にはりついていた。千代田たちの手で、黒羽が狙うと思しき家の周辺に落とし穴なども設置してある。エリニーは常に巡回の為に歩き回っていたし、直立不動の紬の肩に乗った人妖春嵐が、暗視で闇の中に目を凝らす。
 一方、屋敷の屋内では静雪と北條が待機し、聞き出した日々の時間通りに煮炊きをし、煙で人の滞在を示していた。
「しかし、姉上が外で戦うってェのに、俺が待機ってェのは歯痒いさね」
 北條の呟きを拾った静雪が「気を張り詰めすぎたらあきまへんぇ」と緑茶を差し出す。
 ここは外の仲間を信じて、心を落ち着けておく必要がある。
 座って緑茶を飲んだ北條は「まァ、攻撃時機を逃さねェようにしねェとなァ」と言い、煙管の火皿に火を入れた。
 紫煙がくすぶらせて時を待った。

 罠用の吹雪を足元に封じた後、屋根上のジークリンデが懐中時計を眺めた。
 襲撃時間が近い。
 外の者たちに緊張が走る。
 勿論、北條は人魂を飛ばし、静雪は瘴索結界で周囲の状況把握に努めていた。


 闇の中から陽気な歌が聞こえる。
 大きな羽ばたきと共に、黒羽は里に現れた。
 空龍鎗真に乗った酒々井が空を駆け、地上から三十メートルほど上空の影に大声を放つ。
「黒羽、で間違いねぇな?」
 闇の影から返事はない。
 けれど鷲頭獅子の背中から聞こえた歌声が止んだ。
 のそりと動く人影は、じっと酒々井達を伺っている。その隙に千代田が鑽針釘を放った。釘状暗器は六十メートルの先の標的すら貫くと言われる代物だが、闇の果てで硬質の音が響いた。
「届いてない?」
「刀で撃ち落としやがったのか」
 技を極めた者の証明を、肌で感じる。
 酒々井の目の前で、鷲頭獅子が翼を広げた。急に真上へ向かって飛んでいく。
 屋根の上ではジークリンデが宝狐禅ムニンを召喚し、己の武具に同化させていた。両手に収束する魔力が灰色の球体を生み出そうとしている。隣ではフェンリエッタが精霊砲を向けていた。スヴァルドも短筒で標的を狙う。
 全力で放たれる問答無用の連続攻撃は、中級アヤカシですら砕く威力を持っていた。
 けれど信じられない光景を、瞳は捉えた。闇の果てから羽ばたきが聞こえる。
 黒羽と鷲頭獅子は、無傷だったのだ。
「ダメだわ」
 フェンリエッタが呻く。
「あの距離では真空刃も届かぬぞ」
 続いて、紬が冷静に目を凝らした。
 どんなに威力を高めた攻撃でも、届かなければ意味がない。
 紬やエリニー達はなすすべもなく空を見上げ、スヴァルドは鷲獅鳥イェオリに騎乗した。
 滑空艇の曉で上昇しながら、千代田は鷲頭獅子が旋回する場所に照明弾を打ち込む。
 連続して放たれた人工の明かりが虚空を照らす。
 鷲頭獅子の背に、黒羽はいた。

 人殺しの瞳をしていた。

 かつて乱世を生き抜き、開拓者ギルドを支えるひと柱だった女性志士は、頂点を極めた王者の風格をそのままに、冷徹な眼差しの獣と化していた。薄い唇が、音もなく言葉を象る。

『ここまでおいで』

「うおおおおおおおおおおおお!」
 雄叫びをあげて、酒々井は空を駆けた。
 鷲獅鳥イェオリと滑空艇の曉が、空龍達を追う。空龍鎗真が不規則に空を飛び、鋭い咆哮と共に風の刃を創りだす。鷲頭獅子までの距離が三十メートルに差し掛かり、風の刃は鷲頭獅子の足を裂いた。
 刹那。
 黒羽から放たれた精霊砲とかまいたちが、空龍鎗真と鷲獅鳥イェオリに襲いかかった。
 力量の差は明らかだった。
 避けられなかった。たった一撃で、相棒たちが瀕死に陥る。
 志体持ちといえど強靭な肉体を持つ人間には変わりない。遥か高い空の闇から落下した二頭と二人は、致命傷を負っていた。
 膨大な魔法力を持て余すジークリンデが「私が」と墜落現場に急ぐ。
 滑空艇の曉で再び照明弾を打ち込むと、黒羽は逃げる節もなく月を背にして立っていた。

 黒羽を地上に落とせなければ、勝機はない。
 皆が絶句して見上げるなかで、千代田は深手を覚悟で滑空艇を急激に加速させた。たった一瞬で鷲頭獅子に迫った千代田は、奥義で僅か三秒半の時を制し、鷲頭獅子の急所に刃を突き立てて捻り抜いた。
 砕け散りゆく鷲頭獅子の背中に……黒羽がいない。
「落ちたの、か」
 急に、刺すような痛みが体に走る。
 脇腹が熱い。
 がくん、と滑空艇が揺れた。地上から喚き声が聞こえる。
「……あなたに恨みはないけれど」
 耳元から可憐な声がした。針金が織り込まれた忍装束を貫いて、腹から生えている刀の存在にようやく気づく。恐るべき速さで切り込まれ、背中から腹へ貫通していた。
「やっと捕まえた足を奪ったのだから、あなたの足を頂くわ」
「くれ、は」
 引き抜かれる。
 かつて七色に輝いていた聖なる霊刀は、赤黒い血に染まっていた。
 激烈な痛みで我を失いかけていた千代田が、頭を働かせる。このまま滑空艇を奪われれば、黒羽には逃げられる。よって千代田は地面に向かって加速し、黒羽と共に激突した。
 滑空艇は黒煙を上げて大破した。
 黒羽が屋根に飛び移り、千代田は腹に穴を開けたまま地面に転がっていく。

 ところで北條から状況を聞かされた静雪は、裏口からひっそりと屋敷を抜け、千代田の元へ向かった。ジークリンデは2体と2人の回復で手一杯だったからだ。
「気をつけてや」
「ああ……さぁて。刃那、呪声や神風恩寵で援護だ。回復手が根こそぎ持ってかれてるンでなァ。ただし無理は禁止だぜ?」
 人妖とともに機会を待つ。


 その頃、屋根に降りた無傷の黒羽は今夜の標的を目指していた。
 放たれた精霊砲は紬に向けられていたが、紬の素早さは黒羽の技術を僅かに上回っていた。無傷で砲撃をかわす一方、かまいたちの直撃を受けたエリニーは深手を負う。
 フェンリエッタが宝狐禅カシュカシュを召喚し、七色の扇に宿らせた。
「黒羽。あなたは、まるで私ね。自分の全てをかけて、それでも受け容れて貰えず、失う、その絶望がいかほどか、分からないわけじゃない……だけど」
 紬に追われながらも、着実に接近する。黒羽に狙いを定めたフェンリエッタは、神楽の舞で精霊の助力を乞うた。重苦しい空気が、黒羽の足を鈍らせる。けれど突進は止まらない。
「この力は、誰かを傷つける為のものじゃないわ!」
 ああ。
 精霊に捧げられた刀が泣いている。
 黒羽がフェンリエッタを切り捨てようと迫った途端、隠れていた北條が獰猛な九尾の狐を召喚して黒羽に嗾けた。一瞬で終いだ、と北條は勝利を確信した。
 ところが。
「ふ、防ぎやがったのか」
 白狐の爪や牙は、黒羽の体を掠めただけだ。
「だが、誰かを忘れておるぞ」
 北條の白狐から逃れた黒羽に、紬が迫っていた。
 紬の操る殺人剣が闇に閃く。幾重にも分裂した剣先は不意をつかれた黒羽を惑わし、肩を抉った。
 鮮血が迸り、肩をえぐられた黒羽が間合いを取る。
 けれど黒羽の目から、憎悪と殺意は消えていない。
 普通の者なら叫ぶほどの怪我なのに、黒羽は呻きもしない。
「……今回のことは、村人の自業自得であろう。と、拙者は思う」
 紬は刀についた黒羽の血を払った。
「おぬしに一つだけ問おう。黒羽よ、貴様はその先に何を見た?」
 沈黙が闇を支配する。
 やがて黒羽の唇が動く。
「何もないわ」
「何?」
「夢も希望も未来も、全てが消えた。衝動だけが、ここに残った。それだけ」
 憎悪が、怨嗟が、拭いきれない悲しみが。

 空っぽの体に残っただけ。

 月を背にした黒羽の涙は、何を示すのだろう。
「所詮は戯言! 黒羽、そなたの言葉なぞ責任転嫁! 言い訳にすぎん!」
 あえて挑発して注意をそらしたエリニーに、猛烈な殺気と精霊砲が浴びせられた。羽妖精の浅葱が礫を投げる。そこに紅蓮の燐光を宿らせた拳を叩き込んできたのは、墜落で死に喘いでいたはずの酒々井だ。
「ち、やはり早いな。さっきはどうも。三途の川から、借りを返しに来たぜ」
 遠ざかった黒羽の体が、揺れる。
 荒い息を吐いた千代田が、静雪に支えられて、黒羽の影を縛っていた。
「今のうちに仕留めるんだ!」
 治療から戻ってきたジークリンデが再び宝狐禅ムニンを召喚する。その前方ではフェンリエッタと紬が大地を蹴っていた。
「邪魔だああああああああああああ!」
 黒羽が放った風の刃は、動きを阻害していた千代田を貫いた。
 再び自由を手に入れた時、全力で走った紬とフェンリエッタが肉薄していた。
 交錯する視線に、迷いはない。
「同情はせぬ。憐憫もない。ただおぬしが未来の拙者と思って今はただ切り払うのみ」
「もういいの、もう充分戦ったわ。だからせめて、早く終わらせるから」

 抜刀、一閃。
 二人の刀が、遠き日の王者を刻む。
 血潮が弧を描いて地面に散り、鬼女と呼ばれた戦女神は膝を折った。

 ひゅーひゅーと喉から漏れる呼吸が浅い。
 黒羽は人間なのだから、アヤカシのように砕け散ったりしない。
 その事実が、皆の胸に重く影をさした。
 血を浴びたフェンリエッタが嗚咽を零し、北條が呪術指輪をはめた手をかざす。
「……悪ィが、黒羽。死体が残ると面倒が増えそうなンでなァ。苦しみは少ないよう、即座に殺してやるので勘弁してくンな」
 道を極めた同業なのだから、これから何が起こるのか。黒羽には分かっただろう。
 腐臭を漂わせた不気味な肉塊が傍らに現れ、おぞましく嘶く。
 北條は低い声で囁く。
「諸余怨敵――――皆悉摧滅」

 …………十万億土の途路の果てで、惚れた男に逢ってきな。

 救うために巫女になった。
 守るために志士になった。
 星の数ほどのアヤカシを葬り、数え切れぬ里と人々を救った。
 賞賛されるべき血塗られた英雄は、その短い人生に、最悪の形で幕を下ろした。

 三度食われた黒羽の体は身動きせず、首と胴が離れていた。
 静雪が首を拾い上げ「ゆっくりお休みや」と囁くと、瞼を閉じさせて冷たい頬をさすった。フェンリエッタも「おやすみなさい」と冷たい遺体に触れる。浄炎で燃やそうとした静雪に「待った」をかけたのは千代田とジークリンデだった。
「ええけど、二人共どないするん?」
「考えがあるんだ。薬指を俺が預かりたい」
「では残りを集めてください。救うことはできないけれど、せめて誰にも穢されないところに葬ってさしあげましょう」
 様子を見守るスヴァルドは全てを終わらせた黒羽を、哀れむでもなく、ただ羨望の眼差しで眺めていた。自らの手を見て、自嘲気味に笑う。


 粛々と埋葬を進めるエリニーたちに「やっと片付きなさったか」と言ってきたのは老人たちだ。血臭に顔をしかめ、掃除が終わり次第、他の片付けにも取り掛かってもらわねばならない、と言ってあちこちを示す。
 静雪は鼻で笑った。
「……厚かましいやっちゃなぁ。都合よすぎてあきれてしまうわ」
「なんじゃと」
「開拓者をよそもんや言うんやったら、後は全部自分達でやりはるんが筋や。信頼や信用ないお金のみの関係やったら其れが当たり前やぇ? 事前に確認したやろ? 鬼女を討伐するだけやって。依頼料もそうなってる。建物の修理や怪我人へ高度の治療をしてほしいんなら、改めて大金積んでギルドに依頼を通すことや」
 静雪と言い合う老人の群れを眺め、スヴァルドが眉をしかめる。
「人は他者を排除するため、どこまでも冷酷になれる。自分たちの行動の結果が生み出した惨事だと、彼らは気づいているのだろうか……おい?」
 血塗れのフェンリエッタが歩きだした。
 凄惨な姿の彼女を見て、人々が道をあけていく。汚れだ、と宣う老婆もいた。
 フェンリエッタが奥歯をかみしめる。
「忘れないで」
 ぽたぽたと流れる血は、何の為に流されたのか。
「黒羽を殺したのは、私たちじゃない。あなた達よ。村の仕打ちに、心がどれ程の血を流したか。志体持ちだってただの人間なのよ。どんな事があっても、他人を虐げていい理由にはならない」
 止まらない。
 声が、殺意が、溢れても、どうすることもできない。
 時は戻らない。
「それが解らないならアヤカシと同じ、人でなしだわ」
 フェンリエッタはその後、黒羽の夫の遺品提供を願い出たが、里長と姑に断固として拒まれた。


 酒々井はガリガリと頭を掻いた。
「……あー、くそ、嫌な仕事だ」
 元より分かっていたが、村人を裁くことはできない。憔悴した顔のフェンリエッタに声を投げる。
「せめて、この話はしっかり残さねぇとな。同じような事が無いように。同業が、こんな連中にひでぇ目に遭わされねぇように」
「ええ、そうね」
 この村は、遠からず見捨てられるだろう。
 ところで黒羽の遺体を集め、ララド=メ・デリタで灰に変えたジークリンデが、小瓶に遺灰を積めた。
 エリニーが首を傾げる。
「それはどうするのであるか?」
「かつての仲間の元に。弔ってくれる者の所がよろしいかと」
 フェンリエッタは小瓶に語りかける。
「黒羽……貴方はこれで楽になれた? ごめんね……私も忘れないわ」
「なら、もう一つ拾って帰らなあかんもんがある。里の外で待ってておくれやす」
 静雪は里の生ゴミを捨てる穴へ出かけていった。食料にされた黒羽の龍。その遺骨か遺品を持ち帰り、古い仲間の元で、遺灰と一緒に彼らの墓を作るつもりでいた。
 北條黯羽が紬に声をかけ、帰ろうと身を翻す。
 紬は歩きながら、独り言のつもりで「引退した開拓者の末路、か」と瞼を伏せた。
「姉上?」
「拙者も笑えんかもしれんなぁ。何時同じ穴の狢となるか。最早半隠居の身ゆえな。……いや、冗談だ。睨むでない黯羽」
 同情はしない。
 黒羽にも、村人にも。
 けれど黒羽が見た闇は、言葉は、胸の内に刻んでおくべきだと思った。だから聞いた。意味がないとわかっていても。彼女が生きた刻の終わり、救いのない闇の果てに何を見たのか。
 結局、泣きはらした瞳の向こうにあったのは、虚無だった。
「世は無常よなぁ」


 人が寝静まる時刻のことだ。
 仲間の治療を済ませた静雪は、一部の仲間と里の外れにいた。
「大丈夫、だれもおらんで」
 千代田清顕は周囲を伺い、黒羽の夫……雅紀の墓の後ろに回って、草が生い茂っている場所に刀を刺した。掘った事が悟られぬよう、慎重に草のついた表面を剥ぎ、黒羽の指を忍ばせると元に戻す。数日もあれば土の裂け目に草が生えるだろう。姑に断れば拒否されると悟っていた千代田は、黒羽の遺体を墓の死角に埋めた。
 ひとかけらの薬指を。
「……志体のない人に酷な話かもしれないが」
 膝に付着した土埃を叩き落としながら、千代田は語りかけた。
「雅紀さん。あんたは石に齧りついてでも、生きるべきだった。そしてあんたが彼女を守ってやるべきだったよ」
 優秀で善良な開拓者だった黒羽が、なぜ非業の最期を遂げざるをえなかったのか。
 黒羽と里の架け橋は夫だ。
 静雪の聞き込みで、彼の事勿れ主義が判明している。
 彼が生きていたら、否、生前少しでも里に黒羽を受け入れるよう働きかけていたら、或いは夫婦で里を捨て別の人生を選んだならば……こんな事にはならなかった。雅紀が黒羽を里の犠牲にし、そしてそんな雅紀を黒羽は選んだ。
 千代田は星の瞬く空を見上げた。

 流れてゆく星へ。
 ささやかな幸せを、祈らずにはいられない。