開拓ケット?〜裏の陣〜
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 19人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/09/07 14:29



■オープニング本文

 入道雲が泳ぐ空の下。
 熱気に満ちた古い屋敷で、その叫び声は響いていた。

「たいちょー! さぁくるの紹介板が同封されていません!」
「直ちに問い合せろ!」

「たいちょー! また未納者です!」
「かまわん。送り返せ!」

「たいちょー! 彫師が一名、寝不足で脱落しました!」
「喉に酢を流し込んで覚醒させろ! 醤油と酒は与えるな!」

「たいちょー! 墨汁が足りません!」
「直ちに増員し、墨を擦れェェェ!」

 目の下に隈をつくった彼らは、とある催しを支える縁の下の力持ちであるが、準備も佳境に入った今、室内は異様な熱気に満ちていた。

 + + +

 最近。
 神楽の都で謎の催しが若者の間に流行っている。
 通称、開拓ケット(カタケット)……業界人からは親しみをこめて、そう呼ばれていた。

 カタケットとは『開拓業自費出版絵巻本販売所(絵巻マーケット)』の略称である。
 何を売っているのかというと、名だたる開拓者や朋友への一方的で歪んだ情熱を形にした、絵巻や雑貨品の数々だ。
 もちろん本人の許可を得ているわけではないので、半ば犯罪である。
 また開拓ケット会場には著名な開拓者の装備を真似た仮装を得意とする、仮装麗人(コスプレ◎ヤー)なる方々も存在していた。
 業界人にとって、開拓者や朋友は、いわば憧れと尊敬の的。秘匿されるべき性癖のはけ口といえよう。

 開拓者ギルドに登録する開拓者の数。
 およそ2万人。

 神楽の都が総人口100万人と言われる事を考えると、僅か2パーセントに過ぎず、世界各国で活躍する活動的な開拓者に条件を絞れば、その数は更に減少する。
 開拓者とは、アヤカシから人々を救う存在である。
 そして腕の立つ開拓者は重宝される。
 英雄たちの名は人から人へと伝えられ、人々の関心を集める結果になった。
 問題は……彼ら英雄を元に、想像力の限りを働かせる奇特な若者たちが、近年大勢現れたことにある。
 憧れの英雄は、彼らの脳内において好き勝手に扱われた。

 その妄想に歯止めなど、ない。

 妄想は妄想を呼び、彼らに魂の友を見いださせ、分野と呼ばれる物が確立される頃になると「伴侶なんていらない、萌本さえあればいい」そう言わしめるほどの魔性を放っていた。

 + + +

 毎回拡大していく開拓ケット(カタケット)を支えるのが『カタケット事務局』と呼ばれる運営スタッフたちである。
 彼らは催しを企画運営しており、会場の確保からさぁくるの募集、印刷の元になる絵を作る絵師の管理、木版印刷の元になる版を彫る職人やその版に着色をして絵を刷る職人の紹介、さらには催し当日の会場案内図制作を含め、その業務は多岐にわたる。
 けれど。
 急激に巨大化した組織は破綻しやすい。
 カタケット事務局も人員不足が深刻化し始めていた。
「たいちょおぉぉぉ!」
 本日も響く裏舞台の悲鳴。
「……く、こうなったら人海戦術だ! 依頼書を此処へ!」

 まもなくギルドに次の依頼が届く。

『絵巻即売会を盛り上げたい、そこのアナタ!
 毎日、様々な絵師や彫師や刷師が出入りする、芸術性の高い職場で働いてみよう!
 職人から技術を学べちゃうかも?
 時間がアンバランスなので住み込み推奨!
 三食まかない付きのユーモアに溢れる職場です!
 働く人は十代から六十代まで幅広い!
 服装は自由! 仮装オーケー!
 まずは簡単なお仕事からお任せします!
 和紙の種類や墨の種類にも詳しくなれちゃう!
 忙しい季節の救世主! 期待の助っ人は、そこの君だ!』

 気軽に依頼を受けた人がひとり、またひとり。
 まさか三途の川を見るとは思うまい……


■参加者一覧
/ 鈴梅雛(ia0116) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 露草(ia1350) / 御樹青嵐(ia1669) / 九竜・鋼介(ia2192) / フェルル=グライフ(ia4572) / 海月弥生(ia5351) / 菊池 志郎(ia5584) / ニノン(ia9578) / エルディン・バウアー(ib0066) / ヘスティア・V・D(ib0161) / ミノル・ユスティース(ib0354) / フィーナ・ウェンカー(ib0389) / 劉 那蝣竪(ib0462) / 蓮 神音(ib2662) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 戸隠 菫(ib9794) / フェリシア・ローザ(ic0613


■リプレイ本文

 天下の開拓ケット(カタケット)を支える、運営事務局。その仕事は恐るべき物量がある。
 窓口や事務の仕事は、まず書類の不備がないかを確認した後、見本誌の内容を確認するため、見本誌や絵巻と書類を重ねて渦高く積んでいく。
 迫り来る人の波に埋もれながら、フェリシア・ローザ(ic0613)は天井を見上げた。
 あぁ、空はあんなに青いのに。
 とか存在しない第三の目で、青い空の幻覚を見てしまう辺りは……過労の初期症状に違いない。人は皆、誰しも現実逃避をするものだ。文字通り、逃げ出したくてたまらないローザは、蠢く蛆虫を眺めるように、切羽詰った人々を眺めていた。

『……何故、人は皆、締切り間際に駆け込むのでしょう?』
『……残り一分で『今すぐ版彫ります』って、一体なに?』

 人は何故こんなに物を忘れるのか?
 虚空に尋ねても答えはない。
 従って延々と繰り返される虫の戯言に最終通告を打ち付ける。
「よろしいですか。必要事項が記載されていなければ、容赦なくハネますよ!」
 目尻が釣り上がり、眼光が鋭く光り始めている。
 海月弥生(ia5351)は仲間の変貌を眺めていた。
「ある意味、本当の修羅場ね。絢爛乱舞な地獄図なのかしら……趣味を極める、ってこういうもの?」
 ギルドで気軽に依頼を受けた自分を責めたい。ため息をこぼして書類に向き直る。
「まあ、引き受けたからには、ちゃんとやってあげるわよ」
 海月の目つきが厳しく変わる。
「これも、こっちも……書類不備じゃない! 料金未納とか問題外! 手抜かりすぎよ!」
 器用さに自信のある露草(ia1350)は、襷で着物の袖を纏め、カッ、と双眸を見開いた。
「かかってきなさい、事務処理!」
 自らは参加申し込みも絵の入稿も済ませているので、余裕に満ちた環境が彼女の表情を輝かせている。
「お仕事はきっちりこなさないとね」
 念入りに申請書の中身を確認し、問題ない封筒を受け取った緋神 那蝣竪(ib0462)は、大手、中堅、弱小などの規模を確認して箱に分けていく。しかし有名さぁくるの木版や見本誌を見るたび、思わず手が止まって凝視した。
「このさぁくるさん、初めて見るけど割と好みかも……今度、絵巻物買いに行ってみよ」
 鼻歌が聞こえてくる。
 ニノン・サジュマン(ia9578)は書類の仕分けをしながら、戦本番に向けて傾向分析を始めていた。
「この夏は陰殻ものが強いようじゃの」
 呟きを拾った緋神が「これもそっちにお願いね」と手元の陰殻じゃんるを明け渡す。
「ぬ? どれどれ。慕容王と弾正の一見ドライな命のやりとりに隠れた血塗れの深い愛か……見本絵巻は『私以外の手にかかるなんて許さない』……くっくっく、燃えるのう」
 露草は見本誌の表紙を眺めて悦に入っていた。
「ふふふ、この方も参加されるんですね。ああ、この方の絵……素敵! は!」
 浮かぶ雑念を「いけない、いけない」と首を横に振ってねじ伏せる。まだ申請書の確認作業が済んでいない。見本確認はご褒美なのだ、と自らの魂に言い聞かせる。
 サジュマンが誘惑を囁く。
「露草殿も見ればよいではないか」
「全部済んだら拝読します。うふふ……あはは、ご褒美が! 私を! 待っているのです!」
 露草の脳裏を駆け巡るのは、全年齢ほのぼのだ。
 しかし心の春は長くは続かない。
 サジュマンは次第に、ある理由で発狂していった。
「ぬぅぅぅ、宛名に御中がついておらぬわ! 基本がなっておらん! 大体、これはどういうことか!」
 仕事が大変というよりも、個人的に統計をとっていて、愛すべき『爺ぃずラヴ』改め、大本命の『大伴×藤原』のさぁくる数が激減している事に気づき、大声を上げて叫んでいた。
「馬鹿な! 陰殻に鞍替えじゃと? いくらギルドが不干渉を貫いたからといって、あっさり流行に流されおって! こういう時ほど舞台裏を創作すべきではないかァァァ!」
 よほど腹が立ったのか、サジュマンの怒りと絶望は不備の書類に向けられた。
「分野番号が間違っておる! 抽選漏れ行きじゃ!」
 サジュマンの双眸に鋭利な光が灯る。
「ぬう、これはだみぃさぁくる! 滅べ! だみぃと徹夜者は滅べェェェ!」
 叫び声を小耳に挟んだローザが「だみぃってなんですか?」と、緋神に初歩的な疑問を質問する。開拓道に染まっている緋神は物知り顔で「あー、それはね。売る気がないのに席を取って、衣装の荷物置き場にする、仮装麗人のさぁくるとかよ」と説明していた。
「ところで……いつきちゃんは、そこで何を?」
「お掃除しててねって言われたのー! がんばるなのー!」
 人妖の衣通姫は不要な書類をビリンビリンに引き裂き、ゴミ箱へ投下していた。
 海月は手元の書類を握りしめて「偶にはこういう命の心配が無い、和気藹々とした裏方仕事も良いものよね。趣味人の気楽に関われるお仕事はいいはずなの、はずなの」と自らに暗示をかけていく。
 一方。
 表に出ると特殊な意味で混乱を招くエルディン・バウアー(ib0066)は、奥の部屋で見本誌の内容確認をしていた。誰よりも早く見本誌確認に挑んだのは理由がある。
「くぅ、フィフロスが使えればこんな思いは……」
 フィフロスとは本に宿る精霊に語りかけ、書物の検索を手伝う魔法だが、この日、バウアーは術の準備を忘れた。よって手作業で必死に『自分を題材にした見本誌』を探している。仕事仲間に、自分のあられもない姿を見られる訳にはいかない。
「こ、これは……破廉恥です。それは口に入れるものじゃありませんよ!」
 物言わぬ絵巻に抗議する男。
 推定28歳。
「彼のは太すぎます! 実際はそうじゃないです! 一緒に風呂に入ったんですから間違いない! 大体、人体の後ろはそういう事に使うものじゃありません」
 さらに号泣しだした。
 無駄な記憶が掘り起こされていく。
「こんな事をされたら壊れてしまいます。厠から出てこれませんよ」
 何が、ときいてはいけない。
 襖越しに聞き耳を立てる女性たちが、大いなる妄想の翼を羽ばたかせていたのは言うまでもない。
 だが、そうと知らないバウアーは見本誌を更に読みふける。
「……まじまじ見てる場合じゃありませんね。きちんと墨でぼかしてあればイイ、なんてそんな。これを冷静に見られるなんて、私も変わりましたね」
 無垢だった時代には戻れない。
 みかん箱に入ったあの日から、何か大事なものを失った気がする。
 枯れ木のようにしなびたバウアーが、それでも評価する部分があった。
 聖なる衣、カソックの正確さ、ロザリオの玉の数、演出に出てくる儀式の手順、書物の引用。それらは一字の狂いもない。
「少々形は違えども……教会の教えが、こんなに認知度が高くなっているなんて。私が開拓者として頑張ってきた甲斐がありましたね」
 いつかここから信者が現れるに違いない、と。バウアーは感動していた。


 ところで、こうした精神的に過酷な作業を支えるのが、皆の胃袋担当達である。
「またこの時期がやって参りましたねぇ」
 割烹着姿が板についているオカンな御樹青嵐(ia1669)は、黙々と米をといでいる。人妖の緋嵐は新鮮な野菜を洗っていた。いずれも近場の畑からの頂き物だが、注意しないと炒め物の中に、かたつむ(略)とかナメク(略)などが紛れ込んでくるので、気合をいれて洗わねば危険である。
「へー、季節の催しの準備なの?」
 蓮 神音(ib2662)が部屋の脇に追いやられた、当日の誘導用看板をみやる。
「即売会って何だかよく解らないけど神音、お仕事は頑張るよ! 神音も野菜洗うね!」
 そして大量の麦茶を作っているフィーナ・ウェンカー(ib0389)は感慨深げに眺めていた。
「これが噂のカタケット、その裏側ですか。前々から興味はあったんですよね」
「そうなんですか?」
「ええ。いつか私もカタケットに出展などしてみたいものです」
「出展……」
 急遽大金が必要で依頼を受けたフェルル=グライフ(ia4572)は、揚げ物に勤しみつつ、時々部屋を振り返っては、足の踏み馬もない光景を眺めて呆然としていた。
 虚空を飛びかう見本誌の山。
 中には水着といえない水着を着ている自分が、見る者を悩殺している表紙まで見えた気がする。
 人前であんな格好しません! 破廉恥です! と声を大にして訴えたい。
 依頼主の手前、言えないけども。
 しかし愛する人と自分が寄り添っている表紙や、相棒と自分が見つめ合っているものをみると、妙に確かめたいような……妖しい衝動に駆られるのも事実で、グライフはアレやソレを意識の向こうに弾き出すべく、台所の仲間に向き直る。
「ここ、大アヤカシとの戦いより地獄なんじゃ?」
 アヤカシなんて獲物で打てばいいもの、的な感覚になってきている熟練の開拓者にとって、非日常はどちらかというと此方だった。
「あはは。手伝いは命削るからねぇ〜、だから私たちは、せめて美味しい物作って、みんなに食べて貰って活力つけてもらわないと」
 カラカラと笑った礼野 真夢紀(ia1144)は長閑に声を投げる。しかし事務処理や彫りや刷りは家事以上の大変さがつきまとうと分かっていたので、引きずり込まれないように仲間の方を見向きもしない。
 グライフが首を傾げる。
「これから数日間、なんの料理にします?」
 拠点で常日頃料理を作りなれている身にとって、大量の料理をこしらえることは全く問題ない。少し疲れるくらいだが、この果てしない労働に勤しむ人々に何を提供すればいいのか、グライフにはさっぱり思いつかなかった。
 同じくまかない班になった戸隠 菫(ib9794)は、そのへんにあった『開拓萌』文字入り団扇で顔を扇ぎながら、煮える頭を働かせる。
「最近は毎日暑いでしょー、食べやすくて疲れも回復するような料理がいいと思うんだ」
 御樹が唸った。
「こういう時、がっつりした物になりがちですが……ここは手軽に素早く食べられて体調整えられる『納豆とオクラの素麺』や『鰻の冷やし茶漬け』など如何でしょう」
 戸隠が品目を書き出していく。
「好き嫌いにも対応できるようにしておこうか。癖のある食べ物が苦手な人もいるだろうし。茹でた素麺を氷でキュッと冷やして、おろした生姜とごま油を絡め、紫蘇と塩漬け肉、卵焼きを刻んだものを載せてもいいよね」
 礼野と蓮も賛成する。
「うん。饂飩や蕎麦の冷やなら食べ易いだろうと思う。あと……夕飯のカレーに豚汁は炊き出しの定番です。秋刀魚は食べ易いように竜田揚げにして、糠漬けで野菜補給とか」
「そーそー。皆お疲れみたいだから、元気がでるご飯作らなきゃ! 栄養たっぷり牛脛肉を煮込んで作った煮こごりゼリー、精力がつく山芋の大学芋に夏バテ解消蓮根団子の味噌汁もいいよね!」
 品目から溢れる慈愛。
 台所だけ優しさに満ちている気がする。御樹は物憂げに戦う人々を見た。
「ええ。我々ができる事といえば手伝いのみ。ならば微力ながら、皆さんの細やかな体調管理を全力で心がけ、効率よく限界まで働いて頂きましょう。修羅場という環境下においては、生かして殺さずが鉄則です」
 爽やかに鬼。
 そして誰も抗議しない。
 礼野がしゃもじと海苔を持ち出す。
「まずはご飯を、食べやすいおにぎりにしないと」
 そこへからくりが戻ってきた。
「マユキ、ゴミすて、おわった」
「ありがとう。しらさぎ、次は積んである布団を干してきてね」
「うん」
 からくりのしらさぎは、かび臭い布団を庭へ干しに行く。洗濯も果てしなく続くのだ。


 ところで作業部屋の奥で彫刻刀を手にした九竜・鋼介(ia2192)は、彫りの甘い木版を手に地味な作業を続けていた。長時間座り続け、猫背になる必要を迫られるので、腰を痛める上に、目を酷使する。疲れてくると、時々ザクっと指を刺す。めげそうになると練力と技術を行使して、消してひるまぬ覚悟を奮い立たせていた。
「気にしちゃいけない、気にしちゃいけない、気にしちゃいけない」
 念仏のように唱えて心頭滅却。
 そこへ「昼飯じゃぞー」と人妖瑠璃が、まかないを届けに来た。近くに落ちている木版を拾い上げて「……ほぅ、ようやく主殿を扱うさぁくるが増えて来たようじゃのぅ」と呟いた。


 こうした彫師が仕上げた木版に、墨や岩絵具を乗せて擦っていくのが、刷師の仕事だ。
 小文字が潰れないよう、色が混ざらないよう、高級和紙や岩絵具を選別していく感性と技術力も必要となる。岩絵具とは、辰砂、孔雀石、藍銅鉱、瑠璃など様々な鉱石、半貴石を砕いて作った顔料である。

 菊池 志郎(ia5584)は、からくり彩衣と高級和紙の種類や絵の具に感動していた。
「綺麗なものですね、彩衣」
「はい、主殿。私、こんなにたくさんの紙や絵の具を見たのは初めてですわ」
 菊池と彩衣は、慣れた手つきで岩絵具を調合し、木版に色をのせていく刷師たちの様子を眺め、まずは棚から指定された色の粉末を運んだり、職人を真似て絵具を作ることから手伝い始めた。元々宝石だった粉末は、光に透かすとキラキラと輝く。
「主殿。私も絵を描いてみたくなりました」
 硬質な彩衣の横顔は、どことなく微笑んでみえる。
 同じく刷師の手伝いになったヘスティア・ヴォルフ(ib0161)は刷師班に回されて早々、機敏に働いていた。
「運営さーん。新しい色ってなんか入ってるか? それを教えてくれれば動ける」
「左の桐棚が新色だな」
「はいよー」
「あと元来のものより細かい粒の品が出始めてるな」
「どれどれ……おー、新色の瑠璃がある。武天産の翡翠を砕くとか、すげぇ豪華だな」
 色や小瓶の形状、販売元を見て、一発で原料の産地を言い当てる程には、業界に足の付け根から頭のてっぺんまで染まっていた。
 ヴォルフは番号で指定された絵具を、用途や塗る範囲に応じて的確に使っていく。からくりのD・Dも日常的に自宅で見ているので、教えるまでもなく仕事に徹していた。
「おーい、D・D。お前器用だから、版木のほうに誘拐されないように……って、言った端から連れてかれんな!」
 どうやら彫師がひとり倒れたらしい。
 助手を取られまいと阻んだヴォルフの脳裏に、ふいに別の事が浮かんだ。
「一人融通できないか?」
 ヴォルフの口元が、にたり、と弧を描く。
「うちのD・Dは刷りは勿論、いつも何十頁も彫りを手伝わせてるからな。網掛けや各種点描も完璧に再現できるんだぜ。大事な助手だ……だが、貸し出してやらんこともない」
 おお、と彫り班は救世主を見た。
 しかし!
「貸し出しは可能だ。可能だが……俺の本表紙、箔押ししたいな〜。金とか銀が入ると、やっぱ高級感が違うんだよな〜。あとさぁ、頁の増量もしたいんだよな〜。中表紙とかぁ、次回予告とかぁ、泣く泣く削った頁が多くてさぁ」
 究極の駆け引きだ。
 猛烈に仕事のできるからくりをとるか。
 金箔や銀箔、特急料金を惜しむか。
「い、本一種類だけだぞ?」
「あんた話の分かる奴だな」
 交渉成立。
 眼精疲労と縁のない、からくりD・Dは惜しみなく身売りされた。
 合掌したヴォルフは『生きて帰ってこいよ』と言わんばかりに輝かしい視線で見送る。
 柚乃(ia0638)は、からくり天澪とともに刷師を手伝っていた。薄い色から着色して刷っていく根気のいる作業であるが、機械的な作業は天澪向きであったらしい。元は事務仕事を希望していた柚乃は、満足そうな天澪をみて頬をほころばせた。
「えい」
 ぺち、と手のひらから冷たい感覚。柚乃の頬には、くっきりと手形がついていた。
「絵の具は高いんだから遊ばない」
 天澪の絵具没収。


 瞬く間に時間が過ぎ、そして休憩時間が来た。
 悪あがきを繰り返す問題さぁくるを建物の外へ追い出したローザは、ぴしゃあああん、と音を立てて扉を閉め、鍵をかけると声をあげた。
「私、悟りました」
「なにを?」
「優しさは必要ありません、必要なのは正確さとスピード、情けは禁物です!」
 事務仕事は概ねどこも一緒だろう、と甘く考えていた自分が恨めしい。
 サジュマンが拳を握る。
「そうじゃ! 時と情報を制した者が戦に勝つ! さて、一休みしに居間へ行こうではないか」
 サジュマンは休憩中にも陰殻の見本絵巻の内容点検をしながら「ふん、分野の流行など所詮諸行無常よ」と呟いていたが、過去の捏造絵巻や花魁ものに行き着くと、異様に静かになって熟読し始めた。
「サジュマンさん?」
「ひ! む、な、なんじゃ緋神殿か。脅かすな」
「それ、面白い絵巻なのかしら?」
「ふ、ふん、この絵巻はまあまあじゃな」
 一方、ミヅチのヨウに寄りかかって見本誌の内容確認をしていたローザは、時に笑ったり、涙で紙をべしょべしょに濡らしつつ『……この仕事。続けるのも悪くないのかも』と考え始めていた。未知の感情と感動は、覚醒を誘う。
 一般の道を踏み外すのも時間の問題だ。
 あかん。
「しかし、緋神殿もくわしいのぅ。何年目じゃ? 好みの分野は?」
 緋神はお茶を見下ろして、意味深な微笑みを浮かべた。
「実は……結婚したから、この道も引退しようかな、と思った時が……私にもありました」
 何故か語り口調になりつつ、湯呑を置いて両手で顔を覆う。
「……でも、やっぱり血が騒いで止められないの! ごめんね旦那様! 程々にするから許して! 愛してるわ!」
 ここにいない旦那様に、猛烈な懺悔を口にする。
 深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらをみている。
 今では知り合いが掛け算にされている絵巻を見つけても、罪悪感混じりに手を伸ばし、熟読して、トキめいてしまう。一度ハマってしまった修羅の道は、決して引き返せないのだと、最近実感したらしい。

 一方、休憩時間もオヤツを食べに現れないヴォルフはというと、自宅の墨を惜しんで、作業部屋で自分の本を刷っていた。
「くははは! 俺の右手が光って唸る! 本を仕上げよと輝き叫ぶ!」
 さぁくるにとって、岩絵具使いたい放題は楽園なのだ。


 心穏やかとは縁遠い時間が刻々と過ぎていく。
 太陽が沈み、深夜になっても、屋敷の明かりは消えなかった。
 皆、尻に火がついていたのだ。
「え、また夜食の追加……ですか?」
 本日の厨房当番になったグライフは、零時を過ぎても一向に眠る様子のない人々を前に、本当に恐ろしいものを知り始めていた。大凡、三時間おきに軽食を要求されている。お店なら時間が来れば厨房の火を落とせるが、ここはそうはいかない。
 働き過ぎで、手は火傷や腱鞘炎になりつつあった。
『初日はお任せします。洗礼ですよ』
『一日あればわかります。明日は私がしますから』
 無知に漬け込まれて、任された気がする。
 少しだけ人間不信になりつつも、グライフはぷるぷると頭を左右に振った。
『い、いえ! 皆さん、不慣れな私を気遣ってくれたんです! そうに違いないです! 今後はもっと大変になるはずだって、おっしゃってましたし、皆さん寝てないのなら私も頑張らないと……』
 しかし体は素直だ。
 包丁を手にしたまま、ふらぁ、と揺れる自分に危機感を感じる。
「もう……だめ、ウルくん、料理班のみんなを起こしてきてくれる? 私は買い出しにいくから、一緒の皆さんや主催者の言いつけを守ってね」
 只今、深夜につきお店は空いていない。グライフの憔悴ぶりはかなりのものだ。
 からくりウールヴが、御樹たち別の料理人を起こしに行った。


 同時刻。
 作業に勤しむ者たちも交代し始める。
 まず軽やかな足取りで仮眠室へ入ってきたのは、リィムナ・ピサレット(ib5201)のからくりヴェローチェだった。仮眠を取る者は大抵倒れ、起き上がってきた人は仕事の作業状況がわからない。そこで常に作業部屋を見回っていたヴェローチェが空白の時間を埋めるように、開拓者たちへ仕事を伝達するというわけだ。
「リィムにゃんのお手伝いにゃー! おはよーございまーす、時間でーす」
「……うう、交代の時間でしょうか」
 欠伸をかみ殺すミノル・ユスティース(ib0354)が、耳栓を抜いて、寝袋からもそもそと這い出てきた。
 祖父母の手伝いで、少ない仮眠時間を有効的に活用する術は体得している。
 はれた両手を揉みほぐし、痛む指を保護する為に包帯を機能的にまきつけ、目覚ましの為の珈琲を一杯、喉の奥に流し込む。そして使い慣れた筆記用具を持って席に着いた。
 マシャエライトで光源を確保し、黙々と作業に徹するユスティースにスタッフが感心する。
「手馴れてますね。やっぱり珈琲飲むと違います?」
「ええ、勿論。頭もはっきりして作業に最適です。なにしろ修羅場で書類丸々駄目にしてしまうと結構痛手ですからね。署名必須の書類で何度痛い目に合った事か……さ、お仕事お仕事」
 一方。
 からくりヴェローチェの主人であるピサレットはどこにもいない。
 正確にはいるのだが、殆どの者に見えない。態々ナハトミラージュで霧の精霊を身にまとい、己の存在感を居消していたからだ。貴重な練力を大量に注ぎ込んで何をしているかというと、顔を赤らめて「えへへ、しゅごい」と言いながら、自分を描いた年齢制限の見本誌を熟読していた。
「さぁくるさん達は、あたしがこういう事に関して寛容なの知ってるんだろーね……えへへ、もうちょっと位読んでても……いいよね?」
 仕事をサボりっぱなしのピサレットは、その後、巡回に発見されてからくりに引き渡された。


 ところで。
 常日頃から0時開門の精霊門を活用したり、世界のあちこちを駆けるせいか、割と開拓者たちの目覚めはよかった。体が緊急時や無理になれているのだろう。しかし一般人はそうはいかない。布団を剥いでもモゴモゴと何かを呟くだけで、蓑虫のように戻ってしまう。

「んー西部屋が起きてこないなぁ」
 グライフと交代した早朝当番の蓮が、仙猫くれおぱとらの帰りを待っていた。
 しかし来ない。
 一向にこない。
 人員管理も行なっている以上、次の作業班に来てもらわねば、いま仕事をしている人々が潰れてしまう。鍋に蓋をして蓮が様子を見に行くと、襖の前に仙猫が横になっていた。
「何してるの、くれおぱとら。起きなかった?」
「もう少し寝かせてやってもよいのではないか」
 確かに一理ある。
 正直寝かせておいてやりたい。けれど心を鬼にしなければ、仕事は進まないし、皆が平等に休めなくなってしまう……と、そこまで考えて、仙猫の口の端にスルメの足が見えた。
「買収されたね!」
「……ぬ!」
 バレてしまっては仕方がない。
 と、仙猫と蓮が本気の殺気を飛ばす。
 暴れだした一人と一匹を止められるのは同じ開拓者だけだ。
 当然、寝ているどころではなくなったのは言うまでもない。騒ぎを聞きつけた厨房班は、どうせ起きるはずだったのだから、と考えて、救出ついでに交代人員を起こすことに決めた。
 例えば礼野はからくりと二人掛かりでスタッフを縁側に連れ出すと、氷水をザバザバとかけた。
「はい。手ぬぐいと目覚めの珈琲」
 一方、戸隠にスタッフを起こしてくるように言われた羽妖精の乗鞍葵が幾度となく飛び蹴りを布団にかまして怒鳴られ、廊下を走り回っている。怒らせて食堂へ誘導するのも作戦のうちだというが、捕まったら大変だ。
 戸隠は苦笑をこぼしつつ「体力を回復させて頑張ってね」と食事を用意する。
 こうした眠りの深いスタッフたちを力技で引きずり出していく様を眺め、悩ましい顔をしたウェンカーは、頬に手を当てて、ため息をこぼした。
「皆さん、さすがの働き振りですね。とはいえ私は非力ですし、誰かを引っ張るほどの力もありません。ですので……大変遺憾ではございますが、平和的かつ穏便に」
 持ち出したのは古びた魔術書。
「うっかり武力行使に出ようと思います」
 ウェンカーは爽やかに宣言した。
 自ら『うっかり』って言ってる時点でうっかりではない。
 というか武力行使の段階で、平和且つ穏便でもない。
「えい」
 閃光が部屋を駆け抜けた。
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
「大丈夫。死なない程度に回復します」
 恍惚とした眼差しで、男の巨体にサンダーを浴びせ、瀕死寸前のところをレ・リカルで修復する。
 一歩間違えば一般人は即死だ。
 良い子のみなさんは絶対に真似をしてはいけない。
 誰にもできない神業を、容赦も躊躇いもなく鮮やかにやってのける恐るべき黒衣の淑女。
「な、な、な」
「全く……心清らかな私の手を煩わせないでください。なんとなく頭が痛んで、もう一発打ちたくなりますから。さぁ布団から出てください。さもなくばアークブラストにして、うっかり余生を絶って差し上げますよ。ふふっ」
 完全なる脅迫。
 ねぼすけ組は、その後数日で消えたという。


 恐るべき日々は果てしなく続いた。
 文字通り、血と汗と涙と恐怖で支えられ、絵巻の即売会は成り立っている。
 戦え! 負けるな! スタッフよ!
 神楽の都の人々に、夢と希望と煩悩を届けるために!

 かくして。
 開拓ケット(カタケット)の催しまで、あと僅かに迫るのだった。