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■オープニング本文 「沢登り?」 「ええ。最近暑くなってきましたし」 相談を持ちかけられた開拓者は、じっと依頼書を眺めた。 子供たちを外へ連れ出してみないか、というのだ。 +++ 神楽の都、郊外。 寂れた孤児院に隔離された、志体持ちの子供たちがいる。 彼らは、かつて慈悲深き神を名乗った大アヤカシ生成姫を『おかあさま』と呼んでいた。 自らを『神の子』と信じて。 子供たちは自我が芽生えるか否かの幼い頃に本当の両親を殺され、親に化けた夢魔によって魔の森へ誘拐された『志体持ち』だった。浚われた子供達は、魔の森内部の非汚染区域で上級アヤカシに育てられ、徹底的な洗脳とともに暗殺技術を仕込まれていたらしい。成長した子供達は考えを捻じ曲げられ、瘴気に耐性を持ち、大アヤカシ生成姫を『おかあさま』と呼んで絶対の忠誠を捧げてしまう。 偽りの母である生成姫の為に、己の死や仲間の死も厭わない。 絶対に人に疑われることがない――――最悪の刺客として、この世に舞い戻る。 その悲劇を断つ為に、今年81名の開拓者が魔の森へ乗り込んだ。 里を管理していた上級アヤカシ鬻姫の不在を狙い、洗脳の浅い子供たちを救い出して、人里に戻したのである。 しかし。 救われた子供たちを一般家庭の里子に出す提案は、早々に却下された。 理由は前述の『奇行』に代表される常識の違いである。 子供たちが里親に害を出さないという保証は、まるでなかった。 洗脳は浅くても、幼い頃から徹底して戦う訓練を積まされた子供たちは、人間社会の常識を知らない。 日常生活を通した訓練による体力増強、度重なる友殺しの強要で痛む心を忘れてしまった。 子供たちはアヤカシに都合の良い価値観の中で、その人生の大半を過ごしてきた。 殺すことは美徳だった。 『子供たちの教育には、長い時間がかかります』 生成姫に関する研究の第一人者である封陣院分室長、狩野 柚子平(iz0216)は子供の未来を案じる開拓者にそう告げた。 少しずつ、根気強く、正しい『人の道』に戻すしかないのだと。 だから毎月。 開拓者ギルドや要人、名付け親のもとに孤児院の院長から経過を知らせる手紙が届いていた。 +++ 孤児院の老婦人から話が来て、集った開拓者たちは顔を突き合わせた。 「子供たちの様子、読んだ?」 「そんなに悪い変化は今のところなさそう」 最年長のアルドは、契約の時計を手に子供たちを統率しているらしい。 機械的で無機質な部分は否めないが、休憩時間は横笛を拭いたり、黙々と語学勉強を自主的に始めたという。 以前、アルドの背中をついて回っていた星頼は、背中を追わなくなった。代わりに機械的なものをよく分解するなど問題行動を起こしている。だが怒られて元通りに組み立てたりする所をみると、学習能力は非常に高いと言える。内部構造が気になるらしい。懐中時計を眺めては職員の出入りを気にかけ、買い物についていきたがる。ダメだ、というと欲しいものを書いて持ってくる。先日、個人的に連れ出してもらっていた時に、様々な食材を学習したらしかった。 恵音は横笛とブレスレット・ベルを手に、妹たちに楽器の扱いを教えるなどの音楽に触れている時間が長いそうだが、着飾ることへの関心が強いらしく、毎日髪型を変えているそうだ。年下の明希や華凛、未来にも、同様の傾向が見られており、お互いに所持品を交換して使っている事も稀にある。 結葉はエンジェルハープでの演奏練習を欠かさないが、料理やタロットへの関心が強いのか、手帳を持ち歩くようになった。料理の研究という部分に着目すると、灯心の方が関心が高い。希儀料理指南書を連日実践しており、台所に篭る時間の方が長いという。 エミカとイリスの姉妹は、一緒にいる時間の方が長い。ハープを演奏し、歌を歌い、絵本を読む。 静かな過ごし方だが、到真なども茶葉を煮た水に味や香りがあることを覚え、嗜好品のお茶を自分で入れて飲むようになった。時々、台所の調味料を間違って入れて、変な顔をしている。 旭は笛を吹くことよりも、体を動かすことを好むようになった。毎日のように砂漠の薔薇の髪飾りを身に付け、ブレスレット・ベルをはめて、姉たちが演奏していると傍で踊っている。料理は率先して手伝い、公衆浴場に行きたがる。先日、個人的に連れ出してもらった所が楽しかったらしい。 礼文、真白、スパシーバ、仁、和の五人は球蹴りをする時間が多いかもしれない。しかし双子の仁と和は、小鼓と平家琵琶を持って恵音に演奏の手ほどきをしてもらっているところは変わらないという。 最年少の桔梗とのぞみ、ののと春見は、もふらさまなど毛深い動物と遊べる日を、首を長くして待っているのだそうだ。恐らく大量に残されたぬいぐるみなどが心身に影響を及ぼしている。あとは桜が散ってから砂糖漬けが食べられなくなり、残念そうに木々を見上げているらしい。 「……で、今回沢登りをさせたい、という話がきたわけだが」 相変わらず。 封陣院の分室長、狩野柚子平は五行から動けないらしく、経過の報告及びお目付け役として人妖の樹里が同行するらしい。 「実質的には、我々は監視のようなものだな。逃げられては困るわけだし、旅館も貸切とは気前のいいことだ」 子供が逃走を図らない、という保証はない。 だからこそ孤児院の職員でなく、開拓者に同伴を頼んできたのだろう。 「年長組は山菜とかには詳しそうよね。魚釣りや泳ぎはできる子が多いだろうし」 「年中組と年少組はどうかなぁ。精々、水くんでた程度だった気が……小さい子は足つかないよね」 隔離環境で生きていた子供たちの境遇を考える。 手配された場所は、森林に覆われた穏やかな川と小さな滝壺だ。精霊の息吹を感じられる。かつて暮らしていた場所に近しい環境になるのだろうが、幸いにも瘴気の汚染は全くない。 思い出すかもしれない。 恋しがるかもしれない。 けれど忌まわしい魔の森とは、全く違うことを教えてやりたい。 「いこうか、遠足気分で」 澄み渡る蒼い空に、白く汚れのない雲が泳ぐ。 晴れた日に。 |
■参加者一覧 / 芦屋 璃凛(ia0303) / 俳沢折々(ia0401) / 酒々井 統真(ia0893) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 御樹青嵐(ia1669) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 瀬崎 静乃(ia4468) / フェルル=グライフ(ia4572) / 菊池 志郎(ia5584) / 鈴木 透子(ia5664) / 和奏(ia8807) / 郁磨(ia9365) / 尾花 紫乃(ia9951) / フェンリエッタ(ib0018) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 萌月 鈴音(ib0395) / グリムバルド(ib0608) / ネネ(ib0892) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / 蓮 神音(ib2662) / 紅雅(ib4326) / ウルシュテッド(ib5445) / ローゼリア(ib5674) / ニッツァ(ib6625) / パニージェ(ib6627) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 刃兼(ib7876) / 華角 牡丹(ib8144) / ゼス=R=御凪(ib8732) / 戸仁元 和名(ib9394) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 白雪 沙羅(ic0498) / 八壁 伏路(ic0499) / 七塚 はふり(ic0500) |
■リプレイ本文 ●孤児院の朝陽 開拓者がやってきたのは、皆が寝静まっている明け方だった。 孤児院を出発する前に、ウルシュテッド(ib5445)たちが中心となり「お弁当作りをしよう」という話になったのだ。 まばゆい朝陽が室内に差し込む。 「おはよう、星頼、結葉、早起きだね」 子供たちが起きた時、既に台所は開拓者で溢れかえっていた。 木製しゃもじを握っていた白雪 沙羅(ic0498)が、寝ぼけ顔の明希と旭を見つけて飛びつく。 「おはよう! お久しぶり。元気だった? お手玉は上手に出来るようになったかしら?」 着ていたエプロンは甘酸っぱい酢飯の香りがした。 「ううん、まだぁ」 「おなかすいたー、ごはんー?」 グリムバルド(ib0608)が、現れた星頼やスパシーバの頭をぐりぐりと撫でる。 「おー。おはようさん。元気そうで何よりだ。今日の遠足も楽しめると良いよな」 「えんそく?」 「沢登りにいくんだ。おっきなお屋敷でお泊りもする。皆の思い出のいちページ、ってやつになれたら幸いだぜ。今、弁当の支度を始めたところだ。朝ごはん食べたら、みんなで作ろうか」 ぞろぞろと子供をひきつれて、食堂に移動する。 軽い朝食を済ませてエプロンや割烹着を纏い、班に分かれて弁当を作る。 作った弁当は希望者で交換会だ。 しかし今は初夏。それも梅雨。 食材が傷みやすくなる事を踏まえて、礼野 真夢紀(ia1144)は総じて生モノ系は控え、必ずおかずに火を通す事を徹底し、おにぎりも焼きお握りなどを提案した。塩をまぶした手でおにぎりを握っただけでは、お腹を壊すこともあるからだ。更に梅干しが腐敗防止に役立つ事などを伝授していく。 「おかずは唐揚、春じゃがの子吹き芋、葱入り卵焼きがいいかな。未来はおにぎりできた?」 簪「撫子」で髪を纏めて割烹着を着た未来は、可憐な手まり寿司のような小さなお握りを沢山作り、礼野が用意した鮭、明太子、たらこ、おかか、梅干し、塩昆布などを詰めていく。 七輪の網で炙って刷毛で醤を塗った。 一方、結葉や灯心など、調理に熱心な年長者には、御樹青嵐(ia1669)が手ほどき役だ。 「よろしいですか。食事をつくるというのは、只の栄養を補給するということじゃなくて、喜んで食べてもらう……それが重要ですよ」 主食に現地でぶっかけ素麺、副食に定番の玉子焼き、鶏のから揚げ、夏野菜を使ったサラダ。 フェルル=グライフ(ia4572)も幼いのぞみの好みを聞きながら、華やかなお弁当をつくった。 砂糖をといた卵焼きや煮付け。 どうにも甘いオカズばかりが大半を占める。 子供たちも安定した食生活で、食べ物を選り好みしはじめた……という事だろう。 「卵焼きと唐揚げと……野菜が少ないから握り飯に青菜を混ぜるか。旭は入れたい具、あるか?」 刃兼(ib7876)が旭に尋ねると「お魚がいい」というので塩引鮭を炙って入れた。 「これでよし。弁当の粗熱をとってる間に飲み物を用意しようか。運動後の水分って格別だから、な」 旭は刃兼にもらった瓢箪を持ち出し、薬缶からお茶を注ぐ。刃兼は準備に勤しむ後ろ姿を眺めつつ、どこで飲み物を冷やすか悩んでいた。 滝壺がいいかもしれない。 戸仁元 和名(ib9394)と到真は水出し茶を、沢山の水筒に詰める作業をしていた。 「到真君の入れたお茶、美味しい言うてもらえたらええなぁ」 料理は得意ではないけれど、美味しいお茶のいれ方はなんとか教えてあげられる。茶葉ごとにお茶の嗜み方を覚えていく到真をみていると、微笑ましい気持ちになった。 ●温泉地の沢登りへ 「さぁみんな、忘れ物はないかしら。それじゃ、いってきますの手を振って」 フェンリエッタ(ib0018)の提案で日よけの為に女子にはコサージュ付きの帽子、男子には飾りボタン付きのキャスケットが用意された。 馬車に乗って、ゆったりと移動し、宿に荷物を置いた後。 一同はお弁当や水筒を持って沢登りを始めた。 聞こえてくるのは小川のせせらぎ。子供の声。 燥いでいる未来と明希、華凛の三人をリオーレ・アズィーズ(ib7038)や華角 牡丹(ib8144)が追いかける。 「さあ、自由に楽しんでください。でも、あまり私達を置いていかないでくださいね」 「……華凛はんとあちらの御二方は仲がよろしい様でありんすなぁ」 なぁリオーレはん、と声をかける。 子供たちにも『輪』ができ始めているのを微かに感じた。 山菜をとる傍ら、アズィーズは草木染めの材料を探し、牡丹は花冠のための蔦や花を積んでいく。 郁磨(ia9365)が、双子とパニージェ(ib6627)を振り返る。 「到着……って事で、四葉のクローバーを探しましょ〜」 笑顔で脈絡のない事を言い出すので、仁と和が首をかしげた。 そもそもクローバーとは何か分かっていない。この辺は想定内だったのか、郁磨は、和が胸につけた四葉ブローチを指差して「それの実物だよ〜」と答えた。 宝探しのようで楽しそうだと思ったのだ。 「仁、和。四葉はね、とっても珍しいんだ。だから、この森の中で二人ともが見つける事は出来ないかもしれない。楽しみや幸せを、共有出来ないかもしれない。……そんな時、君達ならどうする?」 「「戦って勝った方がもらう?」」 沈黙する郁磨。 相変わらず価値観の違いを実感せざるをえない。 「それじゃ痛いよ。痛くない方法を探そう。戦いでなく、ね。どうか相手の幸せを願える子になってね」 四葉のクローバーは『幸福』を意味する。 この意味を理解できる年になるのはいつだろう。そう遠くないことを願いたい。 「郁磨のいうとおりやでー。お前ら、お母様の事好っきゃろ? 家族は大事で傷つけられとう無いやろ? そーゆう気持ちが大事やねん。四葉探し、俺とシーバもまぜてーな」 スパシーバを連れたニッツァ(ib6625)が加わり「見つけたら栞にしよか」と言った。 「パニージェにーちゃんも、栞にするの?」 「ん? いや、俺は愛する人の為に持って帰る。探しに行こうか」 背を叩くと、沢へ走っていった。 郁磨が慌てて追いかけ、ニッツァも声を投げる。 「しんどなったら言うんやでー? パニ、俺らも……そのデカイ籠なんやねん」 「子供たちは食い盛りだからな。心配するな、野草図鑑の写しも借りてきてある。腹一杯は難しいかもしれないが、全員分を確保して不平が起こらぬよう配慮するつもりだ」 狩る気満々である。 パニージェは子供達と恋人の手土産に四葉探しをしつつ、ウルイやシオデを見つける度に、刈り取って籠の中へ入れていった。 猫又の璃梨は沢登りはせず、沢沿いを歩いていく。 「木漏れ日でキラキラしてますね、気持ちのいい季節です」 菊池 志郎(ia5584)はせっせと礼文に食べられる山菜を教えていく。 「山菜は天ぷらやお浸しなど食べ方が色々ありますよ。礼文くんはどんなのが好き?」 礼文は名前がわからないのか、木の棒をもって地面に絵をかき「これ」と言った。 先端が渦巻き状の山菜『こごみ』だ。 丁度、5月上旬から6月中旬まで採集できる山菜である。 「きっと見つかりますよ。一緒に探してみましょうか」 フェンリエッタもアルドと共に山菜を取りながら、草笛の吹き方を教えていた。 人魂で姿を変えた人妖のウィナフレッドが、傍らを通り過ぎていく。 「どう、上手でしょう? 楽器よりも鳥が寄って来てくれたりするの。まるでお話をするみたいにね」 幼い春見や桔梗の手をひくのは、蓮 神音(ib2662)と礼野である。 野草図鑑を手にした蓮が「こんな感じだよ」と春見たちにみせる山菜は、収穫の終わりが近いウルイだけでなく、こしあぶらに山うど、しおで、よぶすまそう、行者にんにく、葉わさびにネマガリダケ。 食べられる山菜は驚くほど多い。 とはいえ山菜は全種類がどの山でも採集できるわけではなく、何かしらの山菜に偏っていることが多い。蓮が思い出したように別の絵をみせた。 「それから木苺を見つけたら、これも沢山取ってね」 すると一緒に説明を聞いていた、からくりのしらさぎが「イチゴとったばしょおぼえてる」と皆を連れて滝壺を目指し、途中で森に分け入った。誰も手をつけていない、黄色い木苺や赤ぼんぼりが実っている。 桔梗たちの目が輝く。つまみ食いをしながら沢山とった。 「頑張ったね。ありがとう。滝壺で遊んだら、神音たちとジャムつくろうね」 「しらさぎもえらいですよ」 過去の経験が、今に生きる。 宿場町から滝までは、数時間の時間を要する。 山菜探しに専念する者もいれば、途中で疲れて川べりに座り込む者もいた。 そんな時、戸仁元が到真と共に運んできたお茶やキャンディがとても人気を博していた。 兄弟姉妹を気遣う到真の頭を、戸仁元が優しく撫でる。 「喜んでもらえてよかったなぁ。疲れた時は、美味しいお茶とお菓子で休憩が一番やから」 「うん」 「私も一杯いただいても?」 泉宮 紫乃(ia9951)が顔を出す。 結葉に薬草の使い方を教えながら沢を登っていたので、喉が渇いたらしい。 山に自生するハーブを探すのは難しいが、揚げ物や煮込み料理で魚の臭みをとってくれる料理の引き立て役や、お茶にすることで夏をさっぱり過ごさせてくれるもの、眠れない夜の安眠効果をもたらすものなど様々なものがあると饒舌に語る。 「お茶は味や香りを楽しむだけじゃない?」 「もちろん。煎じて飲むといろんな薬がわりにもなりますよ」 後で教えてあげますね、と片目を瞑った。 その頃、結葉は弖志峰 直羽(ia1884)と一緒に、薬草の見分けを行っていた。 よく似ていても毒性を持つものは沢山ある。 熱冷まし、湿布薬、切り傷に効く薬の煎じ方……。 流石にいつもは元気な結葉も、手帳に書きながら眉間に縦線が刻まれている。 「う〜難しいです! お姉様たち、これ全部知ってたんでしょうか……私、できそこない」 落ち込む横顔。 「最初から全てわかる人なんていないよ。結葉は、手帳に見分け方を書いてるじゃないか」 「ですけど、……そうですよね。薬も毒も使い方を全部覚えないと、おかあさまに悲しい顔で見られてしまうし。だからまだ、お役目はできないんだわ」 年長者ほど学習意欲は高い。 それは未だ頭に染みつく『神の子』の任に憧れているからかもしれない。 結葉と同世代の灯心は『幸いにも料理を作ることや食べることに、前向きな関心を見せている』と親友の御樹は言っていたが、結葉の手帳には食べる山菜や薬に使う草花だけでなく、猛毒植物が異様に詳しく書かれていた。 毒の効能など、普通はいらない。 意味は余り知りたくはないが、放ってはおけない。 「……結葉」 「なあに、おにいさま」 「薬草を使う時は、必ず大人に相談して、見様見真似だけでは危ないから。君は賢い子だ、守れるね? 興味が湧いたなら、また教えるから」 結葉は目を輝かせて「はい」と答えた。 今は静かに見守るしかない。 「おーい、そこ。おいてかれるぜー?」 酒々井 統真(ia0893)が結葉たちに声を投げる。 寄り道をしている間に先頭は随分と先まで進んでしまい、幼いのぞみと手を繋ぎながら童謡を歌うグライフが後ろを横切っていた。さっきまで狐が茂みにいたと酒々井が言うと、結葉は露骨に悔しがる。 ふとグライフが足を止めた。 「統真さん、のぞみちゃんがお疲れ気味なので、ここで一休みしますね」 「ああ」 グライフが口笛を吹くと、上級迅鷹サンちゃんが空から降りてきた。 一瞬の早業で川魚を捕らえてグライフたちの所へ運び「ピッ」と胸を張る。グライフの膝に座ったのぞみは、迅鷹のもふもふ体毛に触れながらご機嫌だ。 お茶で一休みしながら童謡を歌う。 「……俺も歌ってみるかな」 「統真さんも一緒に?」 酒々井の口からぽろりと零れた一言に、グライフとのぞみが目を輝かせる。 後に引けない雰囲気だ。 これは得意でなくとも、潔く歌わざるをえない。グライフにのぞみ、弖志峰に結葉。観客の前で童謡を歌い始めると、漆黒の翼を生やした人妖雪白が水面を滑るように踊りだす。 ●紺碧の滝壺で 滝壺に到着し、積んだ山菜の下処理や焚き火の準備は大人に任せ、子供たちの半数は水遊びに向かった。泳ぎ方を知らぬ子が大半で、中には浅瀬で足をつけるだけの子もいる。 ネネ(ib0892)は猫又のうるるを幼いののに渡した。 「もふもふじゃないけど、すべすべですよ」 「すべすべー! つるつるー!」 ぬいぐるみのように抱き上げて頬をよせる。力の加減をしてこない。 猫又うるるは若干迷惑そうな顔をしたが、ネネが拝み倒した。うるるの『しょうがないわね』という声が視線に混じって聞こえてくるかのようだ。ののは水に足を浸して、猫又を膝の上に載せる。 駿龍クレーストがざぶざぶと滝壺に入っていく。 奥はやはり深いのか、クレーストの胴体の三分の一が沈んだあたりで動きを止めた。ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)が「伏せておけ」と声を投げると、少し戻って、湖に体を浸して半身浴。 「さぁ、エミカ、イリス。滑り台でもなんでも遊び道具にしてくれて構わない。あいつは俺に従順な……騎士の様な龍だ。尾でも遊んでくれるだろう。クレーストの辺りまでなら足がつくはずだ……イリス?」 エミカとイリスは、瀬崎 静乃(ia4468)の両腕にしがみついていた。 沢登り中、ヘロージオに、草花や石の種類を聞いていた元気は一体どこへやら。 「……習ってないの」 「水は呼吸できないし」 泳げないらしい。 「平気だよ。難しい事は置いといて一緒に遊ぼう! あ、魚はっけーん!」 ケイウス=アルカーム(ib7387)がザブザブ水に入る。龍と湖の安全性を体で訴えつつ、何かいいところを見せようと思ったに違いない。クレーストの首をひと撫でして「魚がいるよー! 見ててー」と叫んで、更に奥へ踏み出した。 瀬崎がヘロージオに声を投げる。 「ゼスさん、私たちも行きましょうか」 「あ、ああ……そうだな。エミカとイリスに泳ぎ方を教えないと……ん? ケイウスは泳げなかったはずだが、大丈夫なのか?」 刹那、胸まで浸かっていたアルカームの姿が消えた。 激しい水音がして水面に泡がたつ。 「しずんじゃった!」 「ういてこないよ!」 額を抑えたヘロージオが「クレースト」と一声投げると、翼を洗っていた駿龍が水面に首を突っ込み、しなびたアルカームを引き上げた。びちびちハネる川魚を片手に涙目だ。浅瀬に下ろされたアルカームのもとへ「大丈夫ですか」と瀬崎が駆け寄り、ヘロージオは苦笑をこぼす。 「全く……お前は」 「ごめん、ありがとう……浅そうだと思ったんだけどな」 どっちが保護者かわからない。それでも笑われてくれる友人と一緒にいると心が晴れた。 「さて、泳ぎを覚えるまではケイウスが沈んだ場所より奥に行かないようにな」 エミカとイリスが必死に頷いた。 七塚 はふり(ic0500)は子供たちの前に立って体操をしていた。 「いち、に、さん。準備運動終わり。さあ、たーんと泳ぐでありますよ」 礼文に加えて、仁と和が水着姿で浅瀬に駆け込む。浅瀬を泳いでいた魚を追いかけはじめた。 「あ、もうじゃま!」 「そっちがじゃま!」 双子が喧嘩し始めたので八壁 伏路(ic0499)が仲裁に入った。 「騒ぐと魚が逃げるであろ? 自分の行動が誰かの利になるよう心を砕くのだ」 一方、七塚は礼文と魚を待ちながら「お魚は頭が尖ってるでありますね。何故だと思います?」と軽いお勉強を始めていた。 やがて魚を追うのに飽きた頃合に、八壁たちは低い崖の上に子供たちを連れて行く。 真下は深い滝壺だ。 「飛び込む前は、大きく息を吸って止めておくのだぞ。では、はふり。手本を頼む」 「ではお先にいくであります。綺麗にきまると爽快でありますよ」 七塚が綺麗な姿勢で飛び込みの手本を見せたが、子供たちは三人とも真っ青な顔になり、後を追いかけなかった。先程までの元気が嘘のようだ。 そこで気づいた。 泳げないのだ。 「おーい、はふりー、飛び込みより先に泳ぎを教えねばならん。浅瀬に来てくれ」 「へ? りょ、了解であります」 七塚は飛び込みの楽しさと水中で躍る雅さを教えようと思ったが、少し手順をすっ飛ばしすぎたようだ。三人が浅瀬で息の留め方や水の浮かび方を習う。 「泳ぎまではそう簡単にいかぬか。浮き方覚えてすぐ飛び込ませる訳にもいかぬし、水球をやるにしても鞠が」 「あたしと真白も、一緒にいいか」 そこへ水着姿の紫ノ眼 恋(ic0281)と真白が竹鞠を持ってきた。 歪んでいる鞠は真白の作だが、水球遊びには丁度いい。持って帰っても風呂で使える、と紫ノ眼に聞かされて上機嫌だ。 八壁が「わしが放って審判を努めよう」と言った。 真白と礼文、双子のペアに分かれて競い合う。 「連携が大事だの。そぉれ」 水球に真剣な眼差しで挑む子供たちを見守りつつ、前と随分変わったことを実感する。 「軽い鞠は壊れやすい。物を大事にしてくれるようになれば何よりだ。お?」 八壁は単に審判をしていただけではない。子供たちの顔色も伺っていた。初夏とはいえ水は冷たい。唇の色が変わってきたのを見て、対戦をとめた。 「一旦休むぞ。こら。はふり、おぬしもだ」 「了解したであります。あ!」 「あたしが拾ってくるよ」 流れた鞠を拾いに戻って、四人と大人三人は岸に上がった。 刃兼は旭の手をひいて泳いでいた。 泳ぐというより、刃兼は胸の位置までの水位までを歩いている。 この水位になると、旭の足はつかなかった。足をばたつかせる旭が、溺れないように気を遣う。 「もう一度息吸って、水に顔付けてみようか」 岩場の木陰から萌月 鈴音(ib0395)が見守る。アヤカシに生きながら食われた大怪我は、術のおかげで傷こそ残っていないが、心身の消耗は残っていた。岩に腰掛け、足だけ沢の水につける。 やがて声をかけた。 「旭ちゃん、刃兼さん、水……冷たいですから……体を拭いて……少し休みましょう」 「すぐ行く。おいで旭」 刃兼は「えー」と不満の声を上げる旭を抱き上げて陸に戻った。 手ぬぐいで体をふいて、冷えたお茶を一杯。 「旭。世の中には、滝壺や銭湯以外にも、陽州の瑠璃色の海とか、星降る温泉とか……本当に色々な『水の場所』があるからな。自分の目で見て、耳で聞いて、少しずつ覚えていくといいと……思う。旭がよければ、また銭湯、行こうか」 「いく。海も行きたい。旭、海見たことない」 旭たちは魔の森の中で育った。救出の時も船の中に隔離していた。 世界を知らなかった分、おとぎ話や書物で世界を知り始めた。興味を持つことはいい。再び浅瀬に走っていく旭を眺めて、萌月は「色々な事に、興味を持ってくれた様で……良かったです」と呟いた。 浅瀬では、忍犬のちびが犬かきをしていた。 ウルシュテッドは、星頼とともに水鉄砲を作っている。どうやったら水を押し出せるのか構造の勉強を兼ねていた。孤児院で騒ぎになった問題行動の話になって、ウルシュテッドは軽やかに笑う。 「俺もよく叱られたよ」 「ほんと?」 「しかも元に戻せなくてね。戻せた星頼はすごいな……それで知りたい事は満足したかい?」 星頼は「うん」と答えたが『元に戻したのに怒られた』事に納得がいかない様子だった。 雑談がてら『物にも命がある』事を教えていく。僅かな刺激で壊れる物、触ると危険な物、部品も様々で、元に戻らないもの沢山もあり……大人たちはそれを恐れていることも。 星頼の持つ時計で例え話をして、独りで分解したりしないよう約束させた。 蓮や礼野が、山菜料理やジャム作りなどの支度をしている。 彼女たちが忙しくしている間は、无(ib1198)が幼い桔梗や春見の相手をしていた。 といっても遊びたがったのは管狐のナイが主で、子供たちは浅瀬を走り回りながら、空と水面下を泳ぐ管狐を捕獲しようと必死だった。 「まってぇ」 「きゃはは、あ――っ!」 じゃぼーん、と音がした。 春見がつまづいたらしい。全身ずぶ濡れだ。 岸辺でお茶や菓子の用意をしていた无が、人魂を飛ばして呼びに行く。 が。 ばちぃぃぃぃん! と破裂音がして術が途切れた。 「とった――っ!!」 春見が重ねた両手を突き出して「とったー! とったー!」と連呼しながら无の方向に走ってくる。 自慢げに手を広げて、手の中に濡れた符しかない事に、首をかしげた。 「あれ? あれれ?」 「……これはですね。人魂という術で、符を獣や虫に変えて、視界や聴覚を共有する……と言っても分からないですよねぇ。ええっと、叩いたりすると紙切れになってしまいます」 「もっかい!」 だめだ、わかってない。 楽しそうなのでまぁいいか、と。 再び人魂を浅瀬に飛ばすと、春見がそれを捕まえようと追いかける。 一方の桔梗は疲れたのか、隣に座って水をのみ、お菓子を食べ始めた。 「水は冷たくて気持ちよかったかな。水に映るきらきらはきれいでしょう」 管狐のナイを首に巻いた桔梗は、にへら、と無防備に笑った。 鈴木 透子(ia5664)は余り表情の動かないアルドの遊び相手……というより傍にいた。 傍から様子を観察していた。 子供たちには趣味や性質の違いが少しずつ明確になり、常に一緒にいる相手も固定化されつつある。 けれど年長組と年中組には明らかに『空気の差』があった。 具体的にどうと言えないのだが。 星頼がアルドを追わなくなった事も理由があるのでは……と鈴木は若干の不安があったが、実際には深刻な問題ではなかった。蕨の里の中で『神の子』或いは『おかあさまのため』という明確な目的を強制されていた頃と違い、最近はウルシュテッドの影響を色濃く受けて、関心が移りつつあると推測できた。 『尊敬すべき神の子候補だった兄、が……尊敬対象でなくなってきているんでしょうか』 世界は広い。見本は多い。未来の選択も増えた今、順応の兆しが見えているのは幸いだ。 けれど頑なな子供もいる。 鈴木は宿に帰ったら仲間たちの話をきいて、図式してみようと決めた。 水遊びをしていた幼い桔梗と春見も体が冷えていたので、无に連れられて火の傍にきた。 「いいにおい」 「さっき摘んだジャムだよ、一緒につくろっか」 山菜料理班の傍らで、蓮は木苺のジャムを作っていた。火加減の調節ができないのも野外の味だ。 自前の調理器具セットを取り出し、鍋に水と洗った木苺を入れて火にかけ、灰汁をとり、砂糖を入れて焦がさないよう木べらで混ぜる。 仕上げは事前に買ってきた檸檬の果汁を少々。 「桜は散ったけど、美味しい物は幾らでもあるよ。自然ってすごいね」 そこへ丁度、礼野が野薔薇摘みから戻った。自前の薔薇の砂糖漬けを出して「桜以外の花でも砂糖漬けができるんですよ」と桔梗と春見に教える。 「あまい。ジャムもあじみしたーい」 「まだだめー。全部できてから。自然は大切にしないとね」 自然を愛する事は命を大切にすることだが、何か学んでくれるだろうか……と蓮は思いを馳せた。 ●太陽が真上にのぼる頃 お昼の時間は、お弁当の話で賑わっていた。 もちろん遊び倒した子供たちの胃袋は底なしとも言え、沢登りで採取した山菜もその場で湯がいたり和物にして、子供たちの食卓に上がっていた。料理を率先して手伝ったのは、泳がなかった子供たちだ。灯心や結葉は一日で随分と山菜に詳しくなっていた。 御樹は子供の様子を遠巻きに見守りながら、弖志峰を一瞥する。 「難しい顔をしていますね。過去は過去、気にするものじゃないですよ」 「え? ……青ちゃんには叶わないなぁ、うん、そうだね」 自分が友に支えられたように、結葉たちも皆に愛されている。 それが尊いものだと子供たちが気づくのはずっと先かもしれないけれど、忘れずにいてほしいと願った。 料理の火傷や浅瀬で怪我をした子の手当は、泉宮がてきぱきとしていた。 紫ノ眼も「外遊びが多くなるから役立つ」と言って、草履の鼻緒がきれて転んだ真白に、簡単な応急処置を教えていた。傷を綺麗に洗い流したり、止血の方法は意外と大事だ。 「それと、今日は帰るまでこの草履を使うといい。真白にあげようと思っていたところだ」 目に美しい青草の色合いを生かして作られた、緑色の草履を履かせた。 ●少女たちの身飾りに 食後は『泳がない子の為に』と。 アズィーズが午前中に煮出した汁を使って、手拭いの草木染めを始めた。セイタカアワダチ草を使った緑染めだが、鍋の都合で作業はひとりづつ行う。 明希は染物を干して眺めて、ふっと遠い眼差しをした。 「草花で染められるって、前に知ってたら……褒めてもらえたかな」 前、とは魔の森にいた頃の事だろう。 「明希、次は未来を呼んできてくれる?」 明希が「はーい」と手を上げる。 優しい水音の響く水辺で、少女たちが集まっていた。 髪結い講座だ。 「夏は可愛く涼しく過ごしましょうね。背後から身を任せるのは緊張しますか?」 ふふ、と微笑むアルーシュ・リトナ(ib0119)が「滑らかで綺麗な髪ですね」と櫛で金混じりの茶髪を梳いた。恵音は「……別に、嫌じゃないわ」と言いつつ手鏡を持っている。 「大丈夫。深呼吸して川の、水の音を聞いて……はい出来上がり。ほら、可愛い」 軽く肩に触れて鏡で確認させる。 今までは三つ編みだけだったが、リトナはフィッシュボーンという魚の骨に見立てた編み方を教えた。隙間をピンや花で飾る。 「じゃあ次は」 「ま、まって……まだ覚えきってないから……何度かやってから」 「あら、良いんですよ。全部自分で出来なくても、甘えても。難しかったら、誰かに手伝って貰ったり手伝ってあげたりするのが、女の髪の楽しみです」 言いながら、リトナの手は恵音の前髪をふんわりとふくらませて上げる。 隣のネネも同意した。 「そうですよー。それにまとめ髪なら手の込んだこともできますから」 ネネが恵音に教えるのは、両端から編んだ三つ編みを頭に合わせていく上品な髪型マーガレット。左右に三つ編みお団子をふたつ。幼いののはお姉さんの真似事がしたいのか、マーガレット髪型をネネにねだった。 「未来や華凛はどんな髪型が良いでしょうね」 ローゼリア(ib5674)と牡丹は並んで、未来と華凛の髪を梳かしていた。 「流石にわっちの髪型を子供にさせるわけにはいきんせんが……華凛はんも髪を編み込んでみましょうか、よろしいでありんすか?」 牡丹が黒髪を分けながら、青い瞳を覗き込む。 頷いた。 早速、牡丹が華凛の髪を編み始めた。 「素敵ですわね。さて未来に似合う髪型。どう思います、お姉さま?」 ローゼリアは未来の赤毛に櫛を通しながらリトナに尋ねた。 「まずはお揃いにしてみたらどうでしょう?」 「そうですわね。まずツインテールにして、次はそこからネネの言うお団子にして、頂いた簪を飾るとしましょうか。いきますわよ〜」 紅茶色の瞳が手鏡を覗き込む。おしゃれは女の楽しみだ。 先程まで、ローゼリアは泳がない未来と料理の手伝いをしていたが、生きるために食べ、敬意と感謝を払うことを……少しずつ覚えてきてくれているような手応えはあった。 『……こんなに愛らしいのですものね、きっと大丈夫だと信じたいですの』 どうかこのまま。 人の道からそれる事なく。そう願わずにはいられない。 丁度、未来を呼びに来た明希と、料理の後片付けを終えた結葉もやってきた。 「リオーレおねえちゃんが呼んでるの」 「今参りますわ。ね、未来」 「未来はんの次は華凛はんが染める番どす。あんさん、好きな色は? 考えておいておくれやす……はい、編み込みおしまい。可愛らしい事……天女の様でありんすなぁ」 沢登りで摘んだ花。 野花を編みこんで作った花冠を、華凛の頭にのせる。着飾ることに幸せそうな様子を見た牡丹は「次は似合う着物を持ってくるから」と華凛と指切りで約束をした。 リトナは結葉の髪に櫛を通す。 「結葉さん、この後は料理ですか?」 「ううん。楽器の練習よ。踊りも教えてもらうの、だから髪を綺麗にしたいの」 髪を編んでもらいながら、リトナにもらったエンジェルハープを抱きしめる。弖志峰や御樹はまだ後片付けの最中だった。少し離れた場所で、グライフやのぞみが結葉を待っている。 そんな恵音と結葉のところへ、猫又を連れた芦屋 璃凛(ia0303)が歩み寄った。先月、二人共激昂して猫又冥夜に襲いかかったので周囲の空気が凍る。 芦屋は「髪型似合うてるやない」と気軽に声をかけた。 「あと、すまんかったな。ウチが居なかったばかりに不愉快な思いさせてしもうて」 数秒の沈黙。 「……主人が居ようと居まいと関係ないわ。次は食ってやるから」 結葉の声は子供とは思えぬほど冷徹だ。恵音は何も言わないが目つきがキツい。 芦屋の脳裏に、一瞬だけ桃音という少女の顔が浮かぶ。あの子は里から卒業したばかりだった。つまり恵音や結葉は知っている可能性が非常に高い。多分、姉同然だったはずだ。 一瞬口を開きかけて……やめた。 言えない。牢の中にいる桃音との関わりを話せば、興味は引けても、結局は悪影響にしかならないだろう。桃音の状況や身に起こった事を話せば……処刑された兄貴分の透や消滅した生成姫の話に繋がってしまう。 芦屋は迷いを振り切り、猫又とともに謝罪して、詫びにとグラスハープを奏でた。 少しばかり機嫌の戻った結葉が戻っていく。 結葉がエンジェルハープで演奏する傍らでは、華麗に舞うグライフがいて、その真似をするのぞみたちがいた。音楽はやはり子供たちの意識を惹きつける。スパシーバや双子を連れたニッツァたちも例外でない。徐々に人が増えていき、そろそろと逃げようとした酒々井が人妖雪白につかまり、再び子供に歌をせがまれたのは言うまでもない。 ●魚釣りで思うこと ところで食後は一部の魚釣りが忙しい。 何しろ宿を貸しきった都合上、夕飯は自炊である。子供たちにできることを踏まえて、食事への感謝を学ばせるには良い機会なのだが……子供達と開拓者の数を踏まえると、やはり宿側が用意した料理では全くもって足りなかった。 滝壺に到着してからずっと大人を手伝い、山菜の料理を教わっていた灯心に御樹は自由時間をもうけた。 後片付けは大人の出番。 紅雅(ib4326)は、急に手持ち無沙汰になってウロウロしていた灯心を手招きする。 「灯心、こちらへいらっしゃいな」 「なんですか、お仕事ですか」 紅雅は輝く眼差しに苦笑をこぼしつつ、膝を折った。 「いいえ。折角、滝壺に来たんです。水着を着て泳いだりはしますか?」 「僕は泳げます。今は弟妹に教える必要もないから……」 「ではお魚を、取りに行きましょうか? 夕飯の数が足りないんだそうです」 「はい!」 道具を持って手をつなぎ、木陰から岩場へ登っていく。 真新しい釣竿を握りしめて、灯心は紅雅に魚をとる苦労話をはじめた。森の鼠を狩るよりも、モリを持って川に潜り、魚を取る難しさ。魚をとらえる道具を川底に設置しても、全く罠にかからなくて、ひもじい思いをしたことも。 「これだとずっと楽です」 幸せそうな横顔。 「そうですか……力加減を間違えると、糸がきれてしまいますけどね。灯心、お茶にしましょうか。今日は日差しが強いので、こまめに水を取らないと。おやつはワッフルですよ」 川の水で冷やしておいた水筒からお茶を注ぎ、氷結術で作った氷を浮かべる。 何気ない平凡な術も、灯心には輝いて見えた。 「……灯心、『いただきます』は言えますか? 動物でも草でも、誰かの為の命などありません。だからこそ、私達が奪った命にお礼とお詫びを……手を合わせて、いただきます、と言いましょうね」 「はい。いただきます」 俳沢折々(ia0401)は滝壺の傍で釣りをしていた。興味がなければつまらないものだから、と近くに来た子に声をかけるようにしている。 「ちょっと一休みしていかない」 俳沢は礼文に声をかけた。 「ぼんやりと、ただ糸を垂らすだけでもいいんだよ」 「待つのつまんなくない?」 「ちっとも。ハマればこんなに楽しい遊びもないからね。ふふふ。単純に魚との勝負を楽しむのもいいね。もちろん食べるために釣るのもいい。考え事をする時間もできる」 「考えごと?」 「うん。みんな、君たちのことを思っていろんなことを話したり、教えてくれると思う。それを聞くのはとても大切なこと。でもって、ゆっくりとその話を考えてみるのも大切なことなんだ」 「……おそわったこと」 礼文が座って岩場のしたを見下ろした。 和奏(ia8807)は人妖の光華姫とともに浅瀬にいた。 小さすぎる子は竿や魚の力に負けてしまう為、桔梗たちのような小さい子は羨ましそうに見ているだけだ。无の敷物の上で管狐のナイと昼寝をしている春見は、まだ起きてくる気配がない。 そして川魚は動きがはやくてつかまらない。 「桔梗さん」 和奏がおいでおいでと手招きをする。 近くにあった大きめの石を退けてみると、小さいカニが横歩きしていた。これなら桔梗でも捕まえられる。手を挟まれないように捕まえ方を教えた数分後。 「……とれた。とれたー!」 桔梗は和奏の周囲を三周ぐらいした後、无と春見に見せるべく走り出した。 猫又のクレーヴェルが木陰の下でごろごろと日光浴を楽しむ傍ら、グリムバルドはのんびり釣りをしていた。日が傾いてくると、流石に水も冷たいのか、子供の大半が釣りへと移行していく。 「星頼にスパシーバじゃないか、おいで。今日は楽しかったかい」 「水鉄砲作った」 「四葉とったよ」 二人とも相応の収穫はあったらしい。 何かを成し遂げるという事は、心の成長に肝心な要素である。 次も何かに挑もうと思えるきっかけが肝心だ。良い影響を確かめたグリムバルドは、釣りの手伝いを頼んだ。といっても釣り餌となる餌の虫を探してもらったり、切れた糸に細工をつける程度だが。 「複雑な構造は綺麗で面白いけど、こういう単純なやつも結構良いもんだ」 受け継がれてきた先人の知恵。 時々、餌でなく今日教えてもらった山菜を摘んで戻ってきて、最初の目的をすっかり忘れたりもしていたが……決して叱らない。夕飯が豪華になるな、と笑ってもう一度頼む。 失敗を繰り返して、子供は成長していくものだから。 「……見方と考えようで、可能性ってのは広がるもんだな」 グリムバルドは満足そうに呟いた。 水遊びで疲れた紫ノ眼は、真白と共に魚釣りをしている途中で、うたた寝を始めた。 魚がかかるまでの時間は心地の良いまどろみを誘う。真白が何か探しているのに気づいた菊池が足音を忍ばせて近づき、上着を渡す。真白は「ありがとう」と小声で言って、紫ノ眼に上着をかけた。 気遣いが身につき始めている。 「紫ノ眼さんの分も、一緒に釣りましょうか」 「うん。お願いします」 真白に礼儀正しさが身に付きつつあるのも、紫ノ眼たち周囲にいる大人の影響に違いない。 子供が親の背中を見て育つように、救われた子供たちの親に等しい存在は開拓者たちになりつつある。最も、まだ『親』というには程遠く『遊び相手』或いは『保父や保母』に近いのだろう。 菊池は紫ノ眼を挟むように、真白の横へ腰を下ろした。 「お花見の時には元気よく走っていましたね。初霜もお兄さん達と遊んでもらって楽しかったようですよ」 真白の横で忍犬がぱたぱたと尻尾を振った。 今日の報告を始めた途端、魚が食いついた釣り糸の浮きが、ちゃぽんと沈む。忍犬初霜が飛び跳ねながら「わん!」とひと吠えしたので、紫ノ眼が飛び起きて隣人に目を白黒させていた。 染物を終えて髪を結ってもらった明希は、水から上がった旭と一緒に、魚を釣る白雪のところにいた。釣竿を仕掛けて魚がかかるのを待つ間、明希は旭の髪や白雪の髪を結いたがった。 「おねーちゃんも真っ白、きれい」 染物を教えているアズィーズも白雪も、真冬に燦めく牡丹雪のような白銀の髪だ。太陽の光に透かすと、きらきらと輝く。美意識の感性が育ってきている事に気づいて、白雪は胸をなでおろした。 少しずつだが、明確な変化が現れてきている。 『でも、ここで気を抜いたらダメですね。時間をかけてゆっくりと、色々なことをやって、一緒に成長して行けたら……』 「おねーちゃん、糸、曲がってる」 「糸じゃなくて竿です。これは明希の釣竿ですから、明希、釣り上げてみましょう」 自分は先生という柄ではない、だから一緒に同じ目線で物を見て、一人前になれたらいい。 そう思う。 子供たちとの触れ合いは、子育てに似ているのかもしれない。 教えるという事は、教わるという事でもある。 「つれたー!」 「虹鱒ですね。この時期の魚は、砕いた岩塩を振って焼いて食べると、とっても美味しいんですよ。宿に帰ったら一緒に戴きましょうね」 びちびちハネる魚を桶の中に放す。明希と旭は二匹目を釣り上げる事に集中し始めたが、白雪は桶の中を泳ぐ魚をみていると……どうにも悪い癖がでてしまうようだった。 「……我慢にゃ! 品行方正じゃないとにゃ!」 突然の奇声に二人が振り返ると、白雪は放したはずの虹鱒を掴んでいた。頬を赤く染めながら「これは、その、魚が、勢いが良すぎて逃げ出しちゃったんです!」と必死に言い繕っていた。 「ふふー、みんな元気でやってるみたいで何より。アルドくん、糸ひいてますよ」 フィン・ファルスト(ib0979)の隣にはアルドがいた。 ファルストに誘われて釣っているが、あまり驚きはない。 「最近はどう?」 「訓練は欠かしてない」 返事がかたい。少し心配になってきた。 「そう。兄弟たちは? 皆をまとめてるのはアルドくんたち年長者だってきいたから」 アルドはびくっ、と肩を揺らした。釣り上げた魚の口から針を乱暴に引き抜く。 ファルストが首を傾げた。アルドの表情が暗い。 人妖のロガエスがアルドの肩に着地し「日光を浴びすぎたか?」と言いながら額に手を当てる。 「熱はないよ」 「そうか? ……何か思うことがあるなら、言ってしまえ。そこのはそそっかしい所はあるが、他に口外するような人間ではない。其の辺は保証するぞ」 人妖ロガエスの言葉にファルストが微妙な顔をしていたが、水面を見つめて沈黙していたアルドは、周囲を見回してから声を出した。 「皆が言う事をきかないんだ」 「立派にまとめてるってきいたけど」 「前と違う。みんな訓練をしなくなってきた。楽器を扱う腕は恵音や結葉の方がすごいから、俺より皆にすごいと言われるのは、しょうがないし。灯心は毎日料理をしてるから、美味しいものをつくれるから、すごいのはわかる。……けど、俺はみんなを集めなきゃいけないのに、何もない」 つぶやきの断片を拾い集めて要点をまとめる。 つまり蕨の里では、残った年長者がある種のまとめ役だったのだろう。 そしてアルドは、お目付け役のアヤカシたちが一匹もいない孤児院の中で、年長者の責務を果たさなければならないのでは、という重圧に囚われている。 考えてみれば当然だ。 アルドたちは、里を支配していたアヤカシ鬻姫や生成姫の消滅を知らない。 幼い子供たちから人の暮らしへ順応し始めている傍ら、年長者は自由度の高すぎる平和な暮らしへの順応に、罪悪感と抵抗感を抱いていた。恵音と結葉が年相応の興味に惹かれ、歌の指導で弟や妹たちを導き、灯心が覚えた料理で弟妹の小腹を満たす傍ら、アルドは責務や訓練にばかり気を取られ『何かを見出す』ことをしていなかった。 感じているのは無力感だ。 傍で話を聞きながら、ファルストが肩を叩く。 「何事も……のんびり獲物がかかるのを待つのも、良いものよ、うん。……アルドくんさっきから釣れてるのに、私釣れてないけど……うぅ、手本になってなくてごめんねぇ」 相棒を眺めた人妖ロガエスが「何事も忍耐、だそうだ。……ついでに、ああいう出来の悪い年長者を慰める練習台にしとけ」とアルドに告げた。 ●沢をくだって宿へ 森に日差しが届かなくなるのが早い。 日が落ちる前に、宿へ戻らなければならない。太陽が傾いて、後始末を終えると、ゆっくりと降り始めた。行きは沢を登ったが、帰りは危ないので、緩やかな獣道を歩く。 戸仁元とともに到真と魚釣りをして戻ってきた萌月は、樽をのぞく到真に「どうか……しましたか」と尋ねた。 「みんなの分、あるかなぁ。僕、ちょっとしか釣れなかった……ごめんなさい」 「謝らなくてもええんやで」 「戸仁元さんの……言うとおり、です。……お魚は……他の人も釣っていますから……全部数えて、分けあって食べましょう……みんなが頑張ったから、大丈夫です。それに……到真君は皆に……お茶出しを頑張っていたじゃありませんか。美味しかった、です」 到真が戸仁元を見上げて微笑んだ。役にたてたことが嬉しいのだろう。 萌月は、宿に戻ったら到真好みのお茶を贈ろうと考えた。 また他の子にも、淹れてあげてほしいから。 同じく帰り際。 「昔、私が使っていたものですが……暑くなるので、良かったら」 青い扇子を紅雅から受け取った灯心は、お礼を言って目を輝かせ、何度も扇子を開いたり閉じたりした。次は手帳を渡そう、と紅雅は考える。水辺では濡れて使い物にならなくなってしまうので、帰るまでは秘密。 手帳が真っ黒になるぐらい、料理を書いてくれればいい。 その日。 宿の夕飯はとても豪華だった。 みんなで集めた山菜に、みんなで釣った川魚。 一緒に料理して食卓を囲み『いただきます』を唱えて食べる。 遊ぶことの楽しさを、命を繋いでいくということを、子供たちは理解してくれただろうか。 お風呂に入った後も、子供たちの一部は元気だった。 寝る前はアズィーズ発案で枕投げをしていたが、幼子と男子が騒いで障子を破った。 ウルシュテッドは結葉に久々のタロット講座をしていた。新しく贈った栞が役立つに違いない。 お手玉をしたり、染物をみせ合ったり。 思い思いに過ごした一日。 子供を見守るフェンリエッタの翠の瞳に柔らかな光が灯る。 「気持ちは皆の母……なんて、ね。帰ったら各地の出来事新聞でも貼ってみようかしら。花の開花時期や行事の日時、旬の食材なんかが絵付きで載ってると楽しそうよね」 人の心を取り戻しつつある子供たち。 成長が、楽しみに思える一日が過ぎていく。 |