【イサナ】マザーズラブ
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 3人
リプレイ完成日時: 2013/06/03 23:13



■オープニング本文

 少し考えに耽ってみよう。

 人は、己を生み出した者を『母』或いは『父』と呼ぶ。
 では、我々『人妖』はどうなのだろう?

 我々は陰陽師に作り出された自立歩行型の道具である。
 物質化されたこの体を維持するには瘴気が必要不可欠で、人間の肉体とは違う。清浄な場所では弱る。瘴気の薄い空間に長時間いれば空腹感に似たものを覚える。そしていかに壊されようと高位陰陽師の腕次第で、ある程度の再生が可能だ。

 人ならざる者。
 けれどアヤカシにも成り切れぬ者。

 陰陽師は、なぜ道具の我々に『感情』という厄介なものを持たせようと決めたのだろうか。
 自我がない方が、人型をとらせない方が、何かと都合がよかったのではないだろうか。
 道具なのだから。
 けれど人間たちは、我々人妖に人の似姿を与え、感情を与えた。願いを込めて、名前をつける者すら珍しくはない。そして我々に道具以外の存在意義を見いだし、無意味な言葉をさえずる。
『おはよう』
『こんにちは』
『おやすみなさい』
 まるで生き物のように扱う。
 家族だ、と言う陰陽師すらいる。
 我々『人妖』は、客体化された人間という事になるのかもしれない。

 古来より、人間は己の客体化を押し進めてきた。
 人間を意識して作られた泥の彫刻や人形がその最たる例といえる。けれど人に似せて作った単なる人形に『生命』が芽生えることはない。人工物である我々は、瘴気という忌々しい物質の手助けを持って、疑似の生命体に近しい権利を、偶然獲得したにすぎないのだ。

 自然に背いて命を作ろうとするのは、罪だと叫ぶ者もいる。その倫理概念は、自らの命が脅かされる可能性への恐怖心が生み出す、技術発展への懸念かもしれない。事実、瘴気を再構成して式を作り出す陰陽師は、他国では異端として扱われることも少なくない。
 それゆえに。
 陰陽師という異端児達が『人妖』を作り出したのは、技術の果てでもあり、必然でもあったに違いない。

 人形師が、完璧な人形を追い求めるように。 
 陰陽師はより美しく完璧な人妖を構築する。 

 けれど私の創造主は変わり者だった。
 人が己を産んだ者を母親と呼ぶなら、私の母は『彼女』に違いない。
 陰陽師イサナ。
 世界でも類例が少ない、等身大の人妖を作り上げた無名の天才。

 私の母は、私を『全く同じ姿』にした。

 人妖としては規格外の大きさ。美化のない造形だけではなく、髪の長さから黒子の位置に至るまで。仕草や口調は、基礎を学んだ後に叩き込まれた。
 母との違いは、記憶と体の性質のみ。
 病におかされた母は、己を複製しようとしたのである。

『おまえは私に、瓜二つ。
 この体は、私の人生を費やした結晶。
 ねぇ、私。
 おまえに私の全てをあげよう。
 過去も、未来も、なにもかもを。だからどうか……』

 母は私に、同じ名を与えた。
 同じ場所で、生き続けることを命じた。
 私はまさに、客体化された母という疑似の人間、という訳である。
 けれど。

 私は、母になれなかった。
 命令を全うできなかった。
 いかに他の人妖より優れていても、主人のオーダーを果たせない道具に存在の価値はない。
 だから思った。

 もう一度、母に会いたい。

 同じ容姿を持ち、同じ名前を与えられ、続くはずだった人生を繋いで歩むように命じられて、現世に残された私は、出来損ないの人妖は、どうすればいいのかを。
 自壊は母への冒涜だ。
 だから生き返らせる術を探した。

 我々人妖は、人体の理想系を模した生きた見本である。
 劣化による寿命があるにしても、人よりも頑丈で、優れた性能を維持したまま、長い年月を暮らすことができる。
 いくらでも待てる。
 しかし研究には限界があった。人間の知識しか手に入らない。現在の技術では、死んだ人間を再構成させることはできない。

 人の魂は、瘴気とは違う。
 行き詰まった私に手を差し出したのは化け物だった。

『……主人に会いたいか?』

 私ならば会わせてやれるぞ、と。
 アレは笑った。
 誰もが目を奪われるような慈愛の微笑みで。
 そして、いとも簡単に目の前で『母』を構成した。
 たった一瞬の幻だったけれど。
 私は確かに『神の御技』をみた。そして闇の奇跡に縋った。
 気がついたら、大切なものを失いかけていた。

 ソラ。
 たったひとりの、私の弟子。

 元々は母が才能を見いだした子供だった。どんな時も私の後を追いかけてきた。私を『イサナ』とも『人妖』とも見なかった。私を私として正面から見ていた。

『せんせい!』

 遠き母よ。
 私はあなたとの誓いを破りました。
 あなたよりも大切なものができてしまった。
 私はもう、アナタになれない。

 出来損ないの道具を、許してください。


 + + +


 その日は、封陣院の分室長こと狩野 柚子平(iz0216)の所へ弟子のソラを迎えに行くことになっていた。人魂の技術で他人の姿を借り、夕闇が迫る裏路地を抜け、足早に約束の店を目指す。
 行く手を阻む一人の影。
「何故、招集に応じなかったの」
「石榴か」
「慈悲深いおかあさまは、実験材料にされた貴女を哀れんだわ。だから私は研究所から救い出す手助けをした。痕跡を消すために火も放った。死者を蘇らせる契約も、仕事をひとつこなすだけで願いが叶うはずだった。どうして裏切ったの」
 イサナが唇を噛み締めた。
「確かに実験材料にされるのは不本意だった。だが……研究員を皆殺しにしてくれ、と頼んだ覚えはない。人を殺す取引に同意した覚えはない。ソラを浚った貴様らに、協力する義理はない」
「では実力行使しかないわね」
 イサナが鼻で笑った。
「貴様ごときが、この私にかなうとでも」
「私では、ね」
 石榴の隣で、蝙蝠が人型を取った。途端、従わねばならぬような感覚に襲われた。
 術と気づく頃には、意識が遠のいた。

 + + +

 懐中時計を眺めて溜息一つ。
「おかしいですね。迎えに来る時間はとっくに過ぎているんですが」
 少年ソラをつれた柚子平は、開拓者と共に茶屋にいた。柚子平の護衛役として雇われた開拓者や、イサナに話のある開拓者も同席していたが約束の時間を過ぎても現れない。
「探してきます。迷ってるかも」
「私も」
 柚子平とソラを残して次々と店を出た。
 叫び声と笛の音が聞こえた。戦で散々聞いた音だった。
 反射的に駆けつけて、目にしたのは……吸血鬼に操られた火焔の人妖イサナと次々現れる影鬼たち。周囲の人々が逃げ始める。イサナが炎を纏い始めた。
「どうしましょう」
「恐らくイサナさんは、吸血鬼のいいなりです」
 このままでは名誉挽回が困難になる。
 死傷者を出す前にアヤカシを退治し、術を解除しなければならない。
 そして。
 この騒ぎを仕組んだ者を探さなければ。


「……ふふ、そんなに人間の元がいいなら、二度と帰れないようにしてあげるわ。存分に暴れて、憎まれるがいい。イサナ、お前は今度こそ此方へくるの。おかあさまに歯向かった罰よ」


■参加者一覧
ヘラルディア(ia0397
18歳・女・巫
八嶋 双伍(ia2195
23歳・男・陰
珠々(ia5322
10歳・女・シ
リューリャ・ドラッケン(ia8037
22歳・男・騎
此花 咲(ia9853
16歳・女・志
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386
14歳・女・陰
叢雲 怜(ib5488
10歳・男・砲


■リプレイ本文

 その人妖は『イサナ』という無名の陰陽師の手によって作り出された。
 既存の人妖にはない炎を操る性質と、等身大の体に秘められた莫大な力。
 文字通り、人生をかけた傑作である。

 竜哉(ia8037)が水晶の片眼鏡を通して様子を伺う。人妖、影鬼二体、そして吸血鬼。
『あれがいるんじゃ自分の意思で暴れているわけじゃなさそうだ』
「吸血鬼は1体だけみたいだが、操られていると見たほうがいいか」
 視線が、敵から一般人に注がれる。
「一般民衆の安全が最優先だ。内通者も考えて、目の届かない横道に誘導しようか」
「僕も手伝います」
「ああ。所所に結界呪符で壁を作ってもらえるとありがたい。できるだけ安全な道を民衆に通ってもらう」
「分かりました。とにかくまずは……彼女に人を傷つけさせないようにしないと」
 八嶋 双伍(ia2195)が火を纏うイサナを眺めた。
 ここまで来て『やっぱり駄目でした』は困る。
 亡き主人の後を継ぎ、薬師として周囲を救っていたイサナの姿を覚えている。彼女の冤罪に辿り着くまで長い時間を要した。誤解を解く為の方法が見つかったのに、勝手に滅ぼされたり、本物の賞金首にされてなるものか。
「ですね」
 事情を聞いていた珠々(ia5322)たちも同意した。
 イサナも人も、傷つけさせてはいけない。
「陥れられたイサナ様をここで奪還して救わねばなりませんね」
 でなければ様々な無念が果たされない、ヘラルディア(ia0397)はそう思う。
 救う為に必要な事は何でもする、と八嶋も決めていた。
「石榴、決して逃しませんよ」
 怒りを押し殺した独り言を、姿なき敵へ向ける。
「石榴ねぇ……縛り上げたいとこだけど」
 リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)がヘラルディアを振り返る。
「猫又が前に見たっていう怪しい陰陽師の容姿、簡単にでいいから教えてもらえるかしら」
 猫又のポザネオがぱっと思い浮かぶ特徴を述べた。
 隣でヘラルディアが神経を集中させる。
「笛の主、捕まりそうですか?」
「確かに瘴索結界ではアヤカシの種類は特定できませんし、陰陽師が常時反応するとは限りませぬが……噂の笛は、瘴気で作られた物型の下級アヤカシだとか。石榴が笛を所持しているなら、発見できる可能性は残りますね」
 目の前のアヤカシ以外の気配を探る。
 一瞬だけヘラルディアが何かを感知した。猫又に何か耳打ちすると、猫又は疾走し始めた。その姿をヴェルトと珠々が追う。
「任せました」
「避難民を護って、人妖の姉ちゃんも助けるのだぜ! 俺は人妖の姉ちゃんを操ってるっぽい吸血鬼をやっつけるね」
 狙撃の前に叢雲 怜(ib5488)が皆を振り返る。
「範囲攻撃は人妖の姉ちゃんを巻き込むから禁止なのだぜ! 住民の大事な家だし、できる限り壊さないようしたい。視界が悪くなる術なんかも影鬼を進んで逃がす可能性があるから諸刃の剣だよな! 姫鶴も、人妖の姉ちゃんは狙ったらダメ!」
 方針を口に出して徹底した叢雲は、轟龍姫鶴に誤って攻撃しないよう重ねて言った。
 これにより一人、我にかえった者がいた。
 ジークリンデ(ib0258)は影鬼が影に潜行した場合は『人間を巻き込まない』場合、人間の安全優先で容赦なくブリザーストームを浴びせるつもりでいた。だが激しい吹雪は敵味方全てを襲い、視界を白く包み込む。ここは街中だ。操られたイサナや店先の破壊だけでなく、最悪、影鬼を逃がす可能性を孕んでいる。
 用意していた範囲術は控えざるを得ない。
 ジークリンデは「イサナが人に仇をなすならば容赦は致しません。ただ救う機会があるのならば試してみるのも悪くないでしょう」と静かに告げた。
 此花 咲(ia9853)が七色に輝く刀身を鞘に収めた。
「人を操り、罪を負わせるだなんて……許されないのですよ、そんな事は! 姑息なアヤカシの好き勝手に、やらせないのですよ!」
「メタメタに潰して差し上げますわ!」
 羽妖精のスフィーダと共に影鬼に向けて疾走する。
「邪魔なモノは全て片付けるとしましょう」
 八嶋も轟龍の燭陰へ上空待機命令を出した。


 ヘラルディアの猫又ポザネオが一件の飲食店へ駆け込んだ。既に店先にいた客や店主たちは裏口から逃げたらしい。ばらまかれた商品、風に揺れる暖簾、静まり返った店内からは何の音も聞こえない。猫又が首を傾げる。
 一旦、人並みから離れた珠々は迅鷹峰渡に『笛を吹いている人間を探せ』と告げて空へ放った。
 遠く離れた珠々とヴェルトが掠れ声で囁く。
『笛の音は聞こえますか?』
『いいえダメね』
 聴覚を極限まで研ぎ澄ませ、遠く離れた音を聞き分ける事が可能なシノビの技術応用である。この騒動の中、呑気に笛を奏でられる民などいない、ヴェルトも珠々もそう考えた。完全に操るつもりなら、常時笛を吹いていなければならないと思っていたが、……どうやら吹き続けなくとも平気らしい。
 耳を澄ませても、叫び声や雑音の中に、笛の音が聞こえてこない。
 最悪、逃げられてしまうかもしれない。
 ヘラルディアは解術に専念する為、連れては来られない。
 羽妖精ギンコを抱えたヴェルトの足の先が仄かに輝き、軽い一蹴りで空に舞い上がるかのように跳躍する。アヤカシから逃げていく人々の中に、それらしき姿はない。


 ジークリンデが管狐ムニンを召喚し、焔纏を命じて同化した。これで威力は申し分ない。
 隣の叢雲は移動しつつマスケットを構えた。漆黒の銃口は、射程内の吸血鬼を狙おうとしたが、どうにも直線距離では狙えそうもない。
「避難する人が右往左往して射線が難しいな……だったら!」
 叢雲は、神経を集中させて銃口を空へ向ける。まるで見当違いな方向だった。だがそれこそ叢雲の狙い。人に被害を出さず、人妖イサナに邪魔されずに吸血鬼を打ち抜くには、銃弾に練力を流し込んで、強制的に軌道をまげて落とすしかない。
「覚悟するのだぜ!」
 頭上に向けられた弾丸が、衝撃波とともに放たれる。全く見当違いの空へ飛んでいくので、防ごうという気配がない。銃弾は頭上を通り抜ける刹那。急角度に曲がって、吸血鬼を貫いた。吸血鬼はイサナに何かをささやき、蝙蝠拡散しようと蠢いて……力尽きた。
 瘴気に還っていく。幻覚術を使われる前に討ち取った叢雲の功績は大きい。
「やったぁ! 先手必勝なのだぜ!」
 だが喜んでもいられない。
 イサナが火の玉を放ちはじめ、影鬼も動きを止める気配がない。
 続いてジークリンデが気力の全てを振り絞る。閃光と共に電撃が奔り、手前にいた影鬼を射抜いた。影鬼が砕け散る。
 ところが一撃に殆どの気力を使い果たしたジークリンデは、強烈な目眩を起こして大地に崩れた。かろうじて残り少ない気力のおかげで失神せずに済んでいるが、まともに立っていられない。以降の攻撃をまともに当てることは難しいかもしれない。
 人妖鶴祇が背中に漆黒の刃を出現させると同時に、竜哉が素早く移動する。アヤカシにもっとも近い人間を目指したが、十秒で到達できる距離は僅か30メートルだ。
「たどり着けないか。鶴祇!」
「わかっておる! 任せよ!」
 人妖鶴祇は仕留める役ではない。人に向いた敵意をそらす役目だ。
 これは此花も同じことだった。
 全力で影鬼を目指して地を蹴ったが、左奥の影鬼へは到達できなかった。一体目の影鬼が強力な一撃で滅びたのを見て、影鬼がイサナの影に沈む。心眼で所在を確認してはいるものの、イサナが建物の傍などへ接近すればおしまいだ。アーネスティン=W=Fが明かりを用いて、影が建物に伸びてこないよう気を配る。
 八嶋とシャンピニオンが結界呪符で30メートル範囲に点々と壁を出現させ、影が重ならぬように気を配り、アヤカシと住民を分断する。どうしても重なる場所は夜光虫で影を切った。八嶋は左の通路へ人々を逃がしていく。
「皆さん、こちらへ!」
 ウィンストン・エリニーも気品あふれる態度で人々を誘導する。
 ヘラルディアは様子を伺っている。
 解術の法を唱える為には、イサナの10メートル付近にまで近づかなければならない。
 敵がいるうちに解術を行うのは自滅行為だ。

 接近できないヘラルディアと気絶寸前のジークリンデが様子を見守る。
 人妖鶴祇が呪わしい声を叩き込んでも、効果が薄いのか影鬼は出てくる気配がない。
 近くに此花が迫っていたが、このままではイサナの攻撃を前に防衛戦を強いられる。なによりイサナの耐久度が分からない以上、もしかすると牽制のつもりが一撃で葬ってしまう可能性もあった。それだけ戦いの場数を踏んだ者たち揃いだったからだ。
 いずれも強く、実力もある。
 けれど強ければいい訳ではない。絶対に傷つけてはならない相手との戦い方を、知っている者ばかりではない。加減ができなければ、冤罪の者を殺してしまう。
 焦りを押し殺した叢雲が、再びマスケット構えた。
『誤射は怖いのだぜ。どうしよう』
 確実に相手を視認できる状態でしか攻撃を加えたくない。
 この場にいる開拓者の中で、最も優れた命中精度を誇るのは、叢雲自身しかいない。
 増えていく壁。珠に練力を込めて、曲げられるのはたった一度。
「壁なら消せますよ。任意で」
 誘導に専念していた八嶋が声を投げる。
「これから言う場所を消して欲しいのだぜ。俺の銃撃で真下の影から追い出す! 逃げられる前に仕留めるのだぜ!」
 地をかける此花にも意図を叫ぶ。八嶋たち夜光虫の配慮で、イサナの影は独立したままだった。叢雲のマスケットから放たれた銃弾が影を貫く。
 影鬼はたまらず姿を現した。
 だがイサナとの距離が近すぎる。
「スフィーダさん、二人刃織でいくのですっ」
「変な技名を付けないで下さいな!?」
 結界呪符の影から控えていた此花が壁の消失とともに踏み込み、イサナの影から伸びる影鬼の足と思しき部分を両断した。刀から梅の香りが迸る。此花の背後に隠れた羽妖精が更に間合いを詰める。
 いかに耐久性に優れ、逃げに徹した影鬼といえど、度重なる斬撃の前には影へ逃げ込む暇もなかった。砕け散る様をみて羽妖精が歓喜の声をあげる。
「やったのですわ! 勝っ……きゃあああ!」
「スフィーダさ……あああ!」
 此花たちが火だるまになる。
 そう。
 問題はここからだ。
 イサナの暴走を止めなければならない。
 それができるのは解術の法が使えるヘラルディア一人だけ。吸血鬼が何を囁いて滅びたのか想像にたやすかった。このままでは人妖イサナに接近できぬまま、大通りが火の海になってしまう。
 気絶しそうなジークリンデは試しに「ソラは無事よ」と叫んでみたが、操られたイサナは何の反応も示さない。人妖鶴祇が「お主は、此処で負けている暇など無い!」と叫んでも、ダメだった。
 イサナは機械的に唇を動かす。
「『すべ、て、もや、す』」
 殺気を感じた竜哉は腕輪キニェルの円盤部分を掲げて、オーラの障壁を構築する。
「ぐっ!」
 火の鳥があたって砕けた。吹きつける熱風。
 依頼主の心情を思えばイサナを助けたい。竜哉はそう思っていたが、理想は遠い。エリニーも身を挺して人々を守っているが、長くは続かないだろう。
 ヘラルディアが悩む。
「……現場の一般人安全確保が優先でございますが、どうやって近づけば」
 自らの体力とイサナの攻撃力を考慮すれば、無理をしても到達前に焼かれる。
 状況が長引けば被害が広まる。回復術を使い続ければ練力が底をつく。
 接近手段を考えていなかった。
「倒すしか」
 ジークリンデが問答無用の破壊を視野に入れ始めた時、人妖鶴祇が激昂した。
「ふざけるな! 同朋を見捨てられるほど、我は下種に在るつもりはない! まだだ!」
 だが全力で無差別攻撃を放つ者を一切攻撃せずに、この遠距離を近づくのは難しい。
 そこで動いたのは協力し合って防壁を構成していた八嶋とシャンピニオンだ。
「ヘラルディアさん、解術の自信はありますか」
 避難誘導を終えて戻った八嶋が尋ねた。
「は? はい、最上の結果を目指したいですが、近づけないのでは」
「僕とシャンピニオンさんの二人で、交互に結界呪符で壁を出現させて消し、突破口を開きます。住民保護の分で練力が残り少ないので、いざという時は……僕が体を張ります。たった一度の賭けになりますが、ついてきてくれますか」
「分かりました。成し遂げて見せますね」
 ヘラルディアが八嶋と共に立つ。
 攻撃命令を待つ轟龍燭陰へ、火の手が広がらぬよう、身を挺して抑えるよう指示を出す。
 全身に炎を纏った人妖イサナは、うつろな眼差しで炎の玉や鳥を構成し、一定の間隔で放出していた。
「いきますよ! いち!」
 白い壁が消失し、ヘラルディアの手を引いてイサナを目指す。
「に!」
 漆黒の壁が複数出現し、八嶋とヘラルディアを囲む。イサナの放った火球が衝突した。
「さん!」
 黒い壁が消失し、八嶋とヘラルディアがイサナを目指す。
「お願いします!」
「イサナさま! 目を覚ましてくださいませ!」
 ヘラルディアが印を組んで術を唱えると、イサナの体が淡い藍色の光に包まれた。


 時は少しばかり巻き戻り。
 珠々とヴェルトが注意していることがあった。それは仲間の攻撃が、吸血鬼や影鬼に向けて放たれた後だ。状況を判断し、的確な指示を出すには、笛が必要。だから吸血鬼への攻撃後、微かに聞こえた音を捉えた。
 珠々がヴェルトを呼ぶ。
『聞こえました! さっきの店の二階です! 下から行きます!』
『こっちも聞こえたわ。猫又が立ち止まったところね。今行くわ!』
 ヴェルトの足の先が再び輝き、死角から問題の店の屋根へと跳躍する。
 客間に女がいた。
「あんな角度であたるもんですか。丸焼き確定ね」
 店の二階で、悠々と構えて、窓辺から嗤っていた。記憶の中の顔と合致したのか、猫又が襲いかかる。だが急に倒れた。神経蟲によるものだが、猫又には意味が分からない。
「あなたが石榴ですね」
 珠々が押し殺した声で聞いた。女は一瞬無表情になったが「人違いじゃない?」と朗らかに笑う。
 無論「はいそうですか」と引き下がるほどお人好しではない。石榴が立つ。
 それは一秒の勝負だった。
 石榴が獰猛な白狐召喚を試み、廊下の珠々と窓辺に降りたヴェルトの二人がシノビの奥義『夜』を発動させたのはほぼ同時。これが攻撃勝負だったら、或いは、手数の多い石榴に負けていたかもしれない。
 だが勝敗の女神は、時を制した二人に微笑んだ。
 発動の直前で呪術武器に精通したヴェルトが無力化を試み、珠々が手ぬぐいで石榴の口に猿轡を噛ませる。発動を遮られた符は虚しく燃えつき、二人は石榴を荒縄で縛り上げた。
「思い通りになんてさせません。それが何よりのナマナリへの意趣返しです」
 珠々が笛を取り上げて破壊する。石榴が騒いだ。
「むーっ!」
 激怒しているようだが、両手両足は縛られて口も塞がれている。
「はいはい。勝手に呻きなさい。現役の玄武寮生を舐めないで頂戴な。自殺も逃亡もさせないわよ。あ、珠々さん。そっちの眼鏡と指輪も呪術武器だから剥ぎ取って」
 文字通り、身ぐるみを剥ぎ取り、石榴を薄着一枚にしたヴェルト達は、猫又を回収してイモムシ状態の石榴を抱え、大通りへと戻った。


 騒ぎが静まり、大通りは静けさを取り戻した。幸い、店頭にも大きな被害はない。ヘラルディアはシャンピニオンと共に怪我人の治療に勤しみ、ジークリンデは気力を使い果たして意識朦朧としていた為、早々に運ばれていった。
 縛り上げられた石榴を前に、殺意を隠しきれない者はいる。
 けれど殺すことはできない。石榴をしかるべき場所へ明け渡し、イサナの無実を証明して、色々と聞き出すまで。そして大罪人の処刑は国の仕事である。
 なにより今は。
「せんせい!」
「ソラ」
 狩野 柚子平(iz0216)に連れられたソラが、正気に戻った人妖イサナに飛びつく。イサナは自分が操り人形と化していた事を知って真っ青になっていたが、幸いにも事情を説明された開拓者以外に負傷者は出ていない。
「悪者が捕まってよかったのだぜ!」
「ほんとですよー。ねー、スフィーダさん。やけどなんて気にしてません」
 叢雲と此花が燥ぐ傍らで、柚子平がイサナに微笑みかけた。
「ええ。さて……イサナさん。石榴を捉えることに成功した今、じきに『冤罪である』と証明されることになります。そうすればアナタは物に戻れます」

 物に戻れます。

 その一言に、皆の顔が凍った。
 いかに自立した意思を持とうとも、イサナは『人妖』でしかない。
 ましてや世界に一体しかいない、特殊な存在であるのなら尚の事、野放しは諍いの種だ。
「ソラくん。イサナさんの傍にいたいですか?」
 柚子平に尋ねられ、ソラは八嶋の顔を見てから「はい」と言った。
「そうですか。ですが残念ながら、あなたの先生は人妖、つまり陰陽師の道具です。それも特別製ですから、国の回収後は、身分の高い陰陽師にしか所有権は移りません」
「ちょっと」
 流石に、ヴェルトが異議を唱えた。
 だが柚子平は薄い笑みを返すだけ。
「もう一度いいます。イサナさん。容疑が晴れたら、私の所有物になりなさい。公式に私の道具となることを認め、自ら主人として宣言するのです。私に管理権がくるように」
「……ソラを救ってもらった恩がある。その為に莫大な金がかかったことも、推察はつく。覚悟はしているさ。煮るなり焼くなり、好きにするがいい」
「待ってください! そんなの困ります!」
 八嶋たちは納得がいかなかった。
 今、イサナは自ら封陣院の研究材料になる事を受け入れた。だが実験動物にする為に助けた訳ではない。イサナとソラが好きだから、幸せになって欲しいから助けたのだ。
 珠々が柚子平の襟首を掴んで前後に揺さぶる。
「説明してください!」
「い、イサナさんとソラくんを一緒にするには、それしかな……吐き気が、ぁ、ぁ」
「どういう意味でございますか?」
 戻ってきたヘラルディアが首を傾げる。
「ですから。法律上、人妖に人権は認められません。ソラくんがまだ陰陽師や開拓者でない以上、特殊な人妖の所有権など渡りませんよ。ですから一度、私の所有物にして、保護した孤児のソラくんの教育と雑務を任せます。使っていない屋敷があるので、そこで暮らして頂いて、ソラくんが陰陽寮を卒業できる技術がついた頃に、イサナさんの所有権利を譲渡すれば問題な……」
 依頼主の柚子平、数名に張り倒される。
 ヴェルトが溜息を零した。
「全くもう……焦って損したわ。
 イサナ。分室長もああ言ってるし、悪いようにはしないわ。
 私が前に言ったこと、覚えてる?
 これからは貴女がソラを守るのよ。自分じゃどうしようもなかったから仕方ない、で済ませられないこともある。何を考えているか知らないけど……子は独り立ちするものよ」
 黒檀の瞳に滲む、母の色。
 人妖イサナが何を考えて生きてきたのか、誰も知らない。聞いたこともない。
 けれど見ていて分かる事もある。ソラに注がれる慈母の眼差しは本物だ。
「帰りましょう、もう逃げる必要なんてないんです」
 八嶋が手を差し出した。
 イサナは立ち上がろうとして、目を回した。
 操られている間に消耗しすぎたらしい。開拓者がイサナに駆け寄った。


 ……聞こえる。
 何度も何度も、夢に見る。
 随分昔に忘れてしまった声は、自我の未熟な私に何を告げたのだっけ。
 今まで、どうしても途中から思い出せなかった。

『おまえに私の全てをあげよう。 
 過去も、未来も、なにもかもを。だからどうか……ここで生き続けて。
 私の時間を、代わりに生きて。
 そして私が見つけるはずだったものを、見つけて頂戴。
 私にはもう探す時間が残っていないけれど……
 見つけた宝(もの)は、お前のもの。
 いつかきっと』

 見つかるわ。

 遠ざかる意識の果てで、懐かしい『母』の声を、聞いた気がした。