疲れた君の置き去り事件簿
マスター名:やよい雛徒
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 6人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2013/05/20 16:42



■オープニング本文

 厳しい戦いだった。誰もが口を揃える。
 魔の森では熟練の開拓者ですら、己の力量を見誤ったり、気のゆるみや過信ゆえに命を落とす……そういう恐ろしい場所である事に変わりはない。長期滞在は命を削り、瘴気が体を蝕んでいく。この深刻な汚染は、精霊系の相棒のみならず、半ば瘴気で構成された人妖や機械、からくりにも影響を及ぼす。
 身に降りかかった瘴気を清めるにはギルドの助けが必要不可欠だった。
 汚染された空気から、故郷とも言うべき神楽の都の空気を吸った時の開放感。
「お疲れ様ー」
「お疲れ様ー」
 重度の瘴気汚染から救われてギルドを出た。
 そういえば長期不在で食料庫は空っぽ。馴染みの店で朝食をとり、人で賑わう市場へ買い出しに出かけ、武器の修理に鍛冶屋へより、万商店で新しい武器や防具を眺めて。
 帰る頃には、空の色が茜色に染まっていた。

 ああ、太陽が沈む……この世はなんと美しいのだろう。

 太陽を背にして上空を飛ぶ飛空船の影を、永遠の絵画に止めておきたい。
 やがて釣瓶落としのように太陽が沈み、蜜蝋色の月が輝く満天の星空に出会える時間がくるだろう。
 久々に、何もない一日だ。
 馴染んだ石畳の小道を抜けて、神楽の都の自宅へ帰った。
 ただいま我が家。我らが帰るべき場所。

 鍵を手に玄関に手をかけて。
 ふと、何か忘れていることに気づいた。なんだっけ。
 思い出せない。
 心が焦らない。きっと買い忘れか何かだろう。大した事ではないに違いない。
 まずは夕食の準備をして、銭湯へ出かけるのもいいかもしれない。
 今日こそゆっくりと惰眠を貪るのだ。
「ただいまー」
 ピシャリッ。
 家の戸がしまった。

 ……。
 …………。
 ………………。

 相棒さんは、置き去りにされてしまいました。まる。


■参加者一覧
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
刃兼(ib7876
18歳・男・サ
紫ノ眼 恋(ic0281
20歳・女・サ
鶫 梓(ic0379
20歳・女・弓
徒紫野 獅琅(ic0392
14歳・男・志


■リプレイ本文

 肌寒い風が運ぶ朝霧の中で身震い一つ。
 開拓者ギルドの表門から外へ出ると、白い月が夜に別れを告げ、澄んだ天色が広がっていた。
 それにしても眠い。
 開拓者という暮らしは、一般人とは違う生活を強いられる。なにしろ精霊門が開くのは、深夜0時と決まっていた。人々が寝静まる頃に他国へ向かい、疲れた体を抱えて深夜に戻る。従って開拓者たちは今日も、睡魔と戦いながら続々と帰っていく。


●淑女の秘密

「ふわぁ」
 桜色の唇から溢れる欠伸。
 眠そうなケロリーナ(ib2037)は、若葉と同じ翠の瞳を瞬かせた。
「はやく帰ってお仕事しないとですの〜。足りないものも買わないとですの〜」
 小さな青い靴が遠ざかる。
 ケロリーナの言う仕事は『開拓者業』のことではない。
 秘密の趣味だ。
 帰路の途中で行きつけの店に立ち寄る。
 今夜の惣菜やお菓子の数々。香り高い茶葉に苺ジャム。切らしていた薔薇の石鹸。高級和紙や新しい墨汁。細い線の描ける高級な毛筆に羽根ペンなど、筆記用具も揃えていく。
 店の主人も手馴れた様子でひと揃えを包んでくれた。
「以上かな。はい、おまけ」
「あ〜! かえるさんの風呂敷ですの〜! ありがとうですの〜!」
 睡魔も吹っ飛ぶ笑顔でお礼を述べて、馴染みの店を後にする。
 ケロリーナの自宅は郊外にあった。
 緑溢れる林に佇む、白亜の一軒家である。表札に『あとりえ』と刻まれているように、芸術性とジルベリア様式美を追求した石積みの屋敷だ。重厚な古葉色の門から一歩入れば、高い天井と煌びやかな内装が可憐な家主を出迎える。
「まずはお風呂ですの〜」
 買い物の数々を居間へ置く。次は備え付けの特注風呂に水を張って裏手へ周り、薪で火を起こす。後は勝手に温まってくれるのだから便利なものだ。真新しい薔薇の石鹸で肌を清め、牛乳で乳白色に染まったお湯に体を浸す。
 旅の疲れが溶けていく。
「いいきもちですの〜、このままウトウト眠ってしまいそうですの……」
 うつらうつら、と前後に揺れる頭。
 だが眠るわけにはいかない。
「……は! 眠っちゃだめですの! 魔の森でわいてきたいんすぴれーしょんをしたためないといけないですの〜」
 慌ててお風呂から出た。
 愛らしい部屋着に着替え、眠気覚ましの紅茶を入れた。
 疲れた頭には甘いものが一番である。香り立つ紅茶に沈めたのは、甘くて真っ赤な苺ジャムをひと匙。紅茶を手に向かう先は、秘密の『あとりえ』に他ならない。
 その部屋は四方が本棚に囲まれていた。
 一見、立派な書斎に見える。表題を読むと『ジルベリア皇女の可憐な午後』とか『修羅と五百年の恋』(作:真麗亜)等と書いてある。
 ケロリーナは、開拓者等をモチーフにした本や同人絵巻が大好きだった。
大好物はラブロマンス。そして本日のお仕事は、新作作り。
「んと……酒天くんのお嫁さんが、穂邑おねえさまにそっくりだったから……は! 酒天くんを大人っぽくして、穂邑おねえさまと恋に落ちたら素敵ですの〜! これですの!」
 思いつくと筆が早い。
 恐るべき速さで、青年酒天の恋物語が描かれていく。
 延々と絵巻を描き続けたケロリーナも、深夜0時近くなると睡魔に抗えなくなっていた。
「あ。そういえば、コレット……ちゃん」
 すぴー、と寝息を立ててケロリーナは眠りに落ちた。体力の限界には勝てない。


●隠れ家の夜

 市場に吹く薫風は、初夏の訪れを感じさせてくれる。
 出回り始めた夏野菜の艶めきに、瑞々しい果実の数々。ウルシュテッド(ib5445)と星頼が腕に抱える紙袋には、今夜の食材が詰め込まれていた。キツい仕事と大荷物の買い物を終えたご褒美は、甘味処の黒蜜あんみつ。
「美味しいかい、星頼」
 初めて食べる水菓子を頬張りながら「うん」と呟く。二月頃にはガリガリに痩せていた四肢も、最近は少し肉付きがよくなった気がする。実子ではない。ウルシュテッドが一晩だけの許しを得て、孤児院から連れ出した。
「星頼。お店の人に、このお財布からお金を払って、お釣りを受けとってきてくれるかい?」
 こくり、と頭が前後に揺れる。
「あと。女の人に『ごちそうさまでした。おいしかったです』とお礼を言うんだよ」
 小銭の入った財布を預け、初めてのおつかいを見守る。
 一日市場をつれ回して、買い物の仕方を見せ続けた。楽しそうだったから、孤児院で模擬店や縁日をするのも面白いかもしれない。やがて無事に会計を終えて戻ってきた少年の頭を撫でた。
 再び石畳の大通りを歩いていく。
 辿り着いたのは年季の入った一軒家。
「実を言うと、ここには誰も連れて来た事がない、男の隠れ家って奴だな」
 鍵を差し込んで振り返る。 
「今日付き合って貰ったから星頼は特別だよ、皆には内緒だぜ?」
 人差し指を薄い唇にあてた。
 外観の朽ち加減に対して、内装は意外と綺麗だった。休みの度に、ウルシュテッドが補修をしてきたからだ。荷物を台所に置いて、星頼を手招きする。居間の柱を背に立たせて墨で印を付けた。
「これでよし……と。みてごらん。今の身長だよ」
 次にくる時、どこまで身長が伸びているだろうか。
「いつか俺を越えるかもしれないな。その為には、いっぱい食べないと。夕食作り、手伝ってくれるかい?」
「うん」
 食材が沢山あると色々なものを作ってしまう。
 昆布を柔らかく煮込む間に、春菊と人参の白和えを仕込む。梅酢に漬けた長芋を千切りで刻み、いわしの蒲焼には山椒をふりかけ、蒸した若鶏のつみれに柚子果汁をひと絞りして、鶏肉と出汁で炊き込んだご飯に、とろとろ半熟卵と鮭のハラスを添えた丼を仕上げた。
 いただきます、と両手を揃え。
 ごちそうさまでした、と感謝を捧げる。
 食後は二階の寝室に移動して和やかに過ごす。
 カモミールのミルクティーに、市場で買った鮮やかな焼き菓子を添えた。
「自由に見ていいよ」
 部屋の中には様々な道具や趣味品が雑多に置かれていた。
 何に興味を示すか見守る。星頼は絵本などより、安眠オルゴールや望遠鏡などの細工ものの構造を知りたがり、鍵開け道具や簡易補修キットの用途、希儀タイムズや野草図鑑などの知識欲に貪欲な傾向を見せた。
 整備済マスケット「バイエン」を手にとったのを見て歩み寄る。
「これは義兄の形見なんだ」
「かたみ?」
「そう。穏やかな人だったけど、こうして……的を見据えて構える姿が、ハッとするほど格好良くて憧れだった。星頼にとっての『格好良い』は何だろうね」
 玩具の空気銃を持たせて射的の真似をする。ゆるりと夜が過ぎていた。

 寝台ともふもふまくらは星頼に譲った。
 長椅子に腰掛け、毛布を羽織る。おやすみを囁いて手燭の炎を吹き消すと、淡い月光だけが室内を照らした。
 カチ、カチ、カチ……
 星頼の手にした懐中時計が、規則的に時を刻む。
 どのくらい、そうしていただろう。
 ふいに星頼が起き上がった。毛布で体をくるんで寝台を降りる。ウルシュテッドは目を覚ましていたが、寝たふりを決め込んだ。星頼が近づき、顔を覗き込む。唇に手をかざして数秒後、ホッと胸を撫で下ろしたのが解った。
 そしてそのまま床で眠り込んだ。
 くー、と寝息が聞こえて、ウルシュテッドが起き上がる。
「……やれやれ」
 生死の確認なんか、する必要はなかろうに。
 星頼が何を恐れたのか……余り理由を想像したくない。
 寝心地のいい寝台より、生きた人間の傍で眠ることを選んだ。未だ孤独を抱える星頼を抱き上げて寝台に運ぶと、二人で丸くなって眠った。

 窓から差し込む朝陽が眩しい。
「おはよう星頼。今日のごはんは……、星頼?」
 星頼が机の下に潜ったり、棚の下を見ている。かくれんぼかな、と呑気に考えながら朝粥の中に卵を落としたウルシュテッドの耳に、想定外の言葉が飛び込んできた。
「……ちび、いないの?」
 雷に打たれたような感覚というのは、多分こういう事を示すのだろう。
 隣には既に用意した餌の皿。なんの疑問も持たずに用意していたが、忍犬がいない。
「ちびの奴どこで逸れ……違う、……俺か」
 魔の森にでも置き去りにしたか!? と一瞬焦ったが、考えたら昨日、治療に出してそのままだった事を思い出した。餌皿をしまいながら「星頼、ごはん食べたらちびを迎えにいっていいかな」と一言投げる。星頼は「うん」と呟いて粥を食べ始めた。一方のウルシュテッドは、味のわからない食事を喉に流し込んで、速やかに出かける準備を整える。
「急がないと……ああそうだ」
 ウルシュテッドが渡したのは、色鮮やかな金平糖の入った瓶だった。
「みんなのお土産が必要だろう。帰ったら分けてあげるといい。空瓶は星頼が持っておいで。また出かけたら一緒に買いに行こう」
 頷く星頼の手を引いて、隠れ家を出る。


●長屋の幼馴染

 長屋とは、複数の住戸が水平方向に連なり、壁を共有する集合住宅を示す。
 刃兼(ib7876)が帰った長屋には、修羅族の開拓者が多く居を構えていた。皆、馴染みばかりだが、見慣れぬ子を連れた刃兼を冷やかしていく。
 疲れも相まって、説明が面倒くさい。
 まずは市場で仕入れた旬の果物を井戸の水で冷やし、土間で夕食の支度に取り掛かる。
「んー……何か、忘れてるような気がするんだが……まァ大丈夫、か。晩飯の準備をしないとな。白飯と味噌汁と、煮物作って魚を焼けば充分かな。旭、七輪に火を起こしてくれないか」
 傍らの少女に火打石と炭を渡す。
 孤児院から外泊許可を取り付けて連れ帰った少女は「あい」と頷いた。
 一方で刃兼は、太い梁から吊るした自在鉤に鉄鍋を吊るし、居間の囲炉裏に火を入れた。
 昼間は暖かくなってきたが、夜はまだ冷える。
 行灯に光を灯す頃には、同じ長屋に住む呂宇子達も刃兼の帰宅を知った。
 長く留守にしていた幼馴染の様子を伺いに行く。惣菜を差し入れてもいいかもしれない。
「おーい、刃兼。生きてるー?」
 呂宇子が遠慮なく戸を開けると、そこには蹲って団扇を仰ぐ少女がいた。年の頃は六歳程度。身に纏う髪飾りや衣服は、並の開拓者が使うものばかり。一瞬、入る家を間違えたかと思ったが、衝立の向こうから刃兼本人が現れたので硬直した。
 旭は刃兼の影に隠れた。
「お、おい旭」
「あらま、隠し子?」
「こんなに大きい隠し子がいるわけないだろ……前に言ってた依頼の子だよ。名前は旭。一泊だけ外泊許可が出たんで、市井の生活を知る機会になれば、と思って連れてきたんだ」
「へぇ。私、てっきり」
 だからその目はなんなのだ、と。
 追求したい気持ちを抑えて、鍋を一瞥した。
「……煮物あまりそうだし、よかったら持っていくか。俺と旭だけだと、量が多い」
「なに。また兄弟の分、余らせたの。何度目?」
「最近は少し慣れたほうだよ。一人や二人分の飯作るのって地味に難しいんだよな……ん?」
 焦げ臭い。
 言い訳を繰り返すうちに、網の上の紅鮭が焦げ始めていた。

 質素ながら暖かく過ぎゆく夕餉のひととき。
 艶めく白米に筍とワカメの味噌汁、春野菜の煮物に少し焦げ目のついた紅鮭添えて。
 食後は近場の銭湯で薬湯に浸かった。
 流石に、女の子らしい旭を一緒に男風呂へ入るわけにはいかない、という話になり、呂宇子たち幼馴染姉妹に面倒を託す。おろおろして暖簾の向こうに消えた旭も、湯上りでは牛乳瓶を片手にご機嫌だった。
「おいで、旭。ちゃんとお礼は言ったか?」
「ありがとう」
 呂宇子達と別れ、家に帰って井戸水で冷やした果物を切り分ける。
 何気ない休日が旭には新鮮なようだった。
 畳に布団をしいて、ごろりと寝転ぶ。行灯を吹き消そうとして……猫又の寝床が空なことに今更気付いた。刃兼が静かに青ざめた。

 翌朝。朝ごはんの干物を焼いて、食事を済ませた。
 旭を孤児院へ送る前に、猫又を迎えに行くことにした訳だが、澄み渡る青い空を見上げて、刃兼が呟く。
「……全面的に俺が悪いし、ひたすら謝るしかないな、これ……」


●鍋を囲んで

 茜色の空に背を向けて家に入る。帰宅を知らせる三人の声は、静かな廊下に響き渡った。
 どうやら誰もいないらしい。
 紫ノ眼 恋(ic0281)と鶫 梓(ic0379)、徒紫野 獅琅(ic0392)の三人は、大勢の者と一軒家を共有していた。長屋が壁一枚隔てる集合住宅なら、こちらは各自ひと部屋の私室以外、全てを共有している。
 いつもなら囲炉裏がある居間に人が集うが、今日は三人以外誰の気配もない。太い梁から吊るした自在鉤に、重い鉄鍋がさがっているのを徒紫野が見つけた。書置きの和紙を手に取り、落し蓋を取って中身を眺めた。
「あ、誰か下拵えして置いてくれてる。温めてすぐ食えそうだな、よかった」
「あらほんと、今夜は鍋パーティね」
 既に春野菜と豆腐の味噌鍋ができあがっていた。
 傍らには漆塗りの飯鉢と木製しゃもじがあり、蓋を開けると酢飯が詰まっている。
 開拓者という生業の都合上、同じ一軒家に住む者同士といっても、生活の時間は大きくズレていく。その為、事前に予定を知らせ合う訳だが、時々こうして、暇になった同居人が気を利かせてくれる事があった。
 徒紫野が鍋の番を始めた為、紫ノ眼と鶫が風呂に行く。
 女二人が体を温めて戻る頃には、おかずが二品ほど増えていた。
 部屋に充満する味噌の香りが、食欲をそそる。
「鍋は良い、旨くて量もある。誰が作ったか知らぬが助かったな」
 ご機嫌の紫ノ眼が白菜を口に運ぶ。徒紫野が鍋をすすりながら「はい」と頷いた。
「こうしてみんなで飯食えば疲れも忘れますね!」
 誰かと食べる食事は美味しい。そう実感すると、紫ノ眼は『帰る場所があるのは、やはり良いことだな』と思いつつ、鶫と徒紫野が歓談する様子を眺めた。
 事件は、気を抜いた瞬間に起こった。
「そういえば風呂、3人で入れば良かったな! 浴場は広いぞ? 獅琅殿はすでに家族のようなものだし」
 ぶほーっ、と徒紫野が口の中に含んだ食事を吹き出した。
 汚い。
 奇跡的に鍋投入は死守されたが、げほげほと盛大に咳き込んでいる。鼻をかむと豆腐のかけらが出てきた。
「一緒に風呂!? げほっ、ちょっと待って、何を、鼻に豆腐入ったわ!」
 紫ノ眼は、きょとん、と徒紫野を見て、更に鶫の顔色を伺い「……え、何か変か?」と焦り始めた。鶫は頬を染め……何か狂気じみたものを眼差しに滲ませつつ、そっと徒紫野ににじり寄る。徒紫野は禍々しい気配に気づかず、紫ノ眼に向き直った。
「突然、何言い出すんですか、恋さん、そりゃあ咽せますよ!」
「あたしが君くらいの時は別に……そうか、変なのか」
 紫ノ眼は申し訳なさげに徒紫野の背中をさする。
 同じように背をさすった鶫が、妙に熱っぽい眼差しで囁いた。
「遠慮しなくていいのよ。獅琅君、今度一緒に入りましょうね?」
 怪しい囁きに、一瞬流されかけた徒紫野が我に返る。
「はあ……いえ、本当の弟みたいに思ってもらえるのは嬉しいですけど。もう子供じゃないですから、姉さんや母さんと風呂には入りませんて……たぶん。俺は男所帯で育ったからわかんねえけど、恋さんのところは」
 刹那、紫ノ眼の箸が恐るべき速さで肉団子をつかみ「それより豆腐以外も食べな。肉、肉を取ってやる!」と徒紫野の口に押し込んだ。
 煮えたぎった肉団子は一種の凶器である。
 微妙な習慣の違いが明らかになりつつも、夕食は賑やかに過ぎていった。
 秘蔵の酒樽を開けて仕事明けの酒を堪能していると、ふわふわといい気分になってくる。
「言っておくが、もふもふはさせぬぞ梓殿。それより疲れには酒だ、どんどん飲むが良い」
「させないなんてそんな! つれないこと言わずに……いいでしょ?」
「つれない? 大体、梓殿は狼をもふりすぎると思うんだ。ならば偶にはやりかえす、疲れて酔ってる今こそ好機! かくごーっ!」
 完全に酔っぱらいの目つきでじゃれあう紫ノ眼と鶫。傍らで空になった鍋や食器を片付けていく徒紫野が「二人とも程々にしてくださいね」と声を投げた。どっちが年上か分からない。黒髪を撫で回されていた鶫は、紫ノ眼の隙を狙っていた。
「にくをきらせてほねをたつ! こいさんもしろーくんもかわゆすぎなのよ! とう!」
「ちょ!」
 鶫が紫ノ眼に襲いかかり、もふもふし始めた。耳が、そして尾っぽが良い。それまで食器を片付けていた徒紫野もけもけもの誘惑に勝てないのか「恋さん! 俺も!」と飛びついた。紫ノ眼が手加減なしの二人から脱出しようと藻掻いていて、薬缶を蹴倒した。じゅうっ、と消える囲炉裏の炎。酒でなくて一安心だが、今日はもう寝るしかないらしい。
 呂律の怪しい鶫が立ち上がって、何か違和感に気付いた。
「あれ……そういえば朝比奈どこかしら? いつもなら知らせに来てもいいの、に」
 紫ノ眼は「あっ」と一言呟き、徒紫野は「……夜鈴! やばい!」と叫んだ。
 三人揃って相棒を放置して帰ってきた。既に日付が変わっている。
「……いかなきゃだめ、かしら」
「当然だって! すぐに引き取りに行かねえと! 恋さんも!」
「ああ、やばいな……完全に怒ってるだろうなあいつ。仕方ねェ、行くか」
 浴衣に羽織と寝る気満々だった三人は、速やかに着替えて家を出た。約一名は、飲みすぎでふらふらしていた。


●置き去り事件簿

 置き去り相棒の待合室は大騒ぎだった。
「お嬢様! 待っていてください! エクターは、今帰ります!」
 からくりのコレットが長すぎる素振りから我に返り、必死に引き止めるギルド受付を「家までの帰り道ならわかります!」と緻密すぎる地図を書いて納得させて帰った。何やら、主人のケロリーナを起こす役目だとか、原稿を手伝うのだと色々と叫んでいたらしい。

「遅ェエエ!」
 からくり白銀丸は、紫ノ眼の顔を見た途端、渾身の蹴りを入れた。
 紅の鞘で防ぎながら弁解を試みる。
「会うなり大層だな! ちょっと遅れただけであろうに!」
 ちょっと、が『ほぼ丸一日だった』という現実は覆せない。
「どんだけ忘れてんだよいい加減にしろ! ……また棄てられたかと思ったじゃねぇか」
 白銀丸は辛抱強く待った。それはもう主人の忘却ぶり見抜きながら、従順に待った結果が数時間ならまだしも丸一日となると、自らの存在価値を疑い始めるというものだ。
「……まぁ、悪かったな。良く信じて待ってくれた。帰ろう。アレが終わったら、な」
 紫ノ眼が指を指す。
 鶫は正座させられ、からくりの朝比奈にこんこんと説教させられていた。
 みるからに赤い顔は羞恥心ではなく酒精だ。酔いがさめないまま迎えにきた為、説教が右耳から左耳に抜けていく。そんな様をみて益々怒りを募らせる朝比奈は「禁酒です。あと禁ケモと禁弟です」と叫びだした。
 ようやく鶫が「そんなのいや!」と追いすがっている。
 一方、徒紫野は駿龍の夜鈴に「忘れててごめんな、怖かったよなあ!」と平謝りしていた。お腹がすいてしょんぼりしていた駿龍の夜鈴は、元来の能天気な性格故か、置き去りになっていた事は気づいていなかった。むしろ仲間が沢山でご機嫌だった、とは受付談。
 かくして四体の相棒は引き取られたが。
「……これ、食べる?」
 狩野 柚子平(iz0216)の人妖樹里が、残された忍犬と猫又を気遣った。

 翌朝。
 鳩尾へ体当たりされたウルシュテッドは、蹲って悶絶していた。
 褒めを待っていた忍犬ちびは、星頼を見つけて足元をちょろちょろし始める。
 そして。
 誰よりも大騒ぎしたのは猫又キクイチ。
「ぎにゃあああ! 刃兼はんのあほんだらァァァ! わっちの存在をまるっと忘れるなんて、ひどいでありんす! 不埒でありんす! この落とし前……かつおぶし……否! まぐろぶしで払ってくれたら、チャラにするかもしれやせん! 削りたて! ふわっふわを! 要求するでありんす!」
「……すまないキクイチ、本当に、ごめん」
 鰹節より遥かに高級な品を要求された刃兼は、顔の引っかき傷から流血させながら謝っていた。