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■オープニング本文 【このシナリオは玄武寮『推奨』シナリオです。 一年生、二年生含め、玄武寮に所属している方々の参加が主対象者です。 他寮生も参加は可能ですが、朱雀寮、青龍寮、白虎寮の描写は一切、行われません。】 薄紅に色づく枝垂れ桜が揺れる。 厳しい冬も通り過ぎたが、春とは言っても時々肌寒い風が頬を撫でる。 ここは五行国の首都結陣、玄武寮。 去る鬻姫率いる大軍勢の奇襲以降、陰陽寮は復旧不能と思われるほどの被害を受けた。 崩壊した白虎寮などが最たる例だが、玄武寮もかなりの損害を受けている。東の戦場には王や重役は勿論、朱雀寮の寮長、玄武寮の副寮長までもが駆り出され、全寮生は数少ない陰陽術の使い手として兵に加わり、賑わいの消えた陰陽寮は静けさの中にあった。 「よいっしょ」 静寂に満ちた陰陽寮3寮の中を唯一駆け回り、術の使えない男手に指示を与え、瓦礫を撤去し、時々陰陽寮内部に現れる下級アヤカシを駆除して回っていた影の大黒柱。 それは玄武寮の寮長、蘆屋 東雲(iz0218)だった。 玄武寮には二人の監督者がいる。 しかし玄武寮副寮長の狩野 柚子平(iz0216)は、本職が封陣院の分室長である為、寮の仕事は二の次だ。五行東に精通し、生成姫に関する研究の第一人者でもあった為、敵軍の能力などを五行軍に周知させるには必要不可欠な人物である。 従って、副寮長は今も尚、護大の封印解除や魔の森に関する調査の為、寮不在の日々が続いている。 「……王とご一緒の機会も多いのでしょうね。はぁ」 大きな溜息。 普段、全く仕事をしない我が道をゆく副寮長が、五行王に召抱えられていること。他寮の寮長が第一線で活躍していること。自寮の寮生ですら戦で大きな功績を上げる中、黙々と片付け仕事に勤しむ自分の影の薄さに、蘆屋は虚しさを覚え始めていた。 『陰陽寮はお任せなさい。戦の時です。さあ、行って!』 玄武寮の寮生を、勇ましく送り出したのは勿論、自分。 荒れた廊下に腰を下ろし、青い空を見上げた。 「玄武寮生の学び舎を守るのが私の仕事」 分かっている。 頭では。 けれど殆ど誰もいない広大な敷地は、余りにも寂しかった。 「皆さんお元気でしょうか。怪我をしていないといいのですけど。王からお声一つかけて頂けないくらいで……、私もまだまだですね」 玄武寮の寮長として配属されて、早三年目になろうとしている。 普段は気にしないようにしていた。 だが忙しさも落ち着きを見せ始め、物思いに耽る時間ができると……つい比較してしまうのが、人間のサガというものだろう。 緊張の糸がほぐれた玄武寮の寮長は、うつらうつらと眠り始めた。 +++ 数日後。 「蘆屋さんが寮長室から出てこない?」 多忙を極める柚子平の元に、陰陽寮の使者がやってきた。 自分の書斎に閉じこもったまま「暫く一人にしてください」と言ったきり、応答がないらしい。 「なにか、あったんでしょうか」 オロオロしている使者。 柚子平は何か思い出したような顔をした後、戦後処理をしていた寮生に声をかけた。 「今、お暇ですか?」 「まぁ多少は」 「私はまだ玄武寮に戻れません。代わりに行って、蘆屋寮長を看病してきてくれませんかね」 ……看病? 「以前、人妖の樹里が言っていたんですが……、蘆屋さんが部屋に篭られている時は大抵、体調の悪い時です。ここ数ヶ月の疲れが出たか、流行りの風邪でもひかれたか。どのみち相当、具合が悪いはずです」 元来の体質や病は、怪我と違って治癒符や回復術などでは……どうにもならない。 寮生が手を挙げた。 「あの……書斎の合鍵とか持ってないですけど」 「扉は適当に破壊してこじ開けなさい、修理費は出します」 随分と容赦のない話だった。 |
■参加者一覧 / 露草(ia1350) / 御樹青嵐(ia1669) / 八嶋 双伍(ia2195) / ゼタル・マグスレード(ia9253) / ネネ(ib0892) / 寿々丸(ib3788) / リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386) / 緋那岐(ib5664) / 十河 緋雨(ib6688) / シャンピニオン(ib7037) / リオーレ・アズィーズ(ib7038) / セレネー・アルジェント(ib7040) |
■リプレイ本文 久々に見る玄武寮は荒れ果てていた。 砕かれた壁に、柱の焦げ跡。 荘厳な学び舎は瓦礫こそ撤去されていたが、人の気配がなく廃墟のようでもあった。 まずは玄武寮の寮長、蘆屋 東雲(iz0218)の書斎を目指す。 「足元、気をつけてくださいな」 セレネー・アルジェント(ib7040)が頬に手を当てて溜息をこぼす。 「襲撃時より片付いているとはいえ……改めて被害の程度を思い知らされますわね。お部屋の東雲さんが心配です。すっかり寮をお任せしてしまってたので申し訳なく……」 ゼタル・マグスレード(ia9253)が「ああ」と相槌を打つ。 「蘆屋寮長が体調不良とは、な……体調管理を怠るような方には見えなかったのだが」 それほどまでに大変な日々だったのか、と想像を巡らせる。 そして十河 緋雨(ib6688)は廊下を歩きながら『引き篭もって熱で斃れるって、意外と打たれ弱いというかヲトメなのかも知れませんね〜』などとアレコレ考えていた。 寮長室の前に到着してノック一つ。 「寮長?」 返事がない。 「『急げば壊せ』とも言います。……さあ、やってしまいましょう」 どこか楽しそうなリオーレ・アズィーズ(ib7038)が、身長ほどもある木槌を抱える。 十河もファイアロック式の短銃を構えて破壊する気満々だった。 「まちなさい」 二人を押しのけたリーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)が「どいて」と扉の前に立った。 「もう。副寮長から『適当に破壊して』って言われたとはいえ、……無駄にお金使うことないじゃない。まだ肌寒い時もあるんだから、開けっ放しじゃ病人にも悪いわよ」 ヴェルトの白い指が鍵に触れた。すると、バチンッ! と火花が弾ける音がして戸が空いた。静々鈍器をしまうアズィーズに対して、短銃が唸らなかった十河が舌打ち一つ。 「舌打ちしない。寮長?」 キィッ……と扉が開いた。浅い呼吸が聞こえる。十河が夜光虫を放つ。 蘆屋は部屋の奥で高熱に魘されていた。部屋に入ってきた者達を認識する気力もない。 「おや。この分ですと……ここ数日は水しかお取りになっていないのかもしれませんね」 寮長が唸っているのを眺めていた御樹青嵐(ia1669)の元へ、食堂を見に行っていた人妖の紅嵐が戻ってきた。どうやらアヤカシ襲撃以降、寮内の職員は殆ど自宅待機で、その間、食堂は事実上閉鎖。食料庫に置きっぱなしの食材は多くがダメになっていたという。 「私は食材の買い出しに行って参ります。紅嵐、荷物はもてますか」 「はぁい」 背中を見送ったアズィーズが両手を叩いた。 「さて、男性は外へ出てくださいな。私は、東雲様の汗を拭き、着替えさせ、寝具を代えないと。氷が有れば良いですが……買出し班に頼めば良かったでしょうか」 アズィーズの独り言に、ヴェルトが笑った。 「やーね、任せなさいよ。巫女の術なら朝飯前だから」 露草(ia1350)がたすきで白い着物の袖を捲り上げる。小声で気合を入れた。 「さぁ張り切ってがんばりましょー!」 「では、寿々は清潔そうな新しいお布団をとって参りまする。交換がおわったら仮眠室の布団の洗濯を致しまする」 寿々丸(ib3788)が小走りに廊下を走っていく。 小柄な背を見送ったアルジェントが、皆を振り返った。 「では、ゆっくり休んで頂く為に、私達で確り寮の整備を致しましょうか」 「同感ですね。雨漏りがすると落ち着いて研究できませんので、屋根の補修点検と瓦の張り替えが最優先でしょうか」 八嶋 双伍(ia2195)が肩をすくめた。色々と力仕事が多くなる為、緋那岐(ib5664)も手伝うという。先程までからくりの菊浬に引っ張り回されていた緋那岐も覚悟は決まったらしい。 シャンピニオン(ib7037)とネネ(ib0892)が手を上げる。 「他の作業も分担しないとだね! ボクはネネちゃんと一緒に蔵書整理、頑張るよー!」 「ですです。図書室のお掃除いってきますー!」 慌ただしく駆けていく少女を追うからくり達の背中を眺めて「お二人が読み耽らないように見てあげてくださいね」とアルジェントが釘を刺しておく。自らの経験を元にした忠告だが、これが図書室の命運を左右していた。 「さ、参りましょうか」 遠ざかる八嶋たちにヴェルトが声を投げた。 「氷とか水枕を作ったら、私も修理の手伝いに行くから!」 食堂から木桶を持ってきたヴェルトが、氷霊結で氷を生成し、ザクザクと割って皮の水筒に詰めた。さらにまだ冷たい井戸水を注ぎ、蓋をして、手ぬぐいで巻いた。水枕を意識のない芦屋の枕元に仕込み、氷水で絞った手ぬぐいを頭や首筋にのせる。 「じゃ、着替えとかお掃除よろしく頼むわ。氷が足りなくなったら言ってちょうだい」 露草とアズィーズに後を託し、ヴェルトも寮の掃除へ出かけた。 寿々丸の持ってきたキレイめの布団一式を座敷の小部屋に敷くと、寮長室に残った女三人が動き出した。まずは、からくりのベルクートに蘆屋をそっと運ばせる。アズィーズと十河が昏睡状態の蘆屋の体をぬるま湯でふきつつ、着替えさせた。 「熱も高いですし……東雲様には安静が必要です」 ヴェルトの水枕と氷で幾ばくか表情は柔らかくなった気がする。 「そーですね。ともかく寮長には早く元気になってもらいましょー。洗濯いってきます」 十河が汚れた衣類を丸めて払拭に出かけていく。 露草は蘆屋が安眠できるように、枕元に安眠を促すハーブの小袋を置くと、音を立てずに掃除していた。埃が舞い上がらないよう注意しながら床や畳に雑巾をかけ、ハーブから抽出した精油で空気を清潔に保つ。 「不用品に思えても、とりあえずとっておいたほうがいいですよね」 「ええ。乱雑なものや倒れたものは直して、東雲様が元気になりましたら収納場所をお伺いしましょうか」 アズィーズはふと何か思いついたのか、細かい掃除は露草に任せ、食堂の調味料の在庫を確認に出ていった。 ところで。 「今日は良い天気でするなぁ。お洗濯日和とやらですぞ」 研究室などの布団を、鬼火玉の閻羅丸と協力して全て運び出した寿々丸は、庭にいた。布団と覆い布を全て剥がし、湿った布団は竿にかけて干すと、袖をまくってジャブジャブと洗い物を始めた。埃と湿気で黴臭くなっていた布団も日光を吸い込んで膨らんでいく。 寿々丸と離れた場所では、十河が蘆屋の衣類を洗っていた。 「こっちの洗濯おわりましたんで、物干し一つかりますよー。別の場所に干します」 「はい! 寿々はもう暫くかかりますゆえ」 楽しそうに洗濯をする寿々丸に一声投げて遠ざかる。 流石に女物の着物だけでなく、足袋や下着を、多感な年頃の少年に洗わせて回収させるのは可愛そうだと思ったのかもしれない。庭に干すと人目についてしまうので、十河が寮長の乙女心を考慮して、どこかに消えた。 庭に残ったのは、洗濯に勤しむ寿々丸と楽しげに弾む鬼火玉の閻羅丸だけ。 「暑すぎず寒すぎず。ほどよく暖かい日は、閻羅丸もご機嫌でするな」 布団に体当りして、布団叩き代わりになっている様が微笑ましい。 青い空に輝く太陽が眩しい。 「……少しばかりの平穏。失ったものも多く……それでも、寿々達はまだ此処に立っておりまするから……進まねば」 独り言を、風が浚った。 図書室に向かったネネ達は立ち尽くしていた。 「頑張ってこの資料の山を、山を……ほんとに、山、ですね」 陰陽寮四寮の中で研究者気質が集うと言われる玄武寮の図書室は見事なものだった。 最も『見事』とは利用側の客観的な感想に過ぎず、先日の騒ぎで棚がなぎ倒され、題名すら書かれていない冊子が山のように積み上がっているのを見ると、軽く絶望感を覚える。 「わぁ……図書室がごちゃごちゃ……」 片付くかな、コレ。 シャンピニオンの目が死んでいる。 「が、がんばりましょう、シャニちゃん!」 「そだね。まずは蔵書を他所に退避させて、倒れた書棚は起こそう」 逃げたところで誰かが何とかしてくれる訳が無い。何者かに持ち出されたりしたら大変だ。本の内容を整理するのは後回しにして、本をひと集めにし、棚を起こす空間をつくる。 「ネネちゃん、そっち持ってー、手挟まないように気をつけてね!」 「はーい」 「我々も助太刀いたしましょう」 「怪我しないようにね」 からくりのフェンネルとリュリュも小さな主人たちが本棚の下敷きにならぬように手を貸す。一通り、空っぽの棚を戻した後は、棚を拭き掃除して、本を分類し、元通りに戻していく果てしない作業が待っている。 「ねー、ネネちゃん。何処に何があるか分かるように整頓するとして……目録も作り直した方がいいかなぁ? ばらけちゃってる本は、全部片付けてから修理したほうがいいよね」 重い本やバラバラな本の回収をからくりに任せ、比較的揃っている本から戻し始める。 「そうですね。題名から判別できる中身別にわけて、推測が無理ならひとまず置いておいて、順次本を本棚に納めていく……のが理想です。時間がかかりそうなのは後にしましょう!」 ネネは希少資料の取りこぼしがないか確認して……いたはずなのだが、やはり見覚えのない本となると心惹かれてしまうのが研究者の気質というものだろう。片付けが順調な頃合で、うっかり好みの本を手にとった時が危ない。 そしてこれはシャンピニオンも同じだった。 「……あ、この本、何か面白そう」 分類の為に中身を開いたはずが、つい読みふける。 そこで歯止め役となるのが、生真面目なからくりのフェンネルたちだった。奇しくもアルジェントに注意されていた分、速やかに脱線現場を発見する。痰も絡まない無機質な喉で、態とらしく咳払いをしてみせた。 「シャンピニオン様。ネネ様。勤勉は結構なのですが、終わりませんぞ」 「う?! そ、そうだよね! こんな調子じゃ何日かかるか分からないよ! ネネちゃん、今はダメダメ!」 「……はっ?! い、いけませんこれでは!」 時間泥棒な書物で溢れる室内で、理性を保つ難しさ。しかし延々と単純な作業を繰り返すことほど苦痛なことはない。シャンピニオンたちは好みの本を見つけると「これ後で借りようっと」と言いながら、ちゃっかり別に保管していた。 その頃、アルジェントのからくりシュラウと共に、黙々と瓦の張替えを行う八嶋の所へ、業者の所へ出かけていたアルジェントが戻ってきた。 「お疲れ様です。いかがですか。業者にきていただけそうですか」 「それがですね。五行王様の命令で、民間が優先になっているんだそうです。五行の大きな施設建造物で大打撃を受けたのは。陰陽寮程度でしたから。民の生活が優先だとか」 「王様が、ですか」 八嶋とアルジェントの間に飛び交う微妙な沈黙。 あの研究以外に興味のなさそうな五行王でも、一応、王にふさわしい仕事というものはしているらしい。国費を復興予算に傾けている意外な真実を知りつつ、結局の所、当分は自力で作業するしかないという現実に直面した。 「……せめて今日明日明後日くらいで雨漏りしないよう補修したいところですね、うっ!」 八嶋の腰が悲鳴をあげた。 時々休憩をいれないと体がついていかない。 「ええでも、終わり次第、玄武寮の修理もしていただけるよう頼んでまいりました。お茶にいたしましょうか」 休憩時間も人魂を飛ばしては修理箇所を丹念に調べる八嶋とアルジェントがいた。 一方、室内では緋那岐が荒ぶっていた。 「あーもう、サボろうと思ったのに。わかった。やってやろうじゃん! うがー!」 一度着手したら中途半端で投げ出すのはイヤな性分が、徹底的な掃除を決意する。からくりの菊浬も腕まくりしてお手伝い。まずは重い畳の撤去だが、悪戦苦闘している所へ「さ、やるわよ」と髪を結んだヴェルトと土偶ゴーレムのニグレドも加わった。ヴェルトが眼にも留まらぬ素早さで畳を裏返す。 「畳返しで持ち上げるから、ニグ達は外に運び出して。後は新しい畳を敷きましょう。新しい畳は中庭に置いてあるのよね?」 「ああ。解った」 「へぇーい。菊浬〜、運ぶぞ〜」 舞い上がる砂埃。時に炭化した畳も全て運び出し、綺麗に掃き掃除をしてから、屋根の下に積まれていた真新しい畳を敷いていった。それだけで日が暮れてしまう重労働ではあったが、使えなくなった畳を眺めてヴェルトが考え込んでいる。 「明日は穴だらけの廊下とか床板の張替えよねー。とりあえず引っペがせばいいのかしら」 「解らん。が、素人が触っても碌な事にならん事は解る。本職の支持を仰ぐべきだろう」 「本職ねぇ……そういえば古い畳って、床下に仕込むといい断熱材になるらしいのよね」 炭化したり泥だらけの畳の再利用法を思いついたヴェルトが、使えない畳を洗って干すことに決めた。 「ふっかふかの布団ですぞ。お日様の匂いがしまする〜、おお?」 寿々丸がふかふか布団を取り込んで一式を寮長室に届けに来た時、寮長室では独特の薬草の匂いが充満し、目覚めた蘆屋寮長とマグスレードの攻防戦が繰り広げられていた。 「ほ、ほら、もう起きた事ですし、大丈夫ですよ?」 ふらふらしている蘆屋が抵抗している。全く大丈夫に見えない。 「何を仰います! 寮長に滋養をつけていただく為、各種薬草を煎じた薬湯です! 胃腸機能の衰弱、疲労、不眠、心身の安定等々に効能のある薬草を煎じていますので弱った体には最適! 良薬は口に苦しです。さあ、遠慮なく」 真摯に真面目に、精悍な顔が異臭漂う薬湯を差し出す。 薬湯というが、どろりとした粘度は何故だろう。 真心が凶器。 少なくとも体にいい薬草は煮出したに違いない。味は二の次で。 マグスレード特性の薬湯を飲み込んだ蘆屋の顔が、緑色になった(気がした)のを見た八嶋が、口直しと弱った体を労わって桜の花湯と甘露水を持ってきた。共に寮長の体調を心配していることには違いないが、口の中が地獄と極楽である。 「皆さん、ありがとうございます」 「薬を飲んで。美味しいものを食べて。早く元気になってくださいね、寮長」 皆が元気で帰ってきたのに、寮長が臥せったままでは寂しいからと。 そこへ割烹着姿の御樹が現れた。 「寮長、おはようございます。夕飯にお粥をご用意しましたが、喉を通りそうですか?」 「ええ」 「ではお持ちしましょう。露草さん、運ぶのを手伝ってください。さあさあ、皆さんも賄いの時間ですよ」 寮長に海鮮粥と肉そぼろを用意した御樹青嵐は、寮生のまかないに山菜と桜エビの天丼を振舞った。食後の甘味は、アズィーズが市場から高値で取り寄せた桃の甘露煮に旬の果物。 「いただきまーす」 煤や埃まみれだった体を清めてきた緋那岐やヴェルトも食卓につく。アルジェントが旬の味覚のこごみの天ぷらを堪能しつつ「美味しいです。明日も頑張りますわ」と気合を入れた。経過報告とお見舞いに来たシャンピニオンやネネも椅子に座って両手を合わせる。 食事がてら、今日一日の修理報告が行われた。 先は長いが、着実に寮を綺麗にできそうだ。 話を聞いていた寿々丸が微笑む。 「寮が綺麗になるのは、嬉しいですなぁ」 一度、鬻姫に壊されてしまった大事な学び舎。 けれど寮生は戻ってきた。元通りになる日も近いだろう。 穏やかな眼差しで室内を眺める蘆屋に、マグスレードは頭をたれた。 「我々が不在の間、陰陽寮を守っていただき、ありがとうございます蘆屋寮長」 「ボロボロのままで……ごめんなさいね」 「いいえ。そんなことはありません。帰る場所、なのですよ、此処は。それがあるから、皆全力で戦える。心を奮い立たせ、希望を持てる」 マグスレードの言葉に重ねて、アズィーズは「そうですとも。寮があるから、私達は無茶が出来るのですよ」と一言添えた。 マグスレードの瞳が賑やかな室内を見渡す。 「戦も一先ず終結した事ですし……またこの学び舎で研究再開といきましょう。その為に僕はこうして帰ってきたのですからね。今後とも宜しく頼みますよ、寮長」 「感謝の念は絶えませんね。なんにせよ、まずは休養をとっていただかないと」 粥の空になった土鍋を御樹が片付ける。 「まだ熱もありますしー、今夜は皆が交代で、つきっきりで看病しますよ。ま〜アレです、病は気からですよ」 十河が壁に何かを貼った。 それは架茂王の豪華絢爛な錦絵だった。どことなく神経質な王の気配漂う一品である。 「それは」 「……寝言で王の話をされてましたので〜、折角ですから進呈しますよ」 「え!?」 「寝言ですか」 八嶋たち外にいた者が首を傾げる。 書斎でひたすら掃除と看病をしていたのは露草とアズィーズと十河であるが、三人揃って目をそらし、それ以上語らなかった。何を寝言で言ったのだろうか。寮長本人は顔色が赤から青へと目まぐるしく変化している。心当たりが多すぎて困っている顔だ。 聞くに聞けない。 「えーと、王様への憧憬みたいなものです」 露草が視線をそらす。 寝言で自分の趣味が露呈してしまった寮長が倒れた。また熱が上がっているらしい。 ほ、と息を吐いたヴェルトが再び水枕を作り始めた。 「たぶん疲れが出ただけだと思うし、栄養摂ってゆっくり休めば大丈夫よ」 「では後ほど子守唄でも」 アズィーズが蘆屋のおでこに、冷たい手ぬぐいをのせた。 賑やかな寮の夜。 食事を終えた者たちが、再び学び舎の修繕に戻っていく。 あきらめはしない。 以前のような荘厳さはなくなってしまっても。 そこは第二の家のようなものだから。 |