【八咫烏】虚ろ船
マスター名:WTRPGマスター
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 普通
参加人数: 49人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/06 13:07



■オープニング本文

●呼び声
 何かに呼ばれたような気がした。
 円真への報告を終えて、割り当てられた天幕に戻る途中の事だ。
「‥‥?」
 周囲には誰もいない。怪訝そうに首を傾げ、再び歩き出した彼は、不意に腕を取られて息を呑んだ。
 けれど、すぐに体から力が抜ける。
 それが、知らぬ者ではなかったからだ。
「私をお呼びになったのは、あなたでしたか」
「いや? だが、お前に用があって来たのは間違いない」
 冴え冴えとした雰囲気を纏うその者の目が、金色に輝くのは月の光の悪戯だろうか。
 そんな事を考えていた頭の芯がぼんやりと霞む。
「‥‥消えたか。やはり、扉はどうあっても我を拒む」
 浮かぶ酷薄な笑み。
 腕を掴んだ手に力が籠る。
「ならば、本来の作法とやらに則って解くのみ。役に立って貰おうか、天祥」
 冷たい響きの声色を遠くに聞いたのを最後に、彼の意識は途切れた。

●紐解かれし記録、深まる謎
 関山寺から戻った武僧達が齎した巻物は水稲院の許へ持ち込まれ、本堂にて皆の前で開示された。己が信じる武僧としての在り方に拘り意地を張っていた頑固爺、彼が見せた新たな同胞への信頼の証だ。
「この巻物は、旧院を建立した氏族が残した設計図だと聞いています」
 水稲院の言葉に頷いた真摯な目が絵図を追う。
 地図かあるいは設計図のような――比較的保存状態の良い絵図面から見て取れたのは、旧院内部の配置であった。
 外陣に内陣、壇を擁する本堂の周囲を廊下で囲んだ典型的な本堂の配置図。しかし何か微妙に違和感を感じる者もいた。
 何処が変なのか不審を抱いて図を凝視していた一人が、気付いて言った。
「旧院には、隠し部屋が存在したのでは‥‥?」
 一同は指摘した者の指差した箇所に注目した。
 本堂と周りを囲む廊下との間に不自然な空間がある。ちょうど本堂奥の本尊安置用の壇になっている辺りの裏側に、その妙な空間はあった。
 部屋として使うには狭過ぎる、だけど図面としては不自然な空間だ。

「旧院跡には既に学僧と救援調査の武僧達が向かっているが‥‥」
「隠し部屋であれば、万一気付いていないという事も――」
「そもそも残っているかどうか‥‥」

 口々に推察を述べ合い現地を案ずる武僧達の背を、水稲院の言葉が押した。
「文献調査は終わりました。実地調査班と合流し、真偽を確かめておいでなさい」
 安堵した風の一同に、水稲院は今一度、皆で纏めた旧院に関する新たな文書を暗唱させた。
 旧院の守護精霊と象った像の存在、本堂天井の紋様、失われたという宝具と分離された宝珠、そして八咫烏の謎――
「石持て精霊の加護を受けよ‥‥八咫烏が示唆する処は何なのでしょうね」
 八咫烏は三本脚の烏だと言う。現実にいるはずのない存在は神話の暗喩とも解釈できるのが気掛かりではあるが、水稲院はひとまず武僧達を送り出す事に専念した。
 静波、と水稲院は弟子を呼び、遣いを命じた。
「皆で纏めた伝承の宝珠が実在するのであれば、場所は不動寺でしょう。静波は不動寺に立ち寄り、宝珠を携えて皆の後を追いなさい」
「行って良いのですか、水稲院様!」
 さっきからそわそわしていた静波は、びくんとバネのように跳ねて目を輝かせた。
 頷いた水稲院は手元の硯筆を引き寄せると、不動寺への紹介状を料紙に認めた。
 新たな冒険、外に広がる未知の世界――静波は好奇心に浮き立つ心を抑えきれずにいる。墨が乾くのももどかしく懐へ納めた静波の様子に苦笑して、水稲院は武僧達を延石寺から送り出した。
「万紅の動向も気になる今、わたくしは延石寺を離れる訳にはいきませんからね。皆、頼みましたよ」

 武僧達は旧院跡へ向かって発った。静波と一部の武僧は不動寺を経由して後、遺跡を目指す。
 門前より見送った水稲院は、踵を返して再び思索を巡らせ始めた。
「石‥‥旧院に纏わる宝珠‥‥なれば、八咫烏になぞらえられているものは‥‥」

 八咫烏、三本脚の烏――

●闇の中
 うんと手を伸ばして、縁を掴む。そこから先は、簡単だった。
 よじ登って、ふるふると体を振るうと、大きく息を吐く。
「やっとお外だぁ〜」
 疲れたとその場に座り込んだ途端に、闇が動いた。目を向けると、威嚇をするように体を低くする獣の姿がある。
「あれぇ? きみ、誰?」
 近づくと、獣はじりと後退った。
「石? お耳、ぼくといっしょだね。あれ? お怪我してるの? お目々、痛い?」
 怖くないよと獣の頭を撫でて、ひとつ欠伸をする。
 突然襲って来た眠気に逆らわず、柱に寄り掛かった。
「おやすみ‥‥なさい」
 後に響くは‥‥。

●封じられしもの
 こほ、と喉の不快な感触を払って、雲輪円真は集った者達を見回した。
 皆、一様に難しい顔をしている。
 さもありなん。
 恐らくは遺跡内部へと繋がっているであろう扉の向こうには大量のアヤカシが蠢いており、調査を断念せざるを得なかった。そして、扉が開いた原因と思しき宝珠は、石像の猛攻に遭って入手出来ず仕舞い。手掛かりらしきものと言えば、動物を従えた僧と、箱と僧の浮き彫りぐらいだ。
 それが、遺跡の仕掛けの鍵であるというのが、彼らの見解ではあるが‥‥。
「救出された学僧達の話から、魔の森に侵食される前に封じるといった内容の走り書きが残されていたそうです」
「封じる、か。一体、何を何の為に封じたのであろうな」
 分からないと頭を振った僧に、円真は思案する。
 柱に嵌め込まれた宝珠は、簡単には外せないようだ。どのような仕掛けがなされているか不明の為、柱を破壊する事も出来ない。石像は当然のように邪魔をして来る。そして、以前に目撃された異形の行方は知れぬまま。
 この巨大な遺跡には何が眠り、どのような異変が起きているのだろうか。
「‥‥遺跡を封じたのは、精霊に近しき者、だそうですよ」
 考えを巡らせていた円真は、突然に発せられた言葉に顔を上げれば、じっと此方を見ている天祥の視線とぶつかる。
「何かご存じか」
「そのような記述が」
 くすりと笑った彼の顔に禍々しい影を見た気がして、円真は眉を寄せた。
「ともかく、怪しの影が差しているのは間違いない。武僧達は、再度の調査を。遺跡の中のアヤカシも排除せねばなるまい。備えは万全にせよ。‥‥それから、動ける学僧達は再度の協力を。俺も共に行く」

(担当:桜紫苑、周利芽乃香)
(編集:姫野里美)


■参加者一覧
/ 藜(ib9749) / 弥十花緑(ib9750) / 菊池 貴(ib9751) / 経(ib9752) / 御火月(ib9753) / 黒曜 焔(ib9754) / 星芒(ib9755) / マユリ(ib9756) / 芽(ib9757) / 鶴喰 章(ib9758) / 憧瑚(ib9759) / 葛切 サクラ(ib9760) / 狭間 揺籠(ib9762) / 八甲田・獅緒(ib9764) / 紫乃宮・夕璃(ib9765) / 御神楽 霧月(ib9766) / 祖父江 葛籠(ib9769) / 紅 響(ib9770) / 雫紅(ib9775) / 姫百合(ib9776) / 葬衣(ib9777) / 八塚 小萩(ib9778) / 大江 伊吹(ib9779) / 黒鋼 真央(ib9780) / 磐崎祐介(ib9781) / 鴉乃宮 千理(ib9782) / 永久(ib9783) / ジョハル(ib9784) / 北森坊 十結(ib9787) / 椎名 真雪(ib9788) / 藤井 宗雲(ib9789) / フランツィスカ(ib9790) / 明日香 璃紅(ib9791) / 二香(ib9792) / 李 元西(ib9793) / 戸隠 菫(ib9794) / 風洞 月花(ib9796) / 黒澤 莉桜(ib9797) / 幻夢桜 獅門(ib9798) / 久那彦(ib9799) / 天青院 愛生(ib9800) / 二式丸(ib9801) / 白木 明紗(ib9802) / 雲雀丘 瑠璃(ib9809) / 至苑(ib9811) / 獅子ヶ谷 仁(ib9818) / 明神 花梨(ib9820) / ジェイク・L・ミラー(ib9822) / アリエル・プレスコット(ib9825


■リプレイ本文

●宝珠〜受け継がれた証
 水稲院に見送られ延石寺を後にした静波達は、まずは不動寺へと向かった。
「旧院ゆかりの宝珠ですか‥‥?」
 文献を中心に漁っていた僧達には予想外の事だったらしい。修行僧達に急ぎ宝物庫を探せと命じて、僧は暫し待たれよと申し訳なさそうに頭を下げた。
 いえいえ気にしないでくださいと、静波は恐縮しきって両手を振る。
「気にしないでください! 待つのも修行の内ですからっ」
「ええ。待たせていただく分には構わないわ。師が訪れた不動寺に来られただけでも嬉しいもの」
 白木 明紗(ib9802)はそう言って、此処に残る伝承があれば聞きたいと続けた。一様に頷く静波に付いて来た武僧達。
「伝承?」
「はい。文献は延石寺に集められたそうですが、此方に残っているものはまだあります」
 銀の瞳は知性に澄み切って真実を探し当てようとするかのよう――天青院 愛生(ib9800)の瞳に見入った僧に愛生は一例を挙げてゆく。
「口伝、あるいは作法‥‥文献以外に伝えられていること、ご存知の方はおられませんか」
 それに、と黒澤 莉桜(ib9797)と憧瑚(ib9759)が引き取って続けた。
「不動寺は旧院を倣い造られたそうですし、共通する部分があるかもしれません」
「像や天井に紋様はないだろうか。遺跡にあるとされる紋様と比較したい」
 旧院に関する文献には紋様があると記されていた。不動寺にも同じものがある可能性は非常に高い。僧の快諾を得て、一同は不動寺内を見学し始めた。

(ここが、あの人も訪れた不動寺‥‥)
 今は亡き恩師たる尼僧に想いを馳せて、明紗は年季の入った柱に掌を宛がった。
 不動寺自体が随分と歴史のある建物である。旧院はこの不動寺以上に古い時代に存在したものだという事になる。
 そっと指先を滑らせ、柱に刻まれた文様を指でなぞった。文字のような呪字のような――今を生きる明紗達が読める文字ではなかったが、慎重になぞり紙へ写し取ってゆく。
 本堂の真ん中では、憧瑚と莉桜が天井を見上げていた。
 天井には紋様が描かれていた。何の先入観もなく見ているだけであれば、天輪の教えを図案化したものだと言われれば納得してしまうだろう。
 しかし武僧達は違う視点で天井を見上げていた。
「失われたものを一から探すのは、容易ではない」
「ええ、謎の先にあるものは易々と手に入りはしないでしょう」
 見上げたままの姿勢で憧瑚が言い、同じく相手へ顔を向けず天井を凝視したまま莉桜が返す。
 情報を集め、選り、時には力を尽くして戦わねばならぬ時もある。関山寺の試練然り、アヤカシ蠢く遺跡探索然り――
「俺達は俺達の謎を追い」
「仲間へ情報を齎す‥‥この紋様を遺跡で待つ皆へ伝えなければなりません」
 見上げるだけでも首が凝る天井に描かれた紋様。正確に写し取るには根気強さを要するだろう。二人は手分けして地道な作業を開始した。
「『新しきは我らが生に倣いて建つべし』か‥‥」
 黙々と写し取りながら、突然聞こえた憧瑚の呟きに莉桜が「どうしました」と顔を上げる。いや、と憧瑚は口元を緩めて応えた。
「引き継がれたものであれば、いいな」
 旧院から現不動寺へ引き継がれたもの。それが天井の紋様であれと心に祈り、憧瑚は柱を調査中の明紗に――延石寺で件の文言を拾い上げた明紗に視線を向けた。

 縁側では二人の少女が考え込んでいる。
「和尚さん、食わせもんやったんやなー」
 妙に保管状態が良い巻物だと思ったら、旧院の地図を後生大事に隠し持っていただとは。
 関山寺の頑固坊主を思い出しつつ明神 花梨(ib9820)は縁側で伸びをする。
白銀の前髪を掻き揚げ、うーんと足を伸ばすと、狐耳と尻尾がぴーんと伸びた。
「ヤタカラスって何でしょうね〜」
 遺跡へ直行するのは気が進まなくて不動寺に寄り道した葛切 サクラ(ib9760)が花梨の隣で足をぶらぶらさせている。年齢不相応に成熟した身体だが、中身は年相応の少女だ。
「三本脚のカラスやんね〜 三本、三、サン、さん‥‥」
 緊張を解き、くたりとなった尻尾を膝元に引き寄せ、花梨は三を繰り返した。
 三という数字には、古来より特別な意味があるとされている場合が多い。寓話の類にも三に纏わる話は多くて、試練が三回あったり三つの宝があったり三つの願い事ができたりする。
「宝珠、かぁ‥‥」
 この遺跡に纏わる三は何だろう。この調査、まだまだ謎が多そうだ。
 もう一度伸びをして立ち上がると、花梨はサクラと本堂へ歩きだした。愛生の呼ぶ声が聞こえたからだ。

 本堂では、あらかた調査を終えた憧瑚と莉桜に明紗、愛生と厳重に封印を施された箱を抱えた僧、一目で徳が見てとれるような老僧が円を組んで座っていた。
 隙間を開けてくれた莉桜と僧の間に割り込ませて貰って、サクラと花梨も座に加わる。
「こちらは不動寺の覚林様と雲慧様です。雲慧様、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
 愛生は箱を抱えた僧と老僧を順に紹介した後、軽く会釈した覚林と雲慧が座すのを待って自身も腰を下ろし、老僧へ話を促した。
「座主が不在につき、この箱の謂れは拙僧がお話ししましょう。‥‥覚林」
 雲慧は頷くと一同を見渡し、覚林の持つ封印箱を中央に出させた。
 中には宝珠が封じられておりますと雲慧は言い、強い力を持つものゆえに厳重に封印保管してあったが、その謂れはあまりに荒唐無稽過ぎて正史には残っていないのだと言った。
「不動寺建立当時に封じられたと伝えられる箱の中身は、移設前の不動寺より持ち出した寺の秘宝である、と‥‥御伽噺と思うておりましたが、旧院と思われる遺跡が発見された今、御伽噺ではなくなりつつありますな」
 一同は頷いた。延石寺で編纂した新たな伝承では、旧院を移設したものというのが定説だ。
 皆さんならば、御伽噺だ与太話だと疑ったりせず素直に耳を傾けてくれるでしょうと雲慧は不動寺に伝わる奇妙な話を語り始めた。
「不動寺を開山したのは、天から降り立った人だと言います」
「天から?」
 武僧達は思わず花梨を見た。花梨は狐系の神威族で獣人だが、中には翼を持つ獣人もいる。しかし翼を持つ獣人も空は飛べぬはずだ。
 雲慧は頷いて言った。
「降り立った場所が、即座に寺になったのだそうです」
「なるほど、御伽噺並の便利さね」
「一種の飛行船だったんじゃねえ?」
 皆が口々に推測を語って落ち着いた辺りで、雲慧は口伝を再開した。

「当院で保管している宝珠はひとつです。しかし、宝珠は複数あったと話は続くのです」
 一度は山に開山した不動寺だが、ある日突然精霊の声が届かなくなってしまう。
 修行の場を変えざるを得なくなった僧達は現在の場所に移る事にした。新寺へ運び込む数々の秘宝のうちのひとつが宝珠であったという。
 しかし僧達は宝珠を全て持ち出す事はできなかった。仕方なく僧達はひとつだけを携えて新寺へと移る。遺した寺には誰も入らぬよう封印を施して。
「口伝では『ひとところに揃った時が、目覚めの時である』と結ばれます」
「目覚めの時‥‥」
「これまでは精霊と自らを一所にした時だと解釈してきましたが、本当に‥‥旧院には宝珠が遺されているのやもしれませんな」
 まだまだ知らぬ事があるものですと雲慧は面白げに目を細め、武僧達に宝珠の収まった箱を託したのだった。

(担当:周利芽乃香)

●深奥の闇〜遺跡内部1
 ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が、暗闇の中、ぼぅと浮かび上がる。
 何気なく其方を見て、黒曜焔(ib9754)はぎょっと後退った。
 しゃれこうべを抱き、ぼんやりと佇む女が、焔を振り返り――。
「お、驚かさないで下さい」
 不覚にも跳ねた心臓を落ち着かせるよう押さえて、焔は頭骸骨を手にした風洞月花(ib9796)に抗議の声をあげた。暗くて仲間達に見えてはいないだろうが、尻尾はぱんぱんに膨れ上がっている。
「ん〜? ああ、これ? 機能はいいんだけど、見た目がなぁ」
 月花が手にしているのは、魔女の頭蓋骨と呼ばれる品だ。提燈代わりにもなるし、精霊武器としても使える優れ物なのだが、月花の言う通りに見た目に少々問題がある。
 何か起きるか分からない闇の中に浮かぶその形は、そうと知っている者でも心臓に多大な衝撃を与える事間違いなしだ。
「でもまあ、物は考えようだぜ? 実は可憐なお姫様の頭蓋骨だったと考えると、なんだか可愛く見えて来るんじゃね?」
「‥‥可憐さに心臓が止まるかと思いました‥‥」
 やれやれと嘆息しながら、永久(ib9783)は手にした白墨で壁に印を入れる。
 用意した松明が燃え尽きる前に戻るつもりだったのだが、アヤカシを追ううちに思っていた以上に奥深く入り込んでしまったらしい。
「ここで行き止まりだが、この辺りは、他よりも複雑に入り組んでいるな」
 灯りが乏しい状態では、壁に印があっても迷う者がいるかもしれない。
「それだけアヤカシに有利って事か」
 こん、と壁を叩いた磐崎祐介(ib9781)は、事もなげに続けた。
「ま、排除すればいいだけのものは、ただ片付けるのみ。考えるまでもない」
「言うね。俺も、負けてられないな」
 掌に拳を当てた幻夢桜獅門(ib9798)に、八甲田獅緒(ib9764)もおずと手を挙げる。
「わ、私も‥‥今回はお役に立てるといいのですがぁ」
 気合いも十分な仲間達に、六尺棍「鬼砕」を下ろしたジェイク・L・ミラー(ib9822)が皮肉っぽく口元を歪めた。
「少しばかし楽しめそうな展開じゃねぇか。ま、俺は好きなようにやらせて貰うぜ」
 どうやら、状況を悲観する者は誰1人としていないらしい。心強い限りである。
 なるほどと焔は幾度か頷くと、太刀「天輪」を抜き放った。
「では、片付けてしまいましょうか。きっと、皆さん、心配しているでしょうからね」
 言うが早いか、身を翻し、手首を返して斬り上げる。
 それを合図としたように、周囲に潜んでいたアヤカシ達が一斉に襲い掛って来た。
「ったく、うざってぇな。どけよ!」
 ジェイクが数体まとめて弾き飛ばせば、負けじと獅門が独鈷杵で切り裂く。
 敵の領域に入り込んでいる分、此方が不利な事は、全員が分かっていた。
「だからと言って、出し惜しみするつもりはないが」
 重心を下げて攻撃を受け流すと、祐介はすぐさま反撃に転じた。片付けるのみとの言葉通り、目に留まったアヤカシの全てを屠らんばかりの勢いだ。
「練力を使うまでもないな。お前らごとき、この棍1本で十分だ」
 ジェイクの棍が空気を巻き込みつつアヤカシを薙ぎ倒すと、一瞬ではあったが囲みが途切れた。
「ふん。こいつらも無限に涌いてくるというわけではなさそうだ」
「だが、わらわらと‥‥。いい加減、頭にくるな」
 笑みを浮かべたまま柄を滑らせて握り直すと、前方へと突き立てる。鋭い刺突に声無き声をあげてアヤカシが消滅した。残った瘴気を散らすと、永久は再び柄を短く持ち直して払う。しかし、手応えを感じる前に近づくアヤカシが数体吹き飛んだ。
「おっと、横取りしちまった?」
 ぺろりと舌を出した月花におどけた風に肩を竦めてみせると、永久は再び薙刀「狂伐折羅」を構えた。

●扉の向こう〜遺跡入口
 遺跡内部に入る為の最大の難関と言えば、やはり「これ」だろう。
 低く構えた狐の石像を牽制しつつ、獅子ヶ谷仁(ib9818)はじりと間合いを詰めた。背後へちらりと視線を向ければ、支度を終えた仲間達が合図を送ってくる。
 よし、と仁はほくそ笑んだ。
 今日こそは、この不毛な争いに終止符を打ってみせる。
「これで‥‥終わりだぁっ!」
 地を蹴り、一気に距離を縮めた仁は、ここで最終兵器を投入した。
「めちゃくちゃに美味い揚げだッ! ほ〜らほら、欲しいか〜? ‥‥あいたっ」
 用意した揚げをひらひらとと狐の前で振ってみせた仁の頭に、ぽこんと落ちて来る小さな石の塊。もふらを模したと思しきそれは、直後、雨霰と仁の上に降り注いだ。
 これもまた恒例となったわけだが。
「‥‥石像は、お揚げを食べるのでしょうか」
「それ以前に、狐が揚げを好きだというのは俗説でね」
 石像に埋もれた仁を心配げに見遣って、雲雀丘瑠璃(ib9809)が呟く。
 その言葉に答えたのは、仁の傍らをすたすたと通り過ぎる鴉乃宮千理(ib9782)だった。
「そうなのですか?」
「そう。‥‥ああ、忘れてた」
 くるりと踵を返して仁の元へと歩み寄ると、懐から取り出した飴を彼の口元へと押し込む。
「飴、食うかい?」
「ふぅふぁぃひゃひぇーっ!」
 更に状況が悪化してしまった仁と、涼しい顔をして遺跡の入り口を目指す千理とをおろおろと見ていた瑠璃は、ぺこりと頭を下げ、千理の後を追った。今は個を捨て、遺跡の奥を目指すべきと判断したのかもしれない。
 捨てられた個は、がりと飴玉を噛み砕き、石像盛りから脱するべく行動を起こしていたから、そのうち追いつくだろうし。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。‥‥暗いから足元、気をつけな」
「はいっ! こうして、ギルドの依頼を受け続けていれば、いつか姉を見つける事が出来るかもしれませんし、頑張ります!」
 小さく拳を握って決意を新たにする瑠璃を一瞥すると、千理は再び懐へと手を入れた。
「ギルドの依頼云々より、汝が想いの強さが重要さね」
 瑠璃の口に飴を含ませて、千理は唇を引き上げた。仁の時よりも幾分優しげなのは、瑠璃が女の子である事をほんの少しだけ考慮したからだろうか。
「‥‥それは俺も応援したい。だが、入口で立ち止まられるのはちと困る」
 軽い咳払いと共に掛けられた声に、瑠璃は顔を真っ赤にして飛び上がった。
 ぽりと頬を掻いた御神楽霧月(ib9766)と、瑠璃とは違う意味で頬を染めた大江伊吹(ib9779)に、「悪いね」と一言だけ告げて千理は扉を潜る。
「急いてるみたいね。潜ってる人達の事が心配なんじゃないかしら」
「予定の時間越えてるからな。何かあったんじゃなきゃいいけど。‥‥って、円真様!?」
 声を上げた霧月が、ぎょっとして固まった。
 彼の視線の先には、この遺跡調査の指揮を執る雲輪円真の姿があった。
 大薙刀を手に、こちらへと歩いて来る姿から伝わる気合いは、伝達でも激励でもなく、彼自身が遺跡に潜るつもりであると知れる。
「凄い顔色だぜ、円真様。無茶はやめてくれ」
「別に問題はない」
 問題がないという様子ではない。
 その行く手を遮った霧月を、円真は静かに見た。
「帰還の予定を一刻過ぎている。中で何かあったというのならば、状況を確かめ、適切な対応をするのが場を預かる俺の責任だ」
「いやいや、確かめるのは俺達がやるし! 場を預かる責任者の円真様に何かあったら、それこそ一大事だろ」
「霧月さんのおっしゃる通りです」
 そっと円真の額に手を伸ばして、至苑(ib9811)は眉を寄せた。
「お熱が高いようです。どうか、無理はなさらないで」
「いつもとさほど変わらぬ」
 言い切った円真に、即座に否定の言葉が飛ぶ。
「いいえ。そんな状態で現場に出られては困ります。俺の薬草士としての経験から言わせて貰うと、今の円真殿は安静になさった方がよろしいかと。他班からの報告も、そろそろ届く頃合いですしね」
 ジョハル(ib9784)の、丁寧だが有無を言わせぬ強い物言いに円真は天を仰いだ。
「過保護が過ぎるぞ」
「円真殿はご自分の身を顧みずに無茶をされるので、俺達が過保護なぐらいで丁度いいんですよ」
 冗談めかしても、目が笑っていない。
 仕方がないと肩を竦めた円真に軽く頭を下げ、ジョハルは遺跡の中へと姿を消した。
「だが、気を付けるのだぞ。‥‥お前達も戻って来たばかりなのだからな」
「私達は、もう十分に休憩致しました」
 ご安心を。
 笑ってジョハルに続いた藜(ib9749)は、ふと思い出したように円真の元に戻る。
「円真様、他の班の方々にお伝え下さい。狭い場所、効果的に術を使える場にこの風鈴を目印として吊るしておきます、と」
 藜が手にした風鈴が涼やかな音色を響かせ、周囲を渡る。確かに、これならば闇の中でも標となろう。
「心配しなくてもいいよ、円真さん! アヤカシはあたし達が何とかするから!」
 軽く彼の背を叩いて、戸隠菫(ib9794)が藜の腕を取る。仲の良い少女達が戯れる如く腕を組んで駆けて行く後ろ姿に、明日香璃紅(ib9791)が堪え切れないといった様子で笑った。
「いいね。可愛いじゃないか。ま、あの子達の事は私に任せて貰おうか、円真殿。皆、無事に連れ帰って来てやるよ」
 ひらと手を振って歩み去って行く璃紅。
 知らず力が入っていた拳を解いて、円真は彼らを見送った。
「頼んだぞ‥‥」 

●迷える調査隊〜遺跡群
「不自由はないかい?」
 尋ねた紅響(ib9770)に、李宋という名の年若い学僧がぺこりと頭を下げた。
 遺跡深部調査にあたり、選ばれた2人のうちの1人だ。
 先達を差し置いての抜擢は、彼がそれだけ優秀である証明だろう。
「厳しいかもしれないけど、頑張って頂戴ね。何かあったら遠慮なく言うんだよ? しっかり守ってやるからね」
「お役に立てるよう、頑張ります」
 ん、と笑って踵を返した響は、ふと足を止めた。
 足元の地面に壁か屋根かの一部が覗く。遠い昔、ここで生活をしていた人々は、何を思い、何を残したのだろう。
「失礼します。あちらで、奇妙な石彫が見つかったようです。お知恵をお借りしたく」
「奇妙な浮き彫り? なんだい、それは」
 問うた響に、経(ib9752)は困惑した顔を向けた。
 僅かな逡巡の後に、歯切れ悪く言葉を続ける。
「紋様、というよりも文字に見えるのです。ですが、子供の落書きのようにも見えて‥‥」
「はあ?」
 なんだ、それは。
 問い返されて、経はますます困ったように眉を下げる。
「ですから、奇妙と。実際にご覧になった方が早いと思います」
 そう促され、李宋を間に挟んで歩き出す。周囲の気配を探る事も勿論忘れない。
 なにしろ、ここは何が起きてもおかしくはない場所だ。
 そう。
 例えば、空からわらわらと石像が降って来たり。
「‥‥ッ!」
 経の振り上げた不動明王剣が弾き返すと同時に、響は手を伸ばして無造作にそれを掴む。油断も隙もあったもんじゃない。
「んー、もふらに似てるけど、ちょっと違うよね? 紛い物? パチモノ?」
 ひょいと顔を出した祖父江葛籠(ib9769)が、響の手の中の石像を凝視すれば、それは動きを止めた。いや、そもそも、これは動かないものだ。
 石像だから。
「ああ、そっか。これが噂のふらも‥‥」
 手を叩いて納得すると、石像は響の手から落ち、コロコロと転がってどこかに行ってしまう。紛い物と言われて怒ったのか、ただ単に落ちて転がっただけなのか。
「あーあ、ふらもさん、どこかへ行っちゃった」
「ふらも、決定なんやね」
 一部始終を見ていたらしい弥十花緑(ib9750)の呟きに、葛籠は大きく頷く。
「よく似てるけど、もふらはあんなにぶちゃいくじゃないし!」
「へぇ」
 石像が転がっていった先を眺めつつ、花緑は適当な相槌を打った。それがもふらか否かなんて、判断しようがない。もしかすると、製作者は真剣にもふらのつもりで彫ったのかもしれない。いや、昔はあれが素晴らしい彫刻として絶賛されていたやも。
「花緑さん、現実に戻って来て下さい」
 御火月(ib9753)に袖を引かれて、花緑は我に返った。
 ついうっかり過去の芸術に思いを馳せてしまったが、今はそんな場合ではなかった。
「助っ人をと思うたけど、必要なかったみたいやな」
「狐が出て来なくてよかったですね」
 御火月も息を吐き出して長槍を下げる。
「狐さん‥‥も、ふらもも何を守っているのかな」
 小さな葛籠の声。
 御火月は葛籠へと向き直ると己の考えを述べた。
「遺跡、というのは大ざっぱ過ぎますね。‥‥遺跡に封じられた何か、でしょうか」
「精霊に近しき者が封じた?」
 頷きを返して、御火月は宝珠が嵌め込まれた柱を見上げる。浮き彫られた「箱」が何を示すのか判明していない。けれど、御火月は、あれは「封印」に関わるものであると考えていた。
「箱に宝珠を納める事が封印の方法なのでしょうか。それとも、封印解除の‥‥」
「果たして、それは解除してもよいものなのでしょうか」
 言い淀んだ御火月の言葉を続けたのは、姫百合(ib9776)と共にやって来た雫紅(ib9775)だった。
「すみません。お話し中に割り込んでしまって」
「‥‥こちらこそすみません。呼びに来られたのですね」
 申し訳なさそうに経が頭を下げた。
 そういえば、と響は思い出す。
 経は確か「奇妙な石彫」が見つかった事を知らせに来たのだった。石像の襲撃やら何やらですっかり忘れていたけれども。
 静かに首を振って、姫百合は何枚も重ねられた紙をそっと開いてみせた。
「清澄様が、これは李宋様の方が詳しいだろうとおっしゃられまして」
 覗き込む。なるほど、経が「奇妙」と言った通りに絵とも文字ともつかぬ象形だ。子供の落書きに見えない事もない。
「これが何か、お分かりになりますか?」
 恐る恐る尋ねた姫百合に、李宋は緊張した面持ちで首肯した。
「形になる前の文字だと思います。ほら、よく見ると今使われている文字に似通っている‥‥」
 彼が示した部分は、線の集合体にしか見えない。
 しかし、それが「我」だと教えられると、なんとなくそう読めて来るから不思議だ。
「では、こちらの文字は何なのでしょう?」
 我と並ぶ文字を指差せば、李宋は「見」だと答える。
「我、見‥‥あっ!」
 前回の調査の折に発見された、古い文字で刻まれた浮き彫り。その一文と、読み解かれた文字が姫百合の中で重なった。紙の束から、その時の写しを探し出し、隣に並べてみる。
「我、視‥‥字は違いますが、意味は似ております」
 李宋は座り込んだ。地面に次々と写しを並べる彼の迫力に圧倒されながらも、雫紅はそれが風に飛ばされぬよう、小石で隅を止めていく。
「そういえば、わたくしが書き写したものも、この文字に似ていました」
 思い出したように、雫紅は懐を探り、姫百合の写しに並べて置く。
「紋様かと思っていましたが、もしや、これも‥‥?」
「そうです、これも‥‥!」
 雫紅の分を加えて、李宋は写しを並び変え始めた。
「我、見る。空覆う影、世界飲み込まんとし、天より雷降る。大地、焼き尽くされて人々禍を嘆かん――後は途切れ途切れで詳細までは分かりませんが」
 雫紅が差し出した写しを示して続ける。
「禍抱きて眠りにつかん、とありますから、終息したのだと思います」
「こっちの古い文字は、何て?」
 姫百合が隅に記した順番通りに並べて問うた響に、あくまで推測だがと断りを入れて、李宋は語った。
「文字の欠けた部分を補って読み進めて行くと、我、視る。瘴気凝りて妖と化し、森拡がりて止まる所を知らず。一重の守護、二重の封、三重の鍵もて封ずるを決す」
 封ずる、と口の中で繰り返した響に、写しを見つめていた御火月が顔を上げる。
「‥‥もしも、それが魔の森に取り込まれぬよう封印しなければならないものだったなら、我々は慎重に事に当たらねばなりませんね」
 同意を示したのは、雫紅だった。
「封じられたものが善きものとは限りません。危険なものだったら、このまま封印しておく事が一番でしょうし‥‥」
「わたくしも、同じ意見です。悪しきものであるなら、封印を強固に致す事を提案致します」
 いつになく強い口調で主張する姫百合に、それまで黙って話を聞いていた花緑が口を開く。
「ほんまに、悪いもんやろか」
 写しに視線を落としたまま、思案気に呟いた花緑は、やがてひとつ頷いて仲間達を見た。
「禍を抱いて眠りについたんは、何やろ。世界を覆う影、天から降る雷、焼かれた大地、災厄が襲って来たんは間違いないやろうけど、自然に収まったんやったら、禍を抱いてなんて言わへんやろし」
「‥‥精霊さん」
 きゅっと手を握り込んで、葛籠は戸惑いを捨てるようにぶんと頭を振る。
「きっと精霊さんだよ。狐さんもふらもさんも、精霊さんを守る為に、扉の奥に悪しき者が来るのを阻んでいたんだよ」
「では、何故、異形に従い、我々に攻撃してくるのでしょうか」
 悲しげに睫毛を伏せた姫百合の肩を軽く叩いて、花緑は宝珠の嵌まった柱を示した。
「遺跡を守る狐さん達は、「一重の守護」と違うんかな。あの浮き彫りの獣を従えた僧は、つまりはそういう事やと思う」
「としたら、箱も封印を示してるって事か」
 ぽんと手を打った響に、ですがと雫紅が写しを手に首を傾げる。
「記された封は3つ。浮き彫りがその2つを示すとして、残りは1つは何処に? それらしきものは今の所見つかっていませんが」
「入口にないとしたら、当然、中だろ?」
 自信満々に笑う響に、仲間達は互いの顔を見合わせた。

●交錯〜駐屯地
「円真様、天祥様とはどのよう方なのですか?」
 報告書に目を通していた円真は、マユリ(ib9756)に問われて顔をあげた。
 彼女の視線の先には、菊池貴(ib9751)と語らいながら遺物を調べて歩く天祥の姿があった。
「‥‥見ていれば分かる」
 長すぎる沈黙の後に、ぼそりと告げられたのはその一言のみだった。怪訝な顔をするマユリに、円真は報告書へと目を戻す。
 見ていれば分かると言われても、天祥は至って普通で、状況が状況で無ければ、のんびりと散歩しているようにしか見えない。
 と、思った瞬間、彼は、何かに足を取られて盛大に倒れ込んだ。慌てて体を起し、勢い余って柱にぶつかり、頭を抱え蹲る。
 転んだ彼に気付いた貴が手を差し出すまでの短い間の出来事であった。
「‥‥どじっ子属性」
 印象とはまるで違う姿に、マユリは頬を引き攣らせた。
「ここ数年で、随分とましになったが。‥‥しかし、解せぬのは」
 眉間に皺を寄せて黙り込んだ円真を、マユリは不安げに見上げたのだった。
 一方、その天祥の傍らで、貴もまた頭を抱えていた。
 基本的に、この男は未開の地に向いていない。 
 話しかけてからものの数分で、転ぶ、ぶつかる、引っ掛かる、ありとあらゆる災いに見舞われた青年僧に、貴はそう判断を下した。
「まったく‥‥。遺跡だけは壊すんじゃないよ?」
「は、はい‥‥」
 どうも調子が狂う。
 涙目で額を押さえる天祥に、貴は大きく息を吐き出し、ところでと切り出した。
「あんた、確か精霊がどうとか言っていたけれど、何か心当たりでもあるのかい?」
「え? 精霊、ですか?」
 不思議そうに尋ね返してくる天祥に、言葉を失った。
「いや、あんたが言ったんだろう? 精霊に近しき者が、遺跡を封じたって」
「精霊に関する記述は幾つか見つかっておりますが‥‥」
 話が噛み合わない。
 目を細めて、貴は手にした葉巻を箱に戻す。不審な点は残るが、話を聞くには丁度いい機会だ。
「その幾つかン中に、箱に関するものはあったかい?」
「箱‥‥。浮き彫りに記されていたものですよね。残念ながら、現在、見つかっ‥‥あっ!?」
「おっと」
 突然につんのめった天祥を受け止めて、貴はやれやれと苦笑を浮かべた。男にしては華奢な体つきに、微かに匂うのは上品な香の薫りか。やっぱり、この男に荒れた土地は向いていない。
「だから、足元にゃ気を付け‥‥ん? なんだ? そいつは」
 天祥の手を引く小さな手。
 白い髪の上にはふさとした耳がついていた。
「こんにちは〜!」
「こんにちは。どうしたのですか? このような所で。はて、親御さんはどちらに」
「い、いや、ちょっと待ちな‥‥?」
 誰何する前に、突如現れた少年と和やかに会話を始めた天祥の首根を掴んで引き離す。
 いくらなんでも警戒心薄過ぎだろう。
「頼むよ、本当に。あたしはあんたのおっ母さんじゃないんだからね」
 小声で注意を促すと、天祥は緊張感の無い笑みで
「大丈夫ですよ。こんなに小さな子なのですから」
 などと、呑気に返して来るのだ。
 貴は腕を組み、少々威圧的に見えるように少年を見下ろした。
 こんな場所に子供などいないと頭では理解している。なのに、見上げて来るあどけない少年の表情は、貴の警戒心すらも吹き飛ばす程に無邪気だ。危機感を覚え、援護を求めて周囲を見回した貴と、此方を見ていた久那彦(ib9799)の目が合う。
「久那彦」
 すると、自分が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。久那彦の肩がぴくりと震えた。見開かれた目に、ほんの僅かな動揺が走る。
「どうした? 久那彦。ちょっとおいで」
 おずおず‥‥渋々とやって来た久那彦の肩に手を回そうとした途端、彼の体が一歩後退る。空を切った手に、おや、という顔をした貴だったが、それでめげるはずもなく。
 がっしり腕を掴むと、耳元で囁く。
「年とか近そうだし、何者か聞き出して貰えるかい」
 子供同士ならば、うるる攻撃に動揺する事なく任を果たす事が出来るだろうという判断からである。
 勿論、久那彦も自分に何が期待されているのか分かっていた。貴の手をそっと外して、天祥に懐いている子供の元に向かう。
 年の頃は、5、6歳というところであろうか。
 隣に並ぶと、小柄な久那彦よりも更に小さい。
「こんにちは‥‥」
 声を掛けると、少年は嬉しそうに目を輝かせた。にっこり人懐っこい笑顔で久那彦にもぎゅうと抱きついて来る。
「あなた‥‥キミの名前は?」
「お名前? お名前‥‥」
 ひっついたまま、少年は首を傾げた。
「お名前、わかんない‥‥」
 顔には出さず久那彦は途方に暮れる。だが、周囲はそうは見てくれないようだ。
「そうして並んでいると兄弟みたいですよ」
 可愛いですと微笑む天祥に、もはや突っ込む気すらないらしい貴が肩を竦めて首を振る。
「お名前がないのも不便ですね。‥‥そうですね、貴さんと久那彦さんから1字頂いて、貴彦というのはいかがでしょうか」
「‥‥待ちな」
 ふざけているわけではない。
 本人は至極真面目にやっているので尚更質が悪い。
 とりあえず、名前だけは異を唱えようと天祥の肩を引いた貴だったが、
「お名前? ぼくの? うわあい!」
 大喜びの本人の様子に何を言えなくなったのだった。

●道開く刃〜遺跡内部2
 風鈴の音に、菫は目を開けた。
 藜が吊るした風鈴は、攻撃に適した場所を示すだけではなく、空気の流れも教えてくれる。
 何かが動けば、空気も動く。
 菫が動いていない今、空気が揺らしたのは、間違いなく‥‥。
「そこね!」
 槍の穂先に切り裂かれ、闇と同化し、姿を消していたアヤカシが怒りに満ちた咆哮をあげた。耳障りな声に顔を顰めながらも、菫は素早く槍を戻し、再度の機会を窺う。
「この遺跡、旧院を捨てなければならなかった昔の人達の為にも、頼んだわよ、白き聖槍!」
 菫の渾身の力を込めた一突きに、傷を負ったアヤカシが耐え切れるはずもない。おぞましい姿が掻き消えると、後には瘴気の塊が残るばかりだ。
「菫さん、ご無事ですか?」
 戦闘の気配に気づいた至苑が駆け寄って来る。
「申し訳ありません。わたくしがもっと早く気付けば」
「大丈夫、てこずる相手でもなかったし。それより、月花ちゃん達の居場所は見当がついた?」
 恐らくは、とやって来た藜が地図を広げてみせる。
「これまでの調査で判明している構造から推測すると、この空白部分のどこかだと思います」
「遺跡の最奥、という事ですね」
 至苑の言葉に、藜は頷いた。
「あくまで推測ですが。後衛だった我々と、前衛だった彼らがはぐれた状況もからしても、最奥に向かった可能性が高いでしょう」
「ほらほら、お嬢さん方! 油断しちゃあ駄目じゃないか!」
 璃紅の声と、断末魔が重なる。
 いつの間にか、彼女らの周辺にアヤカシが忍び寄っていたようだ。
「破ぁ!」
 千理の一喝で動きを止めたアヤカシが足掻くように身を捩る。
「ふふん、骨がありそうだな。面白い」
 千理の大薙刀「岩融」の一振りで真っ二つにされたアヤカシの硬い表皮が弾けて跳ね返り、千理の手を掠めた。消されたアヤカシの最後の一撃だろうか。つぅと血が伝う傷を舐め清めようとした千理の手を、ジョハルが押さえる。
「駄目だ。毒を持ったアヤカシだったらどうする」
 手早く薬草と包帯で治療すると、ジョハルは左の目を眇めた。ほぼ同時に至苑が身構え、一歩前へと出る。
「やれやれ。どうやら怪我の手当てをする時間もないようだ」
「困ったねぇ」
 さして困った風でもなく再び八尺棍を構えると、璃紅はアヤカシの群れへと突っ込んだ。
「さぁさぁ、道を空けて貰おうか!」
 棍に纏わせた精霊の力が小さなアヤカシを瞬時に消し去り、力のあるアヤカシには打撃を与えて後退させる。
 道を切り開いた璃紅に続いて駆け出そうとした御神楽霧月(ib9766)は、ふと感じた気配に足を止めた。 
「あれは‥‥!」
 確か、古文書から得た情報を基に調査をしていた者達だ。
 彼らの実力は知っているが、いかんせん、数が多過ぎる。伊吹と視線を合わせ、頷き合うと霧月は彼らとアヤカシとの間に割り入って朱雀錫状を一閃した。同様に、伊吹も霊刀「カミナギ」で手近にいたアヤカシを斬り伏せる。
 アヤカシの囲みに生まれた隙を見逃す手はない。
「あんた達! あの音が聞こえるか!?」
 言われて耳を澄ませば、遠く微かに、りん、という音が聞こえて来る。
 アヤカシの蠢く粘質な音を吹き払うように、それは真っ直ぐに彼らの元へと届く。
「あの音に向かって走れ!」
 弾かれたように、彼らは駆け出した。それを追うように、アヤカシ達にも動きがある。
 しかし、霧月と伊吹がそれを見過ごすはずもなく。
 伊吹に背を預けて、霧月は錫状を構え直した。
「追わせはしない。俺達が相手だ!」
「さあ、有象無象のアヤカシ達よ、生まれながらにして横道を歩むもの達よ、あたしを楽しませなさい!」
 カミナギがゆらり幻を纏う。
 それを叩きつけて、伊吹は霧月に向かって叫んだ。
「行くわよ、霧月くん! さっさと片付けて美味しくお酒を飲むんだから!」
(担当:桜紫苑)

●旧院調査〜壁画の向こう
 前回文献編纂にあたった武僧達は初めて訪れる場所に息を呑んだ。
 魔の森と化した斜命山中から現れた謎の遺跡――瘴気満ちる場所だけにアヤカシが跋扈するのは想定内だったが、次々現れるアヤカシ共に行く手を阻まれて思うようには進めない。
「困りましたね、邪魔しないでくださいよ‥‥通してください!」
 柄に明王を宿した剣を思い切り前へ突き出し、李 元西(ib9793)は毅然と言い放った。目的地はまだ先だ。こんな所で足止めを食らっている場合ではない。交戦が重なるにつれ損壊が激しくなる遺跡の状態も、負傷疲弊するであろう仲間の様子も気に掛かる。
 利き手に不動明王の加護を構え、に芽(ib9757)もう片方の手に持った松明を握りしめた。仲間の灯りとなる分、剣はどうしても防戦優先になる。
「ご加護を‥‥」
 思わず利き手におわす不動明王に念じて松明を高く掲げた、その時――目の前を朱い軌跡が弧を描いて鮮やかに消えた。
 芽達の前に駆けて来た影は、アヤカシを切り伏せると彼女らを庇うように立ち塞がり、言った。
「あんた達! あの音が聞こえるか!?」
「音!?」
 突如戦場に踊りこんだ影は仲間――他班で動いていた霧月のものだ。元西は裹頭をずらして聴覚に神経を集中させる。

 ――りん。

 言われなければ気付かないほど微かな音。しかし確かに鈴のような音が聞こえて来る。
「俺と姐さんが抑えている間に、早くあの音に向かって走れ!」
「今の内に行きな!」
 霧月と背中合わせに立った女、その額に伸びる一本の角――般若湯に目元を朱に染め戦う修羅は伊吹。精霊力を宿した木刀を構え、じりじりとアヤカシ共を端へ追い込んでゆく。
「さあ、早く! ここはあたしらに任せてね!」
 ずり、と後退するアヤカシ共。突破するなら今しかない。
 奥を目指す調査班達の為に道筋を作ってくれている仲間に感謝の意を示して、芽は松明を握りなおした。
「ありがとうございます。お先に行かせていただきます」
「すみません、ここはお願いします!」
「ああ、任せといて。礼なら美味い酒でお願いするよ。頑張るんだよ!」
 ぴょこりと丁寧に頭を下げた芽や元西、本堂を目指す武僧達に、伊吹は艶やかに笑いかける。
 目礼した武僧達は一斉に駆け出した。

 目的の場所へは殆ど迷わずに辿り着けた。
 旧院と言うだけあって内部構造が寺院建築のそれに酷似している。とは言え絵図面で見るのと現物はやはり違う。何より纏う空気が絵図面にはないものだった。
「先んずれば人を制す、アヤカシが動いている以上、急いだ方がいいか」
 本堂とて決して安全地帯ではない。藤井 宗雲(ib9789)の言葉に、紫乃宮・夕璃(ib9765)が決意を乗せる。
「ええ。ここは先人の遺した重要な場所、アヤカシとの交戦であれ出来るだけ現状を守らねばなりません」
 魔の森の中にある遺跡。全体が危険に包まれている場所。
 油断なく身構えつつも、やはり本音は漏れるもの。アリエル・プレスコット(ib9825)は友の手をきゅっと握り呟いた。
「少し、怖いです‥‥」
 小さな手から震えが伝わって来る。八塚 小萩(ib9778)はアリエルの手を頼もしく握り返した。大丈夫、この手はきっと守ってみせる。
「八咫烏の謂れに辿り着く為にも、調べねば始まるまい‥‥行こうぞ、共に‥‥の」
 顔を覗き込み励ませば、うん、と小さく頷いたアリエルの頬が赤らんだ。
「やっぱり実際に見ると雰囲気が全く違うのね。記述とも何かちょっと違う気が‥‥するような‥‥」
 印象が違うだけかもしれない、絵図面には記されていない何かが潜んでいるかもしれない。
 二香(ib9792)は考える。見えるもの見えないもの、真実へ近付くには全てを正しく捉える事。
「落ち着いて、いこ!」
 星芒(ib9755)の言葉が心強い。二香は慎重に本堂内の調度類を調べ始めた。
 板張りの床に柱や壇など、現在の天輪宗寺院でも見られるような造形がある反面、少々変わったものも本堂には置かれていた。
「纏めた文献の文脈から考えても、精霊像は一目でそれと分る物の筈です」
 遺跡内で見かけた狐の石像を前に狭間 揺籠(ib9762)は頭を悩ませる。何らかの意味があるのだろう、だが狐像は精霊像ではない――はずだ。
「精霊像は隠し部屋でしょうか」
 絵図面上の不自然な空間が、更なる隠し部屋へ繋がる通路であったなら。
 ひとつの仮定に添って、揺籠は本堂を囲む壁を調べ始める。
 方角を確かめた後、芽は天井を見上げた。
「文献の通り、紋様がありますね‥‥」
 顔を上げたまま、北が前になるように体ごと方向転換して方角を合わせる。そのままそっと腰を下ろすと、紙を広げて紋様を写し取り始めた。
(何故、天井に描かれているのでしょう。何か理由があるのかも?)
 紋様を見上げていた夕璃は考え続けていた。床にでなく天井に描かれている点が、どうにも引っかかっているのだ。
「『山の頂に八咫烏降り立ちて曰く――石持て精霊の加護を受けよ』」
 ぽつり、呟いた。これまで何度となく暗唱してきた文献の一節だ。
 山の頂、翼を持ち空をゆく鳥類の烏、天井――
(上を目指すための何か‥‥?)
 自身が立てた仮説に添って、夕璃は『上』にいく為に必要な何かを探し始める。
「天井以外にも紋様があるやもしれぬ。アリエル、探すのじゃ」
 同じ紋様、違う紋様、何処にどんな紋様が刻まれているのか、小萩はアリエルと手分けして探し始めた。
 小萩にくっついて調査しつつ、アリエルは遠慮がちに故郷で見つかった船の話に触れた。
「実は、ついこの間、神砂船によく似た大きな古い船が見付かったんです」
 記憶に残っている者もいて、本堂のあちこちで頷いている。魔の森の中で発見された古い船、そして今回は寺院だと聞くが――
「何か、関係があるのでしょうか‥‥」
「どうじゃろのう、ほかにも魔の森に埋もれたものがあるやもしれぬの。アリエルはどんなものが発見されると思うかの?」
「え、と‥‥っ」
 突然の問いに目を白黒させるアリエルの反応を面白そうに眺めて、小萩はころころと笑い声を上げた。

 先だっての遺跡調査で得た記録を手に、元西は八咫烏にまつわるものを探している。
「遺跡にも一杯模様があったし、探してみよう!」
 鳥でありながら三本脚だという架空の鳥、八咫烏。この奇妙な鳥の脚には何らかの意味があるに違いない。文献に残るくらいなのだから、本堂に標があっても不思議はないと考えた。
(封印物って何だろう‥‥)
 仲間が纏めた文献の通り、本堂には紋様が描かれていた。天井から柱へ、遺跡内で見かけたような狐の石像を観察しながら星芒は考える。
(封印しなきゃならないようなもの‥‥もし護大なら、精霊の加護を得て確実に守らないと!)
 大アヤカシの手に落ちては大変な事になってしまう。護大でなかったとしても、精霊と心通わせる事は武僧の修行に通じるものがある。
「文献だと、ケモノや天狗も来てたみたい、だけど。今でも来てる、のかな‥‥」
 二式丸(ib9801)がそんな事を呟いたのは、本堂に屏風絵ならぬ壁画があったからだ。
 ひとつは陽光に照らされる街の絵に見えた。そしてもうひとつは壊滅する街の絵に見える。対になっているらしい風景は何を示唆しているのだろう。
「人と精霊、ケモノ、天狗さんが、仲良く調和して生きられる世界‥‥」
 壁画を見上げたアリエルは陽光に照らされる街の絵に理想を、壊滅する街の絵に痛みを感じていた。皆が等しく陽光の世界に生きていられれば良いのに――
 励ますように小萩がきゅっと抱き締めた。
「きっと来ようぞ。我欲を捨て心を静め、万物と調和する心持にて無心に祈るのじゃ」
 少女達の無垢な願いが封印解除にあたる者達の気力を後押しする。
「何かの寓話でしょうか‥‥」
 こつこつ。壁を軽く叩いて音の違いを確かめていた揺籠が、僅かに眉を顰めた。もう一度壁を叩いてみる。
「‥‥どうか、した?」
「ここの音が、ほかと違うのです」
 どれどれと二式丸も叩いてみたところ、ある場所を境に確かに音が変化する。絵図面の隠し部屋と思しきあたりを調査していた宗雲が、それはもしやと慎重に壁を指でなぞり始めた。
 背後で、不動寺に立ち寄っていた静波達の合流を知らせる声が聞こえたのを他所に調査を続ける三人。
「松明を」
 宗雲の手元に松明の灯りを持ってゆくと、壁に陰影ができて凹凸がよくわかった。手を触れれば窪みのようになっている。
「この、壁は‥‥」
 ひとつの可能性を推測し、三人は顔を見合わせた。背後で宝珠を納めた箱だの封印を解くだのと話しているが、今はそれどころではない。推測が正しければ、必ずあるはずのもの――
「‥‥みつけた」
 壁と壁の間にある、隙間らしきもの。
 ただの継ぎ目かもしれない、しかしその近くにあった窪みは何と説明できようか。
「扉、ですね」
 揺籠は松明を振って仲間達へ合図した。

「壁画か‥‥現在の不動寺にはなかったものだが、この紋様には覚えがある」
 憧瑚に目配せされた莉桜が、不動寺で写し取って来た紋様を壁画に貼り付けた。いくつか写し取って来た紋様の中に、確かに壁画に描かれた文様も含まれている。
「天井に描かれていた文様はこれです」
「ここの天井にある紋様と同じですね。方角は‥‥ああ、これも同じです」
 莉桜の写しと芽の調査が合致したのを確認し、一同は旧院と不動寺の関連性を確信する。ならば預かってきた宝珠もまた関連するものであろう。
 愛生は封印を解いた箱から宝珠を取り出した。
 そして壁画に見つかった窪みへと納めたのだが――宝珠がぴったりはまったにも関わらず、壁画は動く様子もない。
「‥‥何故」
「まだ解明できていない謎があるのでしょう。焦らず行きましょう」
「せやで。八咫烏の暗喩もまだ解けてへんよってな」
 花梨の言葉に、延石寺で再編纂した文献に思いを巡らせる武僧達。
 そう言えば、と星芒が言う。
「八咫烏か‥‥八咫鏡ってのもあるよね」
 祭祀に用いる鏡の事よねと星芒の言葉を受けて、二香は遺跡内に三本脚の調度品がなかったか記憶を辿り始めた。
 壁画では元西が頭を抱えている。
「‥‥大きい烏‥‥夜‥‥太陽‥‥月‥‥星‥‥カラスは光物好きだし‥‥」
 ――あ、倒れた。
 助け起こしてやりながら、二式丸は宝珠を用いて如何するかを考える。
「精霊の加護。何から、護るモノ‥‥?」
「そうね…‥こう、宝珠を持って、静かに精霊の声に耳を傾けてみる、とかね」
「だよね! 精霊の加護を得るには声に耳を傾けて‥‥」
 思案中でも警戒は怠りない。遺跡の気配、仲間の気配――精霊の気配を辿って、明紗と星芒は瞳を閉じた。
(担当:周利芽乃香)

●解けた戒め〜遺跡最奥
 光が消えていく。
 それは一瞬の事だった。徐々に、辺りは静けさを取り戻し、闇が再び押し寄せて来る。
 姫百合が掲げた松明の光が揺れる中、彼らは息を呑んで次に起こる事を待った。
 しかし、いくら待っても閉ざされた扉が開く気配はない。
「‥‥箱に宝珠を捧げて封印は解けるはずでは? まあ、一応、触れるようにはなりましたが」
 扉に手を伸ばした御火月に、マユリが警告を発する。
「気を付けて下さい。精霊様の強力な封印と、先行していた無数のアヤカシ。それらを統べる上位のアヤカシがいる可能性があります。‥‥なんだか、嫌な予感がします」
 くすりと落ちた笑いは誰のものだったのか。
 ゆらりと壁に映る影が動いた。
「え?」
 振り返ったマユリの目に、宝珠を納めた箱の上に腰掛けた小さな姿が映った。
 天祥によって貴彦と名付けられた少年である。
「何をしてるんだ、貴彦」
 硬い表情で発した声は、自分でも分かる程に強張っていた。一歩踏み出した貴に向けられた笑みは無邪気そのものだ。
「何って、おてつだいだよ? ここをあけるんでしょ?」
 ね、と同意を求めた相手は天祥だ。
 手招かれ、天祥は貴彦に歩み寄る。その顔は虚ろだ。異変を感じて、葛籠は咄嗟に手を伸ばす。だが、
「危ない!」
 鞭に似た何かがそれまで葛籠がいた場所の地面を抉る。身構えて見上げれば、いつの間にか天井がアヤカシに埋め尽くされている。
 経に抱え込まれて難を逃れた葛籠は見た。
 箱に座ったまま、楽しそうに足を揺らしていた貴彦が満足げに唇を吊り上げるのを。
「経さん‥‥天祥さんを離さなくちゃ‥‥」
 理由も分からず体が震える。居ても立ってもいられない焦燥感に突き動かされて、葛籠は八尺棍「雷同烈虎」を振り上げた。天祥と貴彦の間を裂くように、棍を叩きつける。しかし、それは落ちて来たアヤカシによって阻まれた。
 瘴気に戻ったアヤカシに気を殺がれた葛籠の耳に、マユリの悲鳴が届く。
 天祥の腕に血の珠が浮かんでいた。それは、貴彦の指先が辿る通りに赤い線となり、やがて地面へと滴る程となった。
「ここはね、「精霊に近しい者」がふうじたんだよ〜。せっかく、おしえてあげたのに」
 頬を膨らませて、貴彦は天祥の腕を宝珠へと掲げた。
「ほら、こんなふうにね」
 ぽつり、落ちた血に反応するかのように、宝珠が明滅を繰り返す。そして‥‥。
「な、なんだい!? この揺れは!」
「ころばないように気をつけて〜」
 よろけた姫百合を支えて、響は辺りを見渡した。地震だとすると、かなり大きい。大地が身震いしているかのようだ。
「突入班はアヤカシを抑えるのに手一杯です。ここは私達が何とかしなければ」
 不動明王剣を構えた経が、貴彦との距離を一気に詰めた。
「おねえちゃんが遊んでくれるの? でもね」
 鋭い爪が剣を弾く。
「ぼく、いま、いそが‥‥あ」
 続けて繰り出された経の剣は、寸前の所で引かれた。代わりに貴彦を襲ったのは、霊戟破を纏わせた花緑の朱雀錫状だ。その一撃も弾いた貴彦が、目を見開く。
 花緑の陰から飛び出した久那彦が、天祥の腕を掴む貴彦の手を払い、素早く己の方へと引き寄せたのだ。
「天祥さん、返して貰ろうたんで」
 すぐさま経が浄境で応急手当を施す。ぐったりと久那彦に身を預けている天祥の意識はなさげだ。マユリが解呪を試みているようだが、反応は薄かった。
「ぶー。でも、いいよ。とびらはひらいたから」
 地鳴りに重なって鈍い音が響く。
 断続的な破砕音を立てながら、ゆっくりと、ゆっくりと扉が開いていく。
 扉の奥から姿を現したのは、仕掛けの割に小さな部屋だった。
 台座に置かれた宝珠に、天祥の血で濡れた手を差し伸べる。
 何かが弾ける音に、彼は微笑んだ。状況が状況でなければ、見惚れてしまいそうな程に無垢な笑顔。
 しかし、陶然と囁かれた言葉は、無垢に程遠い。
「ぼくのもの、返してね。きみ、いっぱいいっぱいジャマしてくれたよね。やつざきにしようかと思ったけど、それじゃ生ぬるいかな? あ、そうだ! きみが大事にしてたものを壊してあげる。楽しみでしょう?」
 くすくすと笑いながら、彼は部屋の中央に置かれた青白い光を放つものへ血に塗れた宝珠を掲げた。
 地鳴りが一層激しくなる。
 立っている事も出来ない程だ。
「崩れます! 壁から離れて!」
 聞こえたのは誰の声か。
 直後、アヤカシが描かれた壁が崩壊を始めた。
 途端に噴き出して来たのは、夥しい瘴気。
 耐性があるはずなのに、首元を押さえつけられているかの息苦しさを感じる。それほどに濃い瘴気だ。
「あはは! あははは!」
 薄く光る宝珠を抱え、楽しくて堪らないといった貴彦の哄笑が迸る。
「天、祥‥‥さんを」
 意識のない天祥を瘴気から遠ざけようと抱え直した久那彦はぎょっとして動きを止めた。
 立ち上る土煙の中から現れた巨大な金色の瞳が久那彦を捉えていたのだった‥‥。

●空覆う〜最奥へ続く道
 大薙刀の刃が閃いて、アヤカシを斬り伏せる。
 一掃したはずのアヤカシ達がまたも湧いて出て、戦いの場を外に移した途端に、この地震である。このままでは、遺跡が崩壊するかもしれない。
 円真は舌打ちし、傍らでアヤカシを打ち据えていた獅緒を振り返った。
「遺跡が崩れる危険がある。お前は、まだ中に残る者達に、この事を伝えるのだ」
「円真様、でも!」
 円真の顔色は驚く程悪い。
 彼は、戦いの最中は精霊力で病魔を抑え付けていると聞いた。それでも、精霊力も体力も無尽蔵ではなく、精神力で補うにも限界があろう。
「いいから行くのだ!」
 強い言葉に押され、獅緒はひとつ頷いて走り出す。
 その時、一際強い揺れが襲って来た。
 旋棍を支えに何とか踏み堪えた獅緒は、思わず息を呑んだ。
 周囲の景色が、ずれている。
「な、何なんですかぁ‥‥これ‥‥」
 震動と共に、ズレは段々と大きくなっていく。そのズレが、仲間達が作った遺跡の地図の形と合致する事に気付いた時、獅緒は戦慄した。
「これって、もしかして遺跡が動いているってことですか?」 
 ただの地震ではないのかもしれない。
 背筋を走った冷たいものを首を振って払い、皆が残る隠し部屋へと駆け込もうとした獅緒は、悲鳴をあげかけて口元を押さえた。
 金色の目がぎょろりと獅緒を睨み付け、そして悠々と空へと舞い上がって行く。
 その姿は、巨大な羽根の生えた蛇のようだ。
 それだけではなかった。
 見れば、各所からアヤカシが空に向かっている。まるで、空を覆い尽くすかのように。
 言葉を失った獅緒の耳に、楽しそうに笑う子供の声が聞こえたような気がした。
(担当:桜紫苑)

(編集:姫野里美)