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■オープニング本文 ●修復〜延石寺 本堂一杯の紙、紙、紙―― 日焼けに虫食い、破れに色褪せ、古い匂いが染み付いた紙が所狭しと広げられている。 静波を連れて訪れた水稲院は武僧達に一礼すると、ここに広げられた文書類は旧院に関する古書籍類なのだと説明した。 「各寺に協力を要請し、当時記されたとおぼしき文書類を集めたのですが‥‥」 ほんの少し眉根を寄せて「ご覧の通りです」と苦笑する。 集められた古文書類は決して保存状態が良いとは言えないもので、更に広げてしまった事で収集が付かなくなってしまったのだと言う。 「皆で、旧院に関わると思われる頁を拾い集めてくださいませんか?」 たとえば――と、水稲院は屈みこむと近くにあった一枚を手に取った。 『山の頂に八咫烏降り立ちて曰く――石持て精霊の加護を受けよ』 「これは旧院建立に関するくだりですね。何やら含みがありそうですが‥‥皆様は如何読み解きますか?」 ほほ、と微笑んで、現代の自分達は古文書に記された言葉の意図を推察するしかないのですと言った。考えが偏らないよう、大勢で協議するのが良かろうと。 続いて水稲院は傍らの見習い僧を紹介した。 「これは静波、皆で集めた文言と解釈を書き起こします」 武僧達が視線を向けた先に居た少女は聞いていなかったらしく、明らかに不服そうな顔をしていたが、慌てて笑顔を向けてきた。どうも僧らしくない気侭な娘のようだ。 では始めましょうと水稲院は小さくもはっきりした声音で宣言した。 「不動寺旧院に関する文献、新たに拾い起こすのです」 ●回収〜関山寺 同時期、陽が中天を渡る頃―― 水稲院の協力要請に唯一応じなかった関山寺の門前では、文書を受け取りに来た武僧達と住持との間で不穏な空気が流れ始めていた。 「なんじゃ、水稲院殿の使いと言うから会うてみれば、俄か坊主共か」 不機嫌を隠そうともしない住持の言葉にむっとしたものの、武僧達はぐっと堪えた。職務を全うすべく関山寺保持の文書貸し出しを求める。 しかし、住持は腕組みしたまま彼らを凝視して言った。 「天輪王が、我らの力をギルドへ提供したのは知っておる。此度の件で雲輪円真や水稲院が協力しておる事もな」 しかし、と住持は武僧達に挑むような視線を向けて言い放った。 「儂はまだ御主らを認めてはおらんぞ」 天輪王の決定である。最終的に従うしかないのは住持にも解っているし逆らう気はないが、かと言って素直に貸与するのも業腹だ。長きに渡り切磋琢磨し昇華させてきた天輪宗の秘術を易々と開拓者へ開放した事が如何にも面白くない。 「では、どうすればお貸し願えようか」 礼を尽くして教えを請うた武僧達へ、住持は懐から巻物を取り出し、にやりと笑って言った。 「文書は此処にある。今から明け方までの間、儂が持ち歩くのを奪ってみせい」 そうして再び巻物を懐に収めた住持は、武僧達から背を向けて悠々と寺へ向かって歩き始めた。 (担当MS 周利 芽乃香) ●遺跡 「ここに遺された想い、少しでも拾い集めて差し上げたい」 苔むした柱を愛しむように撫でる。ごつごつとした石の手触りに混じる人為的な凹凸は紋様だろうか。それとも、壁画の類か。 魔の森の焼け跡から見つかった建造物は、数多の問題を吹き飛ばしてなお余りある興奮を東房にもたらした。 早速、古い記録が紐解かれ、現地調査の為に学僧が派遣される事になり、今に至る。 「さて、陽が暮れる前に書き写してしまいましょうか」 ほとんどの学僧は身を守る術を持たない。昼間のうちに作業を終わらせて‥‥と思った時だった。 「ぎゃっ!」 引き攣れた叫びに振り返り、息を呑む。 木々の合間から此方を見据える目、目、目。 いつ囲まれたというのだろうか。先ほどまでは気配すらなかったというのに。 「て、天祥様!」 だが、そんな事を考えている場合ではなかった。 「皆さん! 石室の中へ!」 土に埋もれた小さな石室。ここならば、仲間が駆けつけるまでの時間稼ぎが出来るだろう。 「怪我をした人を奥へ。応援が来るまで、持ちこたえて下さい」 震えそうになる声を振り絞ると、彼は妖しの影が差す入口を見据えた。 ●異変 飛び込んで来た光景に言葉を失った。 倒れた木。 抉れた地面。 無数に転がる石像。 「無駄な抵抗を」 視線を巡らせた彼らの目の前、黒と白が躍った。 土煙の中から身を起こしたのは、一体の石像だ。生きているかの如く四肢を震わせながら立ち上がる石像を踏みにじった足。人の形をしてはいたが、それは異形だった。 「この程度の力で守護とは片腹痛い」 藻掻く石像に、異形は手を伸ばす。 「屈せよ」 鋭い爪が石像の目を抉り取った。微かに光を放つそれを手に朽ちた柱へと歩み寄る。 軽く柱を撫で擦ると、異形は石像から取り出した目を柱に嵌め込んだ。 途端、足元から震動が湧き起こった。 周囲に転がっていた石像が攻撃の意思を露わに動き出す。 何が起こったかは不明だ。 けれど、異常事態である事は確か。 早急に報告をせねばならない。 彼らはじりと後退りながら、退路を探した。 ●報告 その報告を受けて、雲輪円真は嘆息した。 吐き出した息が熱い。だが、休んでいる暇は無さそうだ。 「武僧を集めよ。調査隊の救出と、異変の調査にあたらせるのだ」 喉に絡む嫌な咳を払い、大薙刀を手に立ち上がる。 「不動寺旧院に関する文書を早急に解読せよ。情報は随時知らせてくれ。俺も、現地に向かう」 時はまだ、彼が止まる事を許してはくれないようだった。 (担当MS 桜紫苑) |
■参加者一覧 / 藜(ib9749) / 弥十花緑(ib9750) / 菊池 貴(ib9751) / 経(ib9752) / 御火月(ib9753) / 黒曜 焔(ib9754) / 星芒(ib9755) / マユリ(ib9756) / 芽(ib9757) / 鶴喰 章(ib9758) / 憧瑚(ib9759) / 葛切 サクラ(ib9760) / 狭間 揺籠(ib9762) / 八甲田・獅緒(ib9764) / 紫乃宮・夕璃(ib9765) / 御神楽 霧月(ib9766) / 祖父江 葛籠(ib9769) / 紅 響(ib9770) / 雫紅(ib9775) / 姫百合(ib9776) / 葬衣(ib9777) / 八塚 小萩(ib9778) / 大江 伊吹(ib9779) / 黒鋼 真央(ib9780) / 磐崎祐介(ib9781) / 鴉乃宮 千理(ib9782) / 永久(ib9783) / ジョハル(ib9784) / 北森坊 十結(ib9787) / 椎名 真雪(ib9788) / 藤井 宗雲(ib9789) / フランツィスカ(ib9790) / 明日香 璃紅(ib9791) / 二香(ib9792) / 李 元西(ib9793) / 戸隠 菫(ib9794) / 風洞 月花(ib9796) / 黒澤 莉桜(ib9797) / 幻夢桜 獅門(ib9798) / 久那彦(ib9799) / 天青院 愛生(ib9800) / 二式丸(ib9801) / 白木 明紗(ib9802) / 雲雀丘 瑠璃(ib9809) / 至苑(ib9811) / 獅子ヶ谷 仁(ib9818) / 明神 花梨(ib9820) / ジェイク・L・ミラー(ib9822) / アリエル・プレスコット(ib9825) |
■リプレイ本文 ●新たなる伝承〜延石寺 虫干しするにも程があるだろうという惨状だった。 「この紙の量。目が回り、そう」 流れの武僧を師として修行して来た二式丸(ib9801)にとって、延石寺は初めて訪れる場所だ。おまけに今日は師匠もいないし――少し場違いじゃないかと心配になるけれど、此処を訪れる者は少なくないらしい。 「長く山に籠もって鍛錬ばかりしていましたので、このような場所には馴染みないのですが‥‥」 どこか寂しさを漂わせる物腰は、その生まれ育ちに拠るものが大きい。久しく寺院の類には近付かず山を修行の場として来た狭間 揺籠(ib9762)は、手伝える事もあるだろうと聡明さを宿す瞳を伏せて言った。 海の釣針、砂漠の小石を探し出せというのに同じ状況ではあったが、十名の開拓者達は怯みはしなかった。 「‥‥よし、地道に探しましょ!」 床や書棚を見渡して二香(ib9792)が言った。さっぱりとした気性の娘のようで、紫乃宮・夕璃(ib9765)は思わず笑みを零す。 「ええ。文献は多いようですが頑張りましょう」 まずは項目ごとに整理していきませんかと提案した夕璃の言葉に皆の異論はない。皆、思い思いに手近な所から文書の切れ端を手に取って収集し始めた。 「ふむ、古ぼけた本だらけじゃのぅ」 赤い頭襟の八塚 小萩(ib9778)が下の棚を覗いている。幼くとも武僧、には違いないのだが、いかんせん背の高さが大人達よりかなり足りない。 下の棚には絵草紙の類が多く仕舞われていた。惹かれるように手を伸ばしたのは大きめの本、親が子に読み聞かせる説話形式の絵物語のように見える。どれどれと本を開くと悪鬼の形相をした僧達が描かれていた。 「ほほう、これは破戒僧を後の世の戒めとする為に遺したものかの。アリエル、汝は何か見つけたかの?」 「‥‥あ。うん‥‥♪」 呼ばれたのに気付いてアリエル・プレスコット(ib9825)が小萩を振り返った。小萩と年の頃変わらぬアリエルはアル=カマルの生まれだ。大人と同等に振舞おうとする強気な小萩は天儀で出逢った初めての友達であり心の支えでもある。 「これ‥‥」 差し出した絵草紙には武僧とケモノの姿が描かれている。現在では考えられない構図に疑問を感じて、アリエルは絵草紙へ手を翳した。 「何か見えたかの?」 ぼうっと輝いたアリエルの手元と絵草紙に興味を惹かれ、小萩が問うた。絵草紙に宿る精霊へアリエルが書物の記憶を尋ねているのに気付いたからだ。 絵草紙の中で、武僧とケモノ達は対等に会話をしていた。互いに敵対する事もなく調和した風景。 「‥‥これ、ケモノさん達が説法を聞いている所‥‥?」 アリエルが感じたのはケモノに説法する武僧の姿であった。絵草紙の中で彼らは対等に描写されていた。 もしケモノと心を通わせ合えた時代があったとしたら、どんなにか素敵だろう。想像羽ばたかせ微笑むアリエルに、小萩は此方も見てくれんかのと絵物語を手渡した。 「ええと、こちらは‥‥」 書物の記憶を辿り、アリエルは切なげな表情になった。何だか涙ぐんでいるようにも見えて小萩は大慌てだ。 「済まなんだ、世に遺す戒めの物語とは思うておったが、そんなに辛い話じゃったか」 わたわた自分を慰める小萩に、アリエルは「哀しい、お話です」と言って、絵草紙に言葉を補足した。 それに拠ると、使役する精霊に懸想した破戒僧の末路を記したものだと言う。精霊は美しい少女の姿をした炎の精霊、僧は日々懊悩し似姿を描き木像を作り、それでも充たされず最期は精霊を抱擁して果てたのだと言う。 「このような事もあるのじゃな‥‥我は幼子ゆえ、よく解らぬが」 書物に残る知識を聞いて、小萩はそう言ったものだった。 幼馴染に恐縮する黒鋼 真央(ib9780)と、部外者な気がしてそわそわしている幼馴染の椎名 真雪(ib9788)。 「ごめんね真雪。これ何て読むの?」 (これは‥‥私が読んでしまっても、いいのかな‥‥?) 真央が持っていたのはあからさまに胡散臭い本だった。正直古文書かどうかも疑わしいくらいなのだが、真雪は素直に読んであげた。 「『倶雷舵‥‥ぐ・らいだ。不動寺旧院の武僧の名。彼は精霊力を自在に操り、空を滑空するように駆け抜けたと言われる。滑空艇グライダーの由来ともなった人物』」 一応読んだ。読んだけどやっぱり胡散臭い。どう見ても法螺話だ。 なのに―― 「そ、そうだったのか‥‥」 嗚呼やっぱり。真央は信じてしまった。こうなるのは幼馴染だけに予想できていたのだが、結局請われるままに読んでしまった。 間違った知識を一旦小休止で消し去ってしまおう。真雪は食いしん坊の幼馴染を誘導する術も知っていた。 「‥‥そ、それは、違うと思うよ? そ、それじゃおやつにしようか♪」 「やったー 真雪大好きっ!」 虎耳と尻尾をぴこぴこ揺らして他愛なく休憩に入る真央達を微笑ましく見遣り、二香は薬草関連の書物が収められている書棚を探した。 「この辺りは旧院自体についての記述は少なそうですが‥‥」 手当たり次第地道に探すつもりでいたから多少の遠回りは気にしない。急がば回れと言うではないか、別に個人的興味のある棚だったとかいう事は――あるが。 「さぁて、素敵な情報はあるかしら‥‥‥‥あ」 見つけた。旧院に関する記述だ。 二香は大事そうに本を抱えると、文書の編集と書き写し作業をしている者たちの許へ持って行った。 皆が拾い上げた文献を静波がせっせと書き写している。その周りでは芽(ib9757)達が文献の整理と読み上げを行っていた。 「水稲院様、これはかなり保存状態が悪いのですが‥‥お読みになれますか?」 虫食いの酷い一片を芽から受け取った水稲院は、少し黙読した後要約を説明した。それによると、精霊と語り加護を得る為に必要な事柄が記されていたもののようだ。 「随分進んでいるようですね」 黙々と文献に目を通し、手帳に書き付けたり紙片を栞代わりに挟み込んだりしていた二式丸は水稲院に声を掛けられて僅かに目を見開いた。八咫烏に関する記述を見つけたと手帳を開き要点を見せた。 「八咫烏、大きな烏。太陽を背負い、その足は三本‥‥」 「例えば‥‥御山に太陽が一番近づく時、日の入りか日の出かに山頂にて意思を持って精霊に祈れ‥‥という事ではないでしょうか?」 「宗教説話は教訓や寓意的な意味を含んでいるといいます。八咫烏は三本の足を持つ神聖な鳥、これは三本足の空飛ぶ何かの暗喩とも考えられますが‥‥」 夕璃の推察に揺籠は思案した。元となる出来事が、伝えられる内に変化してゆくのは往々にしてあり得る事、だからこそ紐解いて元となった事実を見極めるのが今を生きる我々の役目だ。 「八咫烏‥‥」 似てはいないはずなのに、水稲院を見ていると師であった尼僧を思い出す。白木 明紗(ib9802)は赤の髪を掻き揚げて思った。 (三本脚の烏‥‥そんな変な烏はアヤカシと警戒するわね、あたしなら) 明紗はある隠れ里で生まれ育った。武僧としての師は偶然流れ着いた旅の尼僧で、師に教わった事が武僧としての全てであり里が彼女の識る世界であった。神聖とされる八咫烏も識らなければただの怪異であるが、外では揺籠の認識が妥当なものらしい。 「‥‥おや、ここに『大伽藍を守護す不動』と言う記述も」 思案しながら拾い上げた紙に墨色微かに残る記述が心に留まる。 不動――開拓者達は一様に土偶ゴーレムを連想した。 「これは‥‥天輪宗らしいのかしら?」 それっぽいものを拾い上げ水稲院へ手渡すと読み上げてくれた。 「『新しきは我らが生に倣いて建つべし 新しきに古きを見出したるもの それすなわち教えを修めたるもの なり』」 「旧院から現在の不動寺に建て替えた際の記述かしら? 新しきに古きを‥‥? 意外と旧院は近くにあるのかもしれないわね」 明紗の言葉に一同は頷いた。皆で集めた文献が存在を指し示していた。 じっとしている事は得意ではない静波が延々筆を握って皆が読み上げる情報を書き写してゆく。急いてはいけないと、時折夕璃がお茶を淹れに厨へ行き、思い思いに推察を述べ合い、一同は本堂で長い時を過ごした。 やがてぐったり疲れ果ててお役御免になった静波へ上着を掛けてやった水稲院が、文机から紙束を持ち上げた。 皆で纏めた文書だ。旧院に関する新たな伝承を、水稲院は厳かに読み上げた。 『不動寺旧院は精霊との縁が深い場所である。 精霊と交わり語らい共に遊ぶ、そうした中へ時折ケモノや天狗が姿を現す事もあったという。 旧院を守護するのは精霊を象った像で、紋様が刻まれている。同じ紋様は旧院本堂の天井にも描かれており、何らかの意味を為すものらしい。 かつて旧院には宝具が納められていたが騒乱により紛失、装着されていた宝珠のみが現不動寺へと運ばれている』 「皆お疲れ様でした。あとは関山寺の古文書、無事お借りしてくると信じて、わたくしたちは休みましょう」 宝珠の所在確認に不動寺へと使いを出し、水稲院は開拓者達に作業の終了を告げた。 ●思いの丈〜関山寺 言いたい放題言うだけ言って、住持はさっさと去ってゆく。 (こちらの住職もオカタイ系の人だったみたいです‥‥) 「やはりと申しますか、すんなりとはいきませんね」 呆気に取られて住持を見送る葛切 サクラ(ib9760)へ、やれやれと黒澤 莉桜(ib9797)は肩をすくめて微笑いかけた。成熟した身体に見合わぬ幼さが残る小柄なサクラを覗き込み「このままではいけませんよね」大真面目に言った。 「しかし子供のお使いではありません。しっかり巻物をお借りしなくては」 行きますよ、と年少武僧の背に触れた。姉に想いを馳せていたサクラは一瞬びくりとして莉桜を見上げる。互いに頷くと、住持の後を追い始めた。 「追いかけっこかぁ、楽しそうやん♪ ‥‥説法ちゅうんやっけ?」 身体を駆使して捉まえる。しかしここは東房、天儀天輪宗のお膝元だ。明神 花梨(ib9820)は、この課題が心の追いかけっこでもあると感じていた。 「ま、住持さんに追いつかな、説法にも持ち込めんな‥‥さ、始めよか」 やりたい事、為すべき事。言いたい事を伝える為に追いつかんと駆け出す花梨。 一方、門前から離れてゆく住持の背に言葉を投げかけるは風洞 月花(ib9796)。 「‥‥どうせ俄か坊主でぇ」 確かに俄かだろう、だからと言って幼くして得度し修行を積んだ寺の僧達に劣るに同じだとは月花も皆も思いはしない。 月花は背よりも長い六尺の棍を、ぶん、と振った。武僧達にとって主たる武具である棍、中でも六尺棍は扱いやすい武器である。手に馴染むそれで地をとんと突き、月花は住持の背を見据えた。 「お師様が教えてくれたのも、礼儀よりまず信仰の在り方、それから技術だったしな」 彼女の師は、特定の寺に留まらず天儀全体を修行の場とする荒法師であった。月花は、旅路にあった法師に拾われた娘だ。 大切なのは信仰の在り方、僧としての使命。結構な生臭坊主だったし高尚な問答なんぞ交わした覚えもないが、師の生き様は彼女の信仰の礎であり間違いなく天儀天輪宗の在り方であった。 「だからよ、挑ませて貰うぜ、爺さん!」 気魄漲らせて月花が住持の後を追うのを目視し、サクラは素早く挟撃できる位置を割り出して動いた。 「ご住職、とりあえず全力でぶつからせていただきます!」 しかし――二人の得物は宙を切った。 前を行く住持の足取りは普通に歩いているだけのように見える。しかし手加減なしの全力攻撃は寸での所でかわされ、二人の棍が打ち合った清浄な音が寺内に響いた。 「‥‥そうでなくっちゃな」 悠々と前を行く余裕の背を見据え、月花は不敵に笑んだ。高位の武僧と手合わせできる機会は亡き師以来だ、胸が高鳴る。 「さすが簡単には追いつかせて貰えませんか」 「武僧としても一流のお方、如何に歩いておられようとも容易く追いつけるものではありませんね‥‥」 莉桜に頷いて、天青院 愛生(ib9800)は両足に精霊力を集め宿した。寺内でどれほどの効果が見込めるかはともかく出来る手は打っておきたい、天狗駆使用で事に臨む。 「‥‥これも修行」 短い言葉に決意を込めて住持の背を目指す。 今はまだ背に付いていくのに精一杯、しかし必ず追いついてみせる。 時の過ぎるは長いようで短い。 五人は持てる力を尽くして関山寺を預かる頑固爺を追い続け、七つの鐘が鳴った辺りで一同は小休止を取った。 境内の片隅で怪我人の手当てをしたり手弁当の夕飯で一息入れていると、住持がこちらへやって来る。いまだに余裕綽々な住持の様子は業腹だが、薮蚊が多いから本堂へ上がれの申し出は正直有難い。 「さすがに皆、諦めんのう」 本堂へ上げ弟子に茶を出させた住持は、己へ向けられる闘志漲る様子に苦笑した。まだまだこれからですと食後の茶を喫していたサクラが言うと、皆一様に頷く。莉桜が住持の瞳を真っ直ぐ見据えて言った。 「子供のお使いならば泣いて帰りもいたしましょうが、それではお役は務まりません」 試すというのなら試して欲しいと莉桜は続けた。己の武僧としての在り方は決して逸れてはいないと信じているから。 「昨今頻発する大規模な戦で私達開拓者と呼ばれる者達がしてきた事は、武僧としての在り方にも通じるものがあると信じています」 「ほう」 この儂に問答するかと住持は興味深げに莉桜を見た。サクラが莉桜の言葉に重ねて問うた。 「ココ最近の大アヤカシの動向、それに対するギルドの対応は住職さんもご存知と思いますが、戦果も含めて如何お考えでしょうか」 住持は黙って聞いている。 百にひとつと言われる志体持ちの出生率、その特殊身体機能持ちが各地より集った組織が開拓者ギルドだ。志体の有無が修行の成果に如何あらわれるかは志体を持つ住持自身が一番よく知っていた。 「特異な身体能力を生かした諸活動、実績に裏づけされ開示された氏族の技術や奥義‥‥天儀天輪宗の秘儀だけが開示されてはならない理由を如何お考えですか」 畳み掛けるサクラの言葉を莉桜が引き取り続けた。 「武僧の在り方は、その力を現世で役立てる事‥‥決して私利私欲や自己満足の為のものではありません」 「こちとら開拓者だがよ、それでもお師様や天輪宗の教えを信じてっからこそ武僧やってんだ」 月花の言葉は荒っぽいが師匠の人柄を思わせる人間味に溢れている。彼女を否定する事は彼女を育てた亡師をも否定するに等しいだろう。 他の武僧達のような高尚な目的はないんやけど、と花梨は自身が武僧を目指した切っ掛けを語った。 「うちな、たくさんの精霊に会いとうて武僧になったんや。他の武僧さんらはアヤカシ退治するとか守りたいもんがあるとか言うけど、うちが守りたいんは、精霊に会いたいちゅう自分の夢や」 精霊の力を己の身体に宿すことで能力発現を図るのが天儀天輪宗の基本の形である。精霊と人を同列に捉え、互いが歩みよるものと解釈するのが天儀天輪宗の教えだ。 「和尚さんの守りたいんは何や?」 「精霊と共にあろうと歩み寄ったように、人と人もまた、その足で歩み寄るべく一歩を踏み出す時なのです」 花梨、そして莉桜が訴える。真剣な思いは声に出す出さないに関わらず、皆それぞれが胸に抱えていた。 愛生は思う。天輪宗の教えは己の力を現世に役立てる事だと。志体を持つ者が現世に己が力を役立てるというのであれば、天輪宗の教えを伝えるべきではないかと。 だが愛生は休憩の間その考えを胸にしまっておいた。元々丁々発止の問答は得意な方ではない――だから。 (住持様に追いついた時に、その時こそ伝えましょう) 「さて、休憩はもう良かろう。皆、良い目をしておる。その勢いでかかって来い」 小坊主に茶の盆を下げさせて住持が休戦の終了を告げた。言われなくとも皆そのつもりだ。 「爺さん、あの人の道を継ぐためにも、その先の道を拓くためにも、そいつは貰うぜ!」 「やりとうて請けたお使いや。なりとうてなった武僧に後悔はしとらんで」 「朝まで全力で向かいます」 「私の信義を貫き通す為。お相手願います」 住持は小気味良いとばかりに呵々と笑って歩き始めた。 一時の休戦の後、再び彼女らは追う者と追われる者になった。寺内に焚かれた篝火を唯一の灯りにして開拓者達は住持を追い続け、住持は祈祷や禊など日常の勤めも果たしつつ彼女らの相手をし続けた。 「諦めねえぜ、最後の瞬間までよ!」 「元より差は歴然。ならば一瞬の隙でも作ればあるいは‥‥」 「就寝の時はさすがに‥‥行きますよ月花さん、莉桜さん!」 三人揃って寝込みを襲うも住持にはお見通しでかわされてしまった。厠へ向かった住持をそのまま追いかけ、覗く訳にもいかないから花梨は壁越しに訴えた。 「和尚さんが守りたいんは巻物や天輪宗の秘術ちゃうやろ? ほんまに守りたいんは何や?」 「御主は自分の為に守りたいと言うたな。儂もじゃ、儂も自分の為に技を秘匿したいのやもしれんな」 出て来た住持は手水を使い、話を混ぜっ返して去ってゆく。ここまでで未だ主張をしていない愛生が更に追った。 (追いついたなら、追いついた時こそ‥‥) まだ何も伝えていない。この足で追いついた時にこそ申し上げる。 住持は鐘楼へ向かって歩いていた。夏の日は早い――薄明に開拓者達は時の終わりが近付いているのを悟った。 まだ諦めない、最後まで全力で。 サクラと月花が呼吸を併せて襲い掛かったのを気合でかわし、住持は彼女らに向き直った。 「御主の話をまだ聞いておらなんだな」 「追いついた時にこそ申し上げんと心に決めておりましたゆえ」 愛生の応えに「では聞こう」住持は彼女の言葉を待った。 ありがとうございますと愛生は静かに合掌し、暫くの間を持って口を開いた。 「何故私が武僧でありながら開拓者としてあらんとするかを、申し上げます」 「ほう」 不動寺で生を受けた愛生は東房の衰退を見て育って来た。アヤカシが跋扈し魔の森に侵食される故郷、それを抑える武僧達。いつしか愛生は故郷を守るべく武僧への道を歩んでいた。 「ただ秘術を開拓者に伝えるのみでは、我ら武僧が開拓者ギルドへの強力をした意味がございません。本当に伝えるべきは天輪宗の教えなのではありませんか」 なればこそ、愛生は東房を離れ神楽に身を置く開拓者に転じたのだと言った。 「アヤカシに苦しむは東房の民のみではありません。国の隔たりなく皆が力を合わせる事で天儀がひいては私達の母国・東房が救われる道と存じます。お願いでございます。お力をお貸しくださいませ」 額ずき拝礼する愛生の言葉を住持は黙って聞いていた。愛生は言葉が多い性ではない。その彼女が心の内を全身で語り全霊で懇願していた。 言うべき事は全て申し上げた――低頭したままの愛生は、前方の気配が動いたのに気付いた。畏まったままでいると、住持の厳かな声が降って来た。 「よかろう」 顔を上げた愛生の前に差し出されたのは一巻の巻物――関山寺に保管されていた古文書であった。 預けよう、と住持はすっきりした面持ちで言った。 「武僧の名に恥じぬよう、国の隔たりなく、この世界を修行の場とし、天儀天輪宗の教えを修めてみせよ。我らが同輩よ」 (担当 周利芽乃香) ●残された想い そっと土を払うと、僅かに石の肌が覗いた。 丁寧に丁寧に周囲の土を取り除けば、やがて、人の手によると思しき彫り跡が現れる。 息を詰めて覗きこんでいた雫紅(ib9775)に、李元西(ib9793)は頷いてみせた。 「うん。やっぱりこれも遺跡の一部で間違いないみたい」 努めて冷静に言葉を紡いではいるが、元西の虎の耳は落ち着きなく動き、彼の隠し切れぬ興奮を雫紅達に教えてくれる。齢二十を超えた男に、微笑ましいなんて言ってはいけないのだろうが、それでも思ってしまうのだ。 可愛いと。 「そ、そう。では、記しておかねばなりませんね。‥‥全部は無理ですが」 ふると首を振って、何事もなかったかのように、雫紅は紙に筆を走らせていく。その様子を眺めていた姫百合(ib9776)は首を傾げ、しばし考え込んだ後に口を開いた。 「雫紅様のお耳も、大層可愛らしいと思います」 「い、今は耳とか関係ないでしょう」 「動揺してる」 「動揺してるな」 くく、と笑った紅響(ib9770)と菊池貴(ib9751)に、雫紅は頬を染めながらもそっぽを向く。 どうやら、心の中の呟きはだだ漏れだったようだ。 「戯言に付き合っている暇はありません」 冷たく言い放った雫紅に、姫百合は不安げな表情を浮かべて貴を見上げた。 「あの、わたくし、何か失礼な事を申してしまいましたか?」 「ん? ああ、気にしなさんな。‥‥けど、男が相手の時は、顔でも力でも、手放しで誉めるんじゃあないよ」 瞬きを繰り返す姫百合に、貴はやれやれと肩を竦める。一度は嫁いだと聞いているが、どうやら全く世間ずれしていないらしい。 「ま、ここにいる間はあたしらが」 言い掛けた貴の言葉を遮ったのは、元西の上擦った声だった。 「見て下さい! ここに文字が彫られています! 一体、何が書かれてあるんでしょうね」 「どれどれ?」 元西の傍らに立った響は、現れた文字を読み取ろうと目を眇めた。広く苔に覆われているが、それでも凹凸がある事は分かる。 「我、視‥‥古い文字だね。読むのに時間が掛っちまうよ」 「では、わたくしが書き写しておきます」 真剣に彫り跡を書き写し始めた姫百合を手伝いながら、響は辺りを見回した。今、調べている柱と同じものが、ごろごろと転がっている。 「結局、この遺跡ってのはなんなんだろうね」 「さあね。でも、ちょっと楽しくないかい? 宝探しみたいでさ」 軽く地面を蹴った跡、爪先で土を掘る。現れたのは石の肌。人の手で磨かれたものらしいそれに、貴は口元に満足そうな笑みを浮かべた。 「そうですね。‥‥円真様の御病気を治す方法とか、見つからないかなー」 慎重に苔を取り除いて行く元西が、ぽつり呟いた。遺跡群の入り口に設けられた駐屯地で各所からの報告を受け、指示を出している円真が体を壊している事を知る者は多い。 治癒の手段が分からぬ病という噂もある。 失われた知識の中に、何か手掛かりがあればと考えてしまうのは愚かな事だろうか。 「‥‥見つかりゃいい「あ、あちらにも! あちらにも何かありますよ、皆さん!」 貴は額を押さえた。 悪い事じゃない。悪い事じゃないんだが‥‥。 「あー、もう! 暴れるんじゃないよ! 遺跡が壊れたら、あたしゃグーで殴るよ!」 「‥‥‥‥‥‥お疲れサン」 ひどく同情された気がする。 握った拳を震わせて、貴は声の主を振り返った。 団体行動は好きではないと、1人、周辺調査に出たジェイク・L・ミラー(ib9822)だ。 「なんだい、何か面白いものでも見つけて来たんだろうね?」 「面白いモンかどうか分からねぇけどな」 がさと紙を開く。 簡単な地形と、点々と連なる印。それが、ここと同じような遺跡を示している事は想像に難くない。それらの点をぐるり指で繋いでみせて、ジェイクは肩を竦めた。 「ま、一言に言やデカい。寺というより、街だな」 ところどころ、気になる所があるというジェイクの話を聞きながら、貴は眉間に皺を寄せた。元西ではないが、この巨大な遺跡に何が眠っていてもおかしくはない。 そんな気分になる。 「‥‥異形が現れたってのは、どこだい?」 「ん? ああ、丁度真ん中辺りだな」 そこには石像群。 「調査隊が調べてた場所は?」 「ここの、反対側だ」 調査隊は、確か、石室に逃げ込んだという話だ。 街のように巨大な遺跡群を、先遣隊から引き継いだ情報――アヤカシが出没する地点、瘴気が発生した場所――が残された地点が重なるのはどういう事だろうか。 「アヤカシ共が遺跡に攻め寄せているって感じだよな」 ジェイクの言葉に、貴は考え込んだ。 アヤカシと言っても、ピンからキリまでいる。大抵は、知性はなく、本能のままに生物を食らう。ここに来るまでに遭遇したアヤカシも、そんな連中ばかりだった。 そのアヤカシ達が、集団行動とも取れる動きをしているのは何故だろう。 それまで黙って筆を走らせていた雫紅が、不意に呟いた。 「‥‥もしも、アヤカシ達が何らかの意図をもって、この遺跡を狙っているのであれば、それを阻止するのみです。アヤカシの事情など、私達には関係ありません。かつてこの地を追われた人々の想いが残された遺跡は、アヤカシではなく、我々が受け継ぐべきものです」 そっと手を伸ばし、苔に覆われた柱を愛しそうに撫でる雫紅に、貴とジェイクも深く同意を示したのだった。 ●守りの壁 遺跡の調査を行っていた学僧達に危険が及んでいる。 その報を受け、即日、森に向かって出立した救出班は、群れをなすアヤカシ達にその行く手を阻まれていた。 「はわわ‥‥!? 怖いアヤカシさんがいっぱいですぅ!?」 思わず声をあげた八甲田獅緒(ib9764)が、慌てて口を押さえる。 睨み合い、牽制し合った状態の今は、何が戦闘の発端となるか分からない。こうしている間にも調査隊は苦しんでいるのだから。 「この近辺にこれほど多くのアヤカシがいるなんて、先遣隊の報告にはありませんでしたが」 眉を寄せた至苑(ib9811)に、注意深く周囲を探っていた藜(ib9749)が頷く。 戦えない学僧達の安全を確保する為に、予め周辺の確認されていたはずだ。だが、今は疑問を解消している暇はない。頭に叩き込んだ情報を思い返しながら藜は仲間達を振り返った。 「ここを抜ければ、調査隊が調べていた遺跡です。私達に任せて先に進んで下さい」 不動明王剣をアヤカシに向け、もう片方の手で荷を探る。掴んだ甘酒と沢庵とを雲雀丘瑠璃(ib9809)に託す。 「そうですね。では、私の分もお願いします。甘酒は疲労回復にもよいと聞きますしね」 微笑むと、経(ib9752)は一歩前に出た。 「藜さん、経さん‥‥っ」 預かった品を胸に抱くと、瑠璃はきゅっと唇を引き結んだ。 「‥‥悪いが、道をあけて貰おう!」 破邪の剣を振り上げて、藤井宗雲(ib9789)が走り出す。膠着状態を突然に破られて、アヤカシ側も浮足立った。しかし、それは一瞬のこと。すぐさま、何匹かが反撃に出、宗雲目掛けて襲い掛った。 「精霊よ、来たれ!」 具現化した精霊達がアヤカシに向かう。 先陣を切った宗雲を追うように、藜と経も群れへと斬り込む。 続いて、磐崎祐介(ib9781)が攻撃に転じたアヤカシの一撃を六尺棍「鬼砕」で受け止め、押し返す。己への傷は一切構わぬ様子で敵を切り崩して行く仲間達に、鶴喰章(ib9758)が駆け出した。 「俺達の務めは調査隊を救うこと。力無き者をアヤカシどもの手にはかけさせない!」 章に続いて、次々と崩れた囲みを抜けて行く。 彼らが全て駆け抜けた事を確かめて、経は剣に力を籠め、アヤカシを弾き返した。 「さて、それでは手早く片付けて、皆さんの後を追いましょうか」 静かな宣告と共に。 ●宝珠 一撃を躱して地面に転がった北森坊十結(ib9787)に、次なる攻撃が降る。転がった勢いを利用して、十結は降って来た石像を避けた。 「いったい、どれ程の数がいるのだ」 小さく舌打ちして体勢を立て直すと、彼は八節棍「雷同烈虎」を一閃する。 砕いた感触と同時に、重いものが落ちる音が響き、息をついたのも束の間のこと。 「な、何で動くんだよ!?」 脚部を破壊されたにも関わらず、再び攻撃を仕掛けて来た石像に、幻夢桜獅門(ib9798)が悲鳴をあげる。 倒したと思った石像が、何事もなかったかのように動き出し、更にその数が多いとなれば、音を上げたくもなる。 「石‥‥だから?」 拳程の石像を叩き落とした祖父江葛籠(ib9769)が呟いた。 長の年月、風雨と瘴気に曝されて来た石像は、輪郭が崩れて丸味を帯びていたが、元はもふらを模っていたのだろう。それはどことなく愛嬌のある風体で、だからこそ邪なものとは思えない。 「この遺跡が、昔の不動寺だとしたら‥‥もしかすると、この石像は術か何かでここを守っているの?」 葛籠の言葉に、群がる石像を払っていた久那彦(ib9799)も、あっと声をあげた。 「そうか。生き物じゃないから、足を狙っても意味がないんだ‥‥」 「という事は、こいつらを止めるには、術そのものを解呪しなくちゃならねぇってわけか」 げんなりとした表情で息を吐き出した獅子ヶ谷仁(ib9818)は、その次の瞬間、遺跡の奥で開拓者達を威嚇する一際大きな石像に向かって駆けた。 「なら、こいつを倒してみるってどうだ!?」 仁の棍をひらりとかわして、石像はすぐさま攻撃に移る。 他の石像と違って、それの動きはまるで生きているようだ。さほど風化もしていない形は、狐か狼か。 「あの石像さん、顔が抉れてるみたいやし、報告にあったコに間違いないやろ」 額の汗を拭って、弥十花緑(ib9750)は注意深く周囲を見回した。 よくよく観察すれば、狐の石像は遺跡の奥から離れない。そして、その奥には、柱があった。 「となると、目が埋め込まれとるのは、あそこやろな‥‥」 御火月(ib9753)と目配せを交わして、花緑は彼らを庇うように前に出た。途端、襲い掛って来る石像を一喝で留める。がしかし、精神をもたぬと思しき石像にその効果はあったのか無かったのか。 「わ、わわわ!?」 わらわらと降って来る大小、とりどりの石像達。攻撃ではないが、これでは‥‥。 「埋まる! 石像に埋もれる!」 コツコツと頭やら肩に当たっては周囲に積って行く石像を掻き分けていた獅門は、途中で力尽きたのか、ぱたりと手を落とした。 「うーんうーん」 苦悶の表情を浮かべて唸る獅門に、十結はごくりと唾を飲んだ。 「こ、これは‥‥」 冷や汗が滴って、こめかみを伝って落ちる。 「夢見そうだ」 狐石像を相手にしていた仁も、口元を引き攣らせながら石像に埋もれるという異様な状況に陥った獅門を生温かく見守った。石像達に気に入られたのか、それとも単なる嫌がらせか。無数の石像に懐かれた(?)獅門には同情を禁じ得ない。 「獅門さん、あんたの事は絶対に忘れんよ‥‥!」 「ちょっ、待って‥‥ッ!」 涙を振り払う素振りを見せて、ぐっと親指を立てた花緑に、獅門の絶叫が響き渡った。 「きっかけ作ったの、花緑だろーーーーッ!?」 ここで思い出してみよう。 石像の攻撃は体当たりが多かったが、明確な攻撃の意思はあった。 仁が狐石像に攻撃を仕掛けた時も、彼らの攻撃に変化はなかった。 そして、狐石像にあたりをつけた花緑が一喝を用いた直後、事態は変化したのだ。 「人聞きの悪い事を」 やれやれと息をついた花緑に、十結が肩を竦めてみせる。 「まあ、いいんじゃないか? 結果的に足止めにはなったし。‥‥尊い犠牲だった」 「って、そこ! 勝手に結論を出‥‥そっちも無視して話進めるなーッ!」 ふと見れば、仁が狐石像を牽制している間に、葛籠達が目的の柱へと辿り着き、何事もなかったかのように辺りを調べていた。 「どんまいです‥‥」 慰めの言葉を掛けた久那彦も、意識は既に柱に移っているらしい。 「あの柱、上の方にも何か彫られています」 久那彦が指差した先を見遣りながら、仁は棍に食らいついた狐を蹴り飛ばす。 「なんでもいいが、さっさと術とやらを解呪してくれ! さすがにうっとおしくなって来た」 頷いて、解呪をを試した葛籠は、だがしかし頭を振った。 「駄目。効かないみたいだよ」 「やはり、この目に何かあるのでしょう」 柱を調べていたマユリ(ib9756)が眉を寄せる。 先遣隊の報告によると、石像の目は異形の手によってこの柱に嵌め込まれたという。 けれど、目はまるでずっとそこに埋まっていたかのように、びくとも動かない。 「それに、この目はもしかすると‥‥」 「宝珠‥‥?」 覗き込んだ葛籠に頷くと、マユリはそっと目を撫でた。 つるりとした手触り。うっすらと光を放っているのは、見間違いというわけではなさそうだ。 「外れないなら、抉り出しますか」 御火月は、柱に手を当てた。 しっかりとした石の柱だが、壊せない程ではなさそうだ。 「待って下さい。あれを、見て」 久那彦の視線を追って、御火月は目を眇めた。真下から見上げているので、はっきりとは見えないが、何かが彫られている事ぐらいは判別出来る。 「浮き彫りがあるんです。柱と球体を持った僧、それから僧に従うように整列している動物」 己の目で確認した浮き彫りの内容を語りながら、久那彦は自分の考えも混ぜる。 「動物は、多分、この石像達じゃないかと思うんです。僧が持つ球体は多分‥‥」 「この目玉、ですね」 はいと肯定を返し、久那彦は続けた。 「裏側にも、浮き彫りがありました。僧が箱のようなものに球体を捧げているように見えます」 「箱のようなもの? どこですか?」 一歩下って柱を見上げたマユリに、久那彦も一歩後退る。傍目には、マユリに場を譲ったように見えるが‥‥と、御火月は苦笑を漏らした。さりげなく、女性陣から距離を置いているように見えたのは、彼の思い違いではなさそうだ。 「と、そんな事を言っている場合じゃないですね」 浮き彫りに意味があるのならば、球体、つまりは石像の目に嵌め込まれていた宝珠はこの遺跡の鍵である可能性が高い。これで、迂闊に破壊は出来なくなった。 「柱と石像はいいとして、あの箱は何なのかしら?」 独り言のように呟いて、星芒(ib9755)はぐるりと周囲を見た。箱のような形をしたものは無い。無いが、気になる。 柱を離れ、星芒は遺跡の奥に進んだ。 狐石像と仲間達の激しい戦いの音が響いていたが、不思議と遠く、紗の向こうの事のように現実感が失われていく。 そこは、隔絶された世界のようだった。 苔むした柱に蔓が巻き付き、その蔓が崩れた壁を覆い隠す。そして、緑に覆われた先に、四角く切り取られた闇が広がっていた。 「‥‥違う。これは」 闇の向こうから冷たい空気が流れて来る。切り口に触れて確かめれば、そこにはつい最近ついたものと思しき摩擦跡が残っている。 「最近、動いた?」 はっと、星芒は宝珠の埋まった柱を振り返った。 もしも、柱に嵌め込まれた宝珠が遺跡の仕掛けを動かしたのだとしたら? 「皆! ここに通路みたいなものが!」 荷の中から松明と白墨を取り出して、星芒は深呼吸した。こちらに駆けて来る仲間の気配を感じて、小さく頷く。 「行こう。何が起きるか分からないけど、遺跡をアヤカシの好きになんてさせない!」 ●救助の手 十重二十重に囲んだアヤカシを蹴散らして、調査隊が籠る石室に突入した彼らが見たものは、思っていた以上の惨状であった。 濃く澱んだ空気。すえた匂いが鼻をつく。 入口近くにいた僧が力尽きたようによろめくのを受け止めて、黒曜焔(ib9754)は素早く状況を確認した。 人数にして十数人。 奥に寝かされているのは、怪我人だろうか。 動ける者達も、どこかしらに傷を負っているようだ。皆、一様に疲れた顔をしている。アヤカシに襲われ、水も食料もない状態で生命の危機にさらされていたのだから、無理もない。 線の細い印象の僧だ。 その僧衣はところどころ破け、血が滲んでいる。 「水を」 取り出した岩清水を、僧はやんわりとそれを拒絶した。 「私は大丈夫です。他の方々にお渡し下さい」 「皆の分もちゃんとあります。遠慮などする必要は」 それでも、僧は首を縦には振らない。 「ならば、先に怪我の手当てをしましょう」 「私の怪我などは微々たるものです。どうか、他の方々を‥‥」 やれやれと焔は肩を竦めた。僧は彼から離れ、危なっかしい足取りで座りこんでいる僧の元へと歩み寄り、何やら言葉をかけ始める。その背後から、焔は岩清水を差し出す。 「その方に飲ませてあげて下さい」 「‥‥ありがとうございます」 ようやく笑みを見せた僧に、焔は苦笑するしかなかった。 「助けに来たぜっ」 焔に続いて飛び込んで来た御神楽霧月(ib9766)も、一瞬、痛みを堪えるように顔を歪めたが、すぐさま明るい表情で学僧達を励まし始めた。 「ほら、もう大丈夫だ。安心しな」 安堵の余り、糸が切れた人形のようにへたり込んだ僧の腕を取り、明日香璃紅(ib9791)は放心状態の僧達に檄を飛ばす。 「動ける奴は、怪我してる奴の手助けをしてやってくれ!」 しかし、張りつめていた精神が緩んだ僧達は、すぐには動けない様子だった。 「まァ、仕方ないだろ。こいつら、普段は机に張りついてる頭でっかちだからなぁ。ブルって玉ァ縮ませてんだろ」 あっけらかんと凄い事を言ったフランツィスカ(ib9790)に、噎せたのは石室の入口でアヤカシを防いでいたジョハル(ib9784)だ。思わず外のアヤカシに放ったファクタ・カトラスの軌跡が逸れる程に、彼は動揺を見せた。 「フランツィスカ‥‥」 「ん? 何か変な事言った? とにかく、適材適所ってやつだろ。ガリ勉は考えるのが仕事、争い事はわたしの仕事ってな」 豪快に笑ったフランツィスカに、ジョハルは諦めたように首を振り、僧達に向き直る。 「大変な目に遭ったのは知っている。俺達はあんた達を助けに来た。水も食料も用意してある。だが、俺達にはあんた達の状態をまだ把握し切れていない。そこで、だ。自分で動ける奴は手伝って欲しい」 ジョハルの呼びかけに、もそりと僧の何人かが動いた。けれど、戸惑っている者、生気のない顔でぼんやりを見返す者も多いようだ。 「疲れてるのに悪いね。まずは、重傷者と、怪我人の程度を知りたいんだけど」 璃紅が問えば、僧は掠れた声で状況を語り出す。その報告を聞きながら、璃紅は眉を寄せた。怪我人の手当ては必要だが、この環境下では余計に傷が悪化しそうだ。 「重傷者は、あそこで横になっている奴らだよ」 永久(ib9783)が頷いて奥へと向かう。 「大丈夫か? よく頑張ったじゃないか」 意識も朦朧としているのだろう。横たわる僧は反応が薄い。 手を取り、脈を確認して永久は印を結んだ。彼の周囲に満ちた精霊の力が僧に送り込まれる。 「‥‥一刻も早く、ちゃんとした手当が必要だ」 「分かってるって。でも、どうするんだ? この様子じゃ下手に動かさない方がいいと思うけど」 フランツィスカの指摘に、永久は考え込んだ。 外にはまだアヤカシがいる。仲間達の援護はあるだろうが、安全な場所まで駆け抜ける事になるだろう。出来るだけ、体への負担を少なくするには、どうすればいいのか。 「フランツィスカ、頼まれてくれるか」 「ん?」 永久の視線を辿り、フランツィスカはにっと笑うと、入口を守る戸隠菫(ib9794)へと駆け寄り、その首に腕を回した。真剣な表情で言葉を交わしている彼女らの姿に小さく微笑んで、永久は僧達に水や食料を配るジョハルを呼んだ。 「ジョハル、すまないが手を貸してくれ」 荷から取り出した毛布を広げ、ジョハルの手を借りてその上に重傷者を横たえる。 「よしよし、あと少しだからな。頑張れよ?」 こくりと頭を上下した僧の手を励ますように軽く叩くと、動き出した菫達からの合図を待つ。 彼らの傍らでは、大江伊吹(ib9779)や鴉乃宮千理(ib9782)が引き続き僧達の救護にあたっていた。 「ホラホラ、男でしょ。これぐらい我慢して」 じくじくと未だ血の乾かぬ傷に、伊吹は下げていた酒を口に含むと勢いよく吹きかける。 「痛いって事は生きてる証拠、むしろ感謝するっ」 痛がる僧の背を叩いて、伊吹はからからと笑った。 「‥‥食べるかね?」 酒を吹きかけられた傷と背中からの衝撃に悶絶する僧に、千理は煎餅を手渡した。彼が戸惑うのも構わず、消毒をされた傷に包帯を巻いていく。 彼女らの救護活動により、僧達の顔にも気力が戻って来たようだ。 「そろそろ、かな」 霧月の呟きに、璃紅も頷く。 外からは地響きのような音が伝わっていた。飛び出した菫とフランツィスカが入口近くに集まって来ていたアヤカシを牽制している。囲むアヤカシの向こうでは、宗雲達が戦っているのだろう。時折、大きな衝撃音が響く。 「菫、フランツィスカ!」 璃紅の声に、2人の動きが変わった。 アヤカシの動きが止まった一瞬を逃さず、霧月と千理が頷き合って飛び出して行く。 「悪が通るぞ。雑魚は消えな!」 千理の気迫に押されたように、アヤカシがじりと退る。そこへすかさず荒童子を纏った霧月の錫状が降る。 即席の相棒だが、息は合っている。 殲滅を目的としない攻撃は、アヤカシの囲みを徐々に割り裂いていった。そこへ、 「お待たせしました」 祐介の声が通った。囲いの外との道が開けたのだ。 棍を突き出し、アヤカシを吹き飛ばすと、祐介はふぅと息を吐き出す。 「どこから湧いてくるんですかね、これは。ともかく、お早く」 まずは重傷者を毛布に包み、運ぶ永久とジョハルが抜ける。 そして、怪我人達がその後に続き、最後の1人が無事に囲みを抜けたのを見届けて、伊吹はアヤカシ達に視線を向けた。 「さぁて、それじゃあ、こちらの皆さんにはご退場願いましょうか。美味しいお酒を、じっくり楽しめるようにねっ」 その声を合図に、千理や霧月も武具を構え直した。 ●一難去りて 涼しい風が吹き抜ける。 危機が去り、強張っていた学僧達も落ち着きを取り戻して来たようだ。助けに来た開拓者達と談笑をする余裕も出て来たらしい。 「はい、甘いものは疲れている時にいいのよ。あ! そんなに一気に食べちゃ‥‥!」 月餅を喉に詰まらせた僧に水を渡すと、菫は背を叩いた。 「もう。喉に詰まるって分かっていたでしょ」 甲斐甲斐しく世話を焼くその姿に、自然と笑みがこぼれてくる。 行きの緊迫した状態では見られなかった和やかな光景だ。 「とりあえず、円真殿のいる所まで戻るか。‥‥ん?」 水や食料を分け合い、手当を受ける僧達の様子を見守る青年に気付いて、焔は軽く手をあげた。 「あなたは、ちゃんと手当を受けられましたか」 石室の中で他の者を優先しろと頑なに焔の手を拒んだ僧だ。 はにかんだような笑みを浮かべた青年の代わりに、傍らにいた僧が早口で捲し立てた。 「まだでございます! 天祥様はずっとお1人でアヤカシと対峙しておられましたのに、何度申し上げても‥‥!」 「天祥? 天祥って、色々噂にきく「あの」天祥様か?」 僧の言葉に反応したのは、霧月だった。 「この方をご存じなのですか?」 至苑が尋ねる。 手当てやら何やらで忙しく動いていた彼女も、やっと一息つけたようだ。彼女から渡された水を手に、霧月は困ったように頭を掻く。 「ご存じ、ってほど知ってるわけじゃないんだ。ちょっと噂を聞いていて」 「‥‥ちょっと素敵な方ですよね」 こそっと耳打ちされた言葉に、霧月の顔に悪戯っぽい笑みが浮かんだ。 「瑠璃ちゃんは、あんな感じの男が好みなんだ?」 「えっ、いえ、私は一般論として!」 慌てて首を振った瑠璃に、くすくすと笑って至苑が助け舟を出す。 「瑠璃さん、こちらを天祥様に」 石清水を手渡され、瑠璃は途方に暮れた。 ただ思った事を口にしただけなのに、どうしてこうなった。 楽しげな仲間の視線に、絶対に遊ばれていると思う。しかし、ここで断る事も出来ず‥‥。 「あ、あの、どうぞ」 「ありがとうございます」 水に口をつけた天祥に、焔が思い出したように言う。 「手当てもしましょうか。‥‥包帯や薬草は残っているか」 「これでよければ」 包みを手に、宗雲が歩み寄る。 「そちらの方が最後の怪我人ですから、どうぞご存分に」 にこやかに囲まれて、天祥も観念したようだ。素直に頷いた彼の腕を取ったのは至苑だった。 「化膿しかけていますね。少し痛むかもしれませんが‥‥」 手際よく手当てする至苑に、瑠璃が薬草や包帯を手渡して行く。 「では、首元の傷は私が」 促されて、天祥は襟元を寛げた。 「‥‥天祥殿、痣が出来ているようだ。何か冷やすものを持って来よう」 肩口に広がる痣を目ざとく見つけた宗雲を、穏やかな声が制する。 「いえ、こちらは生まれつきのものなのです。どうかお気になさいませんよう‥‥」 何かの形に見えない事もない痣は、焦燥感にも似た奇妙な波立ちと共に、彼らの心のに残ったのだった。 (担当 桜紫苑) (編集 姫野里美) |