『とっておき』〜如月の綴〜
マスター名:四月朔日さくら
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: 普通
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/02/25 20:21



■オープニング本文


「もう、お話を聞くようになって一年経つんですね」
 来風は、感慨深げに手元の雑記帳を見る。
 そこに綴られていたのは、彼女が様々な開拓者から聞いた物語の数々。

 一年間、月に一度はこうやって話を聞こう。
 そう思ったのは、ちょうど去年の今ごろだったか。
 人にはそれぞれ、その人にしかありえない『物語』がある。
 そんな物語を聞いて、将来のための肥やしにしたい――そう、思って始めた、物語の蒐集。
 確かに随分な量が集まった。
 どれも、その人でしかありえない、そんな話ばかり。
 今月はどんな話が聞けるだろう。
 そんなことを、毎月楽しみにしていた――。

 でも、もう一年。
 始めてみればあっという間の一年で、とても楽しかった。
「……でも、一度きりをつける時期、かしら」
 行方しれずだった兄の消息を、掴みかけている。じっさい、この話を聞く中で、兄の情報が聞ければ――そんな儚い望みも抱いていないわけではなかった。
 でも実際に、その情報に手が届くかもしれないとなると、戸惑ってしまう。
 話はもっと聞きたい。
 様々な開拓者と話をする機会も増えたし、もっともっと話を聞きたい。
 ――来風は、そんな気持ちに揺れていた。


「お前さん、そりゃあ楽しみにしていたもんな。それなら、一度切りの良い話を聞いて、またこの間みたいに時々話を聞くような、そんな風にしたらどうだ?」
 ギルドの職員は、来風の悩みにそう応じる。
「ああ……そうですね。一年というのは、確かに切りの良い時期なんです。だからこそ悩んでたんですけれど」
 来風も頷いた。
「それに、参加していた開拓者たちも、残念に思うかもしれん。けっこう、楽しみにしていた奴もいたみたいだったしな」
「そう、ですか?」
「ああ」
 そう言葉で聞くと、なんだか来風もうれしい。
「じゃあ、今月はお題をこうします!」
 来風はそう言って、依頼書に筆を滑らせた。

 『――あなたのとっておきの話、聞かせて下さい』


■参加者一覧
菊池 志郎(ia5584
23歳・男・シ
三郷 幸久(ic1442
21歳・男・弓
サライ・バトゥール(ic1447
12歳・男・シ
葛 香里(ic1461
18歳・女・武


■リプレイ本文


 ――春の足音はそろりそろりと、静かにしかし確実に、この天儀に向かっている。
 もちろんまだ朝晩の冷え込みは厳しい。しかし日に日に暖かくなって、もちろん綿入れなどが手放せるようになるまでは時間がかかるだろうが、それでももう食料品店には早春ならではの野草などが並んでいたりして、それらを見ているだけでもどうしてか胸がわくわくするものだ。
「春の気配ってかんじですよねえ」
 来風(iz0284)は微笑みを浮かべながら、ギルドの談話室にやってきた。
 今回は一年間、さまざまな人から話を聞いてきた総決算。
 せめて自分もなにかお礼ができないかと考えたのだろう。開拓者たちが集まる前に机の準備をはじめた。
 まずは蕾がほころびかけている梅の枝をいくらか持ってきて、それを机に飾る。梅の香り高さはやはりいにしえより歌われるだけあって、完全に咲く前の花でもうっとりするような香りを醸し出していた。
 そして手作り――というわけには流石にいかなかったが、最近ひいきにしている和菓子店で購入してきた梅ヶ枝餅を並べ、熱い湯を沸かす。他にも何やら支度はしてあるらしいが――みんなが来るまでは、まだ内緒らしい。
 兎にも角にもそれらは、彼女ができる精一杯のおもてなしといやつだ。
(……今日は一体どんな話が聞けるかしら)
 毎月何かしらのお題を聞いていたこの一年。しかし今回はあえてお題を決めていない。開拓者それぞれの『とっておきの話』を知りたいから、きちんと決めなかったのだ。
 『とっておき』にも種類がある。
 怖い話だってとっておき。
 ほのぼのしていたって、とっておき。
 自分がまだ話し足りないこと、いや話したくてたまらないこと――それがとっておき、という言葉にいちばんピッタリ来るのかもしれない。
(楽しみだなあ……)
 胸の奥から、思わず微笑がこみ上げてきた。


「こんにちは。先日はどうも」
 そう言って一番にやってきたのは、菊池 志郎(ia5584)だった。何度か話を聞かせてもらっている、常連のひとりである。
 そして同時に、先日はずいぶん世話になってしまった。
 来風には行方のわからぬままになっていた兄がいたのだが、志郎ら開拓者仲間たちの力添えもあって無事に再会することができたのだ。
「いえ、こちらこそその節はありがとうございました」
 来風は深々と礼をする。
「そんなことありませんよ。お兄さんとはその後どうですか?」
 志郎はやわらかな笑みを絶やさない。
「はい。とりあえず、今はまだ以前と同様に、子どもたちの兄貴分をしながら生活しているみたいです」
 それでも夕食を一緒に食べたり、家族らしい付き合いをするようになったのだと来風は嬉しそうに言った。
 もともときょうだいが多い一家の中でも来風と兄・風牙は似たところがあり、小さい頃から仲が良かったのだという。だからこそいっそう心配もしていたのだが、兄の方でも来風が開拓者になったというのを小耳に挟んではいたらしく、心配されていたらしい。
 そのことを言うと、志郎も思わず苦笑した。
「わだかまりとか、そういったものも特にないようで何よりです。ああそうそう、おやつの方は月並みですが二月ですし、これを」
 そう言いながら差し出したのは、鶯餅。この季節にはぴったりの、淡い緑の和菓子はいかにも可愛らしい。
「こちらはお兄さんに、おみやげにどうぞ」
 小分けにされたもう一つの包みにも、同じものがあるのだという。
「ああ、兄さん喜びます。ああ見えて甘いものが好きですから」
 来風も顔をほころばせ、そしてしっぽが嬉しそうにパタパタと振れる。尾は口よりも雄弁だ。
「喜んでくれてよかった」
 志郎も頷き、そして次の来訪者を待つ――

 ひょこり、と次の参加者がやってきたのはそれからまもなくだった。
「ええと、こんにちは。こちらでいいんですよね」
 そう言って音もなく入ってきたのは、ひと目でアル=カマルの出身とわかる褐色の肌をした黒髪の少年だった。よく見れば髪と同じ色をしたな垂れ耳がついている。どうやらウサギのアヌビス――天儀で言う神威人らしい。
 全体的に小柄だが、その瞳は深い翠の色。一目見るだけで吸い込まれそうだ。
「僕はサライ(ic1447)といいます。こういう場所には慣れていないので……よろしくお願いします」
 少年はぺこりと礼をした。冬ではあるが、薄着というか露出度のやや高い服装をしている。寒くないのだろうかと見ているこちらが不安に思うくらいだ。ただ口にしてしまうといっそう寒くなりそうなので、あえて口にはしない。
「はじめまして、ですよね。今回はどうもよくいらっしゃいました。サライさん、よろしくお願いしますね」
 そう来風が挨拶をすれば、少年はもう一度深く礼。
「あ、これはおみやげです。アル=カマルのお菓子で、『ロクム』と言うんです。皆さんで召し上がって下さい、とっても甘いんですよ♪」
 サライはそっと差し出して、にっこりと笑顔を浮かべる。蓋を開けて中身をみれば、天儀で言う『ゆべし』のような見た目の菓子が入っていた。中にはくるみが入っているらしい。
「こういうお菓子は初めて見ました。美味しそうですね」
 来風も開拓者になってそろそろ一年半弱といったところだが、その生活のほとんどが神楽の都だったこともあり、本で読んだことしかない事物も数多い。もちろん神楽の都は確かに故郷に比べれば天と地ほどにその物流量も情報量も違うけれど、それを実際に手に取ることがあるかというとやはり難しいことが多いのである。
 言い方はあれだが、来風は情報をたっぷり蓄えたのはいいものの、なかなか『本物』に触れる機会がなかったのだ。
 だから、こういった差し入れはむしろ嬉しい。ひとつつまんで口に含めば、柔らかい中にナッツの歯ざわり、そして砂糖やはちみつで風味づけした濃厚な甘み。
「美味しいですね!」
 来風がそう素直に感想をいえば、サライもほんわりと微笑んで嬉しそうな表情。
 これでやって来たのは二人。
 ギルドからの話ではあと二人、来るはずなのだが――。


「少し、遅れてしまいましたでしょうか……」
 葛 香里(ic1461)は、隣を歩く人物に、不安そうに言う。
 三郷 幸久(ic1442)。
 彼女が都に来てまもなく知り合った、信頼の置ける男性のひとりであり、そして――
「……」
 幸久はなにか考えているのだろうか、いつにもまして言葉数が少ない。やがて、思い切ったように口を開いた。
「……ええと、香里さん。その、今日の談話会なんだけれど……」
 幸久はそこで一瞬だけ悩んで、それからきっぱりと言った。
「君のことを話す。……追い込んでいるよな、ごめん。自分でもわかってはいるんだ」
「……」
 香里は、答えない。胸の中を色々な想いが渦巻いているのだろう。
「でも、なんでだろうな。なんとなく、嫌われない予感もあるんだ」
 からりとした、明るい声。もちろん緊張はわずかに滲んでいるけれど、青年は微笑んでいた。その優しい笑顔に、真っ直ぐな瞳に、香里は思わず顔を赤らめ、俯いてしまう。
「……立ち話ばかりでも、皆様を待たせてしまいます。参りましょう」
「ああ、そうだな」
 二人はそう言って、談話室の戸を開けた。

「香里さん、三郷さんも。今日はありがとうございます」
 来風は二人の来訪に、嬉しそうに声を上げた。幸久もそれに対して笑顔で応じる。
「こんにちは来風さん。また、世話になるな」
「今日は、こちらまで一緒に参りました」
 その一方で、香里はわずかに照れくさそうに微笑んだ。
「そうそう、持ち寄りとのことでしたが、お茶請けにと黒豆を煮て来まして……お口に合えば嬉しいのですが」
 そう言いながら、重箱をぱかりと開く。中には大粒の黒豆がきらきらと光を受けて輝いていた。
「ふっくらつやつやに炊きあがると、とても嬉しくなるのです」
 香里は笑顔だ。でもその胸の中は、平静を保つのが精一杯という感じでもある。
 ――君のことを話す――。
 静かだが力強かった、幸久の言葉。そう言われて、心穏やかでいられようか。
(それに、あの方が何を話されようとも、私には止めることなど……)
 尼寺で育ったという彼女は、家事ひととおりは人並みにできるものの、俗世とのつながり薄い生活を送っていたこともあってどこか世間知らず。けれどそんな彼女だからこそ、惹かれる男性もいるのだろうけれど。
「そういえば、先日はお疲れ様でした。お兄様との再会もつつがなく、その後はいかがですか?」
 そしてまた彼女も志郎と同じく、来風の兄探しに尽力してくれたひとり。
「大丈夫だそうですよ」
 志郎が優しそうに頷くと、香里も安堵した表情を浮かべる。
「それにしてもお兄様との再会もですが、毎月恒例のこの集いも一区切りだとか。感慨深いことが続くのですね、今回もよろしくお願いいたします」
「あ、ああ、いえいえ」
 来風は照れたように顔を赤くする。
「皆さんのおかげで兄も見つかったんです。お礼をしたいのはむしろこちらですよ」
 それに、と言葉を付け加えた。
「皆さんが望むなら、これからも時々、こういった話を聞く機会を設けてもいいなと思っているんです。わたしも、好きだからこそ続けていたんですし」
 来風の笑顔は、今までに見たよりもいっそう柔らかいもので。
 兄が見つかったこと、そしてやりたいことがまだまだあること――そんな、いかにも楽しくてたまらないといった感じが、言葉から、表情から、溢れだしていた。
「そうか。俺達で良ければ、また誘ってくれてもいいんだぜ。あと、一区切りっていうのも、お疲れ様だ。俺からのみやげの菓子は、こんなのだけど」
 幸久が紙包みを開ければ、そこに入っていたのは素朴な揚げ餅である。
「おやつって言ってただろ? 甘いものを持ち込む人が多いかと思ってさ」
 たしかにこれは、いい口直しになりそうだ。その素朴さも、逆にそそられてしまう。
「美味しそうですね。僕も、後でもらっていいですか」
 耳をぴこぴこ動かしながらサライが尋ねると、幸久も嬉しそうに頷いた。
 そして、幸久はそっと来風の耳元でこう告げる。
「今回は、かなり私情のはいる話になるが、許してほしい。ああ、あと――」
 来風はそれを聞いて小さく了解したとばかりに頷いた。そして、席につくように促す。もともと大きめの部屋を用意してはいたが、じっさいの人数はそれほど多くなかったので、座る位置もどこかまばらといった風に見える。けれどそれでよかったと幸久は少し安堵して、香里からわずかに離れて着席した。
 他の仲間もそのややぎこちない動きに思うところはあっただろうが、とりあえず席につく。

「――さあ、でははじめましょうか。みなさんのとっておきの話を、聞かせてくださいね?」
 来風は何冊目かになる雑記帳を開いて、楽しそうに宣言した。


 さて、誰から話そうか。
 しばらくの間、微妙な沈黙が続く。……ややあって口を開いたのは、志郎だった。
「それでは、俺から話してもいいですか。それにしても、とっておきの話……ですか。うーん……では、とっておきというか、俺の特別な存在というものについてお聞き下さい」
 特別な存在。幸久は、わずかにぎくりとする。
「……と言っても、俺にとっての特別な存在というのは、相棒ですけどね」
 志郎が浮かべるのは柔らかい笑顔。相棒たちを慈しんでいる、そんな優しさの滲みでた表情だ。
「俺のところにはいつのまにやら自然と増えてしまって、実は今、相棒が八人もいるんです。ちょっと多いでしょう?」
 ちなみに志郎の相棒の内訳は、闘鬼犬、嵐龍、宝狐禅、羽妖精、鷲獅鳥、からくりに滑空艇、提灯南瓜。
「すごいですね……」
 まだ開拓者になって日の浅い他の三人は目を丸くさせるばかり。
 大きさはまちまちだが、確かにちょっとした人数である。港に預けずともよい相棒も多いので、自宅はさぞ賑やかなことだろう。
「だから、そんな彼らと暮らすことは実はとても励みになるんです。一人ではない、そう思えるからこそ、毎日の生活を丁寧にしよう思えるのだと考えるんです」
 そう、相棒がひとり増えるだけでも環境は賑やかになる。それが八人――いや、滑空艇には自律行動ができないから実質は七人か――ともなれば、食事の光景ひとつとっても愉快に違いない。
 来風がそれを指摘すると、志郎はにこにこと笑いながら、
「ええ、そうなんです」
 と応じる。
「一緒に暮らしている宝狐禅がいつもご飯を要求するから、それなりに料理ができるようにはなりました。からくりはからくりで掃除や裁縫を得意にしていて、戦闘で破れた上着などを綺麗に繕ってくれるんです。ほら、これも」
 なるほど、志郎の着ている服は何度も繕ったと思えぬほどに丁寧な仕事である。
「滑空艇を操縦することで機械に持っていた苦手意識というのも薄くなりましたし、鷲獅鳥に乗って空をとぶのはとても楽しいと感じます」
 機械じかけのたぐいは実際にお目にかかることは言うほど多いわけではないが、たしかに滑空艇は手軽に触れることのできる、『機械』の一種だ。開拓者ともなれば飛空艇や駆鎧に触れることもあるし、苦手意識はないに越したことはない。それに、空をとぶことだって、少なくないのが現実である。楽しいと思えるなら、何よりな話だ。
「羽妖精がいないとやっぱり部屋の雰囲気がどこか暗くなりますしね。そうそう、最近は提灯南瓜も加わりましたけれど、いっそう賑やかになりましたよ」
 羽妖精も提灯南瓜も、ちょっぴりイタズラ好きで楽しいことを好む。特に提灯南瓜たちはイタズラするのが仕事のようなものだし、羽妖精も、個体によっては開拓者に対して妄想を繰り広げていたりするので、可愛らしい外見に惑わされてはならないといういい例であろう。
「あと、闘鬼犬は本当に小さな頃から俺が育てたので、俺の弟か子どものように思っています。そして嵐龍……俺は先生と呼んでいますけれど、先生は逆に俺が小さい頃から守ってくれていました」
 小さい頃から傍にいる存在は、家族も同然。手ずから育てたものには愛着を持つし、成長を見守ってくれた存在にはたとえそれが人間でなくても尊敬の対象となる。
「俺にとっては本当に、祖父のような存在なんです」
 幼少期に実の親元を離れて育ったせいだろうか。そういう感情が特に強いのだと、志郎は言った。
「それだけいると大変ではありませんか?」
 香里が尋ねる。しかし志郎は、
「いいえ。むしろ相棒がいなくて、ひとりだったならどうだっただろうと時々考えます。でもそういう時も、ひとりはたしかに気楽で自由だけれど、それでもしんとする空間には慣れなくて、やっぱり寂しいだろうなと、そこに行き着くんですよ」
 だから、苦に思うことはゼロという訳にはいかないが、ひとりでいるよりも楽しいのだと笑った。
「相棒って、やはりいい存在なんだな」
 幸久も思わず納得する。
「でも、随分と話してしまいました。こういうふうに思っていることをみんなに知られるとうるさいから、今日の話は俺の相棒たちには秘密にしておいてくださいね?」
 いたずらっぽい口調で志郎がそう付け加えると、みんなもこっくり頷いた。


 ちょうどいい味加減になった茶を振る舞いながら、来風は首を傾げる。
(さっきから、三郷さんの動きがどこかぎこちないけれど、どうかしたのかしら……?)
 しかしそんな考えもすぐに霧散してしまう。
「じゃあ、次は僕が話しますね」
 そう、サライが言ったから。

「……僕は旅芸人の家に生まれて、両親と僕、それに妹の四人で各地を巡業しながら暮らしていました。小さな一座で、決して豊かではなかったけれど、幸せな毎日でした」
 旅芸人。
 来風が幼い頃に開拓者や広い世界に憧れを抱いたのには、旅芸人や行商人といった人たちの語る開拓者たちの活躍ぶりや様々な物語の影響もあった。兄とともにそういう一座に加えてもらおうとやんちゃをしたこともある。
「でも、ジルベリアでの巡業の最中に山賊に襲われて両親は亡くなり……僕と妹は囚われた後、ある貴族の屋敷に売り飛ばされました」
 年齢の割にかなり深刻な過去を背負っている少年である。旅に生きるということは、常にそういった危険と隣り合わせだということを親に諭されたのを、来風も思い出した。
「お屋敷には僕達と同じようにどこからか集められた貧しい子どもたちが数多くいて……その貴族は随分とひどい扱いを子どもたちにする人で、妹は他の子どもたちと同じように、貴族とその仲間の手で、殺されました」
 ――自分の目の前で。
 それは口に出さなかった。出したくなかった。
 出せば、きっと物語を聞く人たちの耳が曇ってしまうから。
「僕はその頃すでにジンだということがわかっていて、それが珍しかったのでしょうね。貴族たちは時間をかけて楽しむことにしたようで……そのため、開拓者の皆さんに助けていただくことが出来ました」
 キュ、と唇を噛み締めたのは香里。親を知らぬ彼女だが、愛情は人並み以上に受けて育っている。だからこそ、少年の話す痛ましい過去が悲しいのだ。
「その後、心身の回復のための福祉施設にはいったものの、僕にはもう何もなくて、おまけに当の貴族はどうやったのか知りませんが死罪を免れたと聞いて……毎日、死ぬことしか考えられなくなっていた時期がありました」
 今回参加した開拓者の中でもっとも若いが、もっとも過酷な過去を背負っているのかもしれない。サライはしかし、それを話せるということは、ある程度自分の中で決着が付いているのだろう。深い翠の瞳は、やはり静かに光をたたえていた。
「そんな時、天儀のシノビだという女の人が来て、僕達の願いを聞くと言い出したんです。僕は当然ですが、妹の仇討ちを頼みました。そんなことは無理だと思っていましたけれど……しかし、そのすぐ後に、あの貴族が自殺したという知らせが耳に届きました。もちろん、真相がどうなのかはわかりません。本当に自殺なのか、それとも」
 ――あの女シノビが、自分の願いを叶えてくれたのか。
「でも、もし誰かの願いを聞いて、それを実行できるのならば、僕はシノビになりたいとその時思いました。僕や妹のように、虐げられる人達の力になりたいと思ったんです」
 しかし、それはあるいは血塗られた道であることも多い。けれどこの少年はきっとそれも承知の上だったのだろう。
「強いですね」
 同じくシノビの志郎が息をつく。まだまだ幼いと言っていいサライの過酷な過去と、その先にある道を想像したのだろう。普通に暮らしているだけでは、この意志の強さは出てこない。
「それからは心身の治療に努める傍ら、恩ある方とその周りの人たちのお世話になって、シノビの修行を始めて……今はこうして、開拓者となることが出来ました」
 サライは笑う。つらい過去を乗り越えた、優しい、力強い微笑みで。
「僕はたしかに全てを失いました。家族も、財産も、何もかも。でも今は……師や、友達や、たくさんの暖かな人たちに囲まれて暮らしています。だから僕は生きます、家族のぶんまで」
 ぽたり。
 そんな音がして、ふと来風は下を見る。帳面にのせた墨が、涙ひとつ部分、わずかに滲んでいた。
「あ……、ご、ごめんなさいっ」
 辛い話を聞くことは今までにもなかったわけではない。しかし、サライの話は色んな意味で衝撃だったのだろう。慌てて顔をぐいと拭い、涙をこらえる。
 幸久が、サライの頭をクシャリと撫でる。ここにも味方はいるのだと、そう行動で示すために。


「それでは次はどちらが……?」
 来風が尋ねると、幸久は小さく首を横に振った。
「俺は悪いが最後に話したいと思う。先にどうぞ」
 その言葉に、香里は思わず息を呑む。しかし話をしなくては始まらない。
「……では、私が。いま着ている衣に関してなのですけれど」
 香里が、ゆっくりと口を開いた。いま着ている、というのは、空木の花模様の衣に、淡い紫がかった青の袈裟。
「尼寺の生活というのは静かなもので、四季の移ろいが変化の全てでした。水の冷たさや風の匂い、花のほころび……どれもなくてはならないものです」
 春には水温み、梅や桃といった花が香りを放つ。
 夏は青い空に広がる入道雲。風に時々、湿った匂いがまじると、それは雨の予兆だ。
 秋になれば木々は色づき、日を追うごとに太陽の沈むのが早くなっていく。
 そして冬は雪がしんしんと降り積もり、周囲の音を消してしまうのだ。
 それを想像して、香里は懐かしそうに微笑みを浮かべた。
「私が暮らしていた尼寺の敷地の隅には空木が植えられていたのですが、私はその花が大好きでして。初夏の頃に真白の花が満開に咲く姿を、風に吹かれてずっと眺めていることもありました」
 それはたいそう風情のある光景だろう。
「空木の花、きれいなのでしょうね」
 サライはそれを見たことがあるかというとおそらくないであろう。しかし話を聞いて見てみたいと思ったようだ。
「ええ、それはもう」
 香里も頷く。
「ですからこの衣は、都に出る際に少しは娘らしく、と誂えていただいたとっておきの一枚なのです。大事に着ませんといけませんね」
 香里が微笑むさまはまるで空木の花がほころぶかのよう。
「でも、都に出てからの毎日というのは本当に変化の連続で……自分のすべてが変わりそうなことも……ありました、が」
 そう言いながら、彼女はさしていた櫛にそっと手を添える。いただきものか何かなのだろうか、随分と大事にしているもののようだ。
「あ、でも、そのことを言葉にするのは、まだその、何れということで」
 香里はわずかに頬を染めて、そう締めくくった。


 チラ、と幸久は香里を見て、すぐに前に向き直る。
「では、最後に、三郷さん」
 よろしくお願いしますねと来風が微笑むと、青年はゴクリとつばを飲んだ。
「そうだな……俺の話は、もしかしたらごくありがちなことかもしれないけれど……とある女性との出会いの話、だな」
 ほう、と志郎が目を細める。反対に香里は、きゅっと身を縮こませた。それに気づいてか気づかずか、幸久はゆっくりと話しはじめる。
「なんていうか……直感というか、一目惚れって本当にあるんだな。その人に出会ったのは、ある大雪の復興の手伝いに行った時だった。偶然一緒になって、可愛い子だなと普通に好感を持っていたんだけれど、そこでお礼に……って、樹氷のような、氷で自然に出来た花、っていうものを見せてもらった時に、目を輝かせてそれに見入っている横顔が目に入ったんだ。その顔を見たら、もうそれで恋に落ちてたんだろうな」
 そこまで一息に言って、茶で口を潤す。
「彼女はおっとりと落ち着いているようで、一つ一つに目を輝かせているのが可愛くてな。彼女の笑顔も花のようなんだが、きっと俺の頭の中が花咲いちまってるんだろうな……」
 しみじみと言う幸久だが、そういった想いに覚えのある人はこの世には少なからずいるはずだ。……まあ、この場においては少数派であろうが。
「自分の勢いには自分でも驚いているけど、今は気持ちが止まらない、いや止まれないし、その後も偶然の悪戯のような、そんな後押しも感じたりする。だからこそ、この縁というのを出来る限り大事にしたいって、そう思ってる」
 そうきっぱりという幸久は、どこか眩しかった。
「恋をしているって、いいですね」
 来風は少し、羨ましそうに微笑んだ。
「……まあ、こういう話で男が口数多いのも照れるんで、このくらいでかんべんな。お茶のおかわり、もらえるかな」
 幸久が照れくさそうに言うと、周囲の仲間たちも思わず笑った。


「でも、素敵な話をありがとうございました。これは、ちょっとしたお礼です」
 来風はそう言って、小さな帳面を参加者に手渡す。
「これは……?」
 志郎が問うと、来風は照れくさそうに頭を掻いた。
「今まで聞かせてもらった話の中から少し抜粋して、記録に残したものです。皆さんに聞いてばかりでしたけど、それをちゃんとまとめるのはわたしの役目ですからね」
 パラパラとめくると、昨年の三月からの話が少しずつ、丁寧に抜粋され、そして再構成されて並んでいる。これだけでもけっこうな時間がかかったに違いない。
「いただいていいんですか?」
 香里も思わず、尋ねてしまう。来風は
「人に見せるための物語を書くのが、夢ですから」
 と言って、頷いた。
「大切にさせてもらいますね。ひととの繋がりって大切だと、僕もそう思います」
 サライは、そっとその帳面を胸に押し抱いた。大切な宝物だと、言わんばかりに。
「来風さん、また機会があったらぜひ呼んでくれよ。まあ、こんな話はもうしないけどな」
 幸久はそんなふうに、照れくさそうに笑った。


 ――そして、その帰り道。
 香里は、幸久の後ろを歩いている。そして、ふと呼び止めた。
「幸久様――」
 幸久は、はっと振り向く。
「香里さん……?」
 小さく頷きながら、香里は言葉をゆっくりと紡ぐ。
「私は……精霊と共に生きる身です。僧ですから」
 その言葉に、幸久は頷く。
「ああ……知ってる」
「ですが……ですが、頂いたお気持ちや、言葉を忘れて元に戻るということは、もうできないでしょう……」
 心ちぢに乱れてしまったものを、戻すことはできない。
 流れる時を巻き戻すことも、できない。
「ですから、もう少しだけ……一言を伝えるまでの、お時間を、ください……」
 それは、予兆だろうか。
 春をもう少し、待ち望んでも良いのだろうか。
 胸の高鳴りを抑えながら、幸久はそっと香里に手を差し出す。それに、香里はそっと、ほんの少しだけ指を触れさせた。互いのぬくもりを、その指先に感じる。
「……帰ろうか」
「はい」
 随分と暖かくなってきた。
 ――もう、春も近い。


 夜。
「……これで、いったん完成」
 来風は筆を走らせる。それはそれは、楽しそうに。
 一年を綴った物語。それは間違いなく、かけがえのない宝物だ。
 そして、その最後の頁は、こんな言葉で締めくくられていた。


 ――如月ニ記ス。
 ――格別ノ章。
 ――誰ニデモ、格別ノ物語ハ、存在ス。