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■オープニング本文 ● それはとても寒い朝だった。 開拓者ギルド前に、少女が倒れ伏している、と。 気づいた職員たちが慌てて少女を保護し、屋内で温めてやる。随分冷えきった指先で、このままでは凍りついてしまうのではと思うほどだったが、やがてゆっくりと体温は回復していった。 少女は腰ほどもある綺麗な銀の髪をゆうこともなくただあるがままのように流し、そして随分と上品な服装をしていた。年齢は十代後半といったところだろうか。見る限り、かなり華奢だが一応普通の人間である。 やがて目が覚めると、その双眸は驚くほどに深い蒼。 「ここ……は……」 少女は掠れ声で問いかけた。職員が慌てて近づき、温かい葛湯を差し出す。 「ここは開拓者ギルドよ。建物の前で倒れていたのを保護したの」 職員の一人が、安堵させるかのように笑顔を浮かべてそう応じる。 「そう……ですか。じゃあ、ここはまだ神楽の都……」 ほう、っと少し気落ちするかのようなため息。 「もしなにかあったのなら教えてくれないかな。我々で良ければ、力になれるかもしれない」 男性職員が、そう言って笑った。 ● 少女は、名を垂氷、と名乗った。 商家の一人娘で、実家の名前は職員のひとりが贔屓にしている店らしかった。扱っているのは、かんざしなどのちょっとした飾り物らしい。最近は手広く交易を行なっているのだとか。 「それはいいんです。綺麗な格好とか、させてもらえるし。……ただ」 彼女に今、見合いの話が持ち上がっているのだという。 「相手はやはり商家の息子さんで、どちらかと言うと婿取りなのですけれど……」 大店の三男坊。見栄えもよく、頭もよく、聞く限り婿としては申し分ないほどの相手らしいのだが、彼女はそれを嫌だと感じている。 理由は簡単、彼女には想い人がいるからだ。 「いろいろな理由を付けられて反対されるだろうことはわかっているんですが、私はそれでも、あの方と所帯を持てたらと思うのです」 少女はそっと目を伏せる。 相手は秀治という名前で以前店で働いていた番頭のひとりだったが、いまは体を壊して店をやめ、それまで貯めていた蓄えでひっそり暮らしているらしい。「らしい」なのは、彼女も相手が店を辞して以来会えていないからだ。 もちろん、彼の想いがどうかは知らない。ただ、垂氷は見ず知らずにも近い相手と結婚するのだけは嫌だと思っているようだった。 だから、今日も本当は家出してきたのだという。ただ何分箱入り娘ゆえ、道に迷った挙句に倒れてしまったらしい。少し情けない話だが。しかし職員たちはそれをばかにすることはなかった。いや、 「そういう事なら……」 私たちに任せてくれない? きっと秀治さんを見つけて、話をするから。 ギルド職員はにこりと微笑んだ。 「ありがとう、ございます!」 垂氷は深く深く、礼をした。 |
■参加者一覧
村雨 紫狼(ia9073)
27歳・男・サ
ユリア・ソル(ia9996)
21歳・女・泰
ニーナ・サヴィン(ib0168)
19歳・女・吟
フルール・S・フィーユ(ib9586)
25歳・女・吟
天青院 愛生(ib9800)
20歳・女・武 |
■リプレイ本文 ● 「昔から、恋する乙女の悩みは尽きない、ってね」 そんなことを言いながら、手にした扇を開いたり閉じたりするのはユリア・ヴァル(ia9996)。女性の悩みは女性にこそ、そう思いながらギルドでの説明を受けていたらしい。 「はじめからダメだって諦めて決めつけてしまうのも、あれですし」 ユリアの言葉に頷きながら、ニーナ・サヴィン(ib0168)は吟遊詩人らしく、手にしたハープにそっと触れる。ぽろんと奏でる音は、どこか懐かしい響きを持っていた。 「花咲くような恋詩を、奏でたいですけれど、ね……今回はどうなることか」 フルール・S・フィーユ(ib9586)も、即興で詩を口ずさみながら、やはり微笑んだ。 恋は女の子の砂糖菓子のような甘い夢のようなもの。 それを何とかしたいのは、誰もが持つ心からの思いだろう。 三人の乙女の思いはおおよそ同じ。 でも……今回は…… 「うーん、彼女は納得したいんじゃねぇのか?」 一人息巻いているのは村雨 紫狼(ia9073)。少女の本当の思いはわからない、けれど何となくそんな気がするのだ。 「前へ進むための覚悟ができているなら、俺はそれに応援したいと思ってる」 とはいえ、現状ではまだ誰とも接触しているわけでなく、とりあえずは垂氷や他の関係者に会うことが先決と思われた。 「では私は、みなさんが情報を探している間、垂氷殿の護衛を……と思っています」 きりりとした表情でそう言うのは、天青院 愛生(ib9800)だ。 「……下手に変な虫が近づいても、よろしくありませんから」 その言葉に、みなはふむ、と納得したのだった。 ● 「とりあえずは棗商店よね。いろいろ聞き出す必要が有るわ」 幸運にもそこは女性向けの髪飾りなどを売っている店。お洒落好きな開拓者たちが接触しても、不自然ではない。愛生をのぞく女性三人は、それぞれ怪しまれない程度に店の話を聞きつつ、今回の婚姻話の事情を聞き出そうという魂胆だ。 まず向かったのはニーナ。 「とりあえず秀治さんを探さないといけないわね」 そう思いつつ、目についたかんざしをそっと手に取る。番頭らしき若者が近づいてきて、 「ああ、きっとこれはよくお似合いになるかと」 と、ありがちな世辞の言葉を並べる。ニーナはにこりと微笑むと、 「ありがとう。ところでこちらには、いい番頭がいたと聞いていたのですけど」 あえて名前を出さず、水を向けてみる。すると、その男はああ、と手を打った。 「秀治のことでしょうか。たしかに腕のいいやつだったんですけど……あいつはちょいと肺病をやっちまいましてね、店で働くには迷惑をかけるばかりだからと先日自らやめちまったんですよ」 本当はあいつはやめたくなかったはずなのにな、と若い番頭はボソリとひとこと。 「どういうこと?」 ニーナが尋ねると、番頭は左右をチラチラ見てから小声でささやいた。 ――あいつは、この店のお嬢様のことを、好いてたんですよ。 ――でも病気やっちまって、自信もなくしちまったみたいで。 ――お嬢様を支えられるだけの自信がないって、それでやめちまったんです―― ● フルールは、ニーナや他のみんなの聞き出した情報を元に、秀治の住む長屋近くまで訪れていた。 都の外れ、決して裕福とはいえない粗末な長屋。その一間に、秀治はひとりきりで住んでいるのだという。周辺でききこんだことを総合すると、やはり今は仕事をしていないらしい。病じたいは峠を超えたということだったが。 「肺病って聞いていましたし、無理はできないのでしょうね」 まるで隠れるように住んでいる、と言っても過言ではない。それはきっと――他の人にあまり知られたくないからだ。 特にきっと、垂氷には。 ただ、他の人から見ても頭の良い人物であることはわかるので、病状が落ち着いたら手習いなどの先生に、とすすめているのだという。商家で幼いころから培ってきた読み書きソロバンの才能は、一朝一夕で衰えるものではない。 こういった場所には、学びたくても学べないものも存外多い。手習いの先生となれば、些少でも生活の足しになるし、他の子どもたちに生活に必要な知識や知恵を与えることが出来る。 どちらにとっても一石二鳥なのだ、ということだった。 「なるほど……」 決して生きることを諦めているわけではない。ただ、今の暮らしぶりでは主家の『お嬢様』たる垂氷を養えない。 身体が弱いことを理由に辞めさせられてしまうよりは、自分から身を引いてしまったほうがいい―― おそらくそういう考えなのだろう。 (でも、ね) フルールは思う。 (垂氷さんの恋心は、彼の不幸とともに歩むだけの覚悟を持っているのかしら?) まだ未熟さの残る少女の、未熟な恋心を思いながら、思う。 ● 愛生は垂氷とともに街を散策していた。 棗商店の箱入り娘である垂氷は、決まった場所以外はあまり出歩いていなかったようで、街のあちこちを眺めては物珍しそうにしていた。世間の苦労を知らぬ少女だと、愛生は思う。 「お二方の普段の姿を、ご覧になったことはありますか?」 穏やかな笑顔を絶やさぬままにそう尋ねると、垂氷はちょっと小首を傾げた。 「普段というか……智蔵さんが父のところなどで行われる寄り合いに来たことがあるから、それを見たことはあるし、秀治さんが働いているのが、当たり前の日常だったから……」 ふむ。 予想以上の箱入りだったらしい。それならば、いろいろと世間を見て回るのは、決して悪い経験ではないだろう。 「お二人の日常を知ってこそ、その妻となるものの定めかと思いますよ」 そう提案すると、垂氷はゆっくり頷く。 「そうね……わたし、そういう意味では本当になにも知らないのかも、しれない」 垂氷も納得するかのように力なく微笑んだ。 ● さてこちらは智蔵の実家、都でも有数の大手呉服店である。 「師走ということもあって、さすがの賑わいね……」 ニーナがそんなことを思わずつぶやく。たしかに、人の出入りの激しい店だった。 ――旦那様は、あちらの若旦那が以前何かの折にお嬢さんを見て以来、恋の病にかかっちまったのを知ってるんですよう。 ――たしかに羽振りのいい店の若旦那で、恋人が過去にいたこともあるそうですが、垂氷お嬢さんに対する気持ちはホンモノなんですわ。 ――旦那様としても、お嬢さんが幸せになれるならって、結婚話を進めようとしているみたいなんですけどね……。 ――なにぶん、旦那様は秀治の気持ちを知らないですから。 棗商店で聴きこんだ、智蔵の噂をもう一度反芻する。 話を総合すればなんてことはない、智蔵は垂氷に一目惚れをしているのだ。それをしった垂氷の親――おそらくは父親――が、必要以上に気を利かせた、ということなのだろう。 垂氷本人の想いを、知らぬままに。 まるで二流の恋物語だ。吟遊詩人でもある彼女たちはそう思う。 「そういえば、こちらの若旦那さん、ええと智蔵さんって言ったかしら? どんなひとなの?」 店で反物を物色するふりをしながら、ユリアがそれとなく店の者に尋ねてみる。 「ああ、智蔵坊ちゃんなら若旦那って言っても三男坊でしてね。以前は随分と遊び人でしたけど、ある時を境にきっぱりと女遊びもやめちゃいましてね。今は遅れを取り戻すかのように勉強三昧ですよ」 おそらくは、垂氷の婿として恥ずかしくないようにと頑張っているらしい。 「そうそう、随分ないい男なのに、最近は更に男ぶりが上がってねぇ。なかなか店に出てこないけれど、若い女の子には随分と人気者よぉ」 「うちの旦那もあれくらい仕事熱心ならいいのにねぇ」 「なんでも好きな女の子ができたらしいとか何とか」 主婦の情報収集能力はなめられない。質問をするまでもなく、向こうからどんどんと話を振ってくれる。それに内心舌を巻きつつも、ユリアはその話の一部始終を聞いていった。 (どうやら私の恋人ほど、「へたれ」じゃなさそうね、どちらも) ● 「え? 秀治さんの好きなところ、ですか?」 話はやや遡る。 ユリアに問われて、垂氷は顔を赤く染めた。 「どこでしょう……ただ、気がついた時にはうちの店で働いていたんです。いつも疲れているだろうに、素敵な笑顔を見せる方で……気がついたら、好きになっていました。理由なんて、わからないです」 ――好きになった理由は、わからない。 よくあることだ。 好きになることに、理由なんてない。ひとの心はそんな簡単な構造ではないからだ。そしてきっとそれは、秀治も、智蔵も、似たようなものだろう。 人は遠い昔から、唐突に他の人を好きになるものなのだ。 「会わずに事を進めていいのか? 上っ面だけなんて、全員を侮辱することだろ?」 紫狼が苛立ちを隠せない、という表情で問う。 「それもひとつの方法かもしれない。でも今回は、上っ面だけだなんてことはない。それは本人もわかっているはず、そうでしょう?」 「えっ……は、ハイ」 フルールに突然水を向けられて、垂氷は小さく、しかししっかりと頷く。 「下手に私が出ていっても、かき乱してしまうことになるだけかもしれません。私は……そんなこと、望んでいませんから」 「恋する女の子は、こういう時、本当に強いんだから。下手に首を突っ込みすぎる方が野暮ってこと、分からない?」 あとは貴女の想い次第よね、ニーナもそう微笑んだ。 ● 「おーい、秀治、そこにいるんだろ!」 そう言って紫狼はドンドンと長屋の戸を叩いている。そこは誰にも行き先を告げていなかった秀治の部屋で、明らかに紫狼本人のほうが不審人物だ。 「なんだよ、こんな時間に……けほッ」 現れたのは、眼鏡をかけ、青白い顔をした若い男。恐らくこれが秀治だろう。肺病を患って体力が落ちていることもあるのだろう、垂氷の話していたよりも弱々しく見えた。 「まずお前、何者だよ?」 突然現れた不審人物にそんな穿った視線を向けてしまうのもしかたのないこと。 「俺は開拓者だ。ちょっとわけありでな……垂氷ちゃんを知ってるだろ?」 「――ッ!」 紫狼の発言に、派手な音を立てる秀治。しかしその内面を知らぬまま、紫狼は話を続けようとする。と、 「……すまない。帰ってくれないか」 秀治は静かに、しかし睨みの聞いた声音でそう言った。 「っ、なんで! 垂氷ちゃんのこと、心配じゃねえのかよっ!」 紫狼は慌てふためく。秀治は――静かな口調だった。 「お嬢さんに、見苦しい姿は見せたくないんだ」 綺麗な思い出のままでいてほしい。それはわがままかもしれないが、秀治の願うことであった。 叶うべくもない恋と思っているから、余計にそう感じているのだろう。 「お嬢さんが――お嬢さんが幸せになることが、私の望みだから」 だから、自分はいないほうがいい。 ピシャリと戸を閉め、紫狼を秀治の部屋から追いやった。紫狼はわからないといった表情で、障子戸を見つめている。 「……少しはへたれだけど、まだ望みあり、かしら?」 それを少し離れていたところから見ていたユリアとフルールが、微笑んだ。 ● 「……そんな感じで、いまは住んでいるようね」 垂氷への報告。まずは当たり障りなく、二人の事情などを語る。そして、 「それで、あなたはどうしたい?」 女性陣はそう、静かに問う。 「体を壊して満足に暮らすことのできない人と夫婦になるというのは、大変よ? 貴方には、それを受け止められるだけの、覚悟はある?」 「……」 垂氷はそうつきつけられて、ごくりと息をのんだ。 「ただ、後悔だけはなさらないようにしてください。今得た情報をどうするか、それはあなたの心次第です」 武僧たる身ゆえ、婚姻などとは縁が遠いのですが、と愛生が一言添えてからそういって頷く。 「最善と思う道を進んでください。幸福を、祈っております」 穏やかな笑顔は、優しく。しかし凛々しく。いかにも求道者たる姿。 だれもが願っているのは、垂氷が幸せたれということ。 「まあ、もう家出などはなさらぬようにね?」 フルールがそう目配せをすれば、垂氷も顔を赤らめて頷く。 「なにが大切かは、貴方の心次第なんだから」 ニーナも微笑み、またユリアも言う。 「人を好きであり続けるのは大変だけど……苦労を越えていける? それだけの心を、ちゃんと持っている?」 垂氷は顔を上げた。迷いのない目をして、力強く頷いた。 「……まどろっこしいな、女ってのは」 紫狼がつぶやく。でも彼とて垂氷の幸せを願うという意味では同じなので、少女の内面の成長を、少し眩しくも感じていた。 ● そしてその後――これはほんのちょっと未来かもしれない話。 棗商店の元番頭という男の立ち上げた小間物屋が、都の片隅に出来た。 はじめは小さかったものの、とある大手呉服店の後押しもあり、また女性の心をつかむ商品も数多く、やがて人々の噂にのぼる人気店の一つとなった。 そしてその店主のそばには、綺麗な銀髪の若女将が、いつも寄り添うように仲睦まじくしているのだという―― |