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■オープニング本文 ● それは、八月のある夕方。 夕立があがって、空には虹がでていた。 空を見ていた少年は、言う。 「きれいな虹だなあ……」 少年は床についたまま、そうぼんやりと口にしていた。 もう何年、こうしているか。 あと何年、こうしているか。 誰も、何も言わない。 けれど、少年は――わからないはずもなく。 そう、自分の命はそれほど長くないのだと。 虹の麓には美しいものが眠っているというけれど、自分はその真偽も知ることなく儚くなってしまうのだろう――と。 ● 「こんにちは……あれ? どうかしたんですか?」 来風(iz0284)がギルドを訪れると、そこには見知った職員が、気難しそうな表情を浮かべていた。それでも来風に気がつけば、笑顔を見せて応対する。 「ああ。大したことはないんだ……ちょっと、疲れているんだろうな」 職員はそう言って、わざとはぐらかすようにする。が、すぐに思い直したのか、 「……あ、待て。いや、あんたみたいな奴には言う方がいいな。いやな、ちょっとなんていうか……うん、繊細。繊細な依頼が飛び込んできたんだ」 職員はその依頼記録を来風に見せた。 「余命いくばくもないと言われている少年が、虹の麓の宝物、というものを欲しがっているらしい。もちろんこいつはよくあるおとぎ話の設定にすぎんが、彼は信じているらしいんだな」 「それで……?」 「うん、それであんたを見て思いついたんだ。虹の麓の宝物とはいかなくとも、それに匹敵するくらいの物語や、きれいなもんをあんたは知ってる。その少年に、そんな話をしてやってくれないか? もちろん、他の開拓者にもあたってみるけどね」 「それってつまり……?」 「虹の麓の宝なんて無理だからこそ、いわゆるやさしい嘘ってやつだ。でも本当、こうして励ますのも大事な仕事だろう? 手伝ってくれると嬉しいんだが」 来風が都に来てまだ一年は経過していない。しかしこうやって声をかけられること、それがとても嬉しかった。だから、来風はゆっくり頷いた。 |
■参加者一覧
玄間 北斗(ib0342)
25歳・男・シ
春吹 桜花(ib5775)
17歳・女・志
翆(ic0103)
29歳・男・魔
ガートルード・A・K(ic1031)
19歳・女・吟 |
■リプレイ本文 ● ――虹の麓には、それはそれはきれいな宝物が眠っている。 そんなお伽話は、どこでうまれたのだろう。 子供の頃に一度は夢想するであろう、虹の麓。 ……けれど、ああ、だからこそ、そんな夢みたいなお話が生まれるのかもしれない。 ギルド、そして来風(iz0284)の呼びかけに応じて集まってくれた開拓者たち。 渡された地図をもとに、翔少年が療養生活を送っているという屋敷へ向かった。屋敷はそれなりの大きさで、中流家庭よりは若干良い暮らし向きであることがすぐにわかった。 「今回は坊っちゃんのために、よく集まってくださいました」 屋敷仕えの老女が出迎えてくれる。 「伝染る病気じゃあ、ないんですけどね。それでも坊っちゃんはずっと離れでお暮らしなさっていらっしゃいます。病気のために寺子屋などにも行けず、それでもひと通りの読み書きは覚えて、自分で本を読んだりして、そうやって時間を潰してらっしゃるんですよ」 そう言いながら通されたのは、こぢんまりとした離れだった。 「坊っちゃん、開拓者の皆さんがいらっしゃいましたよ」 そう言って老女が襖をすっと開ける。 その奥にいたのは、小柄で痩せっぽちの少年だった。 敷かれたままの布団からわずかに起き上がり、小さな背もたれにもたれかかっている。身体が弱いというのが、一目見てわかる風体だ。 「本当に開拓者さんが来てくれたんだ……はじめまして、僕は翔っていいます。今回はよろしくお願いします」 翔と名乗った少年は、小さく頭を下げる。 「わたしは来風といいます。こちらこそ、よろしくね」 来風は皆を代表するような形でニッコリと笑顔を作った。 「翔くんは、虹の麓の宝物……その真偽を知りたいのだ?」 のほほんとした見た目の青年、玄間 北斗(ib0342)が、少年に確認するかのように尋ねる。少年は、こくりと頷いた。 「おいらは玄間 北斗っていうのだ。翔くん、よろしくなのだ」 そう言うと、北斗はそっと何かを取り出す。 「それは……?」 少年ははっと目を丸くさせる。だって、北斗が取り出したのは、彼が過去に依頼で探し出してきたという『七色に光るバラ』だったのだから。丁寧に扱われているのが一目でわかる、心配りも細やかなそのバラは、挿し木ができるようにきちんと細工されている。 「おいらは幸運なことに、都市伝説って昔から一蹴されてきてた『七色に光るバラ』を見つけることが出来たのだ。虹の麓の宝物もそれと同じで、『見つけられない』って言うことは『ない』ってことの証明にはならないのだ。だからこそ、夢はいつの時代も追い続けられると思うのだ。そう、例えば今は病気で床に伏していても、元気になって自分で夢を探求することができる日が来ないって、そう決まったわけでもないのだ」 ゆっくりとそれを翔に手渡しながら、微笑む。 「綺麗、だなあ……」 受け取った翔は、頬を赤くさせて、その手に渡された『七色に光るバラ』を眺める。 「世の中、何がきっかけで物事が好転するかなんて、誰にもわからないのだ。だからこそ、世界は面白いのだ。夢と希望に満ち溢れていて」 北斗は言葉を続ける。 「挫けそうになっちゃうこともあるかもしれないけれど、それでも夢と希望は自分を支えてくれる一番大切な友達なのだ。それを決して手放したりしたら駄目なのだぁ〜」 励ましの言葉を与えながら、夢を持つこと、希望を失わないことの大切さを説いていく。それを聞いて、少年は頷いた。 「それにしてもそのバラは、すごいでやんすね。それこそ虹の麓の宝物と並び称されるくらいのもんを見た気がするでやんす」 そう言って同じようにバラを見つめているのは、春吹 桜花(ib5775)。一見股旅姿のいなせな若者――だが、その性別は女である。女だてらに風来坊に憧れ、馬鹿にされたという過去もあるが、今では桜が舞うかのようにどこからともなくやってくるということにちなんで『桜来嬢』と呼ばれる程になっている、らしい。そのことを翔に説明すると、なるほど、どこからともなく桜の香りが漂ってきたような気がする。 「おねえさんも、虹の麓の宝物のこと、知っているのですか?」 翔が興味津々に尋ねた。すると桜花は、「うーん」とかすかに唸った後、言葉を続けた。 「虹の麓の宝物、というと、あっしも旅の途中に何度かそれを探しているという人に会った事があるでやんすよ。けど、虹といえば、あっしはその宝物とやらは見たことないでやんすが、虹を捕まえたことはあるでやんすよ!」 ● 「虹を捕まえる!?」 「ええっ?」 少年はその言葉に、思わず大声を上げる。しかしその後に咳がついてでて、世話係の老婆が慌てて背中を擦ってやった。ちなみに来風も驚いて思わず声を上げたものだから、照れくさいのだろう、わずかに赤面してしまっている。 「坊っちゃん、気持ちはわかりますがあまり興奮なさると」 「ケホ……うん、ありがとう……それで、虹を捕まえるってどういうことなの?」 老婆に助けてもらいながら翔は咳を抑えて、ゆっくりと桜花に尋ねる。 「そうでやんすねえ……あれはある夏の日の雨上がりのことでやんした。あっしは虹が空を飛んでいるのを見つけたんでやんす。それはそれは小さいものでやんしたが、すごく輝いて見えたでやんす。あっしも昔、過去にとある旅人が虹を捕まえたことがあるってぇ話を思い出しやして、捕まえに走ったんでやんす」 いかにも風来坊なクセのあるしゃべり口に、少年は目をキラキラさせながら聞き入っている。『虹を捕まえる』という話自体も珍しいため、他の開拓者たちも興味津々だ。 「そしてそれがこれ――」 桜花は大事そうに『それ』を懐から取り出した。虹色に輝く羽を持つ、その小さな生き物を。 「『玉虫』って言って、もとからこんなに時のような美しい羽を持った綺麗な虫でやんす。今頃の時期にいる虫でやんして、今回のために苦労して捕まえに行ってきたでやんすよ」 小さな虫だ。手のひらに乗ってしまうほどに小さな、小さな。しかし、その羽はたしかに――虹色にきらめいている。虹のかけらか何かと見間違える人がいても、やむをえまい。 「……この虫を初めてつかまえた時、あっしの思ったことなんでやんすが」 柔らかい口調で、桜花が言う。 「人が作り出すことのできなかった虹の絶妙な輝きを、虫が再現しているってことを昔の人も知っていたから、この漢字が作られたんじゃないかなぁ、なんてことを、思ってしまったんでやんすよ」 桜花が取り出したのは「虹」と大きく書かれた半紙だ。 「『虹』の輝きは『虫』の『工(たくみ)な技』によってなし得る――すなわちこの虫の存在が、『虹』という感じのゆえんなんじゃないかって、そう考えてしまうんでやんすよ」 「ああ、そういえば虹って漢字は不思議ですよね、たしかに。でもなんだか、夢がありますよね」 自然現象に虫という単語が入っている、言われてみれば不思議な文字である。来風も指摘されて、うーんとうなった。もしかしたら、彼女の書こうとしている草双紙にも影響が出るのかもしれない。 「虹の麓の宝物もそうでやんすが、欲しいものはやっぱり自分から手を伸ばさなきゃ捕まらないものでやんす。この虫の『虹』は、翔の坊っちゃんに上げるでやんす」 なんでも玉虫は吉兆虫という二つ名があり、縁起が良く幸せを呼ぶという俗信があるのだと付け加えながら、桜花はそれをそっと少年の手に握らせた。 「……でも、『虹の麓には行ってはいけない』という昔話も、僕は聞いたことがあるな」 混ぜっ返すわけではないんだけどね、そう言いながら微笑みを浮かべたのは翆(ic0103)である。彼自身かつて重傷を負い、進む道の一つを閉ざされた経験がある身の上である。この中では特に翔の気持ちを推し量ることの出来る経験がある、と言ってもいいかもしれない。 ● 「僕はね……十二歳の春にアヤカシ討伐の依頼を受けて、高山の小さな里に向かったんだ。けれどもどれだけ行っても入り口は全く見つからないし、開拓者の先輩たちともはぐれてしまうし、って散々だったな」 今の翔と殆ど変わらない年齢の頃から開拓者を続けているということだ。それを聞いて、翔は「すごいなあ」と思わず言葉を漏らす。 「すごいって何がだい? 開拓者であることなら、たしかにそうなのかもしれないね」 翆は微かに笑顔を浮かべる。 「話を戻そう。その、みんなとはぐれてしまった矢先に、里への入口を見つけることはできたんだけど……折悪く天気雨が降ってきて、進む方向に虹がでたんだ。祖母にね、『虹の麓へは決して行ってはいけない』と聞かされていたからなんとなく嫌な予感がして、無我夢中で先を急いだんだ」 まるで幻想世界への入り口であるかのような翆の語り口。柔らかくも、どこか底知れぬ深さがある。それは語っている話自体が得体のしれないものを抱えているからなのだろうが、来風ですら思わず息を呑んだ。 「岩の隙間をくぐり抜けて、真っ先に目に飛び込んできたのは、一面の白い梨花の花吹雪。空恐ろしいくらいに美しかった。そして必死で里に辿り着いた時には……もうその里は壊滅していた。生きていたのは美しい人型のアヤカシと、その白い花に溶けこむようにして立っていた四、五歳の子供がひとり……たったそれだけ」 「一緒にいた他の開拓者さんは……?」 尋ねてみると、青年は小さく首を振った。あまり応えたくないのだろう。 「……『虹の麓へは、決して行ってはいけないよ』と言われていたのは、『それはそれは美しい景色が広がっているが、その光景の魅力に近寄ってくるのは決して良いものだけではない』――そういうことなんだろうね。そのために開拓者はいるのだと……僕の祖母が話してくれたことは本当だったんだ」 わずかに重い、沈黙が流れる。虹の麓の宝物というのは、確かに得体のしれなさがあるかもしれないが、経験談となれば更にその重みは深くて。 「……そんなわけでね、」 その沈黙を、翆自身が努めて明るい声で破る。そしてその際に手に入れたという白い宝珠のかけらをそっと翔の手に握らせると、 「僕が知る虹の麓の宝物って言うのは、自身の大切なモノを引き換えにすることで得られるものでした。だからね、」 そこで青年は一拍おいて、そしてそっと言葉を続ける。 「『虹の麓へは、決して行ってはいけないよ』?」 けれどそれは少年の中の冒険心をちくちくと刺激するもので。禁止されれば、むしろそれに抗うのが少年という生き物なのだ。 翔は小さく頷く。けれど、その瞳にはそんな冒険に対するときめきが、小さくゆらゆらと揺れていた。 ● 「素敵なお話がいっぱいだね、とっても楽しいよ」 そう笑顔をこぼすのは、アル=カマル出身のガートルード・A・K(ic1031)。 「ボクは演奏家のガートルード。よろしくね。それにしてもすごいね、ボクもこんなに色んなお話を聞けるって思わなかったよ」 桜花とはまた違った、溌剌とした印象を受ける声だ。彼女も旅の音楽家として様々な地を歩いてきた経験から、さまざまな『お話』を知っているのだろう。 「そんなボクが話すのも、虹のお話。と言っても、ボクは虹の麓には行ったことはないんだけどね。だから、以前に聞いた話になるんだけれど……楽しんでくれたら、嬉しいな」 ガートルードはそこで一旦言葉を切り、少年の顔を覗き込む。翔はいかにもワクワクしているような顔で、瞳は確実に挨拶をした時よりも生気を帯びていた。 「こんな話を聞いたことはあるかな? ジルベリアのとある地域では金色のカップが置いてあるって言われているんだよ。虹っていうのは、女神や妖精が化けた姿だって言われているんだって、それでその女神や妖精さんたちがお水を飲みに降りてきているのが虹なんだって」 「じゃあその金色のカップはどう使うの? カップって器のことだよね?」 翔は楽しそうに、そのこたえを待つ。 「うん。ショウは頭がいいね。虹を使って降りてきた女神たちがそのカップで水を汲んで、空から雨を降らせるんだって! すごく素敵だと思わない? ボクは妖精さんには、まだ会ったことがないから」 「妖精」と名がつくだけなら相棒に羽妖精がいるが、ほんとうの意味での妖精はまずお目にかかれるものではない。その姿を想像するが、はっきりとそれが像を結ぶことは、ない。 「ねえ、気になるよね、虹の麓。金のカップがあるのかな? それとも、もっともっと素敵な宝物があるのかな? もしかしたら、宝の地図があるのかもしれないよ?」 その言葉はとても魅力的で。 「僕も探しに行きたいなあ……」 翔はポツリと、そうつぶやいた。 「うん、ボクだけで探すなんてもったいなさすぎるよ。ね、ショウも一緒に行こう? キミの時間はもう少し、じゃなくて、まだ少し、あるんだよ? ねっ?」 もう少ししかない、ではない。 まだ少しある、なのだ。 それに、もしかしたら医者の見立てが間違っている可能性だってある。 「うん……ありがとう」 翔はほんのすこし顔をくしゃりとさせて、そして微笑んだ。ガートルードは優しく微笑むと、色硝子の香水瓶をそっと手渡す。 「約束だよ? ボク、待ってるから」 「うん……」 硝子瓶はほんのりひんやりしているくせに、胸の奥が暖かくなるような、そんな気がした。 ● バラの花は、香水瓶をまるで一輪挿しのように使ってその美しい姿を誇るかのように見せている。 それを床の間において、桜花がくすりと笑った。 「こりゃあ、元気になりたいと思うきっかけが出来たのかもしれんでやんすね?」 翔はちょっと顔を赤くさせて頷いた。 「皆さんの話、すごくすごく素敵でした。ちょっと怖いのもあったけれど」 一瞬翆のほうを見るが、彼の様子は特に変わった感じではない。怖いと言ってもそれはおとぎ話の怖さで、その怖さは物語というものに普遍的に存在しているものだ。 「でもでも、皆さんの話を聞いていると、僕も旅に出たいって思えたんです。……旅に、出られるでしょうか」 少年の純粋な問いかけに、来風は頷いた。 「信じていれば、いつか叶う日が来るかもしれない。だから、はじめから諦めてはいけないと思うんです」 そう、言葉を添えて。 少年はありがとうといい、そして力強く手を振った。 きっとその言葉が、これからの彼の支えになるのだろう。 それを信じて、開拓者たちは少年に笑顔をおくったのだった。 |