皐月の綴〜母子の思ひ出〜
マスター名:四月朔日さくら
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/05/31 19:14



■オープニング本文


 皐月というのは何かと慌ただしい時節。
 春から夏へとゆるゆると変わり、けれど体に感じる暑さ寒さは夏だったり早春だったり、風邪を引いたりするものもそれなりにいるし、まだまだ油断をしててはいけない季節だ。
 そしてそれと同時に、子どもの健やかな成長を祈り、夏の訪れを祝い、そして母への感謝の言葉を述べる――そんな時節。
「……そういえば、母さんは元気にしているかしら」
 来風(iz0284)は、ぼんやりと己の母を思い出した。
 大家族に育った彼女は、毎年この季節は忙しく動いていたものだ。
 幼い弟妹の世話もしたし、自分も母に花をあげたり、もっと小さい頃は毎年大黒柱で背比べもしたものだ。
 今も実家の大黒柱には、その時のあとが残っているに違いない。
(なんだか懐かしい……)
 親元を離れて半年強。まだまだ寂しい年頃でもあるのだ。
「そう言えば、他の開拓者の皆さんはどうなのかな……?」


「なるほど。たしかにこの季節はそういう話題がそこかしこででますねえ」
 翌日の開拓者ギルド。
 来風はいつも世話になっている職員の男性と、そんな話をしていた。
「うちも覚えがありますよ。柱に傷をつけて、成長の記録にするんですよね」
「そうそう。私の家は古い上に家族も多いもので、傷がいっぱいありました」
 来風は懐かしそうに目を細めた。
「子どもの成長と母への感謝。……良いですね、何かこれで取材したらどうです?」
 ギルド職員の言葉に、来風も頷く。
「ええ、実際、今日相談に来たのは、その為なんです」
 こういうことに対する感の鋭さは、やはり作家志望というのもあるのだろうか。
「なら、そういうことにまつわるお話ですかね?」
「ですね。母と子――一番誰の記憶にもある絆じゃないかと思うんです。そいう関係が築いたお話を聞けたら、いいかなって。もしも嫌な思い出があったとしても、吐き出してしまうこともできますしね、きっとこういうことで」
 話すことは自分の心のわだかまりを解きほぐす手段として、時に有効である。誰もがというわけではないが、そういう複雑な気分を持つ人はいないとはいえず、そんな人の手伝いになれれば――来風もそう思うのだ。

「じゃあ、また貼りだしておきますね。いいお話、聞けるといいですね」
「ありがとうございます」
 来風はそう深く礼をして、そして微笑んだ。



■参加者一覧
玖堂 真影(ia0490
22歳・女・陰
玖堂 柚李葉(ia0859
20歳・女・巫
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
水月(ia2566
10歳・女・吟
和奏(ia8807
17歳・男・志
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
黒曜 焔(ib9754
30歳・男・武
津田とも(ic0154
15歳・女・砲


■リプレイ本文


 来風(iz0284)の『お話を聞かせてくれませんか?』というお願いも、気がつけばどれくらい行なっているだろう。
 何度も話を聞く機会を設けていれば、そのうちにそんな話の中で知りあう人々もいるわけで。もちろん、他のギルドの依頼で知り合うことも少なくない。
「新緑の心地よい季節になって……来風さん、またお会いできて嬉しいわ」
 そう微笑みかけるのはフェンリエッタ(ib0018)。霊騎のパルフェはもさもさと、その横でのんびり柔らかい草を食んでいる。そしてその脇には、他にも見覚えのある顔がいくつも、いくつも。
「黒曜さんも、和奏さんも、お元気そうで。今日もよろしくお願いしますね」
 来風も、黒い耳をぴんと尖らせた黒曜 焔(ib9754)や、和奏(ia8807)にあいさつをする。彼らもまた、来風とは以前から何度か面識のある開拓者だ。
「美味しいお茶をいただけると聞いて……ああ、そういえばあたしたちは初めましてだよね、よろしくね。こちらは大親友にして未来の義妹なの」
 そう言って挨拶をしたのは、鮮やかな赤毛の玖堂 真影(ia0490)。傍らにいる佐伯 柚李葉(ia0859)が顔を少し赤らめつつもぺこりと礼をした。
「はじめまして来風さん。佐伯柚李葉です、よろしくお願いします」
 そう丁寧な挨拶をされて、来風も慌てて挨拶を返す。
「新茶の清々しいキリッとした香りが好きなんです……柏餅も、いろいろな味がありますし……楽しみですね」
 私はこしあんが特に気に入っていますけどね、柚李葉はそんなことを言いながらふんわり微笑む。
「もふは柏餅、どれも好きもふ!」
 下の方から楽しそうな声がした。見れば食いしん坊な焔の相棒・もふらのおまんじゅうが、弾むような声でキャッキャという。
「かすかも、お菓子好きもふ……」
 来風の連れのもふら・かすかも案外食い意地が張っているらしい。
「私、お菓子も持ってきていますから、あとでみんなで食べましょうね」
 玲璃(ia1114)がにっこりと微笑みかけると、もふら二体はキラキラと目を輝かせた。しかも目を輝かせたのはもふらのみにあらず、見かけに反してかなりの大食い娘である水月(ia2566)なども顔をぱっと輝かせた。しゃべることを余りしない彼女であるから、目は口ほどに物を言いという感じで、沈黙の後にこっくりと首を縦に振る。
「おかあさん……か」
 ポツリつぶやいた水月の言葉は、なにか複雑な感情が入り交じっている感じであり。
(改めて他人から話をふられると、今でもちょっとだけ……泣きたくなるの)
 そんなことを思いながら、相棒の上級迅鷹の彩颯をそっと見上げる。涙が溢れるわけではないが、まるで涙をこらえているようにも見えた。
「柏餅とお茶ですか……今回もいろいろな方のお話を聞かせていただけるのは、自分の思い出が広がっていくようで楽しいんですよね、光華姫」
 話を聞くのが好きという和奏も相棒の人妖とにっこり微笑みあった。
「でも、みんなやっぱり相棒は思い入れがあるんだろうねえ」
 津田とも(ic0154)は相棒の――といっても生命体ではないのだが――グライダーをポンと叩く。本人は鷹の獣人だからだろうか、空をとぶということに関してはこだわりがあるのだろう。
「なんだか楽しみだな。ね!」
「ですね。もうすぐ目的地です。美味しいお茶と柏餅が待ってますよ」
 来風にそう言われて、歩みが早くなる相棒たちやはらぺこ開拓者たち。それをゆっくりと追いかける仲間たち。
「――さあ、皆さん。それでは、この辺りで話をすることにしましょうか?」
 来風は丘の上にある茶店にたどり着くとにっこり微笑んだ。そしてもふらのかすかの背中にくくりつけてあった柏餅をぱあっと広げる。茶店への差し入れも兼ねているらしいそれは、数多くの、そして種類も豊富であり、空腹を覚えてなかったはずの仲間たちの腹もぐうとなる。思わず誰もの顔からも笑顔がこぼれた。


 たどり着いた茶店からの見晴らしは上々。
 柏餅と新茶、そして玲璃の用意していたワッフルをみんなで分けて食べながら、ゆっくりと語り合う。
「こういうお話をするような依頼では、お菓子なども楽しみの一つなんですよね」
 柚李葉が真影の隣に座ってふんわりと微笑みを浮かべる。寂しがり屋だという彼女だが、やはり心安い相手がそばにいるほうがうんと安心できるのだろう。その後方には彼女の相棒である駿龍の花謳が、そんな相方を優しい目で見つめていた。
「そうよね……いろんな人がいるから、いろんな話が聞ける。それはこういう依頼だからこその醍醐味っていうのかな?」
 膝の上に人妖の泉理をちょこんと座らせ、真影も頷いた。
「でも、みんなが期待できるような話はあるかって言うとちょっとわからないけどね。あたしの母様は、男勝りで腕っ節の強い志士だったらしいけど……そういう母との思い出、あたしにはないのよ」
 誰もが目をパチクリさせた。
「……母はね、弟を生んだ直後に亡くなったの。そしてあたしはそんな母の身体から自分から出てきたんだらしくてね。だから、あたしたち双子の誕生日は同時に母の命日なの」
 地域によって違いがあるかもしれないが、彼女の氏族では双子でも後から生まれた方を年長とするのだという。
「うちは下級とはいえ貴族、氏族の長の家系だったから、母代わりになってくれる女性は何人かいたけれど……でも父様は父親である前に氏族の長という立場だったから、子供の頃は顧みられることが少なく感じちゃっのね。だからよくきょうだいで母様がいたら……なんてことを想像してたの」
 そんな弟の婚約者である柚李葉も、少しは聞いているのだろうが、ここまできちんと聞くことはあまりなかったのだろうか。真摯な瞳で、その話をじっと聞いている。そんな心中を察したのか、泉理はそっと真影と柚李葉の手に触れて、大丈夫だと励ました。
(そうね、大丈夫)
 柚李葉は微笑む。
(お義母さまになってくれる方、ですものね)
 親友の視線に、真影も笑顔を浮かべた。
「そういうこともあって、あたしにとって母様っていうのは永遠の理想の女性、よね。気高く凛々しく美しい……そんな憧れの存在なの」
 出会ったことがないから、一層美化されているのかもしれないけれど、それでも気持ちは伝わってきた。きゅっと、胸を突かれるような思いが走る。
「でも、ボクにとって真影は主であり母であり守るべき人だよ、真影?」
 真影に創られた人妖・泉理が笑う。柚李葉も未来の家族だね、などと言いながら。
「母親を早くに喪った……か。私も、それなら少し似ているかな」
 焔がそっと言葉を続けた。
「母は東房の出身らしいと、聞いている。父が猫族の旅泰でね、他の仲間とはぐれてしまったところを介抱したのがきっかけだったらしい。ちなみに母は人間だったそうだから、この耳は父譲りだね」
 ぴんと立った黒い耳を指さして、微笑む。
「でもそんな父も商隊もろともにアヤカシに襲われた……らしい。遺体がまだ見つかっていないだけかもしれないけどね、とにかく消息不明になった。それで私は父方の叔母に引き取られた。育ての母になってくれたんだ。酒場を営んでいる人でね、綺麗な女性たちを雇っていた。その人達も、私をかわいがってくれたね。酒場という環境はいろいろなものが見える場所だったよ」
 女の子と間違えられもしていたかもね、というと、誰もが笑顔になった。でも、と焔はそこでいったん言葉を切る。
「叔母が恋人と、私のことがあるからと別れ話をしているのを見てしまったんだ。このままでは、叔母はずっと独り身で人生を終えてしまうかもしれないと思って、申し訳なくてね。それにアヤカシを討つことの出来る力が自分にあるのなら、もっと世界のためにも戦うための力を身につけたくてね。だから思い切って、東房で、僧となる道を選んだのだよ」
 そんなことを言いながら、彼は相棒をもっふもっふしていた。そんな相棒は、焔のぶんの柏餅まで綺麗にぺろりと平らげていた……。

「そういえば、これは来風さんに」
 フェンリエッタは手元にあった鈴蘭を飾る。鈴蘭の花言葉は「幸福の訪れ」――彼女はそれを祈りながら。
「……来風さんにとって、ご自分の誕生日はどんな日なのかしら?」
 不思議な謎かけに、来風はちょっと考え込んで、
「春の芽吹きを感じる季節ですから、その印象が強いでしょうか……」
 と応じた。
「私は五月生まれなのだけれど、誕生日こそ母の日なの。私を産んでくれたお母様に感謝をして、そして顔も名前も知らぬお父様に近況の報告をする日」
 と言っても父の墓所も知らないからひとりごとなのですいけどね、フェンリエッタはそう微笑む。
「私は五人きょうだいですけれど、いろいろな事情で、母の実子はすぐ上の姉とわたしだけなの。母と家督を継いだ兄は、アジュールの屋敷に暮らしているわ」
 ほんのりと彼女は懐かしい瞳をした。
「私たちは母の実家で育ったのだけれどね。親代わりの祖父母や親類も多かったし、週に一度は母にも会えたから寂しいとは思わなかった。風邪を引いて寝込んだりとか、特別な日にも必ず会いに来てくれた。決して近いわけでもないし、父の亡くなる前後も婚家での立場は大変だっただろうと今は思うのだけれど、あの頃は純粋に嬉しかった……いつも笑顔で、キラキラしていて。私達の好物であるアップルパイは、不器用でも一生懸命作ってくれた」
 母という存在は誰にとっても特別なのだ。そして母にとっての子ども、も。
「いつも宝物といってくれるお母様が大好き。でも、私はそんな母に孝行できているかしら……なんて、今年は考えても見たりしたの」
 母親はやはり特別な存在なのだ。誰にとっても。
「そういえば、和奏さんのお母様はどんな人なんです?」
 来風はふと、尋ねてみた。いつも笑顔でいる、青年を見て。


「自分の母親……ですか? そうですね、ええと……いつお会いしても綺麗な方です。芸の道を嗜んでいるせいか、いつも良い匂いがして……そうそう、光華姫と同じように、お衣裳やお道具も好きだと思います。ちゃんと自分の分も一緒に誂えてくださるんです。お姫様みたいと言われれば、そうかもしれませんね」
 そう話す和奏は微笑みを絶やさない。実際のところの関係はもっと複雑なのかもしれないが、和奏のほんわりした話しぶりではそれをはっきりとうかがい知ることはできないけれど。光華がふわふわと、いたずらっぽく和奏の周りを回っている。自分のことも話してくれと言わんばかりに。
「光華姫の御母君も、きっと綺麗なんでしょうね。光華姫、美人ですから。そうそう、自分の母はお茶や管弦の宴席に呼んでくださったり、お出かけするときも相伴してくださったり……きっとお優しい方なのだと、思います」
 どこか『自分のことを話している』感じのしない、不思議な話し方。でも、外出の時には四六時中母親が傍にいたと思われるその状況を辛いと思わないあたり、和奏にとっては素敵な母親に見えるのだろう。他の人がそれをどう受け止めるかは、また別問題だけれど。
「いろんな母親がいるのですの……」
 水月はほう、と頷きながら、自分の母を思い返そうとする。ほんの十歳の幼子である彼女にとって、母とは一体どんなものなのか。
「でも、わたしを産んでくれたお母さんのことは、あまり覚えてないの。小さい頃に、両親共になくなって、身寄りのない子を預かる施設に入れられて。……ほんのり覚えているのは、わたしと同じ色の髪と瞳をした女の人……抱っこされると、いつもお菓子みたいな甘い香りがした、とか……ほんの少ししか覚えていないの」
 しかし、と水月は笑う。
「一人ぼっちになったわけじゃないの。今は、お母さん代わりになってくれる相棒がいるの。わたしは親が死んだことを理解できてなくて、施設から脱走したのだけれど……そこでわたしを拾ってくれたの。ご飯をくれた、様々なことを教えてくれた、そして開拓者になるきっかけもくれたの」
 それにね、と肩に止まる迅鷹をそっと撫でた。
「わたしも、今は彩颯ちゃんのお母さんなの。いろんな人にいっぱい助けてもらっちゃいましたけれど、餌をあげたり一緒に遊んだり。私がしてもらって嬉しかったことを他の誰かにしてあげられるのも、嬉しかったの。お母さんがこうしてくれた時も、同じようにわたしのことを思っていてくれたのかな……?」
 その問いに応じるかのように彩颯も身体を水月に甘えるように寄せた。
「他の相棒さんも、みんな家族。だから、今、わたしは幸せなの」
 長い話だった。
 普段は寡黙な、幼い少女の語るには、重い身の上。けれど、彼女はそれも幸せに思っているのだろう。だから、可愛らしい顔に笑顔を浮かべることができるのだ。


「なんかみんなの話を聞くと、すっごいいろんな人がいるんだなって思うな。そういう意味では、うちはまだまとも……なのかな?」
 ともがからりと笑った。
「うちは代々砲術の家でね。オヤジも砲術ばっか。庭には的があるのが当たり前だったし、火薬の匂いも当たり前だった。しかもオヤジは『これからは機械の世になる』って言い出してね、からくりやアーマー何ぞの研究にも手を伸ばそうとしてさ……でも兵法家って実力主義の世界だからね、砲術を疎かにしちまえば食えなくなっちゃうんだよ、うちの場合」
 そんな彼女も、体からは消えぬ火薬の匂い。彼女自身もかなり珍しい方向性の開拓者で、天儀の機械化における有用性を証明しようと、相棒を機械で揃えてしまったという、一種の変わり者だ。
「母さんはさ、そんなオヤジに否定的にも見えてたんだけど……家のことを思ったっていうのもあるんだろうね、機械の研究は母さんが担当することになったんだ。今日持ってきたグライダーはそんな中の三代目。母さんの嫁入り道具が最初で、その次は私がつい最近まで乗ってたやつ、そしてこいつ。そんなふうに夫婦で力を合わせてこの国を、世界を良くしようと……アヤカシを駆逐するためにどうしようかといろんな技術を磨いてる姿を見て、俺は育ったわけ。そりゃあ、こんなふうに育つのも時間の問題だよね」
 砲術士のグライダー使い。それは決して多い存在ではない。ありったけの機械の力を借りてのアヤカシ退治なんて、実践者のほうが少ないのだから。
「俺は当分、グライダーに力入れようと思ってる。母さんの悲願でもあるし。それに万が一、いつか龍が絶滅するとか……そんな大異変があっても、人間が満足に戦えるように、さ」
 ともの笑顔はからりとしていて、見ているこちらも元気を分けてもらえそうなものだった。母の思い出であると同時に、自分の夢だからなのだろう。
「本当に、いろんな家があるんですねぇ」
 来風がほう、とため息をつく。彼女の家は大家族である以外、特に何の変哲もない家である。だからこそ、こういう話を聞いて想像力をふくらませるのはとても楽しいのだ。
「では、私も話しましょうか」
 玲璃がひとつ、小さく礼をした。
「私の実家は、地域土着の小さな神社です。何をするにも常に人手が足りないから、小さい頃からなんでもできるようにと厳しくしつけられました。おかげさまで今では大概の事はこなせるようになっていると思います」
 会話をしながらふと懐かしそうに微笑む。子ども時代の思い出が脳内に蘇っているのだろう。
「母が唯一反対したのは『今の私』になること……『終焉を継ぐ』ことでした。詳しい話は省きますが、私が『先に終焉を継いだ』姉の依代――つまり『器』となることです。性別だけはいかんともできませんでしたが、それ以外は周囲の期待に応えようと努力をしてきました。……あとは姉が、『今の私』という器に入るだけです」
 一見女性のように見える玲璃だが、その素性もかなりとんでもないようだ。正直、想像力豊かな来風ですら完全に把握できるわけでなかった。この辺りはそれぞれの家庭にそれぞれの事情があるだろうから、しかたがないのかもしれないが。
「……母は泣きながら約束をしてくれました。私が役目を終えるまで長生きをして、私が元に戻る時が来たら、そしてそれを皆が許してくれたら、その時こそ『私自身』として生きる姿を見させてくれ、と」
 複雑な家庭で、複雑な事情があるのだろうが、息子が自分をなくしてしまうのはやはり誰にとっても耐えられないのは想像に難くない。羽妖精の睦も、そんな主を見て心配そうな顔をしている。しかし玲璃は笑った。
「だから、私にとって母は、『今の私』でなくていいといってくれた唯一の人なんです。姉が私を依代としたら私は消えてしまいますが、その約束があるから、私はきっと後悔なく消えることができるんです……」
 母の言葉は、なにものにも代えがたいのだろう。ほんのりと、玲璃の目尻に涙が浮かんでいた。しかしそれも、きっと幸せの証なのだ。

「柚李葉ちゃん?」
 もぐもぐと美味しそうに柏餅を食べている少女を見て、横にいる真影が尋ねる。すっかり食べることに夢中だったようだ。
「え? ……あ、私の話、そういえばまだでしたね」
 口の中の柏餅を平らげてから、柚李葉が語り出す。
「実の母は物心ついた時にはもういませんでしたから……大好きなお養母さんの話を」
 詠うように、語る柚李葉。
「小さい頃は旅一座にいて、もともと養母はその後贔屓先の奥様でした。その頃から優しくて、その後一座がアヤカシに襲われたりなどいろいろあって……最終的に養子として引き取ってくれたんです。養父や義兄とはなかなか打ち解けられなかったのですけど、お養母さんはそんな私を大きな心で包んでくれて……まるで実の娘のようにかわいがってくれて」
 そこで一瞬目を伏せる。
「筋の通った意見の言える、凛とした強い方です。好きな人の元へ迷いなく諍いなく嫁げるのも、お養母さんのお陰で……だから私は、そんな女性になるのが目標であり恩返しだと思っているんです」
 ね? と真影に向かって小さく笑う。
「華謳も、与えてくれたのはお養父さんですけれど、選んでくれたのはお養母さん。いいお友達になってくれるように……って。ね?」
 その言葉に応じるように、駿龍は嬉しそうに尻尾を振った。


「随分日が長くなったから気づかなかったけど、もう随分な時間ですね」
 たくさんあった柏餅もすっかりなくなった頃、来風はふふっと笑った。
 世間にはたくさんの母がいる。
 それぞれがそれぞれの思いを抱き、子どもをそれぞれの手段で愛している。
 それが例え、歪んでいたとしても、たしかに彼女にとっては愛なのだ。

「でも、お母さんに会いたくなっちゃいました。わたしの母は、幼い弟妹を育てるのに精一杯で、なかなか里を離れることのない人だったので……手紙を送りたいですね。こういう話をすると」
「来風さんを信頼をしてもいるんでしょうね。きっと素敵なお母様なのでしょう」
 水月が柔らかく微笑む。
「それでもとりあえずは帰りましょう。みんなに心配かけてもいけませんから、ね」
 その言葉に、仲間たちも笑顔になるのだった。


 ――皐月ニ記ス。
 ――母子ノ章。
 ――母ノ愛ニ勝ルモノハ無シ。