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■オープニング本文 ● 「え? これは何ですか……?」 その日、ギルドに届いた大量の「草」。 新入りの職員は、一瞬目を丸くして、それからもう一度周囲に尋ねる。 「なんでギルドにこんな物送られてくるんすか?」 すると、先輩に当たる職員が数人来て笑った。 「これはショウブだよ。最近の若い人はあまり知らないかもしれないけれど、昔からこの時期にショウブを入れた湯につかると無病息災や厄除けの意味があるらしい。ま、実際効くかどうかは人それぞれ意見が分かれるがね」 壮年の男性職員がそう言って笑う。 「ああ……」 そう言われて、新入り職員もポンと手を打った。 幼い頃、祖母のくれた厳ついサムライを模した人形は、結構最近まで毎年この時期に飾っていたっけ。 あれも男子の厄除けのためなのだ、といっていた気がする。 「でもどうしてギルドに? 家庭に配るなりすればいいのに」 「いや、これを近くの温泉に運ぶ手はずは付いているんだ。送り主はわかりやすいようにギルドに届けてくれているが、つまりは開拓者たちへの激励の意味もあるんだよ。ショウブの入った湯をつかって、今年の無病息災と厄除けを祈願する。開拓者は何かと生傷の絶えない仕事だからな、こういう験担ぎをしたい人もいるってわけだ」 「なるほど……その温泉についての案内を、ギルドが出すということですね」 「そういうこった。とりあえずその案内、貼り付けておいてくれるか? 温泉だからな、人数はそれなりに歓迎らしい。あと、相棒も一緒に入れるらしいから、そのことも付記しておかなきゃな」 そこまで言ってから、先輩職員は慌てたように付け加えた。 「あ、ちなみに男女はもちろん別になっている風呂だからな。覗こうなんて輩が出ないようにもしないとな……」 |
■参加者一覧 / 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 和奏(ia8807) / 十野間 月与(ib0343) / 泡雪(ib6239) / レムリア・ミリア(ib6884) / 黒曜 焔(ib9754) / 神室 時人(ic0256) / 徒紫野 獅琅(ic0392) / ジャミール・ライル(ic0451) / 紫上 真琴(ic0628) |
■リプレイ本文 いらっしゃいませ、開拓者の皆様。 用意はすでにできております。 今日はゆっくりと疲れを癒し、また縁起良いとされる菖蒲の湯にゆったりとお浸かりくださいませ。 ――温泉の主はそう言って、にこにこと開拓者たちを迎え入れた。 ● 「ショウブユ……? ムラサキのオハナ、うかべるのです?」 そう尋ねたのは、礼野 真夢紀(ia1144)の連れている相棒のからくり、しらさぎだ。 「いいえ、同じ名前だけれど、花菖蒲とはちがう種類の草なのよ。しらさぎをお迎えする前の行事だから知らないのも無理は無いけれど」 そう言って、真夢紀はやんわりと微笑む。 はじめは別の相棒も来たがっていたが、そういえばしらさぎはこの行事を知らないのだった。そう思って彼女を連れてきたのは正解だったようで、彼女は赤い瞳を何度も瞬いて 「そうなのですか」 と、飲み込みの早さをうかがわせる。 「ええ。だから今日は、しっかりと楽しみましょう」 真夢紀は笑顔を絶やさずに頷いた。その相棒たるしらさぎも、同じように頷き返した。 「それにしても……熊や猿や鹿みたいなケモノが温泉にはいるなんて話はよく聞くけれど、龍も温泉は好きなんだろうか」 羅喉丸(ia0347)がちらりと相棒の甲龍・頑鉄に目をやると、随分と鱗が傷だらけなのがわかる。かの大アヤカシ生成姫らを相手とした戦いでは共に戦場に立った仲のひとりと一体、それをねぎらう意味を込めての温泉でもある。 ――龍はどんなふうに温泉にはいるんだろうな。 少しばかり想像してみる。 身体を湯につけて、のんびりと鼻歌をうたう頑鉄――まで想像して、 (やっぱりなんだか、ちょっと違うような) ちょっと笑って相棒の顔を見上げると、龍は不思議そうに首を傾げていた。 「それにしても、ギルドにはいつもどこぞかの温泉への招待案内があるような気がしますね……開拓者へのギルドからのご厚意、というやつでしょうか」 和奏(ia8807)は人妖の光華――和奏自身は彼女のことを『光華姫』と呼んでいる――がそわそわと楽しみにしている姿をやさしく眺めながら、微笑みをこぼす。 「本来は子どものための行事だし、自分も光華姫ももう子どもではありませんけれど、無病息災の祈願はできますからね」 荒事がついて回るのが開拓者という立場。少しでも験担ぎをしたいというのはだれにでもあるようだ。光華もお風呂ということで、何となく楽しそうに鼻歌なぞこぼしている。他の相棒も連れてきたかったけれど、今日はお留守番だ。 「折角いただいた機会ですし、少し骨休めと行きましょう、光華姫」 「でも、この時期のおもてなしってやはり似たようなのが多いのかしら……?」 そうつぶやくのは十野間 月与(ib0343)だ。実家は決して大きいとはいえないながらも小料理屋と民宿を経営している。実家の宿でも時節に合わせ、浴場に菖蒲を浮かべるなどはしているが、本格的な温泉でそれを堪能できるというのはやはりのちのちまでの参考になるであろうし、それに、 「あんたはまだ、天儀の風習には疎いものね」 同行している小隊の仲間、エルフのレムリア・ミリア(ib6884)ににっこりと笑いかける。 菖蒲湯という風習は天儀のもの。尖った耳、そして小麦色の肌が眩しいレムリアは、どこから見てもアル=カマルの出自であることが一目瞭然であり、つまり天儀の風習に馴染みが薄いのであった。 「アル=カマルにも湯をはった風呂というのはあったけれど……菖蒲湯という習慣はなかったし、温泉のような景勝地での入浴も機会がなかったわね。確かに」 砂の大地アル=カマルでは、このような景色を堪能しながらの風呂なんてそうそうできない。相棒である甲龍のブラック・ベルベットも、うんうんと頷いている――ように見える。 「でも今回は誘ってくれて有難う。郷に入らば郷に従え、という言葉もあるし、天儀の風習はもっと知りたいからね」 レムリアが礼をすれば、月与は 「気にしなくていいのよ。あたいも、他所様でどんなふうにもてなしをしているかとかを知る、絶好の機会だと思っているしね」 カラカラと豪快に笑う。 彼女のからくり・睡蓮も、そんな主の姿に笑顔をつい浮かべた。やや姉御肌の彼女だが、それは家族や仲間を思う心の裏返し。 「マスターの気持ち、わかります」 睡蓮が言葉少なにそう言うと、月与も笑って相棒の頭を優しく撫でた。 「絵梨乃様、温泉でゆったり過ごすっていいですねえ」 そう微笑んでいるメイド姿の獣人は泡雪(ib6239)。話しかけている相手は、彼女の生涯の伴侶たる水鏡 絵梨乃(ia0191)――ちなみに念の為に言っておくと、ふたりとも女性である――だ。どっちが夫でどっちが妻なのか、それはある意味永遠の命題なのかもしれないが、どちらにしろ若い夫婦であることには変わりない。 「そうだね。夫婦水入らずってことだな」 茶化した口調で絵梨乃が言えば、泡雪は頬をサッと朱に染めて、可愛らしい反応をする。 「そういえば……もみじはおすですけれど、忍犬ですし……どうなのでしょう?」 泡雪が連れている忍犬もみじは、主人の言葉に小さく首を傾げる。意味はわかっているのかわかっていないのか、そんな感じの表情だ。 「うーん。かなりきっちりしてるみたいだからわからないけれど、一応ここのご主人にも聞いてみようか、後で」 絵梨乃の言葉に頷く泡雪。言われてみれば絵梨乃が連れている迅鷹の花月もオスなので、確認を一応とるのは至極当然のことだろう。 「一緒に入れるといいですね、もみじ」 主人がそういえば、相棒もまるで呼応するかのように一声鳴いた。 そして同じように忍犬連れの柚乃(ia0638)であるが、こちらは趣がやや違う。 連れてきている忍犬白房は、まだ手のひらに乗ってしまうくらいの可愛い盛り。里親になったばかりの子犬なのだ。生後三ヶ月ほどだろうか。真っ白な毛並みだが、耳先や足先がチョンチョンと黒い柴犬で、甘えん坊のやんちゃ盛りでもある。 「……でも、この子は男の子だから……お風呂、別になっちゃいますかね」 他の相棒の手を借りることも考えたが、これも一応確認してみたほうがいいだろう。 知らない場所でひとりきりになるのは、たとえ人間でなくても不安であろうから。 「そういえばおまんじゅうちゃんと温泉をゆっくり平和に楽しめるなんて嬉しいねえ……」 そんなことを言いながら相棒のおまんじゅうに笑いかけるのは黒曜 焔(ib9754)。ちなみにおまんじゅうはもふらである。と言っても雄よりの内面性なので、はいるのは男湯だ。 「今日はのんびり浸かれるもふね〜」 食い気が先に立つおまんじゅうも、温泉はまんざらでもないようだ。 「あ、でも、温泉まんじゅうも楽しみもふ〜」 ……前言撤回。やはり食い意地はいつもどおりのようだ。 「でも、混浴が浪漫なのも認めるけどねえ、ま、俺はそのへん困ってないし?」 そう言って不敵な笑みを浮かべるのは、アル=カマル出身の踊り子、ジャミール・ライル(ic0451)。いかにも軟派な見た目であり、そしてその見た目通りの生活をしていると専らの評判だ。 同行している迅鷹のナジュムもまた主人に似たのか、自由奔放な性格らしい。 「ま、新しい出会いは、男でも女の子でも大歓迎だけどね」 ジャミールはクスッと意味ありげに笑って、暖簾をくぐった。 「へぇ……これが噂のショウブ、ってやつなんだ?」 温泉の入口に飾ってある青々した細長い草を見て、紫上 真琴(ic0628)が興味深そうに声を上げる。 「なんか、西洋の剣に雰囲気が似てるね。気をつけて触らないと、指をスパって切っちゃいそう」 「あ、わかるわかる。すごく鋭そうだよね、真琴」 相棒である羽妖精のラヴィがうんうんと頷いた。 実際、剣に似た形状と、ショウブという名前が「勝負」に転じることからの験担ぎだというのが世の通説となっている。実際のところはもっと深い理由があるらしいが、残念ながらそこまではよくわからない。ただ、何となくすごく効きそう、というのは感じたらしい。それは他の者達も同様に感じたようで、 「うわー。なんかすっごい、効き目ありそうですね」 漂ってくる温泉特有の香りに、徒紫野 獅琅(ic0392)は伴ってやってきた神室 時人(ic0256)を見やる。 「まあ、もともと薬効のある温泉の上、菖蒲の芳香には心身の緊張を解きほぐす効能があるらしいからな。獅琅くんは頑張り屋さんだから、たまには息抜きも必要というわけさ」 この辺りはやはり年の功とでもいうか、時人が解説をすればふむふむとばかりに獅琅が頷く。傍らにいる駿龍・夜鈴の首元を軽く叩き、 「お前もゆっくり温泉を堪能しろよ」 そう言うと、夜鈴は甘えたような声でひとつ鳴いた。寂しいらしい。 「はは、君の相棒はよほど君のことが好きらしい。まあ、蘇芳も喜んでいるようだがね」 言われて互いの相棒の姿をよくみると、時人の炎龍・蘇芳が夜鈴にじゃれるようにして身体を擦り寄らせている。そんな様子が微笑ましくて、ふたりとも笑顔をつい浮かべた。 ● 温泉はおおよそ、男湯も女湯も同じつくりになっているらしい。 相棒用の風呂はそれぞれから、相棒が通るぶんの出入り口が用意されている。――とはいえ、下手に人間が紛れ込んで良からぬことをしないように、そこはしっかりと見張りが立てられていた。 そんな万全のなかで、開拓者たちは脱衣所で普段の装束を脱ぎ、人によっては温泉備え付けの湯帷子をまとって、浴場にむかう。 そこはすでにもうもうと立ち込める湯気と温泉特有の香り、そして菖蒲の葉の香りでいっぱいだった。 湯船を見れば、かなりの量の葉が浮かんでいる。 わずかにとろみのある湯は源泉かけ流し。触れてみれば、普通の湯よりも確かにまろやかな肌触りで、いかにも効能がありそうだった。 「でも、その前に身体を洗わないと……」 真夢紀は、そう思いながら洗い場をきょろきょろと眺める。真夢紀はまだ幼さの残る体つきということもあって特に恥じるでもなく裸だが、妙齢の女性に見えるしらさぎにはしっかりと湯帷子を着せつけた。と、 「あら、まゆちゃんじゃない?」 聞き覚えのある気風の良い声に、真夢紀の顔がパッと明るくなる。 「あ、月与さんもからくりさんと一緒に入らしてたんですね」 月与は真夢紀とは家族ぐるみで付き合いのある、いわば真夢紀にとっては姉にも近い存在だ。月与と、共に来ていたレムリア、そして真夢紀の三人はまず顔を合わせて挨拶をしてから、レムリアは一足先に相棒の鱗を磨くように石鹸を泡立てて相棒用温泉に送ってやる。それから三人と二体は互いに背中を流すなどしてから足を湯に浸し、それから肩までのんびりくったりとくつろぐようにして温泉を満喫することにした。天儀流の入浴に疎いレムリアはここでも何度か質問をしていたが次第に慣れてきたようだ。 それにしても、月与とレムリアは年頃の女性らしく、同性から見ても羨むほどの艶やかな肢体。あえて湯帷子に包むことなく、惜しげも無く素肌を晒すその姿は、温泉という環境も相まって幽玄という風情を見せている。 と、 「そういえばこんなものも持って来てるのよね。まゆちゃんは、こんなのもどう?」 湯に浸かる前、月与が脱衣所からそっと持ち出してきたのは程よく冷やしたぶどう酒。 「おお、これは美味しそうだな」 「嬉しい、いただきますね」 年若い真夢紀には冷やした飴湯を勧め、大人二人はワイングラスを傾けながら、ゆっくりと湯に浸かって疲れをほぐすのであった。 「白房、一緒にはいれてよかったですね」 柚乃が忍犬白房と鼻を突き合わせながら、ニッコリと笑った。さすがに子犬を主と引き離すのは気が引けたのだろう、温泉の主もこれについては了解を出してくれた。人間よりも子犬を心配してくれたあたり、主人も動物の扱いには慣れているようだ。 とはいえこれは例外中の例外。 同じように忍犬連れであった泡雪は、残念ながら思うようにはいかなかったらしい。その辺りの区切りをきちんとしないと、人間も相棒も、規律というものがあるのだから、混在してはそれはそれで面倒なことになってしまう。 結局もみじについては、洗い場で洗うだけはどうにか許されたものの、湯船は相棒用を、ということだった。 「本当はあのちびもふらも興味津々だったみたいですけどね」 柚乃はがまんの子で自宅で待っているであろう他の相棒たちを思うと、妙に笑顔が浮かんでしまう。 「お風呂にそのまま浸かってしまったら、まだ沈んでしまいますよね」 大きめの湯桶に浅めに湯を張り、その中に白房をそっと浸すようにして、子犬にも温泉を体験させる。白房もはじめは濡れるのをややためらっているようなふうだったけれども、湯の感触に慣れてきたのだろう、はしゃぐかのようにパシャパシャと足を動かしている。 「よかったですね、白房」 まだ幼い相棒との交流は、順調のようだ。 ――一方、こちらは若夫婦……という単語を使っていいものなのか。絵梨乃と泡雪の二人である。 「さ、泡雪、背中をこちらに向けて」 きっちりと湯帷子を身にまとっていた泡雪――もみじはすでに石鹸まみれにした挙句、相棒用の風呂へ行ってもらっている――に、そっとそれを脱ぐよう促した。絵梨乃はといえば、そんなものは最初から着ていない。その辺りは男らしいというか、勇ましいというか、難しいところだが。 そっとはだける泡雪の後ろ姿を眺め、滑らかな肌に思わずうっとりと見惚れる絵梨乃。これは婚姻関係のある二人だからこそとも言えるし、そうでなくても女性の肌の滑らかさはもとより筆舌しがたい独特のものである。 「今日は花月ももみじもいない。夫婦水入らずというやつだな」 そんなことを絵梨乃が冗談交じりにいえば、泡雪はほんのりと頬を赤らめて思わず夜空を見上げる。頬の火照りを感づかれぬよう、そんな僅かな抵抗のようなものだが、そんなものはお構いなしという感じの絵梨乃はそっと後ろから抱きついて、泡雪の細いうなじに唇を落とした。 「くすぐったいですよ、絵梨乃様」 そんな絵梨乃の不意打ちも、淡雪にはほんのりと心地よく。 愛しあう二人の想いは、確かに通じ合っていた。 「ラヴィ、温泉気持ちいい?」 そんなことを相棒に尋ねるのは真琴。 まだ開拓者としては駆け出しといっていい彼女は、それでも有り余る元気とともに温泉へざぶりとつかる。 温泉でもお互い、高く結い上げた二つ結び――ツインテール、といわれる髪型である――を解くことはせず、楽しそうに湯を掛けあったりもしている。 「あー……生き返るー」 真琴が随分と呆けた声を出すと、ラヴィがきょとんとした顔で、 「真琴どうしたの? なんだか楽しそうだけど」 そう尋ねてきた。真琴はラヴィを見つめ、そしてくっくと思い出し笑いを浮かべる。 「え、なに、なによー」 「いや、なんだかはじめてラヴィにあった日のことをふっと思い出してね」 そう、それはまだ慣れない遺跡の帰り道のことだった。 開拓者になってまもなく、遺跡というものにも慣れていない真琴はヘトヘトになりながら帰宅する途中だったのである、が。 「まさか行き倒れている羽妖精がいるなんて、思わなかったんだよねえ」 そう、それからはなんだかんだでずっと一緒の間柄。 「何よ、真琴だってボロッボロだったのに」 口の減らない羽妖精だが、そこもまた彼女の良さとも言える。 「……ま、これからもよろしくってことで!」 こうやって飾らぬ姿のまま、仲良く入浴するのもそういう気持ちのあらわれだ。 「うん、こちらこそね」 二人は握手を――と言っても手の大きさからして異なるから、かんたんなことではないのだけれど――かわして、これからも仲良くいたいね、と笑いあった。 ● ――さてこちらは男湯である。 開拓者は身体が資本、傷ついたままでは仕事もままならない。 「こういうところで無病息災や厄除けをしつつ、ゆっくり湯を楽しむなんていい機会だな」 羅喉丸はざぶりと身体に湯をかけ、それから悠々と風呂に浸かる。 普通の井戸水などよりもほんのりと白くにごり、とろみのある湯はいかにも温泉と言った風で、見ているだけでも癒される気分になる。 「頑鉄の方はどうだろうな……あちらにも菖蒲は入っていると聞いているが」 こういうところで湯治をするのは開拓者やその相棒のみにあらず、一般の客も普段は来ているらしいが、今日だけは開拓者ギルドと開拓者たちへの感謝の意を込めて、招待客のみにしているのだという。 「菖蒲を届けてくれたという人にも、感謝をしなければな……」 羅喉丸はそっと空を見上げる。 普段は開拓者という存在が当たり前すぎて気づかないけれど、その開拓者たちに助けられた人はきっと数多い。自分がこれまでに関わった事件や依頼――それだけでも、気がつけば直接助けたといえる人はとてもじゃないが数え切れないことになっていそうだ。 この身についた傷の数だけ、助けてきたものがある。 そう思うと何となく誇らしくもあり、そして思うのだった。 (こういう期待に応えるためにも、お互いもっと精進しなければな。そうだろう、頑鉄?) そう思ったその瞬間に聞き覚えのある唸り声が相棒用の湯から聞こえ、そしてまた羅喉丸は笑顔を浮かべるのだった。 一方、さめざめと泣く(?)相棒の夜鈴をどうにかなだめすかして専用の湯に入れさせ、獅琅は時人と湯に浸かる。 「んー、これが菖蒲の香りですか。たしかにどこかすっとする香りですね」 浴場の入口に掲げられていた菖蒲の葉を思い出しながら、獅琅は菖蒲湯を満喫しているようだ。 「うむ、獅琅くんは頑張り屋さんだからね……たまにはこんな息抜きも必要だろう」 時人も自らの相棒である蘇芳の入浴する姿を思い浮かべながら、ざぶりと湯を己の顔にかける。 「……そうだな、今日の礼というわけではないが、私が背中を流そうか」 時人の申し出に、獅琅は泡を食ったような表情を浮かべた。 「え、いや、先生が……? いえ、いいです、そんな、ダメです、無理ですっ」 獅琅としては自分の尊敬している『先生』にそんなことはさせられないと真っ赤になって抵抗するが、時人はいいからいいから、と気にしない様子で洗い場へ行き、後ろを向くように促して―― つるり、と足を滑らせた。そのまま綺麗に後頭部を床にぶつける。不思議なくらいいい音がした。 顔面蒼白になったのは獅琅である。 「せ、先生、大丈夫ですかっ?」 慌てて時人に駆け寄り、時人の様子を見るが、とりあえず大きな傷は無さそうだ。 「血はさすがに出ていないよね? それにしてもあいたたた……」 のんびりした口調で時人が尋ねる。 「まあ、菖蒲の薬効というやつかな。気を抜きすぎたのかもしれないね」 頭をしきりに撫でているのは、おそらくコブになっているからだろう。耳に支障がなかったのは何よりだが。 「た、たしかにそうですけど、笑い事じゃないですよ、先生……」 そうは言いつつも、獅狼の顔にも小さな笑みが浮かんでくるのは仕方なかったかもしれない。 「それにしても気持ちいいねえ、おまんじゅうちゃん」 こちらはいつも我が道を行くなもふらとともに入浴中の焔。そのもふら、おまんじゅうはざぶりと湯が波立つごとに流され、もふ毛がうまい具合に水を弾いていることもあって湯にぷかぷかと浮かんでいる。 どやあ。おまんじゅう、満面のドヤ顔。 「……そう言えばもふらの毛はこうやって水を弾くのだけれど、絶対にしぼまないのかな……?」 ふと焔の脳裏をよぎったのは、あまり褒められない発想。 おまんじゅうは自らの危機にまだ気づいていない。 焔は湯桶にたっぷりの湯を張り、それをいくつも用意する。おまんじゅうは気持ちよさそうに波間を漂っている。 そこへ、そっ、と湯がかけられた。ただし、念入りに。 二度三度、さすがにここまで念入りにされるといつもよりは若干しぼんでしまい―― 「や、やめるもふ〜」 もふらはいやいやをするように首を横に振ると、逃げ出してしまった。 「あ、おまんじゅうちゃん……!」 さすがに少しやりすぎたか。焔は慌てて相棒の後を追いかけると、温泉の隅でしょんぼりしている真っ白い塊を発見した。 「お湯に映るもふがもふじゃないもふ……」 完全にしぼんだわけではないが、それでもいつもよりいくらかしょぼくれた見た目になっているおまんじゅう。うるうる泣きそうな声でつぶやいているその姿を見て、ポンポンと焔はその頭を優しく撫でた。 「おまんじゅうちゃんごめんよ……気になったから、つい」 「……しぼんだもふの姿、かわいくないもふ……」 おまんじゅうはまだしょんぼりした声だ。 「そんなことはないよ、おまんじゅうちゃんはいつだってかわいいじゃないか。でも今日は私が悪かったね、お詫びにはならないかもしれないけれど、温泉饅頭を好きなだけ買ってあげよう」 焔がやさしく毛を梳きながらそう言うと、 「……幾つでもいいもふ?」 立ち直りの早さはある意味さすがもふらというべきか。そんな相棒の無邪気な姿を見て、焔は思う。 (今年も、仲間たちと一緒に、健康に過ごせるといいな……) 「今日は姫はあちらなのですよね……残念ですけれど」 周囲を軽く散策した後に、和奏はそっと足湯に浸かる。 日帰りということもあって、あまりのんびりと湯に浸かるのもどうかと考えた結果だ。 周辺にはまだまだ随分と自然が残っており、都から往復半日ほどの距離という情報以上に、田舎めいたところが見受けられる。 程よく鄙びたとは聞いていたが、たしかにここはそういう雰囲気の場所だった。若葉萌えいづるこの初夏、あちこちで新緑がピカピカと輝いている。いかにも平和な、おっとりした場所だ。 散策してそういう景色を眺めた後だから、足湯は程よく気持ちがいい。 一方の光華は普段、和奏の肩の上。歩くことも多いわけではないので、ゆっくり浸かっておいでと伝えてある。 女性の長風呂が多いのはよくあることだが、……まあそれは相棒でも適用されるようではあるけれど。 「そうだ、あとでお留守番をしてくれている相棒さんたちのおみやげとして柏餅も買わないとですね……」 自分たちが食べるぶんはもちろんだが、きっと他の相棒たちもおみやげを待ちわびているだろう。そんなことを考えて、和奏はふっと笑顔を浮かべた。 ● 「それにしてもお肌が確かにすべすべになるね、ここ。んー、いい湯治場所、見つけたかな」 ジャミールはそんなことを嘯きながら、湯上りの温泉饅頭を頬張っていた。 「温泉玉子はねえのー? 俺、結構あれも好きなんだけどな」 開拓者である以前に踊り子としての自分を忘れていない彼。入浴中は凝りをほぐすための柔軟をしっかり施し、今はつやつやお肌でくつろいでいる。 「ん、兄さんたち、身体凝ってるなら見てあげよっか?」 自分から女性に声をかけるような下衆なことはしない。モテる男には自然と人間が近寄ってくるというものだからだ。 「おや、按摩もできるのかな?」 そう声をかけられたのは横で温泉饅頭を獅琅と食べていた時人、洗い場でぶつけてできたコブを冷やすために水で濡らした手ぬぐいを今も後頭部に当てている。 「ま、アル=カマル流のマッサージってやつ? 俺流って言えるかもだけどねー。ま、硬い身体は怪我のもとだから」 そう言ってにっと目配せする姿は、なるほど、女性がほうって置かない理由もわかるというくらいに蠱惑的。 「じゃ、少しお願いしようか。獅琅くん、ちょっと待っていてくれ」 「あ、はい先生」 仲の良い弟分にそう声をかけると、時人はジャミールに背中を任せた。こちらもこちらで慣れたもの、ジャミールは体格や筋の張り具合からほぐすに適した箇所を的確に見極めて、程よい力加減でもみほぐす。 「湯上り美女っていいよねー……なんつーか、うん」 ちらりと視線を走らせるのは湯上りに弁当と温泉饅頭といった食事で女子会を満喫している真夢紀や月与、レムリアと、彼女たちのからくり二体。身体をほぐしながら心もほぐれる軟派な話題を持ち出すジャミールだが、不思議とその言葉にいやらしさはない。そしてそういう意見は大抵の男が持っているものだから、時人も思わず苦笑してしまう。 「そういえば踊り子さん、ジャミールさんといったかな。相棒も連れてきているのだろう?」 「ああ、ナジュムのこと? あれはあれで適度にくつろいでると思うよ。なんつーか、お互いに縛られないのっていいと思うからさ」 そんな相棒は確かに適度に羽を湯に浸し、くちばしでそれを繕っていて。 確かに主従揃って奔放そうだ。 「先生、それにしても甘いモノが本当に好きですね」 獅琅がそう言って笑った。――というのも、時人の口にはまだもぐもぐと温泉饅頭が詰め込まれているからだ。 「ん? いや、おいしいからね。獅琅くんもよく食べているじゃないか」 「あ、はい、好きですから。そうだ、お茶か何かもらってきますね」 二人の会話は柔らかく優しい。 それも時人と獅琅、二人の優しさゆえ。 (俺はどっちだって構わないけれど、先生が喜んでくださることが――俺には嬉しい) そんな優しさを、時人もきっと気づいているはずだ。 湯上りについでに――と自分の特技を披露しているのは柚乃もだ。 「ご希望ならタロット占いはいかがですか?」 こちらは若夫婦(?)の絵梨乃と泡雪が早速食いついていた。やはり、占いというのは世の女性をとりこにするものらしい。 ● 「それにしても、いい湯だったな」 誰からともなくそんな言葉が溢れる。 無病息災を願って―― 古い古い習わしを、今に伝えるのはそういう「思い」の力ゆえ。 空を見れば美しい星空。爪の端ほどの月が西に沈もうとしている。 開拓者たちはそれぞれの思いを胸に秘め、日々の暮らしの安全を祈るのだった。 |