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■オープニング本文 ● 神楽の都もすっかり春の粧になって、行き交う人の誰彼もがどこか浮かれた空気を持っている。 桜の花はもう見納めだが、これから蕾がゆっくりと開く花々も数多く、それらがまたいっそう心を柔らかく解してくれる。そう、まるで雪解けのように。 そんな神楽の都の片隅で、少女がひとり。 手に帳面を持って、何かを書こうとしているようだった。 「うーん……」 春の花を見ながら、来風(iz0284)が考えこむ。 ――花は綺麗。 「でも、花って……たくさんあるのよね」 そうつぶやいて、少女はひとつため息を付いた。 彼女が開拓者となるまで暮らしてきたのは、理穴でも特に緑豊かな地域。 集落から少し歩けばそこらに四季折々の花が咲き乱れていて、それらを愛でるのが習慣とも言えた。 しかし、神楽の都の花々はまた趣が違う。 花を栽培し、それで収入を得ている人達も少なくないし、長屋などでは鉢植えの花や盆栽などが可愛らしく季節の彩りを添えている。 季節とその花を愛でる気持ちは変わらないが、そのさまは土地柄や家庭ごとに様々なのだ。 もちろん、故郷にもそんな人はいなかったわけではない。 ただ、その割合というか、そういうものがあまりにも違っていて――戸惑ってしまう。 故郷を出てから半年ほど、彼女の身の回りはまだ驚くことがいっぱいだ。 そしてそんなとき、道標となってくれる人たちのことも、来風はすでに知っていた。 ● 「故郷の春? そうだね、うちは結構山奥の方で、都よりも花開くのがうんと遅くて――とと。つまりそういったたぐいの話を聞きたいと、そういうことかい?」 すっかり顔なじみとなった開拓者ギルドの職員が、来風の考えを察したのか、笑ってみせる。 「はい、……私の故郷も都と比べると随分と違うところが多くて。せっかくなら、ひと足遅い花見をしながら、そんな花にまつわる故郷の思い出話を聞くことも出来ればなおいいかなと思いました。……そんな都合のいいところ、知っていますか?」 「それならちょうどいい場所がある。ここいらから小半時ほど歩いた場所に八重桜の群生地があってね、まだ七分咲くらいなんだそうだ。ちょうど今から人を募って、数日後にでも訪れれば、満開じゃないかな。天気が悪くなるという話も聞いていないし。うまい茶菓子を振る舞う店が近くにあるから、そこで話を聞くといいんじゃないかな」 一般的に八重桜は遅咲きなので、都の桜があらかた散った後もまだ咲くのだという。 「いいですね……そういう所でのんびりと、色んな話を聞くのも。お願い、出来ますか?」 「構わないよ。君の夢を叶えるための、手助けにもなるだろうしね。……そうだ、朋友にも意見を聞くのはどうかな。人間とは異なる視点での面白い話を教えてくれるかもしれないしね」 職員は笑って、手続きを始めた。 |
■参加者一覧
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
和奏(ia8807)
17歳・男・志
紺屋雪花(ia9930)
16歳・男・シ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
澤口 凪(ib8083)
13歳・女・砲 |
■リプレイ本文 ● 「皆さん、今日はありがとうございます」 来風(iz0284)の呼びかけに呼応するように集まったのは、六人。 それぞれが相棒を連れながら、いかにも楽しみにしているという風な笑顔である。来風も、相棒であるもふらのかすかとともに、同じく笑顔だった。 「いや、少し遅れた八重の花見。……八重桜は可愛らしくて、どこかあたたかですよね」 菊池 志郎(ia5584)は、そのおっとりとした笑顔を向ける。 空はどこまでも青く、降り注ぐ陽の光はいつにも増して柔らかで心の底から優しい気分にさせてくれるような、そんな陽気だ。 「はい、それではよろしくお願いします」 来風がそう挨拶をすれば、竜哉(ia8037)もとんでもないというふうに首を横に振る。 「そんなことは気にしなくて構わないよ。花の話、だったかな?」 「私もそう聞いてはいるけど……あと、昔の話、かねぇ」 ひとりごちるようにつぶやいたその言葉に応じたのは澤口 凪(ib8083)だ。可愛らしい少女だが、その言葉遣いはどこか年齢よりも達観した印象を受ける。 (昔を思い返す余裕ができたことに、自分でも驚いちゃうくらいだけどねぇ、ほんに) 心の呟きは胸に秘めているが、その眼差しには子供らしさとともに確かな『何か』を見据えているかのようであった。けれどやっぱりその顔立ちはまだ幼さを残していて、にっと口角のつり上がった笑みは彼女が『相方さん』と呼ぶ甲龍・岳が尾を震わせたことでふわりと優しいものになる。 「ふふ、来風さんは作家の卵なのですってね」 ジルベリア人のフェンリエッタ(ib0018)は自分も絵本や戯曲をたまに書くことがあるのだと自己紹介した。来風は一瞬驚いたとともに、ぱあっと顔をほころばせる。 「素敵ですね……!」 「ええ。だからわかるの、経験を色々と積むことで多くのお話に触れることは大切だって……」 来風はこくりと頷く。 「はい、わたしもそう思います。それでは、そんな素敵なお話を聞くにも、まずはそれに適した場所へ行きましょうか」 せっかく教えてもらった、今を盛りと咲き誇る八重桜の元へ。 ● そこはまるで薄紅色の天蓋と言っても過言ではなかった。 「これは……また見事だな」 そう言ってため息をついたのは、紺屋雪花(ia9930)だ。れっきとした男性なのだが、可愛らしい少女と見まごう姿をしている。いや、そういうふうに女の装いを自ら行なっているのだけれど。とは言え誰もそのことに追求しないものだから、来風はごく当たり前に女性だと思い込んでいるようだった。 「わあ、素敵ですね!」 人妖の光華がはしゃいだ声を上げれば、その主たる和奏(ia8807)も、またうっとりと花々を見つめている。 「でも、こんな穴場、よく残ってましたね」 本当に、人の出入りも殆ど無い。誰もがため息を付いてしかるべき状態なのだ。 「わたしも詳しくは知らないですけれど……あ、あそこが茶屋でしょうか」 来風の示す先にはいかにもな赤い和傘と長椅子を表に出した茶屋があって、そこの主であろうか、老夫婦が微笑みながら彼らにぺこりと礼をした。 「こんにちは、開拓者ギルドの紹介でこちらに来ました。今日はよろしくお願いします」 全員で同じように会釈をすれば、返ってくるのは暖かな笑顔。 「いやいや。ギルドさんにはうちもよくお世話になってるからねえ」 聞けばこの桜の世話も、時によっては開拓者に手伝ってもらうことがあるのだという。 「何しろこれだけ立派でしょう。もう随分な年齢ですからね、私達も」 そう言いながら老婆が持ってきたのは抹茶と道明寺。人によってはこちらのほうが馴染みがあるかしら、と長命寺餅まで用意してくれていた。皆で席について茶をすすり、人心地つく。 「それにしても見事な八重桜……天儀とジルベリアでは気候の影響でずいぶん趣が違うけれど、やはり花というのは素敵ね」 フェンリエッタが微笑みをこぼす。 「ジルベリアには行ったことがないけれど、それほどまでに違うんですか?」 来風が尋ねた。 「ああ、それは俺も興味がありますね」 志郎がおっとりと笑う。管狐の雪待も首をちょっとかしげつつ、主と同じ思いだと言わんばかりに見つめていた。とはいってもその心は目の前に置かれた茶菓子にすぐに引きつかれるのであるが。 「花は……食えぬからな」 そう言ってツンと首を振るが、それは単純に食い意地が張っているだけで、主の志郎よりも長く生きているであろう雪待にしてみれば、四季の移ろいは年月の変化という意味では気になる存在であろうからだ。 「ジルベリアの春は、四月でもまだ雪が残っているなんて結構当たり前で……そのかわり花がほころぶときは、梅も桃も桜も一斉に咲き誇って、それは綺麗なのです」 フェンリエッタの言葉に、ほうと息をつくのは同じくジルベリア出身の竜哉だ。己より他人の幸福を祈り願う彼の眼には、色彩も鮮やかなジルベリアの春の風景を詠うように言の葉にして紡いだフェンリエッタと、この風景を、どう感じ取っているのだろう。 「……そうだね。カメル……椿、でいいんだったかな。天儀に来て間もない時に見たそれを、俺はまだ、忘れることができないでいるよ」 椿。 冬に咲く鮮やかで艶やかな花。そして――生命の躍動感持つ、常緑樹。 「真冬の凍えそうな中でも諦めずに咲こうとする、綺麗で強い花だ……当時世話になっていた人の所で見たのだけれどね。何が強いというわけではない。ただ、白く雪が降り積もり、色彩を失ってしまうような冬の中で必死に自らを示そうとするその意思、それが俺にはとてつもなく強いものに見えた。――たとえその末に、断ち切られ地に落ちたとしても、その花は後悔も絶望もせず、満足であっただろうと……そう思えるほどに」 椿の赤は、まるで雪に一滴落とした血のようだと、何かにあったような気がする。それを知っているのか、竜哉はそう言い終わると小さく目を伏せた。まるで、何かに黙祷をするかのように。 「……そう、ジルベリアはたしかに冬が長くて……でも、これを見てくれる?」 フェンリエッタが指し示したものを見て、雪花が小さくつぶやいた。 「……向日葵と……桜?」 その言葉に、乙女は頷く。 「これはある街の復興の応援に、親友が桜を贈り、私が向日葵を贈ったのが元になっているの。どちらも人を笑顔にしてくれるでしょう? 私が開拓者になった三年前の冬、ジルベリア帝国の南部で反乱があって……終息した時には春になっていたわ。どれだけの民が家族や家や……様々なものを失って、辛い思いをしたか。元凶を許すことはできないけれど、真実は反乱軍盟主のささやかな志をアヤカシに利用されただけだった……」 思い当たるフシがあるものもいるのだろう、フェンリエッタの言葉は静かに響いていく。 「全責任を追った彼の処刑を見届けてから、その戦禍と彼を忘れないようにと思って……私は向日葵の種を蒔いたの。彼は金髪で緑の目だったから」 遠い昔話のような、ごく最近の出来事のような、彼女の語り。静かで、そして柔らかな口調。誰もがそれに耳を傾けていた。 「それから、ウィナに会ったのよね」 はぐはぐと道明寺を夢中になって食べている人妖ウィナフレッドをちらりと見て、フェンリエッタは微笑む。 「夏の終わりだった。畑の向日葵によじ登る姿を見つけた時には、ちょっと唖然としちゃったわ。まるで……そう、おとぎばなしに出てくる妖精かと思ったくらいよ」 フェンリエッタはそう言うと、ウィナフレッドの口の端についていた餡をそっと拭ってやる。 「……リエッタ、これ美味しいよー? 食べないならもらっちゃうよ?」 向日葵の花を思い起こさせるような、屈託ない笑顔。そんなウィナフレッドに、思わず誰の口からも笑みがこぼれた。 「あの戦いがきっかけで歩み出した道には出会いも別れも多くて……生きるのも苦痛だったわ。でも、もうひとつの故郷と呼びたい場所と親友ができて、たった一人を愛する今がある……だから、私の人生を変えた、そしてさまざまな始まりを象徴する向日葵や桜は特別なの。そしてこうも思う。彼にも過ちを正す友がいれば、と」 長い話。 しかしそれを開拓者の誰もがじっと聞いていて。 それは、喪ったことがあるのは彼女だけでないからかもしれない。開拓者という生き方は、常に何かを喪うという危険をはらんでいる。それを聞いていた凪が、ゆっくりと口を開いた。 「私の家族がまだ健在で、相棒が自分の相棒でなかった頃を、思い出すねぇ」 年若い彼女だが、両親は既にない。多くを語ることはないが、そのせいか処世に長けているともいえ、懐けると思えた年上の相手にはとことんなつくのが癖になっている。 「家が、」 少女は目を閉じ、懐かしそうに話しだした。 「そう……家がね、町からはちょっとばかり離れたところの野っ原にあってねえ。春になれば、ぼんって爆発したみたいにいろんな花が咲いていたもんよ」 それらはあくまで野の花。観賞用のものでなく、小さいけれど懸命に生きる、自然にあるがままの姿の花々。 「今の相方さんとも、その頃から暮らしてたからねぇ……思えばえらくちみっちゃい頃から随分とわがままに付き合ってもらってるわぁ」 懐かしそうに語るその口調は、わずかに弾んで。 「いつの頃かな。ある年の春にふと、桜を直に見たいと思ってねぇ。相方さんの背に乗せてもらって、首をよじ登ったのはいいけどころっと途中で落っこちちまって……そのままコデマリの茂みに思いっきり頭を突っ込んでね。擦り傷だらけになって大泣きして。相方さんはオロオロしちゃうし、母親には怒られちまうしで、ある意味散々だったかも……」 けれど、その思い出をわかちあって話せる家族は今はもう『相方』こと甲龍の岳以外にはおらず。そんなまるで春風のように暖かな日々を思い出したのか、凪はほんの少しだけ懐かしそうな顔をしたけれども、またすぐに少女はいつもの無邪気な小動物めいた表情に戻った。 「ま、感傷めいた感じになっちまったけど。今はごく普通にやっていけてるから、心配とかしなくていいよ」 周囲の視線が恥ずかしくなったのか、ちょっと頬を赤らめる。けれど、そんな小さな心の機微も長い付き合いである岳にはお見通しといった感じで、(手のかかる妹だ)とでも言いたげに尾をゆらりと振った。 ● 「俺の故郷は、訳あって詳しく語ることができないが……そうだな、花といえばやはり桜が印象深い」 シノビたるもの秘めるべきことは秘めるべし。 まるでそう言いたげな雪花の前置きを聞きながら、来風は飲食も忘れてしまったかのように雑記帳に書き留めていく。その隙に彼女の相棒、もふらのかすかがこっそり道明寺をつまみ食いしようとしているが、それすら気づいていないようだ。 「とても仲のいい、同い年の友人がいたんだが、こいつがとんでもねぇ方向音痴でな。はじめてのおつかいの時についてきたと思ったら、地図を勝手に奪って先導して……案の定というか、大迷子になっちまった」 見知った顔が多いこともあってか、雪花はやや饒舌になっている。その側で、相棒であるからくりの火鳥は、じいっとそれを聞いていた。 「しかも目的地っていうのがさ、山を越えたところだったもんだから、迷子になったのも当然山の中。一晩、迷子のまま過ごすことになった俺達の心の支えになってくれたのが、ちょうど満開を迎えていた桜の巨木だったんだ」 フェンリエッタとはまたそのあり方は違うが、心の支えになってくれる植物――そんなものはだれにでも一つはあるのかもしれない。少女の姿をした少年は思い出し笑いを口元に含ませて、そして話を続けた。 「その桜の下に、二人で身を寄せ合って励まし合ったり、こいつと冬山なんぞに入ったらきっと死ぬな、なんてことを思ったり」 「仲が、本当に良かったんですね」 和奏がおっとりとそう言うと、雪花は少し複雑な表情をした。 「……で、そいつは、さ。そのすぐ後に、行方をくらませてしまってな」 お使いがよほど楽しかったらしく、父親に使いの用事をたのめと自分からねだって、そして―― 「……なんで、何故あの時、俺、は……」 そして雪花の裡に訪れるのは悔悟の念。 ――あの時、なぜ同行を拒否してしまったのだと。 ――あの時一緒ならば、行方知れずになどさせなかったのに、と。 (生きている、よな……?) ふっと八重桜の天蓋を見つめる。春の優しい風が、はらりと彼のもとに花弁を運んでくる。まるで――便りか何かのように。 と、火鳥はそっと来風を手招きした。そしてその耳元で、思いもよらない事を告げる。 「……俺はその、雪花の幼馴染に似せて作られた人形だ。紛い物でも、雪花が頼ってくれるなら、俺は嬉しい。けれど、……もし本物が見つかったら? そうしたら俺はどうなってしまうのだろう……?」 来風はそれに、やはり小声で応じる。 「紺屋さんはそんな人には見えませんよ。大丈夫ですよ」 「……ならいいんだが。でも、そんなことを詮無く思うと、桜の花を眺める雪花を見ているのが、ほんのちょっと辛かったりもするんだ」 火鳥の言うことももっともだろう。本物がいれば、代理は必要ない。そう言われるのを、このからくりは恐れているのだ。 「そう思えるのは、あなたが他のだれでもない『あなた』だからだと思いますよ。自信を持ってください」 「……ああ」 来風の言葉に励まされたのか、火鳥は頷いた。そしてまだ感傷に浸っている雪花の口に、ひょいと道明寺を突っ込む。 「ほらほら、これ。うまいみたいだぞ、食えよ」 「げほっ……な、何しや……げほげほっ」 無理やり放り込まれた道明寺をむせながら咀嚼していくと、やがて少年の顔を覆っていたくすみは消えていった。 若干の荒療治も、時には有効らしい。 和奏が話しだす頃は、すでに茶菓子のおかわりが振舞われていた。おおよそその原因は食い意地の張った相棒たちによるものだが。 「自分は、家の外の記憶があまりないので……これが『故郷』に限定されるものかどうかはわからないのですけれど、花は庭に沢山咲いていたと思います」 開拓者になるよりもうんと前、幼い頃は母親に着飾らされ連れ回されるという座敷犬と大差無いような生活をしていたらしい彼の言葉はどこかぼんやりとしていて、どことなく具体性が欠如している印象を受ける。 「家の中にはいつもお花が活けてあって、それはそれで場が華やかになって良いとは思いますけれど、そういう話を聞きたいわけではないですよね……そうですね……」 和奏の言葉は、思い出をゆっくりたぐり寄せるような、そんな優しい語り。 「梅やチューリップといった花は、同じ花でも、色によって咲く順番が違うのです。そして、椿から梅、桜、ハナミズキ、藤……と、順番に咲いていくので、年明け頃から六月くらいまでは何かしらの花がずっと咲いている状態ですね」 そう話している和奏のそばで、人妖の光華が、『花も綺麗だけれど、私も綺麗でしょう?』とでも言いたげな視線を周囲に振りまいていたが、それはそれで和奏にはしっかりすっかり気づかれておらず、その視線に気づいた他の面々が複雑な笑みを浮かべるのみ。 「あと、そうそう……山吹と雪柳。これらはだいたい同じ頃に咲くので、並べて植えてみるとその色の対比がとても綺麗ですね。先ほど言った梅や椿とだと樹の高低差があるので、空間を使って楽しむこともできるかな……ああ、牡丹などの鉢植えもいいですね。沈丁花や金木犀のように香りで開花に気づくものもありますから、それを頼りに散策するのも楽しくて……睡蓮も良い匂いと聞いているので近くで見たかったのですけれど、衣が濡れてしまうということであまり近づかせてもらえませんでした……」 そんな幼き日の母親の言動を過保護というか、歪みというか。 きっと和奏自身にもはっきりとは分からないに違いない。ただ、そういった経験からの感想は―― 「花の好きな人と花を上手に育てられる人は必ずしも一致しないと思います……けれど、花を上手に育てられる人と虫を情け容赦なく殺せる人は一致すると……これは間違い無いと思います」 その和奏の言葉に、光華がビクッと体をこわばらせる。何しろ彼らの出会いは、光華が和奏に虫と間違えられたことから全てが始まっており、今も光華は自分の価値を認めてもらえるように奮闘中なのだから。 「と、ちょっとわかりにくかったかな……って、光華姫?」 時すでに遅し。光華はぷんむくれたまま、道明寺をやけ食いしていた。 ● 「――そう言えば、ちょっと趣は違うがの、この儀には『風花』という言葉があるそうじゃの」 そう言い始めたのは、竜哉の人妖である鶴祇だ。 風花――粉雪が風で舞い上がり、まるで花弁のように流れる自然現象だ。 「さて――我は一度、冬に咲く桜なるものを見たことがある」 「冬に咲く……桜?」 凪と志郎が、同じように首を傾げる。 「あれは確か合戦の最中じゃ。我も相棒の協力として、夜間に周囲を警戒しておったのじゃが……急な風が吹いて――見ると、近くの桜の木に、風花が集まっておったのじゃ」 「幻想的……!」 フェンリエッタと来風が、目を輝かせる。物書きゆえだろう。 「夜の篝火に照らされたそれは、満開の桜――そう言う他なかった。まるで死者を悼むような、そんな白い桜。偶然の産物ではあろうが、我にはそれは、まるで何者かが悲しんでいるようだと、そう感じられた……」 それは自然が見せたいっときの偶然。しかしそれゆえに、印象に残っているのだろう。古式めいた天儀の言葉を操る鶴祇の言の葉は、まるでそのまま空に溶けていくようにも感じられる、そんな不思議な錯覚を起こさせた。 「……俺の育ったのは陰殻の山の奥、うん、寒くて貧しいところですね」 志郎が抹茶をすすりながら語り出す。おそらく環境的には、来風の故郷と似た感じなのだろう。 「だからかな、花も、売り物になるような色鮮やかなものはまずなくて、野生の地味なものばかりを目にしていました。それでも春は、里の近くの野原、川の傍、そんなそこここに小さな花が咲いて明るい雰囲気なんです。俺が特に好きだったのは、菫の花」 近づくまで気づかないほどに目立たないその花がひっそりと咲いているのを見つけると、春の訪れを感じて嬉しくなったのだと、彼は語る。 「とは言ってもすぐにしおれてしまいますからね。数本だけ摘んで、それを師匠に見せようと思って走ったりもしたなあ……なんだか、懐かしいです」 志郎の顔に浮かぶ笑顔。一方、雪待は幾つ目かわからぬ道明寺を口にしながら、 「我は花にはあまり興味ないが、実のなる木はよく様子を見に行ったぞ。住処だった社の近くの李などな」 満開になればまるで雪のようだったという。志郎にはいつか案内してやると笑ったが、その実について問われると尾をしょんぼりさせた。 「酸味がかなりきつくてな……流石の我も多くは食えなかった……」 そんな管狐の様子が妙におかしくて、皆の顔にほっこりと笑みが浮かんだ。 ● 「では、ごちそうさまでした。そしてありがとうございました」 来風たちはめいめいに礼を言う。老夫婦も笑顔で見送ってくれた。 集まった面々も、楽しかったと笑っている。話を聞くのは存外面白いものなのだ。 「そうだ……来風さん、貴方も出会いを多く経験して、心に届く話を是非書いてね」 フェンリエッタはそう言いながら、帰り道をハープの音色で彩る。 「はい! ありがとう、ございます!」 来風は、笑顔で頷いた。 ● ――卯月ニ記ス。 ――花ノ香ノ章。 ――花二、貴賎ナドナシ。 |