|
■オープニング本文 ● 暖かい風が吹いて、世界に春が訪れる。 春の光は柔らかく暖かくて、眠気が誘われる。 それはどこでも、だれでも、案外例外はいないらしく。 この神楽の都でも、やはりそうだった。 ● 「……え?」 はっと気づいた時には遅かった。少女の筆からはぽたりと墨がしずくをつくって紙の上に落ちる。 「きゃ、失敗失敗……!」 紙も決して安いものではない。駆け出し開拓者の来風にとっては、特に慌ててしまうのもしかたがないといえるだろう。 その様子を眺めていたギルドの職員――そう、ここは開拓者ギルドの一角である――が、苦笑した。 「どうしたんだい? いつもよりも心ここにあらずといったかんじだけど」 普段から真面目そうな少女で、ほぼ毎日のようにギルドに取材にやってくる来風がどじっているという姿が妙に珍しいのだ。 「うん……さいきん、すっかり眠くて困ってるんです」 ボタ落ちした墨を拭って少しでも、と涙ぐましい努力をしている来風。見れば頬にもちょっぴり墨が付いている。 「ああ、この季節は特に眠いよねえ。みんな、眠たそうにしているからねぇ」 そんな職員もそう言ってから一つあくび。 「……それならさ、君の得意技でなにか書いてみたらどうだい?」 「へ?」 職員が言うことを簡潔にまとめると――眠い時にどうしているかとか、安眠をとるために何かしていることがあるかとか、そういうことを調べてみたら面白いんじゃないか、ということだった。 「君が書きたいものは、そういう開拓者たちの生きた姿じゃないかなって、そう思うんだ。この前まとめてた相棒との付き合い方についても、面白く読ませてもらったしね」 実は、先日迎えたばかりの相棒とどう付き合っていけばいいか、それを聞いた時の簡単なまとめをギルドに見せたら思いのほか好評だったのだ。 「……眠いときの対策とか、そういうことですか?」 「もちろんそれだけじゃなくて、昔見た印象深い夢とかもいいかもしれない。色々話題にできることはあるだろう。眠りという単語を鍵にして、開拓者の生活の一部を切り取ることは出来るんじゃないかと、そういうことだね」 なるほど、面白そうな響きである。 それに、職員の言うことも一理あった。 開拓者たちの生きた姿――依頼の報告書にあるだけじゃない、ナマの姿。それを書くことが出来たらいいなと、来風自身もぼんやり思っていたのだ。 「……お金とかはあまり払えませんけれど」 来風が恐る恐る尋ねる。 「いや、これは俺も興味あることだしね。せっかくだし、うたた寝しながらそういう話を聞くのも面白かろうと思うんだ。息抜きは必要だろう?」 職員の青年はそう目配せすると、頷いてやった。 |
■参加者一覧
柄土 神威(ia0633)
24歳・女・泰
琥龍 蒼羅(ib0214)
18歳・男・シ
御形 なずな(ib0371)
16歳・女・吟
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
八塚 小萩(ib9778)
10歳・女・武
樋口 舞奈(ic0246)
16歳・女・泰
多由羅(ic0271)
20歳・女・サ
国無(ic0472)
35歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ● 春うららかな、暖かな風のふく日。 ぽかぽかとやわらかな日差しが降り注ぐ、神楽の都のすぐそばの川近くの草原に、集まった開拓者たちはそれぞれ思い思いに茣蓙やつまめる茶菓子などを用意しながら、みんなで円を作るようにして座る。桜の花弁も、はらりと舞った。 「来風(iz0284)、今回は『眠り』にまつわる話を教えてほしい、と聞いたのだけれど」 琥龍 蒼羅(ib0214)が土産にと持ってきていた菓子を受け取りながら、春らしい色合いを少し添えた小袖に袴という身軽な格好の杉野 九寿重(ib3226)がにっこりと笑った。 来風の持ってくる話を面白いと感じてくれているのか、また来風に対して同族ゆえの親愛の感情を持ってくれているのか、時折こうやって顔を出してくれる九寿重はまだ開拓者となって間もない来風にとって友人となり得る少女だ。蒼羅もまた、来風とは以前にも交流の経験がある。 「古い言葉にあったな、春眠暁を覚えず、というのが。……たしかにここのところ合戦だの何だのと戦い続きだったし、今日はゆっくりと体を休めるとしよう」 蒼羅がぼそりとそう言うと、ほかの者もにっこり微笑む。 「天気の良い日に河川敷でお昼寝っていうのも、最高よね」 そう言いながら柄土 神威(ia0633)が持ってきていた桜茶を振る舞う。ほかにも甘味はあると、手で示しながら。そんな一方で、 「眠い時は寝るのが一番じゃ! 特に、このような暖かな日は、のう?」 きゃっと楽しそうに声を上げるのは、八塚 小萩(ib9778)だ。まだ幼さの残るその顔立ちと同様に、振る舞いもまだまだ未熟ではあるが、それでも口調や性格とは裏腹に傲慢さなどはない。子どもゆえの無邪気さがそれっぽく見せているだけだ。 そして小萩は素直にこの状況を楽しんでいる、そんな感じだ。 「でも、こんな簡単な依頼で報酬なんてもらっちゃって、本当にいいのかなぁ?」 そう首を傾げる樋口 舞奈(ic0246)。たしかに彼女の意見ももっともだろう。昼寝しながら話をするだけで報酬だなんて、珍しい依頼もあるものだ、そう思っているらしい。 「そんなに珍しいですか? わたしはこういうふうに、開拓者の皆さんから色々な経験談を聞いたりすること、そうすることで自分の文章の糧にしたいって思っているんです。草双紙の作家になりたいのと同時に、そういう開拓者の生きた声を自分なりに書き残していきたいな、って」 来風は目をパチクリさせながら、そう言ってクスッと笑う。手元にはいつもの雑記帳と矢立。記録を取る準備は既に万全だ。 「まあ、珍しいとかは抜きにしても、面白い依頼ですね。私も協力いたしましょう」 女性にしては大柄な――そして出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる――多由羅(ic0271)が頷いた。普段は好戦的な彼女だが、たまにはこんなふうにのんびりした空気も味わいたいらしい。好戦的といっても、彼女自身の立ち居振る舞いは穏やかなものだ。 春の日差しは、みんなを幸せな気分に導く効果でもあるのだろうか。そう言われても納得してしまうくらい、誰もがゆったりとした心持ちになっていた。 「わかるわ。どんな時でも風流を楽しむ……そんな心のゆとりは、忘れたくはないわね」 草双紙作家の卵――来風の噂を聞いてやってきた、国無(ic0472)が微笑んだ。女性のような包容力のある言葉遣いだが、その瞳の輝きは鋭く、また目元に走った傷が、彼の今までの開拓者として旅人として、そして戦人としての強さをにじませていた。 「では、誰から話せばええやろか?」 御形 なずな(ib0371)が、独特の訛りを持つ口調で、周囲をぐるりと見渡しながら問いかけた。 ● 「眠い時は、むろん時と場合にもよるが、無理に我慢せず寝るのはひとつの手だな」 蒼羅が口にした。開拓者として多くの戦いに赴いたことのある蒼羅だが、肝心なときに失敗したりするよりはちゃんと眠れる時にはきちんと眠っておいたほうがいいということらしい。非常にわかりやすい、開拓者としての生活の知恵だ。 アヤカシはいつ現れるかわからない。 そんな相手のための不寝番も、一定の睡眠を摂りつつ交代で行うのが、戦いの場での大原則だ。無理をして失敗しては元も子もない。 そんな意見に頷いているのは、多由羅だ。 「同意ですね、私も眠い時は素直に眠ります。故郷でもよく『寝る子は育つ』等と言われてきましたし。特に食事の後は眠くなりますね」 「食事、ですか?」 来風が筆を走らせながら尋ねる。真摯な瞳はいかにも真面目そうで、それゆえに弄りたくなることもあるのだけれど―― 「ええ。好き嫌いはありませんが、特に肉が好きです。猪肉とかは大好物なので、五人前くらいは普通に頂きます」 「五人前! さぞかし良い食べっぷりなのじゃろうな」 多由羅の言葉に、小萩が目を丸くさせている。他の者たちも体格がいいとはいえあくまでも女性である彼女の身体のどこにそこまで詰め込めるのか、一瞬呆然としていたようだ。 「鍛錬をすると、お腹が空くのです」 とはいえ、開拓者には案外ありがちなことなのだろう。周囲の驚きもなるほど、とすぐに納得に変わったようだった。 「仕事中に眠く、とかはあらへんの?」 なずなが問いかけてみると、失敬な! と怒ったもののすぐに欠伸をして、 「……ええと、何の話をしていましたっけ?」 と問いかけた。……大物である。 「ああ、そうそう。依頼で戦闘前は必ず睡眠を取ります。作戦会議などは不要。わたしの仕事は敵の前に立ちふさがり首級をあげることですから」 そう言うと、妙に偉ぶってみせる。 「最近修羅、特にサムライは野蛮で粗暴であるかのような良からぬ風評がありますが、わかってもらえたでしょうか? 私は脳筋などではないのです!」 その表情は誇らしげだったが、その意見に頷くものは少なかった……。 ● 「でも野宿でうっかり寝こむと野盗に襲われたりとかは、確かにあるわね」 国無がうんうんと頷く。騎乗して各地を回るときは厩舎のある宿に泊まる必要があるのでその金を工面するのが大変だったり、あるいはそのためだけではないかもしれないが、日雇いの傭兵や見世物まがいの働きをしながら旅することもあるという。 「眠いときは寝てしまうのがいいことも多いわ」 この場で淹れた緑茶を口にしながらまた微笑んだ。これはほとんどの参加者の共通認識らしい。ちなみになんでも緑茶やジルベリアの珈琲には、目覚めが良くなるような効果もあるらしい、と国無は言う。 「あ、でも、どうしても眠っちゃいけないときは、ありきたりだけどほっぺたや足を摘んでみたり、それでもまずい時は志体の力で自分の頬を両手でひっぱたいたりするよ、舞奈は」 舞奈の眠らない自己流対策はずいぶんと荒っぽい。しかし、ある意味確実な方法とも言えるだろう。痛覚は確実に自らに訴えてくる。 「ドジは……あー、縁側から足踏み外して転げ落ちたことがあるなぁ。後は、ちょっと違うけれど、お母さんとの鍛錬中にちょうど心地よくてうとうとしちゃって……モロに旋蹴落食らった。あの時は死ぬかと思ったけど、同時に戦ってる時に気を逸らさないようにっていうのを文字通り身体に叩きこまれたかんじだな」 舞奈自身は巫女の家系だが、泰拳士である母方の血が色濃く出た彼女。うんと幼い頃には巫女の訓練もしていたが、その最中に居眠りすることもしばしばだったようだ。当時を思い出したのだろうか、舞奈は持参してきたチョコレートを頬張りながらすこしばかり懐かしそうな顔をした。 ● 「そう言えば、小萩さんはどうなんですか?」 来風が尋ねた。幼いながらもきりりとした少女は、とたんにちょっと笑う。 「開拓者たるもの、寝る前の備えもちゃんとやらねばならぬ」 「寝る前の備え?」 誰かが目をパチクリさせる。 「うむ」 小萩は重々しく頷いて、口を開いた。 「備え――それはな、勿論襁褓のことじゃ!」 「……えっ?」 神威が驚くのも、無理は無い。 襁褓(むつき)とは――いわゆるおむつ、である。 少女はちょっと照れくさそうにもしたが、すぐに胸をはりなおす。 「我はその、まだ夜中に寝小便をすることがあるでな……特に依頼中、野営の時などにやらかしてしまうと仲間に迷惑となってしまうのでな。これは開拓者としての最低限の礼儀というやつじゃな」 確かに、自分の不注意で他人の行動の迷惑となっては開拓者としてまだまだ半人前だ。 「じゃあ、今日も持ってきているんですか? 一応依頼ですけど」 「きょ、今日は……せいぜい昼寝じゃ、大丈夫じゃ」 来風のちょっぴり意地の悪い質問に、しどろもどろながら答える小萩が可愛らしくて、思わずやさしい笑いのさざなみが起きた。 「でも、確かに依頼中は緊張しますね」 そう言うと、神威はよく冷えた岩清水を取り出した。 「私の場合はどうしても眠くなったら、こんなものを飲んだり、布に含ませて顔を拭いたり……そうやって体を少し冷やすと、目が覚めますね」 冷たいものにはたしかに身体が無意識に反応する。そういうことなのだろう。 「そう言えば……私がみる夢って、日常生活のような、ごく当たり前のことをしている夢が多いんですね。それで……ある日、夢の中で朝食を作り終えたところで目が覚めたんですけれど、夢のなかのことなのに自分は料理を済ませていたつもりにすっかりなっていて」 どうやら夢にまつわる失敗談に、話題が変わってきたようだ。神威は我ながらドジですけれど、と苦笑する。 「それで、おひつを覗いて白米を盛ろうとしたら、炊いたはずなのにない! って。はじめはすごく驚いたんですけれど、よく考えれば夢だったと気づいて、慌てて作りました」 そんな失敗談を、落ち着いた雰囲気の綺麗系美女が話すものだから、その話題はいっそう面白さを増しているような感じである。 「寝ぼけるというのは、さすがに我ながら恥ずかしかったです」 神威はそう言って肩をちょっとすくめると、 「他の方は、思い出深い夢とかは……ありますか?」 と、しばらく考え込んでいたらしい蒼羅が、ゆっくりと口を開いた。 ● 「そうだな。まだ開拓者となる少し前……だったか。俺が、陽淵――相棒の駿龍と出会うきっかけとなった夢があってな」 そこで言葉を区切ると、ふっと一瞬優しい目をした。 「その夢では、自分は開拓者となっていた。蒼い龍を駆って、空をかける……そんな姿。ただの偶然といってしまえばそれまでなのかもしれないが、ひとつの暗示だったのかもしれんな、と思っている」 「そういう夢みたいな夢も、素敵やねぇ」 なずなはうんうんと頷く。 「うちはそうやなぁ……やらかした、言うとあれやな。開拓者になりたての頃、グライダーを知り合いから借りて乗り回してた時の話や」 その声はゆるやかな音階をを刻むように、流れるように。もっともらしく聞こえるのも、その声音の影響が大きい。 「慣れてきた頃に、眠たくないはずなのにふっと寝てしまってたことがあってな」 「えっ……」 ひとつ間違えれば命を落としかねない話に、誰もが息を呑んだ。 「うん、本当に、時間にしたらほんの二、三秒くらいやったんやろうけど、崖にぶつかりそうな直前で目を覚ましてな。慌てて体勢を立て直したんで無事やったんやけど、危うく命失うことになりそうやったで」 本人もそれは自覚しているのだろう、思い出したのか軽く腕をかき寄せた。 「それはずいぶんな災難でしたね。今はグライダー、大丈夫なんですか?」 九寿重が尋ねると、いいや、となずなは小さく首を横に振った。 「それ以来、空は勝手に飛んでくれる龍でしか行く気なくなったわー。一番最初に思いつくのはそんな話やな」 たしかにこれはずいぶんと衝撃的で、忘れることは出来ないだろう。来風も雑記帳に【グライダーは危険】なんて書き込んでいるくらいだ。 「ま、それはそうと。眠りたいなら技能の、闇のエチュードから夜の子守唄の順で奏でれば、大抵の人間はこれでぐっすりやな。実家に帰って甥っ子や姪っ子の世話をさせられるときは、メンドくさいからこの手で大抵しのいでる……あ、でも、こういうんもいいんかな?」 なずなは首を傾げた。来風は 「もちろん、構いませんよ。そういう何気ない話にだって、開拓者が生きている証みたいなものがあると思うんです。それを記したりしたいから、集まってもらったんですから」 来風の言葉に、なずなも、そして失敗談を同じように話していた仲間たちも思わず笑顔になる。 「でも、眠るのはいいのですが……しょっちゅう、相棒の人妖である朱雀が私の尻尾を構いにくるのですよね」 そう九寿重がため息をつくと、獣人の参加者たちが『ああ』と妙に納得するように頷いた。 「彼女は毛皮系をもふもふすることが好きらしくて……でも、そういう場所は敏感としか言いようが無いものですから、寝入りばなに纏わりつかれたり甘えられたりされると、ちょっと過敏になってしまって満足に眠れなかったりすることも多々あります」 獣人の耳や尾は、たいてい過敏なものと相場が決まっている。九寿重もその相棒とは一年以上の付き合いらしいが、それでも慣れることのできるものではない。 「なので、私からの助言があるとすれば、相棒を選ぶときは性格などをきちんと把握しておかないと寝不足になる可能性がある……ということですね」 これは何も獣人に限る話ではないだろう。たいていのもふらのようなおっとりした性格ならともかく、やんちゃだったりイタズラ好きだったりすれば、まんじりと眠ることが出来なかったりすることも往々にしてあり得る。 来風も、そのことを理解したのだろう。サラサラとそれを帳面にまとめていた。 ● そんなふうに話をして、少しまどろんで。 ――やがて風が、少し冷たくなってきた。 春になったとはいえ、まだまだ油断をすれば風邪を引いてしまう。 「今日はこの辺りでお開きですね」 来風はそう言うと、深く礼をした。 「ありがとうございました。きっといつか、こういうものがもっと人々の目に触れられるようになるよう、わたしも精進したいと思います」 「そんな、礼なんていらないですよ」 多由羅が笑った。ほかの皆も、頷き合う。 「でもそうね……あともう一つ助言をするとしたら、失敗しても、大変でも、旅は素敵だし、開拓者としての冒険もいろいろな事件に遭遇する。あなたも一度、色々なところを回ってみるといいかもしれないわね」 国無が唇の端をつり上げた。 「そうです、ね……百聞は一見に如かず、と言いますし」 なにか考えることもあるのだろう。来風はそう応じると、もう一度深く礼をした。 「今日は、本当にありがとうございました!」 ● ――弥生ニ記ス。 ――春暁ノ章。 ――眠レル時ハ、キチント眠ルベシ。 |