【LC】なげろ!
マスター名:四月朔日さくら
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 普通
参加人数: 17人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/02/15 21:22



■オープニング本文

 ジルベリアから天儀に伝わった行事、バレンタイン。
 でも、過去と現在ではその意味が少し違うらしい。
 今のバレンタインは、恋人たちのための日というイメージが強い。

 ……あれ、ということはどうなるのかな?
 恋人いない人とか、その日どう過ごすのかな?


「というわけで!」
 安州でちょっぴり話題のお店、愛犬茶房の女中頭は、また今日も開拓者ギルドにやってきていた。それも、すごく楽しそうな顔で。
 ……この愛犬茶房、とある好事家が匿名で支配人をしている店である。
 開拓者の支援を陰ながら行いつつ、面白おかしいことを時折企画してはギルドに持ち込んでいる。
 女中頭はその中で、支配人からの言付けをよくギルドに伝える、いわば伝言人の役目も果たしていた。
「ああ、失礼。支配人が、バレンタインにちなんで面白いことを考えついたようでして」
 女中頭の言葉に、ギルドの職員はほう、と口にする。
「なんでも、バレンタインは恋人が甘い時間を過ごすことが多いとか。でも実際のところ、恋人のいない人なども多いでしょうし、逆にそういう関係について嫉妬する人も多いだろうと」
「ああ……」
 思い当たるフシがあるのか、職員も苦笑いしている。
「そこで、支配人が思いついたのがこれです」
 そう言うと、女中頭が取り出したのは丸くて白い、菓子のようなもの。
「これは……?」
「いわゆる、パイ菓子の一種です。これをみんなでぶつけあって、鬱憤を発散させたらどうかと。なんでも支配人は以前、そのような祭りをどこかで見たことがあるそうで」
 支配人、物好きである。
「開拓者ともなると、特に鬱憤のたまることなどもあるのではないかと。ちょっと乱暴にも見えますが、こういう形で憂さ晴らしというのはいかがかと」
「なるほど。でもその菓子は、商売道具にもなるのでは?」
 職員が問うと、女中頭はふふっと笑って一口ほどの大きさの同じものを取り出し、職員に渡す。訝しみながら職員が食べると――
「……っ?」
「この催しのために作った特製です。口に入っても害はありませんが、食用というわけでもないのです」
 菓子という名前と、美味しそうな見た目に反して、甘くなかったのである……


 その様子を眺めていた開拓者たちは、少し苦笑した。
 でもふっと己を顧みて、思う。
 ――胸の奥に、澱のように溜まっていることはないだろうか。
 そういうのを、吹き飛ばしに行っても、あるいはいいのかもしれない。
 ひとりでいるよりも、複数でいるほうが何かと楽しいであろうし。
 愛犬茶房……
 その名前を心に刻んだ開拓者は多いようだ。


■参加者一覧
/ 礼野 真夢紀(ia1144) / 倉城 紬(ia5229) / リエット・ネーヴ(ia8814) / フラウ・ノート(ib0009) / エルレーン(ib7455) / 澤口 凪(ib8083) / ラグナ・グラウシード(ib8459) / マルセール(ib9563) / 黒曜 焔(ib9754) / 氷雨月 五月(ib9844) / 平野 等(ic0012) / カロン(ic0091) / 燈乃 凪(ic0230) / 紫ノ眼 恋(ic0281) / 守氏之 大和(ic0296) / 春炎(ic0340) / ミーニャ(ic0363


■リプレイ本文


 バレンタインという催しは、まだ開拓者たちですら時折何をしていいのか……となるくらい、まだまだ認知度が高いとはいえない行事。
 その中で、「みんなで楽しく遊ぼう」と手を振り呼びかける愛犬茶房はいろいろ興味深く見えたに違いない。
 そう、いろいろな意味で。

「愛犬茶房か……以前会った子犬は元気かな」
 そう言いながら近づいてくるのは黒曜 焔(ib9754)。拠点の仲間たちと一緒にやってきて、女中頭に再会の礼を交わす。
「世の乱れに対するうっぷんを晴らせる機会と聞かされたのだが……」
 ともに【もふ隊】として連れられてきた春炎(ic0340)は首をひねりながら、甘い香りに誘われる。というか、うっぷんを晴らすことと奥に見える面妖な菓子の山らしきものの関連性が思い浮かばず、とりあえずは様子見を決め込もうという感じだ。
 と、
「でも何がはじまるんでしょう?」
 白いふわふわの犬耳を持った守氏之 大和(ic0296)が、春炎とその近くにいる燈乃 凪(ic0230)に問いかける。
「さあなあ。俺もいまいちわからないけど、みんなでワイワイできるんだったらいいんじゃないか?」
 燈乃にはバレンタインという行事についてのあらかたの知識はあるらしいが、まさかあそこにあるパイらしきものを食べる……だけとは思えない。大和と同じように首を傾げる。
「と言うか……ばれんたいん、とはなんだ?」
 世間に疎いカロン(ic0091)はやはり不思議そうな顔。が、幼い頃からの知り合いであるマルセール(ib9563)もこの場に来ていると合ってはあまり知らぬ知らぬではいられない。もっとも、
「大事な人にチョコを渡すというのは不思議な行事だが……ところでここは賑やかだな」
 マルセールの方はどうやら買い物の帰り道に覗いてみたという感じらしい。折角買ってきたチョコレートを作る材料だけでも死守せねば、と若干緊張気味だ。

 その一方で――
「バレンタインがなんぼのものじゃー!」
 澤口 凪(ib8083)は絶叫していた。どうやら世間に漂う甘い香り……いや、甘い雰囲気に過敏に反応しているらしい。
 そしてまた、ここにもひとり。
「ふふふ……こういう時は全力を持って尽くすッ! いくぞ、うさみたん!」
 背中に可愛らしいうさぎのぬいぐるみを背負った美丈夫――ラグナ・グラウシード(ib8459)が仁王立ちしていた。
 いわゆる「りあじゅう」……恋人がいてあま〜い雰囲気を醸し出しているこのご時世の風潮に、イラッ☆ ときているらしい。
 澤口の顔を見つけると、ラグナもなんとなく同士を見つけたような気がして、ほんのりと邪悪そうな笑みを浮かべた。
「おお、澤口殿! 貴殿もりあじゅうに天誅を喰らわせにきたのか?」
「りあじゅうっていうか、この甘い空気に耐えられないの! まあ、意味合いとしては同じかもしれないけど」
 ふたりは意気投合したかのように、ガッシと握手を交わす。
「りあじゅうがここで爆発させられると聞いて!」
 平野 等(ic0012)も、無駄にいい声でニカッと笑う。楽しければそれでよし、そんな等にとって、ここは絶好の場所と言えただろう。
「おお、貴殿もりあじゅう撲滅を志すものか! 我が名はラグナ、共に戦おうぞ!」
 ラグナがまたこちらにも握手を求める。
 でもラグナと等では、随分とその心情が異なるようだが……。

 氷雨月 五月(ib9844)は準備を着々と進めていた。
 懐から紐を出し、それを襷がけにする。おちゃめなおじさんといった風情だが、今回の趣旨をある意味一番把握しているのかもしれない。
「名前はさっちゃんとでも呼ぶといいぜー?」
 そんなことを嘯きながら、周囲の様子を見て、そして、
「……にしても。甘味が食えるって話だったはずだが、なんか雲行き怪しくねぇかい?」
 知らぬが花、という言葉も世間にはございまして、五月は知らないでいたほうが良かったのかもしれない。とはいえ、この場に足を踏み入れたからには、逃げるわけにもいかぬ。
「パイなる菓子が食べられると聞いていたのだが」
 紫ノ眼 恋(ic0281)が、不思議そうに首を傾げていた。たしかに奥には、それらしき菓子の山。しかしその量はいささか……多すぎるような気が。
「甘くないとはいえ、クリームのお菓子をあんなに無駄にするのは……」
 礼野 真夢紀(ia1144)はちょっぴりおかんむり。甘くすれば食べられるはずなのに、もったいない……彼女は普段持ち歩いているカバンからジャムやチョコレートなども取り出している。
 どうやらこれでパイを食べてしまえ、と考えているようだ。
「あのパイとやらは甘くないのか?」
 準備万端な少女に恋が尋ねると、神妙な顔で真夢紀は頷く。
「土台になっている生地なども食べられるもののはずなのに……食べ物に対する冒涜です……!」
「なるほど。それはそうやもしれぬな」
 恋はしみじみとうなずいた。

「ところで、心に蟠るものの……解消に? どういう意味でしょう」
 倉城 紬(ia5229)が今回の催しの意図が読み取れぬ、という顔で友人に問いかけると、リエット・ネーヴ(ia8814)は笑った。
「そんなの、紬ねーだってなにかしらあるはずだじぇ? ま、ちょっとしたハメ外しだな」
 リエットの説明に、紬ははあ、と小さくうなずいた。
(厄祓いのようなものですか)
 彼女はそう納得したようだ。一方のリエットはというと、
(パイ食べてその皿を壁に投げる遊びじゃなかったんだねぃ……)
 パイが食べられると聞いて参加を決めていたらしく、パイ投げの実情を聞いて、ぴょこんとのびているアホ毛すらも心なしか寂しそうに揺れていた。


「本日はお集まりいただいてありがとうございます――」
 女中頭がひと通り挨拶を済ませると、それぞれにパイが渡される。
 紙皿に乗ったパイはクリームたっぷり。どれもジルベリアや、アル=カマルの技術を用いた菓子であるのは一目見て明らかだった。
「どんな味なのかな……?」
 食べても害はないが、美味しくもないというこれらのパイ。クリームを指ですくい、焔や燈乃がぺろりとそれを口に運ぶ。
「……これ、甘くねぇのか……っていうか、顔に投げつけるのか」
 説明を再度聞かされて、五月がちょっとため息をつく。もったいない、というか、ちょっと呆れ顔。その評定を見たのか、真夢紀が近づいてきてうなずいた。
「食べ物がもったいないです……わざわざ甘くないお菓子というのも不思議な話ですし」
 と、解説をしていた女中頭が微笑んだ。
「手を加えるのはかまいませんが、あまり強い香味料は加えないようにしてくださいね。処理をするのは人間の他に、犬達もおりますので」
 なるほど、犬にチョコレートは毒である。
「分かりました、ではこれも用意してきて正解でしたね」
 真夢紀が取り出したのは樹糖である。自然な食べ物ゆえ、これなら害はないだろう。
「ただ気をつけないと、パイがどんどん飛んできますので、注意してください。もし料理をなさるのでしたら、あちらなら場所がありますので」
 女中頭が指さしたのは、いかにもな休憩場所。なるほど、休戦地帯ということなのだろう。真夢紀もきちんと礼を述べる。
「……それでは、そろそろ競技にうつりたいと思います。皆様、準備はよろしいですか?」
 誰とは言わないが、誰かの瞳がキラリと輝いた。


 高い笛の音が、開始の合図。
「ていっ」
「とりゃあー!」
 そんな元気のいいかけ声の一方で、
「りあじゅう爆発しろー!」
 そんな物騒な言葉を叫びながらパイを投げる男女もいるわけで。
「うさみたん、攻撃は最大の防御だ……!」
 その中でも特に急先鋒といえるであろうラグナは、そうピンクのうさぎさんのぬいぐるみに声をかけながらパイを投げつける。
 が、
「ラグにぃ覚悟ー!」
 澤口をはじめとする仲間たちからの集中砲火を浴びる。知己がいるのはありがたいことだが、同時に心のおけない彼らに狙われやすいという欠点もある。
 ある意味当然のことかもしれないが、ぬいぐるみであるうさみたん、クリームの被害に合いそうなものだが……それをことごとくガードするラグナの根性も並大抵のものではない。
 ――が。
 そんなラグナのもとへ、どこからともなく聞いたことのあるような笑い声が聞こえてきた。
「ふふふ〜、ラグナみぃつけた〜!」
 兄弟子の行動などお見通し、という感じで現れたのはエルレーン(ib7455)!
 その両手にはもちろんパイ。
「こんなことだろうと思ったのッ」
 自称……いや、自他共に認めざるをえない非モテ(彼女いない歴=人生)のラグナ、エルレーンにはなぜかめっぽう弱いのだ。そのエルレーン自身も『彼氏いない歴=人生』だが、彼女の中ではそれはもうどうでもいいらしい。
 エルレーンは修羅であるラグナに対してまさに鬼神のごとく、ここぞとばかりにパイを投げつける!
 それに対してラグナは、
「くっ、やはり出たな貧乳女! ちょうどよいわ、パイでその足りない胸――」
 それを言い切る事もできず、エルレーンのパイ攻撃をしこたま食らってしまう。
 胴に、顔に、口に――うさみたんに。が、照準がうさみたんにあたっていることに気づいたのか、ラグナはここで初めてうろたえた。
「う、うさみたんだけはやめろ、やめてくれっ」
 見た目に反して可愛らしいものが大好きなラグナ、かわいがっているうさみたんを汚されるくらいならと己の身をパイとクリームだらけにして、立ち尽くしていた。
 そう、まるでいにしえの猛将の死に様のように。
 ちなみにその光景をぼんやり見ていた焔――偶然にも両者と知己である――は、
(そうか、あのひと非モテだったのか……)
 などとほやーっと考えていた。顔にパイが炸裂するまで。
 と、エルレーンも見覚えのある猫耳に手を振った。ただしパイをラグナに当てることを止める気は毛頭ないようだ。笑顔でパイを投げながら、言う。
「ひさびさなの、げんき?」
「ああ、……しかしあのままではあちらが窒息しないかい?」
 顔についたクリームを拭いながら焔は一応尋ねるが、
「気にしなくていいの」
 エルレーンさん、怖いです。


 同じように何かを死守しながら動くという意味ではマルセールもだろう。せっかく買ってきたばかりのチョコレートの材料をどうにかしてはたまらないと必死になっている。
 特に幼い頃からの知り合いでもあるカロンからの攻撃は、腕を使って防ぎ続けている。
「そう言えばあの小娘……正月に男と二人だったな……なんかそれを思い出したらむしゃくしゃしてきた……ッ!」
 幼馴染ゆえ遠慮なんてものはない。なんでむしゃくしゃしているのかはわからないけれど、とりあえずマルセールに向かって投げる。
 しかしカロンごときに当てられてたまるか! と言わんばかりのマルセールの強固な防御は貫くことができない。
 が、パイを投げ続けるも、ときには軌道がずれてしまうものもある。その一つが、のんびりとパイを味見していたミーニャ(ic0363)の顔にかいしんのいちげき! ミーニャと顔見知りのマルセール、顔を真っ青にしている。
「バカロン……何してる……ッ!」
 そんなうめき声をあげるマルセール。一方、
「……」
 ミーニャは首をふるふると振って、顔に張り付いたパイを落とす。
「せっかく……いちごのこと考えて、パイをいちご味にしようとしてたのに、にゃーっ! もう、許さないですよ!」
 そう叫ぶと、カロンの後方に回ってパイをぺしぺし投げつけはじめた。
 思わぬ伏兵の登場で、これを好機ととったのは等だ。ミーニャと同じようにカロンの背後からそっと忍び寄って――顔面にパイをお見舞い!
「ハッハー! 遠慮なく受け取って、俺の友愛!」
 すっかり絶好調としか言えない状態になっている等。……ただしここまでの時点で他の参加者たちの投げたパイにまみれて、雪だるまならぬパイだるま、とでもいう状態に陥っているのであるが。
 それでも楽しいのはきっと見知った顔が多く一緒にふざけあっているからだ。
 そしてこれを好機と捉えたのはマルセールもで、パイをこちらもカロンに向かって投げつけ始めた。
「平野、助かる……こういう時こそ、連携のありがたみというのもわかるものだな!」
 マルセールもまんざらではない様子。
「そうだ。どっちがかっこいい荒鷹陣を決められるか、もここで勝負しねぇ?」
 等がカロンにそう尋ねると、顔面も背面もパイだらけのカロンはクリームにまみれた顔をぐんにゃりと歪め、
「お前はいつぞやの……! 今日こそは負けぬぞ!」
 パイとクリームまみれのまま、二人して荒鷹陣で威嚇しあう。
 正直、滑稽な光景なのだが、それでも誰も止める気がないあたり、ある意味みんなわかっているとしか言いようがなかった。


(パイやクリームが眼鏡に当たるといろいろ面倒そうですね……)
 衣服や髪などはまだしも、眼鏡に当たれば場合によって傷がついたりするかもしれない。そう思って眼鏡を外し、懐にしまっている紬。が、彼女はいわゆるド近眼である。つまり目の前がすっかりぼやけてしまっている。おそるおそる、歩みを進めて、先にいるであろうリエットを探しているのであるが、気配だけで探すのはどうにも心もとない。そうこうしているうちに、
「きゃっ……! リエットさん、どこですか?」
 クリームにつるりと足を滑らせ、思わず変な声を上げてしまった。
「紬ねー?!」
 リエットは友人の名を呼び、慌ててクリームだらけになってしまった紬を立ち上がらせようとする。が、足元が滑る中で人を助けあげるのも容易ではない。
 なんとか立ち上がらせると、ふたりはがっしと手をつないだ。
 視界に不自由しがちな紬に代わり、リエットがその目の代わりをするという、いわゆる二人一組での攻撃態勢をとることにしたのだ。
「紬ねー、前方にそのまま投下だじぇ!」
「わかりました、ていっ」
 紬が投げる時は声で支持しつつ、リエットも援護射撃。それが楽しいのだろう、ぶつけてもぶつけられても、きゃあきゃあと楽しそうな声をあげている。
 少女同士の交流を深める意味でも楽しいイベントとなっているのであろう。


 【もふ隊】とその仲間たちもすでにパイとクリームまみれになりながら楽しんでいた。その中でも特に楽しんでいたのは大和。
 実は彼女、可愛い外見と裏腹に、噛み癖があるのだ。そのために念入りに歯を磨いているほどの力の入れようである。
 パイは程よく焼かれた生地の上にたっぷりのクリームが乗ったお菓子。競技用のため甘いものではないのだけれど、それが飛び交うさまを見ているうちに彼女の中で何かがはじけてしまったらしい。
 かぷっ。
 かわいい音とともに、彼女の口に収まっていくパイ。とてつもないスピードである。
「やまちゃん……何してるんだい?」
 思わず声をかけたのはすでにパイまみれの焔だったが――そのふさふさと揺れるしっぽを彼女の目は逃さなかった!
 がぶ。
 ちゃんと男と女で噛みようを変えているらしく、その噛み付きっぷりときたらまるで食らいついて離さないと言わんばかり。しっぽに触られるのを苦手としている焔は耳をしょんぼりと垂らして弱気モードになってしまった。と、そこへやってきたのは顔見知りでもある澤口と、彼女の知り合いであろうか、狼の尾を持つ若い女性――恋だ。
 恋はパイ投げを初めのうちはしばらく傍観していたのだが、これがどうやらきちんとした決まりのある競技のようなものとわかったからには手は抜かない。
 手にクリームたっぷりのパイを抱え、剣気を持って相手を怯ませたりもしていた、のだが――
「狼たるもの、剣でもパイでも負けるつもりはねエッ!」
 そう勢い込んで叫んでいたのはいいのだが、その分動きに隙があったのだろう、澤口に背後を取られ耳をもふもふと触られてあっさり捕まってしまったのだ。
 恋は見た目に反しもふられると力が抜けてしまうという弱点があるのだが、それをうまくついた澤口の作戦勝ちといえよう。
「耳は、耳は駄目っ、やめ……ッ」
 こちらもすっかりしょんぼりとしている。
 しょんぼり系獣人たちがうら若き女性たちにいいようにいじられているさまははたから見ると非常に微笑ましいのだが、本人たちはそういうわけにもいかない。
「澤口さん、そちらの凛々しい女性は?」
 しょんぼりしていても女性に遭遇すればイケボはしっかりの焔、しっぽにはいまだ大和が噛み付いたままだがそれでいいのか。
「おおう、こちらにも癒しのお耳持ち発見! こっちは友だちの紫ノ目 恋。かわいい耳してるよね」
「ちょ、あたしは猫ではない、狼だっ」
 恋がそう反論しても、澤口がちょいともふればたちまち脱力してしまうから今ひとつ説得力に欠けてしまう。
「まあとにかく勝負に勝ったらもふもふさせて……って、こちらに可愛いお嬢さんがっ」
 焔の尻尾に噛み付いたままの大和に気づいたらしい。若干その異様な光景に驚かれているようだが、大和はそれしきで怯む噛り魔ではない。
 女の子にはちゃんとわきまえて、あま噛みを――
 かぷり。
 噛まれた澤口とそれを見ていた恋はさすがに驚いた顔をしていたが、大和の満足そうな笑顔になんとなく苦笑するしかなかった。
「やまちゃん、挨拶の前にかむのはダメだろう」
 気がつけばパイにまみれている燈乃が笑いながら大和に近づいて――彼女に噛まれる。もうこれは恒例行事のようなもので、苦笑するしかない。
 と、そこへどこからか流れ弾のようにパイが飛んできた!
 のんきに戯れているのがりあじゅうっぽく見えたのか、投げてきたのは誰かわからないがどこからか聞こえてくるのは「にゃは、成功にゃー!」という可愛らしい声。
 このままでは大和にぶつかる――誰もがそう思って目をつぶった瞬間、
「……大丈夫か」
 春炎が間に入り、身を呈して大和を守る。かばうように入ったせいか、春炎の腹部に綺麗に当たった。しかし春炎はそれを物ともせず、投げつけられた方向へお返しとばかりにパイを投げつける。
 その様子にときめかないものがいるであろうか。
「シュンシュン……」
 それは大和も同じようで、そう言いながら歳相応な可愛らしさで背中から腰にきゅっと手を回す。すわこんなところでカップル成立か、と思った次の瞬間、
 がぶり。
 ……ああ、うん、わかってた。
 そんな表情を浮かべながらみんなが微笑ましく見つめる中、当の大和は非常に満足そうであった。

「……でもパイ投げったあ、よくわからねえなあ。今の若い子ってそういうのが好きなのかねえ」
 口ではぶつくさ言いつつやる気に満ち満ちている五月が投擲の練習を何度もする。そして大和たちからいったん離れ、近寄ってきていた燈乃にチラリと目をやった。すでにパイまみれだが、それゆえ五月は『パイを遠慮なく当てても大丈夫そうな相手』と認識したらしい。
 燈乃は実はゆっくりと投げているために逆に集中砲火を浴びているのだが、まあこういう時は思い切りはしゃぐに限る。
 年齢はしっかり重ねている五月は、体っとパイを燈乃に当ててにやりと笑う。
「こういうことも、手抜きじゃあ良くないだろ?」
 言われた燈乃もああ、とうなずき、
「たしかにやるからには本気出さなきゃなっ」
 ゆっくりとした投げっぷり。五月はそれをあえて身体で受け止め、またにやっと笑う。
 ちなみにふたりともすでにパイの味見済みなあたりも気が合うようだ。
 ――そんなパイの一つが、一息ついていたマルセールの顔にあたったのは、また別の話。

 そんなマルセールに近づいたミーニャも、これまた策士である。
「ねえねえマルセールさん。助けてくださいですにゃ」
 追われている風を装い、マルセールのそばに寄る。そのまま二人で行動に移るのだが、ミーニャがちらちら言葉の端にのぼらせるのはいかにもな恋話。普段は(恋人なんてまだ要らないもん)と思っているミーニャだが、さすがに今日ばかりは別なのだろうか。
 マルセールも、普段より真面目な雰囲気の彼女に合わせて言葉を選びつつ、乙女の会話を楽しむ。
 しかし隙は一瞬であった。
 ミーニャがマルセールをふっと油断させたところに、ミーニャの手の中にあった顔面にパイを直撃!
「これも作戦のうちなのにゃ♪」
 ミーニャは楽しそうに、たったかと駆け出していった。ひとり取り残されたまるセールは、無言のまま呆然としていた。


 やがてみなひと息つく。
 やりたい放題、パイを放りまくってちょっとばかり落ち着いたのだろうか。
「皆さん、もし良かったらこちらへ来ませんか?」
 真夢紀が微笑みながら手を振る。
 彼女が持ち込んだ七輪の上には乳白色のあたたかそうな料理が、ぐつぐつと音を立てていた。
「ジルベリアなどで好んで食されているシチューです。こちらのパイのクリームを少し分けていただいて、作ってみました」
 少女の顔は楽しそうに笑みを浮べている。
 食べ物を粗末にするのは良くないが、こうやって利用できるのであればたしかにとても楽しかろう。
「あと、先ほど投げていたパイに甘みを加えて、フルーツジャムを盛りつけてみました。動物が食べるには適しませんが、皆さんで分けて食べましょう」
 女中頭もそんな真夢紀の手際の良さにふむふむとうなずきながら、しっかりシチューを食べている。とはいえ、そばにあるほうじ茶は愛犬茶房が用意してくれたもののようだ。
 食べ物、飲み物で身も心もあたためて。
 そんな当たり前が、ひどくうれしく感じるパイ投げ合戦の後だった。

「それにしても服がクリームでべとべとだな……こりゃあ後で風呂にでも入らねえと」
 燈乃がぼそっとつぶやく。と、それを耳ざとく聞きつけたのだろう、焔が笑った。
「そうだね、このままだとやまちゃんだけでなく相棒にもかじられかねないしな。近くの風呂屋にでも、みんなで寄って帰るかい?」
 そう提案すると、周りのみんなもこぞって頷いた。

 バレンタインだからって、いろいろあったっていいじゃない。
 こどものようにはしゃいだり、みんなで美味しいものを分けあったり。
 そして最後はゆっくり心も体もぽかぽかで、楽しい時間は過ぎていくのだった。

※なお、散らばったクリームとパイは、愛犬茶房の職員と犬達が美味しく平らげました――。