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■オープニング本文 ● 旅の絵師と緋獅が神楽の都に来て二カ月が経とうとしていた。 絵師にしては長い滞在である――それはとりもなおさず、幼い修羅の子供・緋獅の存在があったからだ。 一度、緋獅に神楽を見せておこうと思っただけだったのだが、ひょんなことから修羅の老夫婦に出会い、絵師が仕事に出ている間は彼らが子供の面倒をみてくれることになったため、彼は絵に集中することができた。 開拓者ギルドを引退した老夫婦は緋獅をことのほか可愛がってくれ、また武術鍛錬や学問も教授してくれる。緋獅に棍を教えてくれた青年は現役開拓者であるため、子供にかまってばかりはいられない。故に、これは絵師にとっても、緋獅にとってもありがたいことだった。 辺りが夕闇に包まれ始めたころ、絵師はやっと筆をおろして波止場から立ち上がる。 多くの開拓者たちが賑わう通りを避けて一本裏の路地を歩き、宿の裏戸口に立った時、絵師はふと立ち止まり、耳を澄ました。 「……」 やがて路地の闇から微かな足音とともに忍び装束の男が現れた――目は追い詰められた獣のようにぎらつき、押し殺すように肩で息をしている。脇腹を抑えて後方を気にしながら走っていたが、絵師に気づき、ぎょっとしたように目を剥いた。 絵師は人差し指を口元に立て、宿の裏戸をす、と開けると男に目配せする。 男は躊躇を見せたが追手の気配を察知し、風のように裏戸をくぐった。 宿の者の姿はない。今時分は宿泊客の案内やもてなしで大わらわなのだ。 絵師は閉めた裏戸の内側に静かに佇む。そして、男を探しているらしい数人の気配が遠ざかるのを確認してから男に向き直った。 男は絵師に飛びかかり、その首筋に匕首を突きつけた。 「何の真似だ……貴様、何者だ」 深手を負っているにも関わらず、その動作は鋭く、隙がない。だが、絵師は顔色ひとつ変えず、そっと相手の手を退けながら淡々と言った。 「私は絵描きです。追われてらっしゃるようなので、ひとまずここへ入っていただきました。……手当てが必要に見えますがどうなさいます? 無用であれば、折を見てここから出ればよろしい」 冷淡とも思える言葉に、男はひとまず刃を納めて束の間……掠れる声で言った。 「……水と……手当てする場を、貸していただきたい」 口調を改めた男に頷くと、絵師は『どうぞ』と自室に招き入れた。 絵師は、今夜は老夫婦宅に緋獅を泊めてくれるよう頼んだ後、宿に戻ってきた。 男は宿の畳を汚さぬよう布を敷いた上に胡坐をかき、淡々と脇腹の手当てをしている。 傷の深さから医師による縫合が必要だと思われたが、絵師は何も言わず止血剤といくつかの薬を男に押しやった――医術師に診てもらえと言ったところで、男の状況からして無理だとわかっているからだ。 「……かたじけない……しばらく休ませていただいたら、失礼する」 男は言って薬を仕舞う。 絵師はただ静かに頷いただけだった。 夜半、絵師はふと目を覚ますと大苦無に手を触れた。視線を転じると、男もまた外の気配に気づいたのか、じっと耳を澄ませている。 通りに面した障子窓が音もなく開いた――途端、ムササビのように黒い影が男に躍り掛かる。それと同時、天井から影が舞い降り、絵師には目もくれず真っ直ぐ男へと凶刃を走らせた。 ガキッ! 甲高い金属音が響き、攻撃を阻止された影が飛び退る。そして、絵師の手にある大振りの苦無に瞠目した。 「貴様、シノビか!? ……邪魔立てするな。我等はその男に用があるだけだ」 覆面の下からくぐもった声が聞こえる。絵師は冷ややかな笑みを口元に刷いた。 「私はただの絵描きです。……ですが、折角お助けした方が凶刃に倒れるのを見過ごす訳には参りません。……ひとつお忘れのようですね。ここは神楽の都。開拓者ギルドの本拠地です。騒ぎを聞きつければ、警邏隊ではなく開拓者たちがやってくるでしょう。ここは、彼らの都ですから」 襲撃者たちは一瞬目を見交わし、男へ投げつけるように言った。 「……主君殺しの貴様に命はない……だが、死ねるだけありがたく思うがいい」 ● 襲撃者が去った後、高熱のために膝をついた男は、絵師へ短く謝罪する。そして、苦笑を洩らした。 「やはり、シノビか……」 絵師は断固として首を横に振ったが、ふと小さく呟く。 「主君殺し……鈴鹿に連なる方ですか」 男は微かに頷き、言った。 「……私はその傍系にある『里』の出だ……」 男は仮に【芒角】と名乗った。 鈴鹿一族は主君に対する忠義を第一とし、裏切者には死に勝るほど容赦ない粛清が加えられる。傍系とはいえ鈴鹿に連なる一族ならその掟は絶対である。 芒角もまた親子代々仕えてきた主君がいた。だが、代替わりした新当主は血に飢えたケダモノと言っていいほど残虐な男だった。 「男も女も、老人も子供も……あの男に仕える者はみな、一挙一動に怯えて暮らしていた……」 彼もまた掟において、主の非情に心を殺してきたものの、ある事件で殺害を決断した。 「事件……」 絵師の呟きに、芒角は頷いた。 「狩りに出るといって臣下を連れ出し……無論、私も着いて行ったが……あの男は山へ入らず、里の者に矢を射かけ始めたのだ」 「ご自分の領地で……?」 「そうだ」 さすがに絵師も瞠目する。 領民を【狩る】など、狂っているとしか言いようがない。 芒角はその夜、主君の寝所に忍び込み、殺害した。 主君殺し――これにより『里』が彼に死をもたらそうとしたのは、彼らの理念からすればむしろ恩恵にあたる。 だが―― 「……貴方は生きたかった。だから、里を出られた」 絵師の静かな声に、芒角は深く頷いたものの、自嘲の笑みを洩らす。 「尤も、この傷では長くは持つまいが……」 「そう早合点なさる必要もないでしょう。先ほども申し上げましたが、ここは神楽の都……開拓者ギルドの本拠地です」 「……開拓者に、追手を撃退せよと……?」 「あるいは、完全な討伐を願うか……彼らがどう動くかは、貴方がどうするかによって違ってきます」 芒角は絵師を凝視し、しばらく考え込んだ。 ――追手の数は脇腹の怪我と引き換えに半減した。残る追手は五人だ。その人数なら、振り切ってみせる。 この怪我さえ、治れば。 絵師の介入によって一旦は引いたが、すぐに襲撃されるだろう。ぐずぐずしている間はない。 芒角は意を決し、顔をあげた。 「わかった。ギルドに手助けを頼んでみよう……そして、医者を呼んでもらえないか。治療を受けたほうが、あなたにも開拓者にも余計な負担をかけずに済みそうだ……」 絵師は頷き、すぐさま宿の者を叩き起こして医者の手配と、開拓者ギルドへの依頼文を手早くしたためた。 |
■参加者一覧
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
和奏(ia8807)
17歳・男・志
央 由樹(ib2477)
25歳・男・シ
ケイウス=アルカーム(ib7387)
23歳・男・吟
ゼス=R=御凪(ib8732)
23歳・女・砲
葵 左門(ib9682)
24歳・男・泰
久郎丸(ic0368)
23歳・男・武
曽我部 路輝(ic0435)
23歳・男・志 |
■リプレイ本文 ● 「シノビの世界とやらも、難儀なことじゃのぉ……」 依頼書を見て曽我部路輝(ic0435)が呟く。 「撃退……? 討伐じゃなくていいの?」 ケイウス=アルカーム(ib7387)が首を傾げた。 彼の傍らで、ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)はすっと視線を落とす。 (掟破りの者には死を……か……。窮屈で残酷なものだな。……国も掟の内容も違うが……俺も……) (人々が、共に生き抜く為に、守られるのが……掟、だろう。……これでは、唯の圧制に、過ぎん……) 久郎丸(ic0368)には、『掟』の目的が違えられていると感じられるのだ。 壁に凭れていた葵左門(ib9682)がクッと笑み洩らす。 (ヒトは単純な物事に縛りをつけたがるものだなぁ。追う者、追われる者、どちらもご苦労なことだ……地を這い泥を啜っても生きたいと願うなら、手を貸してやろうじゃあないか……) 開拓者たちはまず絵師と芒角のいる宿から精霊門までの道順を地図で確認し、また、精霊門が使用できなかった場合も含め、打ち合わせを済ませて散開した。 和奏(ia8807)は、開拓者たちが住む区画を過ぎたあたりで護衛する経路から裏道へ入り、散歩を装って町並みを観察する。 路上で遊んでいた子供らが、和奏を見てぽかんと口を開ける――彼は人形のような相貌に微かに笑みを浮かべ、尋ねた。 「最近、知らない人がこのあたりのことを聞いてこなかったかな?」 「……わかんない」 子供たちは少し考え、首を横に振る。 和奏は礼を言って、持っていた飴玉を一つずつ子供たちに手渡した。 人の出入りの激しい神楽の都のこと……経路上には身を潜められる場所が多く存在していることを確認したが、追手の情報を掴むことはできなかった。 絵師と芒角のいる宿部屋へ訪れたのは久郎丸とヘラルディア(ia0397)。 ヘラルディアは芒角の状況を『同情の余地あり』とし、 「必ず追手を撃退し、望む行先を見極められない様に手筈を整えて逃がして差し上げますね」 追手の『耳』を配慮してごく小さな声で告げる。 「かたじけない」 芒角は丁寧に一礼を返した。 久郎丸は兜を外し、己の異相に芒角が少し驚いたのを見て片手をあげた。 「怯えて、くれるな……怪我を、診よう。……お前を、助けたい」 そうして持っていた反魂香を焚き、念珠を手に真言を唱える。 芒角は纏わりついていた倦怠感がふっと吹き払われるような感覚を覚え、瞠目した。 「せめて、気休めにでもなれば……これも、持っておけ」 久郎丸は言い、薬草と包帯を芒角に渡す。そして、手早く香を消すと兜をかぶって立ち上がった。 「随分楽になった。感謝いたす」 芒角の礼に、久郎丸は小さく頷いた。 一方。 絵師たちの居る部屋の両隣りに開拓者の客が入った。 一室に央由樹(ib2477)、ケイウスとゼス。もう一室には路輝が。 「奴さんも、血眼じゃろうかの……ほんまに難儀な事じゃきの……」 路輝はこまめに気配を探りながら、ごく低く呟いた。 由樹はケイウスと交代で『超越聴覚』を使用しながら、隣室の壁を見遣る。彼は幼少期の経験から――昔よりも薄れてきたとはいえ――『抜けシノビ』に対して悪印象を抱いていた。 依頼書を見る限り、芒角とやらは相応の覚悟と、追われることも承知の上で里を抜けたのであろう…… (せやったら、ええ。俺は何も言わん……昔の俺なら嫌味の一つも言うてたかもな……) 出発までの数刻、彼らはゼスやヘラルディアが用意した節分豆などで体力を温存しつつ、また『音』と『気配』を探って襲撃に備えながら待機している。 左門と久郎丸は、ギルドへ赴き、精霊門の使用許可を願い出ていた。 「地獄の沙汰も金次第と言うしなぁ?」 くつりと喉の奥で哂った左門が低く呟く。 一人は鬼面の、一人は青白い異相の男――よく見かける開拓者だとわかっていても、二人並ばれると異様な雰囲気に圧倒される。 ギルドの受付係は一度、風信術で精霊門の門番に問い合わせたが渋られたらしく――精霊門はギルド管轄ではなく、朝廷の管轄になる――そのような用途で使用するなどとは、などとぶつぶつ言われたようだ。 左門は鬼面から覗く片頬に薄い笑みを刷いたまま、『なぜだ?』と問う。 久郎丸がそれへ続けた。 「……抜けシノビの護衛……そんな火種を、依頼として、受理する、位だ。今更、ギルドが手を貸せぬ……等とは、言わぬものと、信じる」 門番と直接話をつけてもいい、と左門がつけ加えると、受付係は左門と久郎丸を交互に見、いくぶん蒼ざめた。 「〜〜っ! もう一回行ってきます〜っ」 ほどなく…… 「お、お待たせいたしました! どうぞお使いくださいっ! ……でも、あの、料金が……」 駆け戻ってきた受付係へ、左門は黙ったまま一万文を出した。 ● 夕刻。 開拓者たちが集まった。 精霊門の使用許可が下りたこと、経路、作戦が筆談によって伝えられると、芒角は予想外の展開に面食らったらしい。 「しかし、それでは……それに、私の手持ちでは……」 「構わん」 左門が遮るように言えば、 「俺も協力するよ。餞別代わりって事で。……大丈夫、俺達に任せてよ! ね、ゼス!」 ケイウスが自信満々に……友人を振り返る。 ゼスは彼の信頼を嬉しく思いつつも、微苦笑を浮かべた。 「まあ……そうだな……。俺だけでなくとも他の者達は腕が立ち、信頼に値すると思う。安心してくれ。それから……」 彼女は止血剤を芒角に差し出す。 「俺達が手伝えるのは途中までだ。その後の為に取っておいてくれ……『己』として生きたいという願い、絶対に捨てるな。どうか、生き抜いてくれ」 後半の言葉はごくごく密やかに告げられ、芒角はしっかりと頷き、それを受け取った。 「お身体はいくらか不自由ですが、感覚まで鈍ったりはしていませんよね……ご自身のことですから、最後までしっかり気を張っていてください」 和奏が静かに言葉をかける。 「……経緯は違うが、俺もお前と同じ様なもんや。手は尽くす。せやから先に諦めるなよ」 由樹は用意した松明を弄りながらぼそりと言った。 子の刻まで半刻あまり――彼らはこの時間でも人通りの多い路を選んだ。 その一団の後方、黒鴉面をつけた久郎丸が笛を吹き鳴らし、コートを大きくはためかせて人目を引く。 彼はそれらの中でこちらに注意を払わない者――つまり芒角に注意を向けている者を探した。だが、追手はどこかに身を潜めてでもいるのか、それらしい者達を見つける事はできなかった。 寝静まった一般区域に入って間もなく、ケイウスの『耳』と路輝『心眼』が密やかにつけてくる存在を察知し、仲間にそれとなく伝えられた。 都のはずれまで来たとき、彼らは二手に分かれた。 「それでは」 絵師が軽く一礼する。彼と芒角に着いたのは左門、ケイウス、ゼスの三人。他の面々は追手を阻む形で潜伏する。 シノビたちも承知していたらしい――潜伏している開拓者に先手を打って手裏剣を放った。 一人が覆面の下から『追え!』と指示を出す。 そこへ久郎丸が回り込むように立ちはだかった。 「忠狂い。お前たちの道理が……誰にも通じるとは……思うな」 シノビは匕首を手に、凄まじい速さで久郎丸に斬撃を繰り出す。 久郎丸は雷槍を素早く回転させて弾き返し、印を結ぶと二撃目をやんわりと受け流した。 柳のような動きに、シノビに一瞬の間が生じた。すかさず路輝が一撃を繰り出すが、寸でのところで体を捻り、回転して間合いを取る。手裏剣を掴んだところへ久郎丸の槍が襲い掛かり、咄嗟に手刀で払った。 隙を逃さず路輝が踏み込み、素早く一撃を撃ちこんだ。 「おんし、しつこいのぉ」 脇を突かれ、くぐもった声を洩らしたシノビは、だが、路輝の剣を擦り返すように離した途端、徐々に姿を消し始める。 仲間たちの後方で『閃癒』を付与していたヘラルディアは、咄嗟に印を結び、動きの止まった路輝に『解術の法』を施した。 途端、路輝の目が迫るシノビの姿を間近に捉え、間一髪で凶刃を躱して体勢を立て直す。 「……さぁ! これはとっておきじゃきのぉっ!」 彼の言葉と共に双剣が炎のような光に包まれる。 シノビの匕首が一方の剣に弾き飛ばされ、もう一方の剣が肩を貫いた。 (そういえば……追手を振り切って場を凌げれば良いのか、斬り捨ててしまった方がよいのか、お伺いしておりません……) 和奏は襲い来るシノビと擦れ違いざまに居合を放ちながら、はたと気づく。 シノビは致命傷を受ける寸前で身を躱そうとしたものの、開拓者の刃は速く、黒装束の前衣をばっさりと切り裂いた。肌身に着けていた鎖帷子があらわになる。年若く人形のような相貌の、どこかぼんやりした雰囲気にも関わらず隙のない立ち姿に『侮れぬ相手』と認識する。 和奏は相手の動きを見つめながら、成り行きに任せることにした。 一足に間合いを詰め、懐に入ろうとするシノビを和奏の目が正確に捉える。凶刃が自身に届くより一瞬早く、刀は恐ろしいほどの速さで宙を走った。 シノビは太刀筋さえ見極めることはおろか、自身に何が起こったのか理解することもできず地に倒れ伏した。 由樹は『暗視』でシノビの動きを追い、足を狙って苦無を放つ。 不規則な軌道を描いて襲い掛かかるそれを避けきれず、シノビの足を切り裂いた。 「貴様もシノビか……!」 苛立たしげな、くぐもった声が聞こえる。 由樹は闇の中で微かな苦笑を口元に刷く。 「こっちも仕事でな。あいつの命はやれん。……俺はお前らが追ってる奴と同じ人間でな。お前らの言う事は理解できるが、生憎、共感はできへん」 「掟破りめ……」 「好きで抜けたんとちゃう……なんぞ言うても聞いてはくれんか」 元より――双方に和解などあろうはずもない。 由樹には多数の手裏剣をもって返された――相手と自分はほぼ互角。故に、絶対に間合いを詰められるわけにはいかない。 駆け付ける開拓者たちの足音にシノビの気が一瞬逸れる。その隙を逃さず、由樹は苦無を立て続けに放った。 「ぅぐ……っ」 くぐもった声を上げて跪いたシノビを、路輝が峰打ちで昏倒させる。 そして彼らは、先行する芒角たちを追った。 「……二人……」 ケイウスが呟くと、絵師と芒角が同時に頷いた。 ゼスは『ターゲットスコープ』を発動させ、闇の中から迫る標的を見極める。 「目をやられるな」 言い置いて、彼女はロングマスケットを撃ち放った――途端、炸裂した弾丸が閃光を放ち、追手の目を眩ませる。 左門が芒角と絵師に顎をしゃくった。 「行け」 シノビの一人が背を向けた芒角向けて手裏剣を放ったのと、ケイウスが『共鳴の力場』を発動させたのが同時だった。 竪琴が甲高い音を響かせ空気を震わせる――芒角に襲い掛かるはずの手裏剣は共鳴現象によって軌道が反れ、闇に消えた。 次いで、ケイウスは激しい狂想曲を奏でる。 脳を直撃するような音の攻撃に、二人のシノビは恐慌状態に陥った。 ゼスは、束の間動けなくなるケイウスの傍らで強力な空気弾を撃ち放ってシノビを転倒させる。 「ありがとう、ゼス」 「気にするな、その為の俺だ」 礼を言うケイウスに、ゼスは小さく笑んだ。 一方、左門は頭を抱えて唸るシノビに一気に踏み込んで八尺棍を突き放ち、間髪入れず拳を叩き込む。 もんどりうって倒れたシノビは、その反動を利用して速やかに起き上がり、立て続けに礫を投げ打つ。左門は咄嗟に後方へ飛び退ったが、いくつかの礫が彼の手足を掠めて血を滲ませた。 ゼスの空気撃によって転倒したシノビが背後から襲い掛かるのを察知した左門は、振り向きもせず八尺棍を回転させて敵の鳩尾に鋭く突き込んだ。 ケイウスの『精霊の狂想曲』が再び鳴り響く。 「くそ……っ!」 覆面の下で毒づいたシノビが決死の形相でケイウスに迫る――ゼスは躊躇わず、近距離から空気砲を撃ち放った。 転倒から身を起こしたものの、追ってくる開拓者たちの足音を耳にしたシノビは身を翻し、闇の中に走り去って行った。 「……掟なんて俺には関係ないし、あの人を死なせたらきっと後悔すると思う。助ける理由は、それで十分」 ケイウスの呟きに、ゼスが頷いた。 ● 「……少し、傷が開いてしまいましたか……」 絵師は芒角の脇腹に目をやって低く呟く。が、抜けシノビは軽く笑って首を振った。 「何ほどもありません。……止血剤や薬草までいただいたことでもあります」 追手を撃退し、駆けつけた開拓者たちに芒角は深々と一礼した。 精霊門が開く―― 門番は芒角を胡散臭げに見遣り、ふと、立ち並ぶ開拓者たちを見渡したとき、何故か慌てたように目を反らした。 鬼面の男と青白い肌の男――この二人だけでも圧迫感は十分なのに、更に今は六人も増えて……。 いかな硬い石頭の役人も、開拓者八人を相手に勝てるわけもない。彼は内心、ギルドの受付係と話をつけておいて良かったと思ったに違いない。 「……ごほん。行先は」 門番の問いに、絵師は沈黙を指示し、芒角は紙切れを見せた。 武天 門番は頷き、芒角を促した。 「……お達者で」 絵師は軽く目礼する。 「皆様も。……此度の事、心から御礼申し上げる」 そうして芒角は光の闇の中に消えていった。 「さて、旅絵師はどうする。いっそ一緒に旅立ちでもするか? ハハハ……ッ、なあに冗談さ」 左門が開いている精霊門を見遣り、絵師に笑う。 彼にしては珍しい『冗談』に、絵師は軽く瞠目しつつ、苦笑を返した。 「……正直、心惹かれる言葉ではありますが。でも、そうですね……近々、そうなることと思います」 暗に『別れ』をほのめかした絵師に、だが、左門は唇の端で笑っただけで何も言わなかった。 芒角を追っていた粛清者たちが、その後どうなったのかはわからない。 陰殻国の動乱が伝わってきたのはそれから間もなくのことである。 そして。 合戦に臨む開拓者たちが都を走り回るころ、旅の絵師は神楽の都を独り旅立って行った。 |