【初心者歓迎】帯絡
マスター名:昴響
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/03/21 12:43



■オープニング本文


 石鏡・陽天。
 各国の特産品などが集まるこの街も、多くの都と同じく昼の顔と夜の顔を持っている。
 その一画は「花街」として栄えていた。

「もう会えないって、どうして?!」
 しどけなく男に凭れかかっていた遊女が身を起こす。
「……仕方ないだろう。結婚が決まったんだ。花街の遊びも、もう止める」
「そんな……! 私を見受けしてくれるって約束したじゃない!」
 男は『すまない』と言うばかりで、泣きながらなじる女の背を長いことさすっていた。
 姉女郎に諭され、一時でも愛した男がそれで幸せになるならと、諦めを付けた遊女だったが――
 男は店を替え、新しい女に入れ込んでいることが分かった。

 その日、遊女は店を飛び出したきり戻らなかった。
 翌日、川に浮いているのを通りかかった者が見つけた。



 五行で大アヤカシが暴れているらしい。それに乗じてか、あちこちでアヤカシの群れが出現しているようだった。
「あのでっかいもふらさまンとこにも、鬼面鳥が出たらしいが……やれやれ……つまらん」
 煙管をふかし、ぼそりと言ったのは屋台の老人に扮した傀殃――妖術士――である。
 大アヤカシの動きに乗じて事件を起こすのは彼の矜持が許さないらしく、退屈そうに陽天の往来を屋台の奥から眺めていた。まったく商売する気もないのか、商品は適当に並べられているだけだ。彼は早々に屋台を畳むと、ふらりと夜の街に出て行った。

 宵闇に赤い雪洞の明かりがにじむ。
 傀殃はふと足を止め、じっと闇に目を凝らした。
「……そんなに恨めしいのかい」
 老人の声に、女は見向きもせず、血走った目をいずこかへ向けたまま頷く。
 ゆらゆらと揺れる紫の瘴気が、怨念の強さを思わせる。ぶつぶつと呟かれているのは男の名か。
「お前さんの恨みはお前さんで晴らすんだな……手伝ってやろうか?」
 老人の言葉に、初めて『幽霊の女』は振り向いた。


 呉服商の老人は、若様が懇意になさっている御方に頼まれましてとだけ言い、送り主が誰かとは言わなかった。
 ――送り主はいま通っている遊郭の女に決まっている。
「まったく、あの女もこんなものを寄越すなんて……」
 男は贈られた帯を見て腹立ち半分、優越感半分に吐き捨てるように呟く。
 銀に輝く帯は上等な絹で織られており、粋な細縞が入っている。地が鰐文となっているのは芝居好きな女の『洒落』かもしれない。
「いいだろう、明日はこれで遊びに行くか」
 男はにんまりと笑った。

 夜半。
 しゅるり、しゅるりと衣擦れの音がする。
 首にひやりとしたなめらかな布の感触を感じ、男は目を開け、ぎょっとしたように息を呑んだ。
「……っ!」
 覗き込んでいたのはざんばら頭に青白い顔の女――それは、死んだはずのあの遊女だった。
「お、おま……ぅぐっ!」
 男の首を鰐文の帯がぎりぎりと締め上げてゆき、女は血走った目で男を睨み続けている。
 凄まじい力で首を絞められ、苦悶にもがいていた男の体がガクリと落ちた。だが帯はゆるまず、ごきりと音がして男の首が奇妙な形に捻じ曲がる。
 血走った眼でそれを見届けた女の恨みはそれで晴れるはずだった。
 男の死体に巻きついた帯が紫色の瘴気を立ち上らせる。
 瘴気はゆらゆらと大きくなり、女の幽霊に絡みついて帯の中に引きずり込んだ。



 開拓者ギルドに駈け込んだのは商家の丁稚である。
「大きな蛇の化物が旦那様たちを……!」
 泣きじゃくって要領を得ない言葉を繋ぎ合わせると、こういうことらしい。

 夜中に妙な音がするので目が覚めた少年は、寝床を出て音のする方へ行ってみた。
 主人たちがいる部屋から呻き声が聞こえ、恐る恐る障子から覗いたところ、信じられないほど大きな蛇が主人に巻きついていたのだという。
 仰天した彼は慌てて部屋に戻り、飯炊きの老人を起こすと今度は二人で行ってみた。
 主人はまるで糸の切れた人形のように、妙な形に四肢を捻じ曲げて死んでいた。その隣の部屋で、丸太のような巨大な蛇に絞めつけられている夫人を見たのである。

「……へ、蛇の化物は奥様の首に、か、噛みついて……でも、奥様は何か……夢でも見てらっしゃるみたいで……、それで、蝉三さんが旦那様の飾り刀を抜いて、皆を起こせって……。お、お庭の池からも、大蛇が出てきて……」
 少年は駆け戻って寝ている者を起こし、大きな蛇がいると叫んだ。
 下働きの男たちが棒や包丁を持って奥方の部屋へ駆けていく。そして、少年も何か得物をと探していると、三尺もの大蛇が鎌首をもたげてこちらを見ているではないか。
 少年は自分を狙っている大蛇へ手当たり次第に物を投げつけ、死に物狂いで外へ飛び出した。
 助けを求めて警邏隊の詰め所に走ったが警邏隊は街の一画で起きた刃傷沙汰に駆り出されており、開拓者ギルドへ飛び込んだのだという。
 ギルド職員は、その商家に居た人数や、他に一緒に外へ出た者がなかったかなどを丁稚の少年に訊いた。彼は、主人や番頭、自分たちのような下働きの者の人数を告げたが、外へ出たときは自分一人だったという。
「……蝉三さんたちは、大丈夫でしょうか……」
 少年は不安そうに職員を見上げてきたが、こればかりはわからない。そして、気休めを言うわけにもいかない。
「……わかりません……。隙を見てうまく逃げ出せていれば……。とにかく、早急に手配しましょう」
 職員の厳しい面に蒼ざめたものの、少年は『お願いします』と、頭を下げた。


■参加者一覧
花鳥院 麗子(ic0185
17歳・女・泰
朝倉 涼(ic0288
17歳・男・吟
久郎丸(ic0368
23歳・男・武
藤峰 笙(ic0424
24歳・男・シ
剣逆 緋野(ic0428
16歳・男・シ
庚月 京(ic0430
17歳・女・志
トリシア・ベルクフント(ic0445
20歳・女・騎
黒木 遼子(ic0536
18歳・女・シ


■リプレイ本文


「商家ですか。此処には私の主人となれる方は居られないでしょうが、開拓者としての最初のお仕事で躓く訳には参りませんので全力を尽くしましょう。……ランタンをお借りできますか?」
 黒木遼子(ic0536)は依頼内容を確認すると、メイド服の裾を揺らしてギルド職員に向き直る。
「よろしいですが……夜間戦闘はおすすめできません。せめて夜明けまでお待ち下さい」
 精霊門は丙夜に開くため、開拓者たちがギルドへ到着したのは真夜中だ。
 件の商家には多数の小怪蛇が闇の中に潜んでいる。ランタンの明かりだけではとうていおぼつかない。下手をすれば開拓者たちの命も危うくなるのだ。
(これだけ時間が経っていると、生存は絶望的……かな。だけど、それは今、言うことではないよね……。奉公先の人は、丁稚にとっては親同然だっただろうし)
 トリシア(ic0445)は自身の過去を思いつつ、助けを求めてきた丁稚の少年に向き直る。
「トリシア・ベルクフント。旅の騎士です。ここから先は、私達に任せて」
 長大な槍を手にした開拓者に、少年はどこかほっとしたような表情で頷いた。
「治療が、で、できるのは、たぶん、俺だけ、だから、いつでも、けが人を治せる様、ち、注意、しておく」
 どもりながら言った久郎丸(ic0368)は、ひとびとの視線が集中して何となく頭巾を目深に引っ張り下ろす。
 一方、大型のハープを抱えた朝倉涼(ic0288)は、どこか退廃的な笑みをうっすらと浮かべた。
(毒、か……。内側から徐々に甚振る、なんてさ……良いね。俺を、殺してくれる、かな……?)

 刻一刻と時間が過ぎていく中、待機する警邏番たちや医者の手配などギルド内は大わらわだ。
『花鳥院家当主の掟其の五十六、当主たる者何事に置いても全力を尽くすべし。其の八十七、当主たる者平穏を乱す悪は許すべからず』
 花鳥院家当主の掟を高々と諳んじ、決然と顔を上げたのは花鳥院麗子(ic0185)。
「花鳥院の名にかけて、これ以上アヤカシの好きにはさせません! 皆様、参りましょう」
 出陣の喇叭を思わせる掛け声に、彼らは夜明けとともにギルドを出立した。



 朝まだき、空は白みはじめているものの通りに人の姿はなく、件の商家も今はひっそりと静まり返っている。
 まずは救助者を捜索せねばならない。
「家具の影とか天井とか……気を付けなきゃいけない場所が沢山だ」
 剣逆緋野(ic0428)は『超越聴覚』を発動させ、薄暗い家屋に足を踏み入れる。
「京ちゃん、よそ見はだめだよ」
 傍らの幼馴染に声を掛けた藤峰笙(ic0424)に、庚月京(ic0430)は頷きながら、部屋の襖を指した。
「襖などは破壊しておこうかな……少しでも、蛇が隠れられそうな場所を減らしておかないとね」
 踏み込んだ部屋にアヤカシは居らず、彼女は手早く襖を取り外す。
「……奥に、蛇が固まってる……?」
 緋野の訝しげな呟きに、トリシアと麗子は思わず顔を見合わせた。
 開拓者たちが警戒しながら奥へ突き進み、庭に面した廊下に足を踏み入れた時だった。
 シャーッ!
 まるでバネ仕掛けのように飛び掛かってきた小怪蛇を、トリシアが咄嗟に槍で払う。
「必殺! 花鳥院キィーック!」
 掛け声とともに、ブロンドの巻き毛が跳ね上がる――ブーツの爪先が小怪蛇の下顎を捉え、三尺の蛇体がうねりながら宙を飛んだあと床に叩きつけられる。
「花鳥院骨法起承拳ッ!」
 麗子は素早く小怪蛇の首を抑えると、その頭部を破壊した。
 どうやら、このあたりから小怪蛇が増えているらしい……そう判断した涼は、小箪笥に腰掛け、ハープの弦を弾いた。
「まずは武勇の曲を……俺を護る為死した親友と、其れを受け狂った片割れの姉の、気丈な心を歌い、奏でます……」
 彼の小昏い言葉とは裏腹に、奏でられた曲は仲間たちの攻撃力を底上げする。
 その隣室で、何故か小怪蛇が螺鈿の大箪笥に群がるように床を這っていた。
「誰か中にいるのか?」
 緋野の言葉に、箪笥の中から悲鳴のような声があがる。そして、がたがたと扉を開けようとするのへ、京が叫んだ。
「いま開けてはだめ! 必ず、助けるわ!」
 言う間にも、小怪蛇は新たな人間の出現に牙を剥く。
 恐ろしいほどの跳躍力で次々に襲い掛かってくる小怪蛇を、トリシアは一度まとめて薙ぎ払うと『スタッキング』に切り替え、着実にアヤカシの頭部を撃破していく。
 笙の後方からにじり寄ってきた蛇を『篭手払い』で怯ませ切り伏せた京は、礼を言った幼馴染ににこりと笑った。
「笙の背中は私が護るわ。そう決めてるんだもの」
 二人は背中合わせに、互いの死角を補いながら刀を振るう。シノビとはいえ、武家の出らしく笙の剣術は見事なもので、忍刀を縦横に走らせ小怪蛇を霧散させる。一方の京も薄い刀身を持つ刀に紅蓮の炎を纏わせ、着実に屠っていった。

 ハープを奏でていた涼に小怪蛇が迫る。それをちらりと見遣り、彼は呟いた。
「……ああ、一般人が残ってるんですっけ……? そんな可哀想な人達より、貴方たちを補佐する俺を、護って欲しいんですけど……まあ、如何でも良いか……」
 小怪蛇の毒牙が涼に届く寸前、上から叩きつけるように、久郎丸が鎌を振り下ろした。刃は蛇の頭部を貫き、彼は『伽藍門』を発動させ畳に縫い付ける。ほどなく、小怪蛇は瘴気を散らして消え失せた。
「……苦しい、辛い、怖い、悲しい……複雑な心境を、敵に植え付けてあげます……あの二人は、もっと苦しかった筈なんだから……。さっさと小怪蛇は倒してください、ね。巨大蛇には、俺の大好きな一曲を、披露したいんだから……」
「……あの、二人……?」
 久郎丸が問いかけるように涼を見たが、彼は既に『奴隷戦士の葛藤』を奏でることに集中しており、答えが戻ってくることはなかった。
 遼子は前衛の二人が戦いやすいよう『墨風』を走らせ、アヤカシを牽制し、その動きを封じる。その隙をついてトリシアが小怪蛇の胴を貫いた。

「あ、ありがとうございます……」
 螺鈿箪笥から出てきたのは老人で、逃げ込む際につけたものか腕から血を流していた。
「まて。それくらいは、な、治せる」
 傷を見た久郎丸が印を結び、治療を施す。
「私達は開拓者です。さ。こちらへ」
 何やら場違いな感じもする遼子の衣装を見て、老人は目をぱちくりさせたが、開拓者ならと思ったのだろう。素直に、彼女に支えられながら外へ出て行った。
 そして、戻ってきた遼子は、ぽつりと言った。
「おそらく、生存者はあの方だけです……」


「蛇……でかい、な。……恨み辛み、が、化かしたか……あ、哀れだ……」
 久郎丸が呟く。
 奥座敷で彼らが見たのは奇妙な『巨大蛇』だった。その体は絹の鰐文そのままにてらてらと光り、鎌首をもたげた『頭』は蛇のような女の顔ような……不気味に融合した姿だった。
 そして、とぐろを巻くその近辺には――。
「……アヤカシも何か意図あっての襲撃だと思う。……恨みを喰らったのかな……」
 トリシアが沈鬱な声音で言えば、
「死んでも許さん! ……みたいな感じか? 復讐って言葉がしっくりくるけども。……よっぽど辛かったのかなあ……。ま、何にせよあの三角模様はヤな感じ……」
 緋野が床に転がる数体の遺体から巨大蛇の模様へ目を移し、少し眉を顰める。
「女の恨みは恐ろしい。けど……本当に怖いのは、女の人のほうかな? 僕には、悲しく泣く女性にしか……見えないよ」
 笙がぽつりと洩らす。
(愛してたのよね……純粋に、真っ直ぐに。……もう、泣かないで)
「恨んでもいい事なんてないわ。ただ、辛いだけよ」
 京はアヤカシに取り込まれてしまった女へ語りかけながらも、戦闘態勢は崩さない。
 ――そう。だが、それはアヤカシの殺戮を許す理由にはならいないのだ。
「……私は躊躇しないよ」
 トリシアはくるりと槍鋒を向ける。
 巨大な蛇は真っ赤な口をあけ、威嚇の声を放った。
 そこへ
 ぽろん……と涼の弦が鳴る。爪弾かれたのは『怠惰なる日常』。
 陰鬱な旋律にのせて、涼は『唄う』。
「俺の様に、全てを、捨てればいいんだよ……何処から生まれたアヤカシかなんて、知らないけど、生に執着なんて、してないでしょ……? さっさと諦めて、消えちゃいましょう……俺と、一緒に……」
 ずるり、と巨大蛇が後退する。
「逃がしません! 唸れ我が拳! 花鳥院パァァンチッ!!」
 麗子の声が響き渡り、強烈な一撃が蛇の胴へ食い込む。
 身をくねらせ、毒牙を剥いて襲い掛かった脇から、トリシアが『ポイントアタック』で首を狙う。
 だが、間一髪でその攻撃を避けた蛇は、素早く回り込むように移動する。巻きつかれれば、いかな開拓者とはいえ命はない。
「危ない!」
 叫ぶと同時、遼子の手から墨風が走り、蛇の頭部に巻きついた。
 動きを止めた一瞬を逃さず、笙の刃が蛇の片目を、京の『巻き打ち』が鼻先を斬り付ける。
 凄まじい絶叫を放ち、大きく首を振って狂ったように暴れ始めた巨大蛇の動きは度し難く、柱をへし折り、土壁を突き崩した。
 暴れる大蛇の後方へ回った久郎丸は、動きの少ない尾の部分に鎌を振りおろし、床に縫い付けることを試みる。巨大蛇の力は凄まじく、久郎丸は『伽藍門』を発動させて引きずられそうになるのを耐える。
「ぐ……」
 青白い肌に血の気がのぼり、喉からくぐもった声が洩れた。
 大きく胴をくねらせ、尾の動きを封じる久郎丸に牙を剥いた巨大蛇の前に、緋野が飛び込んだ。
「残念ながら一対一じゃない。周りをよく見てみるんだな」
 くすりと笑いながら、剥き出しの毒牙に躊躇も見せず、忍刀を大きく薙ぐ。掠めた蛇の牙が彼の腕を切り裂いていった。
 自分の盾となった仲間に、久郎丸は仰天する。
「す、すまん。……耐えろ。傷は、な、治す。だから」
「ああ。大丈夫だ……う……」
 緋野は不敵に笑うと、『死毒』を発動させた。呼吸が荒くなり、心臓の音が早鐘を打つように鼓膜に響く。
 仲間がつくった好機を見逃すはずもない。
 トリシアが槍の長さを利用し、落ちた大蛇の顎を床に縫い付けて動きを封じた。
「……君に恨みはないんだけどね」
 笙がひっそりと呟き、刀を蛇の首に突き立てる。
「必殺! 花鳥院頂心肘ッ!」
 判決を下すかのような麗子の声が響き渡り、装甲に覆われた肘鉄が蛇の脳天に突き下ろされた。

 巨大な大蛇は、怪しい紋様の帯もろとも紫の瘴気となって霧散したのだった。



 いつの間にかハープの音色は消えており、チュンチュンという雀の鳴き声が耳に入ってきた。
 アヤカシの消えた座敷には、破壊され、突き崩された壁から入ってきた光の中……奇妙に捻じくれた格好で転がる数人の遺体と飛び散った血痕がそこかしこに見え、返って陰惨さを浮き彫りにするようだった。
「人が、人を……こ、ここまで、憎める、ものなのか。誰も、幸せにならぬ、行いを……」
 呆然と立ち尽くしていた久郎丸は低く呟くと、遺体の収容にとりかかった。

 ふらりと表に出てきた吟遊詩人は、待機していた警邏隊に『終わりましたよ』と呟くように言って、そのままギルドの方へ歩いてゆく。
「え。あ、あの……」
 当惑したように声を掛けた警邏隊員へ、涼は見向きもせずに言った。
「後は知りません。……他人の事情なんか、如何だって良いんですよ……」

「力が至らず……全てを救う事はできませんでした。申し訳ございません」
 入ってきた警邏隊に麗子が深々と頭を下げる。警邏隊の一人が慌てて首を振り、きちんと礼を返した。
「とんでもありません! ありがとうございました!」

 ひととおりの事後処理を手伝い、警邏隊に後を任せた開拓者たちは高く上った日を仰いでほっと一息つく。
 幼馴染の傍らで、京はトリシアと緋野を見て呟いた。
「……頬の痣に、その腰についてる珠」
 緋野は意味ありげに笑っただけだった。
 明るい日の下で、はっきりとトリシアの顔の痣を見た笙は瞠目し、彼女の痣に指先で触れる。
「これ、は……」
「ああ、これは生まれつきなんだ。……緋野の珠によく似た珠を私も持ってるよ。……これの由来を知ってるのかな……?」
 彼女は『信』の文字が浮かぶ球を取り出してみせた。
 笙と京が顔を見合わせる。
 ――その後、彼らがどんな話をし、何を知ったのかは、彼らにしかわからないことだった。




 陽天の雑踏を屋台の奥から眺めていた老人の手元に、小さな羽虫がとまり、消えた。
「……人が人をここまで憎めるものなのか、か……」
 老人――傀殃は呟き、紫煙を吐き出した。
「憎むこともできよう……臨界点を突破した感情は、どちらへ向くのか、ということかな……」
 憎しみを手放せる者もいるだろう。
 だが、憎しみに囚われる者もいる。
 己の憎しみか、他者の憎しみか――それだけに囚われた者は自他の感情の境界がわからなくなるのかもしれない。
「……儂の憎しみか他人の憎しみか……如何でもいいのさ、そんなことは」
 そういえば……
「面白い開拓者がいたなぁ……」
 一人の青年を思い出し、傀殃はくつくつと喉の奥で嗤った。
「……人の恨みは、おそろしいものさ……」

 陽光の下、人々はいつものように街を行き交っている。