【神代】潜入
マスター名:昴響
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/02/06 18:38



■オープニング本文

●神楽の都、紅坂の一角に篝火が燃え盛る。
 長屋の通りには家具が積み重ねられ、長屋の屋根の上には開拓者らが腰を下ろしている。増援を加えた浪志隊や、狩り出された守備隊の兵らが辺りをぐるりと取り囲み、長屋一帯にぴりぴりとした緊張感が漂っていた。
 ことの起こりは、先の八咫烏を巡る儀式調査で穂邑に出現した紋様が、帝の后としての証である、と朝廷の使者が勅を携えてきたことであった。
 だが、そうして護送を命ぜられた浪志隊が向かった長屋にて、事件は起こった。正使が穂邑に勅を伝えんとした瞬間、副使が突如として穂邑に襲い掛かったのだ。穂邑は幸いにも一命を取り留めたものの、現場は騒然、とてもではないが穂邑を連れ出せるような状態ではなく、こうして睨み合いの一触即発が続いている。
「隊士に軽挙妄動を慎むよう徹底しておけ」
 真田悠が、各隊の指揮官を集めて言い含める。
「とにかく根競べだ、まずこちらからは手出ししないほうがいいだろう」
 一方の長屋でも、集まった開拓者らを前にゼロが頷いた。神楽の都に、ちらほらと雪が降り始めた――



 五行から戻り長屋に入っていた朱真は、頃合いを見計らってそっと穂邑が眠っている傍へ座った。
 その寝顔には疲労の色が浮かんでいる。勅使が伝えてきた内容が驚天動地の上、その使者に斬り付けられたとあっては穂邑の心中はいかほどか……。
「……あっちもこっちも、おかしな話ばかりだ……」
 朱真はぼそりと独りごちた。
 その中心にあるのが『朝廷』だ。
 一体、何を考えているのだろう? 無論、朝廷も一枚岩ではないだろうから、様々な思惑が入り組んでいることは想像がつくが。
 朱真が、(おそらく誰もが)感じる違和感は、もっと奥――そう、もっと根本的なものだった。
「……朱、真さん……?」
 人の気配に目が覚めたのか、穂邑が掠れた声を出した。
「あ……すまない。起こしちゃったか……水、飲むか?」
「……はい」
 穂邑は微かに笑って頷く。朱真はそっと穂邑の口元に水差しを持っていった。
「もう、痛む所はないか? 怖かったろ?」
「ありがとうございます……もう、痛くないのです」
 ほわ、と微笑った少女を見て、少し胸が痛む。戦線に突っ込んでいく自分ならいざ知らず、巫女である穂邑は戦場に立ったとて後方支援に回るのが常だ。
 身体の傷より心に受けた傷の方が心配だ――そう思うのは、朱真にとって穂邑が妹のような存在だからだろうか……。
 代わってやれればよかったのに……そう思った時、ふと脳裏に光が走った。
「朱真ちゃん……?」
「あ……いや。何でもない。ゆっくり養生してろ。ゼロもいるしな」
 にこりと笑った朱真に何かを感じたのか、穂邑は繋ぎ止めるように口を開いた。
「五行の王様には、会えたのですか?」
「うん。会えた」
 どんな人物かを問われ、朱真は思わず、といった風に笑いを洩らした。
「ヘンクツな男だけど……俺は嫌いじゃないな。まあ、王様の傍には平蔵もいるし、何とかやってくんじゃないかと思う。……どんな奴も直に話してみないとわかんないもんだよな……」
 小さくぽつりと洩らされた言葉に、穂邑は一抹の不安を覚えながら『え?』と聞き返す。
「……もう少し寝てろ。元気になったら、皆で温泉行こうな」
 にこりと笑った朱真に、穂邑は嬉しそうに頷いた。


 朱真は、気難しげな顔をして座っているゼロを部屋の隅に引っ張ってきてぼそりと言った。
「御所へ行って、武帝の口からホントのことを聞き出してくる」
 あまりにもさらっと告げられ、三拍ほど間を置いた後。
「……ごし……むがっ!?」
 仰天する口をすかさず朱真は手で塞ぎ、ちょっと眉根を寄せた。
「大きな声を出すな。穂邑が起きるだろ。……だってそれが一番手っ取り早い」
 さすがのゼロも彼女の言に険しい顔で唸り、小声ながら語気を強める。
「てめぇ、分かってるか? 御所だぞ? 下手を打つと、生きて帰るのも危ういぜ?」
 今上帝・武帝は遭都御所の最奥に御座す。往年の権力を失いつつあるとはいえ、未だその信仰心と忠誠心に支えられた近習や、己の命も厭わぬ多くのシノビがその身辺を警護している。
 命を捨てる覚悟が確立されている強者相手、なまなかな性根では武帝の元まで辿り着くことはかなわない。
 朱真自身も生きて帰れるか、命はあっても無傷ではありえないだろうことは承知している。
 朱真の緑の瞳に強い光が浮かんだ。
「わかってる。だから、開拓者十人くらいで侵入したい。……五行の白虎寮のようにはいかないのも、よく解ってるつもりだ。俺も、一緒に行ってくれるかもしれない仲間もどうなるかわからない。……だけどな、このままじゃ穂邑が可哀そうだし、何より、俺が! もやもやして気持ち悪いんだ!」
 朱真らしい言い分に――やがて難しい顔をしていたゼロは相好を崩した。
「てめぇの覚悟、確かに受け取った……行って来い、穂邑には黙っておいてやる。その代わり、絶対にしくじるなよ? 何より、生きて戻れ」
 にやりと笑う言葉に、朱真はしっかりと頷いたのだった。


■参加者一覧
水月(ia2566
10歳・女・吟
海月弥生(ia5351
27歳・女・弓
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
月代 憐慈(ia9157
22歳・男・陰
成田 光紀(ib1846
19歳・男・陰
羽喰 琥珀(ib3263
12歳・男・志
ディディエ ベルトラン(ib3404
27歳・男・魔
呂宇子(ib9059
18歳・女・陰
永久(ib9783
32歳・男・武
天青院 愛生(ib9800
20歳・女・武


■リプレイ本文


 遭都・御所――およそ南北七一五間、東西三八五間、内苑・外苑は南北二七五間、東西一三七間。庭園は天護隊百名ほどが警備にあたっており、内苑・外苑にも百人程度の警備が敷かれていた。だが、聖域とみなされる場所であってみれば、完全武装の兵は存在せず、帝の身辺を警護するシノビも建前は存在しないことになっている。警備兵たちの服装は配置、任務、官位などで事細かな規定が設定されていた。
 また、内苑には瘴気を感知するための精霊結界が、御所各門と要所には防護の結界が張られている。
 庭園などは小貴族の往来も多いが、開拓者が御所に入るにはたとえ庭園であろうとも事前の許可が必要であり、ギルド長や大貴族の紹介状などが認められない限り必ず却下されるのだ。

 それでも、彼らは帝に会わねばならなかった。

(八咫烏の精霊さんの事だけでも大変だったのに、落ち着く暇もなく帝の后とか、あやうく殺されそうになったり……。穂邑さん、すごく不安なんじゃって思ったら居ても立っても居られなくて……)
 朱真の呼びかけに応えた開拓者の一人、水月(ia2566)は準備を整えながら心中で呟く。
 一方、穂邑や水月と共に八咫烏の調査に入った月代憐慈(ia9157)は、一連の出来事に苛立ちを覚えていた。
(八咫烏で痛い目見た上に大伴の爺さんですらだんまりだ。なら……さらに上に聞けってことだよな、理解した……)
 このイライラを何とかする為にも武帝には洗いざらい話してもらうぞ――小さく呟き、錆びついた刃を鞘に戻した。
 呂宇子(ib9059)もまた、この状況にもやもやしたものを抱えている一人である。
(やっぱり顔と顔を合わせて、声の届く距離で話さないと分からないことだってあるでしょうし……)
 煙管から立ち上る紫煙を見るともなく見つめる。命懸けの依頼であることは承知の上――だが朱真と同じく、直に話さねばと思うのだ。
(お偉い方々の結婚というものがですね、本人の意思だけでは決められなかったりするのは、どの国でも共通かと思われますが〜。今回の件はどうなのでしょうねぇ)
 ディディエ ベルトラン(ib3404)は、つらつらと考える。
(はて……そういえば〜。この儀の陛下のお身内についてのお噂を、これまで聞いたことが無かったような気も致しますですね。先の皇后様のご出自やご成婚に至る流れはどのようなものだったのでございましょうか……?)
 おそらくそれは、朝廷の膝元に屋敷を構える貴族たちくらいしか知らない情報であろう。帝については秘された部分が多いことは否めない。
 対して、危険な依頼と知りつつ参加した、成田光紀(ib1846)は軽く言った。
「俺自身に帝への直訴は持ち合わせていない。青龍寮の人間として久しぶりに架茂に目通しさせてもらった礼だ。……ついでに言えば、御所とやらにも興味がある」
 彼らしい言に、朱真は苦笑した。
「まぁ、なんだ。せめて「王」くらいは付けてやろう」
 世話の焼ける御仁であるのは確かだが、架茂天禅が五行国の王なのも確かだから。



 貴族の屋敷が集中する上町。その中心に存在するのが御所だ。この区画への出入りは自由だが警備兵が立ち、往来を監視している。平民が住む下町とは違い、人通りはあるもののどこか粛然とした趣がある。
 旅行者らしき一団、個人の姿は多くみられるが、町になじむことはなく――他所から来た者は良くも悪くも目立つという事だ。
 鈴木透子(ia5664)もまた旅行者を装い、さほど高くはない石垣で囲われた御所の周辺を歩いていた。
 高さがないかわりに枝の密集した低木が垣根となり、あるいは柵が設けられ、外から庭園の中は窺い難い。
 この石垣の外側にも等間隔で警護兵が立っており、往来を監視する警備とはあきらかに違う。おそらくは天護隊。
 前方、庭園前で恭しく手を合わせた下町の老夫婦が深々と一礼して立ち去るのを見て、そちらへ行ってみる。そこはいくつかある門の一つで、このずっと奥に帝の御座所がある。
 彼ら遭都の民にとって帝とは、為政者以前に最高位の精霊の依り代となる者、すなわち『神』と同義なのだ――これが意味するところを理解しなければ、害意の有無に関わらず、遭都のすべてを敵にまわすことになりかねない。

 開拓者たちは数日をかけ、なるべく散らばるように御所の周辺をまわった。
 海月弥生(ia5351)は侵入しやすい箇所をそれとなく探しながら、石垣に囲まれた庭園を見上げる。時折木々の間に見え隠れするのは警護兵か。
「あまり近づかぬよう。侵入者と間違われるぞ」
 石垣の外に立っていた警護兵が弥生に言う。彼女は素直に謝罪して少し距離をとった。

 道を隔て読経しながら歩いていた天青院愛生(ib9800)は、天蓋の下から御所の様子を窺っていたが、配置されている警備、周辺の様子から迂闊な行動はできないと改めて認識する。
 門の中から出て来た警護兵の三人ほどが、石垣の外に立っている者と交代する。天護隊は庭園の中と外に配置されているらしい。

「御所、か……。こんな事がなければ、入る事もないだろうな……」
 誌公帽子の下で微苦笑を浮かべた永久(ib9783)は、ゆったりと歩きながら庭園の森を眺める。ぎしりという音が聞こえ、ふと足を止めると門の一つから牛車がゆっくりと出てくるところだった。
 通り過ぎるかと思いきや、止まった牛車の御簾がほんの少しずらされ、中から僧侶らしき男が覗いた。
「御坊……旅のお方か?」
「はい。遭都に参ったので、一度御所を見ておこうと……。さすが、手入れの行き届いたお庭です」
 永久は門の中をちらりと見遣って穏やかに応える。牛車の僧侶は頷き、南門の造りが素晴らしいと話してくれた。
「門は警備が多い故、見づらいやもしれませぬが……」
「かたじけない。行ってみます」
 そうして、彼らは再び歩みを進めた。

 水月は上町の入口で職人風の老人に声を掛けた。
 小さな少女が、将来は帝のお役に立てる大人になりたいという夢を持って、御所はどんなところか、と聞いてきたのである。
 職人は大店の菓子職人で、庭園で開かれた貴族の茶会に菓子を届けに行った帰りらしかった。
 どの門にも警護兵はいるが、職人たちが出入りする門は決められており、警護はことのほか厳しい上、庭園などはまったく見えない。毒見の者がいたり、そのほか細々と指示する者がいたりと、気が気でない長い時間を過ごすのだと言う。
「もう何年も出入りさせていただいているからね、庭園の様子を教えてくれる方もいらっしゃるよ。陛下のいらっしゃる内苑は北よりで、南に広がる庭園は池があったり、お客様を迎える館があったり……季節ごとの花園で茶会があったりと、素晴らしいところだそうだよ」
 また、帝が口にする食材を吟味する場所は別の場所にあり、こちらは更に緊迫したものだろうと笑った。

「このままじゃ飯の食い上げになっちまうんだよ、なっ、このとーり!」
 瓦版屋(見習い)に扮した羽喰琥珀(ib3263)は、上町にほど近い場所に住んでいるらしい下級貴族に向かって手を合わせた。
「……だから坊主。何度も言ってるだろう。御所内のことは口外禁止なのだ。ばれたらそれこそ、私の首が飛ぶ。……警護兵? 庭園の天護隊は決まった時間に三人ずつくらい交代してるだろう……それ以外は喋れぬよ」
 琥珀は困り果てたような顔をし、思いついたように言った。
「じゃあ、退官したじーさんとかいないかな?」
 あまりのしつこさに辟易していたためか、または退官した者ならと思ったのか、下級貴族は一人の老人を教えてくれたが、自分のことは一切口外禁止であることを固く約束させられた。
 そうして尋ねたのは、どことなくぼんやりとした老人だった。
 これはあまり期待できないかもしれないと思いつつ訊いてみる。
「俺、瓦版の見習いなんだけど、親方から御所を取材してこいって言われたんだ。知ってること、少しだけでも教えてくんねーかな?」
 ぼーっとしていた老人はしばらくたって、やっと『ごしょ?』と呟く。
「うん。俺じゃ中に入れないから、どんなとこなのか様子だけでも……」
 老人は、手帳を出して頷いた琥珀にちらりと目をやったあと、御所のほうを向いて懐かしげな光を目に浮かべる。
「そりゃあ、綺麗な所だった……」
 この老人は(真実ならば)一度外苑に入ったことがあると言った。塀に囲まれた外苑・内苑は御所の北寄りに位置し、塀の内側の北が外苑と呼ばれるようだ。そこもまた、多くの壮麗な建物と庭が広がっているのだと。
 この老人にとって、本来入れるはずもなかった外苑に足を踏み入れたことは大きな誇りなのだろう。
 琥珀は何気なく首を傾げてみせた。
「へー、すごいな! その中には警護兵はいねーのかな?」
「いないさ! 聖域と同じだからのう……」
 いつの話だとの問いに、老人は三十年前だと応えた。

 呂宇子は通りの警備の目を掻い潜りながら『人魂』を飛ばす。別の方向から朱真も『人魂』を飛ばしているはずだ。
 『人魂』が飛べる時間は限られており、あまり遠くからでは意味がない。かといって御所内へ飛ばすような危険は冒せず、昼夜にかけて地道な作業が続いた。
 夜間、外苑・内苑の塀の外では篝火が焚かれ、いくつかの門と周辺を巡回する警護兵が見える。彼らは数刻置きに交代していることがわかった。


 持ち寄った情報は全員で検討された。
 往来を監視する警備、石垣の外と庭園の天護隊……これらを鑑み侵入は南方から、外苑の塀を超えるのは南東方向からと決められた。
 苑内に入った時点で侵入は確実に察知される――その前提のもと、永久と愛生が陽動に回ることになった。
 合図は手振りと目線で。声は出さない。
 侵入するのは悪天候の明け方と決める。
 透子が御所の壁に落首を貼ることに、朱真は難色を示した。
「上には伝えずに下の人だけで対応しようとしてくれるかもしれません」
 意識を外に向けさせるのが目的だという透子へ、朱真は眉根を寄せたまま言った。
「天護隊の面子にかけても、朝廷側には報告しないと思うよ。逆に言えば、町の外で密かに殺される可能性もあるってことだぞ」
 透子が外での陽動で天護隊の目を引き付けるなら、侵入はその時しかない。それに手間取れば、返って中の警護が厳しくなり内苑に入るのが難しくなると考えられる。
 そうして彼らは、帝への質問含め、陳情書として一つにまとめた。それを内苑へ入る人数分書写し、誰かが渡せるように一通ずつ持つ。

 その日、雲は低く垂れこめ夜半過ぎから雷雨となった。
「行こう」
 開拓者たちが立ち上がる。
 透子は彼らとは反対方向で陽動を起こす。
「帝にお詫びを伝えておいてください」
 言って、激しい雨の中を駆けて行った。
「……朱真殿。最善は尽くしますが、決してご無理はなさいませぬ様。目的が果たせずとも、危うい場合は引き返す事を躊躇われませぬ様。……成そうとしていることが天に唾する事であると、捕えられれば己の身だけならず、関わりのある方々にも類が及ぶという事を」
 愛生が厳しい目を向け、朱真に言う。
「わかっている……」
 こうして来てくれた開拓者たち、そして、『生きて戻れ』と送り出してくれたゼロ、今も不安と闘っているだろう穂邑――彼らの顔を見つめ、朱真は頷いた。


 春はまだ遠く、夜明け前ともなればぐっと気温は下がる。そのうえどしゃぶりの雨が体温を根こそぎ奪っていく。
 御所の南西を警護していた天護隊の一人は、寒さに耐えながら闇を見つめていた――と、もやもやとした黒い霧が広がってくる。
「……? な、なんだ、この霧は……?!」
 慌てて手を払ったその時、何か翻ったのが視界に見えた。
「な、何奴! 曲者!」
 兵が声をあげる。耳を打つ雨の音で仲間に届かないと、咄嗟に大声を張り上げる。
 石垣の外に立っていた警護兵たちが騒然となった。
「なんだ、どこだ!?」
「いたぞ! あそこだ!」
 庭園を巡回していた警護兵が石垣の上から指し示す。
 雨でけぶる中、市女笠が揺れる――女の脚ならすぐに追いつけるはず――だが、追ってきた数人の警護兵たちは立ち込めた霧に巻かれ、見失ってしまった。
 石垣には短冊が張り付けられていた。
「不埒者め……!」
 天護隊の一人がそれを忌々しげに剥がす。そこには見舞いの言葉さえない、貴方は薄情者だというような『うた』が書かれていた。
 御所に張り付けるということは、帝への恨みともとれるが、恋歌ともとれた。
「……いかがしますか」
「捨て置け。陛下へ恋情を募らせる町娘の仕業だろう……まったく。……報告? 天護隊が女にこんなものを石垣に貼らせてしまったとでも言うつもりか? ただし、二度目はない。見つけ次第外へ放り出せ。賊なら斬れ」
「はっ!」


 南西での騒ぎは呂宇子の『人魂』が知らせてくれた。
 開拓者たちは頷き、どしゃぶりのなか一直線に通りを駆け抜ける。視界の悪さを利用し、ディディエが石垣の警護兵に『アムルリープ』を掛け、眠らせた。
 永久と愛生が石垣を駆けあがり、低木を飛び越えて侵入する。
「な……」
 巡回兵の一人が声をあげようとしたところへ愛生の『霊戟破』が襲い掛かる。更に永久が首筋に手刀を落として気絶させると、手早く装備を拝借した。
 愛生が永久へ天蓋を差し出す――修羅である彼が御所へ入るのは余計な騒ぎを招きかねないからだ。
 開拓者たちは庭園の木々に身を隠しつつ、『超越聴覚』を発動していた水月が、いまひとり巡回兵を見つけたと手振りで知らせた。
 永久が何気なく近寄ると同僚と思ったのだろう。
「すごい雨だな……うっ」
 低く話しかけてきた兵の口を塞ぎ、大木の影へ引きずり込む。琥珀が『秋水』で急所を攻撃して昏倒させた。
 天護隊の装備をつけた永久と愛生を前に、呂宇子と朱真が『人魂』を飛ばして周囲を探る――激しい雷雨は、聴覚と視覚を奪っており、かつまた、透子が起こした騒ぎにより、兵たちの意識が反れていると判断。
 彼らは木々の間から飛び出し、内苑の塀に向かって一気に駆けた。

 依然、雷雨は続いてはいたが、空は夜明けを告げるようにうっすらと明るみはじめる。
 消えた篝火の下で交代の時間を心待ちにしていた兵は、雨の向こうから駆けてきた仲間の鎧にほっと一息ついた。途端。
「……っ!」
 襲い掛かってきた衝撃波に次いで、強烈な打撃。
 それは彼と近い場所に居た兵も同じ攻撃を受け、昏倒した。
 愛生と永久が仲間に頷くと、傍にあった木を伝い、塀の中へ飛び降りる。それを追うように、次々と開拓者は塀を超えて侵入を果たした。
 池が造られ、雅な庭園の左手は正殿らしき建物と白い壁が見えた。
 無論、ここにも結界が敷かれてあり、すぐさま察知された。
「曲者!」
 正殿の向こうから兵が現れた。
「さて……ここからがお仕事かな。あとはお任せしよう」
 永久がゆったりと言い、愛生が仲間に軽く一礼すると、二人は大きく円を描くように走り始めた。
 水月は『超越聴覚』とともに『猫足』で仲間を誘導する。その指が右手方向に差し向けられた。
「何奴!」
 誰何の声と共に襲い掛かった兵へ、水月は『ナハトミラージュ』で回避し、弥生が片手弓を放つ。ぎゃっと声をあげてひるんだ男へ、刀を抜いて駆け寄り『手加減』を発動させつつ鳩尾へ柄を突き込む。
 衣服を奪って兵に扮する暇もなく、次いで駆け付けた兵へ憐慈が『大龍符』を放つ。襲い掛かる巨龍に兵はぎょっとしたように足を止めた。その隙に駆け寄った朱真が急所を蹴りこんだ。
 光紀が立て続けに『毒蟲』を放ち、二人の兵が四肢の痺れに倒れこむ。
 建物の脇に伸びる回廊へ駆け上がった彼らの前に、声もなくシノビが襲いかった。
 ディディエが『アムルリープ』で眠気を誘い、呂宇子が『毒蟲』で動きを封じたのを水月が猿轡をし、縛り上げる。
 後方、外から追ってくる兵たちの足止めに憐慈と光紀が『結界呪符「黒」』で回廊の入口を塞いだ。
 回廊の横合いから殺気と共に突き出された刃を『心眼』で察知していた琥珀は、立て続けに繰り出される攻撃を躱すが、相手の攻撃は速く、一刀が腕をざっくりと切り裂いた。
「……っ!」
 琥珀は一旦飛び退り、横殴りに襲い掛かった苦無を間一髪で躱す。身体の小ささを利用して相手の懐に飛び込み、『紅椿』で昏倒させた。
 それを縛るのも面倒と、光紀がそこへ黒壁を出現させた。
 開拓者たちが駆けていく前方で、ゆっくりと扉が閉まっていく。
 憐慈が『大龍符』を、呂宇子が『毒蟲』を放つと向こうから悲鳴があがった。
 転がり込むように扉を抜けた開拓者たちの最後尾、ディディエは速やかに扉を閉め、閂を掛けると『マジックロック』を施した。こちらから閂を開ければ術は解けるが、時間稼ぎにはなるだろう。

 一方、塀の内側で陽動に回っていた永久と愛生は、仲間たちから注意が反れるよう派手な立ち回りを演じていた。
 とはいえ、相手は必殺の構えで向かってくる。とても無傷とはいかなかった。
「貴様ら、帝の御座所を侵すとは何事か!」
 警護兵は怒りの声と共に太刀を抜きはらう。
 『雨絲煙柳』でその攻撃を受け流した永久は、絶体絶命とは思えぬほど落ち着き払った声で言った。
「大変申し訳ない……が、ここで引くわけにはいかない」
 言うや、薙刀の柄を回転させるように『烈風撃』を放って兵を弾き飛ばす。
 愛生もまた、錫杖を大きく振りつつ『霊戟破』を放って衝撃を与え、『烈風撃』で兵を弾き飛ばすと、永久の動きに合わせるように逃げ回る。
 時折、隙を見つけて『浄境』で永久の傷を治した。
 強い雨は、殺気も声も攻撃も存在しない一瞬の静寂を生み出すようだ。
(八咫烏を動かしたあの精霊の事……帝はご存じなのでしょうか……)
 愛生もまた疑問を持って、この依頼に参加した一人である。
 八咫烏と、天祥の血筋のことも、いずれ分かるときがくるだろうか――
(今は、朱真殿らが帝の元へ辿りつけるよう、全力を尽くします)
 日はそろそろ昇り始めただろう……だが、天を走る稲妻と強い雨は止むことなく、彼らの上に降り注いでいた。

 騒ぎは大きくなりつつある。
 水月に襲い掛かったシノビは、突然翻った布に視界を奪われ、咄嗟に苦無で切り裂こうとしたが柔らかになびくだけで――驚愕する間もなく頭に巻きつかれて引き倒される。次いで鳩尾に強烈な突きが入り、彼は気を失った。
 進むにつれ、シノビの数が増えてくる――つまり、帝に近づいているということだ。
 光紀が『幻影符』を放って横合いから切り掛かったシノビの目を眩ませると、琥珀が『秋水』で昏倒させる。
 ディディエが『アムルリープ』で眠気を誘ったところを、弥生が倒していく。
 後ろからも追ってくるのを察知した憐慈は、角を曲がったところで黒壁で塞いだ。
 水月の耳に、『陛下、お早く!』という声が入ってきた。朱真にその方向を指し示す。
 朱真は切り掛かってきたシノビの刃をくぐり抜ける。後方から呂宇子が手裏剣を飛ばし、シノビが咄嗟に身を躱したところへ蹴りを突き込んだ。
 光紀が板戸を開け放った。



 泥だらけ傷だらけの一団を前に、室内にいた高貴な人々は一瞬、度肝を抜かれたように声を失った。が、
「無礼者!」
 一人が怒りとともに短刀を抜き放つが、琥珀が下からそれを弾き飛ばした。
 庇われている銀の髪の青年は一人、無表情に開拓者たちを見つめている。
 おそらくは、これが武帝――
「あんたが、武帝か?」
 朱真のぶっきらぼうな物言いに、傍にいた者たちから怒りの声があがる。
「そうだ。そなたは?」
 青年は軽く手を振って近習を黙らせると、気だるげに訊いてきた。
 年のころは二十と少しか、銀色の長い髪は真っ直ぐ背に流れ、端正な顔立ちの青年である。だが……。
「俺は朱真。訊きたいことがあって来た」
 どこまでもぶっきらぼうな物言いの朱真の後ろから、光紀が進み出て武帝に無礼を詫びた。
「……ただ、この天下の乱れし折、畏くも陛下の御声を拝したく参じた次第」
 その彼の言葉が終わると、水月が深々と礼をして書状を差し出す。
「私たちに害意はありません。……でも、どうかこれを読んでください」
 武帝はついと書状を取り、ぱらりと開いた。
「陛下! そのような無頼の者どものいう事など……」
「うっとうしい。下がっておれ」
 控えていた近習が悲鳴のような声をあげる。武帝は抑揚のない声で、見向きもせず告げた。
「しかし!」
「さがれ」
 その声と共に、彼らの周りから殺気が遠ざかった。

 武帝が書面から目を離したのを確認し、水月が八咫烏での一件から穂邑に襲い掛かった凶刃までの一連を知っているかと尋ねた。
「聞いた」
 武帝の返事は短い。
「じゃあ、穂邑を御所まで護送するよう勅を出したのは事実なのね?」
 呂宇子が言えば、武帝はするりと応える。
「使いが『勅』だと言うたのなら、そうであろうよ。浪志組を使うたは……神楽には部隊がない故であろ」
「……そもそも、八咫烏の調査をギルドに依頼したのは何故なんだ」
 憐慈が首を捻りながら問えば、武帝は少し間を置いて言った。
「さてな……何もせぬでは恰好がつかぬからか……穂邑という娘に『徴』が顕れたことと関係するかは知らぬが」
 時間稼ぎだと? 憐慈が疲れ果てたような声で呟く。
「陛下をお側でお支えするにあたりまして、最も必要となる資質とは何でございましょう? どうやら名家の生まれであることでは無いように御座いますが〜」
 ディディエが遠まわしに疑問を投げかけるが、武帝は無表情に見返しただけだ。
「……穂邑に出た紋様が『皇后の徴』とか言われたけど、それって一体なんだ?」
 朱真が訊く。これは彼らに共通する疑問だった。
 それに憐慈が付け加える。
「精霊と同調したようにして『徴』の浮かんだ娘に、精霊の代理人たる帝の妻として迎えが来る。それらしい話だが、それで命を狙われるってのがあまりにも突飛すぎる」
 果たして――
「皇后の徴、か……ふ、そのようなもの」
 武帝は、明言はしなかった。だが、口端をついと持ち上げるその冷ややかな笑みは、それがいい加減なものであろうことを如実に物語っている。
「って事はでっち上げ……?! 何のために!?」
 これには開拓者たちも唖然とする。武帝はしれっとして話した。
「そこの男が言った。『精霊の代理人』である『徴』が顕れたゆえの口実であろ」
 精霊の代理人である帝――代々『神代』を持って生まれるのがその証――ならば、でっち上げてまで穂邑を確保しようとしたのは、彼女の体に浮かんだ『徴』が『神代』だから、ということにならないか?
 武帝は何も言わなかった。
 だが、その沈黙こそが『肯定』であると、誰もが確信する。
「…………」
 外の騒ぎが耳に届いた。雨も少しずつ弱くなっているのだろう。
 琥珀が改めて一触即発の長屋の状況を訴え、提案した。
「俺達を正式な朝廷の使者にしちゃどうだ」
 そうすれば、穂邑たちの警戒はとける。その代わりに侵入には目をつむってもらう。
「ただ、穂邑がどういう選択をしても強制しないで、想いを尊重してほしい。お願いだ」
 武帝は、そう言って頭を下げた琥珀を無表情に見遣り、正式な使者や勅使を出すには手続きがいるとだけ言った。自分の一存でどうにかなるものではないと。
 事実を淡々と『応える』青年を、どこか薄気味悪く見ていた朱真だったが、外で陽動をしている仲間も、自分たちも、そして長屋に居る穂邑やゼロのことも気になる――これ以上、長引かせるわけにはいかない。
「なら……使者が駄目なら、一筆書いてくれないか。穂邑の徴がでっち上げだってことと、だから穂邑や長屋から手を引くように……」
 朱真は顔をあげ、武帝を真っ直ぐ見据えた。
 それにも、彼はまったく頓着を見せなかった。
「……紙と筆をもて」
「陛下!」
「もて」
 繰り返す声に、控えていた近習が速やかに用意する。
 武帝はさらさらと書きつけながら、私印を押しつつ、言った。
「好きに使うがよい。ただし、どうなろうと私は知らぬがな」
 書いた後で言うのか、と朱真は鼻を鳴らす。
「……陰険な奴だな。やっぱり俺はお前のことは好きじゃない。だから、穂邑がお前の嫁になることも反対だ」
 彼女のあまりの言葉に近習は顔面蒼白になる。が、武帝の表情は微かにも変わりはしない。
「……でも、書いてくれてありがとう」
 書状に目を通していた朱真は、折り畳むと懐に仕舞いこみ礼を言ってぺこりと頭を下げる。
 開拓者たちはそれぞれに武帝へ礼を言うと、素早く身を翻した。
 出ていくのを幸い、『曲者!』と呼ばわろうとした近習へ、
「捨て置け。鼠だ」
 そう言った武帝の声音はどこまでも淡々と、そしてどこか突き放すようでもあった――……。

 
 すっかり夜は明け、雨は弱まりつつある。
 琥珀が持っていた狼煙銃を打ち上げる。
 呂宇子、光紀、憐慈が待ち構えていた兵へ『大龍符』を放って怯ませた隙に駆け出した。
 狼煙を見て、外苑を逃げ回っていた永久と愛生が合流する。
 御所の外で応えるように狼煙銃が打ち上げられた。
 開拓者たちはそれとは反対方向へ走り出す。
 創だらけの顔で、愛生が朱真に訊いた。
「帝にはお会いできたのですか?」
「会えた。顛末はあとで話す」
 朱真は頷きつつ、『治癒符』を愛生の頬の傷にあてる。
 走った先は行き止まり。咄嗟に憐慈と光紀が黒壁を出現させ、追ってくる兵の足を止めた。
「仕方ありませんですね」
 ディディエの魔法詠唱とともに灰色の光球が出現、塀に触れるや音をたてながら巨大な穴を造り上げる。
 穴から潜り抜けてきた十人の開拓者たちは、天護隊の攻撃を跳ね飛ばすように一直線に庭園を駆け抜け、御所から飛び出した。
 逃げる彼らを追って上町まできた天護隊も、早々に引き返していった。
 不思議なことに、遭都の開拓者ギルドは彼らの精霊門使用について何ら咎めることはなく、御所へ侵入した十一人は無事、神楽の都へ戻ったのである。


 
 穂邑の体に浮かんだ徴は『神代』――
 ゆえに、朝廷は彼女の身柄を確保しようとした。

 では、その存在を抹殺しようとしたのは誰なのか。

 また、一応の終息をみせつつある長屋へ朱真が持ち帰った「武帝の書状」が、更なる波紋を起こすことは間違いなかった。